ファッションデザイナーの高田賢三氏、新型ウイルスで死去 81歳
ファッションブランド「KENZO(ケンゾー)」創業者の高田賢三氏が4日、新型コロナウイルスの合併症で亡くなった。81歳だった。
「ケンゾー」の広報担当者によると、高田氏はパリ郊外のアメリカン病院で亡くなった。
高田氏は1960年代にフランスに移住。原色や花柄をふんだんに取り入れたデザインで、日本人のデザイナーとして初めてパリのファッションシーンで注目を集めた。
広報担当者は、高田氏は「8000近いデザインを手掛け」、「ファッションと生きる芸術を称え続けていた」と語った。
パリのアンヌ・イダルゴ市長はツイッターに追悼を掲載。「素晴らしい才能を持ったデザイナーとして、彼はファッションの世界に色彩と光をもたらした。パリは息子の死を悲しんでいる」と述べた。
ファッションサイトWWD.comによると、 「ケンゾー」が属するルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー(LVMH)のシドニー・トレダノ最高経営責任者(CEO)も、「1970年代に高田氏が始めたブランドのファンだった。彼は素晴らしいデザイナーだったと思う」と話している。
訃報を受け、日本でもSNSに追悼のコメントがあふれた。初めて買った高級ブランドが「ケンゾー」だったという声も多くみられた。
あるツイッターユーザーは、「初めて買った財布はケンゾーのものだった。小さなことだけどずっと覚えています。ご冥福を」と書き込んだ。
「母親からケンゾーの服を譲ってもらって、いまだに着ています」というツイートもあった。
また、日本ではなお多くの人が使用しているハンカチも、ケンゾーのものを使っているという人が多かった。
1939年に兵庫県姫路市で生まれた高田氏は、1965年に貨物船でフランスに渡り、パリに住んだ。
1970年に「ケンゾー」の前身となるブランドを立ち上げ、国際的な評価を得た。1983年には「ケンゾー・オム」を発表。その後、「ケンゾー・ジャングル」や「ケンゾー・ジーンズ」といったよりカジュアルなラインも手掛けた。
1993年に「ケンゾー」ブランドをLVMHに売却し、6年後に引退した。