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開端 (クルアーン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
開端
سورة الفاتحة
Al-Fatiha
アル・ファーティハ
開端
啓示 マッカ啓示
章題の意味 クルアーンの冒頭の序説[1]
詳細
スーラ 第1章
アーヤ 全7節
ジュズウ 1番
語数 29語
文字数 139文字
次スーラ 雌牛
سورة الفاتحة
سورة الفاتحة
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開端(アル=ファーティハ、Al-Fatiha)はクルアーンの最初のスーラで、マッカ時代最初期の啓示の一つである。アッラーの導きと支配、慈悲を称える7つのアーヤから構成される。このスーラは毎日の祈りサラートの最初の部分に使われる。ムスリムは1日に最低17回は開端を暗唱する。

開端章は、ファーティハ・アルキターブ(Fatiha al-Kitāb)とも呼ばれる(ファーティハは動詞「開く」の派生語)[2]

解釈

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ムスリムは、クルアーンはアッラーからアラビア語で与えられた啓示であると信じている。他の言語への翻訳は単に表面的な訳に過ぎず、真のクルアーンではないと考えている。

原語のアラビア語とその翻訳は以下のようになる。

1:1 بِسْمِ ٱللَّهِ ٱلرَّحْمَٰنِ ٱلرَّحِيمِ ۝

Bismillāhi r-raḥmāni r-raḥīm
神の御名の下に最高の慈悲を。

1:2 ٱلْحَمْدُ لِلَّهِ رَبِّ ٱلْعَٰلَمِينَۙ ۝

Al ḥamdu lillāhi rabbi l-'ālamīn
全ての感謝は世界の神アッラーただ一人へ。

1:3 ٱلرَّحْمَٰنِ ٱلرَّحِيمِۙ ۝

Ar-raḥmāni r-raḥīm
アッラーは最高の慈悲を持ち、

1:4 مَٰلِكِ يَوْمِ ٱلدِّينِۗ ۝

Māliki yawmi d-dīn
最後の審判の日の支配者である。

1:5 إِيَّاكَ نَعْبُدُ وَإِيَّاكَ نَسْتَعِينُۗ ۝

Iyyāka na'budu wa iyyāka nasta'īn
我々はあなたのみを崇拝し、あなたのみに助けを求める。

1:6 ٱهْدِنَا ٱلصِّرَٰطَ ٱلْمُسْتَقِيمَۙ ۝

Ihdinā ṣ-ṣirāṭa l-mustaqīm
我々全てを正しい道に導きたまえ。

1:7 صِرَاطَ الَّذِينَ أَنْعَمْتَ عَلَيْهِمْ غَيْرِ الْمَغْضُوبِ عَلَيْهِمْ وَلَا الضَّالِّينَ ۝

Ṣirāṭa l-ladīna an'amta 'alayhim ġayri l-maġḍūbi 'alayhim walā ḍḍāllīn
あなたの怒りを与えられた者や自分の道を見失った者ではなく、あなたの恩寵を授けられた者の道に。

備考

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"bismillāhir rahmānir rahīm"という最初の節(この節のことを「タスミ(tasmiyya)」と呼ぶことがある[2])は、ムスリム社会の至る所で見られるため、非アラビアの人にも馴染みがあるかもしれない。この節は、第9章を除くクルアーンの全ての章の冒頭に登場する。日常の祈りの際、全ての章の前に暗唱される他、神の祝福を得る手段として日常の様々な行動の前にも暗唱される。なお、この文はUnicodeにおいて、定型文の合字として登録されている:U+FDFD ﷽ 。

"ar rahmān"と"ar rahīm"という2語の言葉は、しばしば「慈悲深い」等と翻訳される。最上級で「最も慈悲深い」等と訳されることもある。前者は程度を表し、後者は時間を表す。

第2節のالحمد الله"(アルハムドゥリッラー)は、アラビア語で最も有名なフレーズの1つであり、個人の意志や幸福、不幸への慰めを意味する。この節には、神の2つの名前"الله"と"رب"の関係が出てくる点でも重要である。前者は神の遍在的な名前であり、後者はおおよそ英語のLordに相当するものである。どちらもヘブライ語の"rabbi"に由来する。この2語を全て赤字で印刷しているクルアーンもある。

第4節の最初の単語は、クルアーンの版によって異なっている。最もポピュラーなのは、「王」を意味する短いaの"maliki"か、「主人」を意味する長いaの"māliki"である。"maliki"も"māliki"も、どちらも同じセム語根に由来している。

第7節で、「あなたの怒りを与えられた者」という表現はユダヤ教、「自分の道を見失った者」という表現はキリスト教に取り入れられている。

統計

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このスーラには、7つの節、29語、139文字が含まれているが(第1節を除くと25語120文字)、Ibn Kathirは「開端は25語113文字からなっていると言われている」と語っている。これは、文字の数え方の違いによるものである。また、クルアーンは元々書かれたものではなく口承のものなので、英語と米語のような若干のスペルの違いがある。

重要性

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ハディースの中に「祈りの中に開端のスーラを入れない場合、その祈りは無効である」と書かれているため、多くのイスラム学者がこの節の重要性を強調している。実際には、伝統に則ったサラートを行うムスリムは最低でも1日17回は開端のスーラを唱えることになる。

13章(雷電)39節などにある「ウンム・アル=キターブ(umm al-kitāb)」という語は、字義通りに受け取ると、「書物の母」を意味するというが、この­第1章(開端)自体全体を指しているという指摘もある[3]

脚注

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  1. ^ 日本ムスリム情報事務所 聖クルアーン 開端 (アル・ファーティハ)
  2. ^ a b 吉村作治『コーランの奇蹟』p.98 (1983年1月、経済界 タツの本、ISBN 4766700716
  3. ^ 岩波イスラーム辞典「ウンム・アル=キターブ」

外部リンク

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