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新論

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新論』(しんろん)は、文政8年(1825年)3月に会沢正志斎が述作した、尊王論国防を説いた書である。水戸藩主徳川斉脩に上呈するために書かれた。ただし、その内容のために出版は禁止されたが、門人たちがひそかに書き写して匿名で広め、江戸玉山堂から安政4年(1857年)に正式に出版された。

上下2巻からなり、上巻が「国体」 (上、中、下) 、「形勢」、「虜情」、下巻が「守禦」、「長計」の計五論七篇で構成されている。

本書の執筆の背景には、イギリスなどの西洋諸国のアジア侵攻に対する危機感があり、これに対抗するために正志斎は人心統合の思想として国体を持ち出した。そして、天皇への忠を尽くすことはの実践につながり、天皇の即位に際して大嘗祭を行うことで人心が統合できると説いた。

本書は徳川御三家の一つであり、北方の警備の任も負っていた水戸藩を通じて幕府に影響を与えることを前提に書かれていた(尊王佐幕)。しかし、黒船来航以降の幕末の混乱と幕府への信頼が失墜したのに伴い、尊王攘夷論のテキストとして志士たちに愛読されるようになり、明治維新以降も教育勅語などの国民道徳論にまで影響を与えた。ただし、正志斎自身は開国論を説いた『時務策』を文久2年(1862年)に一橋慶喜へ提出しており、開国までは否定しなかった。

新論では、忠孝の重要性を説くに当たって、『古事記』などを引き天祖(皇祖神である天照大神のこと)や日本の建国神話を取り上げる一方、中国の皇帝祭祀も取り上げているという点が特徴である。

刊本

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現代語訳
  • 『日本再建は水戸学国体論から! 新論 国体篇』
高須芳次郎訳、維新と興亜編、望楠書房、2022年

脚注

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  1. ^ 「新論」以外は、正名論(藤田幽谷) 、校正局諸学士に与ふるの書(藤田幽谷) 、丁巳封事(藤田幽谷) 、壬辰封事(藤田東湖) 、中興新書(豊田天功) 、告志篇(徳川斉昭) 、弘道館記(徳川斉昭) 、退食間話(会沢正志斎) 、弘道館記述義(藤田東湖) 、防海新策(豊田天功) 、人臣去就説(会沢正志斎) 、時務策(会沢正志斎)

外部リンク

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