勲一等旭日大綬章
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勲一等旭日大綬章 | |||
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勲一等旭日大綬章(現・旭日大綬章)正章と大綬および副章 | |||
日本の勲章 | |||
綬 | 白と紅 | ||
創設者 | 明治天皇 | ||
対象 | 国家又ハ公共ニ対シ勲績アル者 | ||
状態 | 旭日大綬章へ改称 | ||
歴史・統計 | |||
創設 | 1875年(明治8年)4月10日 | ||
期間 | 1875年 - 2003年 | ||
最初の授与 | 1875年12月31日 | ||
最後の授与 | 2003年4月29日 | ||
序列 | |||
上位 | 勲一等旭日桐花大綬章(現・桐花章) | ||
下位 | 勲二等旭日重光章 | ||
勲一等旭日大綬章の略綬 |
勲一等旭日大綬章(くんいっとう きょくじつだいじゅしょう)は、日本の勲章の一つ。
1875年(明治8年)4月10日、勲章制定ノ件(明治8年太政官布告第54号)に基づいて制定された。2003年(平成15年)11月3日に漢数字による勲等表示が廃止され、同日以後に授与されるものは旭日大綬章と改められた。
佩用方法
[編集]大綬を右肩から左脇に垂れ、副章(勲二等旭日重光章の正章と同じ)を左胸に佩用する。
受章者
[編集]受章者は合計で1220名(戦前810名、戦後410名)。叙勲対象者は男性とされていた。
主な受章者
[編集]明治時代
[編集]受章者名 | 主な官職・役職 | 受章日 | 備考 |
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明治天皇 | 天皇 | 1875年(明治8年)12月31日 | 勲章制定にあたり「自ら佩用」 |
有栖川宮幟仁親王 | 皇典講究所総裁 | 1875年(明治8年)12月31日 | 皇族 |
有栖川宮威仁親王 | 元帥海軍大将、軍事参議官 | 1875年(明治8年)12月31日 | 皇族 |
有栖川宮熾仁親王 | 陸軍大将、参謀総長 | 1875年(明治8年)12月31日 | 皇族 |
華頂宮博経親王 | 海軍少将 | 1875年(明治8年)12月31日 | 皇族 |
北白川宮能久親王 | 陸軍大将、近衛師団長 | 1875年(明治8年)12月31日 | 皇族 |
久邇宮朝彦親王 | 神宮祭主 | 1875年(明治8年)12月31日 | 皇族 |
小松宮彰仁親王 | 元帥陸軍大将、参謀総長 | 1875年(明治8年)12月31日 | 皇族 |
梨本宮守脩親王 | 上野太守 | 1875年(明治8年)12月31日 | 皇族 |
伏見宮貞愛親王 | 元帥陸軍大将、第1師団長 | 1875年(明治8年)12月31日 | 皇族 |
山階宮晃親王 | 議定、治部卿 | 1875年(明治8年)12月31日 | 皇族 |
西郷従道 | 侯爵、元帥海軍大将、海軍大臣 | 1876年(明治9年)9月23日 | 士族(薩摩) |
岩倉具視 | 右大臣 | 1876年(明治9年)12月29日 | 公家 |
三条実美 | 公爵、太政大臣 | 1876年(明治9年)12月29日 | 公家 |
木戸孝允 | 参議 | 1877年(明治10年)5月24日 | 士族(長州) |
伊藤博文 | 公爵、初代内閣総理大臣 | 1877年(明治10年)11月2日 | 士族(長州) |
大木喬任 | 伯爵、枢密院議長 | 1877年(明治10年)11月2日 | 士族(佐賀) |
大久保利通 | 内務卿、贈右大臣 | 1877年(明治10年)11月2日 | 士族(薩摩) |
大隈重信 | 侯爵、第8・17代内閣総理大臣 | 1877年(明治10年)11月2日 | 士族(佐賀) |
川村純義 | 伯爵、海軍大将 | 1877年(明治10年)11月2日 | 士族(薩摩) |
黒田清隆 | 伯爵、海軍中将、第2代内閣総理大臣 | 1877年(明治10年)11月2日 | 士族(薩摩) |
寺島宗則 | 伯爵、参議、外務卿 | 1877年(明治10年)11月2日 | 士族(薩摩) |
山縣有朋 | 公爵、元帥陸軍大将、第3・9代内閣総理大臣 | 1877年(明治10年)11月2日 | |
徳大寺実則 | 公爵、内大臣 | 1877年(明治10年)11月22日 | 公家 |
井上馨 | 侯爵、外務大臣 | 1879年(明治12年)2月10日 | 士族(長州) |
山田顕義 | 伯爵、陸軍中将、司法大臣 | 1879年(明治12年)11月1日 | 士族(長州) |
嵯峨実愛 | 議定、刑部卿、教部卿 | 1880年(明治13年)11月2日 | 公家 |
中御門経之 | 侯爵、大納言 | 1880年(明治13年)11月2日 | 公家 |
中山忠能 | 侯爵、権大納言 | 1880年(明治13年)11月2日 | 公家 |
伊地知正治 | 伯爵、参議 | 1881年(明治14年)7月15日 | 士族(薩摩) |
島津久光 | 公爵、左大臣 | 1881年(明治14年)7月15日 | 士族(薩摩) |
九条道孝 | 公爵、左大臣 | 1881年(明治14年)7月15日 | 公家 |
副島種臣 | 伯爵、内務大臣 | 1881年(明治14年)7月22日 | 士族(佐賀) |
松方正義 | 公爵、第4・6代内閣総理大臣 | 1881年(明治14年)7月22日 | 士族(薩摩) |
大山巌 | 公爵、元帥陸軍大将、陸軍大臣 | 1882年(明治15年)11月1日 | 士族(薩摩) |
佐々木高行 | 侯爵、参議、工部卿 | 1882年(明治15年)11月1日 | 士族(土佐) |
佐野常民 | 伯爵、農商務大臣 | 1882年(明治15年)11月1日 | 士族(佐賀) |
福岡孝弟 | 子爵、文部卿 | 1882年(明治15年)11月1日 | 士族(土佐) |
近衛忠煕 | 左大臣、関白 | 1885年(明治18年)4月2日 | 公家 |
榎本武揚 | 子爵、海軍中将、外務大臣 | 1886年(明治19年)3月11日 | 士族(幕臣) |
谷干城 | 子爵、陸軍中将、農商務大臣 | 1886年(明治19年)3月11日 | 士族(土佐) |
森有礼 | 子爵、文部大臣 | 1886年(明治19年)3月11日 | 士族(薩摩) |
土方久元 | 伯爵、宮内大臣 | 1887年(明治20年)10月25日 | 士族(土佐) |
伊東祐麿 | 子爵、海軍中将、海軍兵学校長 | 1887年(明治20年)11月2日 | 士族(薩摩) |
高島鞆之助 | 子爵、陸軍中将、陸軍大臣 | 1887年(明治20年)11月2日 | 士族(薩摩) |
三好重臣 | 子爵、陸軍中将、枢密顧問官 | 1887年(明治20年)11月2日 | 士族(長州) |
赤松則良 | 男爵、海軍中将、横須賀鎮守府司令長官 | 1889年(明治22年)5月29日 | 士族(幕臣) |
中牟田倉之助 | 子爵、海軍中将、海軍軍令部長 | 1889年(明治22年)5月29日 | 士族(佐賀) |
柳原前光 | 伯爵、元老院議長 | 1889年(明治22年)5月29日 | 公家 |
松平春嶽 | 旧福井藩主、民部卿、大蔵卿 | 1889年(明治22年)5月29日 | 士族(福井) |
後藤象二郎 | 伯爵、農商務大臣 | 1889年(明治22年)12月27日 | 士族(土佐) |
浅野長勲 | 侯爵、旧広島藩主 | 1890年(明治23年)10月21日 | 士族(広島) |
島津忠義 | 公爵、旧薩摩藩主、参議 | 1890年(明治23年)10月21日 | 士族(薩摩) |
伊達宗城 | 旧宇和島藩主、大蔵卿 | 1890年(明治23年)10月21日 | 士族(宇和島) |
毛利元徳 | 公爵、旧長州藩主、参議 | 1890年(明治23年)10月21日 | 士族(長州) |
青木周蔵 | 子爵、外務大臣 | 1894年(明治27年)8月29日 | 士族(長州) |
伊東祐亨 | 伯爵、元帥海軍大将 | 1895年(明治28年)8月5日 | 士族(薩摩) |
樺山資紀 | 伯爵、海軍大将、海軍大臣 | 1895年(明治28年)8月5日 | 士族(薩摩) |
川上操六 | 陸軍大将、参謀総長 | 1895年(明治28年)8月5日 | 士族(薩摩) |
野津道貫 | 侯爵、元帥陸軍大将 | 1895年(明治28年)8月5日 | 士族(薩摩) |
佐久間左馬太 | 伯爵、陸軍大将 | 1895年(明治28年)8月20日 | 士族(長州) |
陸奥宗光 | 伯爵、外務大臣 | 1895年(明治28年)8月20日 | 士族(紀州) |
山地元治 | 子爵、陸軍中将、西部都督 | 1895年(明治28年)8月20日 | 士族(土佐) |
大鳥圭介 | 男爵、枢密顧問官 | 1895年(明治28年)10月31日 | 士族(幕臣) |
香川敬三 | 伯爵、皇太后宮大夫 | 1895年(明治28年)10月31日 | 士族(水戸) |
西園寺公望 | 公爵、第12・14代内閣総理大臣 | 1896年(明治29年)6月5日 | 公家 |
大給恒 | 伯爵、旧奥殿藩主、賞勲局総裁 | 1896年(明治29年)6月30日 | 士族(奥殿) |
板垣退助 | 伯爵、内務大臣 | 1896年(明治29年)9月29日 | 士族(土佐) |
広幡忠礼 | 侯爵、内大臣 | 1897年(明治30年)2月18日 | 公家 |
鍋島直大 | 侯爵、旧佐賀藩主 | 1897年(明治30年)6月30日 | 士族(佐賀) |
黒川通軌 | 男爵、陸軍中将、第4師団長 | 1897年(明治30年)10月20日 | 士族(小松) |
山尾庸三 | 子爵、法制局長官 | 1898年(明治31年)1月31日 | 士族(長州) |
渡辺昇 | 子爵、大阪府知事、会計検査院長 | 1898年(明治31年)3月29日 | 士族(大村) |
尾崎忠治 | 男爵、大審院長 | 1898年(明治31年)12月28日 | 士族(土佐) |
勝安芳 | 伯爵、海軍卿 | 1898年(明治31年)12月28日 | 士族(幕臣) |
田中不二麿 | 子爵、司法大臣 | 1898年(明治31年)12月28日 | 士族(尾張) |
花房義質 | 子爵、枢密顧問官 | 1898年(明治31年)12月28日 | 士族(岡山) |
東久世通禧 | 伯爵、貴族院副議長、枢密院副議長 | 1898年(明治31年)12月28日 | 公家 |
西徳二郎 | 男爵、外務大臣 | 1899年(明治32年)12月27日 | 士族(薩摩) |
林董 | 伯爵、外務大臣 | 1899年(明治32年)12月27日 | 士族(佐倉) |
品川弥二郎 | 子爵、内務大臣 | 1900年(明治33年)2月26日 | 士族(長州) 没後追贈 |
山田信道 | 男爵、農商務大臣 | 1900年(明治33年)3月11日 | 士族(熊本) 没後追贈 |
田中光顕 | 伯爵、陸軍少将、宮内大臣 | 1900年(明治33年)5月10日 | 士族(土佐) |
仁礼景範 | 子爵、海軍中将、海軍大臣 | 1900年(明治33年)11月21日 | 士族(薩摩) |
東郷平八郎 | 侯爵、元帥海軍大将 | 1901年(明治34年)7月19日 | 士族(薩摩) |
山口素臣 | 子爵、陸軍大将、第5師団長 | 1901年(明治34年)7月19日 | 士族(長州) |
宍戸璣 | 子爵、清国駐剳全権公使 | 1901年(明治34年)9月30日 | 士族(長州) |
桂太郎 | 公爵、陸軍大将、第11・13・15代内閣総理大臣 | 1901年(明治34年)12月27日 | 士族(長州) |
河瀬真孝 | 子爵、侍従長 | 1901年(明治34年)12月27日 | 士族(長州) |
鮫島員規 | 男爵、海軍大将 | 1901年(明治34年)12月27日 | 士族(薩摩) |
寺内正毅 | 伯爵、元帥陸軍大将、第18代内閣総理大臣 | 1901年(明治34年)12月27日 | 士族(長州) |
楠本正隆 | 男爵、東京府知事、衆議院議長 | 1902年(明治35年)2月7日 | 士族(大村) |
内海忠勝 | 男爵、内務大臣 | 1902年(明治35年)2月27日 | 士族(長州) |
児玉源太郎 | 伯爵、陸軍大将、陸軍大臣 | 1902年(明治35年)2月27日 | 士族(長州) |
小村寿太郎 | 侯爵、外務大臣 | 1902年(明治35年)2月27日 | 士族(飫肥) |
芳川顕正 | 伯爵、内務大臣 | 1902年(明治35年)2月27日 | 士族(徳島) |
鳥尾小弥太 | 子爵、陸軍中将、近衛都督 | 1902年(明治35年)6月30日 | 士族(長州) |
岡沢精 | 子爵、陸軍大将、侍従武官長 | 1902年(明治35年)12月3日 | 士族(長州) |
海江田信義 | 子爵、枢密顧問官 | 1902年(明治35年)12月27日 | 士族(薩摩) |
九鬼隆一 | 男爵、枢密顧問官 | 1902年(明治35年)12月27日 | 士族(三田) |
細川潤次郎 | 男爵、枢密顧問官 | 1902年(明治35年)12月27日 | 士族(土佐) |
久我建通 | 内大臣 | 1903年(明治36年)9月26日 | 公家 |
伊東巳代治 | 伯爵、農商務大臣 | 1903年(明治36年)12月26日 | 士族(大村) |
三宮義胤 | 男爵、式部長官 | 1903年(明治36年)12月26日 | 滋賀 |
蜂須賀茂韶 | 侯爵、旧徳島藩主、貴族院議長 | 1903年(明治36年)12月27日 | 士族(徳島) |
永山武四郎 | 男爵、陸軍中将、第7師団長 | 1904年(明治37年)5月27日 | 士族(薩摩) |
岩村通俊 | 男爵、農商務大臣 | 1904年(明治37年)6月23日 | 士族(土佐) |
渡辺千秋 | 子爵、宮内大臣 | 1904年(明治37年)6月28日 | 士族(諏訪) |
岩倉具定 | 公爵、宮内大臣 | 1904年(明治37年)12月27日 | 公家 |
杉孫七郎 | 子爵、枢密顧問官 | 1904年(明治37年)12月27日 | 士族(長州) |
松村務本 | 陸軍中将 | 1905年(明治38年)2月4日 | 士族(加賀) |
奥保鞏 | 伯爵、元帥陸軍大将、参謀総長 | 1905年(明治38年)5月30日 | 士族(小倉) |
黒木為楨 | 伯爵、陸軍大将 | 1905年(明治38年)5月30日 | 士族(薩摩) |
長谷川好道 | 伯爵、元帥陸軍大将、参謀総長 | 1905年(明治38年)5月30日 | 士族(長州) |
林友幸 | 伯爵、枢密顧問官 | 1905年(明治38年)6月24日 | 士族(長州) |
佐双左仲 | 海軍造船総監 | 1905年(明治38年)10月9日 | 士族(加賀) |
井上良馨 | 子爵、元帥海軍大将 | 1905年(明治38年)11月30日 | 士族(薩摩) |
角田秀松 | 海軍中将 | 1905年(明治38年)12月13日 | 会津 |
高崎正風 | 男爵、枢密顧問官 | 1905年(明治38年)12月22日 | 士族(薩摩) |
野崎貞澄 | 男爵、陸軍中将、第6師団長 | 1906年(明治39年)1月8日 | 士族(薩摩) |
浅田信興 | 男爵、陸軍大将、教育総監 | 1906年(明治39年)4月1日 | 士族(川越) |
新井晴簡 | 陸軍中将 | 1906年(明治39年)4月1日 | 兵庫 |
有馬新一 | 男爵、海軍中将、第一艦隊司令長官 | 1906年(明治39年)4月1日 | 士族(薩摩) |
飯田俊助 | 男爵、陸軍中将、第1師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | 長州 |
石黒忠悳 | 子爵、陸軍軍医総監、枢密顧問官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
石本新六 | 男爵、陸軍中将、陸軍大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | 士族(姫路) |
伊集院五郎 | 男爵、元帥海軍大将 | 1906年(明治39年)4月1日 | 士族(薩摩) |
伊瀬知好成 | 男爵、陸軍中将、第6師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
井上勝之助 | 侯爵、宗秩寮総裁 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
井上光 | 男爵、陸軍大将、第4師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
井上勝 | 子爵、鉄道局長官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
茨木惟昭 | 男爵、陸軍中将、第6師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
上田有沢 | 男爵、陸軍大将、朝鮮駐剳軍司令官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
内田康哉 | 男爵、海軍大将 | 1906年(明治39年)4月1日 | 士族(熊本) |
瓜生外吉 | 男爵、海軍大将、横須賀鎮守府司令長官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
江木千之 | 文部大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
大浦兼武 | 子爵、内務大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
大久保春野 | 男爵、陸軍大将、韓国駐剳軍司令官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
大蔵平三 | 男爵、陸軍中将、軍馬補充部本部長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
大迫尚敏 | 子爵、陸軍大将、学習院長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
大島久直 | 子爵、陸軍大将、教育総監 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
大島義昌 | 子爵、陸軍大将、関東都督 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
大森鍾一 | 男爵、皇后宮大夫 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
小川又次 | 子爵、陸軍大将、第4師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
沖原光孚 | 男爵、陸軍中将、第15師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
小沢武雄 | 男爵、陸軍中将、参謀本部長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
小野田元熈 | 内務省警保局長、貴族院議員 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
片岡七郎 | 男爵、海軍大将、連合艦隊司令長官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
加藤弘之 | 男爵、枢密顧問官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
金子堅太郎 | 伯爵、司法大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | 士族(福岡) |
上村彦之丞 | 男爵、海軍大将、連合艦隊司令長官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
木越安綱 | 男爵、陸軍中将、陸軍大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
清浦奎吾 | 伯爵、第23代内閣総理大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
栗野慎一郎 | 子爵、枢密顧問官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
黒瀬義門 | 男爵、陸軍中将、第7師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
黒田清綱 | 子爵、枢密顧問官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
小池正直 | 男爵、陸軍軍医総監、野戦衛生長官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
税所篤 | 子爵、奈良県知事 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
斎藤実 | 子爵、海軍大将、第30代内閣総理大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
阪井重季 | 男爵、陸軍中将、留守第1師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
阪谷芳郎 | 子爵、大蔵大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
実吉安純 | 子爵、海軍軍医総監、海軍医務局長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
鮫島重雄 | 男爵、陸軍大将、第14師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
塩屋方圀 | 陸軍中将 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
柴野義広 | 陸軍中将 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
柴山矢八 | 男爵、海軍大将、連合艦隊司令長官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
周布公平 | 男爵、神奈川県知事 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
勝田四方蔵 | 男爵、陸軍中将、東京湾要塞司令官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
末松謙澄 | 子爵、内務大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
千家尊福 | 男爵、司法大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
曾我祐準 | 子爵、陸軍中将、参謀次長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
曾禰荒助 | 子爵、大蔵大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
園田安賢 | 男爵、北海道庁長官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
高崎親章 | 大阪府知事 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
高平小五郎 | 男爵、外務次官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
立見尚文 | 男爵、陸軍大将、第8師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
田辺輝実 | 三重県知事 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
塚本勝嘉 | 男爵、陸軍中将、第9師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
土屋光春 | 男爵、陸軍大将、第4師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
出羽重遠 | 男爵、海軍大将、連合艦隊司令長官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
徳川家達 | 公爵、貴族院議長、徳川家第16代当主 | 1906年(明治39年)4月1日 | 士族(徳川) |
中村覚 | 男爵、陸軍大将、侍従武官長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
中村雄次郎 | 男爵、陸軍中将、宮内大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
鍋島幹 | 男爵、広島県知事 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
奈良原繁 | 男爵、沖縄県知事 | 1906年(明治39年)4月1日 | 士族(薩摩) |
西寛二郎 | 子爵、陸軍大将、教育総監 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
西島助義 | 男爵、陸軍中将、第2師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
野田豁通 | 男爵、陸軍主計総監、野戦監督総監 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
野村靖 | 子爵、内務大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
橋本綱常 | 子爵、陸軍軍医総監 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
服部一三 | 貴族院議員 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
林権助 | 男爵、式部長官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
原口兼済 | 男爵、陸軍中将、韓国駐剳軍司令官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
日高壮之丞 | 男爵、海軍大将、連合艦隊司令長官 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
平田東助 | 伯爵、内大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
藤井包總 | 男爵、陸軍中将、陸軍幼年学校長、陸地測量部長 | 1906年(明治39年)4月1日 | 士族(備後) |
牧野伸顕 | 伯爵、内大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | 士族(薩摩) |
松岡康毅 | 男爵、農商務大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
松尾臣善 | 男爵、日本銀行総裁 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
松平正直 | 男爵、宮城県知事 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
松田正久 | 男爵、衆議院議長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
真鍋斌 | 男爵、陸軍中将、留守第5師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
三浦安 | 東京府知事 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
三好成行 | 男爵、陸軍中将、近衛第1旅団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
村上敬次郎 | 男爵、海軍主計総監 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
矢吹秀一 | 男爵、陸軍中将、工兵監 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
山内長人 | 男爵、陸軍中将、留守第2師団長 | 1906年(明治39年)4月1日 | |
安東貞美 | 男爵、陸軍大将、台湾総督 | 1906年(明治39年)4月12日 | |
後藤新平 | 伯爵、内務大臣 | 1906年(明治39年)11月13日 | 士族(水沢) |
堤正誼 | 男爵、宮内次官 | 1907年(明治40年)2月8日 | |
田尻稲次郎 | 子爵、会計検査院長 | 1907年(明治40年)4月1日 | |
福羽美静 | 子爵、元老院議官 | 1907年(明治40年)8月14日 | |
珍田捨巳 | 子爵、侍従長 | 1907年(明治40年)9月14日 | |
本野一郎 | 子爵、外務大臣 | 1907年(明治40年)9月14日 | |
南部甕男 | 男爵、大審院長 | 1907年(明治40年)12月27日 | |
徳川慶喜 | 公爵、第15代征夷大将軍 | 1908年(明治41年)4月30日 | 士族(徳川) |
松永正敏 | 男爵、陸軍中将、第2師団長 | 1908年(明治41年)6月13日 | |
都筑馨六 | 男爵、枢密顧問官 | 1908年(明治41年)8月4日 | |
岡崎生三 | 男爵、陸軍中将、第13師団長 | 1908年(明治41年)12月1日 | |
本田親雄 | 男爵、枢密顧問官 | 1909年(明治42年)3月1日 | |
由利公正 | 子爵、東京府知事 | 1909年(明治42年)4月28日 | 士族(福井) 没後追贈 |
山縣伊三郎 | 公爵、逓信大臣 | 1909年(明治42年)7月21日 | |
安保清康 | 男爵、海軍中将、呉鎮守府司令長官 | 1909年(明治42年)10月27日 | |
原田一道 | 男爵、陸軍少将、錦鶏間祗候 | 1910年(明治43年)12月9日 | |
相浦紀道 | 男爵、海軍中将、横須賀鎮守府司令長官 | 1911年(明治44年)4月1日 | |
岩佐純 | 男爵、侍医 | 1911年(明治44年)5月13日 | |
石塚英蔵 | 台湾総督 | 1911年(明治44年)6月13日 | |
柴田家門 | 文部大臣 | 1911年(明治44年)6月13日 | |
松永正敏 | 男爵、陸軍中将、第2師団長 | 1911年(明治44年)6月13日 | |
安広伴一郎 | 枢密顧問官 | 1911年(明治44年)6月13日 | |
加藤高明 | 伯爵、第24代内閣総理大臣 | 1911年(明治44年)8月24日 | 士族(尾張) |
山座円次郎 | 外交官、特命全権大使 | 1911年(明治44年)8月24日 |
大正時代
[編集]受章者名 | 主な官職・役職 | 受章日 | 備考 |
---|---|---|---|
小畑美稲 | 男爵、錦鶏間祗候 | 1912年(大正元年)11月15日 | |
佐藤愛麿 | 外交、特命全権大使 | 1913年(大正2年)10月24日 | |
船越衛 | 男爵、枢密顧問官 | 1913年(大正2年)12月23日 | |
穂積陳重 | 男爵、枢密院議長 | 1913年(大正2年)12月27日 | |
股野琢 | 内大臣府秘書官長 | 1913年(大正2年)12月27日 | |
岡野敬次郎 | 男爵、司法大臣 | 1914年(大正3年)3月24日 | |
原敬 | 第19代内閣総理大臣 | 1914年(大正3年)4月4日 | 士族(盛岡) |
福島安正 | 男爵、陸軍大将、関東都督 | 1914年(大正3年)9月15日 | |
戸田氏共 | 伯爵、旧大垣藩主、式部長官 | 1914年(大正3年)12月23日 | 士族(大垣) |
有坂成章 | 男爵、陸軍中将、技術審査部長 | 1915年(大正4年)1月11日 | |
本多道純 | 陸軍中将 | 1915年(大正4年)3月11日 | |
浜弘一 | 会計検査院部長 | 1915年(大正4年)4月24日 | |
三浦梧楼 | 子爵、陸軍中将、朝鮮公使 | 1915年(大正4年)4月24日 | |
山根武亮 | 男爵、陸軍中将、近衛師団長 | 1915年(大正4年)4月24日 | |
上原勇作 | 子爵、元帥陸軍大将、陸軍大臣 | 1915年(大正4年)9月29日 | 士族(薩摩) |
明石元二郎 | 男爵、陸軍大将、台湾総督 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
伊地知季珍 | 海軍中将 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
市川清次郎 | 海軍機関総監 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
内山小二郎 | 男爵、陸軍大将、侍従武官長 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
大谷喜久蔵 | 男爵、陸軍大将、教育総監 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
加藤定吉 | 男爵、海軍大将、呉鎮守府司令長官 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
神尾光臣 | 男爵、陸軍大将、青島守備軍司令官 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
川島令次郎 | 海軍中将 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
木村壮介 | 海軍軍医総監 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
黒井悌次郎 | 海軍大将 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
坂本一 | 海軍中将 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
志佐勝 | 海軍主計中将 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
島村速雄 | 男爵、元帥海軍大将 | 1915年(大正4年)11月7日 | 士族(土佐) |
隅徳三 | 陸軍主計総監 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
栃内曽次郎 | 海軍大将、連合艦隊司令長官 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
南部辰丙 | 陸軍中将 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
野間口兼雄 | 海軍大将 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
福田馬之助 | 海軍造船総監 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
藤井較一 | 海軍大将、連合艦隊司令長官 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
村上格一 | 海軍大将、海軍大臣 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
森林太郎 | 陸軍軍医総監、小説家 | 1915年(大正4年)11月7日 | 士族(津和野) |
山下源太郎 | 男爵、海軍大将、連合艦隊司令長官 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
山屋他人 | 海軍大将、連合艦隊司令長官 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
吉松茂太郎 | 海軍大将、連合艦隊司令長官 | 1915年(大正4年)11月7日 | |
奥田義人 | 男爵、司法大臣 | 1915年(大正4年)11月10日 | |
渋沢栄一 | 子爵、貴族院議員 | 1915年(大正4年)11月10日 | |
米田虎雄 | 子爵、陸軍中佐、侍従長 | 1915年(大正4年)11月27日 | |
池田謙斎 | 男爵、陸軍軍医総監、宮中顧問官 | 1915年(大正4年)12月1日 | |
斎藤桃太郎 | 帝室会計審査局長官 | 1915年(大正4年)12月1日 | |
辻新次 | 男爵、帝国教育会長 | 1915年(大正4年)12月1日 | |
中山孝麿 | 侯爵、東宮大夫 | 1915年(大正4年)12月1日 | |
波多野敬直 | 子爵、宮内大臣 | 1915年(大正4年)12月1日 | |
藤波言忠 | 子爵、宮中顧問官 | 1915年(大正4年)12月1日 | |
村木雅美 | 男爵、陸軍中将、東宮武官長 | 1915年(大正4年)12月1日 | |
北垣国道 | 男爵、枢密顧問官 | 1916年(大正5年)1月16日 | |
岩倉具綱 | 公家、掌典長 | 1916年(大正5年)1月19日 | |
片山東熊 | 内匠頭 | 1916年(大正5年)1月19日 | |
鷹司熈通 | 公爵、陸軍少将、侍従長 | 1916年(大正5年)1月19日 | |
長崎省吾 | 調度頭、宮中顧問官 | 1916年(大正5年)1月19日 | |
古川阪次郎 | 鉄道院副総裁、工学博士 | 1916年(大正5年)1月19日 | |
岡市之助 | 男爵、陸軍中将、陸軍大臣 | 1916年(大正5年)4月1日 | |
鈴木貫太郎 | 男爵、海軍大将、第42代内閣総理大臣 | 1916年(大正5年)4月1日 | 士族(関宿) |
日置益 | 外交官、特命全権大使 | 1916年(大正5年)4月1日 | |
松井慶四郎 | 男爵、外務大臣 | 1916年(大正5年)4月1日 | |
八代六郎 | 男爵、海軍大将、海軍大臣 | 1916年(大正5年)4月1日 | |
石井菊次郎 | 子爵、外務大臣 | 1916年(大正5年)7月14日 | |
一木喜徳郎 | 男爵、枢密院議長 | 1916年(大正5年)7月14日 | |
大島健一 | 陸軍中将、陸軍大臣 | 1916年(大正5年)7月14日 | |
尾崎行雄 | 司法大臣 | 1916年(大正5年)7月14日 | |
加藤友三郎 | 子爵、元帥海軍大将、第21代内閣総理大臣 | 1916年(大正5年)7月14日 | 士族(広島) |
河野広中 | 農商務大臣 | 1916年(大正5年)7月14日 | |
武富時敏 | 大蔵大臣 | 1916年(大正5年)7月14日 | |
若槻禮次郎 | 男爵、第25・28代内閣総理大臣 | 1916年(大正5年)7月14日 | 士族(松江) |
浜尾新 | 子爵、枢密院議長 | 1916年(大正5年)11月13日 | 士族(豊岡) |
真木長義 | 男爵、海軍中将、海軍機関学校長 | 1917年(大正6年)3月3日 | |
菊池大麓 | 男爵、文部大臣 | 1917年(大正6年)8月20日 | |
伊集院彦吉 | 男爵、外務大臣 | 1917年(大正6年)8月25日 | |
尾崎三良 | 男爵、内閣法制局長官 | 1918年(大正7年)10月13日 | |
本郷房太郎 | 陸軍大将、青島守備軍司令官 | 1918年(大正7年)10月28日 | |
秋山好古 | 陸軍大将、教育総監 | 1918年(大正7年)11月29日 | 士族(松山) |
一戸兵衛 | 陸軍大将、教育総監 | 1918年(大正7年)11月29日 | |
大迫尚道 | 陸軍大将、第4師団長 | 1918年(大正7年)11月29日 | |
有地品之允 | 男爵、海軍中将、呉鎮守府司令長官 | 1919年(大正8年)1月17日 | |
仁田原重行 | 陸軍大将、東京衛戍総督 | 1919年(大正8年)1月28日 | |
井口省吾 | 陸軍大将、朝鮮駐剳軍司令官 | 1919年(大正8年)2月27日 | |
三島弥太郎 | 子爵、日本銀行総裁 | 1919年(大正8年)3月7日 | |
山田隆一 | 陸軍中将 | 1919年(大正8年)3月8日 | |
三島毅 | 東京帝国大学教授 | 1919年(大正8年)5月12日 | |
渡辺国武 | 子爵、大蔵大臣 | 1919年(大正8年)5月12日 | |
久保田譲 | 男爵、文部大臣 | 1919年(大正8年)5月24日 | 士族(豊岡) |
小松原英太郎 | 文部大臣 | 1919年(大正8年)5月24日 | 士族(岡山) |
松川敏胤 | 陸軍大将、朝鮮駐剳軍司令官 | 1919年(大正8年)6月28日 | |
緒方正規 | 東京帝国大学教授 | 1919年(大正8年)7月31日 | |
平沼騏一郎 | 男爵、第35代内閣総理大臣 | 1919年(大正8年)9月29日 | 士族(津山) |
松室致 | 司法大臣 | 1919年(大正8年)9月29日 | |
仙波太郎 | 陸軍中将 | 1919年(大正8年)12月25日 | |
中村愛三 | 陸軍中将 | 1919年(大正8年)12月25日 | |
財部彪 | 海軍大将、海軍大臣 | 1920年(大正9年)1月30日 | |
大角岑生 | 男爵、海軍大将、海軍大臣 | 1920年(大正9年)2月7日 | |
高木兼寛 | 男爵、海軍軍医総監 | 1920年(大正9年)4月13日 | 士族(薩摩) 没後追贈 |
安達峰一郎 | 常設国際司法裁判所所長 | 1920年(大正9年)5月26日 | |
犬養毅 | 第29代内閣総理大臣 | 1920年(大正9年)9月7日 | 士族(岡山) |
落合謙太郎 | 外交官、特命全権大使 | 1920年(大正9年)9月7日 | |
幣原喜重郎 | 男爵、第44代内閣総理大臣 | 1920年(大正9年)9月7日 | |
高橋是清 | 第20代内閣総理大臣 | 1920年(大正9年)9月7日 | 士族(仙台) |
竹下勇 | 海軍大将、連合艦隊司令長官 | 1920年(大正9年)9月7日 | |
田中義一 | 男爵、海軍大将、第26代内閣総理大臣 | 1920年(大正9年)9月7日 | 士族(長州) |
床次竹二郎 | 内務大臣 | 1920年(大正9年)9月7日 | |
中橋徳五郎 | 文部大臣 | 1920年(大正9年)9月7日 | |
奈良武次 | 男爵、陸軍大将、侍従武官長 | 1920年(大正9年)9月7日 | |
野田卯太郎 | 逓信大臣 | 1920年(大正9年)9月7日 | |
山本達雄 | 男爵、大蔵大臣 | 1920年(大正9年)9月7日 | |
有馬良橘 | 海軍大将、枢密顧問官 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
井出謙治 | 海軍大将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
伊藤乙次郎 | 海軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
稲垣三郎 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
内田嘉吉 | 台湾総督 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
内田重成 | 貴族院議員 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
宇都宮太郎 | 陸軍大将、朝鮮軍司令官 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
大井成元 | 男爵、陸軍大将、内閣参議 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
大庭二郎 | 陸軍大将、教育総監 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
岡田啓介 | 海軍大将、第31代内閣総理大臣 | 1920年(大正9年)11月1日 | 士族(福井) |
岡田良平 | 文部大臣 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
勝田主計 | 大蔵大臣 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
栗田直八郎 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
小栗孝三郎 | 海軍大将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
菊池慎之助 | 陸軍大将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
児島惣次郎 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
近藤基樹 | 男爵海軍 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
志岐守治 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
島川文八郎 | 陸軍大将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
志水小一郎 | 陸軍理事、貴族院勅選議員 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
白水淡 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
菅野尚一 | 陸軍大将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
鈴木荘六 | 陸軍大将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
高山公通 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
武内徹 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
立花小一郎 | 男爵、陸軍大将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
田所広海 | 海軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
田中弘太郎 | 陸軍大将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
田中政明 | 陸軍主計総監 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
種子田右八郎 | 海軍造兵中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
千坂智次郎 | 海軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
筑紫熊七 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
鶴田禎次郎 | 陸軍軍医総監 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
田健治郎 | 男爵、台湾総督 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
中島正武 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
中島与曽八 | 海軍機関中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
中野直枝 | 海軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
名和又八郎 | 海軍大将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
西川虎次郎 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
福田雅太郎 | 陸軍大将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
藤井幸槌 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
星野庄三郎 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
本多忠夫 | 海軍軍医中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
宮田太郎 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
武藤信義 | 男爵、元帥陸軍大将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
村岡恒利 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
森山慶三郎 | 海軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
山路一善 | 海軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
山梨半造 | 陸軍大将、陸軍大臣 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
由比光衛 | 陸軍大将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
渡辺満太郎 | 陸軍中将 | 1920年(大正9年)11月1日 | |
高島友武 | 子爵、陸軍中将 | 1920年(大正9年)12月25日 | |
水野錬太郎 | 内務大臣 | 1920年(大正9年)12月25日 | |
斎藤季治郎 | 陸軍中将 | 1921年(大正10年)2月26日 | |
中隈敬蔵 | 会計検査院長 | 1921年(大正10年)4月1日 | |
横田国臣 | 男爵、大審院長 | 1921年(大正10年)6月13日 | |
国分象太郎 | 朝鮮総督府 | 1921年(大正10年)9月7日 | |
黒田長成 | 侯爵、枢密顧問官 | 1922年(大正11年)10月7日 | |
白川義則 | 男爵、陸軍大将、陸軍大臣 | 1922年(大正11年)11月1日 | 士族(松山) |
加藤恒忠 | 貴族院議員 | 1923年(大正12年)3月27日 | |
正親町実正 | 伯爵、侍従長 | 1923年(大正12年)6月25日 | |
仲小路廉 | 農商務大臣 | 1924年(大正13年)1月18日 | |
埴原正直 | 外務次官 | 1924年(大正13年)5月31日 | |
青木宣純 | 陸軍中将 | 1924年(大正13年)12月12日 | |
河合操 | 陸軍大将 | 1924年(大正13年)12月25日 | |
久我通久 | 侯爵、宗秩寮総裁 | 1925年(大正14年)1月12日 | |
横田千之助 | 司法大臣 | 1925年(大正14年)2月4日 | |
山脇玄 | 行政裁判所長官 | 1925年(大正14年)10月7日 | |
道家斉 | 貴族院議員 | 1925年(大正14年)10月30日 | |
下岡忠治 | 内務次官 | 1925年(大正14年)11月22日 | |
岡部長職 | 子爵、旧岸和田藩主、司法大臣 | 1925年(大正14年)12月27日 | 士族(岸和田) 没後追贈 |
芳沢謙吉 | 外務大臣 | 1926年(大正15年)2月10日 | |
平山成信 | 男爵、枢密顧問官 | 1926年(大正15年)2月25日 | |
佐藤昌介 | 男爵、北海道帝国大学総長 | 1926年(大正15年)5月10日 | |
富井政章 | 男爵、枢密顧問官 | 1926年(大正15年)6月23日 | |
平井晴二郎 | 帝国鉄道庁総裁 | 1926年(大正15年)6月29日 | |
目賀田種太郎 | 男爵、枢密顧問官 | 1926年(大正15年)9月10日 | |
倉富勇三郎 | 男爵、枢密院議長 | 1926年(大正15年)10月9日 |
昭和時代(戦前・戦中)
[編集]受章者名 | 主な官職・役職 | 受章日 | 備考 |
---|---|---|---|
宇垣一成 | 陸軍大将、陸軍大臣 | 1927年(昭和2年)4月19日 | |
江木翼 | 司法大臣 | 1927年(昭和2年)4月19日 | |
濱口雄幸 | 第27代内閣総理大臣 | 1927年(昭和2年)4月19日 | |
有松英義 | 法制局長官 | 1927年(昭和2年)10月24日 | |
児玉秀雄 | 伯爵、内務大臣 | 1927年(昭和2年)12月17日 | |
野村素介 | 男爵、元老院議官 | 1927年(昭和2年)12月23日 | |
荒井賢太郎 | 枢密院副議長 | 1928年(昭和3年)1月20日 | |
大倉喜八郎 | 男爵、大倉財閥総帥 | 1928年(昭和3年)1月20日 | |
鈴木喜三郎 | 内務大臣 | 1928年(昭和3年)1月20日 | |
大岡育造 | 文部大臣 | 1928年(昭和3年)1月27日 | |
石原健三 | 枢密顧問官 | 1928年(昭和3年)4月21日 | |
山川健次郎 | 男爵、東京帝国大学総長 | 1928年(昭和3年)4月21日 | |
伊藤博邦 | 公爵、式部長官 | 1928年(昭和3年)12月28日 | |
関屋貞三郎 | 宮内次官 | 1928年(昭和3年)12月28日 | |
古市公威 | 男爵、枢密顧問官 | 1928年(昭和3年)12月28日 | |
桜井錠二 | 男爵、枢密顧問官 | 1929年(昭和4年)2月28日 | |
上山満之進 | 台湾総督 | 1929年(昭和4年)3月4日 | |
窪田静太郎 | 行政裁判所長官 | 1929年(昭和4年)8月1日 | |
福田彦助 | 陸軍中将 | 1929年(昭和4年)9月5日 | |
加藤寛治 | 海軍大将 | 1929年(昭和4年)12月28日 | |
水町袈裟六 | 会計検査院長 | 1930年(昭和5年)4月22日 | |
豊島直通 | 大審院部長 | 1930年(昭和5年)10月14日 | |
安保清種 | 海軍大将、海軍大臣 | 1931年(昭和6年)4月11日 | |
松平恒雄 | 宮内大臣 | 1931年(昭和6年)4月11日 | |
田付七太 | 駐ブラジル大使 | 1931年(昭和6年)5月31日 | |
北里柴三郎 | 旧男爵、日本医師会会長 | 1931年(昭和6年)6月13日 | 没後追贈 |
小幡酉吉 | 駐ドイツ大使 | 1931年(昭和6年)6月15日 | |
仙石貢 | 鉄道大臣 | 1931年(昭和6年)10月30日 | |
福原鐐二郎 | 学習院長 | 1931年(昭和6年)10月31日 | |
山川端夫 | 法制局長官 | 1931年(昭和6年)10月31日 | |
花井卓蔵 | 衆議院副議長 | 1931年(昭和6年)12月3日 | |
伊沢多喜男 | 台湾総督 | 1931年(昭和6年)12月12日 | |
入江為守 | 子爵、東宮侍従長 | 1932年(昭和7年)2月8日 | |
小松謙次郎 | 鉄道大臣 | 1932年(昭和7年)10月15日 | |
谷口尚真 | 海軍大将 | 1932年(昭和7年)10月15日 | |
山之内一次 | 鉄道大臣 | 1932年(昭和7年)12月21日 | |
九条道実 | 公爵、掌典長 | 1933年(昭和8年)1月18日 | |
宇佐美勝夫 | 賞勲局総裁 | 1933年(昭和8年)1月27日 | |
井上幾太郎 | 陸軍大将 | 1933年(昭和8年)3月23日 | |
吉田伊三郎 | 駐トルコ大使 | 1933年(昭和8年)4月23日 | |
金谷範三 | 陸軍大将 | 1933年(昭和8年)6月6日 | |
鈴木孝雄 | 陸軍大将 | 1933年(昭和8年)7月21日 | |
グリエルモ・マルコーニ | イタリア上院議員、侯爵。マルコーニ無線電信会社社長。 | 1933年(昭和8年)11月17日 | 日本の無線界の発展に貢献 |
三上参次 | 東京帝国大学教授 | 1934年(昭和9年)1月4日 | |
鎌田栄吉 | 文部大臣 | 1934年(昭和9年)2月6日 | |
大角岑生 | 男爵、海軍大将 | 1934年(昭和9年)2月7日 | |
野村吉三郎 | 海軍大将、駐アメリカ大使 | 1934年(昭和9年)2月7日 | |
菱刈隆 | 陸軍大将 | 1934年(昭和9年)2月7日 | |
南次郎 | 陸軍大将、陸軍大臣 | 1934年(昭和9年)2月7日 | A級戦犯として終身刑(主権回復後に保釈) |
渡辺錠太郎 | 陸軍大将、教育総監 | 1934年(昭和9年)2月7日 | 二・二六事件で暗殺 |
多門二郎 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)2月16日 | |
湯浅倉平 | 内大臣 | 1934年(昭和9年)3月9日 | |
安達謙蔵 | 内務大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | 士族(熊本) |
厚東篤太郎 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
阿部信行 | 陸軍大将、第36代内閣総理大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | 士族(金沢) |
荒木貞夫 | 男爵、陸軍大将、陸軍大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | 士族(徳川) |
安藤利吉 | 陸軍大将、台湾総督 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
伊藤賢三 | 陸軍軍医総監 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
井上忠也 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
植田謙吉 | 陸軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
植村東彦 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
大村卓一 | 満鉄総裁 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
緒方勝一 | 陸軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
小野寺長治郎 | 陸軍主計総監 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
香椎浩平 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
加藤亮一 | 海軍主計中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
蒲穆 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
川崎卓吉 | 商工大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
川島義之 | 陸軍大将、陸軍大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
川村竹治 | 台湾総督、司法大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
岸本綾夫 | 陸軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
黒田琢磨 | 海軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
黒田英雄 | 大蔵次官 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
小磯國昭 | 陸軍大将、朝鮮総督、第41代内閣総理大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | 士族(山形) |
合田平 | 陸軍軍医総監 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
小林躋造 | 海軍大将、台湾総督 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
小山松吉 | 司法大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
坂本政右衛門 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
左近司政三 | 海軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
佐藤尚武 | 外務大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
佐野会輔 | 陸軍主計総監 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
末次信正 | 海軍大将、内務大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
杉政人 | 海軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
杉山元 | 元帥陸軍大将、陸軍大臣、参謀総長 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
鈴木美通 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
高橋三吉 | 海軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
建川美次 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
田中隆三 | 文部大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
塚本清治 | 内閣書記官長 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
出淵勝次 | 駐アメリカ大使 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
永井松三 | 駐ドイツ大使 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
長岡春一 | 駐ドイツ大使 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
永野修身 | 元帥海軍大将、軍令部総長 | 1934年(昭和9年)4月29日 | 士族(土佐)、A級戦犯として裁判中病死 |
中村孝太郎 | 陸軍大将、陸軍大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
中村良三 | 海軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
西尾寿造 | 陸軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
西義一 | 陸軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
二宮治重 | 陸軍中将、文部大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
橋本虎之助 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
畑俊六 | 元帥陸軍大将、陸軍大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | 士族(会津) |
秦真次 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
鳩山一郎 | 第52・53・54代内閣総理大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | 士族(勝山) |
林桂 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
林銑十郎 | 陸軍大将、第33代内閣総理大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | 士族(加賀) |
林仙之 | 陸軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
広田弘毅 | 第32代内閣総理大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | A級戦犯として法務死 |
藤田尚徳 | 海軍大将、侍従長 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
二上兵治 | 枢密顧問官 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
古荘幹郎 | 陸軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
本庄繁 | 男爵、陸軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
真崎甚三郎 | 陸軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
町田忠治 | 大蔵大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
松井石根 | 陸軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | 士族(尾張)、法務死 |
松浦松見 | 海軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
松木直亮 | 陸軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
松山茂 | 海軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
三木善太郎 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
水野錬太郎 | 内務大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
三土忠造 | 大蔵大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
南弘 | 逓信大臣、台湾総督 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
三宅光治 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
室兼次 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
森寿 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
森連 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
柳川平助 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
山梨勝之進 | 海軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
山本英輔 | 海軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
山本鶴一 | 陸軍中将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
吉田豊彦 | 陸軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
米内光政 | 海軍大将、第37代内閣総理大臣 | 1934年(昭和9年)4月29日 | 士族(盛岡) |
有吉明 | 駐中華民国大使 | 1934年(昭和9年)7月4日 | |
河野秀男 | 会計検査院長 | 1934年(昭和9年)12月31日 | |
下条康麿 | 文部大臣 | 1934年(昭和9年)12月31日 | |
元田肇 | 衆議院議長 | 1935年(昭和10年)5月11日 | |
田内三吉 | 陸軍少将、侍従、東宮侍従、宮中顧問官 | 1935年(昭和10年)12月2日 | |
岩越恒一 | 陸軍中将 | 1936年(昭和11年)7月10日 | |
川岸文三郎 | 陸軍中将 | 1936年(昭和11年)7月10日 | |
児玉友雄 | 陸軍中将 | 1936年(昭和11年)7月10日 | |
佐藤三郎 | 陸軍中将 | 1936年(昭和11年)7月10日 | |
清水喜重 | 陸軍中将 | 1936年(昭和11年)7月10日 | |
杉原美代太郎 | 陸軍中将 | 1936年(昭和11年)7月10日 | |
津田静枝 | 海軍中将 | 1936年(昭和11年)7月10日 | |
百武源吾 | 海軍大将 | 1936年(昭和11年)7月10日 | |
三毛一夫 | 陸軍中将 | 1936年(昭和11年)7月10日 | |
若山善太郎 | 陸軍中将 | 1936年(昭和11年)7月10日 | |
荒木寅三郎 | 学習院長 | 1937年(昭和12年)2月1日 | |
板垣征四郎 | 陸軍大将、陸軍大臣 | 1937年(昭和12年)7月7日 | 士族(盛岡) A級戦犯として法務死 |
尾高亀蔵 | 陸軍中将 | 1937年(昭和12年)7月7日 | |
園部和一郎 | 陸軍中将 | 1937年(昭和12年)7月7日 | |
コンスタンティン・フォン・ノイラート | 外務大臣 | 1937年(昭和12年)11月8日[1] | |
ヴェルナー・フォン・ブロンベルク | 国防大臣 | 1937年(昭和12年)11月8日[1] | |
ヘルマン・ゲーリング | 空軍総司令官、航空大臣 | 1937年(昭和12年)11月8日[1] | |
ヴェルナー・フォン・フリッチュ | 陸軍総司令官 | 1937年(昭和12年)11月8日[1] | |
エーリヒ・レーダー | 海軍総司令官 | 1937年(昭和12年)11月8日[1] | |
ハインリヒ・ヒムラー | 親衛隊全国指導者 | 1937年(昭和12年)11月8日[1] | |
馬場鍈一 | 大蔵大臣 | 1937年(昭和12年)12月21日 | |
今井清 | 陸軍中将 | 1938年(昭和13年)1月22日 | |
清水澄 | 枢密院副議長 | 1938年(昭和13年)3月9日 | |
嘉納治五郎 | 東京高等師範学校長 | 1938年(昭和13年)5月4日 | 没後追贈 |
寺内寿一 | 元帥陸軍大将、陸軍大臣 | 1938年(昭和13年)8月13日 | |
長谷川清 | 海軍大将、台湾総督 | 1938年(昭和13年)8月13日 | |
原嘉道 | 男爵、枢密院議長 | 1938年(昭和13年)9月14日 | |
有田八郎 | 外務大臣 | 1938年(昭和13年)11月2日 | |
武者小路公共 | 子爵、駐ドイツ大使 | 1938年(昭和13年)11月2日 | |
渡久雄 | 陸軍中将 | 1939年(昭和14年)1月2日 | |
上田宗重 | 海軍中将 | 1939年(昭和14年)1月26日 | |
宇佐美興屋 | 陸軍大将、侍従武官長 | 1939年(昭和14年)3月23日 | |
及川古志郎 | 海軍大将、海軍大臣 | 1939年(昭和14年)4月13日 | |
近衛文麿 | 公爵、第34・38・39代内閣総理大臣 | 1939年(昭和14年)5月19日 | 公家 |
梅津美治郎 | 陸軍大将、参謀総長 | 1939年(昭和14年)7月11日 | A級戦犯として獄中死 |
沼田徳重 | 陸軍中将 | 1939年(昭和14年)8月12日 | |
小橋一太 | 文部大臣 | 1939年(昭和14年)10月2日 | |
安藤利吉 | 陸軍大将、台湾総督 | 1939年(昭和14年)10月26日 | |
岡村寧次 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)2月16日 | |
松浦鎮次郎 | 文部大臣 | 1940年(昭和15年)2月16日 | |
藤沢幾之輔 | 衆議院議長 | 1940年(昭和15年)4月3日 | |
多田駿 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月18日 | |
土肥原賢二 | 陸軍大将、教育総監 | 1940年(昭和15年)4月18日 | A級戦犯として法務死 |
秋山義兌 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
阿南惟幾 | 陸軍大将、陸軍大臣 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
甘粕重太郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
天谷直次郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
安藤紀三郎 | 陸軍中将、内務大臣 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
安藤三郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
荒木彦弼 | 海軍主計中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
有地十五郎 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
飯田貞固 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
飯沼守 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
飯村穣 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
石川半三郎 | 陸軍主計中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
井関隆昌 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
磯谷廉介 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
伊東政喜 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
稲葉四郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
井上成美 | 海軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
今村均 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
岩村清一 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
岩松義雄 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
上村清太郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
牛島貞雄 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
牛島実常 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
後宮淳 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
江橋英次郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
大内球三郎 | 陸軍主計中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
大島浩 | 陸軍中将、駐ドイツ大使 | 1940年(昭和15年)4月29日 | A級戦犯として終身刑 |
大野緑一郎 | 内務省 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
大山文雄 | 陸軍法務中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
小松原道太郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
岡田武松 | 中央気象台長 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
岡部直三郎 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
荻洲立兵 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
笠井平十郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
笠原幸雄 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
片桐英吉 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
香月清司 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
加藤隆義 | 海軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
河辺正三 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
河村董 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
河村恭輔 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
儀峨徹二 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
喜多誠一 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
木下敏 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
木村兵太郎 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | A級戦犯として法務死 |
木本益雄 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
草場辰巳 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
国崎登 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
久納誠一 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
桑木崇明 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
桑原重治 | 海軍造船中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
黒田重徳 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
小泉親彦 | 陸軍軍医中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
古賀峯一 | 贈元帥海軍大将、連合艦隊司令長官 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
小須田勝造 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
小林宗之助 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
近藤信竹 | 海軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
斉藤博 | 駐アメリカ大使 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
斎藤弥平太 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
酒井鎬次 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
酒井隆 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
佐々木到一 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
佐藤市郎 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
沢田茂 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
沢田節蔵 | 外交 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
塩沢幸一 | 海軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
潮見茂樹 | 海軍法務官・海軍省法務局長 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
重光葵 | 外務大臣 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
七田一郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
篠塚義男 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
篠原誠一郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
嶋田繁太郎 | 海軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
下元熊弥 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
末松茂治 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
杉村陽太郎 | 駐フランス大使 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
鈴木重康 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
住山徳太郎 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
関亀治 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
高木義人 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
高杉新一郎 | 海軍軍医中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
高須四郎 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
武井大助 | 海軍主計中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
田崎武八郎 | 陸軍獣医中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
田尻昌次 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
多田礼吉 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
田中静壱 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
田中稔 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
田辺盛武 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
谷口元治郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
谷寿夫 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
谷村豊太郎 | 海軍造兵中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
谷本馬太郎 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
塚田攻 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
常岡寛治 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
寺師義信 | 陸軍軍医中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
東郷茂徳 | 外務大臣 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
東條英機 | 陸軍大将、第40代内閣総理大臣、参謀総長 | 1940年(昭和15年)4月29日 | 士族(盛岡) A級戦犯として法務死 |
徳川好敏 | 男爵、陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | 士族(徳川) |
土橋一次 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
豊田副武 | 海軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
豊田貞次郎 | 海軍大将、外務大臣 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
中井良太郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
中岡弥高 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
中島今朝吾 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
中島鉄蔵 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
長瀬武平 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
中村明人 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
中村亀三郎 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
永持源次 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
中山蕃 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
野村直邦 | 海軍大将、海軍大臣 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
橋本群 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
蓮沼蕃 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
波田重一 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
秦雅尚 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
浜本喜三郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
原田熊吉 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
久村種樹 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
日高鉱一 | 海軍造兵中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
日比野正治 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
百武三郎 | 海軍大将、侍従長 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
百武晴吉 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
平生釟三郎 | 枢密顧問官 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
平田昇 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
広野太吉 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
深沢友彦 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
福間忠戩 | 海軍造機中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
藤井洋治 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
藤江恵輔 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
藤田進 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
星埜守一 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
堀田正昭 | 駐イタリア大使 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
堀丈夫 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
堀内謙介 | 駐アメリカ大使 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
本間雅晴 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | マニラ軍事裁判で銃殺刑 |
舞伝男 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
前田政一 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
牧野正迪 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
町尻量基 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
松井命 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
松浦淳六郎 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
松岡洋右 | 外務大臣 | 1940年(昭和15年)4月29日 | A級戦犯として裁判中に病死 |
松田巻平 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
三木良英 | 陸軍軍医中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
三宅俊雄 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
武藤一彦 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
村上恭一 | 枢密院書記官長 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
村上啓作 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
村上春一 | 海軍主計中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
泉二新熊 | 大審院長 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
森田宣 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
安岡正臣 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
安田郷輔 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
安田武雄 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
柳下重治 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
山岡重厚 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
山口正熈 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
山下奉文 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | マニラ軍事裁判で絞首刑 |
山田乙三 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
山室宗武 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
山本五十六 | 贈元帥海軍大将、連合艦隊司令長官 | 1940年(昭和15年)4月29日 | 士族(長岡) |
山本昇 | 陸軍主計中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
山脇正隆 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
吉住良輔 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
吉田茂 | 厚生大臣 | 1940年(昭和15年)4月29日 | 士族(福井) |
吉田善吾 | 海軍大将、海軍大臣 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
吉成宗雄 | 海軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
吉本貞一 | 陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
鷲津鈆平 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
渡辺中 | 陸軍獣医中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
渡辺右文 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
真野文二 | 九州帝国大学総長 | 1940年(昭和15年)5月17日 | |
前田治 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)5月23日 | |
篠塚義男 | 陸軍中将 | 1940年(昭和15年)8月16日 | |
岡今朝雄 | 会計検査院長 | 1940年(昭和15年)11月1日 | |
林柳三郎 | 陸軍中将 | 1942年(昭和17年)4月5日 | |
北野憲造 | 陸軍中将 | 1942年(昭和17年)5月12日 | |
山口多聞 | 海軍中将 | 1942年(昭和17年)6月5日 | 戦死後追贈 |
飯田祥二郎 | 陸軍中将 | 1942年(昭和17年)8月19日 | |
前田利為 | 侯爵、陸軍大将 | 1942年(昭和17年)9月5日 | 士族(加賀) 没後追贈 |
ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ | ドイツ陸軍総司令官 | 1942年(昭和17年)9月26日[2] | |
ヴィルヘルム・カイテル | 国防軍総司令部長官 | 1942年(昭和17年)9月26日[3] | |
平林盛人 | 陸軍中将 | 1942年(昭和17年)10月10日 | |
横山勇 | 陸軍中将 | 1942年(昭和17年)11月12日 | |
細萱戊子郎 | 海軍中将 | 1942年(昭和17年)12月9日 | |
今村信次郎 | 海軍中将 | 1943年(昭和18年)1月15日 | |
本多政材 | 陸軍中将 | 1943年(昭和18年)2月9日 | |
平賀譲 | 男爵、海軍造船中将、東京帝国大学総長 | 1943年(昭和18年)2月17日 | 没後追贈 |
遠藤源六 | 行政裁判所長官 | 1943年(昭和18年)3月9日 | |
バー・モウ | ビルマ行政府長官 | 1943年(昭和18年)3月22日[4] | 日本軍占領地における対日協力の功績 |
林頼三郎 | 司法大臣 | 1943年(昭和18年)4月10日 | |
菅原通敬 | 東洋拓殖総裁 | 1943年(昭和18年)5月11日 | |
菅原道大 | 陸軍中将 | 1943年(昭和18年)6月9日 | |
篠田治策 | 李王職長官 | 1943年(昭和18年)9月7日 | |
ホセ・ラウレル | フィリピン共和国、独立準備委員長 | 1943年(昭和18年)10月1日[5] | 日本軍占領地における対日協力の功績 |
ホルヘ・B・ヴァルガス | フィリピン共和国、独立準備委員 | 1943年(昭和18年)10月1日[5] | 日本軍占領地における対日協力の功績 |
安達二十三 | 陸軍中将 | 1943年(昭和18年)10月9日 | |
樋口季一郎 | 陸軍中将 | 1943年(昭和18年)11月11日 | |
潮恵之輔 | 枢密院副議長 | 1943年(昭和18年)12月20日 | |
松浦光清 | 陸軍軍医中将 | 1944年(昭和19年)1月18日 | |
桜井省三 | 陸軍中将 | 1944年(昭和19年)3月7日 | |
古野好武 | 陸軍主計中将 | 1944年(昭和19年)4月12日 | |
小泉六一 | 陸軍中将 | 1944年(昭和19年)6月13日 | |
俵孫一 | 商工大臣 | 1944年(昭和19年)6月17日 | |
高橋伊望 | 海軍中将 | 1944年(昭和19年)7月13日 | |
沢本頼雄 | 海軍大将 | 1944年(昭和19年)8月15日 | |
牛島満 | 陸軍大将 | 1944年(昭和19年)9月12日 | |
松平頼寿 | 伯爵、貴族院議長 | 1944年(昭和19年)9月13日 | 士族(高松) 没後追贈 |
石黒貞蔵 | 陸軍中将 | 1944年(昭和19年)10月12日 | |
河瀬四郎 | 海軍中将 | 1944年(昭和19年)10月12日 | |
草鹿任一 | 海軍中将 | 1944年(昭和19年)10月12日 | |
三川軍一 | 海軍中将 | 1944年(昭和19年)10月12日 | |
荒川文六 | 九州帝国大学総長 | 1944年(昭和19年)11月15日 | |
小野塚喜平次 | 東京帝国大学総長 | 1944年(昭和19年)11月27日 | |
秋田清 | 衆議院議長 | 1944年(昭和19年)12月3日 | |
永井柳太郎 | 逓信大臣 | 1944年(昭和19年)12月4日 | |
小畑英良 | 陸軍大将 | 1945年(昭和20年)1月31日 | 戦死後追贈 |
鷹森孝 | 陸軍中将 | 1945年(昭和20年)3月22日 | |
遠藤喜一 | 海軍大将 | 1945年(昭和20年)3月23日 | 戦死後追贈 |
高木武雄 | 海軍大将 | 1945年(昭和20年)3月23日 | 戦死後追贈 |
遠山登 | 陸軍中将 | 1945年(昭和20年)4月18日 | |
渡辺正夫 | 陸軍中将 | 1945年(昭和20年)7月25日 | 士族(岸和田) |
昭和時代(戦後)
[編集]受章者名 | 主な官職・役職 | 受章日 | 備考 |
---|---|---|---|
美濃部達吉 | 元枢密顧問官 | 1948年(昭和23年)5月23日 | 没後追贈 |
西野元 | 元枢密顧問官 | 1948年(昭和23年)8月3日 | |
長岡半太郎 | 帝国学士院会員 | 1950年(昭和25年)12月11日 | 没後追贈 |
穂積重遠 | 最高裁判所判事 | 1951年(昭和26年)7月29日 | 没後追贈 |
田中舘愛橘 | 旧東京帝国大学名誉教授 | 1952年(昭和27年)5月21日 | 没後追贈 |
本多光太郎 | 旧東北帝国大学総長 | 1954年(昭和29年)2月12日 | 没後追贈 |
市来乙彦 | 大蔵大臣 | 1954年(昭和29年)2月19日 | 没後追贈 |
前田米蔵 | 商工大臣 | 1954年(昭和29年)3月18日 | 没後追贈 |
松本烝治 | 憲法改正担当国務大臣 | 1954年(昭和29年)10月8日 | 没後追贈 |
大達茂雄 | 旧内務大臣 | 1955年(昭和30年)9月25日 | 没後追贈 |
緒方竹虎 | 内閣官房長官、副総理、自由党総裁 | 1956年(昭和31年)1月28日 | 没後追贈 |
三木武吉 | 衆議院議員、自由民主党総裁代行委員 | 1956年(昭和31年)7月4日 | 没後追贈 |
大口喜六 | 衆議院議員 | 1957年(昭和32年)1月26日 | 没後追贈 |
大麻唯男 | 国家公安委員会委員長 | 1957年(昭和32年)2月20日 | 没後追贈 |
永井潜 | 旧東京帝国大学教授 | 1957年(昭和32年)5月17日 | 没後追贈 |
川合芳三郎(玉堂) | 帝国芸術院会員 | 1957年(昭和32年)6月30日 | 没後追贈 |
下村宏 | 情報局総裁 | 1957年(昭和32年)12月3日 | |
砂田重政 | 防衛庁長官 | 1957年(昭和32年)10月27日 | |
山崎猛 | 運輸大臣 | 1957年(昭和32年)10月27日 | |
横山秀麿(大観) | 旧帝国美術院会員 | 1958年(昭和33年)2月26日 | 没後追贈 |
松岡駒吉 | 衆議院議長 | 1958年(昭和33年)8月14日 | 没後追贈 |
安藤広太郎 | 内閣顧問 | 1958年(昭和33年)10月14日 | 没後追贈 |
岡田忠彦 | 衆議院議長 | 1958年(昭和33年)10月30日 | 没後追贈 |
井上匡四郎 | 旧子爵、鉄道大臣 | 1959年(昭和34年)3月18日 | 没後追贈 |
金森徳次郎 | 法制局長官、憲法担当国務大臣 | 1959年(昭和34年)6月16日 | 没後追贈 |
苫米地義三 | 運輸大臣、国民民主党最高委員 | 1959年(昭和34年)6月29日 | 没後追贈 |
小山松寿 | 衆議院議長 | 1959年(昭和34年)11月25日 | 没後追贈 |
松阪広政 | 司法大臣 | 1960年(昭和35年)1月5日 | 没後追贈 |
河本文一 | 会計検査院長 | 1960年(昭和35年)2月12日 | 没後追贈 |
高木貞治 | 旧東京帝国大学名誉教授 | 1960年(昭和35年)2月28日 | 没後追贈 |
石黒忠篤 | 農林大臣 | 1960年(昭和35年)3月10日 | 没後追贈 |
藤原銀次郎 | 商工大臣、王子製紙社長 | 1960年(昭和35年)3月17日 | 没後追贈 |
中島久万吉 | 旧男爵、商工大臣、横濱護謨製造(横浜ゴム)会長 | 1960年(昭和35年)4月25日 | 没後追贈 |
犬養健 | 法務大臣 | 1960年(昭和35年)8月28日 | 没後追贈 |
次田大三郎 | 法制局長官、内閣書記官長 | 1960年(昭和35年)9月15日 | 没後追贈 |
小坂順造 | 枢密顧問官 | 1960年(昭和35年)10月16日 | 没後追贈 |
水谷長三郎 | 商工大臣 | 1960年(昭和35年)12月17日 | 没後追贈 |
筧克彦 | 東京帝国大学教授 | 1961年(昭和36年)2月27日 | 没後追贈 |
広幡忠隆 | 旧侯爵、皇后宮大夫 | 1961年(昭和36年)4月12日 | 没後追贈 |
牧野良三 | 法務大臣 | 1961年(昭和36年)6月1日 | 没後追贈 |
田中都吉 | 駐ソ連大使 | 1961年(昭和36年)10月3日 | 没後追贈 |
小倉正恒 | 大蔵大臣 | 1961年(昭和36年)11月20日 | 没後追贈 |
戸田正三 | 金沢大学学長 | 1961年(昭和36年)11月20日 | 没後追贈 |
アーレイ・バーク | アメリカ海軍作戦部長 | 1961年(昭和36年)月日 | |
安井誠一郎 | 東京都知事 | 1962年(昭和37年)1月14日 | |
熊谷岱蔵 | 東北大学名誉教授 | 1962年(昭和37年)2月19日 | 没後追贈 |
前田多門 | 文部大臣 | 1962年(昭和37年)6月4日 | 没後追贈 |
柳田國男 | 枢密顧問官、民俗学者 | 1962年(昭和37年)8月8日 | 没後追贈 |
真島利行 | 旧東北帝国大学名誉教授 | 1962年(昭和37年)8月19日 | 没後追贈 |
谷正之 | 外務大臣 | 1962年(昭和37年)10月26日 | 没後追贈 |
植原悦二郎 | 衆議院副議長 | 1962年(昭和37年)12月2日 | 没後追贈 |
徳川家正 | 旧公爵、貴族院議長 | 1963年(昭和38年)2月18日 | 没後追贈 |
湯沢三千男 | 内務大臣 | 1963年(昭和38年)2月21日 | 没後追贈 |
田子一民 | 衆議院議長 | 1963年(昭和38年)8月15日 | 没後追贈 |
河田烈 | 大蔵大臣 | 1963年(昭和38年)9月10日 | |
勝沼精蔵 | 名古屋大学学長 | 1963年(昭和38年)11月10日 | 没後追贈 |
田中万逸 | 無任所国務大臣、衆議院副議長 | 1963年(昭和38年)12月5日 | 没後追贈 |
高碕達之助 | 経済企画庁長官 | 1964年(昭和39年)2月24日 | 没後追贈 |
石橋湛山 | 第55代内閣総理大臣 | 1964年(昭和39年)4月29日 | |
片山哲 | 第46代内閣総理大臣 | 1964年(昭和39年)4月29日 | |
加藤鐐五郎 | 衆議院議長 | 1964年(昭和39年)4月29日 | |
小原直 | 法務大臣 | 1964年(昭和39年)4月29日 | |
霜山精一 | 最高裁判所判事 | 1964年(昭和39年)4月29日 | |
田中耕太郎 | 最高裁判所長官 | 1964年(昭和39年)4月29日 | |
山田三良 | 日本学士院院長 | 1964年(昭和39年)4月29日 | |
清瀬一郎 | 衆議院議長 | 1964年(昭和39年)11月3日 | |
正力松太郎 | 科学技術庁長官、読売新聞社社主 | 1964年(昭和39年)11月3日 | |
星島二郎 | 衆議院議長 | 1964年(昭和39年)11月3日 | |
益谷秀次 | 衆議院議長 | 1964年(昭和39年)11月3日 | |
カーティス・ルメイ | アメリカ空軍参謀総長 | 1964年(昭和39年)12月4日 | |
川島正次郎 | 行政管理庁長官、自由民主党副総裁 | 1965年(昭和40年)4月29日 | |
重宗雄三 | 参議院議長 | 1965年(昭和40年)4月29日 | |
船田中 | 衆議院議長 | 1965年(昭和40年)4月29日 | |
石井光次郎 | 法務大臣 | 1965年(昭和40年)11月3日 | |
横田喜三郎 | 最高裁判所長官 | 1965年(昭和40年)11月3日 | |
東龍太郎 | 東京都知事 | 1967年(昭和42年)4月29日 | |
高木武雄 | 旧海軍大将 | 1967年(昭和42年)8月30日 | 戦没者殊勲 |
遠藤喜一 | 旧海軍大将 | 1967年(昭和42年)10月28日 | 戦没者殊勲 |
藤山愛一郎 | 外務大臣、藤山コンツェルン総帥 | 1967年(昭和42年)11月3日 | |
山口喜久一郎 | 衆議院議長 | 1967年(昭和42年)11月3日 | |
栗林忠道 | 旧陸軍大将 | 1967年(昭和42年)12月23日 | 戦没者殊勲 |
下村定 | 旧陸軍大将、陸軍大臣 | 1968年(昭和43年)3月25日 | 没後追贈 |
ロバート・ケネディ | アメリカ合衆国上院議員 | 1968年(昭和43年)6月6日 | 没後追贈[6] |
増田甲子七 | 運輸大臣 | 1968年(昭和43年)11月3日 | |
山縣正郷 | 旧海軍大将 | 1968年(昭和43年)12月25日 | 戦没者殊勲 |
奥野健一 | 最高裁判所判事 | 1969年(昭和44年)4月29日 | |
椎名悦三郎 | 外務大臣、自由民主党副総裁 | 1969年(昭和44年)4月29日 | |
横田正俊 | 最高裁判所長官 | 1969年(昭和44年)4月29日 | |
鈴木宗作 | 旧陸軍大将 | 1969年(昭和44年)9月27日 | 戦没者殊勲 |
永山忠則 | 自治大臣 | 1969年(昭和44年)11月3日 | |
堀切善次郎 | 内務大臣 | 1969年(昭和44年)11月3日 | |
山県栗花生 | 旧陸軍中将 | 1970年(昭和45年)2月28日 | 戦没者殊勲 |
足立正 | 日本商工会議所(日商)会頭 | 1970年(昭和45年)4月29日 | |
石坂泰三 | 経済団体連合会(経団連)会長 | 1970年(昭和45年)4月29日 | |
灘尾弘吉 | 衆議院議長 | 1970年(昭和45年)4月29日 | |
松田竹千代 | 衆議院議長 | 1970年(昭和45年)4月29日 | |
斯波孝四郎 | 三菱重工業会長 | 1970年(昭和45年)11月3日 | |
向井忠晴 | 大蔵大臣、三井財閥総帥 | 1970年(昭和45年)11月3日 | |
安川第五郎 | 安川電機会長 | 1970年(昭和45年)11月3日 | |
青木一男 | 大蔵大臣 | 1971年(昭和46年)4月29日 | |
入江俊郎 | 法制局長官 | 1971年(昭和46年)4月29日 | |
中村梅吉 | 法務大臣 | 1971年(昭和46年)4月29日 | |
荒木万寿夫 | 文部大臣 | 1971年(昭和46年)11月3日 | |
菅野和太郎 | 通産大臣 | 1971年(昭和46年)11月3日 | |
後藤文夫 | 農林大臣 | 1971年(昭和46年)11月3日 | |
橋本登美三郎 | 運輸大臣 | 1971年(昭和46年)11月3日 | |
広瀬久忠 | 厚生大臣 | 1971年(昭和46年)11月3日 | |
一松定吉 | 厚生大臣 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
稲田周一 | 侍従長 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
井上孝治郎 | 駐トルコ大使 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
井野碩哉 | 法務大臣 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
今道潤三 | 東京放送会長 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
植村甲午郎 | 経済団体連合会(経団連)会長 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
大濱信泉 | 早稲田大学総長 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
加藤弁三郎 | 協和発酵会長 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
川端康成 | 小説家 | 1972年(昭和47年)4月29日 | 1961年(昭和36年)、文化勲章受章。 |
高田元三郎 | 日米通信社社長 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
中安閑一 | 宇部興産社長 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
新関八洲太郎 | 三井物産会長 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
西尾末広 | 国務大臣副総理、民社党委員長 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
橋本清之助 | 日本原子力産業会議 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
保利茂 | 労働大臣 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
松本正雄 | 最高裁判所判事 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
郡祐一 | 法務大臣 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
森八三一 | 参議院副議長 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
山縣勝見 | 郵政大臣、興亜火災海上保険会長 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
横溝光暉 | 岡山県知事 | 1972年(昭和47年)4月29日 | |
木内四郎 | 科学技術庁長官 | 1972年(昭和47年)11月3日 | |
河野謙三 | 参議院議長 | 1972年(昭和47年)11月3日 | |
中村寅太 | 運輸大臣 | 1972年(昭和47年)11月3日 | |
馬場義続 | 検事総長 | 1972年(昭和47年)11月3日 | |
松浦周太郎 | 労働大臣 | 1972年(昭和47年)11月3日 | |
村上勇 | 郵政大臣 | 1972年(昭和47年)11月3日 | |
山縣昌夫 | 東京大学教授 | 1972年(昭和47年)11月3日 | |
有田喜一 | 文部大臣 | 1973年(昭和48年)4月29日 | |
石原幹市郎 | 自治大臣 | 1973年(昭和48年)4月29日 | |
河野密 | 衆議院議員 | 1973年(昭和48年)4月29日 | |
福田一 | 衆議院議長 | 1973年(昭和48年)4月29日 | |
真野毅 | 最高裁判所判事 | 1973年(昭和48年)4月29日 | |
天野貞祐 | 文部大臣 | 1973年(昭和48年)11月3日 | |
石田和外 | 最高裁判所長官 | 1973年(昭和48年)11月3日 | |
桑原幹根 | 愛知県知事 | 1973年(昭和48年)11月3日 | |
小山邦太郎 | 衆議院議員、参議院議員、小諸市長 | 1973年(昭和48年)11月3日 | |
島津忠承 | 日本赤十字社長 | 1973年(昭和48年)11月3日 | |
周東英雄 | 農林大臣 | 1973年(昭和48年)11月3日 | |
高橋誠一郎 | 日本芸術院院長、慶應義塾塾長 | 1973年(昭和48年)11月3日 | |
西村英一 | 厚生大臣、自由民主党副総裁 | 1973年(昭和48年)11月3日 | |
倉石忠雄 | 農林大臣 | 1974年(昭和49年)4月29日 | |
古池信三 | 郵政大臣 | 1974年(昭和49年)4月29日 | |
佐藤喜一郎 | 三井銀行会長 | 1974年(昭和49年)4月29日 | |
床次徳二 | 総理府総務長官 | 1974年(昭和49年)4月29日 | |
南原繁 | 旧東京帝国大学総長、日本学士院院長 | 1974年(昭和49年)4月29日 | |
森戸辰男 | 文部大臣 | 1974年(昭和49年)4月29日 | |
吉武恵市 | 労働大臣 | 1974年(昭和49年)4月29日 | |
伊藤整一 | 旧海軍大将 | 1974年(昭和49年)6月26日 | 戦没者殊勲 |
冨永信政 | 旧陸軍大将 | 1974年(昭和49年)9月28日 | 戦没者殊勲 |
木村篤太郎 | 法務大臣、防衛庁長官 | 1974年(昭和49年)11月3日 | |
黒川利雄 | 東北大学学長 | 1974年(昭和49年)11月3日 | |
篠田弘作 | 自治大臣 | 1974年(昭和49年)11月3日 | |
新谷寅三郎 | 運輸大臣 | 1974年(昭和49年)11月3日 | |
瀬戸山三男 | 法務大臣、文部大臣 | 1974年(昭和49年)11月3日 | |
塚田十一郎 | 郵政大臣 | 1974年(昭和49年)11月3日 | |
鳥養利三郎 | 京都大学総長 | 1974年(昭和49年)11月3日 | |
中山伊知郎 | 一橋大学学長 | 1974年(昭和49年)11月3日 | |
赤城宗徳 | 農林水産大臣 | 1975年(昭和50年)4月29日 | |
有沢広巳 | 法政大学総長 | 1975年(昭和50年)4月29日 | |
大橋武夫 | 運輸大臣 | 1975年(昭和50年)4月29日 | |
茅誠司 | 東京大学総長 | 1975年(昭和50年)4月29日 | |
千葉三郎 | 労働大臣 | 1975年(昭和50年)4月29日 | |
東畑精一 | 東京大学教授 | 1975年(昭和50年)4月29日 | |
上原正吉 | 科学技術庁長官 | 1975年(昭和50年)11月3日 | |
加藤常太郎 | 労働大臣 | 1975年(昭和50年)11月3日 | |
木原均 | 京都大学教授 | 1975年(昭和50年)11月3日 | |
武見太郎 | 日本医師会会長 | 1975年(昭和50年)11月3日 | |
西村直己 | 農林水産大臣 | 1975年(昭和50年)11月3日 | |
早稲田柳右衛門 | 衆議院議員 | 1975年(昭和50年)11月3日 | |
秋田大助 | 自治大臣 | 1976年(昭和51年)4月29日 | |
宇佐美毅 | 宮内庁長官 | 1976年(昭和51年)4月29日 | |
小島徹三 | 法務大臣 | 1976年(昭和51年)4月29日 | |
小山長規 | 建設大臣 | 1976年(昭和51年)4月29日 | |
島村一郎 | 衆議院議員 | 1976年(昭和51年)4月29日 | |
田中伊三次 | 法務大臣 | 1976年(昭和51年)4月29日 | |
高橋雄豺 | 警察官僚 | 1976年(昭和51年)4月29日 | |
朝永振一郎 | 東京教育大学学長 | 1976年(昭和51年)4月29日 | 1952年(昭和27年)、文化勲章受章。 |
前尾繁三郎 | 衆議院議長 | 1976年(昭和51年)4月29日 | |
水田三喜男 | 大蔵大臣 | 1976年(昭和51年)4月29日 | |
植木庚子郎 | 大蔵大臣 | 1976年(昭和51年)11月3日 | |
徳安実蔵 | 郵政大臣 | 1976年(昭和51年)11月3日 | |
広瀬正雄 | 郵政大臣 | 1976年(昭和51年)11月3日 | |
村上朝一 | 最高裁判所長官 | 1976年(昭和51年)11月3日 | |
荒舩清十郎 | 運輸大臣 | 1977年(昭和52年)4月29日 | |
下田武三 | 外務次官、駐アメリカ大使、最高裁判所判事 | 1977年(昭和52年)4月29日 | |
浜野清吾 | 法務大臣 | 1977年(昭和52年)4月29日 | |
福田篤泰 | 郵政大臣 | 1977年(昭和52年)4月29日 | |
湯川秀樹 | 京都大学名誉教授 | 1977年(昭和52年)4月29日 | 1943年(昭和18年)、文化勲章受章。 |
剱木亨弘 | 文部大臣 | 1977年(昭和52年)11月3日 | |
藤林益三 | 最高裁判所長官 | 1977年(昭和52年)11月3日 | |
増原惠吉 | 防衛庁長官 | 1977年(昭和52年)11月3日 | |
土光敏夫 | 経済団体連合会(経団連)会長 | 1978年(昭和53年)4月29日 | |
永野重雄 | 日本商工会議所(日商)会頭、富士製鐵社長 | 1978年(昭和53年)4月29日 | |
長谷川四郎 | 農林水産大臣 | 1978年(昭和53年)4月29日 | |
坊秀男 | 大蔵大臣 | 1978年(昭和53年)4月29日 | |
芦原義重 | 関西電力会長 | 1978年(昭和53年)11月3日 | |
岡原昌男 | 最高裁判所長官 | 1979年(昭和54年)4月29日 | |
井上五郎 | 中部電力会長 | 1979年(昭和54年)11月3日 | |
奥田良三 | 奈良県知事 | 1979年(昭和54年)11月3日 | |
増本量 | 東北大学名誉教授 | 1979年(昭和54年)11月3日 | |
稲葉修 | 法務大臣 | 1980年(昭和55年)4月29日 | |
大石武一 | 農林水産大臣 | 1980年(昭和55年)4月29日 | |
兼重寛九郎 | 日本学術会議会長 | 1980年(昭和55年)4月29日 | |
小平久雄 | 衆議院副議長 | 1980年(昭和55年)4月29日 | |
堀田庄三 | 日本航空会長 | 1980年(昭和55年)4月29日 | |
春日一幸 | 民社党委員長 | 1980年(昭和55年)11月3日 | |
木村武雄 | 建設大臣 | 1980年(昭和55年)11月3日 | |
高辻正己 | 最高裁判所判事、法務大臣 | 1980年(昭和55年)11月3日 | |
町村金五 | 自治大臣 | 1980年(昭和55年)11月3日 | |
森永貞一郎 | 日本銀行総裁 | 1980年(昭和55年)11月3日 | |
山田久就 | 環境庁長官 | 1980年(昭和55年)11月3日 | |
大槻文平 | 三菱鉱業セメント会長 | 1981年(昭和56年)4月29日 | |
松沢雄蔵 | 行政管理庁長官 | 1981年(昭和56年)4月29日 | |
松下幸之助 | 松下電器産業会長 | 1981年(昭和56年)4月29日 | |
原安三郎 | 日本化薬会長 | 1981年(昭和56年)11月3日 | |
稲山嘉寛 | 経済団体連合会(経団連)会長、新日本製鐵社長 | 1982年(昭和57年)4月29日 | |
牛場信彦 | 駐アメリカ大使、対外経済担当大臣 | 1982年(昭和57年)4月29日 | |
小坂善太郎 | 外務大臣 | 1982年(昭和57年)4月29日 | |
古井喜実 | 法務大臣 | 1982年(昭和57年)4月29日 | |
安西浩 | 東京瓦斯会長 | 1982年(昭和57年)11月3日 | |
中野四郎 | 国土庁長官 | 1982年(昭和57年)11月3日 | |
松前重義 | 東海大学総長 | 1982年(昭和57年)11月3日 | |
小川平二 | 文部大臣 | 1983年(昭和58年)4月29日 | |
櫻内義雄 | 外務大臣 | 1983年(昭和58年)4月29日 | |
松平勇雄 | 福島県知事 | 1983年(昭和58年)4月29日 | |
森八三一 | 参議院副議長 | 1983年(昭和58年)4月29日 | |
木村俊夫 | 外務大臣 | 1983年(昭和58年)11月3日 | |
佐伯勇 | 近畿日本鉄道会長 | 1983年(昭和58年)11月3日 | |
藤田進 | 参議院議員、日本労働組合総評議会議長 | 1983年(昭和58年)11月3日 | |
前田正男 | 科学技術庁長官 | 1983年(昭和58年)11月3日 | |
金子岩三 | 農林大臣 | 1984年(昭和59年)4月29日 | |
楯兼次郎 | 衆議院議員 | 1984年(昭和59年)4月29日 | |
八木一郎 | 衆議院議員、参議院議員 | 1984年(昭和59年)4月29日 | |
山本幸一 | 衆議院議員 | 1984年(昭和59年)4月29日 | |
足立篤郎 | 農林水産大臣 | 1984年(昭和59年)11月3日 | |
久保田豊 | 日本工営会長 | 1985年(昭和60年)4月29日 | |
佐々木良作 | 民社党委員長 | 1985年(昭和60年)4月29日 | |
渡海元三郎 | 自治大臣 | 1985年(昭和60年)4月29日 | |
服部高顕 | 最高裁判所長官 | 1985年(昭和60年)4月29日 | |
小林進 | 衆議院議員 | 1985年(昭和60年)4月29日 | |
今里広記 | 実業家 | 1985年(昭和60年)5月30日 | 没後追贈、1979年(昭和54年)勲一等瑞宝章 |
佐々木義武 | 通商産業大臣 | 1985年(昭和60年)11月3日 | |
天野光晴 | 国土庁長官 | 1986年(昭和61年)4月29日 | |
井出一太郎 | 内閣官房長官 | 1986年(昭和61年)4月29日 | |
井深大 | ソニー会長 | 1986年(昭和61年)4月29日 | |
岩佐凱実 | 富士銀行頭取 | 1986年(昭和61年)4月29日 | |
上村千一郎 | 環境庁長官 | 1986年(昭和61年)4月29日 | |
金子一平 | 大蔵大臣 | 1986年(昭和61年)4月29日 | |
小平忠 | 衆議院議員 | 1986年(昭和61年)4月29日 | |
西郷吉之助 | 法務大臣 | 1986年(昭和61年)4月29日 | |
藤井勝志 | 労働大臣 | 1986年(昭和61年)4月29日 | |
三原朝雄 | 文部大臣 | 1986年(昭和61年)4月29日 | |
阿具根登 | 参議院副議長 | 1986年(昭和61年)11月3日 | |
大来佐武郎 | 外務大臣 | 1986年(昭和61年)11月3日 | |
岡田春夫 | 参議院副議長 | 1986年(昭和61年)11月3日 | |
奥野誠亮 | 文部大臣 | 1986年(昭和61年)11月3日 | |
勝間田清一 | 参議院副議長 | 1986年(昭和61年)11月3日 | |
加藤武徳 | 自治大臣 | 1986年(昭和61年)11月3日 | |
野田卯一 | 建設大臣 | 1986年(昭和61年)11月3日 | |
細田吉蔵 | 運輸大臣 | 1986年(昭和61年)11月3日 | |
石田博英 | 労働大臣 | 1987年(昭和62年)4月29日 | |
斎藤邦吉 | 厚生大臣 | 1987年(昭和62年)4月29日 | |
笹川良一 | 日本船舶振興会長 | 1987年(昭和62年)4月29日 | |
古屋亨 | 自治大臣 | 1987年(昭和62年)4月29日 | |
森山欽司 | 運輸大臣 | 1987年(昭和62年)4月29日 | |
宇都宮徳馬 | 衆議院議員、参議院議員 | 1987年(昭和62年)11月3日 | |
岡本道雄 | 京都大学総長 | 1987年(昭和62年)11月3日 | |
木村睦男 | 参議院議長 | 1987年(昭和62年)11月3日 | |
小林宏治 | 日本電気会長 | 1987年(昭和62年)11月3日 | |
鈴木俊一 | 東京都知事 | 1987年(昭和62年)11月3日 | |
田中正巳 | 厚生大臣 | 1987年(昭和62年)11月3日 | |
団藤重光 | 最高裁判所判事、東京大学教授 | 1987年(昭和62年)11月3日 | |
寺田治郎 | 最高裁判所長官 | 1987年(昭和62年)11月3日 | |
中村正雄 | 衆議院議員、参議院議員 | 1987年(昭和62年)11月3日 | |
根本龍太郎 | 内閣官房長官 | 1987年(昭和62年)11月3日 | |
林敬三 | 赤十字社長 | 1987年(昭和62年)11月3日 | |
日向方斉 | 住友金属会長 | 1987年(昭和62年)11月3日 | |
下平正一 | 衆議院議員 | 1988年(昭和63年)4月29日 | |
小坂徳三郎 | 運輸大臣 | 1988年(昭和63年)11月3日 | |
丹羽兵助 | 労働大臣 | 1988年(昭和63年)11月3日 | |
福井謙一 | 京都大学名誉教授 | 1988年(昭和63年)11月3日 | 1981年(昭和56年)、文化勲章受章。 |
平成
[編集]- 栄典制度改革前
受章者名 | 主な官職・役職 | 受章日 | 備考 |
---|---|---|---|
小倉武一 | 税制調査会長 | 1989年(平成元年)4月29日 | |
林修三 | 法制局長官 | 1989年(平成元年)4月29日 | |
松野幸泰 | 岐阜県知事、国土庁長官 | 1989年(平成元年)4月29日 | |
角屋堅次郎 | 衆議院議員 | 1989年(平成元年)11月3日 | |
白木義一郎 | 参議院議員 | 1989年(平成元年)11月3日 | |
秋山長造 | 参議院副議長 | 1990年(平成2年)4月29日 | |
斎藤英四郎 | 経済団体連合会会長、新日本製鐵社長 | 1990年(平成2年)4月29日 | |
澄田智 | 日本銀行総裁 | 1990年(平成2年)4月29日 | |
田中龍夫 | 通商産業大臣 | 1990年(平成2年)4月29日 | |
二階堂進 | 内閣官房長官 | 1990年(平成2年)4月29日 | |
八百板正 | 参議院議員 | 1990年(平成2年)4月29日 | |
安井吉典 | 衆議院副議長 | 1990年(平成2年)4月29日 | |
多賀谷真稔 | 衆議院副議長 | 1990年(平成2年)11月3日 | |
豊田英二 | トヨタ自動車工業社長 | 1990年(平成2年)11月3日 | |
本田宗一郎 | 本田技研工業社長 | 1991年(平成2年)11月3日 | |
渡辺栄一 | 建設大臣 | 1990年(平成2年)11月3日 | |
石原俊 | 日産自動車社長 | 1991年(平成3年)4月29日 | |
久野忠治 | 郵政大臣 | 1991年(平成3年)4月29日 | |
小柳勇 | 参議院議員 | 1991年(平成3年)4月29日 | |
田川誠一 | 自治大臣 | 1991年(平成3年)4月29日 | |
畑和 | 埼玉県知事 | 1991年(平成3年)4月29日 | |
原田憲 | 運輸大臣 | 1991年(平成3年)4月29日 | |
永末英一 | 民社党委員長 | 1991年(平成3年)11月3日 | |
山中貞則 | 通商産業大臣 | 1991年(平成3年)11月3日 | |
内海英男 | 建設大臣 | 1992年(平成4年)4月29日 | |
初村滝一郎 | 労働大臣 | 1992年(平成4年)4月29日 | |
藤田正明 | 参議院議長 | 1992年(平成4年)4月29日 | |
森下元晴 | 厚生大臣 | 1992年(平成4年)4月29日 | |
長田裕二 | 参議院議長 | 1992年(平成4年)11月3日 | |
伊藤正己 | 最高裁判所判事 | 1993年(平成5年)4月29日 | |
江崎真澄 | 総務庁長官 | 1993年(平成5年)4月29日 | |
倉成正 | 外務大臣 | 1993年(平成5年)4月29日 | |
角田禮次郎 | 最高裁判所判事 | 1993年(平成5年)4月29日 | |
永井道雄 | 文部大臣 | 1993年(平成5年)4月29日 | |
塩崎潤 | 総務庁長官 | 1993年(平成5年)11月3日 | |
楢崎弥之助 | 衆議院議員 | 1993年(平成5年)11月3日 | |
林田悠紀夫 | 法務大臣 | 1993年(平成5年)11月3日 | |
村山達雄 | 大蔵大臣 | 1993年(平成5年)11月3日 | |
鈴木永二 | 日本経営者団体連盟会長 | 1994年(平成6年)4月29日 | |
平岩外四 | 経済団体連合会会長 | 1994年(平成6年)4月29日 | |
亀井正夫 | 住友電気工業会長 | 1994年(平成6年)11月3日 | |
小林與三次 | 読売新聞会長 | 1994年(平成6年)11月3日 | |
石川忠雄 | 慶応義塾塾長 | 1995年(平成7年)4月29日 | |
沢田一精 | 熊本県知事 | 1995年(平成7年)4月29日 | |
鈴木省吾 | 法務大臣 | 1995年(平成7年)4月29日 | |
村田敬次郎 | 自治大臣 | 1995年(平成7年)4月29日 | |
大出俊 | 郵政大臣 | 1995年(平成7年)11月3日 | |
佐藤守良 | 農林水産大臣 | 1995年(平成7年)11月3日 | |
武藤山治 | 衆議院議員 | 1995年(平成7年)11月3日 | |
吉國一郎 | 法制局長官 | 1995年(平成7年)11月3日 | |
左藤恵 | 法務大臣 | 1996年(平成8年)4月29日 | |
山口鶴男 | 総務庁長官 | 1996年(平成8年)4月29日 | |
栗原祐幸 | 労働大臣 | 1996年(平成8年)11月3日 | |
河本敏夫 | 通商産業大臣 | 1996年(平成8年)11月3日 | |
坂本三十次 | 労働大臣、内閣官房長官 | 1996年(平成8年)11月3日 | |
竹入義勝 | 公明党委員長 | 1996年(平成8年)11月3日 | |
田邊誠 | 日本社会党委員長 | 1996年(平成8年)11月3日 | |
野坂浩賢 | 内閣官房長官 | 1996年(平成8年)11月3日 | |
松永信雄 | 大使 | 1996年(平成8年)11月3日 | |
味村治 | 最高裁判所判事 | 1996年(平成8年)11月3日 | |
植木光教 | 総理府総務長官 | 1997年(平成9年)4月29日 | |
鯨岡兵輔 | 衆議院副議長、環境庁長官 | 1997年(平成9年)4月29日 | |
後藤田正晴 | 内閣官房長官 | 1997年(平成9年)4月29日 | |
田澤吉郎 | 農林水産大臣 | 1997年(平成9年)4月29日 | |
塚本三郎 | 民社党委員長 | 1997年(平成9年)4月29日 | |
中山太郎 | 外務大臣 | 1997年(平成9年)4月29日 | |
田邊圀男 | 総理府総務長官 | 1997年(平成9年)11月3日 | |
江崎玲於奈 | 物理学者、筑波大学長 | 1998年(平成10年)4月29日 | 1974年(昭和49年)11月3日、文化勲章を受章。 |
奥田敬和 | 郵政大臣、自治大臣、国家公安委員会委員長、運輸大臣 | 1998年(平成10年)4月29日 | |
越智伊平 | 農林水産大臣 | 1998年(平成10年)4月29日 | |
世耕政隆 | 近畿大学総長、自治大臣、裁判官弾劾裁判所裁判長 | 1998年(平成10年)4月29日 | |
水野清 | 建設大臣 | 1998年(平成10年)4月29日 | |
三ツ林弥太郎 | 科学技術庁長官 | 1998年(平成10年)4月29日 | |
赤桐操 | 参議院副議長 | 1998年(平成10年)11月3日 | |
江藤隆美 | 運輸大臣 | 1998年(平成10年)11月3日 | |
瀬谷英行 | 参議院副議長 | 1998年(平成10年)11月3日 | |
中山利生 | 防衛庁長官 | 1998年(平成10年)11月3日 | |
藤尾正行 | 労働大臣 | 1998年(平成10年)11月3日 | |
遠藤要 | 法務大臣 | 1999年(平成11年)4月29日 | |
山下徳夫 | 厚生大臣 | 1999年(平成11年)4月29日 | |
井上吉夫 | 国土庁長官 | 1999年(平成11年)11月3日 | |
梶山静六 | 内閣官房長官 | 1999年(平成11年)11月3日 | |
加藤六月 | 農林水産大臣 | 1999年(平成11年)11月3日 | |
高鳥修 | 総務庁長官 | 1999年(平成11年)11月3日 | |
長野士郎 | 岡山県知事 | 1999年(平成11年)11月3日 | |
藤森昭一 | 宮内庁長官 | 1999年(平成11年)11月3日 | |
松永光 | 大蔵大臣 | 1999年(平成11年)11月3日 | |
三好達 | 最高裁判所長官 | 1999年(平成11年)11月3日 | |
石原信雄 | 内閣官房副長官 | 2000年(平成12年)4月29日 | |
大内啓伍 | 厚生大臣 | 2000年(平成12年)4月29日 | |
小澤辰男 | 厚生大臣 | 2000年(平成12年)4月29日 | |
近藤鉄雄 | 労働大臣 | 2000年(平成12年)4月29日 | |
竹内黎一 | 科学技術庁長官 | 2000年(平成12年)4月29日 | |
林義郎 | 大蔵大臣 | 2000年(平成12年)4月29日 | |
平泉渉 | 経済企画庁長官 | 2000年(平成12年)4月29日 | |
武藤嘉文 | 外務大臣 | 2000年(平成12年)4月29日 | |
井上裕 | 参議院議長 | 2000年(平成12年)11月3日 | |
小澤潔 | 国土庁長官 | 2000年(平成12年)11月3日 | |
越智通雄 | 経済企画庁長官 | 2000年(平成12年)11月3日 | |
粕谷茂 | 北海道開発庁長官 | 2000年(平成12年)11月3日 | |
唐沢俊二郎 | 郵政大臣 | 2000年(平成12年)11月3日 | |
坂野重信 | 自治大臣 | 2000年(平成12年)11月3日 | |
塩川正十郎 | 自治大臣 | 2000年(平成12年)11月3日 | |
谷川和穂 | 法務大臣 | 2000年(平成12年)11月3日 | |
葉梨信行 | 自治大臣 | 2000年(平成12年)11月3日 | |
岩崎純三 | 総務庁長官 | 2001年(平成13年)4月29日 | |
小里貞利 | 労働大臣 | 2001年(平成13年)4月29日 | |
坪井栄孝 | 医師会会長 | 2001年(平成13年)4月29日 | |
藤本孝雄 | 農林水産大臣 | 2001年(平成13年)4月29日 | |
堀之内久男 | 農林水産大臣 | 2001年(平成13年)4月29日 | |
久保亘 | 大蔵大臣 | 2001年(平成13年)11月3日 | |
田英夫 | 参議院議員 | 2001年(平成13年)11月3日 | |
村岡兼造 | 内閣官房長官 | 2001年(平成13年)11月3日 | |
相澤英之 | 経済企画庁長官 | 2002年(平成14年)4月29日 | |
谷洋一 | 農林水産大臣 | 2002年(平成14年)4月29日 | |
豊田章一郎 | トヨタ自動車社長 | 2002年(平成14年)4月29日 | |
野呂田芳成 | 農林水産大臣 | 2002年(平成14年)4月29日 | |
原田昇左右 | 建設大臣 | 2002年(平成14年)4月29日 | |
平井卓志 | 労働大臣 | 2002年(平成14年)4月29日 | |
宮下創平 | 厚生大臣 | 2002年(平成14年)4月29日 | |
上原康助 | 沖縄開発庁長官 | 2002年(平成14年)11月3日 | |
中山正暉 | 建設大臣 | 2002年(平成14年)11月3日 | |
西田司 | 自治大臣 | 2002年(平成14年)11月3日 | |
野中広務 | 内閣官房長官 | 2002年(平成14年)11月3日 | |
稲葉興作 | 日本商工会議所会頭 | 2003年(平成15年)4月29日 | |
佐藤信二 | 運輸大臣 | 2003年(平成15年)4月29日 | |
小柴昌俊 | 東京大学名誉教授 | 2003年(平成15年)4月29日 | 1997年(平成9年)11月3日、文化勲章を受章。 |
堀内光雄 | 通商産業大臣 | 2003年(平成15年)4月29日 | |
渡部恒三 | 衆議院副議長、通商産業大臣 | 2003年(平成15年)4月29日 |
- 栄典制度改革後
詳細は「旭日大綬章」を参照
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 「独国外務大臣男爵「フォン、ノイラート」外三十三名叙勲ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113228200
- ^ 「独国総統幕僚全権公使「ワルター、ヘーベル」外二十二名叙勲ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113448500
- ^ 「独国総統幕僚全権公使「ワルター、ヘーベル」外二十二名叙勲ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113448500
- ^ 日本ニュース 第146号 - NHK戦争証言アーカイブス
- ^ a b 日本ニュース 第174号 - NHK戦争証言アーカイブス
- ^ “(外国人叙勲)アメリカ合衆国上院議員ロバート・フランシス・ケネディを勲一等に叙し旭日大綬章を贈与するについて”. 国立公文書館. 2021年5月13日閲覧。