コンテンツにスキップ

安広伴一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安廣伴一郎から転送)
安広伴一郎
安広伴一郎(1901年)

安広 伴一郎(やすひろ ばんいちろう、旧字体 安廣 伴󠄁一郞安政6年10月13日1859年11月7日) - 昭和26年(1951年5月27日)は、明治時代から昭和時代にかけて活躍した官僚政治家実業家内閣書記官長貴族院議員南満洲鉄道社長などを歴任した。号は竜峰。

経歴

[編集]

豊前国仲津郡出身。安広紫川の子[注 1]

村上仏山について儒学を修め、明治8年(1875年)上京して慶應義塾に入り、明治11年(1878年)に義塾から留学して香港中央書院に入学し、明治13年(1880年)5月に卒業。

帰国後、山縣有朋の知遇を得て、中山寛六郎の援助によりケンブリッジ大学に遊学して明治20年(1887年)法学士の学位を得た。明治21年(1888年)、第三高等中学校教員。明治23年(1890年)内閣書記官。内務省文部省逓信省を経て明治31年(1898年)11月、内閣書記官長(1900年10月まで在任)。明治33年(1900年)9月26日[1]貴族院勅選議員1915年(大正4年)6月22日、錦鶏間祗候となる[2]農商務総務長官製鉄所長官、法制局長官、内閣恩給局長を経て、大正5年(1916年)3月4日、枢密顧問官となり[3]、同月13日に貴族院議員を辞任した[4]。大正13年(1924年)6月、南満洲鉄道株式会社(満鉄)社長に就任し、昭和2年(1927年)7月まで務めた。

山縣有朋の側近中の側近の官僚として活躍し、白根専一小松原英太郎大浦兼武淸浦奎吾松平正直大森鍾一平田東助らと並んで「山県派四天王」の一人といわれた。

親族

[編集]

栄典

[編集]
位階
勲章等

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『人事興信録 初版』751頁では安広一郎長男。

出典

[編集]
  1. ^ 『官報』第5174号、明治33年9月28日。
  2. ^ 『官報』第867号、大正4年6月23日。
  3. ^ 『官報』第1076号、大正5年3月6日。
  4. ^ 『官報』第1083号、大正5年3月14日。
  5. ^ 『官報』第2529号「叙任及辞令」1891年12月3日。
  6. ^ 『官報』第4207号「叙任及辞令」1897年7月12日。
  7. ^ 『官報』第5210号「叙任及辞令」1900年11月12日。
  8. ^ 『官報』第8347号「叙任及辞令」1911年4月22日。
  9. ^ 『官報』第5243号「叙任及辞令」1900年12月21日。
  10. ^ 『官報』第6138号「叙任及辞令」1903年12月16日。
  11. ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
  12. ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
  13. ^ 『官報』第1310号・付録、「辞令」1916年12月13日。
  14. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  15. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

[編集]
公職
先代
岡野敬次郎
日本の旗 文官高等試験委員長
1908年 - 1911年
次代
岡野敬次郎
先代
藤田四郎
日本の旗 農商務総務長官
日本の旗 林野整理審査会会長

1901年 - 1903年
次代
和田彦次郎
先代
和田維四郎
日本の旗 製鉄所長官
1902年
次代
中村雄次郎