おおすみ

日本の人工衛星

おおすみは、1970年2月11日東京大学宇宙航空研究所(後の宇宙科学研究所)が鹿児島宇宙空間観測所からL-4Sロケット5号機により打ち上げた日本最初の人工衛星である。名称は打ち上げ基地があった大隅半島に由来する。開発・製造は日本電気が担当した。

おおすみ
銀色の円錐台部分が本体で、「黒い球体」と竜頭状の部分(ノズル)はロケットの最終段である。
所属 日本の旗 日本
主製造業者 日本電気
国際標識番号 1970-011A
カタログ番号 04330
状態 運用終了
目的 技術試験
打上げ場所 鹿児島宇宙空間観測所
打上げ機 L-4Sロケット5号機
打上げ日時 1970年2月11日
13時25分(JST
通信途絶日 1970年2月12日
消滅日時 2003年8月2日
物理的特長
最大寸法 長さ: 100cm
太さ: 48cm
質量 23.8kg
発生電力 10.3W
軌道要素
軌道 楕円軌道
近点高度 (hp) 350km
遠点高度 (ha) 5140km
軌道傾斜角 (i) 31度
軌道周期 (P) 145分
搭載機器
加速度計 加速度を測定
温度計 温度を測定
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概要

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1966年から観測用ロケットL-3H型に補助ブースターと姿勢制御装置、第4段球形ロケットを追加したL-4Sロケットで打ち上げ実験を開始し、1969年に打ち上げられたL-4T型(L-4Sとほぼ同型であるが、第4段の能力を減じているため、衛星打ち上げ手法の確認は出来ても、軌道投入能力はない)1機の打ち上げを含めた、計5回の試行錯誤の後での打ち上げ成功だった。

その結果、日本はソビエト連邦(当時)、アメリカ合衆国フランスに次いで世界で4番目の人工衛星打上げ国となった[1][2]。参考までに、その2ヵ月後に中華人民共和国東方紅1号の打ち上げに成功している。ただ、中国を含め、多くの国は弾道ミサイル開発の副産物として人工衛星打ち上げ技術を習得したのに対して[注 1]、日本は大学の付属研究所が純粋な民生技術として研究を行い、非軍事目的での人工衛星開発に成功し、なおかつ日本国内では直接的な軍事技術への転用も行われなかった[注 2]という点で、国際的に特異性を持っている。

L-4Sロケット

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おおすみを打ち上げたラムダロケット・ランチャとL-4Sロケット(同型)。国立科学博物館の展示。

「おおすみ」はL-4Sロケットの最終段そのものであり、また衛星の目的も衛星打上げロケットの技術開発である。おおすみを語るうえでL-4Sロケットは文字通り切っても切り離せない関係にあるため、まずロケット側の背景から述べる。

L-4Sロケットは誘導制御装置が付いていない、世界初の無誘導衛星打ち上げロケットであった。これは決して開発能力が無かったわけではなく、誘導装置はミサイル開発に繋がる軍事技術への転用が可能であるという指摘が野党の日本社会党等から上がり、開発の着手時期が大幅に遅れたためである[5][6][7]

もちろん、単に真っ直ぐロケットを打ち上げても地球周回軌道には乗らないため、何らかの方法で機体を制御し、地表に対して水平に向きを変えなくては、衛星を軌道に投入できない。この代替策として無誘導方式(重力ターン方式#無誘導重力ターン)で軌道に投げ込む方法を取ることとなった。これは以下のように手の込んだ打ち上げ方式である。

  • 第1段と第2段は尾翼による空力的効果で、第2段と第3段はスピンモーターにより機体をスピンさせて安定を保つ。
  • 第3段燃焼終了・分離後、第3段が第4段に衝突しないように、第3段はレトロモーターで飛翔経路を後落させる[注 3]
  • 第4段はデスピンモータでスピンを停止、姿勢制御装置で第4段を水平姿勢に制御する[注 4]
  • 水平姿勢に制御した後、リスピンモーターでスピンを再び掛けて、放物線の頂点で第4段の燃焼を開始する。

「無誘導重力ターン方式」での「手の込んだ」一例を上げると、デスピンモーターがある。一旦点火をすると燃焼を中断できない固体ロケットによって、ロケット本体のスピンを停めるため、デスピンモーターはスピン方向と反スピン方向の両方にノズルを持っている。デスピンモーターは、燃焼直後には反スピン方向のノズルのみに燃焼経路を開きスピン停止の為の噴射を行うが、スピン停止を検知するとスピン方向のノズルにも燃焼経路を開き、相対推力を零にする。この技術は、後の宇宙研衛星打ち上げロケットに採用されるロール制御モーター「SMRC」に結実する。

おおすみ

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「おおすみ」は、L-4Sロケットの最上段(4段目)である直径48 cmの球形固体モーター(ロケットエンジン)に円錐台状の計器部を付けたもので、全長約1 m、質量は4段目(燃焼後質量)の14.9 kgと計器部8.9 kgを合わせた23.8 kgの小さな人工衛星である。計器部には軸方向の加速度計、温度計、テレメータ送信機(295.6 MHz)、ビーコン送信機(136 MHz帯)、パイロット信号送信機(296.7 MHz)などを搭載していた。電源は容量5 AHの酸化銀と亜鉛を電極とした一次電池で、設計寿命は電池容量から約30時間であった。

目標とされた軌道は、遠地点2900 km、近地点530 kmであった。しかし、第1段が風で流された事と第4段の推力が過剰であったため、実際に投入された軌道は、遠地点5151 km、近地点337 kmの楕円軌道であった。また、ロケットモーターとの断熱が不充分であり、機体が予想よりも高温となったために電池の消耗が激しく、約15時間ほどで電力供給が途絶えた。そのため、衛星からの電波の発信も終了した。おおすみの電波運用は打ち切られたが、その後も光学観測により存在が確認されていた。

打上げ後、約33年間地球周回軌道上にあったものの、地球の上層大気の抵抗での減速によって次第に高度が低下し、JAXA統合を10月に控えた2003年8月2日午前5時45分に、北緯30.3度、東経25.0度(エジプトリビアの国境付近)上空にて大気圏に再突入によって燃え尽きた。

脚注

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注釈

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  1. ^ 日本のロケットも開発当初は朝鮮戦争の兵器用に作られた推進剤や、戦時中に開発されていたミサイル兵器「桜花」や「重噴進弾」の推進剤の圧伸機を転用しており、これらの推進剤の規格(サイズ)に合わせてペンシルベビーカッパロケットが開発されたという経緯がある[3]。ただし推進剤もしくはその製造機材を流用したのみで、ロケット本体は新規に開発された技術である。
  2. ^ 後年になってインドも民生技術による人工衛星の打ち上げを達成しているが、こちらは後にミサイルへ転用されている[4]。ただし開発後の軍事転用の有無を問うのであれば、日本のロケット技術も日本国外では軍事転用されている
  3. ^ この時、第3段と第4段は慣性飛行を行っているので、そのままだと第3段の残留推力で第3段が第4段に衝突する。
  4. ^ この時、ロケットは燃焼していないので「誘導」ではなく「姿勢制御」である。

出典

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  1. ^ 国産衛星 反響さまざま「純国産がうれしい」「ただ国威発揚だけ」『朝日新聞』1970年(昭和45年)2月12日夕刊 3版 10面
  2. ^ 日の丸衛星“おおすみ”地球を回る 世界第四の人工衛星国に 6周まで確認 電波弱まり追跡中止『読売新聞』1970年(昭和45年)2月12日夕刊 1面
  3. ^ 野本陽代「日本のロケット」NHK BOOKS (1993)、p72
  4. ^ 坂本明「最強 世界のミサイル・ロケット兵器図鑑」(2015)、p188[1]
  5. ^ 1960年4月14日第34回参議院内閣委員会第19号 社会党の矢嶋三義がロケット研究の軍事転用の可能性について懸念を表明
  6. ^ 1961年4月18日第38回衆議院科学技術振興対策特別委員会第11号 糸川英夫がラムダへ誘導装置を搭載することを示唆
  7. ^ 1965年2月17日第48回衆議院科学技術振興対策特別委員会第5号 社会党の田中武夫からラムダのIRBM転用可能性について質問

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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