コンテンツにスキップ

養寿寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
養寿寺
養寿寺
所在地 愛知県西尾市下矢田町郷2
位置 北緯34度50分52.1秒 東経137度01分38.9秒 / 北緯34.847806度 東経137.027472度 / 34.847806; 137.027472座標: 北緯34度50分52.1秒 東経137度01分38.9秒 / 北緯34.847806度 東経137.027472度 / 34.847806; 137.027472
山号 亀休山
宗派 浄土宗西山深草派
本尊 阿弥陀如来
創建年 (伝)806年大同元年)
札所等 三河十二本寺
法人番号 4180305007017 ウィキデータを編集
養寿寺の位置(愛知県内)
養寿寺
養寿寺
養寿寺 (愛知県)
テンプレートを表示

養寿寺(ようじゅじ)は、愛知県西尾市下矢田町にある浄土宗西山深草派寺院山号は亀休山。本尊阿弥陀如来。「矢田のおかげん」としてつとに知られる[1]

概要

[編集]

伝承によれば、806年大同元年)、勤操阿闍梨(ごんそうあじゃり)がこの地を訪れ、当時海であった東方の砂浜に霊亀が休みその背に弁財天が座っているのを見て、堂を建立したという。当初は天台宗だったが、1461年寛正2年)に浄土宗に改宗し、彰空宗永上人が堂宇を再興して西山派となる。

文明年間(1469年1486年)頃、本堂南側の墓地に徳川家康の大伯母であり、吉良義安夫人である矢田姫が埋葬される。1602年慶長7年)、本寺は家康より寺領36石を受ける。

1683年天和3年)建立の鐘楼門、1699年元禄12年)建立の山門、1851年嘉永4年)建立の大本堂、江戸時代中期建立の地蔵堂など、境内には江戸期の建造物が数多く存在する[2]

毎年、旧暦2月15日頃(3月の最終土・日曜日)に行われる涅槃会では、読経に合わせて笙・笛・太鼓などの管弦が奏される。この催しは江戸時代から「矢田のおかげん」として親しまれ、多くの露店が並び、参拝者で賑わう[2]。毎年8月24日の地蔵盆には「地蔵会」と呼ばれるお施餓鬼が行われる。

文化財

[編集]

以下のものが文化財に指定されている。絵画などは西尾市岩瀬文庫に寄託されている[3][4]

愛知県指定有形文化財

[編集]
指定名称 種別 時代 所在地
絹本著色楊柳観音像[注 1] 絵画 高麗時代 西尾市岩瀬文庫
絹本著色地蔵菩薩像 絵画 高麗時代 西尾市岩瀬文庫
雲版 工芸 1395年応永2年) 西尾市岩瀬文庫

西尾市指定有形文化財

[編集]
指定名称 種別 時代 所在地
養寿寺鐘楼門 建造物 1683年天和3年) 養寿寺
蓮鷺 絵画 室町時代 西尾市岩瀬文庫
天満宮御影 絵画 桃山時代 西尾市岩瀬文庫
寒山拾得 絵画 室町時代 西尾市岩瀬文庫
弥陀三尊
(阿弥陀三尊来迎図)
絵画 室町時代 西尾市岩瀬文庫
釈迦一尊 絵画 室町時代 西尾市岩瀬文庫
薬師如来
(薬師三尊十二神将図)
絵画 室町時代 西尾市岩瀬文庫
太子伝 典籍 1483年文明15年) 養寿寺

ギャラリー

[編集]

交通手段

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 名称は愛知県公式サイトの「文化財ナビ愛知」による[5]。「西尾市の文化財一覧」(西尾市サイト)には「絹本著色観音菩薩像」とある。

出典

[編集]
  1. ^ 観光情報詳細:養寿寺|愛知県観光ガイド
  2. ^ a b 養寿寺 - 西尾市役所
  3. ^ 県指定の文化財一覧”. 西尾市公式ウェブサイト (2021年4月27日). 2022年1月11日閲覧。
  4. ^ 市指定の文化財一覧”. 西尾市公式ウェブサイト (2021年8月11日). 2022年1月11日閲覧。
  5. ^ 絹本著色楊柳観音像”. 文化財ナビ愛知. 愛知県庁. 2021年1月12日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 『西尾市悉皆調査報告 二 社寺文化財(寺院建築Ⅰ)報告書』愛知県西尾市教育委員会、1997年3月25日、98-100頁。 

外部リンク

[編集]