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ジェニファー・ロペスが永遠の幸せを手に入れるまで──「私の人生と音楽キャリアは、愛がすべてだった」

2022年7月にベン・アフレックと結婚したジェニファー・ロペス。来年は、『This Is Me ... Then』発売20周年を記念したニューアルバム『This Is Me ... Now』をリリースする予定だ。アーティストとして、そして妻、母親としての彼女は一体、どんな存在なのだろうか? 輝き続ける53歳の“今”を追った。
ジェニファー・ロペスJennifer Lopez wears a Valentino Haute Couture dress. Leibovitzs portrait is a tribute to photographer Gordon...

不穏になるほど暑くて風の強い2022年10月のある日、カリフォルニア州サンフェルナンド・バレー郊外で──野心がないという言葉とは無縁の──ジェニファー・ロペスは世界を救っていた。と言っても、私たちが住むこの世界ではない(こちらも救わなければならないのは確かだが)。そうではなく、ロボットたちが人類を脅かす数世紀後のディストピアだ。

「私にとって、この作品はラブストーリーなんです」とロペスは言って、笑った。

彼女が笑ったのは本当にそう思っているからで、また彼女にとって愛は、この世界における一大プロジェクトだからだ。それは数十年にわたって公にされてきた厄介なプロジェクトで、ときに刺激的で、ときに裏切られ、しばしば妨害されてきた。愛というレンズがロペスの目の前に現れると、すべてがピンク色に見えてしまうのだ──2002年にベン・アフレックに初めてプロポーズされたときに差し出された6カラットのダイヤモンドみたいに。

だが、彼女が撮影している映画『Atlas(原題)』(自身が立ち上げた映画製作会社ヌヨリカン・プロダクションズがNetflixと新たに結んだ契約による第1弾)は、たいていの人が考えるようなラブストーリーではない。ロペスは、とめどもなく危険になる可能性がある人工知能(AI)の再構成を任された軍の情報分析官を演じている。『ウェディング・プランナー』というよりは『マッドマックス』のような衣装を身につけているが、ロペスの出演作品に詳しい人なら、『Atlas』の主人公にもお馴染みの特徴を見いだすことだろう。

「閉鎖的で、完全に仕事に没頭している女性の役です。幼少期の辛い経験や悲しみを引きずりながら」。ロペスは、過去30年の自分の人生と本作には共通点があることを明らかにほのめかしながら、「二人で一緒に強くなるために、彼女は彼を受け入れる術を学ぶんです」と話す。

私たちは撮影の合間を縫って、サウンドステージ上に張られたロペス専用テントで話をしていた。慌ただしい喧騒に包まれた撮影現場に“オアシス”を作るために、大変な努力が払われたようだ。クリーム色のサメ皮風デスクの上には、彼女のお気に入りのキャンドルが揺らめき、マッサージテーブルにはエルメス(HERMÈS)の黒い毛布がかけられている。小さなリビングルームには、大理石のコーヒーテーブルの上に大理石のチェスセットが置かれ、その上には“ミセス・アフレック”となめらかな筆記体で書かれたグリーンのネオンサインが飾られていた。スタッフからの贈り物だという。

髪はマットに固められ、首やこめかみには偽物の血液がこびりついたまま、ロペスは語りはじめた。7月の結婚から数日後、「ニューヨーク・タイムズ」紙が、アメリカでフェミニストの理想が危険にさらされているようなご時世に夫の名字を名乗ることを決めたロペスには失望した、というオピニオン記事を掲載したと知ったときは驚いたそうだ(彼女はこの記事を、家族でラスベガスを訪れたときの写真数枚とともに、無料のニュースレター「On the JLo」で紹介した。ロペスの熱狂的なファンはこれを読めば、過度にフィルターはかけられていないが、高度にキュレートされたロペスの日常を、毎月知ることができる)。

“ミセス・アフレック”になった理由

「え?  そうなの? って感じでした」と彼女は振り返る。「みんなにはこれからもジェニファー・ロペスって呼ばれるでしょうが、法律上の名前はミセス・アフレックです。私たちは結ばれて夫婦になったわけですから。それを誇りに思っています。何の問題もないはずですよね?」。アフレックにミスター・ロペスになってほしいという気持ちはなかったということですか? と尋ねると、彼女は笑った。「ちっとも!  そうしてしまったら、伝統的ではなくなるでしょう?  ロマンティックでもないし。名字が変わるのは、パワーシフトのようだと思うんです。私は自分の人生や運命を完全にコントロールしているし、女性としても、人としても、力を与えられていると実感しています。今回のことについて、人々がどんなふうに感じているかは理解できますし、それはそれでいいんです。でも私は、ロマンティックだと思っている。私には伝統を感じさせるし、ロマンもあるように思えます。単に、私はそういう女性だってことかもしれないです」

この25年の間に、ロペスが4回の結婚、2回の婚約破棄、そしてさまざまなお粗末な関係を経験しながら愛を追い求めてきたと聞いて、驚く人はほとんどいないだろう。また、彼女の壮大な恋愛体験が、今なお拡張し続けているキャリアと同時に行われてきたことも。ロペスはこれまで、休みなく精力的に仕事に取り組み、驚くほど生産的なキャリア(30本以上の映画に出演してきた上に、8枚のスタジオ・アルバムを制作し、目まぐるしい数のブランディング活動も行っている)を築き上げている。53歳になった今でも美しさと気骨と善良さを併せ持ち、まさに無敵のオーラをまとっている。時折、ビヨンセはサテン張りの小さな宇宙ステーションに住んでいるのではないかと思えることがあるが、ロペスはそのオーラにもかかわらず、親近感があり、リアルで、多くをさらけ出し、まさに曲名にもなっている「ジェニー・フロム・ザ・ブロック」であり続けている。彼女はメディアを巧みに扱い、四半世紀の間、自分が歩いた軌跡を残しながら極端なほど彼らを魅了してきたが、同時に、長年にわたって自分の周囲に多くの壁もつくってきた。

「最初の頃は、何でも言えるし何でもできると思っていました」とロペスは振り返る。「私はブロンクス出身ですが、あそこではみんな思ったことを口にするでしょう?」。アフレックとの初期の関係は、残酷とも言える教訓となった。タブロイド紙は、人種差別や階級差別を思わせる陰湿な表現で彼女を中傷し、アニメ『サウスパーク』は悪質に彼女をパロディにした。さらにテレビ司会者でコメディアンのコナン・オブライエンは自身の番組で、コントでロペスを演じるのは、番組の「清掃作業員」だと言い放ちもした。

「私たちは当時、とても若かったし、深く愛し合っていて、子どもも執着するものもなく、本当に気ままでした。ただ自分たちの人生を生きていて、幸せだった。誰からも隠れたり、慎重になったりする必要はないと思っていました。心任せに生きていただけなのが、あだとなったんです。私たちが一緒にいるのを望まない人たちや、私が彼にふさわしくないと考える人たちなど、水面下ではたくさんのことがありました」

その後の数年間、ロペスは嘲笑的な詮索に対して武装するかのように、自分の周りに磁場を固めているように見えた。「すごく用心深くなりました。そうでないと八つ裂きにされますから。もっとこれについて話せればいいのだけど……。まあ、でも昔はそんな感じでした。今もそうです。でも、そこから学ぶこともありました」

ロペスは、特にベン・アフレックのもとへ戻ってきた旅路について話したがっていた。それはまた12年ほど前、歌手で俳優のマーク・アンソニーと別れ、突然双子の赤ん坊を育てるシングルマザーになったときから始まった、自分探しの旅でもある。その時期は、キャリアも感情面もどん底だったという。何枚かのアルバムの売れ行きは散々で、それまで殺到していた映画のオファーもこなくなった。経済的にも厳しくなり、どこか目的も失ったような日々を過ごしていたが、2011年にオーディション番組「アメリカン・アイドル」の審査員を引き受けたことで、自分でも驚くほど再びキャリアが輝きはじめたのだ。人間味あふれる親しみやすさこそ、視聴者や業界がロペスに求めていたものだった。

「なんだ、私がやるべきだったのは、自分らしくいることだったの? と思いました。コンテストとはいえ、リアリティショーですから。はじめての経験でした。それまでは、私についての情報といえば、メディアが伝えるものしかありませんでしたから。子どもたちの夢にはすごく共感できるところがあって、出会いが毎回楽しみでした。あの番組で見てもらえたことはたくさんあると思いますが、何よりも私の心─クールで面白い人間で、良い人であること─を見てもらえたのだと思います。どれだけ多くの賞を受賞しても、人気のトーク番組に登場しても、この人はきっと何かを演じているに違いないと思われてしまう。でもリアリティショーでは、台本や4分間のトークの後ろに隠れることはできません。ありのままの姿が見えてしまうのです」

そう語りながら同時にロペスは、母親としての経験から生まれる内省と自己改善の話に向かい始めていた。うまくいかなかった恋愛から、楽曲のモチーフが生まれたというが、それを断ち切ろうという気持ちになったという。

「自分を大切にすることや、相手の感情やニーズ─そしてその人に愛してもらいたいという自分の気持ち─を後回しにしないでいるのが、どういうことかわからなくなってしまったんです」と彼女は言う。「自分の姿を他の人が食べるためのプレッツェルに変えて、自分を二の次にするのが尊いと思ってしまう。でも、それは間違っています。そうした思考はパターン化して、自分の中に根付いていきますが、ある時点で、ちょっと待って、これは良くないのではないかって思い始めるんです。どうして私は幸せじゃないんだろう?  長い間、本当にそう思っていました。でもようやく、ああ、なるほど!  我が子のためにも、そろそろ自分を見つめ直す時期なんだとわかって。そしてそこからさらに何年も何年もかけて、自ら、ああ、こうしたのはこうだったからだとか、この年齢ではこんなことがあったからこうしたんだ、というようにピースを組み立てていきました」

最新アルバムは「私の集大成のようなもの」

ロペスはニューヨーク、ブロンクスのキャッスル・ヒル地区で、本人いわく典型的な労働者階級のプエルトリコ人家庭で育った。厳格なしつけや、毎週日曜日の教会通い、早い時期からの母親とのミュージカル鑑賞、高校時代の運動競技の優秀な成績など、彼女の経歴は、将来偉大になることを示す手がかりとして、これまで掘り起こされ尽くしてきたが、なかでも際立っている点が2つある。グアダルーペ・ロドリゲスは若くして母親になり、陽気で芸達者だったが、3人の娘には情け容赦なく厳しく、ときには閉口するだけでなく、必要であれば体罰を与えることもあった。それについてロペスは、時代と地域にまつわる慣習だったとして理解しようとしている。「私たちは母を尊敬していましたが、同時に恐れてもいました。母は、私たちを行儀よくさせるためにそうしていたのです」

父親のデビッド・ロペスは夜勤が多く、いつも家族のそばにいるわけではなかった。結婚して33年後に二人が離婚したときは、ショックだった、とロペスは振り返るが、もしかすると、ショックを受けることでもなかったのかもしれない。

話をする間、ロペスは自己啓発書、瞑想、心理療法、精神医学、ライフコーチングとの出合いについて言及することがあった。彼女は、幼少期のトラウマと、その余波として今も抱えている不健康な執着を克服するために、自分のキャリアと同じくらい努力して取り組んできたように見える。

「両親は私に、努力する大切さと良い人間であることの重要さを教えてくれました。でも、その2つの組み合わせについては自分で考えなければなりませんでしたし、私生活において、そうした教えは自分が好きなものに直接結びつくようになりました。両親のプライバシーを侵害することなく言えば、つまりこういうことだと思います。どんな母親と父親に育てられたのか、どのように彼らに愛され、愛を教わったのかは、その人にとって、人生で克服しなければならないプラスとマイナスの行動・思考パターンとなるのです」

私はロペスと、カリフォルニアにあるビバリーヒルズホテルのポロ・ラウンジで会い、庭の一番奥のテーブルで朝食をとった。目の前には大きな鉢に植えられたイボタノキが置かれ、漠然とした安心感を生み出している。このレストランは、ベル・エアやホルムビー・ヒルズなど、近隣の高台に住む人々の定番の待ち合わせ場所になっていて、ロペスは警備をつけずにやってきた。彼女にとってプライバシーは重要だが、名声を得たからゆえにかかる負担について、同情を求めているわけではないと人々に理解してもらうことも重要だ。「先日、子どもの一人が『フリーマーケットに行きたい』と言ったんです。そこで『あら、私とベンも一緒に行こうか?』と尋ねると、二人揃って『ママが来るとすごいことになるでしょ』って。胸が痛くなりました。もちろんわかります。見られたり、尾行されたり、無断で写真を撮られたりすることがない状態で、友達と過ごしたいんです。確かに大ごとになりますから。文句を言うわけではないですが、実際のところ、それが現実なんです」

ロペスは昔母親が作ってくれたという、プエルトリコの朝食として人気のシナモンと砂糖入りのオートミールを食べ、カフェイン抜きのカプチーノを飲んでいた(何年か前にカフェインを断ったそうだ)。襟を立てた黒のデニムジャケットをはおり、髪はタイトなシニョンにまとめられ、肌は驚くほど若々しい─おそらくDNAと、彼女がプロデュースするJLO BEAUTYの化粧品に含まれるオリーブオイルを豊富に含んだティンクチャーの相乗効果なのだろう(ロペスに会ったあと、大勢に尋ねられた質問への答えは「イエス」だ。彼女は間違いなく、実物も美しい)。

「私はよくいるような悩めるアーティストではありません」とロペスは言う。「私もほかの人と同じように、とてつもない悲しみや痛みを何度となく味わってきました。でも、最高の音楽や芸術を生み出すときは、幸せで満たされ、たくさんの愛を感じているときです」。約10年ぶりとなるニューアルバムの作曲とレコーディングも、そんなムードに包まれていたそうだ。ここではタイトルを明かせないが、20年前、アフレックとの交際がはじまったばかりの頃に発表したアルバム『This Is Me...Then』に対して、ある意味でブックエンド的な役割を果たす作品だ。

長年マネージャーを務めるベニー・メディナは、ロペスはその時々に熱中しているものに恋してしまう傾向があると教えてくれた。この冬にはロマンティック・コメディにひねりを加えた『Shotgun Wedding(原題)』、今年半ばには元殺し屋を演じた『The Mother(原題)』など、これから何本もの映画の公開が控えているが、今、ロペスの情熱を一身に集めているのは、このアルバムだ。これまでで最も誠実な作品になるそうで、「一人の人間として、一人のアーティストとしての私の集大成のようなもの」だという。「人は、これまでの私に起きたことや、私が付き合ってきた男性たちのことを知ったつもりになっていますが、実際には何も知らないし、大抵、ひどい誤解をしています。私のなかには、誰にも見せていない部分がある。人生において、ようやくそれについて何か言えるようになったように思います」

ロペスは彼女のAirPodsで、アルバムの何曲かのラフカットを聴かせてくれた。哀調を帯びた告白の歌、過去の試練を振り返る曲、愛とセックスを謳歌するアップビートの曲など、さまざまだ。気づくと、彼女は隣で目を閉じ、椅子に座ったまま、自分の声に合わせて歌っていた。一瞬、私のためにちょっとしたパフォーマンスでもしてくれているのかと思ったが、そうではなく、ただ音楽の世界に入り込んでいた。

間違いだと思うことには声をあげる

ロペスは、自身でも今までのキャリアのピークと位置づける2019〜20年にかけて、風当たりの優しいゾーンに入っていたと言えるかもしれない。これまで出演したなかで最も成功した映画『ハスラーズ』での演技を絶賛され、同じくこれまでで最も成功した海外ツアー38公演を終え、ヴェルサーチェ(VERSACE)のランウェイを、20年前のグラミー賞で着用した伝説の”ジャングルドレス”を見事に生まれ変わらせたグリーンのドレスをまとって歩き(19歳のモデルたちのなかで、なんら引けを取らなかった、とロペスは言う)、スーパーボウルハーフタイムショーにで共同ヘッドライナーを務めたのは、50歳にもなった時期だ。

「ファッション、映画、音楽、すべてがひとつになった感じでした」とロペスは振り返る。スーパーボウルのステージでは、ラテンアメリカ系の子どもたち(そのなかには娘のエメもいた)が檻の中からロペスのヒット曲「レッツ・ゲット・ラウド」を歌い、メキシコ国境を不当に扱うトランプ政権を非難する一幕を設けるなど、公に政治的立場を表明する勇気も湧いてきたという。ロペスによると、ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)は当初、この部分をプログラムから切り離したがっていたが、彼女は断固として譲らなかった。

「キャリアのはじめの頃には、政治について尋ねられることもありましたが、いつも人は、俳優やポップシンガーの話なんてさほど聞きたくないだろうと思っていました」とロペスは言う。「『そんなのはいいから、黙って踊ってろ』と言われるんじゃないかって。自分に自信もなかったし、失敗もしたくなかった。でも、人生のある時期になると、何か間違っていることがあれば、それを口に出すようになる。それについて何もせずにいたら、ある意味で加担していることになりますから。檻に入れられた子どもたちや、路上で警官に撃たれた子どもたち……そうしたことには全部『いったい何が起きているのか?  私たちはいつから道を踏み外してしまったのか?』と言いたくなるし、あまりにも恐ろしく醜い言動が明るみに出てきていました。本当に悲しくなりました。なぜなら政治と結びつける必要なんて本当はないから。人は、善良であれ、隣人を愛せよ、と口では言いますが、実際は行動が伴っていないこともあります。誰かが自分たちとは違うから、性的指向や性自認、人種が違うからというだけで。私は私ではだめなの? と問いたくなります。自分は自分らしく幸せに暮らし、他の誰かもその人なりに幸せなら、それでいいじゃないですか?」

ロサンゼルスにあるアフレックとロペスの邸宅は、新しく家族になった者同士(彼女には14歳の双子がいて、アフレックにはジェニファー・ガーナーとの間に、10~17歳までの子どもが3人いる)が、さまざまな政治・社会問題について、活発に発言し合う場所になっているそうだ。

「あの子たちの世代は、すごく意識が高くて、積極的で勇敢です。それにすぐに『ふざけるな!』と声をあげる。私は自分の子どもたちに、自分自身と自分たちが大切にしているもののために立ち上がってほしいと思っています。世界中の女の子たちに、声をあげてほしい。しかも、大声で!  間違っていたら、怖がらずに口にすればいい。私は長い間、恐れていましたから。仕事がもらえないかもしれないし、人を怒らせるかもしれない、また、嫌われてしまうかもしれないと。でもそれは間違っています」

長い年月を経て取り戻した真の愛

ロペスの親しい人たちは、彼女がずっとアフレックを思っていたのを知っている。2021年のはじめ、ロペスは引退した野球界の大物アレックス・ロドリゲスとの婚約を解消した直後に、アフレックから一通のメールを受け取った。彼も、アナ・デ・アルマスとの関係を解消したばかりだった。メールには、ある雑誌にロペスについてのコメントを求められ、絶賛コメントを寄せたことを知らせたかった、と書かれていた。二人の会話はそれで終わらず、やがて互いの家を訪ねるようになった。「当然、私たちは人前に出ようとはしていませんでした」とロペスは言う。

「でも彼との間に本当の愛がある、真の愛があるといつも感じていたという事実から、私は逃げなかった。親しい人たちは、彼が私にとって本当に特別な人だったのを知っています。だから私たちがまた付き合い始めたときも、その気持ちは私にとって、まだとてもリアルなものでした」

彼女とアフレックは、大切な愛を取り戻せたことに誰よりも驚いており、おとぎ話のような結末を今でも楽しんでいるのだという(ロペスがびっくりしていると言いたいのではなく、彼女はおとぎ話を信じているのだ。今年8月、ジョージア州サバンナにあるアフレックの自宅で行われた二人の結婚式で飾られたプレートには、「愛はいつも希望を宿し、耐え抜く」と書かれていた)。

「みなさんにオススメできるかどうかはわかりませんけど」と彼女は言う。「ときに人は、互いに追い越し合い、違った成長を遂げるものです。私たちはお互いを失い、また見つけました。その間に起こったことを否定するわけではありません。そうしたことも全部、現実ですから。私たちが望んでいたのは、それぞれの人生のなかで落ち着ける場所に到達し、若い頃のような愛、もう二度と手に入れられないかもしれない愛を感じることでした。そんな愛は存在するの?  本物なの?  これは誰しもが抱く疑問です。あらゆる人間関係を経験し、模索し、人とつながったり切れたりしながら、『ああ、人生ってこういうものなのだろうか?』と思えるようになる。まるでメリーゴーラウンドやジェットコースターといった遊園地の乗り物みたいに。そうやって、落ち着いていきますが、そこに至るまでの道のりは、誰にとっても謎めいているんです」

彼女はこの言葉を使わなかったが、私には、ロペスとアフレックはそれぞれ、ある種の回復過程にいるように思える。アフレックは20年以上アルコール依存症と闘い、最近では禁酒を長く継続するための努力を行っている。ロペスにも同じような衝動があるとすれば、それは愛にまつわることで、彼女もまた努力をしてきた。「胸を張れないようなことをした自分、自分に不利に働く選択をした自分を許さなければなりません」と彼女は言う。

「自己愛とは、まさに境界線のことで、自分が何に心地よいと思うかを知り、結果を恐れずに境界線を引くことです。さらには、自分を大切にすることでもあって、すべてうまくいき、自分が望むように人に扱われ、人生が心地よいものになると知ることでもある。長い間、私はただ『お好きにどうぞ!  全部引き受けてあげる。私は本当に強いから、大丈夫!』という姿勢でやってきました。でもそうしていると、少しずつ、自分の価値や自尊心、魂が削られていくのです」

母として、妻としての思い

ロペスとアフレック夫妻は、2つの家庭を1つにすることについてたくさん考え、子育てについてお互いに学んでいる。アフレックの前妻を「素晴らしい共同親権者で、彼とも本当にうまくやっています」とロペスは言う。ロペス自身は、東海岸に住む元夫(マーク・アンソニー)と、そうした恩恵が受けられるような関係は築けていない。「移行する過程では、かなり慎重にならなければなりません」と彼女は語る。「子どもたちはたくさんの感情を抱えています。ティーンですから。でも、今のところはすごくうまくいっています。彼の子どもたちは私という新しい味方を、私の子どもたちは彼という新しい味方を手に入れたと思えるように、家族の絆を強めていきたいです。彼は子どもたちを心から愛し、大切にしていますが、ときに違う視点を持つこともあるので、私が感情的に縛られて、見えなくなっているものを見えるようにしてくれています」

言うまでもなく、ロペスは自分が子どもたちの年齢だった頃と比べると、はるかに多くの恩恵を与えながら子育てしているが、彼らが地に足をつけた生活を送るために、少しでも自分の勤勉さが役立つことを願っている。「何かのために戦う必要がないと、それはそれできついです。ファイターになる方法を学べないから」。そう言いながらロペスは、ボクサーのようにパンチをするふりをした。

「私はそうしなければならなかったので、自分にはなかった人生を子どもたちには与えたいと思っていました。でもそうすると、サバイバル精神を身につけるというような、生きるのに役立つ経験ができないんです」。親としてロペスは、自分の母親の影から一歩踏み出し、声を荒らげないように、怒りを噴出させないように、子どもがヒートアップしてもつられないように、心がけてきた。「子どもたちに恐怖心を与えるよりも、もっといい方法を探したいと思いました。境界線を引くこともできるけれど、あなたたちの味方にもなれるんだよ、というふうになれればいいなと。要はバランスです。彼らが仰ぎ見るような行動をとっていれば、尊敬してもらえるようになる。私が幼い頃は違ったので、自分はそうしたいと思っています」

しかしロペスの母親は娘たちに、偉大であると同時に善良であることを懸命に教えた。ロペスは、この教えを伝えていきたいと考えている。「子どもたちには学校で良い成績を取って、とプレッシャーをかけるんです」と彼女はつけ加えた(昨秋から、双子は高校に通い始めた)。「すると、息子はいつもこう言うんです。『でも、ママは僕らが良い人間であることのほうが大事でしょ』って。だから、『その通り』と答えます。親であることの素晴らしさは、子どもたちにあらゆることを教えようと思い、実行することです。自分が知っていること、持っている知識をすべて伝えるというように。でも実は、彼らから学ぶことがたくさんあって、人生について知るべきこと、誰かを愛すること、人を思いやることの大切さを思い出させてもらえる。20代、30代で自分のことばかりしているうちに、見失ってしまうことってあります。人生のなかで目標ややりたいことがある時期は、つい自己中心的になり過ぎてしまうものです」

アフレックはといえば、シャワー中に歌うのを妻が許してくれたのがうれしいようだ。長い年月が経ってもまた引き寄せられたのは、ロペスが変わったからではなく、変わらなかったことが大きい。「ジェニファーという人の中心には、本質的に魔法のように優しくて善良で、愛に満ちたものがあるんです」とアフレックは言う。「それは、20年前に覚えている彼女そのものです。彼女には自分の変化が見えているのかもしれないけれど、僕には、限りなく愛に満ちた心を、困難にも負けずに持ち続けている人でしかありません。そこが、かけがえのない彼女の魅力でもある。彼女は僕がなりたいと思える、理想の人です」

他人の評価を気にせず、追い求めるもの

ロペスは現在の音楽プロジェクトに向けて、マルチメディアを使った壮大な計画を立てている。ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』のような、音楽の旅を生み出したいと考えているのだ──それに希望と愛についてのメッセージを込めて。

2021年6月に公開された、スーパーボウルのハーフタイムショーに出演した彼女を追ったドキュメンタリー『ジェニファー・ロペス:ハーフタイム』で最も心に響くのは、ロペスがUS版『グラマー』に掲載された記事を読み上げている場面かもしれない。「残酷なほど過小評価されているパフォーマーが」ここで彼女は読むのを止め、目に涙を浮かべた。「権威ある映画会社から、正当に評価される姿を見るのは感動的だ」。実際、ロペスがアカデミー賞にノミネートすらされなかったことを、鼻であしらわれたと見なす業界人もいて、正当な評価を受けているとは言い難い。グラミー賞も逃し続けている。スターダムにのし上がったものの、彼女は何年も真剣に扱ってもらうために戦い、アーティストとして多くを成し遂げてきた。しかし、単にジェニファー・ロペスは生活のために働いているだけだと思う人もいる。そう聞いても、かつてほどには傷つかないとロペスは言う。

「ファッションでも、音楽でも、映画の世界でも、私はいつもアウトサイダーのような気がしていました」と彼女は語る。「みんな知り合いみたいで、アーティストたちはすぐにおしゃべりを始めるし、METガラに行けば、女の子たちはみんな固まっているけれど、私はその中に入っていない。ただ不安だっただけなのかもしれません。社交性がないとか、友達を作りたくないとかいうことではなくて、私は自分の鼓動を信じて進むような、一匹狼タイプの人間なんです。自分のことだけに集中していればいい、いつもそんなふうに思っていました。今でもそうです。でも、努力はしています!  以前は、他人の評価を気にしていました。昔は本当にそうでした。それは、私も仲間に入りたかったからです。でも、今はもうそうではなくて、もっと大きなものを追い求めています。人々の人生に感動を与え、私もまた与えられたいと思っています」

20年前、ベニファー1.0と呼ばれることもあった時代に、アフレックはロペスに「リトル」というあだ名をつけた。身長193センチの彼は、彼女より約30センチ背が高い。再会したとき、アフレックはロペスに、その古い呼び名が妥当かどうかわからないと伝えた。愛情を持って呼ぶにしても、「リトル」と呼ばれるには、彼女は完成され過ぎているように思えたからだ。だが、ロペスのもとにその呼び名は戻ってきた─つやつやの肌をした私たちのリーダーとなり、ときには暗い惑星でも善のために戦う力になった彼女のもとに。成長すること、目標を達成することが彼女のライフワークであり、それに加えて努力がある。「そうすれば最終的に、より良く、より強くなっていて、自分のままでいられるようになりますから」と彼女は言う。「でも完全に心を開き、無邪気で、恐れ知らずだった以前の自分の一部は消えてしまったとも言えます。私はかなりロマンティストなので、それを嘆いたりするときもあります」。ここでロペスは声をひそめて言った。「それは、その人をとても愛していたから」

「私の人生と音楽キャリアは、愛がすべてでした。私が出演した映画、作ったアルバムは全部そう。今の自分をすごく誇りに思っているし、何一つ変えようなんて思いもしないけれど、人間として、女性として、パートナーとして、妻として、同僚として、母親として、義理の母親として、失われてしまった以前の自分について、ようやくこう言えるようになりました─『あのときの私?  可愛かった』って」

Photos: Annie Leibovitz Styling: Alex Harrington Text: Rob Haskell Hair: Chris Appleton for Color Wow Makeup: Mary Phillips Translation: Miwako Ozawa
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