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ペトル・コルダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペトル・コルダ
Petr Korda
基本情報
国籍 チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア
 チェコ
出身地 同・プラハ
生年月日 (1968-01-23) 1968年1月23日(56歳)
身長 190cm
体重 72kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1987年
引退年 2001年
ツアー通算 20勝
シングルス 10勝
ダブルス 10勝
生涯通算成績 644勝408敗
シングルス 410勝248敗
ダブルス 234勝160敗
生涯獲得賞金 $10,448,900
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(1998)
全仏 準優勝(1992)
全英 ベスト8(1998)
全米 ベスト8(1995・97)
優勝回数 1(豪1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(1996)
全仏 準優勝(1990)
全英 2回戦(1990・91)
全米 3回戦(1989・91・95)
優勝回数 1(豪1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 2位(1998年2月2日)
ダブルス 10位(1990年6月11日)

ペトル・コルダPetr Korda, 1968年1月23日 - )は、チェコプラハ出身の元男子プロテニス選手。1998年全豪オープン男子シングルス優勝者である。左利き。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス10位。ATPツアーでシングルス10勝、ダブルス10勝を挙げた。身長190cm、体重72kg。

選手経歴

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1987年にプロ入り。コルダはテニス経歴の初期に、1990年全仏オープン男子ダブルスでゴラン・イワニセビッチと組み、エミリオ・サンチェス/セルヒオ・カサル組に5-7, 3-6で敗れて準優勝したことがある。それから2年後、1992年全仏オープン男子シングルスで準優勝を果たす。当時24歳のコルダは、最盛期にあった第1シードのジム・クーリエに5-7, 2-6, 1-6で完敗した。1996年全豪オープン男子ダブルスでステファン・エドベリと組んで優勝を飾っている。

1992年全仏オープン男子シングルス準優勝から6年後、コルダは1998年全豪オープンで優勝を果たす。その決勝ではマルセロ・リオスに6-2, 6-2, 6-2のストレートで圧勝した。コルダもリオスも左利きの選手で、この試合は“左利き対決の決勝”であった。

ところが半年後のウィンブルドン選手権で、コルダは筋肉増強剤の「ナンドロロン」に陽性反応を起こす。この件は年末の1998年12月に公表され、テニス界に波紋が広がる。それまでテニス選手のドーピング違反は若干の例があったものの、コルダのような「ごく最近の4大大会優勝者」の違反は前例がなかったため、その衝撃はひときわ大きかった。1999年8月に1年間の出場停止処分を科せられたが、本人は2ヶ月前の全仏オープン2回戦で大会前年優勝者のカルロス・モヤに敗れた試合を最後に現役を退いた。

家族

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コルダはチェコのテニス選手レギナ・ライフルトヴァーチェコ語版と結婚し、娘でプロゴルファージェシカ・コルダ英語版ネリー・コルダ、息子でプロテニス選手のセバスチャン・コルダがいる。ジェシカはLPGAツアーで5勝を挙げた他、メジャー選手権で2度の4位タイがある。ネリーはLPGAツアーで6勝を挙げ、2021年全米女子プロゴルフ選手権でメジャー初制覇の他、東京オリンピックで金メダルを獲得。セバスチャンは2018年全豪オープンジュニア男子シングルスで優勝、ATPツアーでは2020年全仏オープンで4回戦進出を果たしている。なお、子供は全員アメリカ国籍でプレーしている。

4大大会優勝

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  • 全豪オープン 男子シングルス:1勝(1998年)/男子ダブルス:1勝(1996年)
大会 対戦相手 試合結果
1998年 全豪オープン チリの旗 マルセロ・リオス 6-2, 6-2, 6-2

脚注

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外部リンク

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