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マージーサイド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マージーサイド
地理
様態 典礼および都市州
起源1974年
リージョン イングランド北西部
面積
総面積
43 位
645 km2 (249 sq mi)
ONSコード 2B
NUTS 2 UKD5
人口統計
人口
総人口 (2022年)
人口密度
9位
1,442,081人
2,236/km2 (5,790/sq mi)
民族構成 97.1% 白色人種
2.9% 有色人種、アジア系、混血
政治
カウンティカウンシルなし
国会議員

ディストリクト
  1. リヴァプール
  2. セフトン
  3. ノーズリー
  4. セント・ヘレンズ
  5. ウィラル

マージーサイド: Merseyside[ˈmɜːrzisd])は、イギリスノース・ウェスト・イングランドにある典礼カウンティおよびメトロポリタン・カウンティ。北でランカシャーと、東でグレーター・マンチェスターと、南でチェシャーと、南西でディー川の河口部をはさみウェールズフリントシャーと隣接し、西でアイリッシュ海に臨む。最大都市はリバプール

面積は645平方キロメートル、人口は140万人あまりで、高度に都市化が進んでいる。主要都市としてリバプールのほか、バーケンヘッドセント・ヘレンズサウスポートが挙げられる。地方行政上はノウズリー、セント・ヘレンズ、セフトン、ウィラル、リバプールの5つの都市バラ (metropolitan borough) からなり、このうちウィラルのみマージー川の西岸に位置する。これらの都市バラとチェシャーのホールトンはリバプール・シティ・リージョン合同行政機構の管轄下にあり、ひとりの市長のもとで一体的な行政が展開されている。

産業革命以前は大部分が農村部であったが、マージー川の河口というその地勢から、リバプールは港湾都市として発展し、大西洋奴隷貿易に関与してランカシャーの工場に綿を供給した。また、バーケンヘッドは造船業の中心地として栄えた。1830年には世界初の都市間鉄道として、リヴァプール・アンド・マンチェスター鉄道が開通した。カウンティとしては1974年に設立され、それ以前はウィラル地域はチェシャー、そのほかの地域はランカシャーの一部であった。

マージーサイドはスポーツや音楽、文化の面で知られる。ビートルズをはじめとする多くのアーティストやバンドを輩出し、マージービート (Merseybeat) というジャンルを生むまでになった。また、プレミアリーグエバートンFCリバプールFCなどのサッカークラブの本拠地でもある。ロイヤル・リバプールとロイヤル・バークデールの両ゴルフクラブはこれまでに22回全英オープンの開催地となってきたし、グランドナショナルはヨーロッパで最も有名な障害競走である。リバプール周辺には博物館や美術館が9か所あり、ナショナル・ミュージアムズ・リバプールと総称されている。

歴史

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マージーサイドは1958年地方自治法において「特別再検討」地域に指定され、イングランド地方自治委員会が1962年にリバプール、ブートル、バーケンヘッド、ウォラセイの各特別市一帯の地域の再検討を開始した。1965年には勅命により、ウィドネスとランコーンの各地域が特別再検討地域に加えられた。委員会は1965年に草案を公表したものの、最終的な勧告書を作成できないまま1966年に廃止された。

それに代えて、イングランドの地方自治全般を再検討する王立委員会が立ち上げられ、同委員会はランカシャー南西部やチェシャー北西部も含む、南はチェスターから北はリブル川に至るより大きなマージーサイド大都市圏の創設を提案した(レッドクリフ=モード報告)。下位行政区としては、サウスポート/クロスビー、リバプール/ブートル、セント・ヘレンズ/ウィドネス、ウィラル/チェスターの4ディストリクト(地区)が想定された。1970年に設立されたマージーサイド旅客交通公社(のちのマージートラベル)はリバプール、セフトン、ウィラル、ノウズリーを管轄したが、サウスポートとセント・ヘレンズは除外された。

当時の保守党政権はレッドクリフ=モード報告を却下したが、マージー地域に二層制の大都市圏を置くという考え自体は取り入れた。新しい地方自治法案ではチェスターやエルズミーア・ポートといった南北端の地域を除外する一方、市議会が編入を求めていたサウスポートを大都市圏に組み入れた。国会でもさらに議論が重ねられ、スケルマーズデールが大都市圏から除外されたほか、セントヘレンズおよびホイトン地区が今日のセント・ヘレンズとノウズリーという別々の都市バラに分割された。

1974年4月1日、従来のランカシャーおよびチェシャーの各カウンティの一部およびバーケンヘッド、ウォラセイ、リバプール、ブートル、セント・ヘレンズの各特別市をもってマージーサイドが発足した。これを受けて、マージートラベルはセント・ヘレンズとサウスポートも管轄するようになった。発足当初はマージーサイド州議会が5つのバラと権限を分け合う二層制の地方自治制度が採られたが、マーガレット・サッチャー政権期の1986年に州議会は廃止され、各バラは単一自治体となった。

外部リンク

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