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シャンパーニュ伯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

シャンパーニュ伯(シャンパーニュはく、comtes de Champagne)は、フランス王国シャンパーニュ地方を1022年から1314年まで支配した領主、またはその称号ヴェルマンドワ家の領したモー伯領と、ブルゴーニュ公家の領していたトロワ伯領の統合により成立し、ブロワ家ユーグの時に、正式にシャンパーニュ伯を称した[1]ブロワ伯と深く関係し、両方を兼ねるものも多かった。

ティボー2世アンリ1世の時代にフランス王家と抗争しながらも姻戚関係を深め、領内に築かれたシャンパーニュの大市の保護者となることでフランス有数の諸侯となった。十字軍にも関わり、アンリ2世はエルサレム女王イザベル1世と結婚しエルサレム王となり、ティボー3世第4回十字軍の指導者に選ばれたが出発前に病没した。ティボー4世の時に母系相続によりナバラ王を兼ねる。

1314年にナバラ王を兼ねていたルイが父フィリップ4世の跡を継ぎ、フランス王ルイ10世として即位した時、シャンパーニュ伯領は王領に組み込まれた。以降、同地の代官が儀礼的爵位としてシャンパーニュ伯を名乗った。

歴代シャンパーニュ伯

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括弧内は在位年。

  • ロベール1世(967年) - モー伯、トロワ伯。ヴェルマンドワ伯エルベール2世の息子。
  • エルベール4世(967年 - 995年) - モー伯、トロワ伯。
  • エティエンヌ1世(995年 - 1022年) - モー伯、トロワ伯。
  • ウード1世(1022年 - 1037年) - ブロワ伯(2世)。ブロワ伯ウード1世の息子。エティエンヌ1世の再従兄弟。
  • エティエンヌ2世(1037年 - 1048年) - ブロワ伯。ウード1世の息子。
  • ウード2世(1048年 - 1066年) - ブロワ伯(3世)。エティエンヌ2世の息子。のちオマール伯。
  • ティボー1世(1066年 - 1089年) - ブロワ伯(3世)。エティエンヌ2世の兄。
  • ウード3世(1089年 - 1093年) - ティボー1世の息子。
  • ユーグ(1093年 - 1125年) - ウード3世の弟。
  • ティボー2世(1125年 - 1152年) - ユーグの甥。イングランド王スティーブンの兄。ブロワ伯を兼ねる。
    ルイ7世と抗争するが、後に娘アデルをルイ7世の3番目の妻とし、和解する。間に生まれたフィリップ2世の外祖父に当たる。大伯爵と称される。
  • アンリ1世(1152年 - 1181年) - ティボー2世の息子。
    領内の統治を心がけ、シャンパーニュ伯領をフランス有数の経済的、軍事的に豊かな土地に育てた。ルイ7世とアリエノール・ダキテーヌの娘マリーと結婚する。このため、フィリップ2世は甥でかつ義兄弟ということになる。また、イングランド王リチャード1世ジョンの義兄弟でもある。自由伯と称される。
  • アンリ2世(エルサレム王)(1181年 - 1197年) - アンリ1世の息子。
    第3回十字軍に参加、エルサレム女王イザベル1世と結婚し、エルサレム王となる。母マリーの関係から、第3回十字軍に参加したイングランド王リチャード1世、フランス王フィリップ2世の両方の甥に当たる。
  • ティボー3世(1197年 - 1201年) - アンリ2世の弟。兄がエルサレム王になった後、シャンパーニュ伯となる。第4回十字軍の指導者となるが出発前に病没。第4回十字軍の詳細な記録を残したジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアンの主人。
  • ティボー4世(1201年 - 1253年) - ティボー3世の息子、ナバラ王テオバルド1世。
    継承後はアンリ2世の遺児たちとの家督争いに悩まされる。さらにルイ8世と対立し、ルイ8世を毒殺したと噂された。ルイ8世の妃ブランシュとの宮廷愛でも有名。後年、ナバラ王家が断絶した際、母がナバラ王女だったためナバラ王となる。詩人王と称される。
  • ティボー5世(1253年 - 1270年) - ナバラ王テオバルド2世。ティボー4世の息子。若年王。
  • アンリ3世(1270年 - 1174年) - ナバラ王エンリケ1世。ティボー5世の弟。肥満王。
  • ジャンヌ(1274年 - 1305年) - ナバラ女王フアナ1世。アンリ3世の娘。フランス王フィリップ4世の王妃。
  • ルイ(1305年 - 1314年) - フランス王ルイ10世。フィリップ4世とジャンヌの息子。

1314年、フランス王位に統合された。

関連項目

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出典

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  1. ^ J.E.モービー『オックスフォード世界歴代王朝王名総覧』東洋書林、1993年、p.119