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ケニー・ロフトン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケニー・ロフトン
Kenny Lofton
2019年7月7日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州レイク郡イーストシカゴ
生年月日 (1967-05-31) 1967年5月31日(57歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1988年 MLBドラフト17巡目(全体428位)でヒューストン・アストロズから指名
初出場 1991年9月14日
最終出場 2007年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ケネス・ロフトンKenneth Lofton, 1967年5月31日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州イーストシカゴ出身の元プロ野球選手外野手)。MLBクリーブランド・インディアンス球団殿堂入りを果たしている。

経歴

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プロ入りとアストロズ時代

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1987年

アリゾナ大学時代はバスケットボールで奨学金を受け、3年まで大学の野球チームには参加していなかった。

1988年MLBドラフト17巡目(全体428位)でヒューストン・アストロズから指名をされ、プロ入り。1991年にAAA級ツーソン・トロズでいずれもリーグトップの522打数、168安打、17三塁打を記録し[1]、9月14日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビューし、第3打席でランディ・マイヤーズから初安打を記録し、そこから3打席連続安打も記録した。出場14試合目となる9月28日のアトランタ・ブレーブス戦で初盗塁を記録した。同年は20試合に出場し打率.203、2盗塁の成績を残した。

インディアンス時代

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クリーブランド・インディアンス時代
(1996年)

1991年12月10日にウィリー・ブレアー英語版エディ・トーベンシー英語版とのトレードで、1選手と共にクリーブランド・インディアンスへ移籍した。

移籍1年目の1992年は開幕からレギュラーに定着し、5月7日にマイク・キャンベルから初本塁打を記録。球団記録となる66盗塁を記録し[2]盗塁王のタイトルを獲得。ルーキー資格を持つ選手としてはリーグ史上ジョージ・ケース英語版以来42年ぶりの快挙となった。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票ではミルウォーキー・ブルワーズパット・リスタッチに次ぐ2位に入った。

1993年はリーグ4位の打率.325、70盗塁を記録し、2年連続で盗塁王を獲得すると共に自身の球団記録を更新した[2]。初のゴールドグラブ賞を受賞し、MVPの投票で15位に入った。

1994年オールスターゲームに初めて選出される。ストライキの為シーズンが打ち切られたが、自己最高の打率.349、リーグ最多の160安打、60盗塁を記録し、3年連続となる盗塁王を獲得。MVPの投票では自己最高の4位に入った。

1995年は2年連続でオールスターゲームに選出され、初の先発出場。第1打席でナショナルリーグ先発野茂英雄三振を喫した。途中故障による離脱もあったが、打率.310、キャリアハイの13三塁打、54盗塁を記録し、チームの地区優勝に貢献。シアトル・マリナーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.458、5盗塁の活躍を見せ、41年ぶりのリーグ優勝を果たす。アトランタ・ブレーブスとのワールドシリーズではシリーズ史上2位(1位と1個差)の6盗塁を記録したが、2勝4敗で敗退した。

1996年は自己最高の210安打、132得点、自身の球団記録を更新する75盗塁を記録し、5年連続で盗塁王を獲得。2年連続の地区優勝に貢献した。ボルチモア・オリオールズとのディビジョンシリーズでは5盗塁を記録したが打率.167に終わり、チームも1勝3敗で敗退した。

突然のトレード〜再び古巣へ

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1997年に球団から5年総額4400万ドルで契約延長を打診されるが拒否[3]。3月25日にデビッド・ジャスティスマーキス・グリッソムとの交換トレードで、アラン・エンブリーと共にブレーブスへ移籍。故障で40試合を欠場するが打率.333を記録。しかし前年まで5年連続で50以上を記録した盗塁は27に激減、盗塁死もリーグ最多の20と精彩を欠いた。故障の影響もあったが、走塁の方針がインディアンスとは異なり、思うように走ることができなかった[4]。オフにフリーエージェントとなり、12月8日に古巣インディアンスと4年総額3050万ドルの契約を結び、1年での復帰となった。

1998年リッキー・ヘンダーソンに次ぐリーグ2位の54盗塁を記録し、復活を果たす[3]

1999年ハムストリングの故障により120試合の出場に留まるが、5回目のシーズン100得点を達成。一方で、レギュラー定着以降最低の25盗塁に終わった。ボストン・レッドソックスとのディビジョンシリーズ第5戦で左肩などを負傷しシーズンを終えた。

肩の故障からの復帰は2000年のオールスターゲーム以降と思われたが、驚異的な回復で開幕スタメンに名を連ねた[3]。同年はレギュラー定着後ワーストの打率.278だった一方で、自己最高の15本塁打、73打点を記録。8月15日から9月3日にかけてレッド・ロルフ英語版のMLB記録に並ぶ18試合連続得点を記録した[3]

2001年は打率.261、16盗塁に終わる。4年契約を満了し、フリーエージェントとなった。

流浪のシーズン

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2002年2月1日にシカゴ・ホワイトソックスと契約。7月28日にフェリックス・ディアス、マイナー1選手との交換トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。チームはワイルドカードからポストシーズンを勝ち上がり、13年ぶりのリーグ優勝を果たした。アナハイム・エンゼルスとのワールドシリーズでは全7試合に出場したが、3勝4敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなる。

2003年3月14日、ピッツバーグ・パイレーツと契約。7月23日にホセ・ヘルナンデス、マイナー1選手、後日発表の1選手との交換トレードで、アラミス・ラミレスと共にシカゴ・カブスへ移籍。移籍後は打率.327と活躍し、チームの14年ぶりの地区優勝に貢献。フロリダ・マーリンズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、58年ぶりのワールドシリーズ進出まであとアウト5つまで迫りながら逆転負けを喫し、自身3度目のワールドシリーズ出場はならなかった。10月30日にフリーエージェントとなった。

2004年1月6日にニューヨーク・ヤンキースと契約。控えに回った上に下位の打順で起用されることが多く、1番での起用を望んでいたロフトンにとっては不満だったようである。レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは3連勝の後4連敗で、またしてもワールドシリーズ出場を逃した。12月3日にフェリックス・ロドリゲス英語版との交換トレードでフィラデルフィア・フィリーズに移籍。

2005年は、規定打席には及ばなかったものの打率.335、22盗塁を記録した。11月2日にフリーエージェントとなり、12月20日にロサンゼルス・ドジャースと契約。

ロサンゼルス・ドジャース時代
(2006年6月8日)

2006年は打率.301、12三塁打、32盗塁を記録し、盗塁成功率86.4%と健在ぶりを示した、12月12日にテキサス・レンジャーズと契約。

2007年、レンジャーズ在籍時

2007年4月3日の開幕戦で2盗塁を記録し、史上17人目の通算600盗塁を達成。打率3割を維持するなど好調だったが、7月27日にマックス・ラミレスとの交換トレードで古巣インディアンスに移籍。

クリーブランド・インディアンス時代
(2007年10月20日)

過去2回の在籍時とは違い、中堅手にはグレイディ・サイズモアがいたため、メジャー昇格後初めて主に左翼手として出場した。チームは6年ぶりの地区優勝を果たし、レッドソックスとリーグチャンピオンシップシリーズで対戦。第5戦ではジョシュ・ベケット乱闘騒ぎを起こした。3勝1敗とレッドソックスを追い詰めたがそこから3連敗を喫し、またしてもワールドシリーズ出場を逃した。オフにフリーエージェントとなり、そのまま引退。ロフトンのポストシーズンにおける34盗塁はリッキー・ヘンダーソンの33盗塁を上回る最高記録であり、ギネス世界記録に認定されている[5]

引退後

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2010年1月27日、インディアンスの殿堂入りが球団から発表された。

2016年、インディアンスにとって19年ぶりとなったワールドシリーズで、本拠地プログレッシブ・フィールドで行われた初戦の試合前の始球式を務めた[6]

選手としての特徴

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5度の最多盗塁、歴代15位の通算622盗塁(成功率79.5%)、4度のゴールドグラブ賞、高い出塁率を記録し、キャリアの大半で「1番・中堅手」として出場した、理想的なリードオフマンで、1990年代のインディアンスを支えた。初回先頭打者本塁打も29本記録した。外野守備では俊足を生かした広い守備範囲が注目されがちだが、補殺もリーグ1位が4回(中堅手として)、通算で142回記録するなど鉄壁。

所属したチームを数多くの優勝に導いており、ポストシーズン通算で95試合(歴代8位)に出場し、65得点(同4位)、97安打(同5位タイ、打率.247)、12二塁打、4三塁打(同4位タイ)、7本塁打、34打点、34盗塁(同1位)などを記録している。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1991 HOU 20 79 74 9 15 1 0 0 16 0 2 1 0 0 5 0 0 19 0 .203 .253 .216 .469
1992 CLE 148 651 576 96 164 15 8 5 210 42 66 12 4 1 68 3 2 54 7 .285 .362 .365 .726
1993 148 657 569 116 185 28 8 1 232 42 70 14 2 4 81 6 1 83 8 .325 .408 .408 .815
1994 112 523 459 105 160 32 9 12 246 57 60 12 4 6 52 5 2 56 5 .349 .412 .536 .948
1995 118 529 481 93 149 22 13 7 218 53 54 15 4 3 40 6 1 49 6 .310 .362 .453 .815
1996 154 736 662 132 210 35 4 14 295 67 75 17 7 6 61 3 0 82 7 .317 .372 .446 .817
1997 ATL 122 564 493 90 164 20 6 5 211 48 27 20 2 3 64 5 2 83 10 .333 .409 .428 .837
1998 CLE 154 698 600 101 169 31 6 12 248 64 54 10 3 6 87 1 2 80 7 .282 .371 .413 .785
1999 120 560 465 110 140 28 6 7 201 39 25 6 5 5 79 2 6 84 4 .301 .405 .432 .838
2000 137 640 543 107 151 23 5 15 229 73 30 7 6 8 79 3 4 72 11 .278 .369 .422 .791
2001 133 576 517 91 135 21 4 14 206 66 16 8 5 5 47 1 2 69 8 .261 .322 .398 .721
2002 CWS 93 406 352 68 91 20 6 8 147 42 22 8 4 1 49 0 0 51 0 .259 .348 .418 .766
SF 46 205 180 30 48 10 3 3 73 9 7 3 1 0 23 0 1 22 1 .267 .353 .406 .758
'02計 139 611 532 98 139 30 9 11 220 51 29 11 5 1 72 0 1 73 1 .261 .350 .414 .763
2003 PIT 84 374 339 58 94 19 4 9 148 26 18 5 2 3 28 1 2 29 2 .277 .333 .437 .770
CHC 56 236 208 39 68 13 4 3 98 20 12 4 5 3 18 2 2 22 4 .327 .381 .471 .852
'03計 140 610 547 97 162 32 8 12 246 46 30 9 7 6 46 3 4 51 6 .296 .352 .450 .801
2004 NYY 83 313 276 51 76 10 7 3 109 18 7 3 1 4 31 1 1 27 4 .275 .346 .395 .741
2005 PHI 110 406 367 67 123 15 5 2 154 36 22 3 5 0 32 2 2 41 3 .335 .392 .420 .811
2006 LAD 129 522 469 79 141 15 12 3 189 41 32 5 6 2 45 1 0 42 16 .301 .360 .403 .763
2007 TEX 84 363 317 62 96 16 3 7 139 23 21 4 2 3 39 1 2 28 5 .303 .380 .438 .818
CLE 52 196 173 24 49 9 3 0 64 15 2 3 4 2 17 0 0 23 1 .283 .344 .370 .714
'07計 136 559 490 86 145 25 6 7 203 38 23 7 6 5 56 1 2 51 6 .296 .367 .414 .781
MLB:17年 2103 9234 8120 1528 2428 383 116 130 3433 781 622 160 72 65 945 43 32 1016 109 .299 .372 .423 .794
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1991 HOU - 20 41 1 1 0 .977 -
1992 CLE - 143 420 14 8 3 .982 -
1993 - 146 402 11 9 3 .979 -
1994 - 112 274 13 2 3 .993 -
1995 - 114 244 11 8 3 .970 -
1996 - 152 376 13 10 3 .975 -
1997 ATL - 122 290 5 5 1 .983 -
1998 CLE - 154 343 19 8 4 .978 -
1999 - 119 255 11 3 3 .989 -
2000 - 135 350 4 4 1 .989 -
2001 - 130 310 3 6 0 .981 -
2002 CWS - 92 230 3 0 0 1.000 -
SF - 44 117 3 0 0 1.000 -
'02計 - 136 347 6 0 0 1.000 -
2003 PIT - 81 203 5 0 2 1.000 -
CHC - 55 111 3 3 0 .974 -
'03計 - 136 314 8 3 2 .991 -
2004 NYY - 65 162 3 1 3 .994 10 18 1 1 1 .950
2005 PHI - 97 201 7 4 1 .981 -
2006 LAD - 120 241 4 3 0 .988 -
2007 TEX - 80 186 5 3 3 .985 -
CLE 50 82 3 0 1 1.000 3 2 0 0 0 1.000 -
'07計 50 82 3 0 1 1.000 83 188 5 3 3 .985 -
MLB 50 82 3 0 1 1.000 1984 4758 138 78 33 .984 10 18 1 1 1 .950

タイトル

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表彰

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記録

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背番号

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  • 28(1991年)
  • 7(1992年 - 2001年、2003年途中 - 同年終了、2005年、2007年)
  • 1(2002年、2003年 - 同年途中)
  • 12(2004年)
  • 6(2006年)

脚注

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  1. ^ 1991 Pacific Coast League Review - The Baseball Cube” (英語). 2008年6月12日閲覧。
  2. ^ a b Cleveland Indians Batting Leaders - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年6月12日閲覧。
  3. ^ a b c d The Ballplayers - Kenny Lofton” (英語). 2008年6月12日閲覧。
  4. ^ 「30球団マンスリー・リポート クリーブランド・インディアンズ」『月刊メジャー・リーグ』1999年6月号、ベースボールマガジン社、1999年、雑誌 08625-6、91頁。
  5. ^ Most stolen bases in a postseason baseball career” (英語). Guinness World Records. 2014年3月6日閲覧。
  6. ^ Lofton's first pitch gets World Series underway” (英語). MLB.com (2016年10月25日). 2016年11月3日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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