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有馬温純

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有馬 温純
時代 江戸時代後期
生誕 文政12年(1829年
死没 安政2年4月25日1855年6月9日
改名 其太郎(幼名)→純精→誉純
戒名 欽崇院殿建中宗祐大居士
墓所 福井県坂井市丸岡町篠岡の高岳寺
東京都台東区上野の本覚院
官位 従五位下、日向
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶家定
越前丸岡藩
氏族 有馬氏
父母 父:戸田純祐、養父:有馬徳純
婚約者:孝子
正室:善子
継室:富子
継室:作子
久仁子、淑子
養子:道純
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有馬 温純(ありま はるすみ)は、越前丸岡藩の第7代藩主。晴信系有馬家10代。

経歴

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文政12年(1829年)、第5代藩主有馬誉純の長男・戸田純祐の長男として生まれる。天保8年12月13日(1838年)、丸岡藩第6代藩主有馬徳純の養子となる。天保9年(1838年)2月7日、徳純の死去により家督を継いだ。天保12年(1841年)7月1日、将軍徳川家慶御目見する。天保13年(1842年)10月29日、従五位下・日向守に叙任する。

幕末期に入ると、海防強化のために砲台を築いている。安政2年(1855年)4月25日に死去した。享年27。跡を養嗣子の道純が継いだ。

系譜

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父母

正室、継室

子女

養子