「Wikipedia:井戸端/history20230304」の版間の差分
51行目: | 51行目: | ||
<blockquote>「私の環境ではうまく表示されます」/「私はそれが好きです…」/「私はそれが好きではありません…」/「なぜ…を決めたのですか?」/「これは可能ですか?…」/「あなたはこの部分を改善できますか…」</blockquote> |
<blockquote>「私の環境ではうまく表示されます」/「私はそれが好きです…」/「私はそれが好きではありません…」/「なぜ…を決めたのですか?」/「これは可能ですか?…」/「あなたはこの部分を改善できますか…」</blockquote> |
||
::などのコメントをここで書いて欲しいそうです。--[[利用者:Afaz|Afaz]]([[利用者‐会話:Afaz|会話]]) 2022年6月15日 (水) 04:43 (UTC) |
::などのコメントをここで書いて欲しいそうです。--[[利用者:Afaz|Afaz]]([[利用者‐会話:Afaz|会話]]) 2022年6月15日 (水) 04:43 (UTC) |
||
*「Vector(2022)」を試してみましたので、率直に感想を述べさせて頂きます。個人的には、現在のページデザインに慣れていることもあると思いますが、新しい「Vector(2022)」には余り馴染めませんでした。まず思ったのは操作性の部分で、ページ上部において、頻繁に使う自身の「会話」「投稿記録」などのリンクが折り畳まれてしまっているため、ページを開くのに一手間掛かり、従来のほうがワンクリックで行けて便利であったと思います。また、目次がこの位置ですと見つけづらく(ヘルプ・ツールなどへのリンクは左上の矢印をクリックすると隠れ、目次が上に来るようになっていますが)、またクリックしないと下層の見出しが表示されないため、見通しが悪くなっていると感じます。全体的に一々クリックしないと表示されない部分が増え、見通しや操作性を損ねているように感じました。 |
|||
:以上、辛口になってしまったようで恐縮ですが、あくまでも個人的な感想として、書き込ませて頂きます。無論、ページ改善のための財団の方々の努力には多大に感謝しております。ただ、合意があると見做してよいか、とのことでしたので、私としては現在のところ反対である旨も付け加えさせて頂きます。--[[利用者:灰色の海|灰色の海]]([[利用者‐会話:灰色の海|会話]]) 2022年6月15日 (水) 13:49 (UTC) |
|||
== 差し戻す方法にご依頼 == |
== 差し戻す方法にご依頼 == |
2022年6月15日 (水) 13:49時点における版
詳しくはWikipedia:井戸端/ヘルプをご覧ください。
このページではウィキペディア日本語版について、運営、方針、新しいアイディアや作業の仕方、その他様々な事で質問や提案、議論、意見交換といった井戸端会議が行われます。
This page is for discussion of Japanese Wikipedia, normally in Japanese. But see also Help for Non-Japanese Speakers. If you want to just inform Japanese Wikipedians of something, you can use Wikipedia:お知らせ.
過去ログ一覧 |
---|
三角マークをクリックでツリーを表示 |
- ここに質問を投稿する前に
- 下記の過去ログ検索機能にて、既に似た質問がないか質問前にご確認ください。
- よくある質問(FAQ)や利用案内もご確認ください。なお、この井戸端で頻繁にされている質問があれば、それをFAQに追加するよう、提案してください。
- ウィキペディア日本語版やウィキメディア・プロジェクトと関係のない話題を投稿するのはご遠慮ください。
- 以下に当てはまるものは井戸端よりも適切な場所があるので、そちらにお願いします(「表示」を押すと展開されます):
- 以前の議論を検索する
- 井戸端タグについては井戸端タグの説明文書をご覧ください。
- 井戸端ウォッチリストではサブページを含めた井戸端の投稿状況が確認できます。
- 以下は、►(右向き三角)のクリックによって期間ごとの話題がツリー表示されます。
- 運営方針
- 投稿された全ての話題はサブページに移動し、Category:井戸端の話題にカテゴライズされています。
- サブページは、最新の投稿から10日間経過するか、最初の投稿から30日が経過すると、井戸端への読み込みが解除されます。
- 投稿しましょう
特筆性のテンプレートを貼ってから削除依頼を出すまでの期間について
あるページに対し、自分なりに二次資料がないか調べた上で特筆性のテンプレートを初めて貼り、削除依頼にも進めようと思ったところで二つの疑問が湧きました。どのタイミングで削除依頼をすべきなのかということです。
- 即日で削除依頼する
- テンプレートの意義である「特筆性を裏打ちする情報源を示すよう公募する」ための期間を別に設けて待つ
実際の削除依頼ページを見る限りではどちらも問題性はなく選ぶのは依頼者次第かもしれませんね。ですので今回はテンプレートを見た対象が(最も熱量を込めてページを作成したであろう)初稿者である場合に焦点を絞って考えてみます。
削除依頼から終了判定までの最短期間は原則として1週間と定められています。仮にその1週間を(二次資料を探し出しページを改善するための)猶予期間と見做すと、テンプレート貼付から敢えて期間を別に設けて待つ必要はありません。一日でも早い削除を望むのならばその方が良いと思います。
ただ特筆性のテンプレートを貼られるような相手なのですから、(総編集回数がどれだけであろうと)初心者が作成したページと捉えていいと思います。そんな初心者の初稿者がもし「ノートで議論を交わせること」や(投票をする方々の意見を読める)削除依頼ページの存在を幸いにも知ることができたなら編集者としての彼の成長の機会が得られることでしょう。機会が得られたなら次は方針やガイドラインの全容把握と理解を少しでも深める努力をしてもらう必要があるでしょう。初稿者が二次資料を探す過程でこれらの理解を深め、そして議論を交わすことで得られる物は大きいはずです(上記成長の機会に関する意見は昨年の私の体験談を基に書かせていただきました)。
ただし生活スタイルやウィキペディアへの関心度の違いによりテンプレートの存在に気が付くまでにはタイムラグが発生するのではと思います。気が付いた頃には合意形成された後だったとなれば成長の機会は失われます。
補足するための文章が長くなってしまったので、伺いたい内容をまとめますと以下のようになります。
- 特筆性のテンプレートを貼った後に何らかのリアクションを待つ間もなく即日削除依頼をするのは珍しくないことなのか
- 過去に同様の議論が交わされていたなら適切な期間について意見はまとまっているか
待つとすれば現実的には依頼者独自の判断で期間を決めればよいのではと個人的に思います。でも実際は即日で削除依頼に出されているものと、いくらでも待っているようなページとがあり両極端です(何ヶ月何年と経っているものはやりすぎと感じる)。以上、ご意見ご回答をよろしくお願い致します。--石焼き(会話) 2022年5月18日 (水) 21:53 (UTC) 内部リンクを標題から文章中へ移設。--Triglav(会話) 2022年5月18日 (水) 23:00 (UTC)
- 返信 (Triglavさん宛) お手数お掛けしました。ありがとうございました。--石焼き(会話) 2022年5月19日 (木) 17:31 (UTC)
- コメント 記事によりけり、状況次第で、一般的なことは何も言えないと思います。例えば記事に特筆性がないことがほぼほぼ明らかだと思えば、すぐに削除依頼を出すでしょう。あるいはそうではなく、自分が調べた範囲では特筆性がないように思われるが、他の方はもしかしたらそう思わないかもしれないOR他の方であれば特筆性を担保し得る情報にアクセスできるかもしれない、と思えば、テンプレートを添付して待つことにすると思います。その待つ期間についても、念のため他の人の意見も聞きたい、というレベルから、他の人に判断を任せたい、まで濃淡があるはずで、前者に近ければ比較的早い時期に削除依頼を出すでしょうし、逆に後者に近ければ自分では削除依頼を出さないこともあるかもしれません。
- この判断には、石焼きさんが仰るような、初版投稿者だったりその記事の主な加筆者の属性によってもかまわないと個人的には思います。特筆性がないと推定される記事が少し長く放置されたからといって法的な問題が生じるわけではなく、特筆性はあくまでもWikipediaが百科事典として運用されるための基準であるわけです。そうした記事を残置することは百科事典として収録基準以下の項目・内容が残り続けるという意味ではデメリットかもしれませんが、そのことにより執筆者の質が上がるというメリットが上回るのであれば、敢えて削除依頼を提出するのを遅らせたり執筆者との対話を行ってから依頼する、といった選択肢も出てきそうです。
- 但し、あくまでも特筆性がないと推定される記事は掲載しない、というのが独立記事作成の目安でも述べられていることです。執筆者の属性によっては敢えて削除依頼を遅らせる、というのは、利用者によっては受け入れられないかもしれません。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年5月19日 (木) 01:55 (UTC)
- 返信 (紅い目の女の子さん宛) 一律な指針は定まっておらず状況を踏まえた個別の判断を依頼者が行うことになるのですね。ご返答ありがとうございました。--石焼き(会話) 2022年5月19日 (木) 17:31 (UTC)
- コメント「一日でも早い削除を望むのならば」と仰っしゃりますが、それは個人的な感情であって、方針に基づくものではないでしょう。もし、本当に「一日でも早い削除」が必要なのであれば、WP:CSD#G4の対象であって、削除依頼を通す必要も無いでしょう。「一日でも早い削除」が必要なのは上でも指摘されている様に「法的な問題が生じる」ケースB案件です。CAT:NOTEに十何年も{{特筆性}}が貼付されたものがある様に、通常の削除依頼にも長期積み残し案件があります。ネット上に情報源が無くても、書籍や論文など紙の情報源がある場合も多々あるので、特筆性が差し当たって無さそう、というだけではすぐに削除する必要は必ずしも無いと思います。--112.70.187.7 2022年5月20日 (金) 16:37 (UTC)
- 返信 (112.70.187.7さん宛) 誤解を生じる発言で申し訳ありませんでした。「編集活動に割ける時間やペースは人それぞれなので、現実的な都合により忘却する前に間を置かずに早く手続きを進めたい依頼者もいることでしょう」という旨で書いたつもりでして感情論ではありませんでした。その他いただいたご意見(削除の緊急性や必要性等)については議論テーマ外なのでコメントを割愛させていただきます。--石焼き(会話) 2022年5月20日 (金) 18:05 (UTC)
- コメント 井戸端を眺めていたらこのセクションが目についたのでコメントします。Template:特筆性を見ると、2番目の文章に「目安に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。」と書いてあります。つまり、不完全な記事について読者に対して調査の協力を求めているわけです。常識的に考えて協力を求めたからと言ってすぐに結果が得られるというものではありません。そのあたりを考えると、質問者はテンプレートを貼るだけで、自分が貼ったテンプレートの文面すら読んでもいないように思えるのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。--36.11.228.114 2022年6月3日 (金) 17:55 (UTC)
Wikipedia:井戸端#特筆性のテンプレートを貼ってから削除依頼を出すまでの期間についてを拝読しました。どのタイミングで削除依頼をすべきか、最短では{{特筆性}}を貼付してから168時間(約7日間)経過後になります。根拠はWikipedia:合意形成#合意形成にあります。{{特筆性}}は{{告知}}と同様の役割を果たしており、このテンプレートを貼付してから合理的な期間(168時間程度=約7日間)が経過すれば、沈黙を同意とみなすことができます。---125.175.130.58 2022年5月22日 (日) 19:30 (UTC)(このコメントは125.175.130.58さんが利用者‐会話:石焼き#どのタイミングで削除依頼をすべきかについてに書かれたものです。このサブページの議論に関連するのでコピペしました。--36.11.228.3 2022年6月13日 (月) 11:15 (UTC))
- 返信 (125.175.130.58さん宛) お時間を割いていただきありがとうございます。確かに挙げていただいたように合意形成のための合理的な期間は1週間であると記載されています。しかし削除依頼を出すタイミングまでは明確には言及されていないように思います。実際の現在審議が進行中の削除依頼に提出されている案件の元ページを参照してみるとケースEで(且つ権利侵害等の発生していない緊急性のない案件においても){{特筆性}}と{{Subst:Sakujo}}が同時に貼付されたものがよく見られます。それら実際の運用例の量を踏まえて考えてみても削除依頼を出すタイミングは{{特筆性}}が貼付されてから1週間程度経過後と一概には言えず、他の方のご意見のようにケースバイケースで判断が必要になるのではと思います。
- 私個人としては{{特筆性}}貼付後にノートで話し合いを進めるステップを挟む方が望ましいのではないかと考えておりますが、対話は削除依頼のノートページに場を移しても可能ですしそちらでも合意形成をすることができます。2つのテンプレートを同時に貼付した場合においても「削除依頼から終了判定まで最低1週間かけるのが原則」が守られ、その期間において合意形成されているように思います。要は1週間+1週間で削除に至るか1週間で削除に至るかで違いがありますが、どちらでも合意形成のための対話の場が設けられているので現実においては後者を選ぶ依頼者の割合も多いのではと推察しております。本当のところ正解があれば悩まずに済むのですが難しいところですよね…。--石焼き(会話) 2022年5月23日 (月) 13:14 (UTC)
(この返信は125.175.130.58さんが利用者‐会話:石焼き#どのタイミングで削除依頼をすべきかについてに書かれたものです。このサブページの議論に関連するのでコピペしました。--36.11.228.3 2022年6月13日 (月) 11:15 (UTC))
引用された部分をタグで囲みました。--石焼き(会話) 2022年6月13日 (月) 21:34 (UTC)
- コメント 上にコピペしたコメントで、125.175.130.58さんは「{{特筆性}}は{{告知}}と同様の役割を果たしており」と書いておられますが、{{特筆性}}は単に告知を行うテンプレートではなく、2022年6月3日 (金) 17:55 (UTC)に 36.11.228.114 でも書いたように、他の編集者に対して調査を依頼する機能も有しています。(ありがちなことですが)125.175.130.58さんはテンプレートの名前(特筆性)だけを見ていて、それにより表示される文章すら読んでおられないと思われます。それと、そもそも「特筆性がない」というのは「この記事は無くてもよい」というだけのことなので、削除依頼に緊急性があるのなら他の削除理由を考えた方がよいと思うのですが。--36.11.228.3 2022年6月13日 (月) 11:32 (UTC)
- (補足)あらためて{{特筆性}} で表示される文を(リンク等を省略して)引用すると、
- この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。
- 目安に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。
- なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。
の3つです。このうち、「1.」だけが強調表示されます。「削除」に言及しているのは「3.」なのですが、どうもその前の「2.」が(間にあるためか)見過ごされる傾向があるようです。--36.11.228.3 2022年6月13日 (月) 14:24 (UTC)
- 返信 (36.11.228.3さん宛) 36.11.228.114からIPが移ったのですね。私は冒頭でテンプレートの意義についてあなたの仰ることにも触れています。あなたは私の行動を決めつけて他の方々への賛同まで求めようとする余計な一言を残しました。「礼儀を忘れない」をご一読ください。125.175.130.58さんへ対する発言にも同様にお気を付けください。
- 本議題は「特筆性のテンプレートを貼ってから削除依頼を出すまでの期間について」の意見を
集う募るものです。削除依頼ページを見てみてください。ケースEの案件では皆各々調査をされた上で判断し理由を明示して削除か存続かを投票されています。適切に手続きが進められている背景下で、依頼者も投票に参加する人も各々ができる範囲のことに精一杯取り組んでいます。このような方々の取り組みを見ておきながら、緊急性がないからと削除依頼を出さずに延々と待ち続けるべきなのでしょうか。 - 一方で初稿者が編集初心者だった場合。勿論誰もノートで議論を交わすことは阻害していませんが初稿者の参加率は100%ではありません。知識経験不足によるのかもしれませんし、そもそもテンプレートが貼られたことに気付いていないのかもしれません。参加できていない状況には様々な理由があると思います。私の単なる希望的観測かもしれませんが{{特筆性}}貼付後に削除依頼を即出すのではなくある程度待つことで参加できる人が僅かでも増えるかもしれません。編集者としての成長の機会が得られると良いなと個人的に思っています。
- では待つならばどれだけ待つのか。待たない場合でも削除に至るまでに最低でも1週間程度の時間は設けられています。これまでに伺うことができたご意見で「ケースバイケース」だということがわかりました。ただしあくまで初心者の初稿者に対する場合の意見です。初心者以外は何らかの理由により特筆性を裏打ちする情報源を探すのに時間を要する場合にはその旨を伝える能力があることでしょう。以上です。--石焼き(会話) 2022年6月13日 (月) 22:46 (UTC)
コメント 確かに、石焼きさんは、特筆性テンプレートの意義として「特筆性を裏打ちする情報源を示すよう公募する」ことに言及しておられるので、「無視」しておられるわけではないでしょう。しかしセクション名を「特筆性のテンプレートを貼ってから削除依頼を出すまでの期間について」としておられることや「即時削除」を「可」としておられる点から見て、この機能を「軽視」しておられるという批判は的外れではないと思います。ところで、石焼きさんは「緊急性がないからと削除依頼を出さずに延々と待ち続ける」ことはよくないとお考えなのだと思えますが、そのように考えられる理由は何なのでしょうか。うそはよくないでしょうが、誰も読まない記事というのは別に害もないわけで、残しておいてもよいと思うのですが、違うでしょうか。--36.11.228.78 2022年6月14日 (火) 04:41 (UTC)(加筆しました--36.11.228.78 2022年6月14日 (火) 05:00 (UTC))
- 返信 (36.11.228.78さん宛) WP:FAILN, WP:Vを読んでいただければと思います。
- あなたのコメントには他人の考えを推測した内容を前置きとされるふしが見受けられますし、ずっと本題から横に逸れた内容が続いていますが、最終的な目的は何なのでしょうか。こちらの議題に合致する内容でしょうか。もし本題と異なる内容について広く質問や提案、議論、意見交換をされたいのでしたらこちらではなく新しい話題として井戸端に投稿してください。--石焼き(会話) 2022年6月14日 (火) 10:56 (UTC)
- 返信 (石焼きさん宛) 質問を繰り返します。『石焼きさんは「緊急性がないからと削除依頼を出さずに延々と待ち続ける」ことはよくないとお考えなのだと思えますが、そのように考えられる理由は何なのでしょうか。』「WP:FAILN, WP:Vを読んでいただければと思います。」というのがお答えなのかもしれませんが、私の質問は石焼きさんのお考えを聞いているので、これではお答えになっていません。ご指摘の通り、質問の前半は「推測」なので、この推測が間違いならばその旨お答えください。--36.11.228.173 2022年6月14日 (火) 16:07 (UTC)
- 返信 (36.11.228.173さん宛) まず質問の前半の推測は誤りです。次に質問の後半について。対象の記事を作るには独立記事作成の目安を満たす必要があります。今回の例においては特筆性を証明するに足る情報源を調べて出典を明記しましょうと言っています。テンプレート{{特筆性}}のおかげで記事の存続を希望する人が対応してくれたら問題ありません。でも1週間待っても誰からの反応もなかったらどうしますか。来月まで待ちますか?それとも延々と待ち続けますか?
- 現時点で特筆性が示されていなくても記事として潜在的な価値を持ちます。もし長く時を経て記事の対象にも変化が生じ特筆性を立証し得る情報源が見つかったならばそれはそれで喜ばしいことですが、記事を作ってから情報源の誕生を待つというのは順序が逆ですよね。そのため延々と待ち続けるのはいかがなものかと申しております。
- まだ何の目的で指名されてまで回答を求められたのか私は理解できておりませんが、できるだけ誠意をお示ししたつもりです。十分な回答となっていますでしょうか。--石焼き(会話) 2022年6月14日 (火) 18:45 (UTC)
返信 (石焼きさん宛) (IPが変動しませんでした。こんなこともあるんですね。)ご解答ありがとうございます。ご解答の最初の部分ですが、「「緊急性がないからと削除依頼を出さずに延々と待ち続ける」ことはよくないとお考えだ」という私の推測は間違いですとのことですが、そのあとの「対象の記事を作るには独立記事作成の目安を満たす必要があります。(中略)でも1週間待っても誰からの反応もなかったらどうしますか。来月まで待ちますか?それとも延々と待ち続けますか?(中略)記事を作ってから情報源の誕生を待つというのは順序が逆ですよね。そのため延々と待ち続けるのはいかがなものかと申しております。」を読むと、私の感覚では「緊急性がないからと削除依頼を出さずに延々と待ち続ける」ことはよくないとお考えだというように感じます。少し反論すると、記事を作るのにWikipedia:独立記事作成の目安を満たす必要はありません。確かにWikipedia:独立記事作成の目安#特筆性のガイドラインを満たしていない記事の最初には「記事の主題が本ガイドラインの条件を満たさない場合、独立した記事として存続することはできません。」と書かれていますが、これは客観的な記述というよりもスローガンのようなもので、自動的にそうなるというわけではありません。しかも、私の画面では5行ほど下にある2番目の文章に「削除は最後の手段であるべきです。」(つまり最初の手段ではない)と書かれているのですが、どうもこのセクションの問題提起の仕方を見ると、このあたりまでは読んでおられないように感じます。(長くなるのでとりあえずここまで。以下、続きます)--36.11.228.173 2022年6月15日 (水) 14:37 (UTC) (情報提供です)抜粋引用した「削除は最後の手段であるべきです。」はen:Wikipedia:Notability at 12:27, 9 February 2009「For articles of unclear notability, deletion should be a last resort.」を翻訳した物です。いかにも英語的な表現なので、日本語訳から受ける印象で考えると間違えるかもしれません。現在の版では「last」という語句は使われていないようです。--36.11.228.173 2022年6月15日 (水) 14:57 (UTC)
- 返信 (36.11.228.173さん宛) 返信の最初の方だけでなく全部を読んでいただけているでしょうか。重ねて申し上げますがこの場で何をされたいのでしょうか。こちらの議題に合致する内容でしょうか。もし本題と異なる内容について広く質問や提案、議論、意見交換をされたいのでしたらこちらではなく新しい話題として井戸端に投稿してください。私に何かさせたい或いは論争自体が目的でしたらこれ以上は返答を拒否します。今回もそうですが推測や感想の多用による印象操作もしないでいただきたいです。--石焼き(会話) 2022年6月15日 (水) 15:51 (UTC)
- 返信 (36.11.228.173さん宛) 確認させてください。あなたの仰る「質問の前半の推測」と「質問の後半」とは何を指すのか改めて教えてください。私は「質問の前半の推測」=『セクション名を「特筆性のテンプレートを貼ってから削除依頼を出すまでの期間について」としておられることや「即時削除」を「可」としておられる点から見て、この機能を「軽視」しておられる』、「質問の後半」=『「緊急性がないからと削除依頼を出さずに延々と待ち続ける」ことはよくないとお考えなのだと思えますが、そのように考えられる理由は何なのでしょうか。うそはよくないでしょうが、誰も読まない記事というのは別に害もないわけで、残しておいてもよいと思うのですが、違うでしょうか。』を指しているものと解釈し回答致しました。--石焼き(会話) 2022年6月15日 (水) 23:10 (UTC)
- 議論全体を読んだのですが、{{特筆性}}の3.に「なお、適合することが証明できない場合には」と告知されているから、その証明の最短期間はWP:CONLIMITED上、約1週間になるのではないかと。WP:CONLIMITEDが求めているのは「十分な告知」であり、{{告知}}の使用ではないから、{{特筆性}}だろうが何だろうが、コミュニティに対して十分な告知が行なわれたなら約1週間が適用されます。だから、{{特筆性}}を貼付後、十分な告知が行なわれ、約1週間経過しても特筆性が立証されない場合、リダイレクトまたは統合、削除されるのは不可避ではないかと。理由はen:WP:TRIVIALにあるとおり、特筆性は中立的な観点に基づいて記事を作成するために設けられたガイドラインだからです。これが特筆性ガイドラインの正体なので、特筆性なしに独立記事を作成することは、ある事柄に不当な重みを与えることにつながり、WP:WEIGHT違反になります。独自研究は載せないの方針もあるから、ある記事の特筆性の有無をウィキペディアンが独自に決めてはいけない以上、猶予期間を延長してはいけないし、中立的な観点を保つために約1週間の規定は守るべきかと。特筆性が立証できない場合、削除ではなく、リダイレクトや統合を優先すべきですが、それがスパムを構成している場合は削除もありうる。具体的には、記事Aを宣伝するために、記事AへのリダイレクトB、リダイレクトC、リダイレクトD……(以下省略)を量産する等。--Zip-stream(会話) 2022年6月19日 (日) 09:50 (UTC)
- 返信 (Zip-streamさん宛) コメントありがとうございます。(適合することが証明できない場合も)合意形成のためには最短でも1週間程度要すること、立項にあたり独立記事作成の目安を重視し特筆性も当然立証する必要があること、立証できなかった場合の手続き、これらに関して同意です。次に「十分な告知」に関して根拠や統計を示せず申し訳ないのですがコメントします。現状では{{特筆性}}の貼付が主な告知手段でしょうか。私が立項したときの体験では貼付されたことに気付けましたが、往々にして遭遇するそうでなかった場合には告知の効果が無かったことになります。そういった場合に{{特筆性}}と{{Subst:Sakujo}}が同時に貼付されることで(編集に積極的な方々が常に一定数いる)削除依頼のページが十分な告知のためのスペースを担っている側面があると思います。
これを踏まえると仰る「猶予期間を延長してはいけない」の解釈は「{{Subst:Sakujo}}を貼るならば先ず{{特筆性}}を貼付し約1週間待った後のタイミングで速やかに行うべき」「同時に2つのテンプレートを貼って即日削除依頼しても問題ない」のどちらも言えるような気がします。「ケースバイケース」でしばらく待つ行為と何ヶ月何年と延々と待つ行為が共に問題があるとも解釈できるでしょうか。--石焼き(会話) 2022年6月19日 (日) 17:53 (UTC)- {{特筆性}}と{{Sakujo}}の同時貼付はありえないかなと。理由は「3. なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除」であり、{{特筆性}}の貼付段階で削除の議論は確定しておらず、リダイレクト・統合される場合もあるから{{特筆性}}と{{Sakujo}}の同時貼付は不可。{{特筆性}}貼付後、約1週間が経過し「統合先がない場合には削除」依頼テンプレート貼付可となる。削除依頼は「ただテンプレートや加筆依頼等で呼びかけを行ったが協力者が現れなかったということだけを根拠として判断を下した場合、通常は不充分」とみなされる。{{特筆性}}貼付後、約1週間で得られる沈黙の同意とは「3. なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除」の議論に移るまでの同意にすぎない。{{特筆性}}貼付の約1週間後(この間に提案者もWP:FAILNの誠実な調査を行なう)、さらに何処へリダイレクト・統合すべきかの追加議論が約1週間行なわれるので(ただし、統合先がない場合は、この期間を飛ばして削除依頼可)、{{Sakujo}}貼付まで通常約2週間を費やすことになるかと。--Zip-stream(会話) 2022年6月23日 (木) 13:25 (UTC)
- 返信 (Zip-streamさん宛) コメントありがとうございます。(適合することが証明できない場合も)合意形成のためには最短でも1週間程度要すること、立項にあたり独立記事作成の目安を重視し特筆性も当然立証する必要があること、立証できなかった場合の手続き、これらに関して同意です。次に「十分な告知」に関して根拠や統計を示せず申し訳ないのですがコメントします。現状では{{特筆性}}の貼付が主な告知手段でしょうか。私が立項したときの体験では貼付されたことに気付けましたが、往々にして遭遇するそうでなかった場合には告知の効果が無かったことになります。そういった場合に{{特筆性}}と{{Subst:Sakujo}}が同時に貼付されることで(編集に積極的な方々が常に一定数いる)削除依頼のページが十分な告知のためのスペースを担っている側面があると思います。
先日(2022年6月15日 (水) 15:51 (UTC))のメッセージで「この場で何をされたいのでしょうか。こちらの議題に合致する内容でしょうか。」というご質問を頂いて、あらためて自分が何をしたいのかを考えていました。で、次のように考えました。
ご存じでしょうが「スローガン」というのがありまして、その言葉を聞くと何となくわかったような気になるが、実はあまりはっきりしません。こういうことを書くと怒る人もあるでしょうが、有名なところでは「自由」「平等」「博愛」などというのがあります。「スローガン」は意味があいまいな方が多くの人の共感を得られるので、意味があいまいなこと自体が優れたスローガンの条件だと私は思います。で、Wikipediaの中では「特筆性」という言葉がこのような性格を持つ言葉だと私は考えています。すこしガイドラインなどの履歴を調べてみるとわかることですが、Template:特筆性が作られた(この名前になった)のは、2008年3月2日 (日) 08:27であるのに対して、Wikipedia:独立記事作成の目安(=Wikipedia:特筆性)がガイドライン化されたのは2015年1月18日 (日) 03:14です。この間の7年間弱、Template:特筆性は根拠になるガイドラインがない状態で使われており、「特筆性」にいろいろな考え方が蓄積してきたというのが私の考えです。で、こういうことを書くとまた「印象操作」(これも意味の良く分からない言葉です)と反論されてしまうのかもしれませんが、石焼きさんはTemplate:特筆性のテンプレートを「削除依頼」の前提条件のように考えておられるようなので「それは違いますよ」(少なくとも「それは違うと考える人がいますよ」)ということをお伝えしたいというのが私のしたいことということになります。別の書き方をすると、「そもそも間違った前提で議論の場を設定しているので、この方向で話を進めるのはよくないですよ」と主張したいわけです。--36.11.228.95 2022年6月22日 (水) 20:45 (UTC)
- 返信 (36.11.228.95さん宛) IP利用者36.11.228.***さんご返答ありがとうございます。私個人に向けてのものでしたか。スローガンと特筆性への私論については把握致しました。あと中盤に書いていただいた歴史までは存じ上げませんでした。申し訳ないですがその中盤までの内容がそれ以後の文章「石焼きさんは~」にどう掛かっているのかは私の読解力不足のためか理解に及びませんでした。そのため後半の文章についてのみにご返答致します。
- 独立記事作成の目安のWP:FAILNを参照しますと、特筆性のガイドラインを満たしていない記事に「{{特筆性}}テンプレートを貼って他の編集者に通知してください」とあります。正にあなたがこれまで仰っているように他の編集者に対して調査を依頼しています。前提というより適切な手順の一つとして特筆性テンプレートを貼付しているに過ぎません。それだけです。故に間違った前提~との主張は的外れです。また先に以下の旨のコメントもいただいております。
- 「記事を作るのにWikipedia:独立記事作成の目安を満たす必要はない」
- 「特筆性のガイドラインを満たしていない記事に書かれていることはスローガンのようなものなので特筆性の立証されない記事も独立した記事として存続させてもよい」
- これらはWikipedia:方針とガイドラインへの向き合い方の違いから生まれた齟齬のようにも感じます。私の言っていることが間違いだと思われるのでしたらそれでも良いです。ですがいずれにせよやはりこちらで話を進めるのはよくないですよ。その考えは私個人に対して訴えてどうこうなるものではなく、私が与するまで書き続けても不毛で、それこそこの議論の場を流用せず新たな場を設けて確かめるべきことであるとどうかご理解ください。これで二人の話し合いを終えませんか?--石焼き(会話) 2022年6月23日 (木) 13:03 (UTC)
- (最後ということで、多分これまで書いていなかったと思うので書いておきます。)「特筆性」に比べると印象が薄いのか話題になることが少ないようですが、(もちろんご存じでしょうが)Wikipedia:スタブという考え方があります。正直なところ「特筆性」よりも「スタブ」のほうが重要な考え方だと思っています。そして、石焼きさんが引用された「記事を作るのにWikipedia:独立記事作成の目安を満たす必要はない」「特筆性のガイドラインを満たしていない記事に書かれていることはスローガンのようなものなので特筆性の立証されない記事も独立した記事として存続させてもよい」というときの「記事」は、「スタブ」を指しているとお考え下さい。Template:特筆性などの改善の必要性を示すテンプレートが貼られた記事はスタブテンプレートが貼られていなくてもスタブだと考えています。--36.11.228.69 2022年6月24日 (金) 00:04 (UTC)
犯罪被疑者や刑事被告人のプライバシーについて
阿武町の4630万円誤振込み事件について、ノート:花田憲彦#振込みの件にてどこまで記載するか、記載するならどこまで記載すべきかの議論が行われています。ここについてしばらく考えてもわからないことがあるので質問いたします。 みなさんご存じのとおり、この振り込まれた世帯主の人は電子計算機使用詐欺罪で逮捕されたわけですが、この直後に2400:4050:8100:6E00:51F7:D1D5:3608:8C41さんが「阿武町にすでに当該項目の記述がされていましたが、先程の逮捕報道をうけて当方で削除いたしました。(現在進行系の刑事事件となったため、被疑者保護のため、当該項目は削除いたしました。(DP#B-2・WP:BLP・推定無罪の原則) )」とコメントして当該事件に関する記述をごっそり削除しています。推定無罪は刑事訴訟法上の重要な原則ですが、「プライバシーの保護」とは無関係なはずです(もし関係があるなら、刑事訴訟を傍聴しさえすれば被告人の氏名や年齢がわかってしまうことと明確に矛盾すると思います)。また、「推定無罪の原則」をもとに被疑者や被告人のプライバシー情報を削除するのであれば、逆に言うと有罪判決が確定した瞬間に何をかいてもいいよとなる可能性があるわけですが、それでいいのでしょうか?
また、その後のコメントで同氏は「個人情報の観点からすれば、性別・年齢だけであってもその組み合わせで本人と特定することが可能ならアウトとなります」「出典先の本文では元勤務先や阿武町への移住理由など詳細に書かれています」とも述べられています。本件の世帯主は氏名や顔写真以外にも、町側が民事の訴状を公開したことで住所が地番レベルで明らかになっており、さすがにそういった情報を書くとWikipedia:削除の方針#ケース_B-2:プライバシー問題に関してに引っかかるとは思います。ただ、いくら阿武町が人口3000人ほどの小さな町とはいえ、世帯主の人と同い年で同じ性別という人は、ざっと計算しても12〜13人はいらっしゃるのではないかと思います。さすがに「本人と特定することが可能」とは言えないんじゃないかと思いますが、本当に性別・年齢だけでもアウトになるのでしょうか。
念のため申し上げておきますが、私は犯罪被疑者等のプライバシーに配慮しなくてもいいとは思っていません。配慮すべきだとは思いますが、その結論に至る論理の部分について疑問視しております。--水だらけのプール(会話) 2022年5月25日 (水) 13:47 (UTC)
- 水だらけのプールさんおはようございます。IP: 2400:4050:~です。(この件で編集したものは阿武町から当該記事の削除・ノート:阿武町への記述・花田憲彦から当該記事の削除・ノート:花田憲彦での議論・阿武町誤送金問題の削除依頼・および大幅な削除編集です)。私もひろく意見を募りたいのですし、私自身のこの件に関する意見はノート:花田憲彦で述べていますので、こちらでは皆様の意見を拝聴させていただくことといたします。(以下水だらけのプールさん宛)なお、「有罪判決が確定した瞬間に何をかいてもいいよ」とありますが、DP#B-2・WP:BLPに拘束されます。推定無罪の原則は判決確定までで、それ以外にもwikipediaとして明文化されたルールに従うことは当然です。「有罪判決が確定した瞬間に何をかいてもいいよとなる可能性があるわけ」ではありません。また、被疑者が一般人である際氏名の不記載は当然として性別・年齢は必要な情報でしょうか?誤送金された人物の性別や年齢が異なった場合、この事件は発生しなかったのでしょうか?もし、発生するのであればその情報自体には特筆性はないことになります。(ipv4になっています)--153.242.4.1 2022年5月26日 (木) 22:47 (UTC)
- 追記:DP#B-2では当該記事での合意形成を推奨しています(いずれにしても、個人の実名や個人情報を含むという理由で削除依頼される可能性はありますので、実名などを記載する場合は該当記事のノートページなどであらかじめ他の利用者と話し合い、記載すべきかどうか十分に検討し合意をとりつけてください)。「いわゆる誤送金事件」は本来阿武町の不祥事として立項すべきという意見が大勢でしたが、町長花田憲彦の不祥事と捉えた編集者によってそちらに詳述されたため、現在阿武町への一元化の前段階として、独立記事である阿武町誤送金問題の削除・ノート:花田憲彦での項目の削除/否削除の投票を行っているところです。よって当事件の議論はノート:花田憲彦が中心になっています。よって、ここでは当該事件の議論ではなく(それは当該記事での議論が推奨されているため)一般的な事件としての記述のあり方として水だらけのプールさんが提示した話題の意見を募りたく思います。(ipv6戻りました)--2400:4050:8100:6E00:C579:1152:C324:C0AE 2022年5月27日 (金) 00:23 (UTC)
- 誤送金事件の被疑者でいえば、例えば地番レベルの住所についてを記事に書くと削除対象になるという点については異論はありません。ただ、そもそも被疑者は(単に4630万円が過大だったというだけで)阿武町の給付金10万円を正当に受けとれたのですから、「山口県阿武郡阿武町」までは住所は確定しています。「性別・年齢」については確かに言及しなくても本件の記事は成立するでしょうが、例えば少年事件の場合、年齢の話をしないと少年法が適用されることの説明になりませんし、仮にそれが女子校の教室内で休み時間中に起きた事件であれば、(外部侵入者でない限り)加害者の性別もおのずと限定されるはずです。つまり
本件の記事を立てた時に被疑者の性別・年齢が述べられなかったとしても、それは「書く必要がないと執筆者が判断した情報」だったからにすぎないわけで被疑者の居住市町村名や性別、年齢といったものはその事案に応じて記載する必要があるか、そうでないかというのを執筆者が判断すべき情報であって、個人の実名などのような「一般的に書いてはいけない情報」とは明確に区別されるべきだと思います。もし後者であれば、被疑者の性別や年齢が書きこまれた時点で(単に編集で消すのではなく)版指定削除をしなければならないはずなのですが、現状wikipediaでそのような運用にはなっていないのではないかと思います。 - ところで2400:4050:8100:6E00:51F7:D1D5:3608:8C41さんは別のコメントで「被疑者については、起訴された場合何年先に判決がでるかはわかりませんが、そこで有罪となった際に記述すればよろしいかと。推定無罪の原則はそれだけ重要なことです。」と述べておられますが、これ被疑者が判決前に死亡した場合だと一体どうなるんでしょうかね。その場合、被疑者はそもそも逮捕も起訴もされていないか、されていても死亡の時点で司法手続きが打ち切られてしまうので、刑事訴訟法に由来する「推定無罪」という考え方とは相性が悪いように思います(なんなら、故人は個人情報保護の対象からも外れます)。もし山口女子高専生殺害事件や北新地ビル放火殺人事件などの被疑者について、他の被疑者と同程度に個人情報をみだりに晒されるべきではないと考えておられるなら、それは「推定無罪」「個人情報の観点」とは別のところに根拠を見出さないと成立しないのではないでしょうか?--水だらけのプール(会話) 2022年5月27日 (金) 14:03 (UTC)一部修正--水だらけのプール(会話) 2022年5月27日 (金) 14:18 (UTC)
- 私と水だらけのプールさんだけで議論しても仕方ないので簡潔に。被疑者の段階で記述する差し迫った理由があるのでしょうか?それはウィキニュースの役目かと思われます。なお被疑者死亡については、「推定無罪の原則」からは外れると考えてさしつかえないかと思われます。ただし故人に個人情報保護の対象から外れるは、例外として、その対象となった故人の個人情報が存命の人物に影響を及ぼす場合については保護の対象となります(余談ながらさらにそれが保護の対象から外れるのは歴史的事象と判断しえる場合です)。こういったケースでは被疑者の家族などです。よって被疑者の段階で死亡した場合であっても、DP#B-2を軸として記述内容を合意すべきと思われます--2400:4050:8100:6E00:8894:E74E:AF88:83E1 2022年5月27日 (金) 19:48 (UTC)
- 誤送金事件の被疑者でいえば、例えば地番レベルの住所についてを記事に書くと削除対象になるという点については異論はありません。ただ、そもそも被疑者は(単に4630万円が過大だったというだけで)阿武町の給付金10万円を正当に受けとれたのですから、「山口県阿武郡阿武町」までは住所は確定しています。「性別・年齢」については確かに言及しなくても本件の記事は成立するでしょうが、例えば少年事件の場合、年齢の話をしないと少年法が適用されることの説明になりませんし、仮にそれが女子校の教室内で休み時間中に起きた事件であれば、(外部侵入者でない限り)加害者の性別もおのずと限定されるはずです。つまり
- jawpの事件記事では、被疑者について大抵の場合「男A」などと記述する「慣習」はあると感じますが…その点ではIP:2400:4050:8100:6E00::/64(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)氏の主張は必ずしも正当ではないと思います。--112.70.187.7 2022年5月27日 (金) 19:34 (UTC)
- 112.70.187.7さん、コメントありがとうございます。被疑者の段階で記述するのは、報道をベースにしているからであり、「逮捕を以て有罪判決となす」という慣習になっているからだと思われます。--2400:4050:8100:6E00:8894:E74E:AF88:83E1 2022年5月27日 (金) 19:51 (UTC)
- ウィキニュースじゃないので何だかんだ逐次書き込む必要はない、というのは確かにそうなんですけど、ただある刑事事件が結果的に冤罪になったとして、「冤罪になったこと」を説明するために逮捕とか起訴とかの情報って必要なんですよね…なので、「逮捕を以て有罪判決となす」という慣習になっているから逮捕の段階で書き込んでいる、はさすがに言いすぎじゃないかと思います--水だらけのプール(会話) 2022年5月28日 (土) 14:20 (UTC)
- とはいえ、逮捕された時点で氏名や性別・年齢・職業といった情報が警察発表を元にして報道され、全国民が知ることになりますよね(もちろん警察発表では氏名を公表しないケースもありますが)。ある地方新聞では、つい最近まで住所の地番まで報道することを方針にしていましたよ。この状況では逮捕=確定犯と国民は受け取めますし、そこに疑問をもたない「空気」が生まれますよね。それこそ慣習ではなくなんなのかと言えます。なお、冤罪についてですが、捜査段階で誤認逮捕と判明してもすでに報道はされているわけで、後のまつりですね。誤認逮捕によって自殺された方も存在します(なおこの方の記述に際しては、存命中は日弁連が取材に対して勧告をだしたこともあり記述はされていません。故人となられた後独立記事となっています)。さて、起訴後の冤罪率ですがこれはほぼゼロです。起訴後の有罪判決率や有罪判決確定後の再審率を見ればわかることと思います。ほぼゼロの例外である、起訴後の無罪判決については、そもそもの事件の性格・判決理由・その方が著名人であるか一般人であるかにもよると思われます。政治家といった公人においては記述は当然としても、一般人においては記述の必要性があるかどうかは相当の配慮が必要です。一方再審無罪ですが、これはその方がどの程度積極的に事件について語るかが判断基準となります。再審請求中は積極的になるのは当然として、無罪判決確定後その事件について語ることが消極的になったとすれば、記述も控えめにすべきでありますし、逆にその経験を積極的に著書や講演などで語っているのであれば詳述
すべきでしょう。することに問題はないと考えます。--2400:4050:8100:6E00:6968:2C90:5D1C:A5B9 2022年5月28日 (土) 21:38 (UTC) - (追記)一部訂正をいたしました。--2400:4050:8100:6E00:6968:2C90:5D1C:A5B9 2022年5月29日 (日) 00:11 (UTC)
- なんでそんなに関係ないことを脳内でつなげたがるんですか。その件について日弁連が勧告を出したのは、被疑者の名誉や人権をないがしろにするような報道に対してでしょう。個人の名誉や人格を回復するために冤罪発生の経緯をまとめ、次世代への教訓として残すようなことまで、日弁連は本当に目くじら立てていたんでしょうか。
- あと冤罪に関わらずある事件に特筆性がどうかは、その事件が社会の在り方を変えたとか、刑事訴訟が法理論上重要な判例になったとか、そういったことで本来は判断されるはずです(秀逸な記事に選出されているみどり荘事件とかは良い例です)。阿武町の誤振込みにしたって「真犯人は別にいる!」という意味での冤罪には性質上なりにくそうな気がしますが、例えば「弁護側が法定刑の軽い罪(占有離脱物横領罪とか)を主張して争う」といった状況なら可能性がありますし、そうなればたぶん未来の判例百選にこの件は載ります。で、そういった事件がもつ社会的重要性の解説と、個人(加害側も被害側も)のプライバシー保護を両立するためにやっていたのが「男A」的な書き方だったはずで、それすら否定してしまえば社会に必要なことが何も書けなるのではないでしょうか。
- 最後に。逮捕された人をそれだけで有罪だと決めつけ、その人の名誉を棄損してしまっているのは、他ならぬあなた自身ではないでしょうか。wikipediaとして逮捕に特別な意味を与えてはならないと感じるなら、むしろそれについてフラットに書かれるべきではないか思います。--水だらけのプール(会話) 2022年5月29日 (日) 14:48 (UTC)
- 「そうなればたぶん未来の判例百選にこの件は載ります。」WP:BALLを参照してください。それは水だらけのプールさんの独自研究でしかありません。未来の判例百選に掲載されてから記述すればよろしいいのでは?また事件の記述においては有罪判決確定後に甲乙丙丁やA・B・Cで事足ります。性別が事件の性格に関わらないのであればさほど必要な情報ではありません。発生したひとつの事件について逮捕段階でどうしても記述したいというのであればウィキニュースをお勧めします。ウィキペディアは現在進行系の事件を報道される度につど更新していく場所ではありません。一定の結果が出てから情報を整理したうえで記述すればよろしいかと。さらに阿武町に話題を限定するのであれば、ノート:花田憲彦でもコメントしましたが、この騒動は世帯主の逮捕という要件がなければ成立しえない問題でしょうか?--2400:4050:8100:6E00:65B8:B13:E5D5:9E94 2022年5月29日 (日) 19:27 (UTC)
- (追記)上でも記述しましたが、当該事件についての議論はその記事のノートで行われることが推奨されています。よって阿武町の問題については、暫定的にノート:花田憲彦がその場所になっているのでそちらでお願いします。あくまでも一般的な事件の記述のあり方として議論をお願いいたします。--2400:4050:8100:6E00:65B8:B13:E5D5:9E94 2022年5月29日 (日) 20:52 (UTC)
- (19:27の補足)私が上述した「逮捕を以て有罪判決となす」については無罪推定の原則#報道・一般国民の感覚と無罪推定をご参照してください。--2400:4050:8100:6E00:65B8:B13:E5D5:9E94 2022年5月29日 (日) 22:10 (UTC)
- とはいえ、逮捕された時点で氏名や性別・年齢・職業といった情報が警察発表を元にして報道され、全国民が知ることになりますよね(もちろん警察発表では氏名を公表しないケースもありますが)。ある地方新聞では、つい最近まで住所の地番まで報道することを方針にしていましたよ。この状況では逮捕=確定犯と国民は受け取めますし、そこに疑問をもたない「空気」が生まれますよね。それこそ慣習ではなくなんなのかと言えます。なお、冤罪についてですが、捜査段階で誤認逮捕と判明してもすでに報道はされているわけで、後のまつりですね。誤認逮捕によって自殺された方も存在します(なおこの方の記述に際しては、存命中は日弁連が取材に対して勧告をだしたこともあり記述はされていません。故人となられた後独立記事となっています)。さて、起訴後の冤罪率ですがこれはほぼゼロです。起訴後の有罪判決率や有罪判決確定後の再審率を見ればわかることと思います。ほぼゼロの例外である、起訴後の無罪判決については、そもそもの事件の性格・判決理由・その方が著名人であるか一般人であるかにもよると思われます。政治家といった公人においては記述は当然としても、一般人においては記述の必要性があるかどうかは相当の配慮が必要です。一方再審無罪ですが、これはその方がどの程度積極的に事件について語るかが判断基準となります。再審請求中は積極的になるのは当然として、無罪判決確定後その事件について語ることが消極的になったとすれば、記述も控えめにすべきでありますし、逆にその経験を積極的に著書や講演などで語っているのであれば詳述
- 返信 未来の判例百選がどうこうの部分、そういうことを言いたいんじゃないです。「事件の記述においては有罪判決確定後に甲乙丙丁やA・B・Cで事足ります。」とおっしゃっていますが、有罪判決じゃなくても(むしろそうならなかったことによって)事件記事の特筆性って発生するよね、という例です。実例でいうと志布志事件の冤罪被害にあった方々(特に一般住民の方々)はこれについて特に本を書いたりとか講演会に登壇されたりとかされてはなかったとおもいますが、記事は何の問題もなく存在しています。東京大学前刺傷事件は被疑者少年の判決はまだ確定していませんが、「文科大臣が言及して警備を強化して再試験など特別な措置も取られた、これだけで特筆性は十分。」(好日さん)とか、「現に文部科学大臣が会場の警備を強化する旨を通達している訳ですから広く社会的に影響があるのは間違いありません」(イトユラさん)とかの意見がついて削除依頼は否決されました。あなたがおっしゃってることは、wikipediaの現状から考えても事件について記載する異様にハードルが高すぎるのではないかと思います(また、私が上でかいた未来予測のように、当初の逮捕容疑とは別の罪が成立するのではないかとして争われた場合、そこでいう"有罪判決"って何なの?という問題も生じます)。
- なお、wikipediaでは一律に現在進行中の出来事の記載を否定しているわけではありません(また、それはプライバシー保護を目的ともしてないです)。Wikipedia:独立記事作成の目安#NRには「その出来事の影響が明らかに永続的に広く社会に与えるであろう場合は、進行中の出来事であったとしても、記載するに十分な特筆性があると推定されます。」とあります。要するにあとあと有用になりそうな情報なら進行中の事案でも記事作成したりどこかに加筆したりする分は差し支えないわけです。本件についてノート:花田憲彦などを見ても、現時点で独立記事作成すべきという意見とまではなっていませんが、「阿武町」の記事などに加筆するとしても「その出来事の影響が明らかに永続的に広く社会に与えるであろう場合」には判決確定するより先に該当する場合は十分に考えられますし(金融機関がなにか対策を打った、オンラインカジノの利用が規制された、などなど)、仮に本件被疑者が有罪になろうが無罪になろうが「そもそも何の容疑で捜査されていたのか」という情報は必要になるのではないのでしょうか?--2022年5月29日 (日) 22:49 (UTC) --以上の署名のないコメントは、水だらけのプール(会話・投稿記録)さんが 2022年5月29日 (日) 22:49 (UTC) に投稿したものです(114.177.57.202による付記)。
- 「有罪判決じゃなくても(むしろそうならなかったことによって)事件記事の特筆性って発生するよね、という例です。」こういったケースについては 2022年5月28日 (土) 21:38 (UTC) で既に言及しています。「起訴後の無罪判決については、そもそもの事件の性格・判決理由・その方が著名人であるか一般人であるかにもよると思われます。」以下文末までです。また私はここで、判決確定後の記述について、否定をしてもいませんよ。1) 「起訴後の無罪判決については、そもそもの事件の性格・判決理由・その方が著名人であるか一般人であるかにもよると思われます。」「一般人においては記述の必要性があるかどうかは相当の配慮が必要です。」2) 「一方再審無罪ですが、これはその方がどの程度積極的に事件について語るかが判断基準となります。」A) 無罪判決確定後その事件について語ることが消極的になったとすれば、記述も控えめにすべきであります B) その経験を積極的に著書や講演などで語っているのであれば詳述することに問題はないと考えます。」と記述しています。1) については事件の性格と無罪が確定した一般人のプライバシーのバランスを「配慮」と表現しました。水だらけのプールさんの言葉を借りれば「事件がもつ社会的重要性の解説と、個人(加害側も被害側も)のプライバシー保護を両立」(2022年5月29日 (日) 14:48 (UTC)です。また、いくつかの事件を例にあげていますが、それはその事件ごとの性格が異なると申し上げておきます。通り魔事件あるいはさらに大規模なテロなどは、事件そのものに社会的影響があるため、捜査段階でも立項のみならず記事としての独立も問題ないと考えます。ゆえに東京大学前刺傷事件の削除依頼の否決は反対するところではありませんし、存続とされた方々の意見ももっともだと思います。ただし、被疑者に関する記述は問題ありだと思いますね。少年法の適用は年齢により区分があるため、年齢が必要としてもどう記述するかは、検討課題となるでしょう。またinfoboxは仕様上「犯人」としていますが被疑者であって、犯人ではありません。これはinfoboxを有罪判決確定前に使用するべきではない、もしくは「犯人」の項目に記述をしないなど課題ですね。本文の「加害者」も同様です。現行犯逮捕であっても推定無罪の原則は存在しますゆえ。高校生については年齢区分やとの兼ね合いやとなりますが、性別は不要です。なお阿武町の騒動について「独立記事作成すべきという意見とまではなっていませんが」とされていますが、独立記事としての阿武町誤送金事件は2回削除されています。2回目の削除依頼では、特筆性なしが適用されています。水だらけのプールさんは、現時点で「その出来事の影響が明らかに永続的に広く社会に与えるであろう場合」を予見されていますが、そういった事態にはなっておらず、削除依頼のコメントされた方々や削除理由からも独立記事の必要はありません。また将来的に金融機関の対策やオンラインカジノの規制が起きたとしても、阿武町の騒動との因果関係が証明されない限り影響を与えたとは言えません。東京大学前刺傷事件の削除依頼において、存続理由の「文科大臣による会場の警備強化通達」が参照になると思われます。--2400:4050:8100:6E00:65B8:B13:E5D5:9E94 2022年5月30日 (月) 01:49 (UTC)
- (追記) 水だらけのプールさん、少し落ち着かれてはいかがでしょうか。井戸端は記事ノートと異なり合意という着地点がなく目的にもしていないため、意見をぶつけても平行線のままですよ。中立の第三者もいませんし。建設的な議論をするのであれば花田憲彦の合意のための投票結果が通例であれば1週間として6月頭にでます。おそらくあちらからは削除で阿武町に移動となると思われますので、阿武町のノートでなにをどう記述するかを他の方々を交えて議論されてみてはいかがでしょうか?--2400:4050:8100:6E00:65B8:B13:E5D5:9E94 2022年5月30日 (月) 02:13 (UTC)
- 返信 もともとノート:花田憲彦#振込みの件での議論は「現時点でこの誤振込事件(以下「本件」と呼びます)はどの記事に記載されるべきか」から始まっていますし、Wikipedia:削除依頼/阿武町誤送金問題についても「現時点で本件を単独立項すべきか」という議論ですよね。そういう観点でいえば、私は現時点では独立記事にすべきではないと考えています。私が問題しているのはそこではなく、その後「推定無罪の原則」を理由に本件の記述がごっそり削られ、さらにその後「性別・年齢だけであってもその組み合わせで本人と特定することが可能ならアウトとなります」とのコメントがなされたことです。落ち着いて考えた結果として、「これは"現時点"の"本件"という枠組みを越えてしまうのでは?」と考えました。だってそうですよね。本件被疑者は「現時点」以降もしばらくは推定無罪の状態に置かれるでしょうが、その間に別の理由で独立記事作成されるべき理由が生じるかもしれないし、そもそも有罪判決という形に落ち着くかどうかもわからないし、仮に本件でそういう運用をして何も問題なかったとしても、別の事案にそれをあてはめたら支障が出る場合があります。「性別・年齢だけであってもその組み合わせで本人と特定することが可能ならアウトとなります」にしても、それはたまたま本件では書かなくても記事として成り立つだけの話であって、「精液のDNA鑑定」みたいに明らかに被疑者の性別がどっちか前提にしないと書けないこともあるし、ボニーとクライドみたいな男女2人組の強盗殺人犯が今いたとして、名前を書かない代わりに片方を「男」、もう片方を「女」として書き分ける編集者さんがいらっしゃるかもしれません。そういう可能性について考えた後でないと、いきなりあんな一般論を持ち出してはいけないと思います。仮に貴方の脳内で線引きができていても、それは私や他の編集者さんなどに共有される必要があります。落ち着いて考えて、明らかに他の記事とかにも影響がある議論を、ノート:花田憲彦やノート:阿武町で展開してもいいのでしょうか。まあ、ここに移動させてところで思ってたより議論に参加される方いらっしゃらなかったんですけど。。。
- なので、この議論に着地点があるとすれば、「(個人名等を含まない)犯罪に関する記述の削除は推定無罪を理由に削除されるべき」や「性別・年齢は氏名と同程度のプライバシー保護対象になる」に対して、「そんな一般ルールはwikipedia上に現状ないことを確認する」です。本件について(阿武町でも花田憲彦でも、あるいは将来独立記事をつくるにしても)性別・年齢等をプライバシー保護のために原則書いてはいけないとするなら、まず本件の枠組みを越えた一般的ルールとして合意しないと「なにをどう記述するか」なんて決められない状況にあると思えます。また東京大学前刺傷事件やその他の記事で被疑者・被告人に関する記述に問題があるとお考えになるなら、そういう一般的ルールを踏まえたうえで、ノートページ等で改善を提案してはどうでしょうか。--水だらけのプール(会話) 2022年5月30日 (月) 12:10 (UTC)
- 本件についてあえて記述したいというのであればノート:花田憲彦の2022年5月22日 (日) 11:09 (UTC)の私のコメントを参照してください。むろん、それは逸脱した書込みをしたいユーザーにとって絶好の場を与えることになります(実名・住所をふくめた経歴さらし)。現在ノートでの議論も含めて本件を記述したいと積極的に主張しているのは水だらけのプールさんなので、そういった輩への対応も含まれることになります(2022年5月18日 (水) 15:10 (UTC)の私のコメント参照)。また信頼できる情報源の選別もあります。ノートで言及されている方がいましたが木下ふみこ元都議の編集と同じ状態です。そういった諸々の状況の先頭に立って水だらけのプールさんが記事の適切な管理対応をしていただけるのであれば、これ以上留めはいたしません。よろしくお願いいたします。なお、推定無罪の原則を一般ルール化にする気はありません。DP#B-2においても明確な基準の作成を提唱する方はいましたが、結果的に不可能であり、現状は削除されやすいものとして、例が列挙されているだけで、当該記事のノートで合意をはかることが推奨されています。上述したように、事件には重大性の差が存在します。この重大性を特筆性と置き換えて立項・記述の必要のある/なしが合意によって決定されます。そこに含まれる被疑者の情報がどの程度必要か(あるいは不要か)これも事件の重大性に依拠します。テロや通り魔などと電子計算機使用詐欺の疑いではその重みは異なります。よってこれを一般ルール化したところで例外も発生しやすく、結果的に当該記事での合意というプロセスを経る必要が生じます。よって私は「推定無罪の原則」を一般ルール化する気はなく、個別記事のノートで議論を主体に活動していくつもりです。--2400:4050:8100:6E00:65B8:B13:E5D5:9E94 2022年5月30日 (月) 13:26 (UTC)
- そういうことでしたら個人情報保護とか推定無罪とか持ち出さずとも、「情報を取捨選択した結果、記載したorしなかった」で事足りるのではないかと思います。法的な要請というのはそれだけ強い効力をもちますが、杓子定規的な適用になるという短所も併せ持っています。ある事件における被疑者・被告人の性別や年齢であったりとか、なんならそもそもの事件自体にも状況によって書くべき場合と書く必要がない場合があるのですから、一般人の氏名・地番レベルの住所といった「原則として書いてはいけない情報」とは線引きをしておいたほうが後で何かあった時に柔軟な対応ができるのではないかと。--水だらけのプール(会話) 2022年5月31日 (火) 11:42 (UTC)
- 「情報を取捨選択した結果、記載しなかった」を選択した場合、なぜ記載しなかったかの理由は必ず必要となります。その理由として推定無罪の原則や個人情報の保護に由来することは、被疑者の人権を配慮した際当然と思われます。私は現在でも本件はDP#B-2・WP:BLP・推定無罪の原則にもとづき判決結果が確定するまで、世帯主について記述することは反対の立場ですよ。ただ水だらけのプールさんは私とは異なる人権意識をもっておられる方のようで、社会的影響を優先されているようにお見受けいたします。そうである以上、議論を続けても平行線でしかないというのは、貴兄も感じていられるのでは?これはノートに移動しても、同じ状態になるかと思われます。平行線である以上、建設的にすすめるためにはいずれかが妥協するしかないかと。水だらけのプールさんは本件を記述したいがために、平行線かつ非建設的な議論を1週間以上続けているわけですよね。私には人権への配慮といった守るべきものが存在しますが、水だらけのプールさんの社会的影響ゆえに記述をしたいという欲求は理解いたしかねます。本件において被疑者は逮捕以前から社会的制裁として石を投げられています。wikipediaのルールDP#B-2では、石のサイズが小さくなるだけで記述することによって石を投げることには変わりはありません。社会が石を投げているから、自分も小石なら投げて大丈夫だろうというのは結局石を投げていること自体に変わりはありません。石を投げないという選択が必要だというのが私の意見です。「電子計算機使用詐欺の疑い」は水だらけのプールさんにとってどうしても石を投げるほどの事件でしょうか?さて、水だらけのプールさんはこれだけの議論を踏まえても記述したいと意思が変わらないようなので、2022年5月30日 (月) 13:26 (UTC)で記述したように適切な管理ができるというのであれば、記述することをこれ以上停めはいたしません。なお、阿武町には花田憲彦の不祥事の項目が移動されていますが、ノート:阿武町に編集合戦や方針の違いが起きないように、最低限すり合わせの提案をしておきましたので、興味がおありでしたらご活用ください。単に実名・住所さらしなら版削除や半保護で済みますが、ノート:花田憲彦で指摘された方のように木下ふみこのようになる可能性もありますので。私は、水だらけのプールさんが本件について記述を続け適切な管理を行っている限り、最低限必要な修正(誤字訂正など)の参加にとどめることといたします--2400:4050:8100:6E00:3CD1:A289:62C7:99F6 2022年5月31日 (火) 12:54 (UTC)
- すごーく極端な思考実験だと思ってお付き合いいただきたいのですが、犯罪被疑者の人権という観念が稀薄な世界線で本件が発生したとします。仮にそうだったとしても、「本件は誤振込相手が男性だろうが女性だろうが、関係なく起きえたことだ」というのは、我々の世界におけるそれと変わりはないのではないでしょうか。そうだとすると、仮にその世界線にあるwikipediaで誰かが本件被疑者の性別の情報を書き込んでも、「これ事件の本質と関係ないし、冗長ですよね?」という理由で削除するのは可能なのではないのでしょうか。私が申しあげたいのはそういうことです。
- あと木下都議の記事の例を出されているのは快速フリージアさんだと思いますが、「現状は少し様子見ができないか。ある程度状況が進捗してから執筆を進めても良いかもしれませんが、あくまで「現時点では」と思っての表現です。」とコメントされておられることも併せて申し添えておきます(太字個所は私)。--水だらけのプール(会話) 2022年5月31日 (火) 14:45 (UTC)追加--水だらけのプール(会話) 2022年6月3日 (金) 11:43 (UTC)
- 「情報を取捨選択した結果、記載しなかった」を選択した場合、なぜ記載しなかったかの理由は必ず必要となります。その理由として推定無罪の原則や個人情報の保護に由来することは、被疑者の人権を配慮した際当然と思われます。私は現在でも本件はDP#B-2・WP:BLP・推定無罪の原則にもとづき判決結果が確定するまで、世帯主について記述することは反対の立場ですよ。ただ水だらけのプールさんは私とは異なる人権意識をもっておられる方のようで、社会的影響を優先されているようにお見受けいたします。そうである以上、議論を続けても平行線でしかないというのは、貴兄も感じていられるのでは?これはノートに移動しても、同じ状態になるかと思われます。平行線である以上、建設的にすすめるためにはいずれかが妥協するしかないかと。水だらけのプールさんは本件を記述したいがために、平行線かつ非建設的な議論を1週間以上続けているわけですよね。私には人権への配慮といった守るべきものが存在しますが、水だらけのプールさんの社会的影響ゆえに記述をしたいという欲求は理解いたしかねます。本件において被疑者は逮捕以前から社会的制裁として石を投げられています。wikipediaのルールDP#B-2では、石のサイズが小さくなるだけで記述することによって石を投げることには変わりはありません。社会が石を投げているから、自分も小石なら投げて大丈夫だろうというのは結局石を投げていること自体に変わりはありません。石を投げないという選択が必要だというのが私の意見です。「電子計算機使用詐欺の疑い」は水だらけのプールさんにとってどうしても石を投げるほどの事件でしょうか?さて、水だらけのプールさんはこれだけの議論を踏まえても記述したいと意思が変わらないようなので、2022年5月30日 (月) 13:26 (UTC)で記述したように適切な管理ができるというのであれば、記述することをこれ以上停めはいたしません。なお、阿武町には花田憲彦の不祥事の項目が移動されていますが、ノート:阿武町に編集合戦や方針の違いが起きないように、最低限すり合わせの提案をしておきましたので、興味がおありでしたらご活用ください。単に実名・住所さらしなら版削除や半保護で済みますが、ノート:花田憲彦で指摘された方のように木下ふみこのようになる可能性もありますので。私は、水だらけのプールさんが本件について記述を続け適切な管理を行っている限り、最低限必要な修正(誤字訂正など)の参加にとどめることといたします--2400:4050:8100:6E00:3CD1:A289:62C7:99F6 2022年5月31日 (火) 12:54 (UTC)
- そういうことでしたら個人情報保護とか推定無罪とか持ち出さずとも、「情報を取捨選択した結果、記載したorしなかった」で事足りるのではないかと思います。法的な要請というのはそれだけ強い効力をもちますが、杓子定規的な適用になるという短所も併せ持っています。ある事件における被疑者・被告人の性別や年齢であったりとか、なんならそもそもの事件自体にも状況によって書くべき場合と書く必要がない場合があるのですから、一般人の氏名・地番レベルの住所といった「原則として書いてはいけない情報」とは線引きをしておいたほうが後で何かあった時に柔軟な対応ができるのではないかと。--水だらけのプール(会話) 2022年5月31日 (火) 11:42 (UTC)
- 本件についてあえて記述したいというのであればノート:花田憲彦の2022年5月22日 (日) 11:09 (UTC)の私のコメントを参照してください。むろん、それは逸脱した書込みをしたいユーザーにとって絶好の場を与えることになります(実名・住所をふくめた経歴さらし)。現在ノートでの議論も含めて本件を記述したいと積極的に主張しているのは水だらけのプールさんなので、そういった輩への対応も含まれることになります(2022年5月18日 (水) 15:10 (UTC)の私のコメント参照)。また信頼できる情報源の選別もあります。ノートで言及されている方がいましたが木下ふみこ元都議の編集と同じ状態です。そういった諸々の状況の先頭に立って水だらけのプールさんが記事の適切な管理対応をしていただけるのであれば、これ以上留めはいたしません。よろしくお願いいたします。なお、推定無罪の原則を一般ルール化にする気はありません。DP#B-2においても明確な基準の作成を提唱する方はいましたが、結果的に不可能であり、現状は削除されやすいものとして、例が列挙されているだけで、当該記事のノートで合意をはかることが推奨されています。上述したように、事件には重大性の差が存在します。この重大性を特筆性と置き換えて立項・記述の必要のある/なしが合意によって決定されます。そこに含まれる被疑者の情報がどの程度必要か(あるいは不要か)これも事件の重大性に依拠します。テロや通り魔などと電子計算機使用詐欺の疑いではその重みは異なります。よってこれを一般ルール化したところで例外も発生しやすく、結果的に当該記事での合意というプロセスを経る必要が生じます。よって私は「推定無罪の原則」を一般ルール化する気はなく、個別記事のノートで議論を主体に活動していくつもりです。--2400:4050:8100:6E00:65B8:B13:E5D5:9E94 2022年5月30日 (月) 13:26 (UTC)
- - こちらやこちらも参照されるといいかもしれません。-- 雑用部(会話) 2022年6月2日 (木) 14:13 (UTC)
サンドボックスのヘッダーをHTMLに組み込んでしまってはどうか
前から思っていたのですが、サンドボックスを初期化しようとしてヘッダーテンプレートごと除去されるケースが後を絶たないので、あれはHTML側に組み込んでしまってもよいのではないでしょうか。ページの読み込み後に追加する方式になるので多少のラグはあるのと、砂場ならしをしてくださってるbotのコーディングを白紙化編集に変更してもらう必要はありますが、一応メリットはあると思います。以下のリンクを踏むとどのような感じになるのかテストできますので、よろしければ皆さんのご意見をお聞かせください。
よろしくお願いいたします。--Dragoniez (talk) 2022年5月28日 (土) 16:07 (UTC)
- 上で挙げていただいたリンクはモバイル環境で見た場合にテンプレートが表示されないようです。モバイルビューでも対応可能でしょうか?--Junknote(会話) 2022年6月1日 (水) 05:32 (UTC)
- 上のヘッダリンクを(PCから)モバイルビューで見る場合のリンク / たぶん、これは H:MOBILE に解説されている通り、モバイルビューの極端な機能制限によりHTMLでのjsページ呼び出しが無効化サれてるんじゃないのかなあ、と思います。◆モバイルビューでも対応するのなら、既に実装例のある{{学校記事 editintro}}や{{BLP editintro}}と同様に、MediaWiki側の機能でヘッダを読み込ませる WP:EDITINTRO の方が妥当なのではないかなと思います。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月2日 (木) 12:55 (UTC)
- 返信 Junknoteさん、MediaWikiに正式に導入すれば、デスクトップ・モバイルやログインユーザー・IPユーザー関係なく全ての環境で表示できる (はず) です。上のリンクは、単にリンクを踏んだ際に限定的にJSファイルを読み込んでいるだけのため、Nami-jaさんの仰るようにモバイル版の制約で読み込まれないのだと思います。--Dragoniez (talk) 2022年6月2日 (木) 13:09 (UTC)
- @Nami-jaさん、ご返信ありがとうございます。モバイルビューはmw:Extension:MobileFrontendにより異なった挙動となることは何とか理解しました。ただ見た限り、WP:EDITINTROは現時点でモバイルの編集時には対応していない(MediaWiki:Mobile.jsにeditintroに対応するスクリプトがない)ようでしたので、モバイルでの編集時にテンプレートを読み込ませることが可能なのかは私の浅薄な知識ではわかりませんでした。
- @Dragoniezさん、ご返信ありがとうございます。MediaWikiを直接変更すれば可能ということですね。質問ばかりで恐縮なのですが、MediaWikiに導入した場合に、サンドボックスではない他の記事の閲覧への影響はあるのでしょうか?(例えば、通信容量や表示速度など)ご教示いただければ幸いです。--Junknote(会話) 2022年6月3日 (金) 02:10 (UTC)
- コメント mediawikiの拡張機能については私も全て把握しきれている訳ではないので少々ソースコードを確認してきたのですが、パッと見た限りでは、mw:Extension:InputBoxは
action=edit
(編集ページ) でしか動作しない可能性が高いです。私がテストで作ったコード (MediaWiki:Test/SandboxHeader.js) 自体はTemplate:サンドボックスの冒頭案内文のテンプレートをHTML化して、Wikipedia:サンドボックスかそのノートを開いた時にそれをページ冒頭に追加するようにしてあるだけなので、これら2つのページ以外への影響は特にありません。(なお、導入するとしたら、個人設定に表示されないガジェットとして導入して全利用者に対して表示する方向性で実装する頭でいました。) --Dragoniez (talk) 2022年6月3日 (金) 03:02 (UTC)- 返信 (Dragoniezさん宛) ご回答ありがとうございます。他に私が思いつくデメリットとしては、Template:サンドボックスの冒頭案内文、Template:ノート用サンドボックスの冒頭案内文と連動しないため、変更の手続きが分かりにくくなるくらいでしょうか。実装の際には「この案内文は MediaWiki:Gadget-XXXX で表示されています」のような内容を記述した方が良いように思います。あとは砂場ならしのほとんどをされているSeitenBot2(本日晴天さん)、ここ数ヶ月で作業がみられたWCCbot(W.CCさん)やSyunmin bot(春春眠眠さん)のbot運用者の方々に問題なければ、ガジェット化しても良いと思います。--Junknote(会話) 2022年6月3日 (金) 06:14 (UTC)
- コメント お返事が遅くなりすみません。テンプレート自体が全保護されていることもあり、基本的に内容の変更は不要とは思いますが、確かにできればテンプレートをそのまま読み込んだ方がいいですね。一応、{{サンドボックスの冒頭案内文}}をAPIを通してHTML形式に変換し、HTMLに組み込むことは造作なく可能なのですが、通信が間に挟まるため表示が遅くなるというデメリットがあります。mediawikiの拡張機能を使って
action=view
(通常のページ閲覧モード) でもテンプレートを事前読み込みして表示できるようなものがあればその方が良いので、少し探してみます。--Dragoniez (talk) 2022年6月7日 (火) 06:44 (UTC)
- コメント お返事が遅くなりすみません。テンプレート自体が全保護されていることもあり、基本的に内容の変更は不要とは思いますが、確かにできればテンプレートをそのまま読み込んだ方がいいですね。一応、{{サンドボックスの冒頭案内文}}をAPIを通してHTML形式に変換し、HTMLに組み込むことは造作なく可能なのですが、通信が間に挟まるため表示が遅くなるというデメリットがあります。mediawikiの拡張機能を使って
- 返信 (Dragoniezさん宛) ご回答ありがとうございます。他に私が思いつくデメリットとしては、Template:サンドボックスの冒頭案内文、Template:ノート用サンドボックスの冒頭案内文と連動しないため、変更の手続きが分かりにくくなるくらいでしょうか。実装の際には「この案内文は MediaWiki:Gadget-XXXX で表示されています」のような内容を記述した方が良いように思います。あとは砂場ならしのほとんどをされているSeitenBot2(本日晴天さん)、ここ数ヶ月で作業がみられたWCCbot(W.CCさん)やSyunmin bot(春春眠眠さん)のbot運用者の方々に問題なければ、ガジェット化しても良いと思います。--Junknote(会話) 2022年6月3日 (金) 06:14 (UTC)
- コメント mediawikiの拡張機能については私も全て把握しきれている訳ではないので少々ソースコードを確認してきたのですが、パッと見た限りでは、mw:Extension:InputBoxは
- 「除去されるケースが後を絶たない」そうですが、その問題はどのくらいの頻度で発生しているのでしょうか(たとえば毎日のようにか、週に1回くらいか、月に1回くらいか)。数日分の履歴をざっと見たところ、消された例が見当たりませんでした。 --whym(会話) 2022年6月7日 (火) 13:05 (UTC)
- 返信 最近権利侵害などが相次いでいたり貝塚送りになった履歴もあるので確認できませんが、多い時は数日の間に何回も白紙化されて他ユーザーが元に戻していたようなことが確かあったと思います。(現在の履歴にもmw-blankの版があります。) 単純に、テンプレートごと除去されるケースを過去に何回も見ているので、HTML側に組み込んでしまってもいいのではないかと思ったというだけの話しです。--Dragoniez (talk) 2022年6月7日 (火) 13:20 (UTC)
- 5月26日からの25日ほど(その間の編集280件ほど)の間に3件ありました[1][2][3]。HTMLで完結するならいいのですが、JavaScriptを利用して挿入するやりかただと、現在のやりかたより複雑です。また、編集者中に5%程度いると言われるJavaScriptが動作しない環境の人から見えなくなるのも、問題だと思います。実際役に立つ頻度が1週間に1回程度なら、問題点を打ち消すほど大きなメリットはないような気がします。元々しばらくすればボットが直してくれるようになっているようですし。必要があれば、ボットの起動を1日2回など、もう少し増やしてもらってもいいでしょう。「数日の間に何回も」という場合は、どちらかというとブロックによる対処が適しているのではないかと思います。--whym(会話) 2022年6月20日 (月) 12:53 (UTC)
- 返信 最近権利侵害などが相次いでいたり貝塚送りになった履歴もあるので確認できませんが、多い時は数日の間に何回も白紙化されて他ユーザーが元に戻していたようなことが確かあったと思います。(現在の履歴にもmw-blankの版があります。) 単純に、テンプレートごと除去されるケースを過去に何回も見ているので、HTML側に組み込んでしまってもいいのではないかと思ったというだけの話しです。--Dragoniez (talk) 2022年6月7日 (火) 13:20 (UTC)
イベントなどの費用の請求の仕方
追加のリンクなどがありますので、こちらをご覧ください。--YShibata (WMF)(会話) 2022年6月19日 (日) 08:44 (UTC)
ウィキペディアに限らず、ウィキに関するエディタソンや講義、大学や学校での活動、ウィキペディアタウン、その他、費用請求の仕方についてご一読ください。
2022年4月15日に、請求の仕方が大幅に変わりました。以下は2022年5月31日の情報です。文書は英語が多く申し訳ないのですが、記入は日本語でかまいません。
助成金
個人でも、団体でも申請できます。
- 1. ウィキメディアコミュニティ基金
- エディタソンやコンテスト、写真ウォーク、促進キャンペーンの運営に必要な一般的な経費として、作業場・集会室賃料、サービス経費、賞品、普及活動、オンラインのイベントへのアクセスを支える通信費用、主催者の旅費滞在費と参加費、グラフィックデザイン、トレーニング、託児サービス、翻訳、プロジェクト管理、ウィキメディアン・イン・レジデンスなど、ボランティア活動に取って代わるものではない役割に対する報酬など。
- 申請する日本語記入でかまいません。
- ⋆随時助成金 = 短期、低予算(平均支給額 500 - 5,000 USD)
- ⋆カンファレンスとイベント基金 = ウィキメディアンが集い経験の共有や技能開発、ネットワーク作りをする場を提供するもの(平均支給額 10,000 - 90,000 USD)
- ⋆一般支援基金 = より規模の大きなプロジェクトもしくはプログラム、戦略計画を開発しそれぞれの目的達成のために増額した投資を長期に必要とするもの。複数年助成金支給も考慮(平均支給額10,000 - 300,000 USD)
- 2. ウィキメディアアライアンス基金
- 知識を入手することが困難な地域に住む人のためのプロジェクト
- 3. ウィキメディア研究技術基金
- ⋆Research Fund終了
- ⋆Technology Fund2022年中に開始
- 6. 知識の公平性のための基金
- 「racial equity」のための基金です。
- 7. ウィキメディア・ハッカソン 助成金(終了)
上記1から8までをまとめたページはこちらです。
より多くの方々に支給されるであろう「1.ウィキメディアコミュニティ基金」の助成金の審査の過程 は次の通りです
- 第1:応募
- 第2:適格性の審査
- 第3:プログラム管理者(複数)による審査
- 第4:地域委員会による熟慮
- 第5:地域委員会が審査結果を発表
- 第6:助成金の支給
- 決定権限は、それぞれの地域の地域委員会に属します。地域委員会は各国語の利用者から構成されます。日本語コミュニティが属するEast, Southeast Asia, and Pacific (ESEAP)には現在5名の委員(利用者)がいます。
- 手続きとしては、「4. 運動戦略を施行するための助成金」の方が簡単です。
- 助成金の申請は、必要とする「一人の個人」または「グループ(代表者)」がしなければなりません。「グループ」は数人のグループでかまいません。
- 財団から口座に直接、お金が振り込まれます。「運動戦略の」助成金の場合(上記4)、申請から受け取りまで、法律上の氏名住所を伝える必要はありません。口座の名義人を公開しません。名義は任意団体でもかまいません。送金のためファイナンスのチームにのみ、個人データを開示する必要があります。--YShibata (WMF)(会話) 2022年6月1日 (水) 00:50 (UTC)
繰り返しエディタソンなどをされる方は
数か所、数十か所に行く予定がある方は上記リンクをご覧になった後、テンプレートをご覧ください。
「4. 運動戦略を施行するための助成金」がまとまった金額・長期的視野になる理由は戦略/ウィキメディア運動にあります。したがってエディタソンを焦点に申請する場合、上記「1.」を申請してください。「4.」では、「リーダー育成」「格差解消」「知識ギャップ解消」という概念などについて、「ウィキメディア運動」の概念を消化し述べる必要があります。
実際に助成金が出されたもの一覧表(英語)
助成金を得るためには申請書が必要です。ここでいくつかサンプル(日本語)をご覧ください。助成対象に選ばれやすい計画、また申請1件でどれくらい詳しく説明するのか、見本にしてください。 --YShibata (WMF)(会話) 2022年6月15日 (水) 10:09 (UTC)
IP編集に関する調査結果を受けて
お知らせに書いた通り、2022/1に実施されたIP編集(匿名編集)に関する調査結果がまとまり、日本語訳も用意してもらいました。
おそらくIP編集に関してまともな調査結果はこれが初めてだと思います。せっかく調査結果がまとまったので、この結果を受けて、なにかできることがあるかなどを検討しませんか?というのがこの話題の要旨です。
念のため明記しておくと、この結果を持ってIP編集を廃止しよう!とかそういう提起をしたいわけではありません。
といきなり「案を出せ」と言う話だと難しいと思うので、まずは、各位の単なる感想も含めて書いてもらえればと思います。 そして、その中からアイディアを抽出するなり、その反応を(調査を主導した)財団側に伝えるぐらいを目指せればぐらいを考えてます。--青子守歌(会話/履歴) 2022年6月1日 (水) 11:03 (UTC)
- ということで私のまず感想ですが、率直に言って「極端に誇張された結果だなぁ」という印象です。ペルソナの設定もそうですが、「特徴づけよう」という意識が強い内容になっていて、それはそれで意義はあるのですが「この内容が真実の全てで絶対だ!」と利用するには向かないと思っています。おそらく母集団の偏りもあると思います(お知らせやsitenoticeにしか流れていないので、例えばスマートフォン端末からの編集者には届かなかった可能性があり、回答者の割合も実感よりだいぶモバイル端末が少ないと思います)。とはいえ、いくつか興味深いなと思ったところもあります。例えば、
- 本文p.49で「IP編集できることの重要性は?」と聞かれて、日本語版の回答分布はそれなりに平坦ですが「全然要らない」と「絶対必要」の両側に山がある点は(曖昧な回答が得られやすい特徴を持つ日本語圏にしては)珍しいなと思いました。
- ただ一方で、p.60にある通り、意外とどの言語版でもIPアドレスを隠すことにそれほど必要性を感じていない人が多いという結果は私の予想に反していたので興味深いです。
- あと、本文p.76で触れられている「ORESに基づく差し戻しボットが、スペイン語版において高精度で称賛されている」という内容は(私生活で技術屋をやってる者としても)すごいな&羨ましいなと思いました。
- もう少し読み込んだら何か気づく所あるかもしれませんが、「全く無意味」とも言えない結果だなという感じです(なので、ここで他の人の話も聞いてみたいと思って提起したわけですが)。--青子守歌(会話/履歴) 2022年6月1日 (水) 11:03 (UTC)
〉深刻なのは、長年活動されている名執筆者と呼ばれる方々が、コーチングやファシリテーションやダイバーシティ、何が自動でできるかの知見が必要とされる、現代の共同作業に全く知見を持っていないまま、全く無知な新規利用者とやり取りし荒らしを増やしていることの気がしていますが。。。
〉IPが悪という発想はそもそも、そういう方々が 新規参加者と上手にやり取りできず、若年者のそもそもの母数減っているにも関わらず、上手く理解もやり取り(コーチングでもなんでも良いですが)できず、排除のすえに悪にしていくマッチポンプでないですかね。魅力がある場所には優秀で誠実な方々は今でも集まるんですよね。青守さんは答え最初からわかっている気はしますけれど。仕組みに魅力がなくなったときに、人を呼び込むのは人の魅力なんですよね。システムが古くさくなった際は、今の中にいる人に魅力がどうなんだと言うのが、一番問題な気はしますけれど。 システム作ったり刷新する力持つ人がばかばかしいと離れていた結果、残っている人はどうする?というか何故残っているのか?が全ての本質の気はしますけれど。
統計データを元に議論するアプローチは、結局過疎化する村の(いわゆる)名士達を、緩やかに現在に温和に適合するように導きたいだけだと私には思えてなりません。名士が変わるか引退するかは、過疎化と荒廃が進み、機械化と合理化が人力でない形で加速するのを10年ほっぽる方が合理的かもしれません。
起きていることを、データで見て導きたいのはいわゆる名士に実態を受容してもらうことだと思うのですが、既得権益は村が過疎化しても手放しがたいかもなので、優秀な若者は過疎化がいくところまでいかないと難しいですよ。--以上の署名のないコメントは、106.128.73.144(会話)さんが 2022年6月4日(土)17:54(UTC) に投稿したものです(ペン打ゴン(会話) 2022年6月6日 (月) 13:04 (UTC)による付記)。
コメント せっかくの話題なので記憶に残った点を書いておきます。
- ウィキペディア日本語版ではタブーとして扱われている感のある「自警団」(Vigilante)という言葉が堂々と使われていること
- 特に、利用者を「自警団」を含めて7つに分類しているのは面白かった
- 日本語版では対立が激しいという指摘
- 対立を回避するため、アカウントを使わずに投稿するという考え方
- なお、「青子守歌さんの感想の存在が他の利用者が感想を書く妨げになっているので、話題提供の仕方としてまずい」と思います。--36.11.224.192 2022年6月14日 (火) 01:50 (UTC)
- 結論から申しますと、JawpはIPの編集を禁止すべきと考えます。IPがしている編集には有益なものもありますが、IPが執筆者の障害となっている時点で有害な面がベネフィットを上回っていると考えます。最も大きな問題は、多くのIPはIP変動により、潜在的かつ容易に「コミュニティを疲弊させる利用者」かつ「WP:説明責任を果たさない状態」となりえる点です。これにより編集面では、誤りを含む記事を(善意でも)投稿するIPを一括して探すことができなく(ネフェル3世。記事名が誤っており正しくはネフェルウ3世)、訂正に支障が出ています。管理面では、変動するIPは荒らしの恰好の隠れ蓑となり、処理する利用者に負担をかけています。例としてWikipedia:削除依頼/IP:2400:4050:9920:BA00:0:0:0:0/64の作成記事が挙げられますが、私一人では他の方の助けがなければすべてのIPを見つけ出すことができませんでした。
- アカウントを取得するのは非常に容易ですが、その時点で名前に縛られることになります。それを嫌う者がいると報告書にありました。また、上のIP氏が挙げられている「利用者による指摘」を回避する方法としてのIPはあるでしょう。しかし、これらの点でも、結局は説明責任から「逃げている」のであり、良くない状態であることには変わりはありません。私に言わせればこちらにはWP:ルールすべてを無視しなさい により記事を書く上の障害はすべて排除できるのであるから、いくらでも主張はできるわけです(それをしていて執筆時間を奪っているのであればその「自警」が悪いと思いますが)。
- たしかに、一般の方がふと誤字訂正をされる機会は減り、その点ではよい影響ではないでしょう。しかし、それよりも大きなダメージをIPはコミュニティーに負わせやすいです。この点で私は上記の考え方をしました。青子守歌さんが提起されたこのような重大事項にも拘わらずアカウント利用者からはコメントがないのは悲しいと思って述べました。私はまだまだJawpでの経験は浅い方です。あくまでもご参考まで。--Sethemhat(会話) 2022年6月25日 (土) 13:38 (UTC)
- 報告 誠に勝手ながら、井戸端への再読み込みを行いました。これで他の方のコメントがいただければいいなと思います。また、私のコメントの修正をして頂いたIPの方ありがとうございます(驚きました。よくわかりましたね)。「感謝」ができなかったので、この場の謝意をもって代わりとさせて頂きます。--Sethemhat(会話) 2022年6月25日 (土) 14:27 (UTC)
- 再読み込みが妥当か否かは判断できませんが、いずれにしても「最初の投稿から30日が経過すると、井戸端への読み込みが解除」の規定に則り、2022年6月1日 (水) 11:03 (UTC)を基準として30日後には再び読み込み解除、再掲載不可となります。再読み込み時を基準にすると意図的な再掲載で延長し放題になり、規定が骨抜きになりますので(参考: Wikipedia:井戸端/subj/「井戸端から誘導」は使ってはいけないのか?/Template‐ノート:井戸端から誘導)。以降は議論活性化のためのコメント依頼をご活用ください。
- なお、本筋に関してはWikipedia:井戸端/subj/意図的に非ログインユーザーとして活動することで述べた通りです。--ButuCC+Mtp 2022年6月25日 (土) 15:51 (UTC)
- 履歴分断などの説明責任の不履行を指摘されながら、アカウントの取得を明示的に拒否されるIPユーザーさんの言い分の一つとして、「特定の利用者による付きまとい行為のリスクの回避」というものがありますが、コミュニケーションの上でのトラブルが生じるリスクは、人同士のコミュニケーションである以上はどうしても存在するものですし、それを「付きまとい」と形容できるほどお相手の側に非があるのであれば、コメント依頼などでの仲裁を要請したり、やむを得ない場合は投稿ブロック依頼を提出したりといった手段も存在します。そのような手段を取らない、あるいはそのような手段が受け入れられない可能性の責任を、自分ではなくコミュニティの側に求める事で、自身のルール違反を正当化する方法は、重みの大きさに差異こそあれど、過去や現在指定されている「進行中の長期荒らし」の該当者の一部にも通ずるものがあるように思えます。--Miraburu(会話 / 投稿記録) 2022年6月25日 (土) 16:25 (UTC)
- コメント ちょっと期待されているものと切り口が違うかも知れませんが、「そもそもこれ信用していいものなのか?」というスタンスで読んでみました。今のところ軽く読んだ限りですが、「「IP推奨」という現状維持あるいは「IP編集の拡大」を前提とした作文を行っていないと判断するには疑わしい」です。
- 「IPにさらなる制限をかけないことで一致しているようだ」とするP7は明らかに悪質なプロパガンダです。これインタビュー報告書やP48と矛盾しています。P9の「IP編集に比較的寛容」も違いますね、度々強い批判は出ますし、むしろどれだけIPが問題視されても制限が掛からないし、ブロックも難しいから寛容と見なしているのかも知れませんが、その観点からは「比較的」などという控えめな表現は伴わないでしょう。「対立や紛争を避けたいという動機を持っていることが多い」これもIP維持のために先入観を与える工作です。中立的にやるなら、「こともある」となるでしょう。インタビューと称するものを準備した上で肯定的な予断を与える時点でこの報告書はまともじゃないです(後段でIPに寛容なペルソナを多数派とする工作済みなんですが)。「多重」の存在を指摘しているのはいいのですが、最後に「IP推奨」どころか「ログアウトしている編集者や、ほぼログアウトしている編集者の大規模なコミュニティを支援」の時点で「コミュニティ」とはかけ離れた異常な観点で書かれていることは容易に判るでしょう。
- データ部分は嘘がつきにくいので正しいでしょうが、「IPの編集が取り消されない」理由が「多すぎるから」とか「そもそも見張ってない」という見識があるかどうかは疑問です。P23なんかむしろ「新規」より「IP」がましって方向性を作ろうとしているように思われますが、まぁ新規でやらかすと履歴追われたり、そもそもLTAだったりしますしね。P33でIPを気軽と戦略的に分けて監視逃れを目的とする戦略的IPの存在にふれたのは良いと思いますが、日本語版の環境だけ考えると同時にそれ肯定するか? とはなります。
- 各言語版のペルソナが現れますが、これは創作以前にどいつもこいつもやばいんですけど……この手の文書にネタはいらないです。P46では様々な立場を載せていますが、対立回避どころかIPであることを利用して対立を積極的に行うことを見落とすとか多重やるとしれっと入れてくるとか、P48でも論点を上げつつ右半分でIP賛成派、それも問題行動を行っている者の意見をどーんと載せる、P56で2ちゃんねるに触れているのに結論は真逆の匿名性による攻撃性の低下をあげる。匿名性は社会的地位を笠に着ないフラットな争いを可能とする点では優秀ですが……同時に安全な場所から振るわれる悪意をもたらしますしね、またP57でIPに肯定的な意見を丸1ページ。P77は査読制上手く行かないだろうなぁと思いましたね。マンパワー的に現実的じゃないです。でもIPと新規に同じ制限を付けたことが原因なのに「IP編集への制限は、新しい編集者にとっても障壁となる得る」は際だって悪質です。
- というわけで結論としては「データ」そのものは貴重だが、「文面」は政治的なプロパガンダに過ぎず考慮に値しないと判断します。「IP利用者による問題の比率」と「IP利用者による問題の絶対値」や「問題に対処するマンパワーとの比率」の区別が出来ないか誤魔化してる気がするんですよね。ただ、VPN問題が典型的ですが、「荒らし目的で隠す」と「政府から身を守るために隠す」と異なる目的で同じ機能を使えるからこそ「IP」「監視逃れ」に肯定的な立場を取りたい向きがあるのも判ります(下手にログインして情報を統合されて逮捕・拉致監禁・暗殺など致命的なケースは想定されます)。が・・・・・・日本語圏だと後者は必要性薄いのと、前者の負荷がもはや限界を迎えている気配があるのです。
- インタビュー報告書もところどころ変ですね。P6フェイスブックとツイッターの比較で出てきた匿名性ですが、匿名が好まれる点として著名人の増長を嫌ってる人やリアルへの悪影響気にする人も多いと思うんですけどね。著名人同士での工作やファンネル飛ばすケースすら考えられますし。ただ、この匿名性をWikipediaのそれと結びつけるのには無理があります。ログインユーザーの多くはツイッターレベルの匿名性はありますし、これはフェイスブックの特異性の問題が大きいので、比較対象の設定そのものが間違っています。「ログイン済みの編集者と IP 編集者の間に対立は生じません」が嘘であることは容易に判るでしょう。IPでも制限なく発言できるのですから。特にあえてログインせずにIPという編集は対立を避けるためではなく、追跡を免れるか多数派を装うためと考えた方が妥当だと思われます。
- こちらのP8では「IP 編集に関する規則について、過去に何度も編集者が議論していますが、合意は得られていません」と正しく認識していますね。合意が得られない理由の一つとして、当のIPが発言できるとか、反対意見が合意阻害目的においては強力に機能するといった日本語版自体の問題点もありますが。
- P10から現れるペルソナは一部がインタビューベースではなく創作あるいは演技っぽいんですよねぇ。リアルでも行動するぐらいなのに巡回しないケンは認識の差でしょうし、クミコは実際にいるでしょうし、ユウトはありうると思われます(実際には「逃亡しておいてIPでこそこそやってるろくでもない利用者」である可能性もありますが)。自警団は何か違う……「団」なら日本語版ではミートパペット扱いでブロック対象でしょう。そして突出して不自然なのはこの後で出てくるようなメンバーにインタビューできるなら自警へのインタビューだってできるでしょうが、行っていないこと(基本的に登録利用者なので、実利主義者よりはハードル低いと思われます)。この種のペルソナはIPに対して否定的でしょうから都合が悪いんでしょう。エミはかなり怪しい、IPとの使い分けは日本語版では歓迎されないことは知っているはずですし、些細なものはログインして大きなものはログアウトって意味ないですから(権限不要の記事だけか、権限不要の中で揉めそうなもの限定でログアウトでしょう)。タロウとカナはそもそもインタビュー受けてくれるか怪しいんですが。自己顕示欲満たせるような場ではありませんし、万が一漏れたらごっそり行かれる危険性もあるのでリスクが高すぎます。
- 報告書はIP利用者の拡大という方向性が明確に打ち出されています(こんなこと書く時点で報告書じゃなくって行動指針の発表とその正当化だろうってのは置いといて)。結論から作った報告書である以上放置しておけば、さらにIP利用者が勢力を増すことになるでしょうし、そこには実質的な多重アカウントの運用まで含まれます。ですから、「この結果を受けて、なにかできることがあるかなどを検討しませんか?」とするなら、まず行うべきはIP利用者に限らず権限の確認です。この権限、「IP利用者は削除依頼に投票できない」なんて表面的なものでは意味がありません。確認すべきは実態であり、削除依頼の場合は「IP利用者は削除依頼を提出したりコメントという形式で実質的な影響を及ぼせる」となります(「削除依頼、IPコメント1」では削除できないのに、「IP依頼、削除票1」で削除できるのは方針のバグでしょうが)。削除依頼が極端なので例に出しましたが、実のところ、コメント扱いになるだけで「方針の改定」「コメント依頼」「各種投票」「各種提案」なんて明らかに影響を及ぼせますからね。移動も依頼を出せる、保護の編集も依頼は出来る(こっちは半保護レベルだと対応しにくいですが)、「直接」って枠外したら出来ないことは相当少ないんです。本質的に出来ないのは巡回と利用者ページの運用ぐらいのような。--Open-box(会話) 2022年6月25日 (土) 16:12 (UTC)
- コメント
- 単なる感想でよいとのことなので、本当に意見と言うか感想程度なのですが、わたしはIPによる編集を一律で弾くというのはやりすぎかなと思います。わたし個人としてはIPの方に助けてもらったことも、間違いを正してもらったこともあります。上記PDFによればポルトガル語版がIPを一律禁止しているようですが、正直それをやっても、荒らすひとはアカウントを作りまくるだけだろう、という予想をしています。
- PDFの文章を読むと、「気軽なIP編集」と「戦略的IP編集」の区別があったのですが、IPとアカウントを使い分ける戦略的IP編集はソックパペットなので存在としては論外でしょう。制限の一種として、気軽なIP編集を守りつつ、何らかの縛りを加えるというのはあるかもしれません。PDFには、「ログイン頻度が高い回答者ほど、ログアウト状態での編集機能を重要視していない。」とありました。この点、Wikipedia:説明責任にあることと矛盾していません。PDFによると、IP利用者が匿名のまま編集するのは、対立や紛争を避けるためとありましたが、対立や紛争という責任を引き受けずして、対立や紛争を引き起こす編集をするというのは多くの登録編集者の同意を得られないでしょう(事例にも、ちょっとした編集はログインし、重要な編集はログアウトするとありました)。結局のところ、対立や紛争を避けたいなら、それを招くような重要な編集も行うべきでなく、そういった部分にピンポイントで効果がある制限があるといいのかなと思いました。例えば、思い付きですが、気軽なIP編集者はコミュニティへの参加意思もないのだから、議論に興味を持たないわけで、IP利用者に対して標準名前空間以外は拡張半保護という扱いにしたらどうなるだろうか、と考えました。
- あとは、気軽なIP編集者に、いかにして登録してもらうか。これについては意思がなければどうしようもないでしょうけども、そもそも気軽なIP編集者はコミュニティに参加する意思がなく、登録方法も、その登録方法が手軽であることも知らないとのことで、あまり打つ手がないように感じました。完全なる思いつきとして、例えばIP編集者は編集を送信する前に登録を促すダイアログが出るというのはどうかなと思いましたが、言ってみればこれは寄付のお願い (ウィキペディア)のようなものなので、相当嫌がられるでしょうね。反面、寄付のお願い同様登録利用者になれば見えなくなるという利点はありますから、増えはすると思いますが。--Aoioui. 2022年6月25日 (土) 18:04 (UTC)
- 「気軽なIP編集者」の方々を含めた今の世代の大多数の日本語圏の閲覧者さんにとっては、おそらく「ウィキペディアは百科事典です」というところまでは何となくの話として知っていたとしても、その「百科事典」というもの自体にあまり馴染みがないため固有のイメージを持っておらず、それよりも実際の用法として「その趣味に関しての基礎データをまとめてくれてる便利サイト」ぐらいのイメージしか持っていないのではないかな、という風に思っています(私がそうだった、というだけで無学を晒しただけかもしれませんが)。そうした状態で編集に参加するきっかけは、私の場合は「たまたま色々なボタンを触ってみたら、なんか自分の入力してた適当な文章が記事に乗ってた」という感じでした。
- 百科事典というものの捉え方すら曖昧な人間が半ば間違って参加してしまうという側面は、この報告書で言う「気軽なIP編集者」の一つの側面として考えられるのではないかな、という風に思います。本来であればそうしたユーザーさんに対しても「ウィキペディアはどういうサイトなのか」あるいは「ウィキペディアはどういうサイトではないのか」という点をお伝えしていければ良いのですが、そのステップが実現する確率が高まらないことには、敷居を可能な限り引き下げて「気軽なIP編集者」を見守るという初期投資は、ほぼ無駄になってしまうのかなというように感じます。それが難しいようであれば、結局のところはIP制という「低い敷居、(平均的に)低い質、多くの量」を維持し続けるのも限度があり、いずれは完全アカウント制という「そこそこの敷居、(平均的に)そこそこの質、そこそこの量」に移行していく必要があるように思います。--Miraburu(会話 / 投稿記録) 2022年6月26日 (日) 10:09 (UTC)
- コメント 可変IPを使った編集が歓迎されていないというのは無理もないことですし、アカウント利用者の方々がIPでの編集は禁止という結論に至るのであれば、それも仕方ないとは思います。しかし、IPアドレスでの編集を禁止にしたら、荒らしの人たちは捨てアカウントを使った荒らしに移行するだけで、ルールを守る意思があるIP利用者だけがウィキペディアから去るという結果にならないでしょうか。私自身、アカウントを取得しなければ編集できないとなればウィキペディアの編集は諦めるつもりです。現実的には、IP利用者がしてもいいこととしてはならないことを丁寧に分別し、ルール化していくのが良い解決策になるかもしれません。例えば、法令違反を理由とするケースBでの削除依頼はIP利用者が発見した場合も提出すべきと思いますが、ウィキペディアコミュニティの合意に基づくケースEでの削除依頼を投票権すらないIP利用者が提出する必要があるとは思えません。それほど詳しく把握はしていないのですが、IP利用者による不適切な依頼も多いのではないでしょうか。
- そもそも、私を含む多くのIP利用者がいつまでもアカウントを取得しない要因を考えてみると、日本語版のコミュニティがギスギスしていて怖いというものがその根底にあるように思います。かくいう私も、編集でお世話になった方にお礼をしようと会話ページを見に行くと、いわゆる自警団の人たちから高圧的に注意されている光景を目にし、あまり関わりたくないと感じてしまうことが多々あります。もちろん、記事の編集内容に問題があれば何らかの対処が必要だと思いますが、自警団の人たちから注意されている理由は、要約欄が空欄になっているだとか、投稿間隔が短いだとか、確たる証拠はないが多重アカウント疑惑があるだとか、編集内容とは無関係のことばかりで、記事の編集に問題を抱えているのはむしろ自警団の方々という印象です。もちろん、編集内容に問題がなければ何をしてもいいということはないでしょうが、百科事典製作というプロジェクトの本旨に従えば、一番重要なのは編集内容であるべきではないでしょうか。それに、編集内容に問題がある場合にも、明らかな荒らしではなく初心者が相手ならば、できるだけ柔らかい言い方をしたほうがいいはずです。
- また、私の場合は、IP利用者としてある程度編集のやり方を覚えてしまったので、今からアカウント利用者に移行すれば「新規参加者なのに正しい編集のやり方を知っているからソックパペットだ」と自警団に言われてしまうだろうという心配もあります。実際に以前お世話になった方にコメント依頼(Wikipedia:コメント依頼/Megby)が提出されたことがあり、気になって見ていたのですが、管理者の方が
とおっしゃっていました。管理者の方でさえそうなのですから、自警団の方の多くもおそらくそういった考え方なのでしょう。私は普段から家電を購入したらまず説明書を熟読するようなタイプの人間なので、ウィキペディアを編集し始めて一週間後くらいには「独自研究」も「要出典範囲」も知っていた記憶があります。一般的に、様々な文書に目を通して、しっかりとルールを把握してから参加することは好ましい行為とみなされるはずですが、それを実践するとソックパペットではないかと疑われてしまうというジレンマがあるのではないでしょうか。活動開始直後に「独自研究」「要出典範囲」などを既に理解しており、活動開始から1ヶ月後にノート:天国と地獄 (テレビドラマ)のコメントでウィキプロジェクトなどに精通している様子が分かります。ブロック逃れであるにせよ、そうでないにせよ、なぜ活動開始直後からウィキペディアの書式やルールを理解していたのか、合理的な説明が求められます。 - もしかしたら、IP利用者の立場からの我田引水な結論になってしまっているかもしれませんが、結局は、善意にとる、新規参加者を苛めないでください、ウィキペディアは規則主義ではありません、ウィキペディアは戦場ではありませんといったルールを自警団の方たちがどれだけ守れるかというのが重要なのではないでしょうか。ここでお名前を挙げるのが良いことなのか分かりませんが、もかめーるさんという方は、こうしたルールを誠実に守っていらっしゃって、そのうえ記事の編集もとても上手い素敵な方なので心から憧れます。もかめーるさんのような方が増えれば、アカウント取得をためらうIP利用者はほとんどいなくなるはずです。--106.168.75.99 2022年6月26日 (日) 04:30 (UTC)
- 他の参加者さんとの問題解決における工数を用意するというのは、共同作業の場である以上は全ての利用者が元来請け負うべき負担であると思います。他の参加者さんの行動に関して不適切なものを見掛けた、或いは巻き込まれたのであれば、そう感じた方ご自身がプロジェクトの裁定のルールに則って解決を試みるべきでしょうし、それは難しいけど受け入れる事はできない、という事でしたら参加はご断念頂くよりないかと思います。--Miraburu(会話 / 投稿記録) 2022年6月26日 (日) 10:38 (UTC)
- この話題を受けてWikipedia:井戸端/subj/IP利用者が標準名前空間以外を編集できる意義についてを書いてみました。--プログラム(会話) 2022年7月26日 (火) 16:28 (UTC)
削除依頼・投稿ブロック依頼などの場における「審議妨害」という表現に関して
唐突ではありますが昔からの疑問であったため、疲労で頭が働いていないこの機会に、一度ご意見を伺わせて頂こうと思います。
削除依頼や投稿ブロック依頼などの場において、他の参加者さんの投票やコメントでの意見に対する質問・反論を行う、特にそれを複数回行うなどすると、「審議妨害」と見做されてしまうというものが、昔からの一般的な認識としてあるように思います。これはこうした削除依頼や投稿ブロック依頼などの「審議」の場というのは、基本的には各自が粛々と票を投じることだけを行う場である、という認識が、根底にあるのではないかと想像しております。しかしながら「審議」とは言っても、中には明らかに論理的な整合性を欠いた主張に基づく票が投じられるケースも目にします。そうした場合においてですら、指摘を行う事すら罷りならぬというのは、言ってしまえばどんなに論理性を欠いた主張を行っても咎められる事もなく、投票に当たっての論理性の考慮すら事実上要求されない、という場になってしまう事と同義ではないかと思えてしまいます。
「審議」の場であっても通常の(記事のノートなどの)議論と同様に、意見交換によって論点の詰め合いを試みる事はむしろ不可欠なものであると私は考えていますが、それでもこうした削除依頼や投稿ブロック依頼などの特定の議論のみ、そうした意見交換そのものが忌避されるというのは、何か理由などがあるのでしょうか。--Miraburu(会話 / 投稿記録) 2022年6月1日 (水) 17:34 (UTC)
- コメント 審議妨害という言葉の通り、審議を妨害するようなやりとり、を行うことが忌避されていると考えるべきではないでしょうか?論理性を欠いた主張が認められるようなことはあってはなりませんし、時には主張が論理性を欠いていることを示すための指摘であったり、認識の確認が必要な場面はあるはずです。そして、そういった当然必要と考えられるやりとりが審議妨害であると見なされることは(対立相手が、攻撃を目的としてそういったレッテル貼りをすることはあるかもしれませんが)、普通はあり得ないと考えます。
- 但しこういった行動が行き過ぎると、審議妨害にもなりえるでしょう。例えば、議論に夢中になりすぎて、客観的に見れば相手の主張の問題点は充分に指摘できているのに、主観的に論破できたと判断できるまで、あるいは相手が考えを曲げるまで延々と議論を続けるようだと、それは議論の本筋から離れていきますから、審議を妨害していると捉えられかねません。他には、自分一人しか問題視していない観点について延々と議論を要求する、といったことも、コミュニティが議論したい観点からずらすという意味で、審議妨害と捉えられることもあるかもしれません。例示を先にしましたが、どのような場でもコミュニティとしての合意形成のために議論をしていることを、忘れないようにすることが肝要と思います。相手を説得するのに十分な材料を提示してもなお相手が翻意しないのであれば、それが相手が翻意しないのが悪いのか、自分の説得の仕方が考え方に問題があったのかは、コミュニティが判断してくれるでしょう。議論の観点にしても、本当にそれが重要な観点であれば、自分以外にも同調して議論すべきだと主張する人が現れるはずです。そのあたりの見極めができず、自分本位で議論したいことを押し通そうとするのが、審議妨害に繋がっているのではないかと思う次第です。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年6月3日 (金) 05:24 (UTC)
- 追記 削除依頼や投稿ブロック依頼で特に審議妨害が忌避されるのは、どちらも後戻りできない結果に至る可能性があるゆえに、議論の対立が起こりやすいからではないかと想像します。これは今思いついたただの感想です。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年6月3日 (金) 05:27 (UTC)
- コメント 端的には、削除依頼の場に於いてはWikipedia:削除依頼#注意事項に『削除依頼上で他利用者コメントに対し持論を開陳することは、(主張の如何に関わらず)コメント除去に発展する可能性があること』が太字を以て強調明記されているため、基本的には「議論」自体が迷惑行為、議論を発生させること、議論を継続することもまた同様であるという共通認識があるものと思いますし、本来的にはその必要があれば(特定個人間での議論紛糾、意見交換であってWP:CONLEVELに照らし審議参加者全員の議論参加必要性が認められない下位レベルの合意形成ならば)逐次ノートに移動すべきかと思います。ただ、実際にはそのような厳密厳格な運用は為されておりませんし、現状でありとあらゆる審議上に同様の問題が発生しているわけでもないので、慌ててルール改定に動かなくともいいかなとも。
- 投稿ブロック依頼の場に於いても削除依頼と同様に「自身の賛否意見表明(投票)」が第一であるので、それが自身と意見の異なる他者との対立や議論によって賛否内容が変化する可能性を持つのであれば、審議の場ではない別の場所で特定利用者同士で納得行くまで存分に話し合えば良い(全員に関係しないのならよそでやれ)、的な考え方が基本になるかなとも。
- ◆そして、仰るような場面、「そうした場合においてですら、指摘を行う事すら罷りならぬ」という点ですけど、根本的に、『それ(咎め立て)を(自分が率先して)審議上で(特定個人に対し)行う必然性』がないのでは? 個人向けの注意諫言なら当人の会話ページに赴けば良いし、特定集団に関係するならノートに議論を移動しその旨を報告するだけでいい。極端な話、(審議妨害になると考えた時点で)一切反応せずにスルーするだけで良いし、むしろ確実な審議妨害の場面であり誰もが同意できるなら管理者伝言板に通報すれば管理者裁量で短期ブロックになるでしょう。逆に考えて、その(ルール違反者に対する)咎め立ては審議を中断させてでもその場で即時的、可及的速やかに行われるべきである、審議の円滑な遂行よりも明らかに優越する、とする根本理由は何なのか。そこが争点かなと思いました。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月3日 (金) 10:06 (UTC)
- まあ、限度ってもんはあるでしょうけど、私も、議論(意見のやり取り)が多少発生しただけでなんかすぐに「審議妨害」って言い出す人が多いなあという印象がありますね。そもそも「審議」という言葉は、必要に応じた参加者間での議論もその過程として当然含んでいると思うんですけどね。過度な「意見交換そのものが忌避」が起きているのは、相手するのが面倒くさいとか、ページの可読性が悪くなって嫌とかなのかな。前者なら単に相手しなければいいだけだと思うんですけどね。後者なら議論をノートに移すとか折り畳むとか何らかの処置を取ればいいと思いますが、その根拠に「審議妨害」を置くのではなく、単純にそのまま「可読性の悪化」を根拠にすれば余計な角も立たないと思うんですけどね。--Yapparina(会話) 2022年6月4日 (土) 01:34 (UTC)
- コメント そもそも、何を以て「議論」とするか「審議妨害」とするかその線引きがまず曖昧であり、また個々の捉え方や閾値が異なりすぎているため、決定的な答え(を利用者:Miraburu(会話 / 投稿記録)氏が望んでいるかどうかはさておいて)を導き出すのは不可能でしょう。以下に私が見た範囲内で考えられることを申し述べます。
- 削除依頼においては、利用者:Nami-ja(会話 / 投稿記録)氏も触れていますがWikipedia:削除依頼#注意事項での明記が一種の抑止力的なものになって「議論は依頼本体ではなくノートページやコメント依頼などで行うもの」という認識が一応定着していると考えるのが自然で、また実際問題として、真の意味で議論が行われている削除依頼もありますが(一例ではWikipedia:削除依頼/特筆すべき活動実績のない天才てれびくん関連の人物20211109とかでしょうか)、一方で「初版立項者などが自論を開陳するためにやってきて、自論などを述べるほか、反対票投じたユーザーに食いつきまわっている」という例を見受けられます。後者の場合は当然「審議妨害」と見做される高いでしょうし、またカンバス類似行為としてそういう行為を嫌悪するユーザーもいましょう。そしてその背景として立項者の特筆性等々の認識が全く見当はずれである(と複数の審議参加者から指摘されている)・・・など、「立項者サイドにそもそも認識の問題があった」というパターンが多い印象があります。言い方もあるのでしょうけど、「依頼の場での意見交換そのものが忌避」というのは正しくないようには思いますし、IPユーザーが大量に入り込んだパターンを除いては多くのユーザーは可読性をさほど気にしていないのではないでしょうか。
- 一方、投稿ブロック依頼においては、依頼の段階で依頼者コメント、被依頼者コメント、第三者による投票コメント節がそれぞれ設けられており(たまに設けるのを忘れる依頼者もいますが)、依頼者、被依頼者、第三者それぞれが各節で持論を開陳することで事実上議論が成り立っている場合が多く、投稿ブロック依頼での審議妨害と言えば、「被依頼者が専用のコメント節があるにもかかわらず、第三者の節に入り込んで自論開陳」し審議妨害と判断されるパターンがほとんどのような感があり、この場合は単に「被依頼者の認識不足」で片づけられるでしょう。
- 共通項としては、両依頼とも「依頼者票」という表現が使われているように「投票の場」という認識が刷り込まれているのもありましょうし、現状のシステムではどちらも票入れと同時にコメントも添える仕組みになっておりますから、「それらの積み重ねが事実上の意見交換」と見なされている、それプラス先述の「議論は依頼本体ではなくノートページなどで行うもの」という規定や認識なども相まって、「依頼自体でわざわざ意見交換しなくてもいい」という空気が形成されている可能性もあります。
- 結論・・・というほどの大層なものでもないですが、実際に議論が行われている依頼もある事、投稿ブロック依頼ではそれぞれが意見を述べる場がある事、ノートページやコメント依頼などの存在・認知度等々を踏まえると、Miraburu氏が「憂慮」(と表現して差し支えなければ)するような事態はそんなに起こっておらず、むしろ杞憂ではないかとさえ思います。少なくとも、削除依頼や投稿ブロック依頼で意見交換を今以上に活発にするようなルール改正とかは、今も今後も不必要でしょう。--Ogiyoshisan(会話) 2022年6月4日 (土) 10:41 (UTC)
多くのコメント、ありがとうございます。以下は頂いたご意見に対する、私なりの考えになります。
- 可読性上の問題があるという点に関しては仰る通りですので、場合によってはノートでコメントの上で、依頼本文の方では「ノートでコメントしました」とだけ返信する、といった配慮は必要かなというケースは、あると思います。
- 審議における反論については、相手の方の翻意を求めるというよりは、相手の方の主張と自身の主張を突き合わせ、どちらが論理的な整合性があるのかを比較考量する事で、裁定を行う管理者さんや削除者さんに、より論理的に正しい主張の方を採択して頂く、というためには必要なのではないかと思っています。
- とはいえ私の確認した範囲が偏っていただけという場合も仰る通りありますので、今後はそうしたケースを見掛けた場合は、見掛けた私自身の言葉でお声掛けしていくべきなのかなとも感じました。--Miraburu(会話 / 投稿記録) 2022年6月5日 (日) 19:51 (UTC)
電子地図から読み取れる情報を記載する際の出典についての質問です。
先日、電子地図から読み取ぅた情報を本巣パーキングエリアに記載し、「出典」のセクションに「予定地付近のGoogleマップ(地図、衛星)、OpenStreetMap」と書いたところ削除されました。座標については別のところに書いていて、そちらからGoogleマップ(地図、衛星)、OpenStreetMapへはリンクしているので、全く情報源へのリンクがないというわけではないのすが、このままでよいのか、あるいはさらに座標も記入したurlを記載した方がよいのかという疑問を持っています。よろしくお教えください。--宮古バイパス(会話) 2022年6月1日 (水) 18:45 (UTC)
- 記事を確認して思ったのは、出典が「都市計画マスタープラン」としか書かれておらず、しかもリンク先には複数のドキュメントがあるので、本巣パーキングエリアの具体的な位置についてはどこに書いてあるのかわからず、検証するのに一苦労です。もし建設中のパーキングエリアの位置(経緯度座標)は宮古バイパスさんがグーグルマップの衛星写真を見て判断したのであれば、それは独自研究になってしまうのではないでしょうか(WP:TVWATCH)。--118.238.204.113 2022年6月2日 (木) 05:07 (UTC)
- この差分ですね。
- 基本的には、プロジェクト:道路あたりで問い合わせるのがよいでしょう。
- 今回は「2024年度(令和6年度)に完成する予定」の東海環状自動車道に設置される予定のPAの位置座標についての記述ですよね。
- 一般論としては、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは未来を予測する場ではありませんとか、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんあたりに書かれているように、予定にすぎないものを過度に詳述するのは不要(書かないべき)、という考え方があります。
- 「Googleマップ」は、Wikipedia:信頼できる情報源の観点からは、あまり上質の情報源ではないでしょう。Googleマップは「誰でも編集できる」という性質があり、漢字や位置のまちがいは(とても)よくあります。(私はもっぱら河川名や寺社名を眺めますが、特に寺社名の間違いは夥しいです。)
- 一般論としては「地図から読み取れる情報」は、Wikipedia的にはあまり書くに値しないでしょう。内容にもよりますけど。(「東京都の北に埼玉県がある」程度の情報は、ひどい独自研究という程ではない、単なる事実ですけども、それならそれでもっと別の適切な情報源があるでしょう。「東京駅から○○までは1370メートルだ」みたいな情報になると、独自研究やWP:IINFOにあたるでしょう。もっと適切な情報源が見当たらないならば、たとえ事実だとしても書くに値しないと言えるでしょう。IPさんが指摘の通り、「都市計画マスタープラン」の示し方も適切ではないです。宮古バイパスさんの方法では適切な情報源を示したと言えません。もっと具体的に、どの文書の何ページに明記されているかを示しましょう。
- 今回は、「あと2年後の高速道路のPA」であれば、まだ場所も決まっていないというようなことは考えにくいですし、きっとそれなりに工事が進んでいるのでしょうから、独自研究やWP:IINFOに酷く抵触していそうだ、ということではなさそう、という印象でもないですけどね。逆に言うと、PAのようにそこそこの面積を持っているものに対して、過度に精緻な「座標」を示すのはどうだろう、ということは言えると思います。
- 私見ですが、「予定地付近のGoogleマップ」は、まあ「不要かな」とは思います(道路分野での取り決めがあるなら任せます)。むしろ、適切な情報源(事業計画書とか、工事の認可の文書とか?)を基にして、建設予定(?)地の地名地番を示すとか、そういうのだったら有意義な情報かなあ、とは感じます。--柒月例祭(会話) 2022年6月2日 (木) 05:10 (UTC)
コンテンツ翻訳における自動翻訳機能について
先日この井戸端で、5月25日に行われたウィキメディア財団「運動戦略と組織統治チーム」責任者キム・ジルさんとのオンライン・ミーティングの「議事の要旨、補足」作成の報告をさせてもらいましたが、そのなかでキムさん主導で開発した(キムさんのバックグランドはITデベロッパー)多言語話者間での意思疎通を目的としたウィキメディア財団の新しいプラットフォーム「運動戦略フォーラム」が紹介されました。
そのフォーラムでの会話にはGoogleの自動翻訳機能が使われているとのことでしたので、自分は率直に日本語版の編集者の間には根強いコンテンツ翻訳における自動翻訳に対する不信感があり、やはり同様に自動翻訳を使用しているという「運動戦略フォーラム」を利用するには抵抗があるのではないかと述べさせてもらいました。
というのも、自分がウィキペディアを始めてからの短い期間の間に井戸端などでコンテンツ翻訳における自動翻訳機能の質について言及する投稿を何度も拝見していたのと、その議論には自分は参加はしていませんが、自動翻訳を使用したと思われるあまりに意味が通らない記事の削除依頼を先日ちょうど自分自身で出していたという経緯があったからです(その記事は自動翻訳の質以外にも著作権や履歴継承の問題点がありましたが)。
「運動戦略フォーラム」を利用しない理由は他にもあるのでしょうが、(他の言語版での疑義は知っていたが)日本語版の利用者の間でもコンテンツ翻訳における自動翻訳機能に対して疑義があがっていたことは財団側にしてみれば寝耳に水だったようで、驚いて何が問題なのか話が聞きたいとのことでした。なおこれはフォーラムにおける自動翻訳利用の課題とは別問題です(記事作成で要される自動翻訳の質レベルと、フォーラムで求められる自動翻訳の質レベルは違うので)。
そこで、自分は一応課題点は認識しているが、その論議に参加していないので、実際参加している方々を代表して意見を述べる立場ではないし、時期的に当事者の方々が今財団と対話をするタイミングであるのかわからないので、実際議論をされている当事者の方々がどうしたいのか聞いてみますと返事をしました。
現在財団から当事者の方からお話をお聞する場合の連絡方法として提案されたのは以下の通りです。
- 議論の参加者さんの間で一人か二人の代表者を決めてもらい、その代表者が一番良い方法、メールなりメタやメディア・ウィキのトーク・ページなり、で財団担当者と連絡を取り合う。
- 日本語版ウィキペディアに専用ページを作り、そこに財団担当者に巡回に訪れてもらい課題を提示する。
- 「運動戦略フォーラム」においてコンテンツ翻訳における自動翻訳機能の課題専用のスレッドを立ち上げて、そこで投稿。
- それ以外の方法(日本語版の編集者の方々にとって最適な方法)。
またそれ以外に、これは財団側から提示された案ではありませんが、
- 5. 今は財団と対話をするタイミングが最適でないので今回はパスする。
という選択もあります。
いかがでしょう?財団担当者にコンテンツ翻訳における自動翻訳機能の日本語版での課題を提示する意思はありますか?時期的にもどうですか?自分が差し出がましい意見をしてしまったために、もし議論参加者の皆さんが今財団と連絡を取りたい時期ではないというなら、前もってお詫びいたしますし、責任を持って財団側に説明します。--RottenApple777(会話) 2022年6月3日 (金) 15:29 (UTC)修正--RottenApple777(会話) 2022年6月3日 (金) 16:28 (UTC)
- @RottenApple777さん、こんばんは。いつもお疲れさまです。差し出がましいとは思いましたが、プロジェクト:翻訳検証のノートに、このトピックについてお知らせしてきました。個人的には、ひどい機械翻訳記事の粗製濫造には辟易しています。私は時々そういった記事をリライトしていますが、うんざりしてきました。
- フォーラムで書いたように、翻訳記事を新規に作る際には、日本語資料を元にした内容を追加しなければ立項できない、というルールがあっても良いのではないかと考えています。日本語資料がまったくない場合はもちろん別ですが。--Kizhiya(会話) 2022年6月3日 (金) 17:50 (UTC)
- 翻訳記事の粗製乱造への対策として、日本語資料をマストにするというアイデアは、私からするとつらいなぁという感覚です。私が主に執筆している分野には日本語資料も確かに存在はしますが、国際的に研究がおこなわれているために非常に進展が早く英語文献が充実しているため、日本語資料を無理に使おうとすると、むしろ情報としては遅れてしまうし、記事としては不適切なものになりかねないです(日本語資料を使うべきでないとまでは思っていませんが、英語文献を理解できて十分確保できるなら、日本語資料が存在するとしても敢えて使う必要がない)。
- ルール化するのではなく、初心の執筆者に対するアドバイスなりチュートリアルとして、ちゃんと内容や周辺分野のことを理解した上で記事を書きましょう、ということを示して、その一環として、母語の資料を読むほうが理解しやすくてよいですよ、というような助言をするようなものだと、よいような気がします:)
- 上記のようなことを書こうかとフォーラムを覗いてみたのですが、スレッドをざっと読んだ限りでは本流の話題ではないようなので、ここで書くに留めます。
- コンテンツ翻訳の機械翻訳利用については、財団の方が何を知りたいのか、がまずもってわからないというのが率直な気持ちです。意見を書くにしても機械翻訳を使って読まれることになるのであれば気が進まないですし、英語で意見を書くにしても、現状の論点がふわっとした状況では自分のコメントが適切に伝わるようにコストをかけるのが見合わないという感覚があります(財団の方の意図としてはもっと気軽にフォーラムを利用してほしいということだと認識しましたが、私個人が機械翻訳立項についてかけてきたコストのことを考えると、気軽な話題としては選びたくないという、個人的な考えです。)。どういったところで議論がなされているのかがこのお知らせで分かったことは非常に有益でしたので、今後も継続してウォッチさせていただきます!コンテンツ翻訳以外の話題も追ってみます。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年6月6日 (月) 04:05 (UTC)
- Kizhiyaさんの「ひどい機械翻訳記事の粗製濫造には辟易しています。」というコメントには共感しますし、またそのリライトについては深く感謝するところではありますが、「日本語資料を元にした内容を追加しなければ立項できない、」という規定の追加には同意しかねます。「日本語資料がまったくない場合はもちろん別ですが。」ともおっしゃっていますが、悪魔の証明を求められているわけですから、例えば1週間ほどの削除依頼の間で、何らかの証明をすることは極めて困難であることが予想されます。数十本程度ではありますが、中世貴族やカントリー・ハウスの英語記事を翻訳した経験から申し上げますと、日本語の文献は全く見当たらないものがほとんどでした。ご一考ください。--Xx kyousuke xx(会話) 2022年6月6日 (月) 04:24 (UTC)
- @紅い目の女の子さん、@Xx kyousuke xxさん
- お返事ありがとうございます。少々感情的になってしまって失礼いたしました。私の場合、英語がまったく読めないわけではありませんが、得意ではありません。『新規立項にあたって日本語資料をプラスする』は、あくまで私の狭い視野のなかで思いついた方法で、ごり押ししたり、ルール化を目指して奮闘したりするつもりはありません。早い段階で問題点をご指摘くださって感謝いたします。「日本語資料がないこと」を示すのは、確かに「悪魔の証明」ですね。
- 今直している英語からの翻訳記事は日本語資料が豊富です。そして原文の英語記事のほうが資料が貧弱な状態で、中立性に疑問があります。
- お二方のようなベテランの方に申し上げることではありませんが、一般論として、翻訳記事を立項される方には、元記事の選択に配慮いただいたうえで、ご自分のお詳しい(あるいはこれから詳しくなりたい)分野の記事を翻訳して欲しいと、英語が苦手な者からお願いいたします。
- またPJ:翻訳検証にはとても期待しております!--Kizhiya(会話) 2022年6月6日 (月) 08:41 (UTC)
- Kizhiyaさん、ご理解いただきありがとうございます。おっしゃる通り機械翻訳には何らかの歯止めをかけないといけないのは間違いありませんので、対応策を考えたいと思います。--Xx kyousuke xx(会話) 2022年6月6日 (月) 09:00 (UTC)
- コメント PJ:翻訳検証参加者のSethemhatです。
- まず考えの根底にあるのが、「(少なくとも日本語⇔英語は)機械翻訳の文章はまともな日本語でない」という事実です。このため、ご存じかもしれませんがすでに削除の方針G-3が策定され、コンテンツ翻訳でほぼ未修正のものは削除に回されます。
- そもそも、「アラビア語版におけるautoreviewフラグを持たない利用者の機械翻訳の無効の提案(phab:T255022)が全く進行していない」ようです(Junknoteさんのご報告による)。そこの議論では30票の賛成/2票の反対という圧倒的多数での可決であるにも拘わらずです。コンテンツ翻訳がどこの傘下で動いているのか存じませんが、これで「何が問題なのか知りたい」は調査不足だと言わざるを得ません(ただご存じでなかっただけだと思いますが)。この上でこちらから何かを言うことは、個々の編集者の時間が有限である以上、無価値です。
- 本当にコンテンツ翻訳の自動機械翻訳使用が問題なのかを知りたいならば、プロジェクト:翻訳検証/コンテンツ翻訳レビュースペース/2022年1月及び2月分にある大量の×の数を、Jawpにおける議論に関しては、結論であるG-3本文及びプロジェクト:翻訳検証#目的、策定段階の議論はWikipedia‐ノート:削除の方針#ケースGの改訂提案(機械翻訳)をお読みください、が最も簡便かと。かなり長いですが、それだけJawpは議論を重ねて今回の削除方針改訂に至ったということの証左です。
- 財団の方が気づかれたならば、可及的速やかに(日本語版だけでもいいから)コンテンツ翻訳での自動翻訳を廃止してくださいと願う次第でございます。この文章は機械翻訳を用いて読まれて下さい。またこの文章は勿論Rottenapple777さんを責めているわけではなく、寧ろ財団の方が気づくきっかけとなり感謝しておりますこと、補足致します。--Sethemhat(会話)
- コメント 新たに『「運動戦略フォーラム」において専用のスレッド』を立ち上げるで、よろしいのではないでしょうか。日本語での過去の議論をそのまま機械翻訳して提示しても長すぎでしょうし、代表者を決めて議論したところでアラビア語版の二の舞いでしょう。こういうのは大勢の人がガヤガヤと意見を投稿したほうが担当者に響く気がします。--Afaz(会話) 2022年6月5日 (日) 04:27 (UTC)
Kizhiyaさん、紅い目の女の子さん、Xx kyousuke xxさん、Sethemhatさん、Afazさん、ご意見ありがとうございます。 今の時点で、この問題に関して財団とコミュニケーションを取る場を設けるかどうかについては、
- 財団の意図が分からないので気が進まない。
- 財団の方に今までの日本語版の井戸端などでの関連議論を機械翻訳を使って読んでもらう。
- 「運動戦略フォーラム」において専用のスレッドを立ち上げそこでコミュニケーションを取る
の3意見ということでいいでしょうか?--AppleRingo777(会話) 2022年6月8日 (水) 17:11 (UTC) --AppleRingo777 (会話)(RottenApple777からID改名しました)2022年6月8日 (水) 17:11 (UTC)
- お名前あらためAppleRingo777 さん、いつも精力的な財団との繋がりお疲れさまです。
- 紅い目の女の子さんやSethemhatさんのおっしゃりたいことは、意見を届けるならばのならば、財団のなかでも担当部署に直接意見を届けたいし、それよりまず担当部署自身でもきっちりと調べて欲しいということではないでしょうか? 私は単に皆さんのご活動に感激していただけの者ですが、コンテンツ翻訳検証に多大な労力をかけてこられたお二人が、財団フォーラムで話し合ったけれど「担当部署は違うのでもう一度最初から説明してくださいね」といった「たらい回し」状態のような目に遭ってはならないと思います。
- また、下記YShibata (WMF)さんの情報によると、
- 翻訳ツールの利用中に問題が発生した場合や、使ってみた感想などをご紹介していただける場合は、コンテンツ翻訳ツールのトークページ に書き込んでください。
- このページの日本語訳は実績の豊かな方によります。このメディアウィキのページに名前がある人たちが、財団の翻訳技術分野での頭脳のような人たちです。-
- (Kizhiyaさんへなのでこの位置に移動させましたYShibata (WMF)(会話) 2022年6月9日 (木) 14:48 (UTC))ありがとうございます。そうです、表ページを日本語訳をしてくださった方に感謝もうしあげます。この表ページに、担当者の名前が書いてあります。--YShibata (WMF)(会話) 2022年6月9日 (木) 14:31 (UTC)
- コメント 本来なら新しい投稿は一番下に書き込むことになっていますが、意思疎通の齟齬が起きることはなるべくは避けたいので、直接関係するコメントの下に書き込みます。YShibata (WMF)さん、そのMedia Wikiのコンテンツ翻訳メインページに掲載されている担当メンバーのリストは古いと思います。多分担当者リストの部分は2014年時のまま。今は担当者たちが所属する部門名もメンバーも変わって、下記の投稿にも書きましたが Language Team(言語チーム)が担当のはずです。ご確認下さい。--AppleRingo777(会話) 2022年6月9日 (木) 23:15 (UTC)
- 担当者リストの部分は2014年時のままですが、ここにある「管理者」の二人は2022年6月現在も管理しています。--YShibata (WMF)(会話) 2022年6月10日 (金) 12:48 (UTC)
- コメント 本来なら新しい投稿は一番下に書き込むことになっていますが、意思疎通の齟齬が起きることはなるべくは避けたいので、直接関係するコメントの下に書き込みます。YShibata (WMF)さん、そのMedia Wikiのコンテンツ翻訳メインページに掲載されている担当メンバーのリストは古いと思います。多分担当者リストの部分は2014年時のまま。今は担当者たちが所属する部門名もメンバーも変わって、下記の投稿にも書きましたが Language Team(言語チーム)が担当のはずです。ご確認下さい。--AppleRingo777(会話) 2022年6月9日 (木) 23:15 (UTC)
- 返信 私が伝えたかったことはKizhiyaさんの仰る通りのことでございます。正直に申し上げますと、「もう機械翻訳がいかに問題かという話題には疲弊しているので、再度説明したくない。提示するリンク先にすべてまとめてあるのだからどうしてもう一回説明しないといけないのだろうか」になります。なので、策定段階議論は読まなくてよいですからPJとG-3を(機械翻訳でもいいからとにかく)読んでもらい(大意はつかめるでしょう)、わからなければ応相談と私はしたいと思っています。
- 以下はUser:YShibata (WMF)さんへですが、上に私がコンテンツ自動翻訳の問題点について説明しているにも拘わらず「コンテンツ翻訳ツールは次の方針にのっとり設計されています」という情報を出すとは、コンテンツ翻訳を暗に擁護することを意図されているのですか?
- また、財団職員のYShibataさんが気づかれたならば、一刻も早くコンテンツ翻訳ツール内の自動翻訳ツール廃止のために力をお貸しください。これはJawpのPJ:翻訳検証参加者の総意と思います。--Sethemhat(会話) 2022年6月9日 (木) 14:29 (UTC)
- @Sethemhat様、メディアウィキの拡張機能は人間が仕上げをすると思っていました。その仕上げをしない人たちがいる、ということですね?--YShibata (WMF)(会話) 2022年6月9日 (木) 14:41 (UTC)
- @Sethemhat様、 @紅い目の女の子様、 @Afaz様、 @Xx kyousuke xx様、 @Kizhiya 様、@AppleRingo777様、現在、日本語コミュニティの中でこの点に詳しい方々がご検討いただいているようです。--YShibata (WMF)(会話) 2022年6月10日 (金) 02:46 (UTC)
返信 Kizhiyaさん、コメントありがとうございます。まずこの節の最初の自分の投稿をお読みください。ちゃんと「財団担当者」と書きました。その意味が通じないというのなら、コンテンツ翻訳を担当している部門の方とまで書けば話は通じますか?ちなみに、自分は議論には参加していませんでしたが、Phabricatorでコンテンツ翻訳機能に対して出していた他の言語版からの要望(文句)への議論は目を通してあります。Phabricatorのそのようなやり取りを読まれた方はご存じかと思われますが、各言語版からあがってくるコンテンツ翻訳関連の要望に主に対応している方はLanguage Team(言語チーム)のマネジャー・クラスの方です。そして今回「日本語版でも」コンテンツ翻訳への疑義があがっているみたいだよという話が行ったのはその部門(チーム)のディレクター・レベル(つまりマネジャーの方の上司)の方でした。もちろんどちらの方が対応してくれるかわかりませんが、たとえば今回の機会でなくとも、通常のプロセスでもし日本語版内でコミュニティの合意が出来たと仮定して、いざ直接Phabricatorにその要望を出した時に対応してくれる方々と同じ人たちです。(以下の部分はSethemhatさんへの返信も兼ねています)これも最初の投稿に書きましたが、彼らは当然他の言語版からから出ていた疑義は承知していることでしょう。日本語版特有の問題点を知らなかったというだけです。知らなくて当然です、日本語版からのコミュニケーションは乏しく、誰からも要望も疑義も今まで出ていなかったのですから。それにこれもPhabricatorでの議論を読まれている方はわかると思うんですが、このプログラムはとても複雑で、一見に似ているような問題でも実は水面下では全く別の問題であることがあるので、問題を提示する時は実例が欲しいと書かれています。ですから他の言語で似たような疑義や要望や問題点が提示されていても、日本語版の問題は何であるのは日本語版の利用者から話を聞かないといけないということだと思います。また調査不足と言われても、問題があると伝わってこないのですから、疑義や要望をあげてこない言語版を、財団は300近くある言語版の中からわざわざ選んで調査をしないでしょう。
更には自動翻訳はどの言語間で翻訳をするかでかなり質のばらつきがあります。例えばイタリア語⇔スペイン語、スペイン語⇔英語などヨーロッパの言語間だとかなりいけます。日本語⇔他言語の場合は、、、もうこれは自分が指摘するまでもないでしょう。だけど、日本語の場合は自動翻訳の質が他の言語間の翻訳と比べてぐっと質が落ちることは日本語を理解するユーザーがいちいち指摘しないと彼らにはわかりませんし伝わりません。ちなみに、財団のミーティングに多々参加させてもらっていますが、その際言語の壁に対する対処のお願いを何度もさせてもらっていますが、時たま「自動翻訳が解決してくれる」みたいな自動翻訳を過信している方向へ向かう雰囲気を感じるので、コンテンツ翻訳や、運動戦略フォーラムとは関係なしに、何気に自動翻訳の質の低さに機会があれば言及していますが、「Not so bad(そんなに悪くない)」という答えが返ってくることが多いです。しかしそういう苦言を提示する利用者は自分一人だけ(何万という数がいるユーザーのたった一人の意見)なので仕方ないのでしょうか、あまり深刻さは伝わっていない気がします。
それから、Sethemhatさん提案によるプロジェクトの日本語版の議論や内容を自動翻訳でを読んでもらう案は得策だとは思えません。これもPhabricatorでの他言語版から要望(文句)があがって来た時の議論内容をこのプロジェクトの中心人物の方々は良くお分かりだからこそ、コンテンツ翻訳によって立項された記事のレビューをされているのではないのですか?ご存じのようにコミュニティの同意なるものは全く功を奏しません。ベトナム語版に至っては投票者全員一致の投票結果があっても全く聞き入れてもらえず、その要望事案はなんの対処もなく終了(closed)となってしまいました(phab:T299636)。なお、Sethemhatさんがご指摘のアラビア語版のケースphab:T255022)は最初の要望を提出したものの、議論も理由も利用者からの提示が全くありません。ケースが全く進捗しない理由はそこにあるのでは。話が逸れてしまいましたが、ある程度データを出した言語版の要望でも「機械翻訳率」を下げるというところに持って行かれたことは、自分が指摘するまでもありません。だからそれより説得力のあるデータを集めようとレビューや削除依頼ケース理由の整備を行っていると理解しています(違っていたらご指摘下さい)。その手の内を明かしていいんですか?ちなみに、最初の投稿で今回は財団とのコミュニケーションをパスする選択を入れたのはそのデータがまだ集まっていない可能性を考慮したからです。ただ、時間が経てば経つほど、コンテンツ翻訳利用者は増えるし(既成実績の積み重ね)、財団も人的、金銭的、時間的投資が増えるので、よっぽどのデータを揃えても、ここでご意見されている皆さんの多くが望む結果に結びつくかどうかは、悩ましいところです。利用者側がデータを示しても、素早く更にそれを論破するデータを出してきますし。
今回もしコミュニケーションを取るとなった場合、まだデータが集まっていない(違っていたらすみません)部分は不利かもしれませんが、通常のプロセスの時と違うことは、今回は例のマネジャークラスの通常担当者以外の人たちからも注目を浴びていることです。上司はもちろんのこと、他の部門のそれなりの地位のある人もこの問題に注視しています。これが有利になるかどうかはわかりませんが、一応決断の参考になるかと思い書き入れます。
余談ですが、「コンテンツ翻訳内の機械翻訳機能を制限できないか」で話題にあがった「機械翻訳率の閾値」の問題ですが、中国語版でも同じ問題が指摘されており、欧米の言語と違い単語ごとにスペースが入らないことが原因のようです。その問題に対するチケットも既にだいぶ前にPhabricatorにあがってきています(phab:T251893)。解決に時間がかかってはいるみたいですが。もちろん前述のように、同じように見えて実は違う問題という事もあるので、日本語版もこれにあてはまるのかはわかりませんが、一応こちらも情報としてお知らせまで。--AppleRingo777(会話) 2022年6月9日 (木) 18:51 (UTC)
- @紅い目の女の子様、「スレッドをざっと読んだ限りでは本流の話題ではないようなので、ここで書くに留めます。」について、新しいトピックを始めると、技術者たちの目に留まります。質問や要望を書くと、詳しい人が答えます。@Afaz様、「こういうのは大勢の人がガヤガヤと意見を投稿したほうが担当者に響く気がします。」はおっしゃる通りです。@AppleRingo777様、「疑義や要望をあげてこない言語版を、財団は300近くある言語版の中からわざわざ選んで調査をしないでしょう。」は残念ですが、その通りです。数人で、生身の人間が翻訳の技術に携わっています。そのような人たちが「お知らせ」などに折に触れて「日本語コミュニティの場合はこれでいい?どうすればいい?」と問いかけています。回答が無い場合、結果が母語話者の期待を超えるのは困難です。@Sethemhat様、@Kizhiyaさんが引用された「財団に気が付いて~~してほしい」については、財団に、日本語コミュニティに造詣の深い方を増やすしかありません。残念ですが気がつきません。繰り返しますが、日本語コミュニティに造詣の深い方を7月以降の日本語ファシリテーターとして探しています。このままでは、私のように何の知識もない者が再び採用されかねません。財団はアメリカの法律の下にありますが、英語が母語の人は少数です。技術者など働く人はインド、アラブなど世界中に散らばっています。より技術に近い職種に日本語話者が複数いると、状況は改善します。財団の中で、非ヨーロッパ言語である母語で連絡を取り合う人たちは強いです。技術者は世界で争奪戦なので、年次計画の際、そのための人件費を確保する、というトップの話を聞きました。転職をお考えの技術者の方も求人ページをウォッチお願いいたします。--YShibata (WMF)(会話) 2022年6月10日 (金) 14:01 (UTC)
-
- 現在、私は申し訳ありませんが諸証拠により「財団不信」となりかけています。そもそも、私は前のコメントで「財団の方/Yshibataさん が気づかれたならば」と申しています。これは、「すでに気づいていますよね」ということが前提で、自発的に気づけとは言っておりません(さすがにそれは不可能です)。さらに、その担当の方々が「どうすればいい?」と聞いたところで、結局は財団の「運動戦略」の動かしたい方向にしか応じないのではないのではないかと考えています。それはAppleRingo777さんが挙げて下さったベトナム語の例で示されています。結論はわかりませんが、途中でベトナム語のWikipedianの方が「コミュニティの合意を尊重してください」と何度も言い続けても「機械翻訳の判定基準厳しくしとけばいいんだろ」という旨の回答を何度も返しています。
- そもそも、英語版でも拡張承認ないとコンテンツ翻訳自体がダメ、アラビア語・ベトナム語・日本語も自動翻訳廃止要求、中国語版が疑義と来たら普通は全世界で一斉廃止するでしょう? 財団は雑翻訳記事を本気で量産させているように見えますなぜですかねみなまでいいませんが。
- Wikipediaを実際に作っているのは、各言語版の執筆者であり、財団ではありません。財団はそのサポートをしているだけで、むしろサポートに徹する必要があると考えます。それをコミュニティが「こうしてくれ」と言っているのにその通りにしない代案を提案するのは、おかしな行為です。財団から給金をもらって執筆しているなら多少なりとも財団の意向を考慮することもしましょう。しかし、私たちはお人よしにも無償で、自分の時間を削って、世の中の人に少しでもよい情報を届けようと記事を書いているのです。そこを財団が「コミュニティが邪魔と感じること」をするのは、妨害であると考えますし、その財団担当者と対話する時間があるならそれこそ執筆に割きませんか。英語版では財団担当者を納得させるために人海戦術で「過去に行われたすべてのコンテンツ翻訳のレビュー」を行ったそうです。これがすべて財団のためだとは思いませんが、こんなことしている暇あるなら...という考えもできるでしょう。これらは、ある意味「WP:ルールすべてを無視しなさい」と同等の考えです。
- Phabができないのなら、別にJawpで「コンテンツ翻訳使用記事は作成後1時間ですべて即時削除するBotを導入する」暴挙にでることも可能は可能です。しかしコンテンツ翻訳を善良に翻訳ツールとして使われている方々もMcYataさんをはじめいらっしゃるでしょう。その方々に迷惑をおかけするのもそれでおかしな話なので、それをせずある意味穏便にお願いをしているのですが、無理でしょうか?
- 以上、駄文・乱文失礼致しました。--Sethemhat(会話) 2022年6月10日 (金) 14:52 (UTC)
- 私もただの感想を書きます。コンテンツ翻訳を先日はじめて入れてみましたが、どんどん訳せとばかりにサンプル記事が出てきます。英語中心の世界を「流しソーメン」のように押し付けられているようで、気持ちが悪い、というのが正直な感想です。知的帝国主義、といったうがった見方をしてしまいます。おそらく善意からやっておられるのだとはわかりますが。
- 例えば、jawp で拡張承認された利用者のみが翻訳記事を立項できるようにして、「新人の方の新規翻訳記事を1時間で消すbot」を作る案が出たら、私も賛成してしまうであろう、と思います。
- @AppleRingo777さん、細かいことですが読み間違えまして申し訳ありません。
- 「財団担当者」という言葉だけで、コンテンツ翻訳担当者と受け止めるのは、私には難しかったです。まず、2030年運動戦略チームのキムさんの話で始まり、数段落のちに「財団担当者」という言葉が出てきます。文脈から、キムさんの部門の方かと思いました。--Kizhiya(会話) 2022年6月10日 (金) 22:03 (UTC)
-
皆さま、さまざまなご意見をありがとうございました。特別:差分/89945302/こちらのYShibata (WMF)さんの投稿にありますように、この問題は自分の手から離れていると判断し、自分のメッセンジャーの役割は終えたとものとさせていただきます。--AppleRingo777(会話) 2022年6月13日 (月) 20:10 (UTC)
情報
- @Afaz様、 @Kizhiya様、 @RottenApple777 様、@Xx kyousuke xx様、 @紅い目の女の子 様、「運動戦略フォーラム」は、財団の技術者はじめほぼ一人残らず注目しています。日本語のままでコミュニケーションが取れます。しかし評判が悪かったり参加者が少ないと7月か8月に閉鎖になります。2022年6月30日で日本語の担当者である柴田は契約終了になります。7月1日以降については未定です。誰もいない期間を作りたくなかったので数か月前に財団に申し出ていたのですが、募集がまだ公表されていません。興味のある方はこの募集ページをウォッチお願いいたします。他に日本語担当者はいません。疑問点など、気軽に柴田にメールお願いいたします。
- また、直接、トークページに英語で書く、という手段は以前同様です。メディアウィキの「コンテンツ翻訳」のトークページにご記入ください。
- コンテンツ翻訳ツールは既存の Translate (翻訳) 拡張機能を補完するものです。ウィキペディアのメニュー他、ユーザーインターフェースなどの要素はコミュニティでの統一を保つために翻訳拡張機能、コンテンツにはコンテンツ翻訳ツールと対応を分けています。
- 翻訳ツールの利用中に問題が発生した場合や、使ってみた感想などをご紹介していただける場合は、コンテンツ翻訳ツールのトークページ に書き込んでください。
- このページの日本語訳は実績の豊かな方によります。このメディアウィキのページに名前がある人たちが、財団の翻訳技術分野での頭脳のような人たちです。--YShibata (WMF)(会話) 2022年6月6日 (月) 05:44 (UTC)
- 上記メディアウィキの機能は、自動翻訳ではありません。
- コンテンツ翻訳ツールは次の方針にのっとり設計されています。
- 時間の節約。翻訳者が外部ツールへのコピーやペーストなど不要な手間をかけず、すばやくコンテンツを作成する支援。
- 支援の提供。間違いを防ぎ、利用者が翻訳に自信を持てるようにすること。
- 翻訳品質の向上を促す。ツールはウィキメディアにおける翻訳の意義を的確に伝え、利用者が品質の劣る翻訳を投稿しないように支援すること。
- 利用を強制しない。編集の方法は翻訳者ごとに異なるので、本ツールが翻訳者自身の編集手順の妨げとならないようにすること。
- 内容に集中する。翻訳作業はテキストの整形よりも記事の内容に集中すること。ウィキテキストなど技術的な要素は、翻訳作業のハードルをあげないように処理すること。--YShibata (WMF)(会話) 2022年6月6日 (月) 05:51 (UTC)
- お疲れさまです。情報ありがとうございます。議論に関わった内容ですが、コミュニティの意見と議論とは別なので分けさせていただきました。--AppleRingo777 (会話)(ID改名しました)2022年6月6日 (月) 14:41 (UTC)
- コメント 以下、参照先のリンクを示していない点をお断りします。
コンテンツ翻訳の出力先を、投稿者の編集習熟度に関わらず、個人のサンドボックスに限定してはダメでしょうか。推敲が必要な記事未満は、サンドボックスに留めます。このコメントの背景にCX2の欠陥を意識しています。例えば検証可能性を担保する典拠が翻訳原文にあっても、出力した訳文から欠けるのはその一例です。端的に申すならCX2作業空間ではウィキ文編集に切り替え不能だから修正したくてもできないからです(同拡張機能のノートページで提案は既出)。あるいは出典構文の引数が非対称である点を開発側で解決していないからです。結果、典拠不十分のasboxを誰か貼るという不毛な循環に皆さんが振り回されてしまいます。- 初学者の定着率を上げる
- 2030イニシアチブの課題に照らすと、初学者が長く活動を続けなければコミュニティは縮小します。それではどなたの益にもなりません。
- 統計は持ち合わせませんが、眺めていると編集回数が1千回に満たない利用者がCX2を使って記事を〈投稿する〉体験をして、版指定削除を受けてウィキペディアでの活動が止まる例をしばしば見ます。これは翻訳したOmotechoも責めを負うべきながら、メタの解説文には〈編集初学者が投稿するのに使える拡張機能〉という表現があります。
- 未熟な記事は、推敲するための場に出力する。
- 悪意のある投稿ではなく未熟な投稿なら、下書きとして個人サンドボックスに出力しておき、テンプレートや出典など「記事として練ってから、正式な記事(記事名前空間への出稿)にしましょうね」と示しませんか。誰がその面倒を見るのかという応用篇はここでは述べません。
- 私個人はこの拡張機能を使うとき、個人サンドボックスに出します。Kizhiyaさんが言及された日本語資料の渉猟と参照作業ほかは重要で、それを意識するからでもありますし、それが叶わない主題こそ他言語版にたくさんあり、Omotecho個人はそれらに興味を感じて翻訳します。おっしゃる通り、主題が日本の典拠にない記事は他言語版にたくさんあります。あるいはウルトラシーで記事の論旨から離れて用語単位でないと典拠が付かない記事もあります。「人類の知の集積を万人に」という、ウィキメディア運動の高邁な理想がつまずきかねません。
- コンテンツ翻訳に欠陥
- 出典の構文(の引数=パラメータ)が翻訳原語と訳語の言語版で非対称だと、機械的にその出典タグごと除去する仕組みです。技術的に解決されるには、Phabricator を調べようと思いながら投げてあります。〈出典の構文が不適合なため除去した〉という意味の警告に気付いたときは、CX2作業空間で左窓から無理やり右窓にコピーペーストし、出力時にエラータグ(出典テンプレートの不備)がつくことを承知の上で個人サンドボックスに出力。出典タグを〈編集〉する作業は実質、CX2ではできないと承知しています。どうも原語版から引き写せなかったそれらこそ、典拠の吟味が求められる点が経験則のようです。
- 日本語版その他、SVOC構文でない言語は、現状の機械翻訳側から眺めるなら、原理として非適合です。その点は、ぜひ2030イニシアチブに照らして改善してほしいと望みます。これは機械翻訳を適用もしくは研究する団体なら共通の課題であり、ぜひ提携して研究し、削除された機械翻訳の生出力記事はウィキメディアのデータベースに死蔵されていると想像しますので、それらを活用してもらいたいです。
- そうであれば、機械翻訳の生出稿の見回りと、それらを削除する手間を負ってくださった編集者にも、また推敲に難儀された皆さんにも、少しは労に報いる道ができるなら望外の喜びです。老婆心ながら、CX2を便利と信じてコミュニティへの扉をたたく編集初学者には、ここで議論されている皆さんのレベルまで伸びしろがある点を惜しく思います。--Omotecho(会話) 2022年6月10日 (金) 02:16 (UTC)
- コメント 以下、参照先のリンクを示していない点をお断りします。
財団の方とミーティングを行いました&機械翻訳機能廃止を要請するための日本語版合意形成提案
こんにちは。McYataと申します。この件について、別ルートで財団の方と接触しておりました。まずは独自行動をとっていたことを謝罪いたします。AppleRingo777さんがこのスレッドを立てる少し前から動いていたのですが、中途半端な段階で情報共有をして議論が錯綜してしまうのを防ぐため、このタイミングでのご報告となりました。
2022年6月17日、私と利用者:Eugene Ormandyさんがウィキメディア財団の方とオンラインミーティングを行い、コンテンツ翻訳における機械翻訳機能にまつわる、日本語版ウィキペディア上の各種議論について情報共有をしました。財団からの参加者は、Quim Gilさん、Uzoma Ozurumbaさん、Amir E. Aharoniさんの3名です。なお取次には、YShibata (WMF)さんのお力添えをいただきました。
共有内容は以下のとおりです。
- 日本語版では、機械翻訳に起因するコンテンツ翻訳不信が広がっている。
- 英語などから日本語への機械翻訳は非常に不正確で、情報の欠落など致命的な誤訳も頻発する。
- コンテンツ翻訳内で算出されている機械翻訳率(機械翻訳放置投稿を阻止するために用いられている)はあてにならない。ほとんど機械翻訳を放置していても規制を回避するのは容易だし、逆に一切機械翻訳を使用していなくても高い割合を表示してくることがあるため。
- コンテンツ翻訳で大量の機械翻訳記事が出続けている反面、それらを検証し改稿したり削除したりするのに膨大な人的資源が浪費されている。
- またコンテンツ翻訳がGoogle翻訳の利用を奨励するような構造になっているゆえに、本来翻訳ウィキペディアンとして成長できたはずの新規利用者が安易な機械翻訳立項に走ってしまうケースがみられる。
- 日本語版でもプロジェクト:翻訳検証の設立や機械翻訳の濫用を理由とする削除方針の新設など、機械翻訳に厳しく対処しようという流れが出来ている。
- 以上の点をふまえ、コンテンツ翻訳内の機械翻訳機能を削除するよう財団に要請しよう、という議論が起こっている。
- なお同様の議論は2019年から続いていた。これまで日本語版から財団へアプローチしなかったのは、他言語版との似たような交渉でコンテンツ翻訳開発チームが機械翻訳機能の維持を(言語版コミュニティの合意を蹴ってまで)強硬に主張しているのを目の当たりにし、説得のために十分なデータ収集と理論立てが必要と考えられたためである。
財団の方は、このような議論が行われていることに驚いておりました。また、今後も財団に情報提供してほしい、そして日本語版ユーザーとしてPhabricatorで意思表示をしてほしいとおっしゃっていました。つきましては、レビュープロジェクト等の事例も集まってきたので、日本語版ウィキペディアのコンテンツ翻訳から機械翻訳機能を除去することの是非についての投票スペースを近日中に設け、Phabricatorでの議論も立ち上げようと思っております。投票スペースについては、極力英語訳を付記し、財団の方にもウォッチしてもらおうと考えています。
なお、円滑な情報共有(何か方針や方策を定めるための「議論」ではない)をするため、今回は私とEugene Ormandyさんのみで財団とミーティングを行いました。しかし今後再びミーティングの機会などあれば、オープンな形で行いたいと考えている旨、またそのように先方にも伝えた旨を追記いたします。
ご理解・ご協力のほどよろしくお願いします。また、本件について、忌憚なきご意見をいただければ幸いです。--McYata(会話) 2022年6月25日 (土) 14:46 (UTC)
- Eugene Ormandyと申します。McYataさんが投稿されたとおり、コンテンツ翻訳の機械翻訳機能について、財団の方とミーティングを行いました。McYataさんがお示ししたとおり、あくまで情報共有に徹したミーティングでした。よろしくお願いいたします。--Eugene Ormandy(会話) 2022年6月25日 (土) 14:53 (UTC)
- (長文失礼します)
- 議論された皆様には感謝申し上げます。私も電鈴やドリームガールズ (映画)の映画製作の節において、自動翻訳を参照しつつ、原文を読み返して翻訳記事を書いた実体験を申し上げます。まず挙げられるのは機械翻訳の精度の甘さで、これには文の構成構造の大きく異なる二言語の自動翻訳の難しさを物語るものです。機械翻訳は近年、AIや対訳ベースの蓄積により翻訳の精度を上げつつありますが、精度が上がっているのは主語も述語もぼかさずきっちり書かれた技術文書などであり、新聞記事等はまあまあ、そしてWikipedia英語版記事を書かれている多くのウィキペディアンが採用する、いわゆる口語においては、まだまだ日本語記事とするには適当でない訳が散見されます。この理由には英語と日本語との、それぞれの『言い回しの違い』が大きいのではないでしょうか? その中でも主語以外の「省略」は自動翻訳には致命的で、英語でも並列表記などで省略が発生した場合、機械翻訳では適切な語句を補わないと、どうしようもない誤訳を起こすことがあります。また長文の接続関係についても熟成が甘く、これも誤訳を発生させるもととなっています。実際の翻訳で困った例を上げると、ドリームガールズ (映画)の一節、最終選考で落ちたバリーノの記述: Hudson was eventually selected to play Effie, leading Barrino to telephone Hudson and jokingly complain that Hudson "stole [Barrino's] part." で、Google翻訳では『ハドソンは最終的にエフィーを演じるために選ばれ、バリーノをハドソンに電話させ、ハドソンが「[バリノの]部分を盗んだ」と冗談めかして不平を言った。』と、バリーノがハドソンに電話をかけ、「(バリーノが演じるはずだった)役を盗んだ」ニュアンスが全く訳せませんでした(ライセンスの関係で DeepL翻訳の文は載せられませんが、このくだけた用法は私の訳文『最終的にはジェニファー・ハドソンが選ばれた。バリーノいわく、ハドソンに電話をかけ、ハドソンが「(バリーノの)役を盗んだ。」と冗談めかして不平を言ったという。 』もあるせいでしょうが訳せています)。なおこの部分は出典資料でバリーノが語った事実だと書いてあったのでこの訳ができました。
- このように私は常に原文と自動翻訳文、私が不完全に訳した文それぞれを突き合わせ、訳の正確性を上げていくようにしていますが、コンテンツ翻訳を使った翻訳では基礎の基礎であるべき、自身で原文を読解しての『原文との突き合わせ』がおろそかにされてしまうきらいがあると、私は思います。どうかインターフェース設計により翻訳者に、書いた訳文が妥当なものか強制的に検証させる仕組みを用意するとか、(ウィキ構文にある程度明るいことが求められますので)コンテンツ翻訳をアカウントを持つ拡張承認された人に限るだけでなく、悪質な訳文を書いた人には一定期間コンテンツ翻訳の使用を控えていただく仕組みがあれば、翻訳検証の負担は減るかな、と個人的には思ったりします。
- 以上、対訳として自動翻訳がゾロゾロ出てくるコンテンツ翻訳の問題を挙げてきましたが、一方で従来の翻訳手法では問題となるのが脚注やテンプレートの問題です。従来の翻訳手法では注釈はどうしても外されがちで、元のところに注釈を復元する手間は大変です。ですからウィキのシステムを最大限使うとするならば脚注やテンプレートは可能な限り再利用するのが望ましく、互換性のないテンプレートはその都度書き換えるほうが似合った使い方だと思います。日本語での特に航空エンジン記事では、テンプレート換算が嫌われ、手計算の結果が表示されているのがほとんどで、数値と単位との間にスペースを入れる表記ガイドも忘れ去られがちです。ですからコンテンツ翻訳は自動翻訳機能の提供よりも、むしろウィキ文書の「移植」の手助けをもっとすべきだと思います。記事の翻訳の過程において、どのみち訳の手直しは必要でしょうから私の意見では自動翻訳は「有ればすごく便利だけど、無くても困らない」です。
- このことは逆向き翻訳の日本語版記事の英訳その他言語への訳出でも問題になるはずです。各国からメンバーが集って不具合を検証するとなれば、日本語版記事からの翻訳においても、おそらく英日翻訳よりもひどい訳出例が出るものと思います。そのことが問題になっていないかどうか、いち翻訳者としては知りたいものです。
- --Licsak(会話) 2022年6月30日 (木) 17:07 (UTC)
「自主公表された情報源」に関して
Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源、特にWP:TWITTERの扱いに関する質問です。
先日、Twitterアカウント「かいけつゾロリ ポプラ社公式」によるこちらのツイートを出典として、私は種﨑敦美を編集しましたが(差分)、このツイートは出典として不適切でしょうか?種﨑敦美氏が、もっと!まじめにふまじめ かいけつゾロリにおいて「ララ」役として出演したことを示す出典として同ツイートを用いましたが、同ツイートは「かいけつゾロリ ポプラ社公式」というアカウントによるツイートであり、主題たる「種﨑敦美」と関係ない一企業によるツイートであるため、WP:TWITTER(「それらの情報源自身に関する記事においては」)に基づいていない、不適切な出典でしょうか?
別の記事で例えたいと思います。記事「Dappi」において、小西洋之がTwitterアカウント「Dappi」に対して損害賠償を求める訴訟を提起した出典として、こちらのツイートが用いられています。しかし、これはTwitterアカウント「小西ひろゆき (参議院議員)」によるツイートであり、主題たる「Dappi」に関係ない、つまりは「Dappi自身によるツイート」でないため、このツイートを記事「Dappi」において出典として用いることは不適切でしょうか?--おっふ(会話) 2022年6月3日 (金) 16:30 (UTC)
- コメント 不適切というか、同じ節内にある WP:V#NR が援用可能で、「ほかに代替可能な適切な情報源がないが、解説として外せない内容なので『仕方なく/暫定的に』用いられてしまう情報源」ということで、だからあまり重要でない内容であれば(出典ごと)まるごと除去しろ、そうでなく重要な内容であれば「〇〇の出典によれば~」という接頭辞で何の情報源から書かれた文かを読者向けに包み隠さず明示しろ、という注記があるものと思いますし、可能ならば同じ内容を伝える査読を経た主題と無関係な第三者情報源(それがほんとうに重要性がとても高い社会的公共性のある内容であれば必ず第三者情報源が存在するはず)に速やかに置換されるべきものと定められているのだと考えます。
- これは「不適切だから絶対に使用するな」という決まりではなく『一次情報源である以上、他の二次、三次情報源とは様相が異なり(中立性その他の問題点が内包されることで)とても注意深く扱うべき情報源である』からで、その注意喚起に関する規約は WP:V#SP、WP:V#OS、WP:PSTS、WP:INTEXT、WP:SELFSOURCE、WP:AUTO#自分自身の記事を書くことの問題点 など多数にわたっていますが、根本的には「(百科事典としては)両手を挙げて内容を完全確実な事実として扱うべきではない」という点で一致しています。
- ◆公式Tweet時点ではそれしか情報がなかったのでTweetを出典情報源として用いたが、後に別の新聞媒体によってTweetでの公表状況も含め記事解説として発信された、という場合なら一次情報源たるTweetを載せておく理由が薄まるので出典情報源をまるっと代替することを検討されるべきかと思いますし、逆に考えて「なぜ公式Tweetや本人Tweetを他の(信頼性に関してより問題が少なくなる)第三者情報源に代替することができないのか」について考えた方が良いとも思います。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月4日 (土) 07:48 (UTC)
- 返信 Nami-jaさん、ありがとうございます。1点だけ確認します。現時点で「ほかに代替可能な適切な情報源がない」場合、最初に紹介した「かいけつゾロリ ポプラ社公式」によるツイートは、種﨑敦美氏が同番組に出演したこと自体(つまり、それのみ)を示す出典として用いても、問題ないでしょうか。もちろん、一次資料である以上は代替可能な情報源が公表され次第、直ちにそれに置換すべきであり、(完全に)問題ないわけがありませんが、同ツイートを出典として「種﨑敦美」の「略歴」や「人物」の節内に何か記述するわけではなく、出演したことだけに関して「(「出演」の節に)箇条書き」で記載する場合は、出典として用いても問題ないでしょうか?--おっふ(会話) 2022年6月4日 (土) 15:00 (UTC) 訂正--おっふ(会話) 2022年6月4日 (土) 15:10 (UTC)
- 既に回答済ですが、Tweetという情報発信媒体の発信方法そのものに(百科事典の客観的な信頼性検証としての)問題があるので WP:TWITTER があるわけです。その上で、「使える/使えない」に絞ると「(限定的に/特殊条件下で)使える」という話であり、仰る事例ではまさに特殊条件下、自身に関する中立性をクリアした事実そのものであるため使えるとは思いますが、ご自身でも納得しておられます通り、もし公式発信情報を完全に代替可能な第三者情報源があるのなら、中立性の観点を重視しそちらに置換されるべき、という結論は動かないでしょう。これは公式発信情報こそを真実と考える一般常識と、第三者情報源を公式情報よりも上位に置く百科事典執筆ルールがぶつかる例のひとつだとも思います。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月5日 (日) 03:53 (UTC)
- 返信 Nami-jaさん、ありがとうございます。WP:TWITTERに関して改めて認識し、理解できました。正直、私の認識は合っているかという思いで質問させて頂きましたが、Nami-jaさんのご説明により、WP:TWITTERの位置付けから「一般常識」と「百科事典執筆ルール」が対立してしまうことまで再認識できました。ありがとうございます。--おっふ(会話) 2022年6月5日 (日) 13:34 (UTC)
- 既に回答済ですが、Tweetという情報発信媒体の発信方法そのものに(百科事典の客観的な信頼性検証としての)問題があるので WP:TWITTER があるわけです。その上で、「使える/使えない」に絞ると「(限定的に/特殊条件下で)使える」という話であり、仰る事例ではまさに特殊条件下、自身に関する中立性をクリアした事実そのものであるため使えるとは思いますが、ご自身でも納得しておられます通り、もし公式発信情報を完全に代替可能な第三者情報源があるのなら、中立性の観点を重視しそちらに置換されるべき、という結論は動かないでしょう。これは公式発信情報こそを真実と考える一般常識と、第三者情報源を公式情報よりも上位に置く百科事典執筆ルールがぶつかる例のひとつだとも思います。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月5日 (日) 03:53 (UTC)
- 返信 Nami-jaさん、ありがとうございます。1点だけ確認します。現時点で「ほかに代替可能な適切な情報源がない」場合、最初に紹介した「かいけつゾロリ ポプラ社公式」によるツイートは、種﨑敦美氏が同番組に出演したこと自体(つまり、それのみ)を示す出典として用いても、問題ないでしょうか。もちろん、一次資料である以上は代替可能な情報源が公表され次第、直ちにそれに置換すべきであり、(完全に)問題ないわけがありませんが、同ツイートを出典として「種﨑敦美」の「略歴」や「人物」の節内に何か記述するわけではなく、出演したことだけに関して「(「出演」の節に)箇条書き」で記載する場合は、出典として用いても問題ないでしょうか?--おっふ(会話) 2022年6月4日 (土) 15:00 (UTC) 訂正--おっふ(会話) 2022年6月4日 (土) 15:10 (UTC)
- いまここに気が付きました。私が利用者‐会話:おっふ#自主公表された情報源についてで伺ったことに関連するものと思います。ノート:種﨑敦美も含め、複数の場所で議論を展開するのはお控えいただいたほうがいいかと存じます。--Takumiboo(会話) 2022年6月4日 (土) 15:13 (UTC)
- Wikipedia 日本語版における、ツイッターを出典として用いることに関するスタンスは、基本的に Nami-ja さんのコメントで尽きていると思います。端的にまとめると「ツイッターのつぶやきを出典として使用することは、無効とされているわけではなく、明確に禁止されているわけでもないが、好ましいものではなく、できれば使用すべきではない」ということです。この原則は、ツイッターをどんな内容の出典として利用するかどうか、ということには関係ありません。したがって、「同番組に出演したこと自体(つまり、それのみ)を示す出典として用いても、問題ないでしょうか」と質問されていますが、これに対しても「無効ではないが好ましくない」というのが回答です。
- ですが、この(種﨑敦美氏の番組出演)のような例で言うならば、本当に出演したのならば番組の公式サイト(公式ツイッターではなく)で発表されるはずであり、まずは公式サイトをチェックすべきです。そして公式サイトに見当らないのなら、そもそも記事に書く必要のない(特筆性のない、あるいは些細で詳細すぎる)情報ということになります。つまりツイッター以外の信頼性のありそうなソースが見当たらない情報は、そもそも書くべきでない、あるいは書く必要性がない情報ということになります。--Loasa(会話) 2022年6月5日 (日) 10:00 (UTC)
- 返信 Loasaさん、ありがとうございます。確かに公式サイトのチェックを優先すべきでした。Loasaさんの仰る通り、私もツイートは「好ましいもの」ではなく、ましてやそれを出典とする瑣末な情報は記載する必要がないと認識しておりましたが、WP:TWITTERはどういった認識であるべきか、どういった場合ならば使用しても良い(許容される)か改めて気になり、こちらで質問させて頂きました。ありがとうございました。--おっふ(会話) 2022年6月5日 (日) 13:34 (UTC)
- Nami-jaさんの「なぜ公式Tweetや本人Tweetを他の(信頼性に関してより問題が少なくなる)第三者情報源に代替することができないのか」というのはとても重要な観点かと思います。WP:IINFOにも関連しますが、Wikipediaに収録すべき特筆性のある事項であれば第三者の情報源が存在するはず、というのが大原則としてあるんじゃないかと。--Takumiboo(会話) 2022年6月8日 (水) 08:46 (UTC)
- 横からすみません。Nami-jaさん・Loasaさんに教えていただきたいのですが、、「Wikipedia:存命人物の伝記#信頼できる情報源」の「自主公表(略)による情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません」とあるので、存命人物記事であれば記事主題となっている本人以外のツィートは原則出典として使用することは無効だと思ってたんですが、私が間違っていましたでしょうか。--ぽん吉(会話) 2022年6月10日 (金) 09:05 (UTC)
- WP:BLPSOURCESに於ける制限は当人に対する批判的な内容に掛かるものに限定されます。逆に言うと、批判的でない内容の場合はWP:BLPREMOVEの原則は適用されません。なので「存命人物記事上に於いては本人Tweetは完全無効出典」というのは誤読に近いかと。WP:BLPSELFPUBでははっきりと「下記のような場合、当事者提供の情報を記事に加筆しても構いません」と本人Tweetなどが使用できる特殊事例が明記されており、この列挙事例がそのまま上で述べているWP:TWITTERの特例にあてはめられますので、矛盾していません。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月10日 (金) 21:54 (UTC)
- WP:BLPSOURCESには「自主公表(略)による情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません」としか書いてないのに、これを「批判的な内容に掛かるものに限定されます」と対象を制限されてますが、根拠は何ですか?--ぽん吉(会話) 2022年6月13日 (月) 01:20 (UTC)
- WP:BLPの冒頭に「存命中の人物に関する否定的な情報で参考文献や出典のない、あるいは貧弱な情報源しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべき」と明示がありますため、後の段で解説されている Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去(WP:BLPREMOVE)もまた批判的内容に限定されている前提になります。そして、少し前の話に関連するんですが、上の方の話題で出ている WP:TWITTER は「(発信方法に問題があるので)なるべく使用しないほうがいいと定められてはいるものの、使用そのものが方針ガイドラインによって完全に禁止されているわけではない(どのような条件下でも貧弱な情報源と断言されているわけではなく、むしろ特例によって信頼できる第三者情報源と同等の信頼性が確保できる特殊条件を例示している)」ので、本人Tweet由来情報の即刻抹消除去が可能な前提条件としては Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に(WP:UNSOURCED)をクリアできませんので、理屈としては(一定の条件下では)WP:BLPおよび3大方針の遵守どちらも守っている状態になりますから、信頼性の点で方針ガイドライン観点から「絶対に使用してはならない」と判断できない以上、除去目的に絞れば内容に限定しWP:BLPREMOVEを援用するしかないでしょう。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月13日 (月) 12:50 (UTC)
- 追記 というか、ぽん吉さんが再三仰っておられる「でもWP:BLPには本人情報全面禁止と書いてある」という話は、逆に考えるならばWP:TWITTERのような貧弱情報源に対する特例(限定状況下では信頼でき得る第三者情報源と同等の信頼性を見出だせる(ので、即時抹消除去を回避できる))の否定、別の方針と矛盾しているのでそれを改訂すべき、という方針改訂意見かと思われ、それは当方個人宛ではなくこちらの議論を下敷きに方針のノートで問題提起すべきなのではないでしょうか? / こちらで議論を継続しても「特定個人編集者間の(許容できる範囲での)方針解釈の違い」でしかなく、平行線に陥るような気がします。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月13日 (月) 13:21 (UTC)
- あのー「WP:BLPには本人情報全面禁止と書いてある」なんて、言ってもいないし思ってもいませんよ。。。同じ文章引用3回目になりますが「自主公表(略)による情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません」なので「WP:BLPには本人情報以外全面禁止と書いてある」であってますか?という話です。--ぽん吉(会話) 2022年6月14日 (火) 07:23 (UTC)
- 追記 というか、ぽん吉さんが再三仰っておられる「でもWP:BLPには本人情報全面禁止と書いてある」という話は、逆に考えるならばWP:TWITTERのような貧弱情報源に対する特例(限定状況下では信頼でき得る第三者情報源と同等の信頼性を見出だせる(ので、即時抹消除去を回避できる))の否定、別の方針と矛盾しているのでそれを改訂すべき、という方針改訂意見かと思われ、それは当方個人宛ではなくこちらの議論を下敷きに方針のノートで問題提起すべきなのではないでしょうか? / こちらで議論を継続しても「特定個人編集者間の(許容できる範囲での)方針解釈の違い」でしかなく、平行線に陥るような気がします。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月13日 (月) 13:21 (UTC)
- WP:BLPの冒頭に「存命中の人物に関する否定的な情報で参考文献や出典のない、あるいは貧弱な情報源しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべき」と明示がありますため、後の段で解説されている Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去(WP:BLPREMOVE)もまた批判的内容に限定されている前提になります。そして、少し前の話に関連するんですが、上の方の話題で出ている WP:TWITTER は「(発信方法に問題があるので)なるべく使用しないほうがいいと定められてはいるものの、使用そのものが方針ガイドラインによって完全に禁止されているわけではない(どのような条件下でも貧弱な情報源と断言されているわけではなく、むしろ特例によって信頼できる第三者情報源と同等の信頼性が確保できる特殊条件を例示している)」ので、本人Tweet由来情報の即刻抹消除去が可能な前提条件としては Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に(WP:UNSOURCED)をクリアできませんので、理屈としては(一定の条件下では)WP:BLPおよび3大方針の遵守どちらも守っている状態になりますから、信頼性の点で方針ガイドライン観点から「絶対に使用してはならない」と判断できない以上、除去目的に絞れば内容に限定しWP:BLPREMOVEを援用するしかないでしょう。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月13日 (月) 12:50 (UTC)
- WP:BLPSOURCESには「自主公表(略)による情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません」としか書いてないのに、これを「批判的な内容に掛かるものに限定されます」と対象を制限されてますが、根拠は何ですか?--ぽん吉(会話) 2022年6月13日 (月) 01:20 (UTC)
- WP:BLPSOURCESに於ける制限は当人に対する批判的な内容に掛かるものに限定されます。逆に言うと、批判的でない内容の場合はWP:BLPREMOVEの原則は適用されません。なので「存命人物記事上に於いては本人Tweetは完全無効出典」というのは誤読に近いかと。WP:BLPSELFPUBでははっきりと「下記のような場合、当事者提供の情報を記事に加筆しても構いません」と本人Tweetなどが使用できる特殊事例が明記されており、この列挙事例がそのまま上で述べているWP:TWITTERの特例にあてはめられますので、矛盾していません。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月10日 (金) 21:54 (UTC)
報告「WP:TWITTERに関して改めて認識し、理解できました」「Loasaさんの仰る通り、私もツイートは「好ましいもの」ではなく、ましてやそれを出典とする瑣末な情報は記載する必要がないと認識しておりました」といった発言とは裏腹に、その後もおっふさんはtwitterのみを出典とした同様の編集を複数記事で繰り返しています(編集例1 編集例2 編集例3 編集例4)。
「ツイッター以外の信頼性のありそうなソースが見当たらない情報は、そもそも書くべきでない、あるいは書く必要性がない情報ということになります。」というLoasaさんの指摘を要約欄に引いた上で差し戻しを実施したところ、「荒らし」と一言要約欄に記入して再度差し戻しを行われたようですが、一体どういうおつもりでしょうか?--2001:268:9053:75C4:94B3:2893:E8A5:856A 2022年6月23日 (木) 04:19 (UTC)
@おっふさん に念のため通知を送信します。--Takumiboo(会話) 2022年7月3日 (日) 15:44 (UTC)
『内容過剰』テンプレートについて
Swaneeと申します。一つご相談がありますので書き込みます。
昨日私が立項した世田谷パン祭りの記事に、上記テンプレートが貼付されました。私としてはまだ出典が足りない部分や書き足りない部分もあるやも、と思っていましたが、まさかこういう指摘を受けるとは思ってもみないことでした。ただ、現時点てノートページでの具体的な問題点も挙げられていないことでありますから、剥がしてしまってよいものか念のため第三者のご意見を伺いたいと存じます。--Swanee(会話) 2022年6月4日 (土) 06:27 (UTC)
- 個人の感想ですが、全体的によく調べて書かれているものの、沿革節や評価などについては単独節内に事項を詰め込みすぎで、内部小節を設置し事柄ごとに分けた方がいいかな、と感じます。ただ、それは内容過剰というよりは「一行目から末行まで全文を順次読み解かないと説明の全てが理解できない=解説というより随筆/小論文に近い」という点で、ですので内容過剰テンプレートは的はずれな指摘ですから、剥がして良いと思います。ただ、テンプレートを剥がした上で構成についてノートで第三者を招いて議論してもいいかなと思いますし、また、節を増やして節内にてそれぞれの主題テーマに関しより細かく解説するならむしろ解説文は今後さらに増えるだろうと思います。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月4日 (土) 07:15 (UTC)
- Nami-ja様、初めまして、そして有用なアドバイスをありがとうございます。読みながら自分でも多少の改善案を思いつきました。(「運営」で一節を立てる、あるいは第一回の開催に至る部分などを細節化するなど)まずはテンプレートを除去し、経緯をノートに記しておこうと思います。--Swanee(会話) 2022年6月4日 (土) 09:28 (UTC)
Wikipediaに執筆されている個人の個人情報について
よく個人情報などは書いてはいけないと言われていますが、これは犯罪者やとてつもなく悪い事をした人にも当てはまりますか? 個人的にはこういう人達の個人情報を特定しまくってWikipediaという大きなサイトに晒した方が犯罪の抑止力にも繋がると思いますが。--しゃぞー連合軍(会話) 2022年6月4日 (土) 12:40 (UTC)
コメントWikipediaは犯罪抑止のためにあるサイトではないです。むしろ、そういう目的には使わないでね、ということになっています。WP:NOT・Wikipedia:存命人物の伝記を参照してください。どちらも「すべての利用者が従うべき」方針です。--柒月例祭(会話) 2022年6月4日 (土) 15:05 (UTC)
コメント 私は同意してないのですが、こことかここでは逆に「単に性別・年齢など個人を特定するに至らないものでも刑事事件被疑者の情報は記載してはならない」と主張してらっしゃる方もいらっしゃいますので。。。いずれにせよ、改めて「プライバシー保護されるべき範囲と理由」について利用者間での合意の取り直しが必要な時期なのかもしれません。。。--水だらけのプール(会話) 2022年6月5日 (日) 03:57 (UTC)リンクミス修正--水だらけのプール(会話) 2022年6月5日 (日) 03:59 (UTC)
カテゴリ関連の削除依頼サブページを抜粋して転載する方法について
Wikipedia‐ノート:削除の方針#提案:カテゴリに対する削除の方針の追加の2022年6月3日 (金) 09:03 (UTC) 付コメントにて、
カテゴリに関する情報センターであるプロジェクト:カテゴリ関連にカテゴリの削除依頼の周知専用のサブページを作成し、そちらにもカテゴリの削除依頼サブページを参照読み込みさせて情報を集約し(中略)広く削除議論への参加を呼びかける
提案を行い、一名の管理者の方より賛同を得ました。今後この提案を具体化するにあたり、このようなことが技術的に実現可能かどうか、ご経験のある方に確認したく、ここでご相談させていただきます。
現段階で検討している方法は、Wikipedia:削除依頼の依頼サブページのうち、タイトルに「カテゴリ」や「Category」等を含む依頼サブページを抜粋し、事前に作成しておいたプロジェクト:カテゴリ関連/掲示板/YYYY年MM月(仮)のページにも参照読み込みさせて、閲覧できるようにするというものです。削除議論自体は、これまで通りWikipedia:削除依頼のサブページ側で行います。現状、カテゴリの削除依頼が提出される頻度は記事ほど高くはないため、プロジェクト側サブページは月単位か週単位で作成することを想定しています。(ページ数はそう多くないとはいえ)可能であれば、テンプレートやBotを活用してサブページの抜粋・転載作業を半自動化できると助かります。ページの見た目は、Wikipedia:削除依頼/ログ/今週のような感じをイメージしています。以上、ご回答をお待ちしております。--Doraemonplus(会話) 2022年6月5日 (日) 11:31 (UTC)
世界共通規範を施行するためのガイドライン見直しについていただいたご意見が分類されています
報告 この節はWikipedia:井戸端/subj/ユニバーサル行動規範によってウィキペディア日本語版は衰退させられるのではないか?の続きです。--温厚知新(会話) 2022年6月11日 (土) 06:02 (UTC)
ウィキペディアをはじめあらゆるウィキの参加者について適用されるユニバーサル行動規範をいかに各国・地域で実行させることができるか、というガイドラインについて、改訂作業が始まりました。
たとえば、2022年6月1日には「施行ガイドラインがコミュニティのボランティア的側面を十分に尊重していないというコメントや、アファメーションの概念、翻訳の問題など」が議論されました。これは3回目の集まりです。今後の集まりも、全てこのリンク上で公開されます。
日本語コミュニティからも問題点として挙げられた文言について、改訂を書くのは今後も、通常の「利用者」たちです。財団職員ではなく、法律家でもありません。
ユニバーサル行動規範Universal Code of Conduct/施行ガイドライン批准/改正のための話し合い/告知
ユニバーサル行動規範Universal Code of Conduct/施行ガイドライン批准/改正のための話し合い --YShibata (WMF)(会話) 2022年6月6日 (月) 06:06 (UTC)
- 質問 告知ありがとうございます。メタのページには意見募集期間が明記されていませんが、この意見募集の締め切りというか期限はあるのでしょうか?--AppleRingo777(会話) 2022年6月8日 (水) 17:17 (UTC)
- 回答一応25日までですが、過ぎても受け付けは続けるようです。あいまいで申し訳ありません。これまでの数年の過程で「締め切りを明示し意見を募集しても、その結果に対する批判が後に噴出する」ということに対し、解決策を見いだせないでいます。--YShibata (WMF)(会話) 2022年6月8日 (水) 23:17 (UTC)
- コメント YShibata (WMF)さんへ。他の話題とも関係し、あちこち分散して申し訳ないのですが、財団が行政のイメージならば、日本語コミュニティーから意見が出ないのは、仕方がないのではないでしょうか。私の感想ですが、日本の行政への信頼度は低いです。言っても無駄なことを言いたくないと思います。そして柴田さんがフォーラム内でWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを熟読したのは初めてと仰ったように、財団のほかの方もWikipediaというツールがあっても、熟読はしない方が多いのでしょうか。meta-wiki内で意見を言わないとWMFに届かないのならば、なんのためにwikipediaは言語ごとに分かれているのでしょうか。機械翻訳で読めるのならば、読んでくださいと思います。以上、余計な口出しだと思いますが、書きたいよりも読みたい、知らせたいより知りたい、と思っている私個人の感想なので、読み流して下さっても大丈夫です。--温厚知新(会話) 2022年6月11日 (土) 06:02 (UTC)
- @温厚知新様、おっしゃる通りです。日本語コミュニティに限らず、同じようなご批判は各言語から寄せられています。だからといって放置はできず、中央集権で解決することはウィキメディアの理念に反するので世界中の利用者から知恵を集めようとしています。--YShibata (WMF)(会話) 2022年6月13日 (月) 11:43 (UTC)
- お返事を頂き、ありがとうございます。世界中から知恵を集めようとしていることは、感じることが出来ます。IP編集のアンケートなども、その一環であろうと思っています。せめて日本語で話が出来るよう、日本語でのローカルミーティングをして下さっているのだと思っています。お知らせが過去ログに埋まっているので、言える機会を見つけられない方もいるのではないでしょうか。(返信は不要です。この返信コメントの修正・削除などはお任せします。)
情報 次回のミーティングは YShibata (WMF)/UCoCミーティング/20220617 です。--温厚知新(会話) 2022年6月14日 (火) 12:08 (UTC) 過日に因り、削除線を付けました。--温厚知新(会話) 2022年6月18日 (土) 14:02 (UTC)
- @温厚知新様、おっしゃる通りです。日本語コミュニティに限らず、同じようなご批判は各言語から寄せられています。だからといって放置はできず、中央集権で解決することはウィキメディアの理念に反するので世界中の利用者から知恵を集めようとしています。--YShibata (WMF)(会話) 2022年6月13日 (月) 11:43 (UTC)
英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能か
千羽鶴#海外の鶴に対するイメージをツル#人間との関係に移行している作業を行っているのですが、移行作業中に改めて記事の内容を確認した際に、千羽鶴#ソビエト連邦などに鶴 (歌)の出だしの翻訳があるのが改めて気になったので質問させていただきます。この曲はen:Zhuravliのように英語版ウィキペディアなどでは出だしの翻訳等が記載されているのですが、日本語版ウィキペディアでは歌詞の翻訳や、出だしの翻訳は記載可能でしょうか?--MawaruNeko(会話) 2022年6月8日 (水) 16:21 (UTC)
すみません、自分でも質問をよく説明できていなかったので整理しました。
- 他言語版だとフェアユースが認められる可能性など、jawpと運用が異なるため、他言語版に歌詞が載っているからといって、著作権の有無を確認せずに、それをjawpに転載してはいけない、という認識で正しいでしょうか?
- 今回の『鶴』の場合も、作詞者ラスール・ガムザートフが亡くなってから70年経っていないので、jawpでは著作権の保護の対象内、という認識で正しいでしょうか?
- 著作権で保護される歌詞は、(著者の許可があるなど特別な場合を除いて)引用以外の方式でjawpに歌詞を記入してはならない、という認識ですが、歌詞の(編集者による)翻訳も記入してはならないのでしょうか?
- 歌詞以外の記事の内容が十分に多く、記事の説明の都合上、歌詞の必要性が特に高い場合に限って、Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針に従い、最低限の歌詞を引用し、その翻訳を提示することができる、という認識で正しいでしょうか?
- 歌詞の概略の説明であれば記入してもよい、という認識で正しいでしょうか?
- (追加) WP:NOTLYRICS、WP:COPYLINKでは、著作権が保護されている歌詞を記載しているWebサイトにリンクしないように、とありますが、リンク先が分量・内容・形式などで、歌詞を「引用」しているとみなせる場合は、リンクしても大丈夫でしょうか?
よろしくお願いいたします。--MawaruNeko(会話) 2022年6月10日 (金) 15:12 (UTC)
- こちらの著作権と引用の5条件! 動画や歌詞を掲載する場合の注意点とは?を見た限りでは、冒頭だけですので、歌詞も著作権法の引用における「主従」を満たせば引用可能と考えます。ノート:千羽鶴では長い議論になっていますが、この提議が、何としてでもウクライナでは鶴に死を想起させる用法がある事を除き去りたいという意図ではないと願うばかりです。--道知辺(会話) 2022年6月12日 (日) 16:54 (UTC)
- コメント 以下は私が認識している著作権の見解を述べます。他の方のコメントとは異なることを述べることがあります。また、私は著作権の専門家ではありませんのでご了承ください。
- 1については著作権は必ず確認した方がいいでしょう。他言語版での記述が著作者侵害の虞が無いとは言い切れません。
- 2は端的に言うとその認識で正しいでしょう。翻訳物は二次的著作物と言い、原典とは別の権利が認められていますが、創作の際には原典の著作者に許諾を得る必要があります[4]。また、ロシア連邦の著作権の保護期間は著作者死亡から70年間です[5]。作詞者ラスール・ガムザートフさんは2003年に亡くなっているため、2073年まで保護されています。つまり、著作者が権利を放棄している場合、原典の著作者の許諾がある場合を除いて、日本語の翻訳物でも日本語版ウィキペディアには2073年まで記述できないことになります。また、日本語版ウィキペディアのサーバはアメリカ合衆国にありますので、アメリカ合衆国の法令にも従う必要があることも留意しなければなりません(Wikipedia:アメリカ合衆国以外の国と地域で公表された著作物の著作権について)。
- 3については翻訳でも歌詞は記入してはいけません。理由は2と同様です。
- 4はその認識で正しいでしょう。なお、千羽鶴#ソビエト連邦に書かれている日本語訳ですが、節の記述のほとんどを占めていて、歌詞を記述する必然性が低く、1番の半分ほどを書いている(これは冒頭のみではないでしょう)ところを見るに、正当な引用であると言うには微妙ではないかと思っています。千羽鶴#ロシア連邦も同様です。
- 5は歌詞を解説したものであれば問題ないでしょう。
- 6はそれで大丈夫だと思います。ただしそのリンクするサイトがWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#日本の著作権法に書かれている7つの要件をすべて満たしていることを確認する必要があります。
- 長くなりましたが以上です。--鐵の時代(会話) 2022年6月13日 (月) 12:32 (UTC)
- 返信 まず、自分の中で混乱があって、最初の質問が変なものになってしまい、分かりにくいタイトルになったことについてお詫び申し上げます。
- 移行作業中に、当該節に歌詞があるのが気になり、jawpでは歌詞の記載にかなり慎重だったという記憶があったので、移行する前に井戸端で歌詞の翻訳の記載について確認しておきたかったというのが本件で質問させていただいた経緯となります。
- 返信 (道知辺さん宛) 移行作業前に記事を読んだときは、ご指摘の通り引用と言えるのではないかと思ったのですが、移行作業で改めて読み返したときに、
「歌詞」のように、...(中略)...比較的短い著作物を引用する場合は、特に慎重にならなければなりません。
(Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#「引用の要件」以外に注意すべきことより引用)や尚、引用については法的に正当なものであってもウィキペディアにおいて認められるとは必ずしも言えません。
(Wikipedia:著作権#他人の著作物を使うときより引用)が気になり、さらに過去の議論では、Wikipedia:井戸端/過去ログ/2004年5月#歌詞を載せずに歌詞の特徴に触れたいやWikipedia‐ノート:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針 oldid=36548811#歌詞について、同oldid=36548811#引用の必然性に関する判例の有無についてなどが気になり、さらに自分の中でも混乱があって、結局歌詞の引用の可否がよく分からなくなったというのが本件となります。- なお、今回の歌はウクライナではなくロシアの歌ですが、ツル#鶴_(歌)に「戦場で命を散らした兵士たちが白い鶴に姿を変えたという内容」と、概略の形できちんと記載(移行)させていただいておりますので、ご安心いただければと思います。
- 返信 (鐵の時代さん宛) 感謝 ご丁寧にありがとうございます。とても分かりやすい解説でした。特に4と5に関しては、要約引用の問題から、歌詞の概略よりも、きちんと歌詞を引用した方が安全ではないかという考えもよぎったため、他の方の意見が聞けて良かったです。--MawaruNeko(会話) 2022年6月13日 (月) 14:35 (UTC)
返信 MawaruNekoさんとは千羽鶴をめぐり果てしない議論をしなければいけなくなっていて正直、苦痛ですし明日も仕事なので取り急ぎ、英語の歌詞を引用するのはまずい、といったお二方の意見が現実の日本社会では通用しそうにない、という実例を紹介します。式辞に歌詞使用、著作権料を請求 京大HP掲載でJASRACだったものが結局、ボブ・ディランの歌詞掲載となりました。平成29年度学部入学式 式辞を見ますと、ボブ・ディランの歌詞が合計、10行引用されています。風に吹かれて (ボブ・ディランの曲)の記事の下部に張られているリンクから歌詞を見ると、曲は3番まであって、1番あたり8行です。学長は歌の順番通りに式辞で引用したわけではありませんが、分量的には1番全部と、さらに1/4程を引用したことになります。行数で計算すると、全曲の41.6%になります。
いっぽう私が英語版から訳したru:Журавли (песня)ですが、歌詞のリンクは、張ってないようですが、av:ХъахӀал къункъраби#ХІужжабиにはリンクが張ってありまして、全体で24行ですね。そのうちの4行を訳しましたから、全曲の16.7%になります。JASRACが引用と認めた京大の式辞に比べると、私が曲から引用した割合はずっと低いです。
鐵の時代さんは「歌詞を記述する必然性が低く」とのご意見ですが、京大の式辞を見ますと、常識にとらわれない自由な発想について演説する場面でボブディランの歌を引用していますが、常識にとらわれない自由な発想について演説するのであれば「歌詞を記述する必然性は皆無」ですね。ボブディランの曲を引き合いに出さずとも説明可能ですから。それでも、JASRACは、いったんは著作料を求めたものの、後に引用であると認めました。鐵の時代さんやMawaruNekoさんは、”JASRACは権利請求できた筈のものを、著作権を知らず専門家も居ないから誤判断したのだ”とでも主張なさいますか? 私は、JASRACは鐵の時代さんやMawaruNekoさんと違い、著作権はプロだと思いますが、ご異論がありますか? JASRAC以上にプロだと言うなら、その証明を求めます。
oldid=36548811#引用の必然性に関する判例の有無についてを見まして、先人達が積み上げてきたのが今のWikipediaなんだなと思いましたが、後進として、時代に合わせて内容をアップデートすべきではないでしょうか。現在では、必然性は絶対条件ではなくなっています。中山信弘『著作権法』第3版 p.403 及びその前後をご覧ください。読んで理解する気が無いのでしたら、必然性の議論をしても無駄ですので、これ以上は述べません。
矛盾しているかのような主張ですが、アヴァル語やロシア語の『鶴』の歌詞には、兵士が死ぬと鶴になるという考えがあることを説明するのに、必要不可欠と思われますが、お二人揃って必然性がないと主張するのは不思議ですね。歌詞を全く引用しないで、どうやって歌詞に兵士が死ぬと鶴になるという考えがあると示せるというのでしょうか。
さて、やっと本題です。最初、著作権上の問題があるというなら、削除依頼なり、著作権の調査依頼をする場所に提起すべきで「なぜあえて井戸端に?」と疑問だったのですが、なんとなく
- これは質問の体裁を取っているが、実際には質問ではない。
- 米国のフェアユースを訳せば著作権侵害だ、という主張がしたいようだ。あまり見かけない主張ではないか。(日米露ともベルヌ条約加盟国な筈だから日本では日本の著作権だけを考えればいい筈)
- 私が鶴 (歌)に転記する事をノートで提案していたので、歌詞を鶴 (歌)に載せないようにするのが本当の目的だろう。
- 削除依頼には出せないのだろう。存続となると困るから。
- 著作権問題調査依頼に出さないのも、ここだと著作権を知っている人が見やすいし、侵害だと思うなら削除依頼に出すように言われるので、それも避けたいようだ。
あたりは、ノート:千羽鶴における非常に長い議論の末にパターンが読めるようになっていたのですが、でもあえて井戸端に出した理由そのものはわからなかったのですが、
- ツル#鶴_(歌)に「戦場で命を散らした兵士たちが白い鶴に姿を変えたという内容」と、概略の形できちんと記載(移行)させていただいておりますので、ご安心いただければと思います。
を見て「これか!」と思い、また、ツル#鶴_(歌)で、
スラブ文化で死者がツルなどの渡り鳥に姿を変えるという伝承に基づいて、戦場で命を散らした兵士たちが白い鶴に姿を変えた
のように、完全に無出典で書かれていたので「やはりそうか!」と思いました。ウクライナ語の鶴の歌に関し、Wikipedia:井戸端/subj/YouTubeなどの動画はどれくらいの範囲の出典になるかで、出典の厳密性を厳しく追求しているMawaruNekoさんが、自分はロシア語の鶴の歌に、無出典で兵が死ぬと鶴になる旨を書く事はあり得ず、これは最初からの「作戦」で、いずれ無出典だからと消すための布石だなと。歌詞が引用できなければ、無出典ですから。
フェアユースのくだりも、正面から論じるのではなく、歴史修正主義が好んで使うような、著作権的にまずいのではないか、との疑念を抱かせ、削除依頼で白黒はっきりさせるのは避けつつ、しかし歌詞をツル#鶴_(歌)に転記させるのは阻止する、という目的でしょうね。著作権的に問題があると指摘するなら、「匂わせ」ではなく、削除依頼に出して白黒はっきりさせるべきでは? --道知辺(会話) 2022年6月18日 (土) 13:11 (UTC)
尚、引用については法的に正当なものであってもウィキペディアにおいて認められるとは必ずしも言えません。
(Wikipedia:著作権#他人の著作物を使うときより引用)とすでに述べた通り、ウィキペディアは著作権法で規定されたルールよりも厳しめに引用の要件を設けています。JASRACが請求しなかったからとか中山信弘先生の本で必然性が絶対条件じゃなくなったから、引用は(日本の著作権)法的に正当なものであるということまでは言えますが、だからといってウィキペディアにおいて認められるとは必ずしも言えません。さらに、歌詞はそこでも明言されている通り、特に取り扱いに慎重になるべきものです。- Wikipediaの場合、単に内容を発信するだけでなく、内容をGFDLで配布するということになっていますので、予防法務的に、「こんなケースもあったから大丈夫、ギリギリを攻めよう」ではなく、ある程度の安全バッファを持っておくのは非常識的な行動ではないと思います。
- 日本の著作権法的に、必然性が絶対条件じゃなくなっており、ある程度必然性に拘束されずに引用したいのであれば、まず行うべきはWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針の変更の提案でしょう。この試験段階の方針に「必然性」が必要だと書いてあるのに、中山先生が日本語版Wikipediaの法務担当者であるというならば別ですが、仮に中山先生の本に必然性は絶対条件じゃないと書いてあったところで、直ちに日本語版Wikipediaでの引用の要件に必然性は絶対条件じゃないというのは論理の飛躍に思えます。
- 道知辺さんが「なんとなく」の後ろに書かれた5項目の箇条書きに関して
- 1つ目: 違います。御覧の通り質問です。
- 2つ目: 語弊があるので明確にすると、「著作物Aを、米国でフェアユースによりAの作者に無断で著作物Bに含め、(Bの作者の許可だけ取って)そのBをAを含んだままAの作者に無断で日本向けに日本語訳すると、日本の著作権法違反になりうる場合がある」という話であればそれは同意します。なお、上で自分が述べたのはさらに限定がかかっていて、「英語版Wikipediaでは(本当に向こうの方針で認められているのかどうかは知りませんが)フェアユースで記載可能な記述が含まれている可能性があるから、それをそのまま著作権などを確認せずに日本語版Wikipediaに翻訳転載すると、日本語版Wikipediaの方針に違反する可能性がある(か?)」という話です。
- 3つ目: 歌詞は日本語版Wikipediaの引用の要件を満たすかどうか疑義があるため、「本当の目的だろう。」というところは否認しますが、日本語版Wikipediaの引用の要件を満たさない形で歌詞を鶴 (歌)に載せようというのであれば反対します。
- 4つ目: 削除依頼を出さないのは、ノート:千羽鶴#2022/06/09の転記作業についてに書いた通り、「違反状態が軽微であると認められる場合」に該当するのではないかと考えているからです。
- 5つ目: 著作権問題調査依頼には出すことを考えていませんでしたが、なんなら出しますか?
- ツル#鶴_(歌)が無出典状態なのは、道知辺さんが千羽鶴#ソビエト連邦千羽鶴#ロシアを無出典で書かれたのを移行したからですね。MawaruNekoは「2022年6月7日 (火) 15:56 (UTC) = 2022年6月8日 (水) 00:56 (JST)までに反対がなければ、転記作業を始めたいと思います。」差分と予告して、MawaruNekoが移行作業を始めたのは2022-06-08T13:59:03Z(Special:Diff/89781560/89916816)だったわけですが、2022-06-08T13:59:03Zに「ソビエト連邦」と「ロシア」は移行しておらず2022-06-08T14:52:14Zに道知辺さんが「「ソビエト連邦」と「ロシア」は鶴 (歌)に移すべきと思います。」差分と発言されたとはいえ、既に移行作業の途中だったわけで、2022-06-08T15:59:00Zに当該節を無出典でツルに移したわけです。これを消すための「作戦」呼ばわりされるのはあまり快いものではないですね。
- あと、「Wikipedia:井戸端/subj/YouTubeなどの動画はどれくらいの範囲の出典になるかで、出典の厳密性を厳しく追求しているMawaruNekoさん」とありますが、そうなのですか?ノート:千羽鶴にも書いた通り、そのWikipedia:井戸端/subj/YouTubeなどの動画はどれくらいの範囲の出典になるかで、道知辺さんが「YouTubeは出典にならない」(差分)とおっしゃるのに対して、「道知辺さんの書かれた節が無出典とならないよう、最大限動画を出典として解釈させていただいた」と書いたMawaruNekoの方がルーズに見えますが?
そんなことより、道知辺さんは--MawaruNeko(会話) 2022年6月18日 (土) 15:42 (UTC) --MawaruNeko(会話) 2022年6月21日 (火) 13:04 (UTC) 打消し線いっぽう私が英語版から訳したru:Журавли (песня)ですが
(差分)とおっしゃっていますが、英語版ウェキペディアのen:Zhuravliに記述された、英語に翻訳された歌詞を、さらに日本語版ウェキペディアに翻訳して記述されたのでしょうか?また、範囲は、ラスール・ガムザートフの原詩と、ロシア語の詩両方でしょうか?当該の歌詞が書かれた差分の要約欄は「改定」だけとなっておりますが。
(補足) 質問 道知辺さんの--MawaruNeko(会話) 2022年6月18日 (土) 15:56 (UTC) --MawaruNeko(会話) 2022年6月21日 (火) 13:04 (UTC) 打消し線いっぽう私が英語版から訳したru:Журавли (песня)ですが
(差分)について、この2つは大きな違いがあるのですが、当該記事の2つの歌詞は、「英語版ウィキペディアの翻訳を参考にして、道知辺さんが元の歌詞から翻訳した」のでしょうか?それとも「英語版ウィキペディアの翻訳をさらに翻訳した」のでしょうか?- 当該の版より前のこちらの差分の要約に記載されていらっしゃいましたね。失礼いたしました。具体的な歌詞の内容についての議論がありますので、それはノート:千羽鶴#『鶴』の歌詞についてに書かせていただきます。 --MawaruNeko(会話) 2022年6月21日 (火) 13:04 (UTC)
- 歌詞を追加された方は「現実の日本社会で通用」するかしないかを論じられていますが、ここはあくまでWikipediaなので、Wikipedia内のルールに従うのが一番だと思います。日本語版Wikipedia(以下jawp)では、著作権侵害やプライバシー侵害の理由(WP:DP#B)で削除依頼が出された場合、侵害の有無が微妙なラインだと、「安全側に倒して削除」という結論に至ることが往々にしてあります。今回の場合も著作権の保護期間だと考えられ、また、引用の必要性が無いという意見が多数を占めるのであれば、削除という結論に至ろうかと思料します。なお、質問者様が敢えて削除依頼や著作権問題調査依頼に提出せず井戸端で質問なさったのは善意に取って考えると、まず広く意見を聞いてからアウトな様なら依頼に出そう、という思考だと私は思います。それを、自分の編集が削除されるかも知れないと言う疑念からとは言え、「歴史修正主義」などと言う少々過激な言葉まで持ち出して悪意に取るのは、共同作業で記事を作り上げるjawpには少し向いていないんじゃないかと考えます。--121.80.100.149 2022年6月24日 (金) 20:24 (UTC)
- なんだか、121.80.100.149 さんは、MawaruNeko さんとおしゃる事が似ていますね。急にこの議論に参加なさるのもちょっと不思議ですし、MawaruNeko さんの全面擁護をなさっているのはともかく、Wikipedia:善意にとるを、
- Youtubeの動画を出典として使用しようとされているのではないかと善意に解釈してこの質問をさせていただいた
- と、6月13日にWikipedia:井戸端/subj/YouTubeなどの動画はどれくらいの範囲の出典になるかでMawaruNeko さんが異口同音におっしゃっているのが、とても印象的です。議論相手に「善意に取れ!」と言いながら話をする人は、珍しいので。申し上げにくいですが、MawaruNeko さんにおかれましては、発言内容が善意に摂られるような編集行動を心がけていただく他に無いかと思います。
- まず、大きな間違いから指摘しますが
- Wikipediaの場合、単に内容を発信するだけでなく、内容をGFDLで配布するということになっています
- かなり根本的かつ致命的な所から間違っていますね。この一言で「ああ、この人まるで理解してないな」と言わざるを得ません。GFDLなのは、Wikipediaの執筆者が自ら書いた文面です。例えば千羽鶴には
- 西村博之(中略)「無駄な行為をして、良い事をした気分になるのは恥ずかしい事である」
- と、西村博之氏の発言を引用していますが、もし「GFDLで配布する」というのが正しければ、自由に西村博之氏の発言を改変できるわけです。ところがそれだと引用の条件を満たさなくなってしまい著作権侵害ですね。よって、「GFDLで配布する」ことができなくなるので西村博之氏の発言を引用している箇所は削除しなければいけなくなる、というおかしな事になります。
間違っている理由まで説明しないといけないですかね。Wikipedia:削除の方針#削除対象になるものに記載の内容を抜粋しますが- 削除されるものの例:
- 著作者本人が GFDLとCC BY-SA 3.0のデュアルライセンス での配布に同意している場合や、同ライセンスの条件下で再利用可能なもの(パブリック・ドメインのものなど)等は除きます。
- 引用が著作権法の要件を満たしていないもの。
- 削除されるものの例:
- とあるように、Wikipediaの記事は「GFDLとCC BY-SA 3.0のデュアルライセンス」および「著作物の引用」で構成されています。著作物の引用は、GFDLでもCC BY-SAでもありません。なんでこんな説明からしないといけないような大勘違いな人が判断するのかな、と思います。申し訳ありませんが、著作権が解っていないことが解っていない人と井戸端で議論しても、キリがないですね。私には果てしなく時間を割いてあなたを無償で著作権のコーチをする責任はありませんから。
- 「歴史修正主義」などと言う少々過激な言葉まで持ち出して悪意に取るのは、共同作業で記事を作り上げるjawpには少し向いていないんじゃないかと考えます。--121.80.100.149 2022年6月24日
- では「出典偽装」と読み替えてください。ところで上記のセリフ、「121.80.100.149 は MawaruNekoです」と言っているに等しいですね。見事に「代弁」している、しかも、MawaruNeko さんのアカウントで言ってしまうと問題になるので言えないWikipedia撤退要求。いかにも「本音が現れた」感があります。これで「善意に取れ!」ですか。
- 前置きが長くなりましたが、MawaruNeko さん。結局、歌詞の引用は
- 米国のフェアユースで提供されている内容を翻訳する場合です。あなたは
- 「著作物Aを、米国でフェアユースによりAの作者に無断で著作物Bに含め、(Bの作者の許可だけ取って)そのBをAを含んだままAの作者に無断で日本向けに日本語訳すると、日本の著作権法違反になりうる場合がある」という話であればそれは同意します。
- とのご主張ですが、要するに、原著作者に許可を取らねば駄目だと主張している、でよろしいですか?
- 引用の条件も満たさないから削除した、でよろしいですか?
- 以上2点、回答をお願いします。上記2点にきちんとお答えいただけず、はぐらかすような議論をなさった場合は、回答拒否&著作権上の侵害は無いのに削除したものと判断させていただきます。--道知辺(会話) 2022年6月25日 (土) 13:54 (UTC)
- ここ数日リアルが忙しくて、さらに図書館に中山先生の本を確認しに行ったりとかでなかなか筆が追い付かず申し訳ないです。
- 返信 (121.80.100.149さん宛) コメントありがとうございます。削除依頼などを出さなかったのは、歌詞の引用が適切か適切でないか判断がつかなかったため、おっしゃるように、広く意見を聞きたかったというのが意図となります。そのうえで、ノート:千羽鶴#2022/06/09の転記作業についてに書きましたが、(判断がつかないというのはあるものの)「違反状態が軽微であると認められる場合」に該当するのではないかと考えております(これに関しては、認識が甘いとお叱りを受けるかもしれませんが)。
- 中山信弘『著作権法』第3版(2020年) p.403での必然性の解説について
- 「中山信弘『著作権法』第3版 p.403 及びその前後をご覧ください」とのことでしたので、図書館で確認してきましたが、中山信弘 著「著作権法 第3版」(2020年) P.403-404の必然性に関する説明では、適法引用の要件の加重的要件として必然性(・必要性)と範囲の必要最低限性を挙げている説としてP.403注122で著作権法令研究会、通商産業省知的財産政策室 編「著作権法・不正競争防止法改正解説」(1999年) , 金井重彦、小倉秀夫 編著「著作権法コンメンタール〈上巻〉」(2002年)、ある場合の必要最低限性として加戸守行 著「著作権法逐条講義 〈六訂新版〉」(2013年)があるとした上で、注123で必然性を主観的として判断基準から外した藤田嗣治事件・範囲の必要最低限性を否定した脱ゴーマニズム宣言事件を挙げて、
基本的にはこのように厳格な解釈をすること自体が不当と思える
(P.403より引用)と述べてこれらの加重的要件自体を不当とし、さらに、これらの加重的要件が引用に対する不必要な抑圧につながったり、表現の自由の萎縮を招きうると批判しています。そのうえで、これらの加重的要件はこれらの加重的要件の「正当な範囲内」または「公正な慣行」の問題として処理すべきであるとし、その根拠としてP.404注124で南国文学ノート事件、注125で作花文雄 著「詳解 著作権法 (第5版)」(2018年) 、三山裕三 著「著作権法詳説 [第10版]」(2016年) 、脱ゴーマニズム宣言事件を挙げています。 - この説明の後段で、南国文学ノート事件が挙げられているように、中山先生は必要性の類を完全に否定しているわけではなく、引用するものの属する分野において、「正当な範囲内」・「公正な慣行」に照らして、目的に沿った量・内容かどうかは考慮する必要がるというようにも読めます。(第2版ですが、こちらの③も参照)。中山先生の説に従った場合は、Wikipediaの記事は「ネットワーク上の百科事典」であり、新しい研究の場でもエッセイでも演説でもアドボカシーでもない(WP:NOT)ため、Wikipediaとしての引用の「正当な範囲内」・「公正な慣行」がどのような引用の仕方を要求するかが問題となってきます。これについては後述します。
- 加えて言うなら、中山信弘『著作権法』第3版 P.406-409で要約引用を詳説していますが、要約引用はできないとする学説が多いとしたうえで、必要性の観点や実際の判例、現実に社会で広く行われていることを挙げて、要約引用が認めてしかるべきと主張しています。WP:QUOTE#引用の要件の「8. 被引用文を改変しないこと」では、脚注13で2007年版(こちらの内容は確認していませんが、こちらのP.59(16)では、中山2007は要約引用を肯定しているとしています)を挙げているように、少し古いとはいえこの内容は読んでいるはずですから、中山先生のご主張を直ちには採用していないように思えます。
- また、法学の常なのでしょうが、上記の必然性が要件かどうかや要約引用について説が分かれているように、法学者の統一的見解がない場合は少なくなく(他の例として棋譜の著作物性などもあります)、予防法務的にある程度安全にWikipediaを運営しようとした場合は、複数の書籍をもとに方針を策定するのが重要であり、実際WP:QUOTEでは複数の参考文献が掲載されています。当然ですが、極端に安全側に倒しすぎれば、Wikipediaの記事にほとんど何も書けなくなってしまう恐れもあるため、コミュニティとして、これは安全側に倒そう、あれは許そうというリスク管理についての合意が大切になってくるわけです。今回の場合であれば、例えば必然性を要件として挙げている加戸先生らの説をどう扱うかもある程度の合意が必要と思われます。
- さて、Wikipediaとしての引用の「正当な範囲内」・「公正な慣行」についてですが、MawaruNekoが見つけた範囲では、(判例ではないですが)Wikipedia:削除依頼/独島20200814とWikipedia:削除依頼/あさくさ物語が好対照なのではないかと思います。前者はSpecial:Diff/79704069/79934892 ProfessorPineさんの意見が分かりやすく、今回の議論に即してまとめるなら、「数単語のみ抜き出した場合、解説が難しくなるか」(2)と「出典付きの説明で、引用されるものが説明上必要か」(4)が要件であるといえるのではないかと思います。(自分の1の答えも解説されていましたね)。一方でWikipedia:削除依頼/あさくさ物語では、引用以外の記事の内容が主観的なエッセイ的内容で、Wikipediaに掲載する必要性が低いことから、必然性が低いと判断され、削除対応となったように見えます。(もちろん、削除された内容は確認できないので、どれくらい主観的な内容だったのかなどは確かめようがないですが)。この2件を比較した結果としては、Wikipediaの方針やガイドラインに沿って、信頼できる出典付きの解説を書く上で対象を引用する必要がある場合はOK、逆に内容が主観的/エッセイ的な場合はNGといえるではないかと思っており、さらにその中間の、出典がついていないが正しそうな記述で歌詞が引用されている場合はグレーゾーンに当たるのではないかと思います。歌詞を記載することは感情的な訴求力が高いため、エッセイ・演説・アドボカシーなどの場合は、その訴求力が必要になってくる場合がありますが、Wikipediaは基本的には信頼できる二次資料に基づいて執筆されるべきである(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)ため、Wikipediaの記事そのものに感情的訴求力はあまり必要なく、二次資料(場合によっては一次資料)に基づく解説を書くのに感情的訴求力を入れるのが必要な場合に限ってそのようなケースがOKとなるのではないかと思います。
- また、百科事典としての引用の「正当な範囲内」・「公正な慣行」を援用する場合にも、MawaruNekoが知る範囲では、著作権が残っている範囲の著作権の引用は、解説に必要な形での引用が多いのではないかと思います。とはいえ、MawaruNekoはそこまで百科事典を見るわけでもないので、百科事典における引用で、このような事例があったというようなものがあれば、是非教えて頂ければと思います。
- いずれにしても、引用の要件の必然性をどうするかについては、コミュニティの合意が重要なのではないかと思います。
- 中山2020での引用の量的な話について
- 中山2020 P.399 ②では、引用できる範囲について、単に量を見ればいいのではなく、質の面や、目的の面も、その範囲の考慮に入れるべきであるとしています。本件に関して言えば、京大総長がボブ・ディランの歌を引用した件は、目的が入学式の式辞であり、その性質上、入学生と共に考えさせるような構成にする必要があり、またある程度の感情的訴求力も必要となることから、JASRAC側が適法な引用と認めた可能性があります。『鶴』に関しては、単にそのモチーフを言いたい場合は、そのモチーフに関連する部分のみを切り出すことができないかという議論が出てくるかもしれませんし、逆に例えば『鶴』の詩がガムザトフの原詩からベルネスの歌になるまでの歌詞の変遷を出典付きで解説する場合は、ボブ・ディランの歌を引用した件よりも広い範囲が引用として認められる可能性もあります。中山2020の説に従うのであれば、単純に全曲に対する引用した部分のパーセンテージを比較すればよいという話ではないように読めます。(ただしこれは日本の著作権法の話であって、アメリカの著作権法がどうなっているかは追加して確認する必要があります)
- GFDLの件について
- 現在はWikipediaのライセンスはGFDL単独ではなく、CC BY-SAとGFDLのデュアルライセンス(「フリーライセンス」)だというのはその通りです。なお、MawaruNekoは、被引用部分までGFDLもといフリーライセンスで勝手に改変が許されるようになると述べているわけではありません。WP:QUOTEの過去の議論の過程である、oldid=43929891#引用とGFDLの関係について言及したつもりです。現在この内容は、WP:QUOTE#「引用の要件」以外に注意すべきことの1とWP:QUOTE#改変を許諾するフリーライセンスと引用の関係に反映されていますが、議論の経過をたどるのであれば、単に箇条書きにとどまらず、将来的に加筆が行われた時に、引用の要件が危うくなるような編集を誘発するような構成は避けましょうという話であるように読めます。議論としては、oldid=36548811#質問で、Swindさんが2007年5月9日 (水) 07:36 (UTC)の投稿で、
「引用」の要件を満たしていれば、歌詞でも台詞でも(略)引用することが可能です。(略)ただ、引用の要件はなかなか厳しいものがありますし、後の編集によって要件が満たされなくなってしまう可能性を考慮すると、引用は極力避けたほうが良いのではないかと思います。
(こちらより引用)と述べられています。
- 「米国のフェアユースで提供されている内容を翻訳する場合...原著作者に許可を取らねば駄目だと主張している、でよろしいですか?」について
- いいえ、違います。「原著作者に許可を取」ることは、著作権法違反にならないための十分条件ではありますが、必要条件ではないですし、そのように申し上げておりません。最後に「場合がある」をつけております。(より正確な言い方をするならば、「作者」「原著作者」ではなく「著作権の保有者」ではないかとか、ライセンスする権利をライセンスする場合もあるのではないかという話もありますが、ここでは簡単のために「原著作者」としておきます)
- 中山2020 P.494-495では、注281の前後に、日本でのフェアユース法理の否定の解説があります。例えば、絵画鑑定書事件の地裁判決では、アメリカにフェアユース法理があっても、日本にはそのような規定はないからと同法理を否定しています。(同事件は知財高裁で、引用の概念を拡張してセーフになっており、注282で重要であるとされています)中山2020は、フェアユースを早急に導入すべきであるとは主張されてはいますが、フェアユースを認めたに近い判決が多いとは言っても、フェアユース法理が日本にあるとは認めていません。
- 米国のフェアユースである程度セーフなのに対し、日本でグレーゾーンな例としてはパロディが挙げられます(中山2020 P.503-511、日本の場合はパロディ・モンタージュ写真事件の最高裁判決の影響が大きい)。単純に述べるなら、米国では作者の許可なく合法的にパロディを発表できた場合でも、日本向けにそれを(パロディ作成者の引用という形ではなく、そのものとして)出すと、グレーゾーンになる場合があるのではないかと思います。
- 「引用の条件も満たさないから削除した、でよろしいですか?」
- 「削除した」は、「千羽鶴」の記事から「ツル」の記事への移行作業で、歌詞を移行しなかったことを指すものと推察しますが、その理由は「引用の条件も満たさないから」ではなく、「引用の条件を満たすかどうか判断がつかなかったから」です。そのために井戸端にこの質問を掲載して意見を募集し、引用の条件を満たしそうという意見が多ければ、歌詞を移行する予定でした。もし仮に「引用の条件も満たさない」と考えていたならば、井戸端に質問を出すのではなく、削除依頼を出すか、著作権問題調査依頼を出しています。なお説明の必要はないかもしれませんが、ページの削除や版の削除は一般ユーザであるMawaruNeko が勝手にできる操作ではなく、2022年以降は「千羽鶴」で版の削除は行われていないと思われます。
- 「議論相手に「善意に取れ!」と言いながら話をする人は、珍しいので。」について
- 一般的な議論ではそうかもしれませんが、Wikipedia:善意にとるはWikipediaのガイドラインですので、Wikipedia上の議論でこのガイドラインに触れることはそれほど珍しいものではありません。
- 例えば2021年以降、Wikipedia:善意にとるのガイドラインにリンクもしくは言及しているものとして、軽く検索した範囲ではWikipedia:井戸端/subj/同じ人に何度も書き込みを削除される時の対応方法、Wikipedia:井戸端/subj/突然強めの言い方で指摘されて困っています。、Wikipedia:井戸端/subj/コンテンツ翻訳を使って作成した利用者サブページからのコピペについての質問です。、Wikipedia:井戸端/subj/翻訳による記事乗っ取りへの対処について、Wikipedia:井戸端/subj/精神疾患を持つ利用者が、作業療法としてウィキペディアの編集に携わるのは目的外利用に当たりますか?、Wikipedia:井戸端/subj/リダイレクト6新設提案、Wikipedia:井戸端/subj/ニュースを載せない意味があるのか?_大きな影響があったと確定するまではダメという人がいます、Wikipedia:井戸端/subj/小さいいたずらや稚拙な編集、無言での差し戻しを繰り返すソックパペットへの対応、Wikipedia:井戸端/subj/出典のない駅及び鉄道関連の記述を削除する提案があります。(リンクもしくはガイドラインという形で言及していないものは外しているため、もう少し多いかもしれません)
- 「「121.80.100.149 は MawaruNekoです」と言っているに等しいですね」「出典偽装」について
- おやめください。これらの発言はたとえ善意にとったとしても個人攻撃としか思えません。
- そもそも、Wikipedia:井戸端/subj/YouTubeなどの動画はどれくらいの範囲の出典になるかでMawaruNekoが「善意に解釈」した対象はリンクの解釈であり、121.80.100.149さんが「善意に取って考え」た対象はMawaruNekoが井戸端で質問したことです。なぜこれが異口同音になるのでしょうか?Wikipedia:善意にとるにリンクしているというだけなら、道知辺さんの会話ページでYuukin0248さんもWikipedia:善意にとるにリンク(差分)していらっしゃいますが、Yuukin0248さんや、上記の井戸端でWikipedia:善意にとるにリンクした方々全員が異口同音だとおっしゃるのですか?--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 09:31 (UTC)
- では「出典偽装」はノート:千羽鶴の議論に基づき「出典に基づかない内容」と婉曲表現にさせていただきますが、今度はWikipedia:多重アカウント疑惑ですか。著作権が片付いたら一歩前進とおもいきや、記事の執筆がまた遠のきましたか。では投稿記録を見てみましょう。
- ●MawaruNekoさんの投稿記録 2022年6月26日分
- 2022年6月26日 15:36 +932 Wikipedia:井戸端/subj/YouTubeなどの動画はどれくらいの範囲の出典になるか →YouTubeなどの動画はどれくらいの範囲の出典になるか: 返信 最新 タグ: 議論ツール 返信 ソースモード
- 2022年6月26日 15:18 +1,305 ノート:千羽鶴 →『鶴』の歌詞について: 返信 最新
- 2022年6月26日 14:41 +27 m Wikipedia:コメント依頼 →議_2022年6月: 表現が少し違っておりました。すみません。
- 2022年6月26日 14:22 +138 千羽鶴 →top: Template:コメント依頼を掲載しました 最新
- 2022年6月26日 14:18 +93 Wikipedia:コメント依頼/リスト 議論活性化 +1 最新
- 2022年6月26日 14:13 +384 ノート:千羽鶴 →分割提案: 追記
- 2022年6月26日 14:10 +675 Wikipedia:コメント依頼 →合_2022年6月: -1 → →議_2022年6月: +1.5 同じ記事ですが、議論が進んだため、別件で出します + ぶら下がる形で元の1件を移行します。問題があれば差し戻してください。
- 2022年6月26日 13:57 +2,334 ノート:千羽鶴 →2022-06-15の版からの内容の精査について: MawaruNekoの意見について
- 2022年6月26日 13:21 +388 ノート:千羽鶴 →導入部: 再加筆
- 2022年6月26日 13:15 +1,708 ノート:千羽鶴 →2022-06-15の版からの再加筆の方向性について: → 「2022-06-15の版からの内容の精査について」に変更、各章を追加
- 2022年6月26日 12:58 +781 ノート:千羽鶴 →2022-06-15の版からの再加筆の方向性について: 新しい節 タグ: 議論ツール 新規トピック ソースモード
- 2022年6月26日 12:44 +10,550 ノート:千羽鶴 →分割提案: 返信 タグ: サイズの大幅な増減 議論ツール 返信 ソースモード
- 2022年6月26日 09:31 +18,019 Wikipedia:井戸端/subj/英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能か →英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能か: 返信 最新 タグ: サイズの大幅な増減 議論ツール 返信 ソースモード
- ●121.80.100.149さんの投稿記録 (投稿記録があるのは2022年6月24日のみ)
- 2022年6月24日 23:22 −139 マイケル・ジャクソン (曖昧さ回避) 編集の要約なし 最新 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
- 2022年6月24日 22:44 −7 利用者‐会話:2403:99DD:6FE9:ED00:3176:CE47:1994:2EE5 編集の要約なし 最新 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
- 2022年6月24日 21:58 −8 利用者‐会話:124.154.133.57 編集の要約なし 最新 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
- 2022年6月24日 20:28 +4,306 Wikipedia:井戸端/subj/差し戻す方法にご依頼 白紙化をrv タグ: 手動差し戻し
- 2022年6月24日 20:24 +1,501 Wikipedia:井戸端/subj/英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能か →英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能か
- 2022年6月24日 19:58 −10 戸田真紀子 編集の要約なし 最新
- 2022年6月24日 19:44 +578 ノート:名探偵コナン ハロウィンの花嫁 →フックショットについて: 新しい節 最新 タグ: 議論ツール 新規トピック ソースモード
- 2022年6月24日 19:39 +1,124 Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/受付 →*2022年6月11日 - 15日新規依頼
- 2022年6月24日 19:21 +329 ジョニー・ブラウン (俳優) 編集の要約なし 最新 タグ: Refタグつき記述の除去
- 2022年6月24日 19:09 +548 ヴィクラム・バット 編集の要約なし 最新 タグ: ビジュアルエディター: 中途切替
- ●MawaruNekoさんは2022年6月24日は投稿無し
- ●MawaruNekoさんの投稿記録 2022年6月21日分
- 2022年6月21日 16:53 −69 m ツル →鶴 (歌): 出典の明記をはがします 最新
- 2022年6月21日 16:52 +59 ツル →鶴 (歌): 脚注を編集 (ProveIt使用) タグ: ProveIt
- 2022年6月21日 16:51 +379 ツル →参考文献: 節を追加
- 2022年6月21日 16:50 +5,694 ツル →鶴 (歌): 出典を付けました
- 2022年6月21日 13:59 +1,572 ノート:千羽鶴 →分割提案: 完全転記に賛成 タグ: 議論ツール 返信 ソースモード
- 2022年6月21日 13:44 +2,246 ノート:千羽鶴 →『鶴』の歌詞について: 新しい節 タグ: 議論ツール 新規トピック ソースモード
- 2022年6月21日 13:04 +745 Wikipedia:井戸端/subj/英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能か →英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能か: 質問については自己解決しました。
- 単純に、日付は重なっていないしMawaruNekoさんも121.80.100.149さんも、時間が取れた時に幾つかまとめて投稿を行っていますがが、それだけでは何とも言えません。そこで121.80.100.149さんの投稿記録に注目すると、不審な点が幾つも見つかります。
- 私には何のことやら分からない、難易度の高そうなページの編集を行っている。
- 明らかにベテランで、IPアドレスで出るのはおかしい。「Wikipediaを読んでいたら間違いがあったからそれだけ直そう、アカウント作成は無し」とか「ちょっと記事に書き足したいことがあったから」のような通りすがりの人ではなく、121.80.100.149さんはアカウントを持っている筈。
- ではなぜ、あえてIPで出たかですが、何かの操作ミスでログアウトしてしまって、という理由ではない。ベテランが警告を無視してIPアドレスが10連続で記録された、という事はありえない。とりわけ注目なのは
- 2022年6月24日 (金) 19:09 +548 ヴィクラム・バット 編集の要約なし 最新 タグ: ビジュアルエディター: 中途切替
- ですが、差分を見ると、121.80.100.149さんは
- 「・」をHTMLのbrタグに替えるといった、ソース編集を行っている。
- 「ビジュアルエディター: 中途切替」は、編集に先立ってモードをソースに切り替えたという意味。
- よって、121.80.100.149さんは、6月24日 19:09 かそれ以前に、わざわざログアウトして、編集モードを未登録ユーザーのデフォルトのビジュアルからソースに切り替えて、IPアドレスが記録されますという警告を無視して編集を行った。
- ですから、121.80.100.149さんについては、誰かログインユーザーによるWikipedia:多重アカウントの行為だと確定します。
- 「121.80.100.149さんはなぜ故意にこんな事をしたか」ですが、記述を見ますと、
- MawaruNekoさんと完全に考えることが一致。
- MawaruNekoさんに全面賛成。
- 言っていることがMawaruNekoさんの代弁。
- アカウントでやったらまずい、恫喝とまでは言いいませんが、私に対する、公然とWikipediaからの撤退要求。
- これで「善意に取れ!」とは、特異過ぎ。相手に言うことと自分がやる事が真逆なのは、MawaruNekoさんの特徴。
- いずれにせよ、121.80.100.149さんの記載内容は、一方的にMawaruNekoさんに有利で、私には手厳しい内容になっています。
- それから、MawaruNekoさんはお気づきになっていないようですが、121.80.100.149さんが、何かの工作・謀略目的ではなく、無関係の通りすがりの人だとしたら、ここにコメントを寄せる際に私の会話ページまで見て「善意に取れ!」と言ってWikipediaからの撤退要求までするのはおかしいです。明らかに、121.80.100.149さんは、私のことを良く知っているというより研究までしている人で、恨みを抱いていて、Wikipediaからの撤退せよとまで思っている人です。そこまでの動機がある人は、ノート:千羽鶴 で対立している、MawaruNekoさんしか居ません。--道知辺(会話) 2022年6月29日 (水) 14:46 (UTC)
- 返信 上記の道知辺さんの2022-06-29T14:46:55のご発言は、Wikipediaの方針Wikipedia:礼儀を忘れない、Wikipedia:エチケット、Wikipedia:個人攻撃はしないおよびガイドラインWikipedia:善意にとるを理解したうえで、本気で言っておられますでしょうか?もし一時的に冷静さを欠いて書かれたということでしたら、このご発言を今撤回されるならば、(他のユーザ様は分かりませんが、)少なくともMawaruNekoは、このご発言については、見なかったことにする用意があります。
- 道知辺さんがこのご発言を撤回なさると信じておりますが、もし万が一、本気でMawaruNekoと121.80.100.149さんが同一ユーザで多重アカウントを不正使用しているとおっしゃるならば、コメント依頼を出すべきです。ここは井戸端であり、多重アカウントの不正使用について議論するべき場ではありません。--MawaruNeko(会話) 2022年6月30日 (木) 14:24 (UTC)
- 報告 道知辺さんにより、2022年7月2日に「多重アカウント疑惑、他」として、Wikipedia:コメント依頼/MawaruNekoが提出されました。--MawaruNeko(会話) 2022年7月4日 (月) 13:41 (UTC)
- ここ数日リアルが忙しくて、さらに図書館に中山先生の本を確認しに行ったりとかでなかなか筆が追い付かず申し訳ないです。
- なんだか、121.80.100.149 さんは、MawaruNeko さんとおしゃる事が似ていますね。急にこの議論に参加なさるのもちょっと不思議ですし、MawaruNeko さんの全面擁護をなさっているのはともかく、Wikipedia:善意にとるを、
YouTubeなどの動画はどれくらいの範囲の出典になるか
連続しての投稿失礼します。 同じく千羽鶴の移行作業に関連してなのですが、千羽鶴#ゾーヤ・ジュラウカ作詞の『Журавлі』の節で、現在はYoutubeの動画のリンクで記事の内容がかかれている状態で、明確に出典という形になっていません。このうち2つは作曲者uk:Білоконь Олена Олексіївнаの公式動画と思われる動画と、ウクライナの非営利団体uk:Золотий фонд української естрадиの公式チャンネルと思われる動画となっております。移行作業前にこれを出典の形式にできないかと思い編集しようとしてこの疑問点に当たったのですが、(非公式動画は除去する方針として、)これらの動画を出典にした場合、どれくらいの範囲の記述内容(歌の内容、PVの内容 etc.)の出典になりうるのでしょうか?
また、例えばサクラ#音楽など、主題に関する楽曲を紹介する節がある場合、日本以外の楽曲だと単独記事をたてるのは厳しい場合が多く、重要な楽曲であればその場である程度説明が必要になるかとも思うのですが、どれくらいの範囲まで書くのがよいのでしょうか?つまり、(Wikipedia:特筆性だとWikipedia:独立記事作成の目安にリダイレクトされるのですが、)記事の内容の場合は、どれくらい特筆性が要求されるものなのでしょうか?
参考として、過去の動画の出典に関する議論をリンクします: Wikipedia:井戸端/subj/YouTubeへの外部リンク、Wikipedia:井戸端/subj/Youtubeの動画は一次資料として有効かどうか?、Wikipedia:井戸端/subj/動画を出典とすることができるか?、Wikipedia:井戸端/subj/YouTube系サイトは情報源になるのか、Wikipedia:井戸端/subj/YouTubeなどの動画を出典とするか --MawaruNeko(会話) 2022年6月8日 (水) 16:56 (UTC)
- 『Журавлі』の節を書いたものですが、「YouTubeは出典にならない。あくまで参考」のつもりで書いたので、井戸端で取り上げるのは意外でした。書いた意図ですが、ウクライナ(大使館)に千羽鶴を送ることの是非に関して4月頃に話題になったのを覚えておられますか? その際に、鶴には不吉な意味があるという情報がネットに現れ、それに対しデマだと強硬に否定する情報がネットに流れ、パズル感覚で「調べてみるか」と思った次第です。その結果、鶴には死を想起させる意味で使われている場合があると分かりました。ただ、ウクライナ語の歌詞では大半の日本の読者には理解できず、また、鶴に不吉な意味があるというのを頑強に否定する方も散見し、それで「鶴という表題の曲の動画を見れば分かるだろう」と思った次第です。お時間がありましたら千羽鶴#ゾーヤ・ジュラウカ作詞の『Журавлі』に張られている動画リンクの、5番目の動画が一番、分かりやすいのでご覧ください。私は、さすがにこれを見れば「ウクライナでは鶴に不吉な意味なんか無い!」といった主張は無意味と分かるだろうと思ったのですが、MawaruNekoさんにより、ウクライナで鶴にはいい意味がある、と非常に大量に追記され、挙げ句に、コウノトリは鶴と混同されてきたとして、コウノトリにも良い意味があると長く追記され、記事が3倍ぐらいになって千羽鶴の記事がウクライナの鶴及びコウノトリの記事のようになってしまい、さすがに5/30に[分割提案]させていただきました。ノート:千羽鶴で長い議論になっていますが、噛み合っていません。MawaruNekoさんのこの提議ですが、今までの経緯や議論の推移からは、額面通りというより、出典にならないと議論をまとめて削除し何としてでもウクライナ(あるいは大使館)に千羽鶴を送る事を推進したいという意図が感じられるのですが。--道知辺(会話) 2022年6月12日 (日) 16:34 (UTC)
- 返信 (道知辺さん宛) まずjawpの記事の空間では、Youtubeへのリンクは、出典としてのリンクか、参考としての「外部リンク」かのいずれか(もしくは両方)になるかと思います。当該の節は、7件のYoutubeへのリンクのみがある状態でしたので、Youtubeの動画を出典として使用しようとされているのではないかと善意に解釈してこの質問をさせていただいたというのが経緯となります。
- 7件のYoutubeへのリンクのうち、上記に挙げた3件以外の動画は、公式の動画であることが確認できません。Wikipedia:井戸端/subj/公式アカウントではないyoutube動画を出典として使えるかのように、公式でない動画は、出典としても外部リンクとしても外すべきだと思います。(公式でないと、例えば歌詞を間違って歌っている可能性もあり得ますし、Youtubeは誰でも投稿できるため、極端な例なら「〇〇大学の校歌に卑猥な映像をつけた動画」も投稿できてしまうので、それを元に曲のイメージを語ってしまうと問題が起きかねないわけです。)なお、ノートページなどで、議論のために上げるのであれば、著作権侵害系の動画でない限りは大丈夫なのではないかと思います。
- 「YouTubeは出典にならない」ということですと、残り3件の動画も、出典ではないただの外部リンクという扱いになってしまい、当該の節の記述は出典がない状態ということになりますので、Template:出典の明記を書かせていただくという形になってしまうのですが、それでよろしいでしょうか?
- 残り3件の公式動画を、動画の出典と解釈させていただいた場合は、「この歌は〇〇という内容です。出典はこの動画です」「この歌の公式PVは〇〇という内容です。」という旨の記述が、Wikipedia:検証可能性や特筆性の観点から許容されるかという点を確認する必要があると思います。そもそも動画の出典は、公式のニュース動画などを想定した議論が多いように思えるため、音楽の動画そのものを出典とすることをあまり想定していないのではないかと思うからです。それゆえに、井戸端に本件を質問させていただいたわけです。
- 上記の経緯ですので、自分は「出典にならないと議論をまとめて削除し」ようとしておりませんし、むしろ道知辺さんの書かれた節が無出典とならないよう、最大限動画を出典として解釈させていただいた場合に、本件の質問が発生したわけです。 --MawaruNeko(会話) 2022年6月13日 (月) 15:35 (UTC)
- きちんとした返事が今までできていなかった理由ですが、ゾーヤ・ジュラウカ作詞の『Журавлі』ですが、
- 非営利団体の公式チャンネルと思われる動画
- と書かれているのを元に「公式チャンネルとは何ぞや?」という所から始まり「これでいいのかな?」と思ったものは見つかりましたが、検索窓で「Журавлі」としても、関係ないものばかりヒットして、見つける事が出来ませんでした。
- 1=Журавлі Виконує Олена Білоконь, слова- Зоя Журавка,музика О.Білоконь автор відеоряду- Валерій Самусь
- 2=Олена Білоконь - Журавлі. Слова -Зої Журавки
- 3=Журавлі
- 4=С.Піжицька,Т.Зубрик "Журавлі"-присвята...
- 5=ЖУРАВЛІ Там журавлі летіли клином / Мамо, мамо він крикнув криком журавлиним
- つきましてはMawaruNekoさんの言う「非公式動画」というのは、上記の何番が該当するのか教えていただければ幸いです。--道知辺(会話) 2022年6月26日 (日) 15:13 (UTC)
- 返信 MawaruNekoが「非公式動画」と申し上げたのは、3,4,5の動画です。1,2はuk:Білоконь Олена Олексіївнаさんの公式動画であるように見えます(公式マークはついていないようですが)。3,4,5の動画の投稿者は有名な方なのですか?ウクライナ語版Wikipediaで検索して特にヒットしなかったため、非公式動画ではないかと考えております。有名な方で、Олена Білоконьさんの許諾を受けているのであれば、公式動画として扱うことも可能かもしれません。なお「非営利団体の公式チャンネルと思われる動画」と申し上げたのは、脚注102の動画のことです。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 15:36 (UTC)
- きちんとした返事が今までできていなかった理由ですが、ゾーヤ・ジュラウカ作詞の『Журавлі』ですが、
Wikipedia:ガイドラインの「推奨」はどの程度の効力があるのか
自分なりに調べてみたものの、はっきりとした答えが見付からなかったため、こちらにて質問させてください。
先日「オダウエダ」の記事にて、WP:ELMINやプロジェクト:芸能人#スタイルテンプレートなどで示されている内容をもとに、記事内の記述の整理を行いました(特別:差分/89786198)。すると、別の方がその編集を差し戻し、更にIPユーザーさんが整理した状態に戻したところ、再び同じ方によって差し戻しが行われました。要約欄に差し戻しの理由が書かれていなかったので、会話ページにて尋ねたところ、「ガイドラインであって従う必要は無いと記載があり」という回答がありました(特別:差分/89890049)。
そこで疑問に思ったのですが、ガイドラインは「従う必要は無い」ものなのでしょうか? 「方針とガイドライン#位置づけ」を確認したところ、確かに方針よりは拘束力の低い位置づけではあるようですが、「従う必要は無い」と解釈してしまって良いのだろうかという疑問があります。各ガイドラインの解説ページの冒頭には「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されますが、方針ではありません。」という文言がありますが、この「推奨」というものがどの程度の効力があるものなのか、教えていただければ幸いです。--雪舟(会話) 2022年6月9日 (木) 00:25 (UTC) 一部修正。--雪舟(会話) 2022年6月9日 (木) 01:07 (UTC)
- 拘束力は低いですが、実際のところ方針そのものであると解釈されることが多いかと思われます。特に、プロジェクトで示されている場合それとは異なるスタイルで記述を行うと、書き換えるということが常であるので、ここは郷に入れば郷に従うといいますか、実質方針と同じくらい抗力を有していると思われます。-- 雑用部(会話) 2022年6月9日 (木) 00:35 (UTC)
- 「Wikipedia:方針とガイドライン」の該当項目にもありますが、「多くの利用者に支持されている、最善の方法(ベストプラクティス)を集めたものです。」「常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません」という記述の通りだと思います。
- ガイドラインは方針(特にWP:VやWP:POVのような)のように「すべての利用者が従うべき」とまでは言われていませんが、方針や過去の議論や一般的な常識などを基にして構成されており、基本的に従うべきものと考えてよいと思います(英語版では「all editors should normally follow」(方針)、「editors should attempt to follow」(ガイドライン) のように表現されています)。
- 一方で、ガイドライン (やその他さまざまな合意) は個別の状況に応じて無視しても構いません (それが合理的であったり、記事の改善に資するなどして、合意が取れるのであれば)。ウィキペディアは規則主義ではありません。その意味では、確かに絶対的に従うべきものではありません。過度に遵守しよう/させようとした場合には、それはルールの悪用と呼ばれるでしょう。
- 結論としては「絶対的には従う必要はない」「しかし、従わないことには理由がいる」というのが私の意見です。--Merliborn (会話) 2022年6月9日 (木) 10:09 (UTC)
- 法律の用語で使われている言葉に「努力義務」というのがあるのですが、方針は「義務」、ガイドラインは「努力義務」と考えてよいと思います。もう少しかみ砕くと、方針は「やるべきこと」であり、ガイドラインはすべての編集者に義務を課すのは酷だけど「やったほうがいいこと」「やることが望ましいこと」なので、そうなるように努力してくださいねという解釈ができると思います。個人的には、ガイドラインの効力がどうなのかというのは、考え方として少し違うと思います。
- さて、「ガイドラインであって従う必要は無いと記載があり」の件ですが、ガイドラインは義務ではないのは確かにそうですが、ガイドラインに従って改善を試みた編集を、別の編集者が「従う必要はない」として差し戻しされたのだったらば、それは判断や解釈としては危険な考え方であるとともに、対応として誤っていると思います。編集者間で考え方が違うのはままあることですが、方針やガイドラインに書いてあることを何でもかんでも字面どおりに受け止めて管理行為をするのではなく(→WP:悪用)、その背景としてなぜそのような方針・ガイドラインが策定されているのかを考えて合意形成し、最終的に記事の内容を良い方向に持っていくことのほうが大事です(→Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありません)。--小石川人晃(会話) 2022年6月9日 (木) 11:29 (UTC)
- コメント「推奨」の効力については、類似議論も含め、過去に「Wikipedia:井戸端/subj/ウィキプロジェクトの存在意義」「Wikipedia:井戸端/subj/プロジェクトの強要について」「Wikipedia:井戸端/subj/ガイドラインに従っている編集に合意形成は必要ですか?」「Wikipedia:井戸端/subj/プロジェクトに従う義務はないのか?」などがあります。
- 基本的に記事の書き方や構成に関するガイドラインやプロジェクトの規定というのは、「それに従った方が記事の質が上がる」という前提で書かれているものなのですから、基本的にはそれに従った方が良いです。ただ、中にはそこにあるルールを金科玉条に固守すると、かえって説明がわかりづらくなったり、何なら質が下がることもありうるわけで、そういう場合には別に守る必要はない、という話になります。その上で今回のように衝突したら、ガイドラインを守らない方が良いと考える側が、どうして今回はガイドラインに従わない方が、それよりも記事の質がよくなると言えるのか合理的に説明すべきです。それが合理的な理由で納得しうるものならそれで良いし、そうでないなら反論するなりして最終的な合意を目指す、ということになろうかと思います。
- 少なくともこうした議論の大前提は「その編集や版の方が記事の質が高い」と双方が考えるから衝突しているわけで、どうして自分の方の版が好ましいと言えるかを説明すべきであって、「推奨だから守らなくても良い」などというのは記事の質やあり方に対しての言及ではないのですから、何の反論にもなりません。
- なお、方針の場合も、絶対に守らなければならないのは、その「ルールの精神」であって、条文を四角四面に解釈して、ルールの精神に反したり、あるいは明らかにルールの精神が想定していない事柄に適用するなどした場合は、「規則主義ではありません」や「ルールすべてを無視しなさい」の範疇になります。--EULE(会話) 2022年6月9日 (木) 15:14 (UTC)
- コメントこれ文面を変更するか、削除したらいいんじゃないですか。Wikipedia:ウィキプロジェクト/テンプレートの定型文ともちょっと違いますし。--Afaz(会話) 2022年6月9日 (木) 21:14 (UTC)
- 「これ」って具体的にどの文章のことですか?--153.246.206.161 2022年6月10日 (金) 00:46 (UTC)
- 同型の文があるPJ:音楽とPJ:アルバムには、『厳密に従う義務はありません』と書かれているので、PJ:芸能人をそれらにあわせて、「厳密に」を追加して修正することを提案します。--Afaz(会話) 2022年6月10日 (金) 01:25 (UTC)
- コメント PJ文書の文面については各プロジェクトで議論することであって、ここで話すことではありません。--Merliborn (会話) 2022年6月10日 (金) 02:58 (UTC)
- 同型の文があるPJ:音楽とPJ:アルバムには、『厳密に従う義務はありません』と書かれているので、PJ:芸能人をそれらにあわせて、「厳密に」を追加して修正することを提案します。--Afaz(会話) 2022年6月10日 (金) 01:25 (UTC)
- 「これ」って具体的にどの文章のことですか?--153.246.206.161 2022年6月10日 (金) 00:46 (UTC)
- そのまんまの解説が Wikipedia:方針とガイドライン にあるんですが、その上で、ものすごく乱暴かつ大雑把に分類すると、こんな感じ。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月11日 (土) 01:07 (UTC)
方針 | ガイドライン | 私論 | 手引 |
---|---|---|---|
厳守 | 遵守(例外規定あり) | 従う必要はないが参考にはできる | 初心者用 |
- これに WP:SNOW や WP:IGNORE を加えて「その場の最善に叶うように、ウィキペディアの存在目的が実施される最適化かつ柔軟な姿勢で」合意形成に及ぶと良いとされてます(ベストプラクティス)。 / より根本的には WP:5 にある通り、必要があり多くの同意が得られそうならルールの縛りを飛び越しても構わないし、ありとあらゆる全てのルールに従うことよりも、より良い記事を書く行動が優越することははっきりと明記されています。そして、自分が行った全ての編集はほとんど永続的に履歴が残るため執筆内容(で発生する社会的責任)に関し、当事者たる執筆した自分自身が責任を持つこともまた求められています(Foundation:Terms of Use/ja)。ただし、厳守が求められている方針であってすら、それはコミュニティ全体の合意によって変更することが可能な余地を残しています。
- ◆ただし、逆にいうと、Merlibornさんが既におっしゃっておられる通り「従わないことに関し、他の人間を納得させられるだけの理由を提示できないのであれば、それは WP:悪用 に他ならない(ルールを無視することで得をするのが自分だけ=個人利得のためにルールを恣意的に利用している疑義)」ということで、つまりWikipedia:説明責任を果たすようにガイドライン反対者に求めることができるでしょうし、反対の根拠が無視できるから無視した、というのは子供の理屈で合理的理由がないですから合意形成する必要もなく「反対した側の説明責任が果たされていない / 他人を納得させられる別の理由提示が成るまで、(反対者はルールに照らし)その編集はできない」ということで、ノートや個人の会話ページでの問い合わせで解決できないなら Wikipedia:コメント依頼 など少し大掛かりな場に進む必要性があるかもしれないですね。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年6月11日 (土) 01:07 (UTC)
- この手の問題はWikipedia‐ノート:方針とガイドライン#「should」と「べき」という訳についてで言われている様に、英語版から方針文書を翻訳した時に生じる問題、と言う印象を受けます。いかんせん"should"が強制力のある助動詞か否かがハッキリしていないのが難点ですね…。--119.231.226.159 2022年6月14日 (火) 21:38 (UTC)
- 「これはあくまでガイドラインで従う義務はありません」の意味をどう解釈するかです。なぜなら「ウィキペディアの方針とガイドラインに反しないものであるならば、不完全な記事を投稿することも歓迎されるべき」「加筆によって改善を行うのであれば、三大方針や各方針、ガイドラインを満たすように行ってください」という方針があり、ガイドラインに反する不完全な投稿は方針レベルで許されていないからです。
- 「従う義務はありません」の文言を追加したのはLigarさんですが、ウィキペディアには全員が従うべき「方針」と、強制力はないもののそれに準ずる「ガイドライン」があり、「編集者はガイドラインに従うように推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません」となっています。この「常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用」が「従う義務はありません」と一致する文言ですが、「常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて」とは何ぞや、となります。
- 一例として、ウィキペディアではオープンプロキシやソックパペットによる編集は禁止されていますが、それと同時に「ただし、この場合、差し戻しをすることが適切かどうかについては、個別に判断してください」となっており、例外があります。驚くべきことに「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」が英語版ウィキペディアでは方針になっており、百科事典を作り上げる目的なら「公開プロキシを通した編集の許可」をすることも認めています。これと同様、「常識に基づいて判断し」の常識(common sense)に関する解説ページであるen:Wikipedia:Use common senseはen:Wikipedia:What "Ignore all rules" meansにリダイレクトされており、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいの「下位節として統合」されています。統合先のen:Wikipedia:What "Ignore all rules" means#Use common senseでは「When advancing a position or justifying an action, base your argument on existing agreements, community foundation issues, and the interests of the encyclopedia」「just focus on explaining why ignoring the rules will improve Wikipedia in that instance.」となっており、ルールを無視する場合はそれが百科事典の利益になることを説明または議論する必要があるとのことです。
- つまり「ある場所のある時点における限られた編集者グループでの合意は、より大きな規模のコミュニティの合意を無効にすることはできません」から、PJ:ENTAMEの「従う義務はありません」の意味は、あくまで個別の事情に応じて例外を適用するために広い告知のもとノートで説明または議論を行なった上で認められるもので、それのみをもって対話拒否してよい理由にはならない。--Zip-stream(会話) 2022年6月17日 (金) 04:06 (UTC)
デスクトップ版外装(スキン)改善バージョンの実装について
最近、僭越ながら財団と日本語版間のメッセンジャーの人と化しており、失礼を致しております。またしても財団からの伝言です。
先日お知らせで、ウィキメディア財団ウェブチームのシモンさんが、「デスクトップ版改善の利用を検討してみませんか?」を投稿されました。今月中には日本語版で実装したいそうですが、例の運動戦略フォーラムの方に「jawikiのお知らせで告知したけど全く返信がないのだけれども」とお問い合わせがありました。
この改善は個人設定→表示→外装(スキン)で「Vector(規定)」を選択している方々に影響します。ご自分の外装がなんであるかわからない方は「個人設定#mw-prefsection-rendering」でお確かめ下さい。外装(スキン)の詳細は「外装の詳細設定#外装を切り替える」をご覧ください。
実装されると「Vector(規定)」の外装を使用している方々のディフォルト設定が、選択肢の一つとしてリストされている新しい「Vector(2022)」に置き換わります。現在ディフォルト設定の「Vector(規定)」はデフォルトからは外しても、選択肢の一つとして残すので、各個人が個人設定で外装の選択をして古い「Vector(規定)」に戻ることは可能だそうです。ただ既定の外装ではなくなるので「Vector(規定)」の括弧内の(規定)部分の表現が変わる事が予想されれます。が、このまま反対意見が無く、合意があるとみなされて実装されると、ある日突然「Vector(規定)」使用者の方々の外装が変わると驚いたり戸惑う方々が現れるのではのではないかと思いました。
このデスクトップ版の改善【Vector(2022)】に関してなにかご意見はありますか?また、もし反対意見が無いときは、合意があるとみなしてもいいのでしょうか?
なお改善版の詳細は前述のお知らせでの告知「デスクトップ版改善の利用を検討してみませんか?」や、財団の技術関連情報専用のメディア・ウィキのページ「デスクトップ版の改善」をお読みください。--AppleRingo777(会話) 2022年6月14日 (火) 14:10 (UTC)
- Thank you @AppleRingo777 very much for your help.
- このデスクトップ版の改善【Vector(2022)】に関してなにかご意見はありますか?また、もし反対意見が無いときは、合意があるとみなしてもいいのでしょうか?--SGrabarczuk (WMF)(会話) 2022年6月14日 (火) 19:57 (UTC)
- 情報 そのコメントだと誤解されるかもしれないので補足します。運動戦略フォーラムのコメントで、SGrabarczuk (WMF)さんはこう述べられています。
「ええと、これはベクター2022ではうまく機能しません。どうすればよいですか?」(テンプレート、ガジェット、特定のページのバグの画面など)
「私の環境ではうまく表示されます」/「私はそれが好きです…」/「私はそれが好きではありません…」/「なぜ…を決めたのですか?」/「これは可能ですか?…」/「あなたはこの部分を改善できますか…」
- などのコメントをここで書いて欲しいそうです。--Afaz(会話) 2022年6月15日 (水) 04:43 (UTC)
- 「Vector(2022)」を試してみましたので、率直に感想を述べさせて頂きます。個人的には、現在のページデザインに慣れていることもあると思いますが、新しい「Vector(2022)」には余り馴染めませんでした。まず思ったのは操作性の部分で、ページ上部において、頻繁に使う自身の「会話」「投稿記録」などのリンクが折り畳まれてしまっているため、ページを開くのに一手間掛かり、従来のほうがワンクリックで行けて便利であったと思います。また、目次がこの位置ですと見つけづらく(ヘルプ・ツールなどへのリンクは左上の矢印をクリックすると隠れ、目次が上に来るようになっていますが)、またクリックしないと下層の見出しが表示されないため、見通しが悪くなっていると感じます。全体的に一々クリックしないと表示されない部分が増え、見通しや操作性を損ねているように感じました。
- 以上、辛口になってしまったようで恐縮ですが、あくまでも個人的な感想として、書き込ませて頂きます。無論、ページ改善のための財団の方々の努力には多大に感謝しております。ただ、合意があると見做してよいか、とのことでしたので、私としては現在のところ反対である旨も付け加えさせて頂きます。--灰色の海(会話) 2022年6月15日 (水) 13:49 (UTC)
差し戻す方法にご依頼
私は過去に、「2019年コロナウイルス感染症で亡くなった著名人の一覧 (2022年)」と「かまいガチ」の「ノート」のページにご指摘とかを書いたものの、(年月経っても)誰も気づいてくれませんでしたので、お書きした文章を全て取り消して「白紙」に戻したものの、私はその「ノート」のページを「まだ何も書いておらず、「ノート」文字が赤字」の時のように、ゼロからの状態に差し戻してほしいと納得がいかず、ご依頼とかをしてほしいのですが、私だけでは不安とプレッシャーが感じていて、1人では難しいと思ったので、誰か助けてほしいのです。--153.218.152.219 2022年6月13日 (月) 09:19 (UTC)
- 公開されていない個人情報を書いてしまったとか、著作権を侵害してしまったということでもなければ、編集での除去で十分であり、わざわざ管理者に履歴を削除していただく必要はありません。--118.238.204.113 2022年6月14日 (火) 01:13 (UTC)
- 投稿後に投稿者自身が白紙化し他の方の履歴がない場合、118.238.204.113さんが仰るような著作権・プライバシー侵害のほか、荒らしや悪戯書きなどの場合も即時削除することはありますが、ノート:2019年コロナウイルス感染症で亡くなった著名人の一覧 (2022年)、ノート:かまいガチともに著作権・プライバシー侵害でもなく、荒らしや悪戯でもないので、現状の白紙状態(履歴は残っているが何も書かれていない状態)を削除する必要は特にないでしょう。--Muyo(会話) 2022年6月14日 (火) 02:17 (UTC)
- どちらも、著作権・プライバシー侵害でもないですし、荒らしや悪戯もないので、現状の白紙の状態(履歴は残っているものの何も書かれていない状態)を削除する必要は特にないと思いますが、私は他の方法が見つかり、「後悔」の念が出てしまい、時を戻すようにあの時の記事に戻して「なかったこと」にしたいので、差し戻す必要があるのです。
- (そうでないと、私は納得がいかず、心も晴れませんので。)--153.218.152.219 2022年6月14日 (火) 10:35 (UTC)
- そうですよね。
- でも、「ノート」ではなくても、他のところでも書ける場所が見つかって、「そこで書けばよかったぁ・・・」と後悔の念が出てしまったので、履歴を差し戻す必要があるのです。
- (そうすれば、私は心が晴れますので。)--153.218.152.219 2022年6月14日 (火) 10:27 (UTC)
- 実際私は、こちら(ウィキペディア)のお問い合わせのオンラインでのメールで、問い合わせてみたのですが、それも通じなかったので、(解決をする方法の)苦渋の決断として、この「井戸端」にお書きいたしたので。--153.218.152.219 2022年6月15日 (水) 09:24 (UTC)
- それはもう単なる「わがまま」です。あなたの個人的な事情に他利用者が合わせなければならない義理は無いです。--210.139.165.199 2022年6月14日 (火) 12:01 (UTC)
- そうですよね・・・。ごめんなさい・・・。 (そちらの話を飲みます。)もうこの事は気にもしません・・・。
- (せめて、(誰か)自分でも差し戻すことが可能な「方法」だけでも教えてください。)(自分の「履歴」そのものを消すか、その記事の内容をコピーとかでして、一から作り直す以外に方法は、ないのですかね・・・?)--153.218.152.219 2022年6月15日 (水) 09:20 (UTC)--153.218.152.219 2022年6月15日 (水) 10:02 (UTC)
- 投稿後に投稿者自身が白紙化し他の方の履歴がない場合、118.238.204.113さんが仰るような著作権・プライバシー侵害のほか、荒らしや悪戯書きなどの場合も即時削除することはありますが、ノート:2019年コロナウイルス感染症で亡くなった著名人の一覧 (2022年)、ノート:かまいガチともに著作権・プライバシー侵害でもなく、荒らしや悪戯でもないので、現状の白紙状態(履歴は残っているが何も書かれていない状態)を削除する必要は特にないでしょう。--Muyo(会話) 2022年6月14日 (火) 02:17 (UTC)
市区町村の指定金融機関の編集についてです。
藤井寺市には金融機関の項目があり、木津川市同項目がありません。 また、指定金融機関のリンクも追加したいと思います。 これを全国の市区町村に対して編集作業をしたいと思うのですが、とてつもない労力を伴います。 ご協力される方を探しています。 なにとぞよろしくお願いいたします。
--ことり7(会話) 2022年6月13日 (月) 12:38 (UTC)
- そもそも藤井寺市の記事に金融機関の記述があるからといって、それを全国の市町村に適用する必要性があるのでしょうか。まずそれを考えるべきです。また、藤井寺市での金融機関の項はほぼ無出典の状態ですので、これをお手本にするのも好ましくありません。ご自分でおっしゃっている通り「とてつもない労力を伴う」作業ですので、だからこそ慎重な検討が必要です。--118.238.204.113 2022年6月14日 (火) 03:39 (UTC)
- コメント ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません、ウィキペディアはガイドブックではありませんあたりが参考になるでしょう。小さな村で金融機関が1箇所しか無いような場合と、大都市とでは事情が違いますので、一律でやるのはかえってバランスを欠くでしょう。「指定金融機関」も変わりうる情報です。百科事典的ではないかもしれません。--柒月例祭(会話) 2022年6月14日 (火) 07:13 (UTC)
- コメント はっきり言って、基本的に自治体記事に対しては不要な情報です。その上、指定金融機関の事例にあるように、今後は指定金融機関の変更も多くなるでしょう。とてつもない労力をかけてまで編集する必要も価値もありません。--Loasa(会話) 2022年6月14日 (火) 08:01 (UTC)
歌手等のディスコグラフィ及び作品節についての質問
歌手等のディスコグラフィ及び作品節には発売されたシングルやアルバムを表にしてリスト化したものがよく見られます。そこで私がいくつか疑問に思った点を挙げるので何かしらの回答が欲しいです。
- 出典が全く無い
- 出典が全くないことが多いです。規格品番が記述されてる場合、それを検索すればある程度分かりますが、検索している時点で出典になっていないと思います。また、シングルの表に「初収録アルバム」の項目がありますが、本当に「初」なのかの出典があることはほぼないです。
- 説明が足りない
- 「順位」の項目がありますが、なんの順位を示しているか分からないことが多いです。「オリコンチャート最高順位」と言っても、オリコンチャートにはいろんな種類があります[6]。
- チャートやゴールドディスク認定、初週売上額枚数の項目は必要か
- この3項目がデータ的に羅列されているだけの表は必要なんでしょうか。これらは各個別のページで見れるし、出典も多く必要となるので省略していいような気がします。
これらについて皆様の意見を聞きたいです。--2001:F73:FE0:8300:5C91:3912:F4AD:6ECD 2022年6月13日 (月) 16:02 (UTC)
- 報告 - 上記のIPは、ソックパペットとして1か月間レンジブロックとなっています。本提案はソックパペットによるもののため無効だと考えます(Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック/ソックパペット、投稿記録、ならびにブロック記録をご覧ください。)。--Motodai(会話) 2022年6月14日 (火) 14:34 (UTC)(追記&タイトルにその旨記載--Motodai(会話) 2022年6月15日 (水) 00:21 (UTC))
- (補足意見) Motodaiさんが2022年6月15日 (水) 00:21 (UTC) に編集されました話題のタイトルの修正内容が、少々やりすぎ感がありますので、タイトルは最初の状態に戻しました。--小石川人晃(会話) 2022年6月15日 (水) 09:37 (UTC)