ドミトリー・ドンスコイ (装甲艦)
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艦歴 | |
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発注 | ニューアドミラリティ造船所 |
起工 | 1880年 |
進水 | 1883年8月18日 |
就役 | 1886年8月1日 |
退役 | |
その後 | 1905年5月29日、日本海海戦において自沈 |
除籍 | |
前級 | ウラジミール・モノマフ |
次級 | アドミラル・ナヒモフ |
性能諸元(竣工時) | |
排水量 | 常備:5,683トン 満載:5,800トン |
全長 | 92.96m |
全幅 | 15.85m |
吃水 | 7.0m |
機関 | 型式不明石炭専焼円缶6基 +レシプロ機関1基1軸推進 (1895年に三段膨張型三気筒レシプロ機関2基2軸推進に更新) |
最大出力 | 7,000hp(機関航行時) (1895年:7,360hp) |
最大速力 | 16.0ノット(機関航行時) (1895年:16.2ノット) |
航続距離 | 10ノット/6,000海里 |
燃料 | 石炭:850トン ((1895年:850+140トン) |
乗員 | 将官・士官:23名 水兵:492名 (1895年:490名) |
兵装 | 1880年: 20.3cm(30口径)単装砲2基 1863年型 15.24cm(28口径)単装砲14基 1865年 8.6cm(24口径)単装砲 オチキス 4.7cm(23口径)機砲4基 オチキス 1879年型 3.7cm(23口径)機砲4基 1861年型 13mm機関銃1基 1880年型 6.4cm(19口径)単装砲2基 38.1cm水上魚雷発射管単装6基 1895年: 1892年型 15.2cm(45口径)単装砲6基 1892年型 12cm(45口径)単装砲10基 オチキス 1888年型 4.7cm(43口径)機砲8基 オチキス 1879年型 3.7cm(23口径)機砲10基 1880年型 6.4cm(19口径)単装砲2基 38.1cm水上魚雷発射管単装6基 1902年: 1892年型 15.2cm(45口径)単装砲6基 1892年型 12cm(45口径)単装砲4基 1892年型 7.5cm(50口径)単装速射砲6基 オチキス 1888年型 4.7cm(43口径)機砲8基 オチキス 1879年型 3.7cm(23口径)機砲10基 1880年型 6.4cm(19口径)単装砲2基 38.1cm水上魚雷発射管単装6基 |
装甲(鉄製) | 舷側:230mm(最大厚)、121mm(艦首尾部) ボックスシタデル:102mm(壁面)、50~76mm(天蓋) |
ドミトリー・ドンスコイ (Дмитрий Донской, Dmitri Donskoi) は、ロシア帝国海軍の舷側砲装甲艦。同型艦はない。艦名は、モスクワ大公のドミートリー・ドンスコイに由来する。
概要
[編集]本艦はロシア帝国海軍が自国の沿岸防衛のために建造した装甲艦である。
艦形
[編集]本艦の基本構造は平甲板型船体に3本のマストと2本煙突を持つ装甲フリゲートで、艦首水面下に衝角を持ち、船体中央部に船橋を持つ。艦橋の背後には2本煙突が立ち、船体中央部の砲郭(ケースメイト)部に主武装を左右均等に配置していた。
1894 - 1895年には近代化改装が施され、機関を強化して帆走設備を撤去し、マスト上に3.7cm - 4.7cmクラスの速射砲を配置した見張り所を設けた。
戦歴
[編集]日露戦争において日本海海戦に参加。僚艦が次々に撃沈・だ捕される中で最後まで戦い、最後は鬱陵島付近で自沈して乗員は同島に上陸後捕虜となった。
引き揚げ計画
[編集]1916年、日本側が引き揚げ事業を計画したが頓挫。第二次世界大戦後の韓国でも1981年にトジン実業が、1998年からは倒産寸前の東亜建設が引き揚げを計画したが実現しなかった。
2018年7月15日、韓国の建設・海運業者シニルグループは、鬱陵邑苧洞里(チョドンリ)から1.3km離れた水深434m地点でドンスコイを発見したと発表。ドンスコイは、金貨や金塊5000箱など150兆ウォン(約15兆円)を積載していた宝船であるとして話題となった[1]。しかしながらこの計画の資金源は、シニルグループ・ドンスコイ号国際取引所がドンスコイに積まれている金貨を裏付けとして発行する仮想通貨「シニルゴールドコイン」の販売によるものであり、通貨購入者らは船が引き揚げられる保証も金塊があるという証拠もないとして、同年7月21日までにシニルグループ詐欺被害者の会が立ち上がった[2]。 10月15日、韓国警察はシニルグループが出資金を集めたことは詐欺であるとして、元副会長ら2名を逮捕。行方がつかめない実質的経営者を国際手配とした[3]。
なお、積まれていたとされる金品に関しては確実な情報がある訳ではなく、また、何故戦闘艦に、しかもスペースの少ない巡洋艦にそれだけの金品が積まれていたのか等、様々な物議を醸した。
参考図書
[編集]- 「Conway All The World's Fightingships 1860-1905」(Conway)
脚注
[編集]- ^ “日本も引き揚げに失敗したロシアの宝船…韓国企業、鬱陵島海域で発見”. 中央日報 (2018年7月17日). 2018年7月23日閲覧。
- ^ “軍艦「ドンスコイ」金塊詐欺、投資家らが被害者の会結成”. 朝鮮日報 (2018年7月23日). 2018年7月23日閲覧。
- ^ ““沈没船に金塊15兆円分”詐欺で2人逮捕”. 日テレニュース24. 2018年10月16日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 'Dmitriy Donskoy' (1880)本艦の説明。近代化改装以前の本艦の写真がある。