会見リポート
2011年08月23日
13:00 〜 14:30
宴会場(9階)
シリーズ企画「3.11大震災」 田中煕巳(てるみ) 日本被団協事務局長
会見メモ
Terumi TANAKA、Secretary-General, Japan Confederation of A and H bomb Sufferers Organizations
福島第一原発事故のあと、脱原発の新方針を打ち出した日本被団協の田中煕巳事務局長が、原子力の平和利用について原爆被爆者の考え方を語った。
日本被団協のホームページ
http://www.ne.jp/asahi/hidankyo/nihon/
日本被団協は6月の定期総会で▽原発の新増設計画をすべてとりやめる▽現存する原発は年次計画をたて操業停止・廃炉にする▽自然エネルギー、再生エネルギー利用に向けて転換する――方針を決め、近く、政府、電力各社などに要請する。日本被団協は1956年、結成宣言で「破壊と死滅の方向に行くおそれのある原子力を決定的に人類の幸福と繁栄との方向に向かわせるということこそが、私たちの生きる限りの唯一の願いです」と原子力の平和利用を支持した。その後も「自主・民主・公開」の平和利用基本三原則を守り、安全対策を求める立場を維持した。
反原発を訴えなかった理由について、田中さんは「核兵器廃絶と原爆被害者への国家補償に全力を尽くしてきた。原発反対を唱えて力を分散しないように、との思いもあった。原子力平和利用への期待感もあった。原発産業で働く被爆者もいたのでその生活にも配慮した。しかし被爆者の平均年齢は77歳で、原発労働者もいない」「福島第一原発の事故で決定的に変わったのは、多くの住民がヒバクシャになったことだ。人間のなしたわざで新たな放射能を浴びることは絶対にあってはならないことだ。核兵器使用でそんなことが二度と起こらないように、と思っていたが、原発で起こってしまった」と述べた。
被爆者が原子力の平和利用を支持したことについて、「人類が解放した核エネルギーを人間の福祉のために使えないか。被害を受けただけに、(核エネルギーが)幸福につながってほしいという願いがあった」「私は13歳で、長崎で被爆した。材料工学を研究し、原子炉に使う材料研究に手を染めたこともある。リベンジというか、こんなのにやられっぱなしでたまるか、逆にいい方向に使わないとやるせない、自然と闘い征服するんだ――と当時の若いものは考えた。傲慢だった」と振り返った。
原爆と福島のヒバクシャについて、「原爆被爆者と福島の被曝者は確かに違うところもある。原爆は熱線と爆風で壊滅した。だが、生き残った人は爆発による放射線の晩発障害がいつ起こるか今日まで苦しんでいる。放射性降下物による内部被曝の影響がどう出るかわからない不安も続いている。こういった点は福島のヒバクシャと共通している。ヒバクシャへの差別も同じように起こっている」と述べ、「ヒバクシャが一緒に話す機会を作りたい」と語った。
また、5月7日、原爆被爆者健康手帳のような福島被曝者手帳を作るよう申し入れるため福島県庁を訪れた際、県庁職員に「来たことは公にしないでほしい」といわれ、県庁記者クラブでの会見を断念したことを明らかにした。「原爆と福島が同じと受け止められ差別を受けると思ったのだろう」と県庁の立場を推測し、「誤解がある」と残念そうに語った。
司会 日本記者クラブ企画委員 井田由美(日本テレビ)
会見リポート
福島県庁に「被曝手帳」配付を助言
内田 義雄 (個人会員)
日本被団協は広島・長崎の原爆被害をうけた生存者(被爆者)が核兵器廃絶と原爆被害の国家補償を求めて結成した団体だが、原子力の平和利用を信じ、原子力関係の仕事に従事する被爆者も多くいた。田中さん自身長崎の被爆者だが、原子核物理に興味をもち原子炉容器の強度の研究に従事したこともある。だが、3・11福島原発事故でその信念は一挙に崩れた。技術で原子力を制御できるというのはおごりであり、原子力はまだ「神の領域」だと感じたという。
原爆の父といわれるオッペンハイマーは「(原爆実験で)巨大な火の玉を見た時ヒンズー教の神クリシナの言葉(『われ死神となり世界を破壊せり』)が心をよぎった」と語ったことがある。原発の火はどうなのか。安全神話は崩れ、その高レベルの放射性廃棄物に人類は数10万年先まで付き合わねばならない。現代の技術も科学もその安全を保証できない。田中さんはそれは「人類への一種の犯罪」だと語った。被団協は8月8日「脱原発」を運動方針に明記した。
その3カ月前(5月7日)田中さんたちは福島県庁を訪れ、原発被曝者に「被曝者健康手帳」を配布し被曝の日時や状況を書いておくよう助言した。広島、長崎の被爆者の体験から、将来人体に何らかの障害が発生した時に国の補償がえられるかどうかの手がかりになるからである。
県庁の人たちの反応は意外であった。原発の被曝者が広島・長崎の被爆者と同じように受けとられると「差別」されかねない、だから地元の記者たちとも会わず黙って帰ってほしいといわれた。「差別」とは被曝者への村八分とか遺伝子に異常が発生する可能性のある被曝者とは結婚しないといったことである。(その後多くの町村で被曝手帳が配布されているようである)。田中さんは被爆者の長い体験から「事実と向き合い真実を語ることこそ大事だ」と明言した。それはまた「メディアの責任だ」とも強調されていた。
ゲスト / Guest
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田中煕巳(てるみ) / Terumi TANAKA
日本 / Japan
研究テーマ:シリーズ企画「3.11大震災」