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カルロス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルロス・マリア
Carlos María
ボルボーネ=シチリア家

全名
称号 カラブリア公
カゼルタ伯
身位 インファンテ
出生 (1938-01-16) 1938年1月16日
スイスの旗 スイスヴォー州ローザンヌ
死去 (2015-10-05) 2015年10月5日(77歳没)
スペインの旗 スペインカスティーリャ=ラ・マンチャ州シウダ・レアル県レトゥエルタ・デル・ブジャケ
埋葬 2015年10月8日
スペインの旗 スペインマドリード州サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル、エル・エスコリアル修道院墓所
配偶者 アナ・デ・オルレアンス・イ・オルレアンス=ブラガンサ
子女
父親 アルフォンソ・マリア
母親 アリシア
宗教 キリスト教カトリック教会
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カルロス・マリア・デ・ボルボン=ドス・シシリアス・イ・ボルボン=パルマスペイン語: Carlos María de Borbón-Dos Sicilias y Borbón-Parma, 1938年1月16日 - 2015年10月5日)は、スペイン王子(Infante de España、カラブリア系ボルボーネ=シチリア家の家長。カラブリア公およびカゼルタ伯イタリア語版イタリア語名はカルロ・マリア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエCarlo Maria di Borbone-Due Sicilie)。両シチリア王家家長の座を3代のカストロ公(ラニエーリフェルディナンドカルロ)と争っていた。

生涯

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スペイン王子およびカラブリア公アルフォンソとその妃アリシアボルボーネ=パルマ家家長エリアの四女)の長男として、ローザンヌで生まれた。1歳の時に一家はスペインへ移住した。

1948年バルセロナ伯フアン(カルロスの叔母マリア・デ・ラス・メルセデスの夫)によって選ばれ、フランシスコ・フランコの後継者として教育されることになったフアン・カルロス王子に同行し、育てられた。カルロス・マリアはフアン・カルロスの母方の従弟にあたり(2人は誕生日が10日ほどしか違わない)、また共にアルフォンソ12世の曾孫でもある。

1965年オルレアン家家長パリ伯アンリ(マリア・デ・ラス・メルセデスの従兄にあたる)の三女アンヌ(アナ)と結婚し、1男4女を儲けた。

  • クリスティーナ(1966年 - ) 1994年にペドロ・ロペス=ケサーダ・イ・フェルナンデス=ウルティアと結婚
  • マリア英語版(1967年 - ) 1996年にオーストリア大公ジメオンルドルフ大公の次男)と結婚
  • ペドロ(1968年 - ) カラブリア公、2001年にソフィア・ランダルーセ・イ・メルガレホと結婚
  • イネス(1971年 - ) 2001年にナポリ貴族のライアーノ侯爵ミケーレ・カレッリ・パロンビと結婚
  • ビクトリア(1976年 - ) 2003年にギリシャ人海運業者マルコス・ノミコスと結婚

1994年スペイン国王フアン・カルロス1世によってスペイン王子の称号を授けられた。ただし、1978年憲法が定める王位継承権者の範囲には含まれていない。

シウダー・レアルトレドに不動産を所有し、レプソルテレフォニカといった大会社の株主でもあった。また、サンティアゴ騎士団カラトラバ騎士団アルカンタラ騎士団モンテザ騎士団英語版(全て現在はスペイン王家に属する団体)の王室委員長を務めていた。

外部リンク

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先代
アルフォンソ
両シチリア王家家長
(カラブリア系)
1964年 - 2015年
次代
ペドロ