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山田スミ子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やまだ すみこ
山田 スミ子
本名 山田 壽美子
生年月日 (1945-05-25) 1945年5月25日
没年月日 (2019-02-12) 2019年2月12日(73歳没)
出生地 日本の旗 兵庫県西宮市
死没地 日本の旗 兵庫県
国籍 日本の旗 日本
血液型 O型
職業 俳優
ジャンル 舞台テレビドラマ
活動期間 1950年代 - 2019年
活動内容 吉本新喜劇劇団員
配偶者 独身
主な作品
バラエティー番組
花月爆笑劇場
あっちこっち丁稚

テレビドラマ
家政婦は見た!
カーネーション
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山田 スミ子(やまだ スミこ、1945年昭和20年〉5月25日 - 2019年平成31年〉2月12日[注 1])は、日本女優。本名:山田 壽美子[注 2]。身長155cm、血液型はO型。趣味はゴルフ英語。特技は日舞(深水流)。兵庫県西宮市出身[注 3]神戸海星女子学院高等学校卒業[2]。オールウェイズ所属[5]。元吉本興業所属。

人物・来歴

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幼い頃から劇場や映画館に良く連れられて出入りしていたことで、いつの間にか女優になりたいと夢見るようになったという[9]。その幼い頃から子役として宝塚映画製作所などで活動[1][注 4]

学生だった1963年頃より吉本新喜劇へ出演し[注 5]1968年4月に吉本新喜劇へ入団[注 6]花紀京岡八郎のマドンナ役を務め[注 7]1982年頃までレギュラー出演し、初の女座長も務めた。1982年には、第11回上方お笑い大賞金賞を受賞[3][5][6]

あっちこっち丁稚』での「あかんて言うてんのが、分からへんのんか〜!」「あかん言うてますのに、どないやねんな〜!」などとヒステリックなセリフを言い放ち[8]前田五郎をビンタするネタが定番だった(その際、木村明が赤い褌姿で舞台を平泳ぎしながら走り抜けるというシュールな演出も番組の名物となる)。また、夏休みには、木村が赤い褌の子どもたちを従えて登場する[注 8]演出も名物となっていった。

いわゆる「キレる芸風(キレ芸)」は、未知やすえに受け継がれていくことになる。

新喜劇時代には「山田が大声を張り上げると周りの役者がコケる」というギャグもあった[10]

やすきよ笑って日曜日』では、やすしの妻役として出演し、持ち前のツッコミ芸で圧倒。これが縁で『ザ・テレビ演芸』のアシスタントとして、病気療養中だった堀江しのぶのピンチヒッターも務めた。

新喜劇退団後は東京の事務所に所属して活動[8]。長年、『家政婦は見た!』にレギュラー出演していた。

2019年2月12日直腸がんのため死去[8][2]。73歳没[8][2][注 9]。生涯独身であった。最後の出演は2018年8月、大阪・新歌舞伎座に行われた舞台「コロッケ特別公演」であった[2][11]

社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている[12]

出演

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テレビドラマ

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NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京

WOWOW

映画

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CM

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舞台

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  • 氷川きよし特別公演「銭形平次 −きよしの平次 青春編−」(2011年6月21日-30日、明治座) - お類 役

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ 参考:
    • 生年月日…[1][2]
      • 生年をS24と記載…[3]
      • 生年を1950年と記載…[4]
      • 生年を1951年と記載…[5][6]
      • 年のみ伏せたうえで、5月25日と記載…[7]
    • 没年月日…[4][8]
  2. ^ 参考:
    • [2]
    • 一部資料では、次のように記載
      • 「山田純栄」[7]
      • 「山田 澄栄」(読みはヤマダ スミエ)と記載[3]
      • 「山田得津子」[9]
  3. ^ 参考:
    • 兵庫県西宮市出身と記載…[2]
    • 兵庫県西宮市生まれと記載…[1]
    • 兵庫県と記載…[5][6]
    • 一部資料では、大阪市と記載[7][3][9]
  4. ^ 参考:
    • 「宝塚映画の子役」と記載…[8]
    • 「子役として宝塚映画製作所などで活動。」と記載…[2]
  5. ^ 参考(吉本新喜劇への出演開始時期について):
    • 昭和38年(学生時代)頃と記載[7]
  6. ^ 参考:
    • 入団年月…[2]
      • S43.4と表記…[7] ※S43…昭和43年=1968年
      • 入団年…[1][8]
  7. ^ 花紀京や岡八郎のマドンナ役を務めたことは、次の資料を参照…[1][2][7][8]
  8. ^ 木村明は普段通り店の2階から階段を下りて登場するが、子どもたちは舞台の上手や下手から一斉に登場する。
  9. ^ 次の資料では、享年として記載…[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f コトバンク内プロフィールを参照。
  2. ^ a b c d e f g h i j TOWER RECORDS ONLINE内プロフィールを参照。
  3. ^ a b c d 吉本興業公式サイト内プロフィールを参照。
  4. ^ a b allcinema内プロフィールを参照。
  5. ^ a b c d オールウェイズ公式サイト内プロフィールを参照。
  6. ^ a b c ザテレビジョン・スタスケ内プロフィールを参照。
  7. ^ a b c d e f 吉本興業編『吉本新喜劇名場面集 1959-1989』(1989年、データハウス発行)より、「山田スミ子」プロフィールを参照。
  8. ^ a b c d e f g h 山田スミ子さんが死去、吉本新喜劇往年のマドンナ 日刊スポーツ 2019年(平成31年)3月5日23時31分配信・同3月6日閲覧
  9. ^ a b c 河北新報 1984年5月20日朝刊 20面「登場」コーナー
  10. ^ 竹中功、堰守、竹本浩三 著、吉本興業 編『吉本新喜劇名場面集 1959-1989』データハウス、1989年、136頁頁。 
  11. ^ 山田スミ子さん追悼「恐い存在でした」…新喜劇後輩・浅香あき恵/芸能/デイリースポーツ online 2019年3月6日配信
  12. ^ 一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構 放送番組に出演された山田スミ子様をさがしています

参考資料

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  • 吉本興業編『吉本新喜劇名場面集 1959-1989』(1989年、データハウス) ISBN 492444278X

外部リンク

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