厚岸町
あっけしちょう 厚岸町 | |||||
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愛冠岬と筑紫恋海岸(2015年9月) | |||||
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 北海道地方 | ||||
都道府県 | 北海道(釧路総合振興局) | ||||
郡 | 厚岸郡 | ||||
市町村コード | 01662-4 | ||||
法人番号 | 5000020016624 | ||||
面積 |
739.12km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
8,257人 [編集] (住民基本台帳人口、2024年9月30日) | ||||
人口密度 | 11.2人/km2 | ||||
隣接自治体 |
厚岸郡浜中町、釧路郡釧路町、川上郡標茶町 根室振興局:野付郡別海町 | ||||
町の木 | エゾヤマザクラ | ||||
町の花 | ヒオウギアヤメ | ||||
町の鳥 | オオセグロカモメ | ||||
厚岸町役場 | |||||
町長 | 若狹靖 | ||||
所在地 |
〒088-1192 北海道厚岸郡厚岸町真栄3丁目1 北緯43度03分07秒 東経144度50分50秒 / 北緯43.05197度 東経144.84728度座標: 北緯43度03分07秒 東経144度50分50秒 / 北緯43.05197度 東経144.84728度 厚岸町役場(2010年3月) | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
町名の由来
[編集]町名の由来は諸説あるが、いずれもアイヌ語に基づいている。有力な説は市街地の西にある現在のアツケシ沼でアットウシの原料となるオヒョウニレの皮を剥いだことに由来する「アッケウシイ(at-ke-us-i)」(オヒョウニレの皮・剥ぐ・いつもする・所)、あるいは「アッケシト(at-kes-to)」〔オヒョウニレ・下の・沼〕から転じたものとされている[2]。
このほか、アイヌ研究家のジョン・バチェラーが、「アッケシ[注 1]」をカキの意とする説を挙げているが[2][3]、町史では「一単語、一固有名詞が地名に転化する例はほとんど見あたらない、この説を採用したのは、厚岸のカキを宣伝するために用いたのではないだろうか」として否定している[2]。
地理
[編集]北海道の南東部に位置しており、天然の良港を形成している厚岸湾が深く入り込んで厚岸湖に通じている[4]。東西35.5 km、南北45.1 kmあり、釧路市から約48 km、根室市から約78 kmにある[5]。標高は156 mが最高であり[5]、60 m〜80 mの丘陵や湿原で覆われている。太平洋沿岸は奇岩に富んでおり、厚岸湾口には大黒島、小島がある[5]。大黒島はコシジロウミツバメやオオセグロカモメ、ウミウ、ケイマフリの生息地になっており、国の「天然記念物」に指定されているほか、「大黒島鳥獣保護区」と「厚岸・別寒辺牛霧多布鳥獣保護区」は国の「特別鳥獣保護区」に指定されている。また、厚岸湖と別寒辺牛は「厚岸湖・別寒辺牛湿原」として「ラムサール条約」登録湿地になっている[6]。厚岸町に隣接する釧路町から浜中町にかけてのエリアは「厚岸道立自然公園」になっている[7]。
自然
[編集]-
厚岸湖(2013年3月)
-
尻羽岬から見た大黒島(2013年3月)
-
厚岸湖の弁天島
気候
[編集]春は5月中旬頃になると晴天の日が続く[5]。6月から8月にかけてはこの地方特有の海霧が発生しやすく、低温雨霧の気候が続き涼しい夏となる[5]。秋は移動性高気圧のため秋晴れになるが、降雨時の雨量は多い[5]。冬は北西の風によって空気が乾燥する[5]。降雪の時期は比較的遅く積雪量も少ないが、地表の凍結が甚だしい[5]。
太田(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 7.9 (46.2) |
12.3 (54.1) |
15.4 (59.7) |
24.7 (76.5) |
34.6 (94.3) |
32.2 (90) |
33.2 (91.8) |
34.7 (94.5) |
31.6 (88.9) |
24.4 (75.9) |
20.1 (68.2) |
12.9 (55.2) |
34.7 (94.5) |
平均最高気温 °C (°F) | −1.5 (29.3) |
−1.2 (29.8) |
2.6 (36.7) |
8.4 (47.1) |
13.5 (56.3) |
16.5 (61.7) |
20.2 (68.4) |
22.0 (71.6) |
19.9 (67.8) |
14.7 (58.5) |
8.2 (46.8) |
1.4 (34.5) |
10.4 (50.7) |
日平均気温 °C (°F) | −5.8 (21.6) |
−5.6 (21.9) |
−1.6 (29.1) |
3.5 (38.3) |
8.3 (46.9) |
11.9 (53.4) |
15.8 (60.4) |
17.7 (63.9) |
15.4 (59.7) |
10.0 (50) |
3.6 (38.5) |
−3.0 (26.6) |
5.8 (42.4) |
平均最低気温 °C (°F) | −10.7 (12.7) |
−10.7 (12.7) |
−6.0 (21.2) |
−0.9 (30.4) |
3.8 (38.8) |
8.2 (46.8) |
12.6 (54.7) |
14.5 (58.1) |
11.4 (52.5) |
4.9 (40.8) |
−1.3 (29.7) |
−7.8 (18) |
1.5 (34.7) |
最低気温記録 °C (°F) | −23.3 (−9.9) |
−24.2 (−11.6) |
−19.5 (−3.1) |
−9.9 (14.2) |
−5.1 (22.8) |
−1.0 (30.2) |
4.4 (39.9) |
5.0 (41) |
2.1 (35.8) |
−4.2 (24.4) |
−13.0 (8.6) |
−18.0 (−0.4) |
−24.2 (−11.6) |
降水量 mm (inch) | 39.7 (1.563) |
26.3 (1.035) |
58.4 (2.299) |
86.1 (3.39) |
114.9 (4.524) |
122.8 (4.835) |
130.7 (5.146) |
154.3 (6.075) |
185.4 (7.299) |
131.5 (5.177) |
79.8 (3.142) |
65.5 (2.579) |
1,195.2 (47.055) |
降雪量 cm (inch) | 91 (35.8) |
79 (31.1) |
91 (35.8) |
34 (13.4) |
1 (0.4) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
9 (3.5) |
72 (28.3) |
370 (145.7) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 6.2 | 5.2 | 8.0 | 9.4 | 10.3 | 10.1 | 11.4 | 12.5 | 12.1 | 9.7 | 8.9 | 7.7 | 111.6 |
平均月間日照時間 | 184.6 | 171.5 | 189.3 | 174.2 | 172.6 | 133.4 | 113.5 | 120.8 | 141.7 | 171.5 | 167.9 | 168.2 | 1,914.9 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[8] |
人口
[編集]厚岸町の人口は1960年(昭和35年)の「国勢調査」で20,185人に達したが、その後は減少を続けて2010年(平成22年)の「国勢調査」には10,630人とほぼ半減した[9]。
厚岸町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 厚岸町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 厚岸町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
厚岸町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
消滅集落
[編集]2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている[10]。
歴史
[編集]町内にある遺跡からは縄文時代の前期または中期の住居跡が見つかっており、約6,000年前から人々がこの地に暮らし続けてきたことを示している[11]。
江戸時代には、各所にアイヌが集落を形成して暮らしていたことが松浦武四郎をはじめ、和人によるさまざまな記録に記されている[12]。
厚岸の名前が初めて文献に登場するのは、寛永年間に松前藩が「アッケシ場所」を開設したという記事が残っているが、厚岸に暮らす人々について記されたもっとも古い記録は、オランダの国立総合公文書館に眠っていた。寛永20年(1643年)オランダ東インド会社所属のマルチン・ゲルリッツエン・フリース艦長率いるカストリクム号が厚岸に寄港し、当時の厚岸の様子を航海記録に残したものである。
厚岸は天然の良港にオランダの船、ロシア船, オーストラリア船やフランス船などの外国船が度々訪れて諸外国との接点になっていたほか、豊かな海の資源を拠り所とするアイヌと和人の交易の場、松前、箱館(函館)と根室、千島との中継地としての役割があった[11]。
蝦夷三官寺の一つである国泰寺が1804年に建立されたことでも知られる。
和人が早い時期に来住したことから、本州の文化が早い時期に伝わった。そういったことで、この地域のアイヌに南部藩の神楽が伝わり、それが独自の演目を加え、「アイヌ神楽」という名前で呼ばれ、有名になった[13]。
年表
[編集]「歴史年表」参照[14]
- 1643年(寛永20年):オランダ東インド会社所属の航海士、マルチン・ゲルリッツエン・フリース率いる探検船「カストリクム号」が厚岸湾に寄港、8月15日から9月2日までの18日間滞在。アイヌのエカシ、ノイアサック、住民等と交流。薪や水を補給し、湾内などを測量、記録に残す。
- 1701年(元禄14年):アッケシ場所分割し、「キイタップ場所」(現在の浜中町)開設。
- 1702年(元禄15年):飛騨屋久兵衛が厚岸などでエゾマツ山開発。
- 1779年 :ロシア人イワン・アンチーピンが上陸。
- 1789年(寛政元年):「クナシリ・メナシの戦い」起こる。
- 1791年(寛政 3年):松前藩が勤場所を設置し、最上徳内が神明宮(厚岸神社の前身)創建。
- 1799年(寛政11年):東蝦夷地が江戸幕府の直轄となり、官船「政徳丸」厚岸入港。
- 1800年(寛政12年):伊能忠敬が東蝦夷地測量のため厚岸滞在。
- 1804年(文化元年): 幕府が「蝦夷三官寺」設置決定(国泰寺創建)。
- 1821年(文政 4年):東蝦夷地が再び松前藩の支配となる。
- 1831年(天保 2年):オーストラリアの捕鯨船「レディ・ロウエナ号」乗組員と詰合や足軽が交戦。
- 1843年(天保14年):大きな地震と津波発生(『日鑑記』に記載)。
- 1844年(天保15年):北方警備のため台場設置。
- 1850年(嘉永 3年):オーストラリアの捕鯨船「イーモント号」が末広沖で難破。
- 1855年(安政 2年):東蝦夷地が再び幕府直轄になり、箱館奉行の管轄となる。
- 1859年(安政 6年):厚岸が仙台藩の領となる。
- 1869年(明治 2年):蝦夷地を北海道と改め、11国86郡定める(釧路国厚岸郡設置)。北海道の分領支配により佐賀藩が支配(1871年終了)。
- 1872年(明治 5年):根室出張開拓使庁の管轄となる。厚岸海関所設置(後の厚岸船改所、1887年廃止)。開拓使官舎を転用した「厚岸病院」設置(町立厚岸病院の前身)[15]。
- 1873年(明治 6年):根室支庁厚岸出張所設置(1876年に厚岸分署と改称)。
- 1879年(明治12年):「郡区町村編制法」により根室支庁厚岸分署廃止し、厚岸郡役所設置(厚岸、釧路、白糠、阿寒、足寄、上川、網尻の7郡管轄し、3ヵ所の戸長役場設置。ただし、厚岸区域は直轄)。
- 1881年(明治14年):落石村、昆布森村が根室国花咲郡に編入。
- 1882年(明治15年):開拓使廃止。根室県の管轄となる(三県一局時代)。
- 1886年(明治19年):3県廃止して札幌に北海道庁設置し、根室支庁の管轄となる。
- 1890年(明治23年):厚岸郡に太田村設置し、戸長役場置く。諸県の士族(440戸)が屯田兵として入地。大黒島に灯台(厚岸灯台)設置。
- 1891年(明治24年):釧路郡役所に厚岸郡役所が併合し、湾月町ほか3町7村戸長役場設置。
- 1900年(明治33年):1級町村制施行。4町7村が合併した厚岸町となる。
- 1914年(大正 3年):厚岸—根室間で旅客自動車不定期運転開始(北海道内でのバス事業の始まりと言われる)。
- 1917年(大正 6年):釧路—厚岸間鉄道開通(1921年に根室まで開通)。
- 1923年(大正12年):太田村が2級町村制施行。
- 1928年(昭和 3年):本町地区と真竜地区を結ぶ町営渡船開始。
- 1931年(昭和 6年):北海道帝国大学理学部附属厚岸臨海実験所(現在の北海道大学北方生物圏フィールド科学センター 厚岸臨海実験所)開設。
- 1944年(昭和19年):大日本帝国海軍大湊警備府厚岸防備隊開隊(1945年廃止)。
- 1945年(昭和20年):アメリカ軍による空襲を受ける(北海道空襲)。
- 1951年(昭和26年):「大黒島海鳥繁殖地」が国の「天然記念物」指定。
- 1952年(昭和27年):「十勝沖地震」発生し、津波観測。
- 1955年(昭和30年):太田村南半分(本村地区)を編入合併。「厚岸道立自然公園」指定。
- 1959年(昭和34年):日本道路公団による厚岸フェリー開通し、「厚岸丸」就航(1972年廃止)。
- 1960年(昭和35年):「チリ地震」による津波来襲。
- 1972年(昭和47年):厚岸大橋完成。
- 1973年(昭和48年):「国泰寺跡」が国の「史跡」指定。
- 1974年(昭和49年):釧路東部消防組合設立。
- 1982年(昭和57年):オーストラリア、タスマニア州クラレンスと「姉妹都市」提携。
- 1991年(平成 3年):山形県村山市と「友好都市」提携。
- 1992年(平成 4年):「正行寺本堂」が国の「文化財」指定。
- 1993年(平成 5年):「釧路沖地震」発生。厚岸湖、別寒辺牛湿原が「ラムサール条約」登録湿地認定。
- 1994年(平成 6年):「北海道東方沖地震」発生。釧路湿原、霧多布湿原、厚岸湖・別寒辺牛湿原がオーストラリアニューサウスウェールズ州のクーラガング湿地及びその周辺湿地と「姉妹湿地」提携[16]。
- 1996年(平成 8年):厚岸町きのこ菌床センター完成。
- 1999年(平成11年):厚岸町カキ種苗センター完成(翌年にシングルシード方式のカキ初出荷)。
- 2003年(平成15年):釧路太田農業協同組合が厚岸農業協同組合と合併し、新・釧路太田農業協同組合誕生。「十勝沖地震」発生し、津波観測。
- 2005年(平成17年):「国泰寺日鑑記」などが「蝦夷三官寺関係資料」として国の「重要文化財」指定。
- 2009年(平成21年):北海道厚岸水産高等学校と北海道厚岸潮見高等学校が統合し、北海道厚岸翔洋高等学校開校。
- 2011年(平成23年):「東日本大震災」発生し、津波観測。
- 2015年(平成27年):公式キャラクター「うみえもん」誕生。
- 2018年(平成30年):床潭線(くしろバス)と患者輸送バス(厚岸町)を廃止し、郊外部と市街地を結ぶデマンドバスの運行を開始[17]。
- 2023年(令和5年)4月1日:町内に初めてヒグマ注意報が発出(注意報等の制度は前年より北海道庁が始めたもの)。同年4月30日に解除[18]。
姉妹都市・提携都市
[編集]姉妹都市
友好都市
行政
[編集]役場
- 厚岸町役場
- 湖南地区出張所、上尾幌駐在所
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
---|---|---|---|
1 | 石黒康次 | 1900年(明治33年)10月15日 | 1902年(明治35年)7月 |
2 | 宮城野勇太郎 | 1902年(明治35年)7月 | 1903年(明治36年)3月9日 |
3 | 中村高義 | 1903年(明治36年)6月18日 | 1904年(明治37年)1月19日 |
4 | 村山儀七 | 1904年(明治37年)3月20日 | 1904年(明治37年)12月 |
5 | 鈴木俊像 | 1905年(明治38年)2月 | 1911年(明治44年)2月17日 |
6 | 末松茂 | 1911年(明治44年)6月28日 | 1914年(大正3年)3月 |
7 | 村林謙吉 | 1915年(大正4年)1月7日 | 1916年(大正5年)3月24日 |
8 | 金幹太郎 | 1916年(大正5年)4月 | 1919年(大正8年)1月24日 |
9 | 今野良治 | 1919年(大正8年)8月16日 | 1923年(大正12年)8月15日 |
10-12 | 子野日弘毅 | 1923年(大正12年)12月6日 | 1935年(昭和10年)11月30日 |
13 | 斎藤斎市 | 1936年(昭和11年) | 1944年(昭和19年)1月 |
14 | 西田健次 | 1944年(昭和19年)2月17日 | 1946年(昭和21年)3月14日 |
15-16 | 土岐紀文 | 1947年(昭和22年)4月15日 | 1951年(昭和26年)12月24日 |
17-19 | 岸田利雄 | 1952年(昭和27年)2月10日 | 1963年(昭和38年)4月15日 |
20 | 斎藤信男 | 1963年(昭和38年)5月1日 | 1965年(昭和40年)5月13日 |
21-23 | 村上忠次 | 1965年(昭和40年)7月14日 | 1977年(昭和52年)7月12日 |
24-26 | 菅原邦夫 | 1977年(昭和52年)7月13日 | 1989年(平成元年)7月12日 |
27-29 | 澤田昭夫 | 1989年(平成元年)7月13日 | 2001年(平成13年)7月12日 |
30-34 | 若狭靖 | 2001年(平成13年)7月13日 | (現職) |
議会
[編集]- 議員定数:13人
- 定例会(3月、6月、9月、12月)
- 臨時会
- 委員会
- 常任委員会
- 総務産業常任委員会
- 厚生文教常任委員会
- 議会運営委員会
- 特別委員会
- 常任委員会
官公署
[編集]国の機関
道の機関
独立行政法人
公共施設
[編集]スポーツ施設
- 厚岸町温水プール
- 宮園公園テニスコート
- 宮園公園野球場
- 宮園公園スケートリンク場
- 宮園公園野球広場
- 宮園公園パークゴルフ場
- 宮園公園ゲートボール場
- 厚岸町B&G海洋センター
- 厚岸町勤労者体育センター
- 上尾幌学び山公園パークゴルフ場
公的機関
[編集]警察
- 厚岸警察署
- 署所在地交番、本町交番、尾幌駐在所
-
厚岸警察署(2010年3月)
消防
- 釧路東部消防組合消防本部・厚岸消防署
- 上尾幌分遣所
医療
- 町立厚岸病院
教育
[編集]大学(研究施設)
[編集]高等学校
[編集]※以下は廃校
- 北海道厚岸女子高等学校(1943年 厚岸水産高へ統合)
- 北海道厚岸水産高等学校(2009年 統合により厚岸翔洋高へ統合)
- 北海道厚岸潮見高等学校(2011年 同上)
中学校
[編集]- 厚岸町立厚岸中学校
- 厚岸町立真龍中学校
- 厚岸町立太田中学校
※以下は廃校
- 厚岸町立門静中学校(1958年 真龍中へ統合)
- 厚岸町立苫多中学校(同上)
- 厚岸町立床潭中学校(1959年 厚岸中へ統合)
- 厚岸町立末広中学校(同上)
- 厚岸町立糸井沢中学校(1963年 真龍中へ統合)
小中学校
[編集]- 厚岸町立高知小中学校(2018年 小学校休校、翌年 中学校休校)
※以下は廃校
- 厚岸町立小島小中学校(1975年)
- 厚岸町立トライベツ小中学校(1977年 高知小中へ統合)
- 厚岸町立尾幌小中学校(2009年 真龍小・中へ統合)
- 厚岸町立上尾幌小中学校(同上)
- 厚岸町立片無去小中学校(2012年 太田小・中へ統合)
小学校
[編集]- 厚岸町立厚岸小学校
- 厚岸町立真龍小学校
- 厚岸町立太田小学校
※以下は廃校
- 厚岸町立苫多小学校(1970年 統合により厚静小へ)
- 厚岸町立門静小学校(同上)
- 厚岸町立末広小学校(1990年 床譚小へ統合)
- 厚岸町立厚静小学校(2008年 真龍小へ統合)
- 厚岸町立糸魚沢小学校(1999年 休校、2009年 真龍小へ統合)
- 厚岸町立床潭小学校(2017年 厚岸小へ統合)
保育所・幼稚園
[編集]- 厚岸町立真竜保育所
- 厚岸町立宮園保育所
- 厚岸町立太田へき地保育所
- 厚岸カトリック幼稚園
- 厚岸さくら幼稚園
学校教育以外の施設
[編集]- 厚岸町職業訓練センター
児童・生徒数の推移
[編集]年度 | 児童数(小学校) | 生徒数(中学校) | |||||||||||||||||||||||||||||
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厚岸 | 真龍 | 太田 | 高知 | 床潭 | 片無去 | 上尾幌 | 尾幌 | 厚静 | 糸魚沢 | 末広 | トライベツ | 小島 | 門静 | 苫多 | 合計 | 厚岸 | 真龍 | 太田 | 高知 | 片無去 | 上尾幌 | 尾幌 | トライベツ | 小島 | 糸魚沢 | 床潭 | 末広 | 苫多 | 門静 | 合計 | |
1956(昭和31)年度 | 888 | 626 | 180 | 45 | 158 | 31 | 346 | 223 | 80 | 87 | 42 | 22 | 61 | 59 | 2,848 | 457 | 283 | 99 | 18 | 27 | 162 | 101 | 15 | 6 | 34 | 84 | 58 | 30 | 21 | 1,395 | |
1957(昭和32)年度 | 979 | 689 | 165 | 56 | 182 | 46 | 378 | 219 | 90 | 82 | 43 | 22 | 65 | 59 | 3,075 | 413 | 272 | 80 | 18 | 22 | 147 | 94 | 12 | 8 | 25 | 67 | 54 | 33 | 16 | 1,261 | |
1958(昭和33)年度 | 1,113 | 749 | 172 | 55 | 209 | 48 | 369 | 220 | 94 | 85 | 43 | 19 | 70 | 61 | 3,307 | 370 | 292 | 85 | 17 | 19 | 147 | 87 | 14 | 8 | 25 | 63 | 52 | 25 | 閉校 | 1,204 | |
1959(昭和34)年度 | 1,117 | 771 | 184 | 56 | 213 | 48 | 421 | 217 | 86 | 82 | 51 | 20 | 77 | 55 | 3,398 | 488 | 316 | 80 | 15 | 10 | 125 | 56 | 14 | 10 | 23 | 閉校 | 閉校 | 閉校 | 1,137 | ||
1960(昭和35)年度 | 1,157 | 765 | 180 | 55 | 225 | 45 | 398 | 208 | 88 | 81 | 47 | 16 | 85 | 53 | 3,403 | 547 | 346 | 80 | 21 | 16 | 141 | 93 | 20 | 10 | 27 | 1,301 | |||||
1961(昭和36)年度 | 1,124 | 719 | 169 | 54 | 236 | 50 | 347 | 211 | 72 | 79 | 50 | 17 | 87 | 50 | 3,265 | 644 | 428 | 82 | 24 | 16 | 162 | 99 | 22 | 11 | 25 | 1,513 | |||||
1962(昭和37)年度 | 1,056 | 695 | 177 | 46 | 238 | 50 | 346 | 197 | 68 | 67 | 51 | 14 | 86 | 43 | 3,134 | 654 | 461 | 89 | 27 | 15 | 195 | 113 | 25 | 10 | 23 | 1,612 | |||||
1963(昭和38)年度 | 1,033 | 669 | 156 | 36 | 226 | 52 | 322 | 192 | 61 | 65 | 54 | 13 | 80 | 43 | 3,002 | 688 | 478 | 90 | 25 | 16 | 193 | 112 | 21 | 9 | 9 | 1,641 | |||||
1964(昭和39)年度 | 951 | 661 | 149 | 32 | 219 | 48 | 290 | 191 | 59 | 58 | 50 | 12 | 74 | 40 | 2,832 | 728 | 478 | 83 | 22 | 18 | 179 | 114 | 16 | 8 | 閉校 | 1,646 | |||||
1965(昭和40)年度 | 909 | 619 | 151 | 34 | 206 | 39 | 191 | 180 | 59 | 48 | 36 | 11 | 73 | 36 | 2,562 | 714 | 462 | 84 | 19 | 21 | 141 | 104 | 20 | 8 | 1,573 | ||||||
1966(昭和41)年度 | 882 | 624 | 131 | 33 | 204 | 37 | 165 | 153 | 49 | 43 | 40 | 12 | 77 | 32 | 2,482 | 703 | 435 | 70 | 18 | 23 | 132 | 99 | 13 | 6 | 1,499 | ||||||
1967(昭和42)年度 | 893 | 656 | 122 | 34 | 188 | 38 | 158 | 162 | 50 | 36 | 33 | 10 | 70 | 22 | 2,472 | 637 | 406 | 79 | 21 | 24 | 118 | 89 | 11 | 8 | 1,393 | ||||||
1968(昭和43)年度 | 924 | 652 | 111 | 33 | 174 | 33 | 136 | 142 | 41 | 33 | 32 | 8 | 74 | 20 | 2,413 | 570 | 392 | 72 | 23 | 22 | 111 | 81 | 10 | 5 | 1,286 | ||||||
1969(昭和44)年度 | 923 | 676 | 105 | 29 | 175 | 32 | 104 | 129 | 開校 | 36 | 35 | 23 | 10 | 73 | 16 | 2,366 | 547 | 387 | 66 | 16 | 21 | 95 | 75 | 18 | 7 | 1,232 | |||||
1970(昭和45)年度 | 938 | 680 | 103 | 29 | 155 | 30 | 93 | 116 | 84 | 33 | 38 | 23 | 8 | 閉校 | 閉校 | 2,330 | 522 | 374 | 61 | 12 | 20 | 83 | 82 | 17 | 3 | 1,174 | |||||
1971(昭和46)年度 | 915 | 672 | 93 | 22 | 154 | 31 | 86 | 109 | 81 | 33 | 35 | 13 | 9 | 2,253 | 512 | 349 | 62 | 18 | 16 | 69 | 77 | 18 | 3 | 1,124 | |||||||
1972(昭和47)年度 | 884 | 681 | 84 | 17 | 135 | 29 | 76 | 103 | 73 | 31 | 35 | 8 | 7 | 2,163 | 531 | 362 | 57 | 18 | 15 | 59 | 72 | 14 | 2 | 1,130 | |||||||
1973(昭和48)年度 | 880 | 648 | 73 | 15 | 126 | 28 | 70 | 83 | 78 | 28 | 29 | 6 | 6 | 1,990 | 543 | 391 | 51 | 13 | 17 | 48 | 74 | 12 | 3 | 1,152 | |||||||
1974(昭和49)年度 | 775 | 668 | 71 | 15 | 114 | 25 | 60 | 78 | 68 | 31 | 25 | 3 | 4 | 1,937 | 541 | 392 | 45 | 9 | 16 | 48 | 66 | 10 | 2 | 1,129 | |||||||
1975(昭和50)年度 | 736 | 678 | 71 | 14 | 106 | 23 | 65 | 70 | 67 | 34 | 24 | 3 | 閉校 | 1,891 | 521 | 376 | 39 | 9 | 15 | 40 | 52 | 3 | 閉校 | 1,055 | |||||||
1976(昭和51)年度 | 697 | 701 | 62 | 14 | 100 | 18 | 70 | 76 | 56 | 33 | 23 | 2 | 1,852 | 499 | 346 | 41 | 8 | 13 | 39 | 36 | 2 | 984 | |||||||||
1977(昭和52)年度 | 670 | 718 | 61 | 11 | 96 | 16 | 59 | 72 | 48 | 31 | 25 | 閉校 | 1,787 | 493 | 351 | 39 | 10 | 15 | 38 | 31 | 閉校 | 977 | |||||||||
1978(昭和53)年度 | 637 | 708 | 60 | 12 | 101 | 14 | 60 | 68 | 44 | 27 | 26 | 1,757 | 450 | 380 | 35 | 8 | 14 | 36 | 36 | 959 | |||||||||||
1979(昭和54)年度 | 627 | 697 | 58 | 12 | 96 | 14 | 65 | 68 | 36 | 31 | 29 | 1,733 | 400 | 382 | 30 | 9 | 9 | 28 | 36 | 894 | |||||||||||
1980(昭和55)年度 | 608 | 681 | 59 | 10 | 93 | 18 | 58 | 66 | 35 | 30 | 28 | 1,686 | 370 | 392 | 27 | 8 | 8 | 23 | 36 | 864 | |||||||||||
1981(昭和56)年度 | 585 | 689 | 59 | 10 | 93 | 18 | 53 | 61 | 37 | 21 | 27 | 1,653 | 361 | 365 | 27 | 8 | 7 | 23 | 26 | 817 | |||||||||||
1982(昭和57)年度 | 568 | 682 | 56 | 11 | 95 | 21 | 49 | 50 | 42 | 22 | 23 | 1,618 | 366 | 386 | 30 | 5 | 8 | 29 | 38 | 862 | |||||||||||
1983(昭和58)年度 | 554 | 669 | 55 | 12 | 94 | 19 | 49 | 44 | 48 | 22 | 20 | 1,586 | 365 | 385 | 30 | 4 | 9 | 32 | 35 | 860 | |||||||||||
1984(昭和59)年度 | 527 | 644 | 57 | 9 | 91 | 22 | 40 | 39 | 54 | 22 | 15 | 1,520 | 349 | 397 | 31 | 3 | 8 | 33 | 37 | 858 | |||||||||||
1985(昭和60)年度 | 505 | 611 | 57 | 12 | 92 | 22 | 38 | 38 | 65 | 21 | 12 | 1,473 | 345 | 380 | 30 | 4 | 7 | 33 | 38 | 837 | |||||||||||
1986(昭和61)年度 | 502 | 556 | 56 | 14 | 88 | 16 | 33 | 34 | 64 | 13 | 11 | 1,387 | 332 | 382 | 30 | 6 | 10 | 29 | 27 | 816 | |||||||||||
1987(昭和62)年度 | 469 | 584 | 58 | 13 | 83 | 18 | 29 | 40 | 56 | 13 | 9 | 1,372 | 319 | 346 | 27 | 6 | 10 | 24 | 24 | 756 | |||||||||||
1988(昭和63)年度 | 478 | 588 | 54 | 13 | 76 | 12 | 30 | 41 | 47 | 11 | 10 | 1,360 | 301 | 346 | 26 | 6 | 14 | 17 | 22 | 732 | |||||||||||
1989(平成元)年度 | 451 | 574 | 52 | 18 | 69 | 12 | 24 | 43 | 47 | 9 | 8 | 1,307 | 295 | 315 | 26 | 5 | 10 | 16 | 20 | 687 | |||||||||||
1990(平成2)年度 | 443 | 545 | 47 | 19 | 64 | 10 | 29 | 38 | 47 | 6 | 閉校 | 1,248 | 275 | 299 | 30 | 4 | 12 | 10 | 21 | 651 | |||||||||||
1991(平成3)年度 | 411 | 534 | 41 | 22 | 56 | 12 | 28 | 40 | 47 | 7 | 1,198 | 273 | 282 | 32 | 6 | 5 | 11 | 20 | 629 | ||||||||||||
1992(平成4)年度 | 408 | 523 | 40 | 19 | 54 | 14 | 24 | 38 | 38 | 4 | 1,162 | 257 | 294 | 31 | 8 | 4 | 10 | 17 | 621 | ||||||||||||
1993(平成5)年度 | 401 | 491 | 37 | 17 | 55 | 10 | 23 | 42 | 35 | 4 | 1,115 | 240 | 278 | 29 | 10 | 6 | 12 | 19 | 594 | ||||||||||||
1994(平成6)年度 | 398 | 474 | 39 | 19 | 55 | 10 | 20 | 42 | 41 | 4 | 1,102 | 235 | 269 | 23 | 6 | 7 | 13 | 23 | 576 | ||||||||||||
1995(平成7)年度 | 371 | 445 | 35 | 13 | 62 | 11 | 16 | 46 | 39 | 4 | 1,042 | 220 | 262 | 22 | 10 | 8 | 13 | 24 | 559 | ||||||||||||
1996(平成8)年度 | 363 | 420 | 37 | 14 | 64 | 9 | 12 | 48 | 42 | 3 | 1,012 | 223 | 266 | 21 | 10 | 6 | 16 | 22 | 564 | ||||||||||||
1997(平成9)年度 | 355 | 382 | 35 | 13 | 67 | 8 | 10 | 52 | 46 | 3 | 971 | 206 | 254 | 20 | 14 | 5 | 13 | 20 | 532 | ||||||||||||
1998(平成10)年度 | 329 | 373 | 33 | 14 | 70 | 9 | 11 | 48 | 54 | 3 | 944 | 211 | 233 | 21 | 12 | 5 | 12 | 18 | 512 | ||||||||||||
1999(平成11)年度 | 311 | 359 | 43 | 14 | 69 | 10 | 13 | 42 | 54 | 休校 | 915 | 207 | 213 | 21 | 10 | 4 | 9 | 24 | 488 | ||||||||||||
2000(平成12)年度 | 293 | 355 | 44 | 15 | 66 | 11 | 8 | 40 | 56 | 888 | 204 | 199 | 20 | 7 | 6 | 14 | 23 | 473 | |||||||||||||
2001(平成13)年度 | 272 | 345 | 44 | 11 | 59 | 11 | 8 | 30 | 55 | 835 | 207 | 198 | 16 | 7 | 6 | 11 | 28 | 473 | |||||||||||||
2002(平成14)年度 | 248 | 333 | 44 | 11 | 58 | 12 | 7 | 30 | 49 | 792 | 207 | 206 | 15 | 6 | 5 | 7 | 24 | 470 | |||||||||||||
2003(平成15)年度 | 227 | 331 | 47 | 10 | 52 | 11 | 5 | 21 | 42 | 746 | 208 | 196 | 15 | 7 | 4 | 4 | 25 | 459 | |||||||||||||
2004(平成16)年度 | 213 | 315 | 46 | 8 | 48 | 10 | 3 | 17 | 34 | 694 | 178 | 209 | 18 | 7 | 2 | 4 | 17 | 433 | |||||||||||||
2005(平成17)年度 | 213 | 308 | 39 | 10 | 36 | 13 | 3 | 14 | 26 | 662 | 158 | 188 | 28 | 7 | 2 | 4 | 16 | 403 | |||||||||||||
2006(平成18)年度 | 202 | 297 | 36 | 9 | 38 | 12 | 5 | 13 | 22 | 634 | 140 | 190 | 27 | 5 | 4 | 2 | 13 | 381 | |||||||||||||
2007(平成19)年度 | 195 | 294 | 28 | 9 | 33 | 12 | 3 | 13 | 15 | 602 | 129 | 181 | 28 | 5 | 5 | 3 | 9 | 360 | |||||||||||||
2008(平成20)年度 | 183 | 286 | 29 | 9 | 28 | 13 | 2 | 10 | 閉校 | 閉校 | 560 | 118 | 182 | 17 | 5 | 5 | 3 | 8 | 338 | ||||||||||||
2009(平成21)年度 | 180 | 287 | 26 | 6 | 23 | 12 | 閉校 | 閉校 | 534 | 110 | 188 | 19 | 6 | 4 | 閉校 | 閉校 | 327 | ||||||||||||||
2010(平成22)年度 | 167 | 302 | 26 | 6 | 24 | 10 | 535 | 104 | 164 | 16 | 5 | 4 | 293 | ||||||||||||||||||
2011(平成23)年度 | 141 | 309 | 21 | 6 | 24 | 6 | 507 | 108 | 153 | 20 | 8 | 8 | 297 | ||||||||||||||||||
2012(平成24)年度 | 136 | 310 | 22 | 9 | 21 | 閉校 | 498 | 104 | 144 | 25 | 6 | 閉校 | 279 | ||||||||||||||||||
2013(平成25)年度 | 135 | 295 | 24 | 8 | 22 | 484 | 109 | 151 | 20 | 6 | 286 | ||||||||||||||||||||
2014(平成26)年度 | 144 | 311 | 23 | 7 | 18 | 503 | 84 | 149 | 13 | 4 | 250 | ||||||||||||||||||||
2015(平成27)年度 | 142 | 292 | 22 | 6 | 14 | 476 | 85 | 142 | 11 | 4 | 242 | ||||||||||||||||||||
2016(平成28)年度 | 143 | 273 | 19 | 5 | 6 | 446 | 82 | 148 | 16 | 4 | 250 | ||||||||||||||||||||
2017(平成29)年度 | 141 | 262 | 24 | 8 | 閉校 | 435 | 84 | 159 | 13 | 3 | 259 | ||||||||||||||||||||
2018(平成30)年度 | 136 | 263 | 22 | 休校 | 427 | 71 | 164 | 13 | 3 | 251 | |||||||||||||||||||||
2019(令和元)年度 | 119 | 258 | 23 | 403 | 74 | 144 | 9 | 休校 | 227 | ||||||||||||||||||||||
2020(令和2)年度 | 121 | 246 | 19 | 386 | 73 | 141 | 14 | 228 | |||||||||||||||||||||||
2021(令和3)年度 | 110 | 237 | 22 | 369 | 74 | 125 | 11 | 210 | |||||||||||||||||||||||
2022(令和4)年度 | 112 | 205 | 26 | 343 | 61 | 118 | 11 | 190 | |||||||||||||||||||||||
年度 | 厚岸 | 真龍 | 太田 | 高知 | 床潭 | 片無去 | 上尾幌 | 尾幌 | 厚静 | 糸魚沢 | 末広 | トライベツ | 小島 | 門静 | 苫多 | 合計 | 厚岸 | 真龍 | 太田 | 高知 | 片無去 | 上尾幌 | 尾幌 | トライベツ | 小島 | 糸魚沢 | 床潭 | 末広 | 苫多 | 門静 | 合計 |
児童数(小学校) | 生徒数(中学校) |
経済・産業
[編集]厚岸町の産業別就業者数は、2015年(平成27年)の「国勢調査」によると第一次産業が30.46%、第二次産業が21.93%、第三次産業が47.24%になっている[27]。漁港は釧路管内唯一の第3種漁港「厚岸漁港」[28]、第1種漁港「床譚漁港」があり、漁業はサケ・マスの流し網やサンマ棒受網・流し網の沖合漁業、篭漁業や刺し網、採貝・採藻の沿岸漁業、カキ養殖が主体の養殖漁業に大きく分けられ[29]、カキの養殖は概ね宮城系の稚貝を利用して厚岸独自のシングルシード方式による種苗生産体制を構築している[30]。千島列島を南下する親潮の流れ、汽水湖の厚岸湖があることなどから豊富な海産物に恵まれており[31]、主な魚介類は水揚げ高順にサンマ、コンブ、サケ・マス、アサリ、カキがある[31]。厚岸漁港には厚岸漁業協同組合が開設者の地方卸売市場があり、背後には水産加工業が発達しているほかに冷蔵関連産業などが立地しており[29]、水産業は厚岸町の基幹産業になっている[32]。農業は、1890年(明治23年)に太田村(現在の厚岸町太田)に屯田兵440戸が入植したことに始まり[33]、1899年(明治32年)には尾幌地区において27戸が入植して開墾が始まった[33]。また、国有未開拓地の開放によって1949年(昭和24年)頃から194戸が入植して農業を営み始めたが、冷涼な気候や土壌などの厳しい自然条件があったため酪農への転換を図り、厚岸町の基幹産業になるまで発展した[33]。1996年(平成8年)には上尾幌地区に「厚岸町きのこ菌床センター」を建設して菌床の供給(菌床栽培)を開始しており、北海道内有数となる生椎茸(シイタケ)の生産地になっている[34]。観光では毎年40万人前後の観光客が訪れており、日帰り観光が中心になっている[35]。
組合
[編集]- 厚岸漁業協同組合[36]
- 地方卸売市場
- 直売店エーウロコ
- 釧路太田農業協同組合(JA釧路太田)
- 北海道農業共済組合(NOSAI北海道)
- 厚岸家畜診療所[37]
- 厚岸町森林組合
商業施設
[編集]金融機関
[編集]- 北洋銀行厚岸支店
- 大地みらい信用金庫厚岸支店、松葉町支店
- JAバンク北海道(北海道信用農業協同組合連合会)JA釧路太田 本所
- JFマリンバンク北海道(北海道信用漁業協同組合連合会)厚岸
郵便
[編集]郵便局
- 厚岸郵便局(集配局)
- 尾幌郵便局(集配局)
- 上尾幌郵便局
- 釧路太田郵便局
- 床潭郵便局
- 本厚岸郵便局
簡易郵便局
- 糸魚沢簡易郵便局
- 門静簡易郵便局
-
厚岸郵便局(2016年10月)
宅配便
[編集]マスメディア
[編集]新聞社
- 北海道新聞社 厚岸支局
交通
[編集]鉄道
[編集]- 糸魚沢駅は2022年3月12日に廃止。
バス
[編集]かつては国鉄バス、JR北海道バス(バス事業をジェイ・アール北海道バスへ分社する前のJR北海道直営)が厚岸自動車営業所を設置し、標茶駅方面や国泰寺方面へ運行していた。
2018年10月1日より、くしろバスと桜ハイヤーに委託する形で厚岸町デマンドバスの運行を開始した。
- くしろバス(厚岸営業所を設置)
タクシー
[編集]道路
[編集]文化財
[編集]国指定
[編集]国登録
[編集]道指定
[編集]町指定
[編集]観光地・レジャー・祭事・催事
[編集]
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-
国泰寺(2012年7月)
-
厚岸大橋(2013年3月)
-
厚岸町海事記念館(2016年10月)
祭事・催事
[編集]- カキDEござ〜る(2月)
- あっけし桜・牡蠣まつり(5月)
- あっけしあやめまつり(6月から7月)
- 厚岸港まつり(7月)
- 厚岸夏まつり(7月)
- あっけし牡蠣まつり(10月)
名産・特産
[編集]厚岸には古くからカキが生息し、食べられていたと思われる遺跡があり[44]、一説によると厚岸の地名はアイヌ語の「アッケケシ」(牡蠣の獲れるところ)に由来していると言われている[44]。現在は養殖のカキが主になっており、汽水湖の厚岸湖と厚岸湾を養殖カゴごと移動させ、水温の差を利用して産卵時期を調整することによって1年を通してカキを生産している[44]。厚岸では「カキえもん」、「マルえもん」、「ナガえもん」のカキを生産しているほか[44]、2016年(平成28年)からホタテの貝殻を用いて人工種苗した「弁天かき」の販売を始めている[45][46]。カキのほかにも魚介類が豊富にあり、アサリやコンブ[47]、厚岸漁業協同組合が鮮度や品質を保証する厚岸沖の大黒島に因んだ「大黒ブランド」の海産物(「大黒さんま」、「大黒時さけ」、「大黒毛がに」、「大黒しまえび」、「大黒ししゃも」)がある[48]。酪農も盛んであり、夏に発生する海霧が牧場に豊富なミネラル分を運んでくるため、ミネラルを摂取した乳牛から濃厚な牛乳が生まれる[48]。2016年(平成28年)からは堅展実業が道東では初となる本格的なウイスキー(ジャパニーズ・ウイスキー)の蒸溜を「厚岸蒸溜所」で始めており[49]、2018年より出荷を開始[50]。
厚岸町が舞台(ロケ地)となった作品
[編集]映画
- 『狙った恋の落とし方。』(2008年)
- 『釣りバカ日誌20 ファイナル』(2009年)
テレビドラマ
- 『いのちのいろえんぴつ』(2008年)
書籍
- 安倍公房『榎本武揚』
人物
[編集]出身人物
- 佐藤綾乃(スピードスケート選手)
- 佐藤龍世(プロ野球選手。埼玉西武ライオンズ所属)
- 波佐谷灯子(女子サッカー選手)
- クロ(TAMTAMメンバー)
- こまどり姉妹(歌手)
- ロッキー羽田(元プロレスラー、元大相撲力士)
- 清晃剛(元大相撲力士)
ゆかりのある人物
- 伊福部昭(作曲家。北海道庁厚岸森林事務所の勤務時にアツケシザクラを発見)
- 遠藤萌美(佐々木萌美、フリーアナウンサー)
- 木下成太郎(元衆議院議員、元北海道会議員、元厚岸町会議員、実業家)
- 竹本アイラ(実業家、タレント、ラジオパーソナリティ)
町民憲章・宣言
[編集]厚岸町民憲章
厚岸は先住民族の遺跡が物語る道東文化発祥の歴史を誇る郷土であります。私達は、美しい海岸線と緑の山野に恵まれた大自然に調和のとれた近代文化を創造し、発展させるために、この憲章を合いことばにたゆまず努力することを誓います。
— 昭和47年6月1日制定[16]
- 健康でよく働き協力して楽しい家庭をつくりましょう。
- 教養を高め心を豊かにして、あたたかい社会をつくりましょう。
- きまりを守り他人の立場を考えて、住みよい町にいたしましょう。
- 海をきれいにし、緑を育てて美しい町をつくりましょう。
- 子どもたちの夢を育て、幸せな未来が約束できるようにしましょう。
宣言
- 交通安全都市宣言(昭和37年5月28日)[51]
- 明るく正しい選挙の町宣言(昭和40年5月28日)[51]
- 青色申告と諸税完納の町宣言(昭和56年6月25日)[51]
- 青少年非行防止の町宣言(昭和57年3月11日)[51]
- シートベルト着用の町宣言(昭和59年9月27日)[51]
- 核兵器廃絶、平和の町宣言(昭和62年6月26日)[51]
- 防犯の町宣言(昭和62年9月24日)[51]
- 暴力団等による暴力追放宣言(平成4年3月9日)[51]
- 「酪農乳製品輸入自由化反対」宣言(平成4年12月22日)[51]
- 厚岸町に核廃棄物最終処理場はいらない宣言(平成26年9月10日)[51]
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ 図典 日本の市町村章 p8
- ^ a b c “アイヌ語地名リスト ア~イチ P1-10” (PDF). アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
- ^ 山田秀三『北海道の地名』北海道新聞社、1984年。ISBN 489363321X。
- ^ “厚岸町プロフィール”. 厚岸町. 2017年11月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 厚岸町地域防災計画, p. 13.
- ^ “厚岸湖・別寒辺牛湿原” (PDF). 日本のラムサール条約登録湿地. 環境省. 2017年11月18日閲覧。
- ^ “厚岸道立自然公園”. 北海道. 2017年11月16日閲覧。
- ^ “太田 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2023年9月22日閲覧。
- ^ “厚岸町人口ビジョン” (PDF). 厚岸町 (2016年). 2017年11月16日閲覧。
- ^ 総務省統計局統計調査部国勢統計課 (27 January 2017). 平成27年国勢調査小地域集計01北海道《年齢(5歳階級)、男女別人口、総年齢及び平均年齢(外国人-特掲)-町丁・字等》 (CSV) (Report). 総務省. 2017年5月20日閲覧。※条町区分地の一部に0人の地域がある場合でも他の同一区分地で人口がある場合は除いた。
- ^ a b “厚岸町の歴史物語”. 厚岸町. 2017年11月16日閲覧。
- ^ 当地のアイヌの歴史については、佐藤保治『厚岸のアイヌ』(1973年初版、2020年に藤田印刷エクセレントブックスより復刻)に詳しい。
- ^ 戦後、「厚岸かぐら」と名前を替え、現在は、民族に関係なく、町の郷土芸能として伝承されている。
- ^ “歴史年表”. 厚岸町. 2017年11月14日閲覧。
- ^ “沿革”. 町立厚岸病院. 2017年11月16日閲覧。
- ^ a b 厚岸町統計書, p. 178.
- ^ “デマンドバスの運行について”. 厚岸町. 2018年12月27日閲覧。
- ^ “北海道ヒグマ注意報等について”. 北海道自然環境局 (2023年). 2023年9月22日閲覧。
- ^ a b “姉妹都市 オーストラリア連邦タスマニア州クラレンス市”. 厚岸町. 2017年11月14日閲覧。
- ^ a b “友好都市 山形県村山市”. 厚岸町. 2017年11月14日閲覧。
- ^ 厚岸町統計書, p. 174.
- ^ “北海道立青少年体験活動支援施設 ネイパル厚岸”. 2017年11月14日閲覧。
- ^ “本の森 厚岸情報館”. 厚岸町教育委員会. 2017年11月18日閲覧。
- ^ “北海道大学北方生物圏フィールド科学センター 厚岸臨海実験所”. 北海道大学. 2020年10月17日閲覧。
- ^ “生徒数の推移”. 厚岸町教育委員会 (2017年4月). 2022年8月9日閲覧。
- ^ “釧路総合振興局厚岸町の公立学校”. Gaccom. 2022年8月9日閲覧。
- ^ 厚岸町統計書, p. 62.
- ^ “厚岸漁港”. 北海道開発局 釧路開発建設部. 2017年11月18日閲覧。
- ^ a b 厚岸地域マリンビジョン計画書 2014, p. 3.
- ^ 厚岸地域マリンビジョン計画書 & 2014 2014, p. 3.
- ^ a b “厚岸の食材”. 厚岸町. 2017年11月16日閲覧。
- ^ 厚岸地域マリンビジョン計画書 2014, p. 9.
- ^ a b c “厚岸町の農業の歴史”. 厚岸町. 2017年11月16日閲覧。
- ^ “きのこ生産者新規着業者に対する支援”. 厚岸町. 2017年11月16日閲覧。
- ^ 厚岸町統計書, p. 121.
- ^ “厚岸漁業協同組合”. 2017年11月16日閲覧。
- ^ “ひがし統括センター事業所紹介”. 2022年4月15日閲覧。
- ^ 大黒島海鳥繁殖地 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 国泰寺跡 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 正行寺本堂 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 蝦夷三官寺国泰寺関係資料 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 正行寺鐘楼 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 厚岸町統計書, p. 183.
- ^ a b c d 厚岸町観光パンフレット, pp. 3–4.
- ^ 奈良山雅俊 (2016年11月27日). “「弁天かき」登場 厚岸・新ブランド 初競り、最高値1個650円”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 北海道総合版
- ^ “厚岸生まれの厚岸育ち*弁天かき 主力へ一歩*漁協の人工種苗生産施設から初出荷*新たな観光資源に”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2017年6月15日). 2017年12月1日閲覧。
- ^ 厚岸町観光パンフレット, pp. 5–6.
- ^ a b 厚岸町観光パンフレット, pp. 7–8.
- ^ “厚岸の蒸留所 ウイスキーの蒸留開始”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2016年11月19日) 2017年11月18日閲覧。
- ^ なぜ牡蠣のまちでウイスキー? 厚岸蒸溜所を訪ねてみた - 北海道ファンマガジン
- ^ a b c d e f g h i j “町の宣言”. 厚岸町. 2017年11月14日閲覧。
参考資料
[編集]- “平成28年度版 厚岸町統計書” (PDF). 厚岸町. 2017年11月15日閲覧。
- “厚岸地域マリンビジョン計画書” (PDF). 厚岸地域マリンビジョン協議会 (2014年). 2017年11月16日閲覧。
- “厚岸町地域防災計画” (PDF). 厚岸町防災会議. 2017年11月16日閲覧。
- “厚岸町観光パンフレット”. 厚岸町. 2017年11月16日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]行政
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