SPATIAL × COMPUTING

覆い隠された都市の裏側へ──空間コンピューティングの見過ごされた論点を探る鼎談:JACKSON kaki × 藤倉麻子 × 荘子it

空間そのものがメディアとなる、スクリーンなき未来に“表現”はどのように更新されるのだろう。フィジカルとデジタルを往還する先鋭的な表現を追求してきた3名のアーティスト ─ JACKSON kaki、藤倉麻子、荘子it(Dos Monos)のまなざしから探る。
覆い隠された都市の裏側へ──空間コンピューティングの見過ごされた論点を探る鼎談:JACKSON kaki × 藤倉麻子 × 荘子it
PHOTOGRAPH: SAEKA SHIMADA

※雑誌『WIRED』日本版 VOL.53 特集「空間コンピューティングの“可能性”」より。詳細はこちら

JACKSON kaki(以下:JK) わたしはXRと身体の関係性を問うような作品をこれまで手がけてきたのですが、中心にしているテーマは「暴力・性・死」を描くことなんです。影響を受けているのは、解剖学者の養老孟司さんが提唱された「隠された身体」という考え方です。そこではテクノロジーの発展に伴って、社会は「暴力・性・死」といった“見たくないもの”を隠すようになると記されています。空間コンピューティング技術がより発展していけば、ヘッドセットをかぶって自分の見たくないものをすべて視界から遮断することもできるはず。だからこそ、そういった時代を前にして「暴力・性・死」を描き出したい。いま、都市のメインストリームではお金や人、時間などの資本を活用した素晴らしいXR作品が多く出てきていると思うのですが、“芸術における技術”は、都市空間から消えてしまったものをテクノロジーを介して再度閲覧できたり、隠されていたものをよみがえらせたりする目的のために使いたいと思っているんです。

藤倉麻子(以下:AF) わたしも共感するところがあります。近年は、都市の隠された領域を描き出すことに関心をもって制作を続けてきました。2022年に手がけた物流型展覧会『手前の崖のバンプール』というプロジェクトでは、参加者は東京湾の船着き場に集合し、小型船舶に乗り込み、チケットでもある材木を運搬しながら、コンテナの積み下ろし場などに海上から迫ります。船内ではパフォーマンスが行なわれ、ラジオ音声や映像が流れています。この過程では、フィクショナルな映像と、物流の現場や労働者の身体が同時に目に入ってくる。このような設計をすることで、映像が現実の連続のように見えたときに、本来は労働空間にあるはずの身体がフィクショナルなものに感じられる。そんな仮想と現実の入り交じった状況のなかで、立ち上がる風景を探った作品です。

JK 物流やロジスティクスという都市のなかで隠されたものを描いているわけですね。

AF そうなんです。今後、ロジスティクスやエネルギー生産の現場は、都市生活者からますます見えなくなり、忘れられていくと思います。そもそも、人がいなくなる可能性もありますよね。いま「物流2024年問題」のようにトラックドライバーが足りていない状況が指摘されていますが、高速道路は信号もなく横断歩道もないゆえに無人運転が試験的に行なわれていたりします。今後、都心と後背地を結ぶ道にドライバーがいなくなる可能性があるわけです。もちろん、後背地の物流倉庫はロボットにより自動化されて、すでに無人に近い状態であったりもする。そうした都市を維持するために生まれていく暴力的ともいえる風景に対し、空間コンピューティングで何ができるかを考えたいと思っています。

JK 藤倉さんがそうした課題意識をもつようになったのは、どのような背景からでしょうか?

AF わたしはいわゆる日本の郊外都市で生まれ育ったのですが、そこでの原風景は物流やロジスティクスといった大きな流れ──その存在自体を認識することが難しいもの──によって支えられています。だからこそ、それらに焦点が当たるような体験をつくることで、新たに見えてくる風景があるのではないかと思ったんです。小島秀夫さんが手がけたゲーム『デス・ストランディング』のように、移動の痕跡がApple Vision Proなどで追跡できることは、空間コンピューティングによる隠された空間の可視化という点でひとつのアイデアだと思っています。

JK おもしろいですね。先日、自分が在籍していたIAMASの教授である前林明次先生や美術作家の白川昌生さんたちが、群馬県が撤去した朝鮮人労働者の追悼碑をARで再現するアプリを開発したんです。撤去されたとしてもAR空間上で場所の記憶を再現することで、その場所の歴史性を考えることを守り続けていける。まだ構想段階ですが、わたし自身はいま「青木ヶ原樹海」をテーマにした作品を手がけたいと思っています。さまざまな倫理的な問題があり、慎重にリサーチする必要があるのですが、亡くなった方の痕跡が見えることで死を身近に感じる作品をつくることで、“見たくないもの”を芸術によって明らかにできるかもしれません。

PHOTOGRAPH: SAEKA SHIMADA

モンタージュの発展形として

AF わたしはこれまで3DCGを用いた作品も多く手がけてきているのですが、作品のなかで最も現実離れしているのは、オブジェクトやアニメーションではなく、実はカメラなんです。オブジェクトには現実に存在するものが多く登場するのですが、それを映し出すカメラの観点では、例えば小さいオブジェクトに憑依していたり、超上空から俯瞰していたり、パースも消して平行投影していたり……。こうした視点の切り替えを、映画的技法の発展として実践しています。空間コンピューティング技術のおもしろいところは、映画におけるモンタージュ(視点の異なる複数のカットを組み合わせて物語を描き出す技法)を3次元空間においても成立させることのできる点だと思っています。

荘子it(以下:ZZ) 非常に興味深いです。ぼく自身は、そうした異なる視点の往復を成立させるうえで音楽がひとつの鍵になると思っています。もともと映画学科に在籍して映画監督を目指していたのですが、音楽へと舵を切ったきっかけには「視点の切り替えの難しさ」がありました。確かに、映画はモンタージュによる表現が成立するメディアなのですが、あまりに支離滅裂なカットを組み合わせるとどうしても違和感が生まれてしまうんです。一方で、自分は一見すると交わらないような視点や言葉を紡ぐことに意味があると思っている。音楽は根底にはビートやリズムといった概念が存在するので、どのような跳躍をしても作品を違和感なく成立させられるんです。空間的な表現と音楽をかけ合わせていくことで、より納得感のあるかたちで空間コンピューティングにおける新たな表現を成立させられるのではないでしょうか。

AF おっしゃる通りで、Apple Vision Proなどのデバイスを用いることで、映画的な、知覚の異常なジャンプが現実にも起こりうるのではないかと思います。例えば、他人の目を借りたり、衛星や監視カメラを借りてモンタージュすることで、巨大な都市空間を一瞬にして主観的に把握することが技術的にありうるかもしれません。

PHOTOGRAPH: SAEKA SHIMADA

開かれた文化をつくる

JK おふたりは空間コンピューティングの技術がより普及していった未来はどのように変容しうると考えていますか?

AF あまりポジティブな回答ではないかもしれませんが、ストリートにおける新しい倫理が問われる気がします。例えばグラフィティであれば、そこに規範や思想があると思うのですが、誰もが適当な言葉で街のAR空間上に痕跡を残せるようになった場合、現在のソーシャルメディアのように精査されていない言葉が堆積していくだけな気もします。

JK 手軽過ぎるがゆえの問題ということですよね。

ZZ 一方で、普及の際にはインターフェイスも重要だと思っています。いまChatGPTというインターフェイスによって人々が生成AIを活用するようになりましたが、これを音楽制作に置き換えて考えるとTR-808というリズムマシンが思い出されます。現代はコンピューターひとつであらゆるジャンルの音楽制作ができるDTMの時代ですが、電子楽器メーカーのローランドが1980年代に開発したTR-808というリズムマシンはヒップホップのビートメイクにおいて非常に重要な役割を果たした機材で、いまでも多くのプレイヤーが愛用しています。さまざまな目的に使用できるコンピューターと比較し、使い方が限定されていることが重要だと思ったんです。リズムをプログラミングすることに特化したこのマシンは、その直感性ゆえに、音楽制作やコンピューターの専門的知識のないユーザーにも爆発的に普及しました。その結果として、制作者の意図から外れたような新しいビートも生まれていきました。このように、何でもできるよりも、ある何かに特化したインターフェイスや設計だからこそ普及し、それによって結果的におもしろい表現も生まれてきたということは、空間コンピューティングによるキラーライフスタイルの創出においても重要なヒントになるのではないでしょうか。

JK ぼく自身の目線としては、XRや空間コンピューティングの技術はまだ産業やギークなものに寄っている気がするんです。こうした技術を開いていくためには、やはり音楽やファッションなどの文化的なものと結びつけて、表現していくことが重要だと思っています。ぼく自身がクラブカルチャーの現場でこうした技術を使ったり、アーティストのMVやフライヤーなどの制作をしたりするのも、そうした背景からです。「暴力・性・死」のような隠されているものを描くためのツールとして活用しつつ、空間コンピューティング技術が開かれた文化を生むことに貢献していけたらと思いますね。

PHOTOGRAPH: SAEKA SHIMADA

藤倉麻子|ASAKO FUJIKURA
1992年生まれ。東京外国語大学ペルシア語専攻卒業。東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。都市・郊外を横断的に整備するインフラストラクチャーや、それらに付属する風景の奥行きに注目し、主に3DCGアニメーションの手法を用いて作品制作を行なう。


JACKSON KAKI|ジャクソン・カキ
1996年静岡県生まれ、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)修了。DJ/VJ、アーティスト、映像作家、グラフィックデザイナーとして活動する。VR/AR、3DCG、映像、インスタレーション、DJ、サウンド、パフォーマンスなど、マルチメディアを取り扱った表現に取り組む。


荘子it|ZO ZHIT
1993年生まれ。2015年に中高時代の友人であるTaiTan(MC)、没(MCDJ)とヒップホップグループDos Monosを結成。トラックメーカーとMCを担当。グループ活動のほか、アーティストへの楽曲提供も。SKY-HIと日本テレビによる音楽番組「Apartment B」に出演中。

※雑誌『WIRED』日本版 VOL.53 特集「空間コンピューティングの“可能性”」より転載。
(Edit by Kotaro Okada)


雑誌『WIRED』日本版 VOL.53
「Spatial × Computing」

実空間とデジタル情報をシームレスに統合することで、情報をインタラクティブに制御できる「体験空間」を生み出す技術。または、あらゆるクリエイティビティに2次元(2D)から3次元(3D)へのパラダイムシフトを要請するトリガー。あるいは、ヒトと空間の間に“コンピューター”が介在することによって拡がる、すべての可能性──。それが『WIRED』日本版が考える「空間コンピューティング」の“フレーム”。情報や体験が「スクリーン(2D)」から「空間(3D)」へと拡がることで(つまり「新しいメディアの発生」によって)、個人や社会は、今後、いかなる変容と向き合うことになるのか。その可能性を、総力を挙げて探る!詳細はこちら


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ソニーのクリエイティブセンターは、情報を“モノ”や“コト”に溶け込ませるデザインR&D活動を長く続けてきた。そのヨーロッパ支部でクリエイティブディレクターを務める田幸宏崇は、パッシブな没入とアクティブな没入の使い分けが創造性のカギになると考えている。
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雑誌『WIRED』日本版VOL.53では総力を挙げて「空間」×「コンピューティング」の可能性を掘り下げているが、肝心の「空間」自体は、どう定義すればいいのだろう。生半可な掘り下げでは、生焼けになることは目に見えている。ここはぜひ、当代屈指の理論物理学者の叡智に与りたい。というわけで、米国・カリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)物理学部棟の4階にある、野村泰紀のオフィスを訪れた。野村先生、「空間」とは一体、何なのでしょうか?