ナクム
アクロポリスに立つ神殿E | |
所在地 | グアテマラ、ペテン県 |
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座標 | 北緯17度10分33.4秒 西経89度24分18.5秒 / 北緯17.175944度 西経89.405139度座標: 北緯17度10分33.4秒 西経89度24分18.5秒 / 北緯17.175944度 西経89.405139度 |
種類 | 定住地 |
歴史 | |
時代 | 先古典期 - 古典期 |
文化 | マヤ |
ナクム(Nakum)は、グアテマラ、ペテン県東部にある古代マヤ遺跡。
南のヤシュハ、東のナランホとともに、現在はヤシュハ=ナクム=ナランホ国立公園の一部をなす。公園は2006年にラムサール条約登録地となった[1]。
遺跡
[編集]ナクムとはユカテコ語で「ヒョウタンの家(場所)」という意味である[2]。
比較的大型のマヤ遺跡で、南北2つのグループに分かれ、両者は長さ285メートルの舗装されたサクベで結ばれている[2]。
建造物Aの入口はマヤ文明で一般的な持送りアーチではなく、上が丸くなったアーチを持つ点が珍しいが、最近南の入口は完全に崩壊してしまった[3]。
調査
[編集]フランスのモーリス・ド・ペリニ伯爵が1905年にナクムを発見し、写真を撮影した。1910年にピーボディ考古学・民族学博物館による探検が行われた[4]。
2006年からポーランドのヤギェウォ大学による長期間の発掘が行われている[5]。2011年、建造物15号から約1300年前(7-8世紀)と約2000年前の支配者の墓が未盗掘の状態で発見され、2000年前のものはマヤでは珍しい女性の支配者と判断された[6][7]。
歴史
[編集]ヤギェウォ大学の研究によると、ナクムとその一帯は紀元前1000年以降に定住がはじまり、紀元前700-500年ごろの建造物複合体からは、当時すでに支配者層が形成されていただけでなく、天文観測が行われていたことも明らかになった。古典期の終わりにおいても重要な都市のひとつだった[5]。オルムル川の河畔にあり、おそらく交易上重要な場所を占めていた[8]。
古典期終末期の9世紀になって、ほとんどの建物が改造され、多数の新しい建造物が建てられた[9]。ティカルやナランホといった周辺の都市の崩壊が原因となり、チチェン・イッツァなどに見られる新しいイデオロギーを受けて建造物を改造したと考えられるという[10]。
脚注
[編集]- ^ “Parque Nacional Yaxhá-Nakum-Naranjo | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2006年2月2日). 2023年4月11日閲覧。
- ^ a b Kelly (1996) p.124
- ^ Kelly (1996) pp.124-125
- ^ Kelly (1996) pp.127-128
- ^ a b Nakum – the town of Polish Mayanists, Uniwersytet Jagielloński w Krakowie
- ^ Rachel Kaufman『古代マヤの女王の墓を発見、グアテマラ』ナショナルジオグラフィック日本版 ニュース、2011年9月23日 。
- ^ 『見どころ案内:最北部:ペテン』DTACグァテマラ観光情報局 。
- ^ Hermes & Żrałka (2012) p.198
- ^ Hermes & Żrałka (2012) p.177
- ^ Hermes & Żrałka (2012) pp.198-199
参考文献
[編集]- Hermes, Bernard; Żrałka, Jarosław (2012). “Nakum and Yaxha during the Terminal Classic Period: External Relations and Strategies of Survival at the Time of the Collapse”. Contributions in New World Archaeology 4: 175-204 .
- Kelly, Joyce (1996). An Archaeological Guide to Northern Central America: Belize, Guatemala, Honduras, and El Salvador. University of Oklahoma Press. ISBN 0806128615