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ジュゼッペ・ディ・サヴォイア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アスティ伯ジュゼッペ、トリノヴェナーリア宮殿英語版

ジュゼッペ・ベネデット・マリーア・プラチード・ディ・サヴォイアGiuseppe Benedetto Maria Placido di Savoia, 1766年10月5日 トリノ - 1802年10月29日 サッサリ)は、イタリア・サヴォイア家の王子。儀礼称号は出生時よりモリアーナ伯であったが、1796年アスティ伯に叙爵されて以降は後者を使用した[1]

サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ3世と、スペイン王フェリペ5世の娘である王妃マリーア・アントーニアの間の第12子・六男・末子としてトリノ王宮英語版で誕生。1798年フランス軍のトリノ侵攻に伴い一族とともにサルデーニャ島に逃れた[2]

1799年、ローマにいるカルロ・エマヌエーレ4世王は、マラリアに罹り病死したモンフェッラート公マウリツィオの後任として[3]、同じくサルデーニャに留まっていたジュゼッペをサッサリ州総督に任命した。しかしジュゼッペもまた1802年に起きたマラリアの流行の犠牲となって死に、アルゲーロサンタ・マリーア大聖堂英語版に埋葬された[4]

引用・脚注

[編集]
  1. ^ Savoia”. 2010年8月26日閲覧。
  2. ^ Memorie di religione, di morale e di letteratura, Eredi Soliani, 1833, p 115
  3. ^ Bertolotti, Davide: Istoria della R. Casa di Savoia, Antonio Fontana, Turin, 1830, p 289
  4. ^ Cibrario. Luigi: Origine e progressi delle instituzioni della monarchia di Savoia: sino alla costituzione del regno d'Italia, Parts 1-2, Cellini e c., 1869, p 450