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夢見るシャンソン人形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルクセンブルクの旗 "Poupée de cire, poupée de son"
ユーロビジョン・ソング・コンテスト1965イタリアナポリ)でルクセンブルク代表として『夢見るシャンソン人形』を披露しグランプリを獲得したフランス・ギャル。リハーサル中にオーケストラとゲンズブールが衝突し、ゲンズブールが撤退も辞さないと言い出す修羅場があったため、彼女も精神的に不安定なままでの本番となった
ユーロビジョン・ソング・コンテスト1965エントリー曲
歌手
イザベル・ギャル
歌手名義
言語
作曲者
作詞者
セルジュ・ゲンスブール
指揮者
アラン・ゴラゲール
結果
決勝順位
1位
決勝ポイント
32ポイント
エントリー曲年表
◄ "Dès que le printemps revient" (1964)   
"Ce soir je t'attendais" (1966) ►
「夢見るシャンソン人形」
フランス・ギャルシングル
B面 ジャズる心
リリース
ジャンル イエイエ
レーベル フランスの旗 フィリップス・レコード
作詞・作曲 セルジュ・ゲンスブール
チャート最高順位
  • 1位(フランス、TMP Airplay Charts[2]
  • 1位(日本、ミュージック・マンスリー洋楽チャート、1965年当時[3]
フランス・ギャル シングル 年表
シャルマーニュ大王
(1964年)
夢見るシャンソン人形
(1965年)
涙のシャンソン日記
(1965年)
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夢見るシャンソン人形」(ゆめみるシャンソンにんぎょう、夢みるシャンソン人形フランス語原題:Poupée de cire, poupée de son)とは、セルジュ・ゲンスブールが作詞作曲したフランスポピュラー音楽である。

フランス・ギャルが最初に歌い、1965年ルクセンブルク代表として第10回ユーロビジョン・ソング・コンテストでグランプリを獲得したのをきっかけに、この歌は大ヒットしヨーロッパだけでなく中南米日本でも人気を博した[4]

ギャル盤は日本では1965年8月10日に発売され、1か月半足らずで20万枚を売り上げた[4]ビートルズエレキ・ブームの最中に大いに気を吐いた[4]

ギャルは岩谷時子の訳による日本語歌詞で本作を録音し日本でシングル(B面はクロード・フランソワの「ドナ・ドナ・ドーナ」日本語版)とEP盤を発売(フランス語オリジナルも収録)し、このバージョンも日本でヒットした[5]。またドイツ語イタリア語スペイン語の歌詞でも唄っている[4]。他にも数多くの言語やアーティストによるカバーが存在する。

ベートーヴェン作曲のピアノソナタ第1番第4楽章Prestissimoから、旋律の一部が取られている。

タイトル

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この歌のタイトルは「蝋と音の人形」と訳されることが多い。フランス語では前置詞de” の後ろに(広義の)物質名詞冠詞なしで置かれる場合、「de+名詞」は「素材・材料」を表す修飾句となるのが普通である。よって、前半の “poupée de cire” はまさに「蝋を材料とする人形、蝋人形」の意味であるが、後半の “poupée de son” は通常「音を材料とする人形」と解するわけにはいかず、また「音の人形、音の鳴る人形」という意味にはならない。「音の人形」(音の鳴る人形)という意味にするならば “son” に冠詞(通常、定冠詞)を付ける必要があり、つまり “poupée du son” であるが、実際のこの歌の題は冠詞なしの “poupée de son” であるのでこの場合、“son” は「音」ではなく同音異義語の「ぬか、もみ殻」、広くは「(人形等の詰め物に用いる)木くず」をも意味する。つまり、後半の “poupée de son” は「詰め物をした人形」のことである。よって、タイトル全体は直訳すると「蝋人形、詰め物をした人形」となる。ゲンスブールが、フランス語では「音」と「詰め物(または「もみ殻」)」が同じ “son” であることを利用して語呂合わせをしていると言える。

その後発売されたフランス・ギャルのベスト盤CDでの対訳は『蝋の人形、ヌカの人形』と表記されている。ギャルのシングル盤が日本で初めて発売された時に対訳を担当した蒲田耕二は “poupée de son” を「音を出す人形」と訳したが、刷り上がった歌詞カードには「フスマを詰めた人形」と差し替えられていたため、「アイドルがこんな歌詞をうたうのは、当時のレコード会社(日本の)にとって常識外だったのだろう」と解釈した[6]。「レコード歌手が自嘲気味にみずからを『音を出す人形』にたとえる歌詞も、大衆的ポップスというよりは、50年代左岸派シャンソンの感覚だ」とも、蒲田は評している(同書)。

ゲンスブールの歌詞とギャル

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歌詞の一部を見ると人生経験も浅く、年も若いアイドルが恋愛について歌うのを揶揄する内容の詞を綴ったものである。

ギャルに与えた歌におけるゲンズブールの作詞を詳しく考察すると、他にも皮肉や嫌味が入っている歌があり、時としてそれは悪意の領域にまで達している。1966年に、同じくゲンスブールがギャルに提供した「Les sucettes」(邦題:アニーとボンボン)が著しい。

後年、ギャルは1960年代では「蝋人形、詰め物人形」の歌詞やタイトルに込められていた二重の意味に気付かなかったと述べ、後年は本作より距離を置き、歌うこともなくなったという。

主なカバー

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各言語でのタイトル表記

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  • Io Sì, Tu No(イタリア語、「私はイエス、あなたはノー」)
  • Das war eine schöne Party(ドイツ語、「すばらしいパーティだった」)
  • Lonely Singing Doll(英語、「寂しい歌う人形」)
  • Muñeca De Cera(スペイン語、「蝋人形」)
  • Boneca de Cera, Boneca de Som(ポルトガル語、「蝋人形、音の人形」)
  • Lille Dukke(デンマーク語、「小さな人形」)
  • Det kan Väl Inte Jag Rå För(スウェーデン語、「しょうがない」)

日本以外のアーティスト

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日本のアーティスト

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オリジナルと同時期に発表(競作)

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  • 弘田三枝子(日本語詞:岩谷時子。1965年8月、シングル「夜の太陽」のB面)
  • 中尾ミエ(日本語詞:岩谷時子。1965年10月、シングル。1965年の『第16回NHK紅白歌合戦』で歌唱)
  • 中山千夏(日本語詞:岩谷時子。1965年11月、ソノシート
  • 越路吹雪(日本語詞:岩谷時子。1965年、アルバム『恋ごころ』に収録。ギャルや弘田・中尾らが歌唱したものとは一部の歌詞が異なる)
  • ミッチー・サハラ(日本語詞:岩谷時子。1966年1月、シングル「紅い、紅い花」のB面。後半部はフランス語で歌唱)
  • 伊東ゆかり(日本語詞:岩谷時子。1966年、アルバム『ゆかりのニュー・ヒット・パレード』に収録)

その後のカヴァー

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テレビ番組・CMへの起用

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その他

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脚注

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  1. ^ 45cat - France Gall - Poupée De Cire Poupée De Son / Le Coeur Qui Jazze - Philips - France - 373 524 BF
  2. ^ Top 10 France - 1965 Archives des tops 10(2016/11/3閲覧)
  3. ^ 『日経BPムック 大人のロック!特別編集 ザ・ビートルズ 世界制覇50年』日経BP社、2015年、32頁。ISBN 978-4-8222-7834-2
  4. ^ a b c d 「5カ国語に歌いわけ 各国でヒットするギャルのレコード」『朝日新聞』1965年9月21日付東京夕刊、10面。
  5. ^ 『僕たちの洋楽ヒット Vol.1 1965〜66』(ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル、BVC2-34001)ライナーノーツ、2頁。
  6. ^ 『聴かせてよ愛の歌を』p.205-206、清流出版2007年
  7. ^ Therion - Poupée de cire, poupée de son - YouTubeセリオンシンフォニックメタルバージョン
  8. ^ Jenifer - Poupée De Cire Poupée De Son - YouTubeジェニファー・バルトリのバージョン
  9. ^ MyMelody 〜夢見るシャンソン人形〜、サンリオピューロランド。(2015/2/21閲覧)
  10. ^ JUJU、セブン&ゴルチエのコラボブランドCMで名曲をフランス語カバー”. 音楽ナタリー (2015年10月1日). 2015年10月1日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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