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蒸し暑い日が続く。梅雨も明けないうちに猛暑だ。
外出から戻るたびにシャワーを浴びたい気分になる……と書いたところで、ふと思う。
我々はいつから自宅でシャワーを浴びるようになったのだろうか。
「お湯のシャワー」登場は60年代後半
1964年(昭和39年)生まれの筆者が育った家では、風呂はガスで沸かしていた。シャワーはなかった。浴室の洗面台にガス湯沸かし器がついていたので、そこからゴムホースをひいてシャワー代わりにしたこともあった気がする。
1936年(昭和11年)の読売新聞の紙面に、水道の蛇口にホースをつけてシャワーヘッドから水を出す製品の広告が載っている。いわばモダンな水浴びだ。お湯のシャワーが普及したのはだいぶ後で、戦後、60年代後半あたりから。67年(昭和42年)7月10日朝刊「婦人と生活」面に〈シャワーの効用〉という記事がある。
〈汗だくになる。ホコリにまみれる。夏は入浴、水浴びが無上の楽しみである。とはいうものの、毎日フロをたてることは家庭経済が許さない。そのためか、最近では、手軽で、スピーディーな“シャワー”を設備する家庭がぐんとふえだした〉
記事では、湯を使えるタイプと、水だけのものの2種類があるとしているが、いずれにしてもこの頃からシャワーを使う家庭が増えたようだ。69年(昭和44年)4月16日朝刊には、浴室がシャワー付きであることを売り物にした建売住宅の広告が掲載されている。
68年(昭和43年)5月6日夕刊に掲載されている東京ガスのガス大型湯沸器の広告も象徴的だ。上着を手に持ったサラリーマン風の男性が歩きながらネクタイを緩める画像に「ビールの前にシャワーだ!」というコピーが添えられている。まだ職場にも電車にもエアコンはほとんどなく、冷房は扇風機という時代だった。
社交場でもあった「湯屋」
そもそも江戸時代から明治時代にかけて、日本の都市住民の家には、シャワーどころか風呂もないことが多かった。人々は家では行水、主に公衆浴場を利用した。当時の公衆浴場(明治時代の読売新聞では「湯屋」と表記していることが多い)は2階に休憩所があり、人々がくつろぐ社交場でもあったようだ。
1901年(明治34年)3月18日朝刊に〈
〈自宅に据風呂を
浴場の組合にとって家庭用の風呂は商売敵というわけだが、逆にいえば、当時は人々が風呂に入りたければ湯屋に通うのが普通だった表れともいえる。
一方、農漁村では据え風呂の一種である五右衛門風呂が普及していた。筆者の母方の実家は市街地の郊外だったが、離れに五右衛門風呂があり、70年代半ばごろまでは薪で風呂を焚いていたと記憶している。
都市部の家庭に内風呂が普及したのは戦後、主に50年代から60年代にかけてだったようだ。この時期に日本住宅公団が数多く建設した団地の2DKの間取り図にも浴室は描かれている。
時は下って80年(昭和55年)5月15日朝刊都民版に〈195円銭湯 懸命の巻き返し〉との記事がある。東京都の公衆浴場が値上げするタイミングで、銭湯の苦闘ぶりを伝えたものだ。10年間で大幅に銭湯の数が減ったそうで、〈もちろん家庭ブロの普及で入浴客数が減少したことと、重油高騰などによる経費の増大が原因だ〉という。さすがに明治時代の組合のように内風呂を批判することはなく、打開策としてソーラーシステムの導入などが紹介されている。
若い世代に「朝シャン」定着
かくして自宅に風呂とシャワーのある生活を手に入れた日本人は、昭和から平成に変わる頃には、若者を中心に一段とシャワーを好むようになっていった。
86年(昭和61年)10月21日夕刊社会面に〈新人類はシャワー好き〉という記事がある。〈花王の最近の調査ではすでにおふろ派を上回り、特に十五歳から二十四歳までの新人類世代に限ると、四人に一人が一日二回以上浴びている〉として、シャワー用のボディーシャンプーや、街角のコインシャワーの隆盛ぶりを伝えている。
88年(昭和63年)11月8日経済面には〈朝シャン57.5% 清潔感がオシャレ 女子学生調査〉という記事。資生堂が東京都内の女子高校生、大学生各100人に行った意識・行動調査の結果を載せたものだ。
〈「清潔感をオシャレの基本にしている」と答えた女子学生は、九二・五%にのぼった。「朝、シャワーを浴びることが多い」という“朝シャン族”は五七・五%〉
“朝シャン”とは、資生堂が朝のシャンプー用と銘打って発売したシャンプーの広告から生まれた流行語だ。
急激に「清潔」が重んじられるようになったのも、この頃だった。
87年(昭和62年)1月14日朝刊解説面の「トーク時評」は〈「清潔」はモテるヤングの条件〉。〈銀のスプーンをくわえて生まれてきたと例えられるヤングには、「不潔」「臭い」が一番のいじめ言葉だ。武道の選手もけいこが終わると真っ先にシャワーを浴びて汗のにおいを消す、という話をコーチからつぶさに聞いたこともある〉。たぶん、今の40代以下が読めば「当たり前でしょ」と思うだろうけれども、昭和時代にはそうでもなかったのである。
リビングルームのような“近未来バス”
この時期には好景気ゆえか、家庭用の豪華な入浴設備の記事もみられる。88年(昭和63年)3月29日家庭とくらし面の〈まるでリビングルーム テレビや電話つき、団らんの場に〉。水回りの専門メーカー、ノーリツのショールームの紹介だ。
〈開発中の“近未来バス”は浴室をリビングにという提案。テレビや電話がついているほか、邪魔なふたの代わりにカラフルなボールが浮かんでおり、水流の働きで出し入れができる。また、一・五畳から四畳まで広さに合わせたモデル浴室も紹介されている。四畳の浴室は浴槽とサウナ、シャワーを組み合わせたもので、家族そろって入り、コミュニケーションを図ってもらうのが狙いという〉