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※本記事は2023年9月公開時点のもの。このなかでインタビューを行なったCEOサム・アルトマンの今回の解任、CTOグレッグ・ブロックマンの辞任、ミラ・ムラティの暫定CEO就任などOpenAIの最新ニュースはこちらで随時更新中。

Content Subheads

● ミッションはAGIの創造
● Yコンビネーターの後継者に
● イーロン・マスクと意気投合
OpenAI設立

スターとその一行が乗り込んだとき、メルセデスのバンはまるでビートルズが再来したかのような雰囲気で満ちた。彼らはあるイベントを終え、熱狂的な大衆が待ち受ける次のイベントへ、さらに次のイベントへと移動していく。ホルボーンからブルームズベリーへとロンドンを駆け抜けていくその様子は、あたかも文明のビフォーアフターの境目をサーフィンしているかのようだ。このバンの中にいる人物のもつ歴史を変える力に、全世界が注目し、行列に並ぶ学生から英国首相にいたるまで、誰もがその分け前にあずかろうとしていた。

豪華なバンの中でサラダを頬張っていたのは、きれいに髪を整えた38歳の起業家にしてOpenAIの共同創業者であるサム・アルトマン、広報担当者とセキュリティ専門家、そしてわたしの4人だ。アルトマンは、ブルーのスーツにピンクのドレスシャツ、そしてノーネクタイという残念な服装で、世界6大陸で25の都市を巡る長旅の一環としてロンドンを疾走していた。野菜をむさぼりながら──今日はゆっくりと昼食をとる時間がない──アルトマンはフランス大統領のエマニュエル・マクロンと会談した昨夜のことを回想した。マクロンは話のわかる男だ! 人工知能(AI)にとても関心をもっていた。

スティーヴン・レヴィ

ジャーナリスト。『WIRED』US版エディター・アット・ラージ(編集主幹)。30年以上にわたりテクノロジーに関する記事を執筆しており、『WIRED』の創刊時から寄稿している。著書に『ハッカーズ』『暗号化 プライバシーを救った反乱者たち』『人工生命 デジタル生物の創造者たち』『マッキントッシュ物語 僕らを変えたコンピュータ』『グーグル ネット覇者の真実』など。

ポーランドの首相も、スペインの首相もそうだった。

アルトマンと一緒にクルマにいると、わたしにはビートルズの「ア・ハード・デイズ・ナイト」のイントロ部分の曖昧に鳴り響くコードが聞こえてくるかのような気がした。いわば、未来へのイントロだ。2022年11月、OpenAIが大ヒット作となるChatGPTをリリースしたとき、インターネットが人々の生活に浸透して以来ほかに例がないほどの巨大な爆発がテクノロジー業界に起こった。突然、チューリングテストが過去の遺物となり、検索エンジンは絶滅危惧種とみなされるようになり、学生が書くレポートは疑わしくなった。安全な仕事などもう存在しない。解けない科学の問題もなくなった。

アルトマンは研究には携わらないし、ニューラルネットワークをトレーニングしたり、ChatGPTやその早熟な弟に相当するGPT-4のコーディングをやったりもしない。しかしCEOであり、そして共同創業者であるイーロン・マスクの若返りのような身軽な夢想人・実行者であるアルトマンの写真は、数え切れないほどのニュース記事で掲載され、人類が立ち向かう新たな挑戦のシンボルとして利用されている。少なくとも、OpenAIの画像生成AIであるDall-Eが生み出した目を見張るようなイメージを掲載していない記事には、代わりに彼の写真が使われるのが普通だ。

アルトマンは現代のオラクルであり、AIがどのように黄金時代を切り開くのか、あるいはAIが人間を無意味な、あるいは無意味以下の存在にしてしまうのかという問いに際して、最初に相談したい人物である。

その5月のよく晴れた日、バンはアルトマンを4つの場所へと運んだ。最初はお忍びで、政府関係者、学者、産業界の代表者らとの密室会議。時間ギリギリになって決まったその会合は、「サマーズ・タウン・コーヒーハウス」というパブの2階で開かれた。

真剣なまなざしで見つめる醸造マイスターのチャールズ・ウェルズ(1842–1914)の肖像画の下で、アルトマンはどこへ行っても必ず聞かれる質問に答えた。AIは人を殺すのか? AIを規制できるのか? 中国はどうする? アルトマンは携帯電話のスクリーンをチラリと眺めては、すべての問いに丁寧に答えた。その後、豪華なロンドナー・ホテルで暖炉の前に腰掛け、オックスフォードギルドの600人とおしゃべりをした。次に、そこから地下の会議室に行き、100人の起業家とエンジニアたちが発する技術的な問いに答える。

そしていま、アルトマンは少し遅れぎみではあったが、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジで開かれる午後のステージトークに向かっていた。彼とその一行が駐車場にクルマを止めると、映画『グッドフェローズ』のステディカム撮影のように、曲がりくねった廊下を案内された。その途中で、司会進行役がアルトマンにステージでぶつける質問を大急ぎで説明する。アルトマンがステージに上がると、学者とオタクとジャーナリストの歓喜で講堂が沸き立った。

アルトマンは生粋の目立ちたがり屋ではない。かつて、『ニューヨーカー』に自身についての長い記事が掲載されたあと、アルトマンはわたしにこう言った。「ぼくのことばかりだ」。だがユニバーシティ・カレッジでは、予定の式次第が終わると、彼はステージ下に押し寄せる人々の群れに自ら交ざっていった。側近たちはアルトマンと群衆に間に割って入ろうとしたが、アルトマンがそれを拒んだ。次々と質問に答え、そのたびに、まるで初めてその問いを聞いたかのように真剣に質問者の顔をじっと見つめる。誰もが自撮りをしようとした。20分がたち、ようやくチームの要請に応じて群衆のもとを去った。そして、英国のリシ・スナク首相に会うために出発する。

ミッションはAGIの創造

いつかある日、ロボットが歴史を書くときが来たら、おそらく彼らはアルトマンの世界ツアーを、誰もが突然「シンギュラリティ(技術的特異点)」についてそれぞれの見解をもち始めた年に起こった記念碑的出来事と記録するだろう。あるいは、この瞬間の歴史を書くのが誰であるにせよ、物静かで魅力的なCEOがパラダイムを書き換えるテクノロジーをひっさげて、サンフランシスコのミッション地区にある質素な4階建ての本社から全世界へ極めて独特な世界観を注入しようとした時代とみなすだろう。

アルトマンとその会社にとって、ChatGPTとGPT-4は、科学技術者らが心に刻んでおくべきシンプルかつ重要なミッションを達成するための足がかりに過ぎない。そのミッションとは、汎用人工知能(AGI)──これまでのところサイエンスというよりはサイエンスフィクションに近い概念──を創造し、それを人間にとって安全なものにすることだ。

OpenAIで働いている人々は、とても熱心にこの目標へ近づこうとしている(ただし、本社カフェテリアでの数多くの会話が証明しているように、「AGIの安全」よりも「AGIの開発」のほうに研究者らは興奮を覚えるようだ)。彼/彼女らは「超知能(super-intelligence)」という言葉を使うことにためらいを覚えない。AIのたどる道筋は生物が到達できるあらゆる頂点を凌駕すると信じている。同社の財務資料には、AIが人間の経済システムそのものを消し去った場合を想定したある種の出口戦略さえ記載されている。

OpenAIをカルト集団と呼ぶのはフェアではないが、わたしが社の重鎮の数人に、AGIが到来すると信じていない人、そしてたとえAGIが到来しても、それが人類史における最高の瞬間になるとは考えていない人も、この会社で心置きなく働けるのかと尋ねたところ、ほとんどはノーと答えた。みんな、AGIを信じない者がここで働く理由があるのか、と不思議がった。おそらく、信じる者だけが社員(本稿執筆時でおよそ500人なので、この記事が読まれることには増えているかもしれない)になれるような力が、ひとりでに働いてきたのだろう。少なくとも、アルトマンが指摘するように、ここで働き始めれば、誰もがその呪縛に取り込まれるに違いない。

同時に、OpenAIはかつてのOpenAIからは様変わりした。最初は純粋な非営利研究機関として設立されたのだ。それがいまでは、従業員たちは実質上、およそ300億ドル(約4兆5,000億円)の価値が認められている営利組織で働いている。アルトマンら経営陣は、どのプロダクトサイクルでも革命を起こすプレッシャーにさらされている。そうやって投資家からの利益要求を満たしながら、熾烈を極める競争を勝ち続けなければならない。そのかたわらで、人類を滅亡させるのではなく、さらなる繁栄に導くという救世主的な使命も担い続けている。

この種のプレッシャーは、そして言うまでもなく、全世界からの容赦のない注目は、会社をむしろ衰弱させてしまうかもしれない。ビートルズは文化を塗り替える巨大な波を引き起こしたが、革命のいかりが下ろされるまでに長くはかからなかった。例の忘れようのないコードをかき鳴らしてから6年後にはバンドを解散していた。OpenAIが引き起こしたうねりは間違いなくはるかに大きなものとなるだろう。しかし、OpenAIのリーダーたちは針路を守り続けると約束する。ただ、歴史に終止符を打てるほど賢くて安全なコンピューターをつくり、想像をはるかに超える豊かな時代に人類を導きたいだけだ、と。

Yコンビネーターの後継者に

1980年代後半から90年代前半、まだ幼かったサム・アルトマンはSF作品やスターウォーズに夢中だった。初期のSF作家が描くほとんどの世界で、人間は超知能AIシステムとともに──もしくは敵対して──暮らしていた。コンピューターが人間の能力に匹敵する、あるいは凌駕するという考えに、指がまだキーボードには短すぎるころからすでにコーディングを始めていたアルトマンはワクワクした。

8歳になったとき、両親がMacのLC IIを買ってくれた。ある夜、それで遅くまで遊んでいたとき、ある考えが頭に浮かんだ。「いつかこのコンピューターも、自分で考えるようになるんだろうな」。2003年、スタンフォード大学に学部生として入学したころ、アルトマンはその着想を実現するための手がかりとして、AIをテーマにした講座を受講した。でも「期待外れだった」そうだ。この分野はまだ「AIの冬」と呼ばれるイノベーションの谷間に陥っていたのだ。

アルトマンは中退し、スタートアップの世界に足を踏み入れた。彼が創業した会社ループト(Loopt)は、のちに世界で最も有名なインキュベーターとなるYコンビネーターが最初期に出資したごく少数の新興企業のひとつだった。

2014年2月、Yコンビネーターの創業者ポール・グレアムが、当時まだ28歳だったアルトマンを後継者に指名した。グレアムは声明文に「サムはわたしの知るなかで最も賢い人間のひとりで、わたしも含めてほかの誰よりもスタートアップをよく理解している」と書いている。しかし、アルトマンはYコンビネーターを企業の発射台よりも大きな存在とみなしていた。「スタートアップだけが対象ではない」と彼はYコンビネーターを引き継いだ直後にわたしに語っている。「Yコンビネーターは改革を起こす。それが人類の未来を明るくする方法だと確信しているからだ」

アルトマンの考えでは、ちまたのユニコーン企業に資本投資することの意義は、パートナーの財布を満たすことではなく、人類という種の進化に資金面で貢献することにある。そこで、世界最大級の問題の解決をもくろむ野心的なプロジェクトに資金援助するために、研究部門を立ち上げた。しかし彼の頭の中には、AIこそがあらゆる問題に対処できる唯一の革新領域だという思いがあった。超知能なら、人類の問題を人類よりも巧みに解決できるはずだ、と。

幸運なことに、アルトマンが新たな職務に就いたころ、AIの冬が終わり、豊かな春が訪れようとしていた。写真のラベリング、テキストの翻訳、複雑な広告ネットワークの最適化など、コンピューターがディープラーニングやニューラルネットワークを介して、すばらしい成果を示し始めた。そうした進歩を目の当たりにして、アルトマンは初めて、AGIが実際に手の届く距離に近づいたと確信した。

しかし同時に、AGIを大企業の手に委ねてもいいのか、という疑問も生じた。既存の大企業は自社プロダクトを重視し、AGIの開発を後回しにするのではないか。AGIの開発に成功したら、必要な予防策も講じないまま世界に解き放つかもしれない。

当時、アルトマンはカリフォルニア州知事選挙への出馬を検討していた。しかし、自分はもっと大きなことに向いていると気づいた。人類を変革する会社を率いるべきだ、と。「AGIは一度だけつくられればそれで十分」と21年にアルトマンはわたしに話している。「でも、OpenAIをうまく運営できる人はそれほど多くなかった。運のいいことに、ぼくは人生を通じてそのための経験を積んできた」

イーロン・マスクと意気投合

アルトマンは、責任あるAGI開発だけに集中する非営利組織という新しいタイプのAI企業を興すことに決め、サポートをしてくれる人々を探し始めた。意気投合した人物のひとりが、テスラとスペースXのCEOであるイーロン・マスクだ。

マスクがのちにCNBCに語ったところによると、彼はグーグルの共同創業者であるラリー・ペイジと長時間におよぶ話し合いの末、AIの破壊力に懸念を抱くようになっていた。ペイジが安全性に関してあまり深く考えず、ロボットにも人間と同じ権利があると考えているように見えたことに、マスクは動揺したそうだ。マスクが懸念を口にすると、ペイジはマスクを「差別的だ」と非難した。当時、グーグルが世界有数のAI識者の多くを採用していたことをマスクは知っていた。彼は、「人間」のためになる取り組みに資金を費やそうと考えるようになった。

数カ月後、アルトマンはマスク(1億ドルと時間)とリード・ホフマン(1,000万ドル)から出資を得た。出資者のリストには、ピーター・ティール、ジェシカ・リヴィングストン、アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)、Yコンビネーター・リサーチも名を連ねていた。アルトマンは密かにチームづくりを始める。

その際、メンバーの候補者をAGI信者だけに限定した。そうすることで選択肢は一気に狭くなってしまったが、AGIの実現を心から望んでいる者だけをチームに迎え入れることが重要だと、アルトマンには思えたのだ。「採用活動をしていた2015年当時は、AI研究者はAGIのことを真に受けていると公言すれば職を失うと考えられていた」とアルトマンは言う。「それでもぼくは、AGIに真剣な人々が欲しかった」

当時Stripe社のCTO(最高技術責任者)だったグレッグ・ブロックマンはそのような信者で、OpenAIのCTO職に就くことに同意した。主要な共同創業者として、アンドレイ・カルパティも加わった。以前、グーグルの先端AI研究部門であるGoogle Brainに所属していた人物だ。しかし、おそらくアルトマンが心から欲していたターゲットは、ロシア生まれのエンジニア、イルヤ・サツキヴァーだろう。

サツキヴァーの経歴には目を見張るものがある。彼の家族はロシアからイスラエルへ、そしてさらにカナダへと移住した。サツキヴァーはトロント大学で、ディープラーニングとニューラルネットワークに精通する現代AIの父ことジェフリー・ヒントンのもとで、学生として頭角を現す。いまだに親しい関係にあるヒントンは、サツキヴァーの魔法のような才能に最大の賛辞を贈る。

サツキヴァーがラボに来たばかりのころ、ヒントンは彼に困難なプロジェクトを与えた。すると、不可欠な演算を実行するためのコードを書くのにうんざりしたサツキヴァーがヒントンに、そのタスク専用のプログラミング言語を自作するほうが楽だと申し出た。ヒントンは少しいらつき、サツキヴァーに対して、そんなことをしたら1カ月ほど作業が滞ると警告した。すると、サツキヴァーがこう明かしたのだ。「今朝、もうつくっちゃいました」

サツキヴァーはAI界の寵児になり、AIは大量のデータを与えるだけで画像の認識法を学習できると証明する画期的な論文を共同執筆した。そして最後は最重要科学者として、Google Brainのチームに加入したのである。

15年半ば、アルトマンは面識のなかったサツキヴァーにメールを送り、マスクやブロックマンらとのディナーに招待した。場所はパロアルトのサンド・ヒル・ロードにある豪華ホテル「ローズウッド」。本人はのちになって気づいたのだが、その会合ではサツキヴァーこそが主賓だった。

サツキヴァーによると、「そこでは未来のAIとAGIについて、一般的な会話が繰り広げられた」そうだ。具体的な例を挙げると、彼らは「グーグルとDeepMindはすでにずいぶん前を走っているのでもう追いつけないのか、それとも、イーロンが言うように、それらに匹敵するラボをいまからでもつくれるのか」などについて議論した。そこにいた誰ひとりとしてサツキヴァーをリクルートしようとはしなかったが、その一方で、サツキヴァーのほうがそこでの会話に魅了された。

数日後にサツキヴァーはアルトマン宛てのメールをしたため、自分こそがプロジェクトを率いるのに最適だと書いたが、その自薦メッセージは送られることなく、下書きフォルダーにとどまり続けた。すると、アルトマンのほうから声をかけてきた。グーグルからの数カ月にわたる逆オファーをかわしたのち、サツキヴァーは契約書に署名した。そしてすぐに会社の魂として、研究を推し進めた。

アルトマンとマスクによるプロジェクトへの勧誘作戦にサツキヴァーも加わり、その活動はナパバレーにある隠れ家にOpenAI研究者候補を数人集めた熱気ムンムンの会合で最高潮を迎えた。もちろん、エサに食いつかない人もいた。例えば、『Doom』『Quake』など多数のゲーム作品を生み出した伝説のプログラマー、ジョン・カーマックはアルトマンの勧誘に乗らなかった。

OpenAI設立

2015年12月、OpenAIが正式に設立された。当時、マスクとアルトマンを取材したところ、ふたりはわたしに、OpenAIプロジェクトはAIを世界と共有することで安全かつ利用しやすいものにするための懸命な取り組みだと説明した。言い換えれば、「オープンソース」だということだ。OpenAIは特許を申請するつもりはない、と両者とも語った。誰もが同社の発明を利用できる。

「そんなことをすれば、未来の悪人に力を授けるだけでは?」とわたしは問いかけた。それに対してマスクは、いい質問だと応じたが、アルトマンはすぐに答えを返してきた。人間とは基本的に善であり、OpenAIはその圧倒的多数にパワフルなツールを提供するのだから、悪人どもは押しつぶされてしまうだろう、と。ただし、もし悪人がそのツールを使って、誰にも対抗できない何かをつくってしまったら、「わたしたちは本当に悪い状況に陥ることになる」とも認めた。

しかし、マスクもアルトマンも、利益というモチベーションに汚染されていない、つまり、人間のことなどおかまいなしに四半期ごとに巨大な利益を得る執拗な誘惑にさらされていない状況で研究を続けるなら、AIは安全なコースをたどるだろうと信じていた。

アルトマンはわたしに、気長に待つように言った。「これからしばらくのあいだ、ここは研究室のようなものだから」

期待を低く抑えるのには、もうひとつ別の理由もあった。グーグルなどの企業はもう何年も前からAIの開発と応用に携わっていた。10億ドルの資金を(主にマスクのおかげで)投じることができ、エース研究者とエンジニアのチームを組み、高尚なミッションを掲げていたとは言え、OpenAIにはどうすればゴールにたどり着けるのか、まったく見当がついていなかった。アルトマンは、まだオフィスがなかったチームが、ブロックマンのアパートメントに集まったときの様子を覚えている「何をすればいいのだろう、といった感じだった」

わたしはOpenAIの設立からおよそ1年が過ぎたころに、サンフランシスコでブロックマンとともに朝食をとったことがある。社名に「オープン」のひとことが含まれている会社のCTOにしては、ブロックマンは細部について話すことにとても慎重だった。彼は、非営利企業として、同社は初期調達金でしばらくはやっていけると断言した。OpenAIの出費の大部分は、25人の従業員の給料──市場価値よりもはるかに低い額──で占められていた。

「わたしたちの目標は、わたしたちが本当にやろうとしていることは、これまで人間にできなかったことができるシステムをつくることだ」とブロックマンは話した。しかし当面のあいだは、多くの研究者が論文を発表しているだけにしか見えなかった。インタビューのあと、わたしはブロックマンとともに会社がミッション地区に新設したオフィスへ向かった。だが、ロビーから奥に入ることは許されなかった。ブロックマンはクローゼットに入り、わたしのためにTシャツをもってきた。

もしもっと内部にまで入り込み、従業員に取材をしていたら、わたしは当時の同社がどれほどの苦境に立たされていたのか、理解できたかもしれない。ブロックマンはいまになって、当時は「何もうまくいっていなかった」と認めている。研究者らは手当たり次第にアルゴリズムを検証していた。ビデオゲームを解くシステムを深掘りし、ロボット工学にかなりの労力を費やした。「やりたいことはわかっていた」とアルトマンは言う。「なぜやりたいのかもわかっていた。でも、やり方がわからなかった」

しかし、誰もが信じ続けた。ディープラーニング技術を応用した人工ニューラルネットワークが改善されつつあることがせめてもの慰めだった。「ディープラーニングに見切りをつけるな、が共通の理念だった」とサツキヴァーは表現する。AGIを追い求めることは、「完全にクレイジーではなく、まあまあクレイジーでしかなかった」

※「OpenAIとは何だったのか(2)AGIが実現した社会では、お金すら意味を失う」へ続く

WIRED/Translation by Kei Hasegawa, LIBER/Edit by Michiaki Matsushima)