西紀寛
西 紀寛(にし のりひろ、1980年5月9日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。
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名前 | ||||||
カタカナ | ニシ ノリヒロ | |||||
ラテン文字 | NISHI Norihiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1980年5月9日(44歳) | |||||
出身地 | 大阪府高槻市 | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1993-1995 | 芝谷中学校 | |||||
1996-1998 | 市立船橋高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2011 | ジュビロ磐田 | 255 | (36) | |||
2012-2013 | 東京ヴェルディ1969 | 73 | (11) | |||
2014 | ポリス・ユナイテッド | 17 | (2) | |||
2016 | 沖縄SV | |||||
通算 | 345 | (49) | ||||
代表歴2 | ||||||
2000 | 日本U-23 | 0 | (0) | |||
2004 | 日本 | 5 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2024- | ジュビロ磐田 U18 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月21日現在。 2. 2004年8月3日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
元サッカー選手の西望実は実弟である。
来歴
編集本人によればサッカーを始めたのは保育園時代。中学校までは地元でプレーしていたが、高校は地元を離れて船橋市立船橋高等学校に入学し、サッカー部で活躍。サッカー部の同期に松田正俊がいる。他にも岩佐潤(バスケットボール部)・高橋美佳子(吹奏楽部)・佐藤章晶(硬式野球部)がいる。高校3年次の1998年にはインターハイを制するが、同年の全国高等学校サッカー選手権大会は千葉県予選で玉田圭司を擁した習志野高校に敗れ、出場はならなかった。
当時は横浜フリューゲルスの強化指定選手でサテライトの試合にも出場。入団も内定していたが、同クラブが消滅したため、オファーのあったジュビロ磐田に入団することとなる。元々はフォワードや1.5列目の選手である。
磐田では、名波浩の移籍や中山雅史らの負傷者のために戦力不足に陥った1999年第2ステージから本格的に起用されはじめ、翌2000年に就任したハジェヴスキー監督から、その攻撃力とドリブルを評価されて右サイドに抜擢された。2002年には戦術的理由から一時レギュラーを外され、移籍志願をしたこともあったが翻意した。
トルシエ監督が率いるU-23代表ではアジア予選や親善試合でもほとんど出番がなかったが、シドニー五輪本大会では登録人数が少ない影響で、FWと右サイドの両方の控えとなり得る事からメンバー入りする。しかしフィールドプレイヤーの中では唯一出番はなかった。 またジーコが代表監督に就任したあとも度々召集され、優勝した2004年アジアカップにもメンバーとして帯同、より攻撃的な右サイドバックとしてバーレーン戦に途中出場するなど少ないながらもピッチに立った。
2004年以降は負傷に見舞われて出場機会も少なく、2005年以降は右サイドの太田吉彰の台頭で、元来のポジションであるフォワードやトップ下として起用されることも増えた。
2009年、2010年は欠場が少なく、チームに欠かせない選手となっていた。しかし、過去の怪我の影響などで膝の状態が常に良いわけではなく、途中交代が多くなり90分間フルで出場することは少なくなった。それでも2010年のナビスコカップ決勝では、足がつりながらも延長戦を含め120分間攻守にわたって活躍し、優勝に貢献した。
2011年、オフシーズン中の試合形式の練習中にアキレス腱を断裂してしまい、全治6カ月と久々の長期離脱となった。
8月24日、大宮アルディージャ戦で途中出場で復帰。次の清水戦ではスタメン復帰もして、勝利に貢献した。
10月15日、鹿島アントラーズ戦で、250試合出場を達成した。
2012年、13年間在籍した磐田を離れ、東京ヴェルディへ完全移籍した[1]。2013年はチームの副キャプテンに就任した。同年シーズン終了後、契約満了により退団[2]。
2014年、タイ・プレミアリーグのポリス・ユナイテッドFCへ移籍[3]。
2016年より沖縄SVに加入。同年をもって現役を引退した[4]。
2018年より東京都4部リーグ三鷹シティFCの総監督に就任。
2024年より古巣・磐田のU18監督に就任。
所属クラブ
編集- ユース経歴
- 1987年 - 1992年 日吉台ウイングス (高槻市立安岡寺小学校)
- 1993年 - 1995年 高槻市立芝谷中学校
- 1996年 - 1998年 船橋市立船橋高等学校
- プロ経歴
- 1999年 - 2011年 ジュビロ磐田
- 2012年 - 2013年 東京ヴェルディ1969
- 2014年 ポリス・ユナイテッドFC
- 2016年 沖縄SV
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1999 | 磐田 | 26 | J1 | 13 | 4 | 1 | 0 | 3 | 0 | 17 | 4 |
2000 | 19 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 22 | 3 | |||
2001 | 11 | 22 | 2 | 7 | 0 | 2 | 1 | 31 | 3 | ||
2002 | 26 | 4 | 7 | 1 | 3 | 0 | 36 | 5 | |||
2003 | 24 | 1 | 8 | 0 | 5 | 1 | 37 | 2 | |||
2004 | 17 | 4 | 0 | 0 | 4 | 2 | 21 | 6 | |||
2005 | 19 | 3 | 0 | 0 | 1 | 2 | 20 | 5 | |||
2006 | 16 | 4 | 5 | 0 | 2 | 1 | 23 | 5 | |||
2007 | 17 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 18 | 2 | |||
2008 | 12 | 2 | 6 | 1 | 2 | 1 | 20 | 4 | |||
2009 | 29 | 4 | 4 | 0 | 2 | 0 | 35 | 4 | |||
2010 | 31 | 3 | 7 | 1 | 2 | 0 | 40 | 4 | |||
2011 | 10 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | |||
2012 | 東京V | J2 | 38 | 6 | - | 1 | 0 | 39 | 6 | ||
2013 | 35 | 5 | - | 2 | 0 | 37 | 5 | ||||
タイ | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2014 | ポリス・U | 33 | プレミア | 17 | 2 | ||||||
2016 | 沖縄SV | 11 | 沖縄県3部 | - | - | ||||||
通算 | 日本 | J1 | 255 | 36 | 47 | 3 | 30 | 8 | 332 | 47 | |
日本 | J2 | 73 | 11 | - | 3 | 0 | 76 | 11 | |||
日本 | 沖縄県3部 | - | - | ||||||||
タイ | プレミア | 17 | 2 | ||||||||
総通算 | 328 | 47 | 47 | 3 | 33 | 8 | 408 | 58 |
- 強化指定選手としての公式戦出場はなし
その他の公式戦
- 1999年
- Jリーグチャンピオンシップ 1試合0得点
- 2000年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2001年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2004年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2004 | 磐田 | 11 | 4 | 1 |
2005 | 4 | 1 | ||
通算 | AFC | 8 | 2 |
その他の国際公式戦
- 2003年
- A3チャンピオンズカップ 3試合0得点
- 1999年2月27日 - プロデビュー(プレシーズンマッチ) - 浦和レッドダイヤモンズ戦 (愛鷹広域公園多目的競技場)
- 1999年4月28日 - 公式戦初出場(アジアクラブ選手権) - アル・アイン戦 (アザディ・スタジアム/イラン)
- 1999年5月29日 - 日本公式戦初出場(Jリーグ) - ジェフユナイテッド市原戦 (市原臨海競技場)
- 1999年8月21日 - プロ初ゴール(Jリーグ) - アビスパ福岡戦 (博多の森球技場)
代表歴
編集出場大会など
編集- 2000年 シドニーオリンピック (ベスト8)
- 2004年 アジアカップ2004 (優勝)
試合数
編集- 国際Aマッチ 5試合 0得点(2004)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2004 | 5 | 0 |
通算 | 5 | 0 |
出場
編集No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 2004年04月25日 | ザラエジェルツェグ | ハンガリー | ●2-3 | ジーコ | 国際親善試合 | |
2. | 2004年04月28日 | プラハ | チェコ | ○1-0 | 国際親善試合 | ||
3. | 2004年07月20日 | 重慶 | オマーン | ○1-0 | アジアカップ | ||
4. | 2004年08月03日 | 済南 | バーレーン | ○4-3(延長) | アジアカップ | ||
5. | 2004年12月16日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | ドイツ | ●0-3 | キリンチャレンジカップ |
脚注
編集- ^ 西紀寛選手 東京ヴェルディへ完全移籍 ジュビロ磐田公式サイト 2012.1.7付ニュースリリース
- ^ 西紀寛選手契約満了のお知らせ 東京ヴェルディ1969公式サイト 2013.12.6付ニュースリリース
- ^ 西紀寛選手移籍のお知らせ 東京ヴェルディ1969公式サイト 2014.1.16付ニュースリリース
- ^ 『西紀寛 選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)沖縄SV、2016年12月21日 。2016年12月21日閲覧。
- ^ 『2017年シーズン普及スタッフ決定』(プレスリリース)ジュビロ磐田、2017年2月1日 。2017年12月31日閲覧。