Skip to main content

カルティエ / CARTIER

■概要 カルティエはフランスのジュエリーブランド。ハリー ウィンストンヴァン クリーフ&アーペルブルガリティファニー、と並んで「世界5大ジュエラー」と称されることもある。イギリスの国王であったエドワード7世が残した「Jeweller of kings , king of jewellers(王の宝石商、宝石商の王)」との言葉でもわかるように、まさに「王室御用達」の名門中の名門ブランドである。ジュエリーだけでなく、時計、革製品、ライター、筆記用具なども取り扱っており、いずれも世界中のセレブのみならず一般の人々までも魅了し続けている。現在はリシュモングループの傘下のひとつのブランドとしてその名声を維持し、進化し続けている。 カルティエは、1847年マスタージュエラーの称号を受けたルイ・フランソワ・カルティエが、師匠のアドルフ・ピカールから、フランスのパリ・モントルゲイユ街29番地のアトリエを譲り受けたジュエリー工房からスタートした。この時、ルイ=フランソワ・カルティエはまだ20代であった。最初のジュエリー工房を皮切りに、転々と場所を移しながら徐々に世界中の王族がこぞって愛用する、高級宝飾店として発展させていく。 創業初期のカルティエはすでにフランス国内では王室貴族御用達のジュエリーブランドとしての名声を確立しつつあったが、世界中の王族にその名を轟かせたのはフランスナポレオン3世の妃、ユゥジェニー皇后であった。フランスが栄華を極めたその時代の社交界の中心的存在であったユゥジェニー皇后が直々にカルティエにオーダーを出したのだ。このことにより、「フランスの皇后のお墨付きジュエリーブランド」として一気にフランス以外の王族にもカルティエが広がり、世界中の「王族御用達ブランド」としての確立することになっていくのである。その後もパリ社交界のファッションリーダー的な存在であり、エドワード7世の王妃でもあったアレクサンドラ妃やモナコ公国妃のグレース・ケリー等、数えきれないほどの世界中の王族に愛用されてきたのがカルティエなのである。 カルティエの取り扱うダイヤモンドをはじめとする宝石は、徹底的のこだわり抜かれ、選ばれた至高のジュエリーであり、そのデザインはモードを生み出すことをベースに、新しい素材を取り入れるなど当時として斬新な路線でブランドの革新を続ける。 ■歴史 1847年 宝石細工師ルイ=フランソワ・カルティエが、師のアドルフ・ピカールからパリのモントルグイユ通り29番地のジュエリー工房を受け継ぎ創業する。 1853年 パレ・ロワイヤルにほど近いヌーヴ・デ・プティ・シャン通り5番地に、個人顧客を対象としたジュエリーブティックを構える。近くにはフランス国王の弟家系にあたる名門オルレアン公の住居にほど近くでもあった。この場所で店舗を構え個人の顧客をもつことは、社交界を行き来する貴婦人たちの目に留まりやすく、大きなビジネスチャンスにつなげる目的があったためである。 1859年 オペラ座付近へ店舗を移転する。ナポレオン三世時代の大改革により、当時「世界で最も美しい街」と呼ばれてパリの大通りには着飾った人々が訪れ、その中心で輝くカルティエのブティックが、パリの富裕層の間でも必須の存在となっていった。 1859年 イタリアン大通り9番地(現在のパリ2区)に店舗移転する。ユゥジェニー皇后が顧客となる。 1872年 創業者ルイ=フランソワ・カルティエが、息子のアルフレッド・カルティエを共同経営者に据える。 1898年 2代目オーナーアルフレッド・カルティエが、その息子(長男)であるルイ・カルティエを共同経営者とし、社名を「アルフレッド・カルティエ&フィス」に変更する。 1899年 ヴァンドーム広場北側のパリ2区ラ・ペ通り13番地へ店舗を移転する。 1900年 プラチナを宝飾品に使用したガーランド様式によるジュエリー制作をルイが発案。ジュエリー制作に革新をもたらす。 1902年 ロンドン支店を開店、アルフレッド・カルティエの三男ジャック・カルティエがロンドン支店の経営を任される。 1904年 創業者ルイ=フランソワ・カルティエが死去。 3代目オーナーのルイ・カルティエは友人の飛行士アルベルト・サントス・デュモンから飛行機の中でも使用できる腕時計の製作を依頼されたのをきっかけに、宝石製作だけでなく、腕時計の分野に手を広げる。レザーストラップ腕時計を製作し、初の腕時計とされる「サントス」が誕生。 1906年 次男ピエール・C・カルティエ、ロンドン支店の経営を引き継ぐ。 ルイとピエールとで共同経営を開始、社名を「カルティエ・フレール(兄弟)」とする。 初の量産型腕時計である「トノーウォッチ」を制作。発表する。 抽象的、幾何学的デザインの「アール・デコ」ジュエリーの試作。 1908年 「C」を組み合わせたロゴマークが誕生する。 1909年 ニューヨーク支店を開店、次男ピエール・C・カルティエがアメリカでのビジネス拡大を図るべく、ニューヨーク支店の経営指揮を執る。 1912年 初めてバケット(BAGUETTE)カットのダイアモンドを制作。ルイのアイディアによって創出される。 1913年 時計技師モーリス・クーエが「モデルA」を発表する。 1914年 パンテール(豹)モチーフを初めて採用する。当時の女性ディレクター、ジャンヌ・トゥーサンのあだ名がパンテールだったことに由来している。 1924年 「トリ二ティリング」が誕生。詩人であり芸術家であるジャン・コクトーが愛人であるレイモン・ラディゲに贈るためにルイ・カルティエにオーダーしたのが始まりである。カルティエを代表するこのリングは、友情を表すホワイト、忠誠を表すイエロー、愛情を表すピンクとそれぞれ異なる色のゴールドを組み合わせた三連リングとして、今もなお愛され続けている。 1925年 2代目アルフレッド・カルティエが死去。 1941年 三男ジャック・カルティエが死去。 1942年 長男ルイ・カルティエが死去。 1945年 次男ピエール・カルティエがパリおよびニューヨークにおける経営責任者となる。ジャックの息子ジャン=ジャック・カルティエがロンドンのカルティエ経営を任される。 1964年 ピエール・C・カルティエ死去。 1974年 日本上陸。原宿・パレフランス2階にカルティエブティックがオープンする。 1983年 腕時計「パンテール・ドゥ・カルティエ」、アイウェア「マスト」「VLC」を立て続けに発表する。 1984年 「カルティエ現代美術財団」が設立される。 1985年 防水機能付き腕時計、「パシャ」が登場。水中でも着用できる時計が欲しいという依頼を受けて製作された世界初の防水腕時計と言われる、「タンクエタンシュ」がルーツであり、改良を重ね、丸型ケースとなり発表された。 1987年 香水「パンテール・ドゥ・カルティエ」を発表。 1993年 ヴァンドーム・グループが設立される(現在のリシュモングループ)。同グループの傘下にはカルティエのほか、ピアジェクロエダンヒルモンブラン、スルカ、シーガーなどのブランドがある。 2002年 「ロードスター」発表。 ■ロングセラー商品 ・トリニティ・リング 愛を表すピンクゴールド、友情を表すホワイトゴールド、忠誠を表すイエローゴールドの3連リング。1920年代後半ジャン・コクトーが小指に2つ嵌めて有名になった。恋人であるレイモン・ラディゲに贈るため「この世に存在しないリング」を作って欲しいと注文して製作されたものがはじまりであるという説については、日本独特の都市伝説であるという話もあり、真偽については不明のまま。 特にバブル最盛期の1990年前後には、日本で爆発的な人気を誇った。 ・サントス・ウォッチ ブラジル人飛行士のアルベルト・サントス・デュモンから「飛行中でも操縦桿から手を放さずに見ることのできる時計を」と依頼されて製作。世界初の一般用量産腕時計とされる。 ・タンク・ウォッチ パリの解放を記念して制作されたため、戦車の形状を模している。最初のプロトタイプはジョン・パーシング将軍に贈られ、1919年に発売された。 ★カルティエ 注目記事: ・カルティエから、魅惑的なウィメンズウォッチ「イプノーズ」...ソフィア・コッポラが“フレンド・オブ・カルティエ”に!「カルティエ」より、新作のサッチェル バッグが登場! ★カルティエ 関連キーワード: ヴァンクリーフ&アーペル / ハリー ウィンストン / ブルガリ / ティファニー ★カルティエに関連するサイト: ・VOGUE (UK)VOGUE GIRLGQ JAPANWikipediaFacebookInstagramTwitterカルティエ公式サイト ★カルティエ詳細: ・所在地:〒104-0061 東京都中央区銀座5丁目5−15 ・公式サイトURL:http://www.cartier.jp/

FASHION / TREND & STORY

TREASUREが自身を夢中にさせた「ファースト クラッシュ」を動画でアンサー!【VOGUE クラッシュ 2_vol.13】

FASHION / TREND & STORY

春夏スタイルに取り入れたい、一生ものの機械式時計8選

CELEBRITY / VOICE

Selena Gomez Wants to Comfort You──Special Long Interview