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ルイジ・ムッソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルイジ・ムッソ
ルイジ・ムッソ(1957年)
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 同・ローマ
生年月日 (1924-11-28) 1924年11月28日
没年月日 (1958-07-06) 1958年7月6日(33歳没)
F1での経歴
活動時期 1953-1958
所属チーム '53-'55 マセラティ
'56-'58 フェラーリ
出走回数 24
タイトル 0
優勝回数 1
表彰台(3位以内)回数 7
通算獲得ポイント 44
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
初勝利 1956年アルゼンチンGP
最終勝利 1956年アルゼンチンGP
最終戦 1958年フランスGP
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ルイジ・ムッソLuigi Musso1924年11月28日 - 1958年7月6日)は、イタリア出身のレーシングドライバールイージ・ムッソと表記されることもある。

人物紹介

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ローマ外交官の息子として生まれ、1950年よりレース活動を開始。当初はスポーツカーレースのみに参戦していたが、1953年に最終戦イタリアGPにて、マセラティからF1にデビューした。

1954年は3戦のみのエントリーだったが、最終戦スペインGPでは2位に入賞し、ノンタイトル戦として行われたコッパ・アチェルボで優勝。1955年も3位表彰台を含め2度の入賞を記録した。

1956年よりフェラーリに移籍し、開幕戦アルゼンチンGPで初優勝を達成[1]。しかし、ニュルブルクリンクで行われたスポーツカーレースでの事故により、シーズンの約半数を欠場する羽目になった。

1957年はフェラーリ全体で見れば、選手権創設初年度の1950年以来の未勝利という苦しいシーズンだった。しかし、ムッソは2位2回・4位1回、第4戦フランスGPでの初ファステストラップ獲得などで、ランキング3位を獲得。マイク・ホーソーンピーター・コリンズを抑え、チームトップの成績を収めた。

1958年

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1958年は開幕戦アルゼンチンGP・第2戦モナコGPと連続で2位に入り、モナコGP終了時にはランキングトップに位置していた。その後の2戦[2]でポイントを獲得出来ず首位の座は失ったものの、スターリング・モス、ホーソンに続くランキング3位の状態で、第6戦フランスGPを迎えた。

予選はホーソンがポールポジション(PP)、ムッソが2番手グリッドとなり、決勝でも肉薄しつつそのままの順位でレースが進んだ。ホーソンの前に出るべくスピードを上げていたムッソだが、10周目にカーブで曲がりきれずクラッシュ。マシンは何度も横転しながら大破し、自身は即死。1954年第6戦ドイツGP予選時のオノフレ・マリモンに続き、F1では2例目の事故死者だった。

エピソード

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レース戦績

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F1

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所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 WDC ポイント
1953年 マセラティ A6GCM ARG 500 NED BEL FRA GBR GER SUI ITA
7*
NC 0
1954年 A6GCM/250F ARG
DNS
500 BEL FRA GBR GER SUI 8位 6
250F ITA
Ret
ESP
2
1955年 ARG
7*
MON
Ret
500 BEL
7
NED
3
GBR
5
ITA
Ret
10位 6
1956年 フェラーリ D50 ARG
1*
MON
Ret
500 BEL FRA GBR GER
Ret
ITA
Ret
11位 4
1957年 D50A ARG
Ret
MON 500 3位 16
801 FRA
2
GBR
2
GER
4
PES
Ret
ITA
8
1958年 Dino 246 ARG
2
MON
2
NED
7
500 BEL
Ret
FRA
Ret
GBR GER POR ITA MOR 8位 12

ル・マン24時間レース

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チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1955年 イタリアの旗 オフィチーネ アルフィエリ マセラティ イタリアの旗 ルイジ・バレンツァーノ マセラティ・300S S
3.0
239 DNF DNF
1957年 イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ イギリスの旗 マイク・ホーソーン フェラーリ・335S S
5.0
56 DNF DNF

注釈

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  1. ^ ただし、ファン・マニュエル・ファンジオとのシェアドライブ(当時はマシンの交換が許されており、その場合ポイントが分割されるシステムだった)によるものであり、ファンジオがムッソと交代した後、1周遅れから挽回するというファンジオの力によるところが大きい内容だった。
  2. ^ 形式的にのみ加えられていた第4戦インディ500は除く。

関連項目

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