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「Template‐ノート:朝鮮の歴史」の版間の差分

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多分Acaunto氏は韓国人なのでしょうが、Acaunto氏の編集の問題点を指摘します。
多分Acaunto氏は韓国人なのでしょうが、Acaunto氏の編集の問題点を指摘します。
# 「英語版と朝鮮語版とは非常に異なっています。英語版を参考にして作成。」としていますが、英語版と朝鮮語版とが非常に異なっていることが日本語版と何か関係があるのでしょうか? また、日本語版は英語版を参考にしなければならないというウィキのガイドラインがあるのでしょうか?
# 「英語版と朝鮮語版とは非常に異なっています。英語版を参考にして作成。」としていますが、英語版と朝鮮語版とが非常に異なっていることが日本語版と何か関係があるのでしょうか? また、日本語版は英語版を参考にしなければならないというウィキのガイドラインがあるのでしょうか?
# あなたは、テンプレートにフィクションである檀君朝鮮を含める一方、半歴史的な箕子朝鮮をテンプレートから削除して、完全に歴史的事実である漢四郡をテンプレートから削除したのは何故でしょうか? あなたが参考にしたという英語版には箕子朝鮮も漢四郡もテンプレートに含まれています。英語版を参考に日本語版のテンプレートを作成しておきながら、英語版に含まれている箕子朝鮮と漢四郡を削除した理由を教えてください。箕子朝鮮の建国者の箕子は中国人だから韓国人のナショナリズムからすると都合が悪いからでしょう。漢四郡は中国に植民地支配されていたから都合が悪いからでしょう。日本における代表的な朝鮮通史である、武田幸男編集『朝鮮史山川出版社、田中俊明編集『朝鮮の歴史昭和堂は、箕子朝鮮も漢四郡も朝鮮の歴史に含まれています。
# あなたは、テンプレートにフィクションである檀君朝鮮を含める一方、半歴史的な箕子朝鮮をテンプレートから削除して、完全に歴史的事実である漢四郡をテンプレートから削除したのは何故でしょうか? あなたが参考にしたという英語版には箕子朝鮮も漢四郡もテンプレートに含まれています。英語版を参考に日本語版のテンプレートを作成しておきながら、英語版に含まれている箕子朝鮮と漢四郡を削除した理由を教えてください。箕子朝鮮の建国者の箕子は中国人だから韓国人のナショナリズムからすると都合が悪いからでしょう。漢四郡は中国に植民地支配されていたから都合が悪いからでしょう。日本における代表的な朝鮮通史である、{{Cite book|和書|editor=[[武田幸男]]|date=2000-08-01|title=朝鮮史|series=[[世界各国史]]|publisher=[[山川出版社]]|ISBN=978-4634413207}}{{Cite book|和書|editor=[[田中俊明 (歴史学者)|田中俊明]]|date=2008-05 |title=朝鮮の歴史―先史から現代|publisher=[[昭和堂]]|ISBN=978-4812208144}}は、箕子朝鮮も漢四郡も朝鮮の歴史に含まれています。
# あなたは「朝鮮の歴史に中華王朝も含まれていて、まるで中華王朝や金国も朝鮮の歴史のように書かれている」と主張していますが、そうであるならば、当然テンプレートから高句麗と渤海を削除すべきでしょう。というのも高句麗、とくに渤海は中国の国家なのか朝鮮の国家なのかという帰属をめぐって争っており、決着していない。「朝鮮の歴史に中華王朝も含まれていて、まるで中華王朝や金国も朝鮮の歴史のように書かれている」として高句麗と渤海を含めており、あたかも高句麗と渤海が朝鮮の国家であることを勝手に自明視している。とくにあなたの書いた「南北国時代」なるものは日本の学界ではまず認められていない。
# あなたは「朝鮮の歴史に中華王朝も含まれていて、まるで中華王朝や金国も朝鮮の歴史のように書かれている」と主張していますが、そうであるならば、当然テンプレートから高句麗と渤海を削除すべきでしょう。というのも高句麗、とくに渤海は中国の国家なのか朝鮮の国家なのかという帰属をめぐって争っており、決着していない。「朝鮮の歴史に中華王朝も含まれていて、まるで中華王朝や金国も朝鮮の歴史のように書かれている」として高句麗と渤海を含めており、あたかも高句麗と渤海が朝鮮の国家であることを勝手に自明視している。とくにあなたの書いた「南北国時代」なるものは日本の学界ではまず認められていない。
# あなたは「英語版と朝鮮語版とは非常に異なっています。英語版を参考にして作成。」と主張して、日本語版テンプレートの朝鮮の歴史を作成しました。ところで、あなたは「利用者個人の感想が入ったページ名であるため」として、ページ名「[[漢の衛氏朝鮮遠征]]」を「[[漢国と衛氏朝鮮の戦争]]」に移動しましたが[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%BC%A2%E5%9B%BD%E3%81%A8%E8%A1%9B%E6%B0%8F%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89&diff=prev&oldid=87678697]、英語版のページ名は「[[en:Han conquest of Gojoseon]]」です。当然ページ名を「漢による古朝鮮征伐」にすべきでしょう。英語版の都合がいい部分だけを利用するダブルスタンダードは止めてください。しかも、英語版には箕子朝鮮と漢四郡も書かれているのに、さらに英語版の都合が悪い部分だけは無視している。--[[特別:投稿記録/2001:268:C0D0:875C:71A6:A4A8:3C45:A1AE|2001:268:C0D0:875C:71A6:A4A8:3C45:A1AE]] 2022年1月24日 (月) 07:14 (UTC)
# あなたは「英語版と朝鮮語版とは非常に異なっています。英語版を参考にして作成。」と主張して、日本語版テンプレートの朝鮮の歴史を作成しました。ところで、あなたは「利用者個人の感想が入ったページ名であるため」として、ページ名「[[漢の衛氏朝鮮遠征]]」を「[[漢国と衛氏朝鮮の戦争]]」に移動しましたが[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%BC%A2%E5%9B%BD%E3%81%A8%E8%A1%9B%E6%B0%8F%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89&diff=prev&oldid=87678697]、英語版のページ名は「[[en:Han conquest of Gojoseon]]」です。当然ページ名を「漢による古朝鮮征伐」にすべきでしょう。英語版の都合がいい部分だけを利用するダブルスタンダードは止めてください。しかも、英語版には箕子朝鮮と漢四郡も書かれているのに、さらに英語版の都合が悪い部分だけは無視している。--[[特別:投稿記録/2001:268:C0D0:875C:71A6:A4A8:3C45:A1AE|2001:268:C0D0:875C:71A6:A4A8:3C45:A1AE]] 2022年1月24日 (月) 07:14 (UTC)
:あなたは韓国人ナショナリストとか言っているですが、これは英語版を参考にしたものです。あなたの論理だとあなたが主張していることは中国人ナショナリストの主張です。--[[利用者:Acaunto|Acaunto]]([[利用者‐会話:Acaunto|会話]]) 2022年1月24日 (月) 08:19 (UTC)
:あなたは韓国人ナショナリストとか言っているですが、これは英語版を参考にしたものです。あなたの論理だとあなたが主張していることは中国人ナショナリストの主張です。--[[利用者:Acaunto|Acaunto]]([[利用者‐会話:Acaunto|会話]]) 2022年1月24日 (月) 08:19 (UTC)
:韓国人ではありませんし、あなたは動的ipを使っていますが、朝鮮人や韓国人に対する差別行為でブロックされたipと同じ時期で似た編集をしていますね。「このIPアドレスは現在部分ブロックされています。 参考のために最近のブロック記録項目を以下に表示します:2021年11月11日 (木) 17:09 えのきだたもつ 会話 投稿記録 が 2001:268:c0cc::/46 会話 に対して ページ フンボルトフォーラム、ライダイハン、徴用工訴訟問題 および 反日種族主義 を 3か月 ブロックしました (対象は匿名利用者のみ) (編集合戦: 記事ノートにて議論を行って下さい)」Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックにブロックを要請しました。動的ipでブロック回避はしないでください。--[[利用者:Acaunto|Acaunto]]([[利用者‐会話:Acaunto|会話]]) 2022年1月24日 (月) 08:28 (UTC)
:韓国人ではありませんし、あなたは動的ipを使っていますが、朝鮮人や韓国人に対する差別行為でブロックされたipと同じ時期で似た編集をしていますね。「このIPアドレスは現在部分ブロックされています。 参考のために最近のブロック記録項目を以下に表示します:2021年11月11日 (木) 17:09 えのきだたもつ 会話 投稿記録 が 2001:268:c0cc::/46 会話 に対して ページ フンボルトフォーラム、ライダイハン、徴用工訴訟問題 および 反日種族主義 を 3か月 ブロックしました (対象は匿名利用者のみ) (編集合戦: 記事ノートにて議論を行って下さい)」Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックにブロックを要請しました。動的ipでブロック回避はしないでください。--[[利用者:Acaunto|Acaunto]]([[利用者‐会話:Acaunto|会話]]) 2022年1月24日 (月) 08:28 (UTC)

# 韓国人ナショナリストさん、私の質問に回答していません。今、あなたは「これは英語版を参考にしたものです。」と仰いました。英語版を参考にしたのであれば、日本語版を作成するにあたり、英語版に含まれている箕子朝鮮(箕子朝鮮の建国者の箕子は中国人)と漢四郡(中国王朝による朝鮮植民地支配)を省いた理由を教えてください。箕子朝鮮の建国者の箕子は中国人だから韓国人のナショナリズムからすると都合が悪いからでしょう。漢四郡は中国に植民地支配されていたから都合が悪いからでしょう。
# あなたは「あなたの論理だとあなたが主張していることは中国人ナショナリストの主張です。」と仰いました。中国人ナショナリストとは何の関係もない、日本における権威ある代表的な朝鮮通史である、{{Cite book|和書|editor=[[武田幸男]]|date=2000-08-01|title=朝鮮史|series=[[世界各国史]]|publisher=[[山川出版社]]|ISBN=978-4634413207}}、{{Cite book|和書|editor=[[田中俊明 (歴史学者)|田中俊明]]|date=2008-05 |title=朝鮮の歴史―先史から現代|publisher=[[昭和堂]]|ISBN=978-4812208144}}では、箕子朝鮮も漢四郡も朝鮮の歴史に含まれていることは指摘済みです。
# あなたは「あなたの論理だとあなたが主張していることは中国人ナショナリストの主張です。」と仰いました。箕子朝鮮や漢四郡が朝鮮の歴史であることは「中国人ナショナリストの主張」ではありません。そうではなく、韓国人ナショナリスト以外の世界の学界はそのように考えているのです。出典を提示しておきます。
* {{cite book|和書|last=Stark|first=Miriam T.|title=Archaeology of Asia|url=http://books.google.com/books?id=z4_bT2SJ-HUC&pg=PA49|year=2008|publisher=John Wiley & Sons|isbn=978-1-4051-5303-4|page=49|quote=Although Kija may have truly existed as a historical figure, Tangun is more problematical.}}
* {{cite book|和書|last=Hulbert|first=H. B.|title=The History of Korea|url=http://books.google.com/books?id=WdusAgAAQBAJ&pg=PA73|year=2014|publisher=Routledge|isbn=978-1-317-84941-4|page=73|quote=If a choice is to be made between them, one is faced with the fact that the Tangun, with his supernatural origin, is more clearly a mythological figure than Kija.}}
* {{cite book|和書|last=Seth|first=Michael J.|title=A History of Korea: From Antiquity to the Present|url=http://books.google.com/books?id=WJtMGXyGlUEC&pg=PA443|year=2010 |publisher=Rowman & Littlefield Publishers|isbn=978-0-7425-6717-7|page=443|quote=An extreme manifestation of nationalism and the family cult was the revival of interest in Tangun, the mythical founder of the first Korean state... Most textbooks and professional historians, however, treat him as a myth.}}
* {{cite book|和書|last=Pai|first= Hyung Il|title=Constructing "Korean" Origins: A Critical Review of Archaeology, Historiography, and Racial Myth in Korean State Formation Theories|url=https://books.google.com/books?id=QxztLeLoVkQC&pg=PA122&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2000|publisher=Harvard University Asia Center|isbn=978-0674002449|page=122|quote=Consequently, Korean studies that address topics such as the emergence of ancient Korean civilization, statehood, religion, and identity are inexplicable without reference to a complex jumble of contradictory narratives filled with Tan'gun fiction, competing dynastic myths, and hypothetical invasions of tribes, as well as unaccountable archaeological data. This state of confusion has rendered it virtually impossible to distinguish fact from fiction in studies on ancient Korea.}}
* {{cite book|和書|last=Pai|first= Hyung Il|title=Constructing "Korean" Origins: A Critical Review of Archaeology, Historiography, and Racial Myth in Korean State Formation Theories|year=2000|publisher=Harvard University Asia Center|url=https://books.google.com/books?id=QxztLeLoVkQC&pg=PA95&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|isbn=978-0674002449|page=95|quote=The continuing popularity of Tan'gun studies (Yun I-hum et al. 1994) clearly reflects the progressively ultra-nationalistic trend in Korean historical and archaeological scholarship today.}}
* {{cite book|和書|last=Schmid|first=Andre|title=Korea Between Empires|url=http://books.google.com/books?id=lVgaAwAAQBAJ&pg=PA269|year=2013|publisher=Columbia University Press|isbn=978-0-231-50630-4|page=270|quote=Most [Korean historians] treat the [Tangun] myth as a later creation.}}
* {{cite book|和書|last=Peterson|first=Mark|title=Brief History of Korea|url=http://books.google.com/books?id=ByIo1D9RY40C&pg=PA5|year=2009|publisher=Infobase Publishing|isbn=978-1-4381-2738-5|page=5|quote=The Tangun myth became more popular with groups that wanted Korea to be independent; the Kija myth was more useful to those who wanted to show that Korea had a strong affinity to China.}}
* {{cite news|author=Josh Smith|author2=Jeongmin Kim|url=https://www.reuters.com/article/us-northkorea-southkorea-unification-myt-idUSKCN1MV022|title=North Korea's box of bones: A mythical king and the dream of Korean unification|newspaper=[[Reuters]]|publisher=|date=2018-10-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210303050846/https://www.reuters.com/article/us-northkorea-southkorea-unification-myt-idUSKCN1MV022|archivedate=2021-03-03|quote=There’s little evidence for the glorious king or the thousands of years of Korean unity Dangun is said to have founded.…Scholars say the chances that Dangun actually existed are close to zero.…“Dangun is a myth,” said Yeungnam University archaeologist Lee Chung Kyu.…Seoul’s National Museum of Korea has a display of bronze daggers, ceramics, and other relics said to be from the period and credited as “the first state ever to emerge on the Korean Peninsula”. Signs at the museum say Gojoseon lasted from 2,333 BCE to 108 BCE and “was powerful enough to compete as equals” with major dynasties in China. However, historians say details are disputed and have often been manipulated for political purposes. “The early part of Gojoseon cannot be recognized as a state, especially not as a homogenous ethnic nation-state,” said Yeungnam University’s Lee, who argues the period was more likely marked by chiefdoms or tribes that only much later formed a more unified kingdom.…The myth has sometimes been misused, leading to “chauvinism and extreme nationalism,” Lee said.}}</ref>
* {{cite book|和書|last=United States Congress|first=|title=North Korea: A Country Study|url=https://books.google.com/books?id=ybmFuqReAqUC&pg=PA6&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2016|publisher=Nova Science Publishers|isbn=978-1590334430|page=6|quote=Han Chinese built four commanderies, or local military units, to rule the peninsula as far south as the Han River, with a core area at Lolang (Nangnang in Korean), near present-day P'yongyang. It is illustrative of the relentlessly different historiography practiced in North Korea and South Korea, as well as both countries' dubious projection backward of Korean nationalism, that North Korean historians denied that the Lolang district was centered in Korea and placed it northwest of the peninsula, possibly near Beijing.}}
* {{cite book|和書|last=Connor|first=Edgar V.|title=Korea: Current Issues and Historical Background|url=|year=2003|publisher=Nova Science Publishers|isbn=978-1590334430|page=112|quote=They place it northwest of the peninsula, possibly near Beijing, in order to de- emphasize China's influence on ancient Korean history.}}
* {{cite book|和書|last=Hyung|first=Hyung Il|title=Constructing “Korean” Origins|url=https://books.google.com/books?id=QxztLeLoVkQC&pg=PA129&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2000|publisher=Harvard University Press|isbn=9780674002449|page=129|quote=When material evidence from the Han commandery site excavated during the colonial period began to be reinterpreted by Korean nationalist historians as the first full-fledged "foreign" occupation in Korean history, Lelang's location in the heart of the Korean peninsula became particularly irksome because the finds seemed to verify Japanese colonial theories concerning the dependency of Korean civilization on China.}}
* {{cite book|和書|last=Hyung|first=Hyung Il|title=Constructing “Korean” Origins|url=https://books.google.com/books?id=QxztLeLoVkQC&pg=PA128&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2000|publisher=Harvard University Press|isbn=9780674002449|page=128|quote=At present, the site of Lelang and surrounding ancient Han Chinese remains are situated in the North Korean capital of Pyongyang. Although North Korean scholars have continued to excavate Han dynasty tombs in the postwar period, they have interpreted them as manifestations of the Kochoson or the Koguryo kingdom.}}
* {{cite book|和書|last=Xu|first= Stella Yingzi|title=That glorious ancient history of our nation|url=https://books.google.com/books?id=YFYVwaS8N58C&pg=PA223&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2007 |publisher=University of California, Los Angeles|isbn=9780549440369|page=223|quote=Lelang Commandery was crucial to understanding the early history of Korea, which lasted from 108 BCE to 313 CE around the P'yongyang area. However, because of its nature as a Han colony and the exceptional attention paid to it by Japanese colonial scholars for making claims of the innate heteronomy of Koreans, post 1945 Korean scholars intentionally avoided the issue of Lelang.}}
* {{cite book|和書|last=Barnes|first=Gina|title=State Formation in Korea|url=https://books.google.com/books?id=yK8m1XiEKz0C&pg=PA17&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2000|publisher=Routledge|isbn=978-0700713233|page=17|quote=Despite recent suggestions by North Korean scholars that Lelang was not a Chinese commandery, the traditional view will be adhered to here. Lelang was one of four commanderies newly instituted by the Han Dynasty in 108 BC in the former region of Chaoxian. Of these four commanderies, only two (Lelang and Xuantu) survived successive reorganizations; and it seems that even these had their headquarters relocated once or twice.}}
* {{cite book|和書|last=Kim|first=Jinwung|title=A History of Korea: From "Land of the Morning Calm" to States in Conflict|url=https://books.google.com/books?id=QFPsi3IK8gcC&pg=PA18&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2012 |publisher=Indiana University Press|isbn=978-0253000248|page=18|quote=Immediately after destroying Wiman Chosŏn, the Han empire established administrative units to rule large territories in the northern Korean peninsula and southern Manchuria.}}
* {{cite book|和書|last=Lee|first=Peter H.|title=Sourcebook of Korean Civilization|url=https://books.google.com/books?id=N66XyMJ_sNsC&pg=PA227&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=1993|publisher=Columbia University Press|isbn=978-0231079129|page=227|quote=But when Emperor Wu conquered Choson, all the small barbarian tribes in the northeastern region were incorporated into the established Han commanderies because of the overwhelming military might of Han China.}}
* {{cite book|和書|title=Reinterpreting Traditional History in North Korea|first=Yŏng-ho|last=Ch'oe|volume=40|number=3|journal=The Journal of Asian Studies|date=May 1981|pages=509|doi=10.2307/2054553|quote=North Korean scholars, however, admit that a small number of items in these tombs resemble those found in the archaeological sites of Han China. These items, they insist, must have been introduced into Korea through trade or other international contacts and "should not by any means be construed as a basis to deny the Korean characteristics of the artifacts" found in the P'yongyang area.}}
* {{cite book|和書|last=Jr. Clemens|first=Walter C.|title=North Korea and the World: Human Rights, Arms Control, and Strategies for Negotiation|url=https://books.google.com/books?id=k0BKDAAAQBAJ&pg=PA26&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2016|publisher=University Press of Kentucky|isbn=978-0813167466|page=26|quote=Chinese forces subsequently conquered the eastern half of the peninsula and made lolang, near modern Pyongyang, the chief base for Chinese rule. Chinese sources recall how China used not only military force but also assassination and divide-and-conquer tactics to subdue Chosŏn and divide the territory into four commanderies.}}
* {{cite book|和書|last=Seth|first=Michael J.|title=A Concise History of Korea: From Antiquity to the Present|url=https://books.google.com/books?id=5URKAAAAQBAJ&pg=PA18&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2016|publisher=Rowman & Littlefield Publishers|isbn=978-1442235175|page=18|quote=For the next four centuries a northwestern part of the Korean peninsula was directly incorporated in to the Chinese Empire.... The Taedong River basin, the area where the modern city of P'yongyang is located, became the center of the Lelang commandery.}}
* {{cite book|和書|last=Seth|first=Michael J.|title=A Concise History of Korea: From Antiquity to the Present|url=https://books.google.com/books?id=5URKAAAAQBAJ&pg=PA19&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2016|publisher=Rowman & Littlefield Publishers|isbn=978-1442235175|page=19|quote=The way of life maintained by the elite at the capital in the P'yongyang area, which is known from the tombs and scattered archaeological remains, evinces a prosperous, refined, and very Chinese culture.}}
* {{cite book|和書|last=Seth|first=Michael J.|title=A Concise History of Korea: From Antiquity to the Present|url=https://books.google.com/books?id=5URKAAAAQBAJ&pg=PA18&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2016|publisher=Rowman & Littlefield Publishers|isbn=978-1442235175|page=17|quote=The Chinese, having conquered Choson, set up four administrative units called commanderies. The Lelang commandery was located along the Ch'ongch'on and Taedong rivers from the coast to the interior highlands. Three other commanderies were organized: Xuantu, Lintun, and Zhenfan. Lintun and originally Xuantu were centered on the east coast of northern Korea. Zhenfan was probably located in the region south of Lelang, although there is some uncertainty about this. After Emperor Wu's death in 87 BCE a retrenchment began under his successor, Emperor Chao (87-74 BCE). In 82 BCE Lintun was merged into Xuantu, and Zhenfan into Lelang. Around 75 BCE Xuantu was relocated most probably in the Tonghua region of Manchuria and parts of old Lintun merged into Lelang. Later a Daifang commandery was created south of Lelang in what was later Hwanghae Province in northern Korea. Lelang was the more populous and prosperous outpost of Chinese civilization.}}
* {{cite book|和書|last=Bowman|first=John Stewart|title=Columbia Chronologies of Asian History and Culture|url=https://books.google.com/books?id=cYoHOqC7Yx4C&pg=PA11&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2000|publisher=Columbia University Press|isbn=978-0231110044|page=11|quote=Han China resumes its effort to subdue Korea, launching two military expeditions that bring much of the peninsula under Chinese control; it sets up four commanderies in conquered Korea.}}
* {{cite book|和書|last=Bowman|first=John Stewart|title=Columbia Chronologies of Asian History and Culture|url=https://books.google.com/books?id=cYoHOqC7Yx4C&pg=PA193&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2000|publisher=Columbia University Press|isbn=978-0231110044|page=193|quote=After a period of decline, Old Choson falls to Wiman, an exile from the Yan state in northern China. Wiman proves to be a strong ruler, but his ambitious program of expansion eventually brings him into conflict with the Han dynasty of China. The Han defeats Wiman Choson and establishes a protectorate over northern Korea in 108 b.c. Resistance to Chinese hegemony, however, is strong, and China reduces the territory under its active control to Nang-nang colony with an administrative center near modern Pyongyang.}}
* {{cite book|和書|last=Lee|first=Kenneth B.|title=Korea and East Asia: The Story of a Phoenix|url=https://books.google.com/books?id=XrZQs-6KswMC&pg=PA11%3D&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=1997|publisher=Praeger|isbn=978-0275958237|page=11|quote=Chinese civilization had started to flow into the Korean Peninsula through Nang-nang. This was the only time in Korean history that China could establish its colonies in the central part of Korea, where occupation forces were stationed. The Han Empire not only occupied Korea, but expanded westward to Persia and Afghanistan.}}
* {{cite book|和書|last=Buckley|first=Patricia|title=Pre-Modern East Asia: A Cultural, Social, and Political History, Volume I: To 1800|url=https://books.google.com/books?id=CWE8AAAAQBAJ&pg=PA100&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2008|publisher= Cengage Learning|isbn=978-0547005393|page=100|quote=Lelang commandery, with its seat in modern Pyongyang, was the most important of the four.}}
* {{cite book|和書|last=Brian|first=Brian M.|title=The Oxford Companion to Archaeology|url=https://books.google.com/books?id=ystMAgAAQBAJ&pg=PA361&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2012|publisher=Oxford University Press|isbn=9780195076189|page=361|quote=Chinese commanderies at Lelang (modern Pyongyang) functioned as the political and military arm of Chinese dynasties, beginning with Han, as well as the major contact point between the advanced Chinese civilization and the local population.}}
* {{cite book|和書|last=Mark E Byington |first=Project Director of the Early Korea Project|title=Early Korea 2: The Samhan Period in Korean History|url=|year=2009|publisher=Korea Institute, Harvard University|isbn=978-0979580031|page=172|quote=The latter, associated with Han China, are important, as their discovery permits us to infer the existence of relations between the Han commanderies and the Samhan societies.}}
* {{cite book|和書|last=Hiltebeitel|first=Alf|title=Hair: Its Power and Meaning in Asian Cultures|url=https://books.google.com/books?id=PRPymT12c40C&pg=PA113&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=1998|publisher=State University of New York Press|isbn=978-0791437421|page=113|quote=These tombs are associated with the Lelang commandery, which was established by the Han dynasty of China, successor to the Qin. Han generals conquered the armies of Wiman's grandson Ugo and established control over the northern part of the Korean peninsula.}}
* {{cite book|和書|last=Preucel|first=Robert W.|title=Contemporary Archaeology in Theory: The New Pragmatism|url=https://books.google.com/books?id=VCLkDFxkMjwC&pg=RA2-PT333&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2010|publisher=Wiley-Blackwell|isbn=978-1-4051-5832-9|page=296|quote=The Wei Ji (compiled 233–97) places the Yemaek in the Korean peninsula at the time of the Han commanderies in the first century BC, giving them a specifically Korean identity at least by that time.}}
* {{cite book|和書|last=Dr. Brian|first=Fagan|title=Ancient Civilizations|url=|year=2016|publisher=Routledge|isbn=978-1138181632|page=365|quote=In 108 B.C. most of the Korean peninsula was divided into four Han commanderies, the most important of which was Lelang.}}
* {{cite book|和書|last=Tuan|first=Yi-Fu|title=A Historical Geography of China|url=https://books.google.com/books?id=xlulUDK3r-4C&pg=PA84&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2008|publisher=Aldine Transaction |isbn=978-0202362007|page=84|quote=Northeastwards Emperor Wu's forces conquered northern Korea in 108 b.c. and established four command headquarters there.}}
* {{cite book|和書|last=Kang|first=Jae-eun|title=The Land of Scholars: Two Thousand Years of Korean Confucianism|url=https://books.google.com/books?id=XB4UYXNQK1wC&pg=PA36&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2006|publisher=Homa & Seka Books|isbn=978-1931907309|page=36|quote=Nangnang commandery centered around Pyeong'yang was established when Emperor Wu of Han China attacked Gojoseon in 108 BC and was under the rule of Wei from 238. Wei is the country that destroyed the Later Han dynasty.}}
* {{cite book|和書|title=Centering the Periphery: Manchurian Exile(s) and the North Korean State|first=Charles K.|last=Armstrong|journal=Korean Studies|volume=19|year=1995|pages=12|publisher=University of Hawaii Press|doi=10.1353/ks.1995.0017|quote=North Korean historiography from the 1970s onward has stressed the unique, even sui generis, nature of Korean civilization going back to Old Chosön, whose capital, Wanggömsöng, is now located in the Liao River basin in Manchuria rather than near Pyongyang. Nangnang, then, was not a Chinese commandery but a Korean kingdom, based in the area of Pyongyang.}}
* {{cite book|和書|last=Pratt|first=Keith|title=Everlasting Flower: A History of Korea|url=https://books.google.com/books?id=1Gui8CdUfVoC&pg=PA10&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2006|publisher=Reaktion Books|isbn=978-1861892737|page=10|quote=108 BC: Han armies invade Wiman Choson; Chinese commanderies are set up across the north of the peninsula.}}
* {{cite book|和書|last=Nelson|first=Sarah Milledge|title=The Archaeology of Korea|url=https://books.google.com/books?id=sANORB_MSRUC&pg=PA168&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=1993|publisher=Cambridge University Press|isbn=9780521407830|page=168|quote=The Chinese commanderies did not extend to the southern half of the peninsula, stretching perhaps as far south as the Han river at the greatest extent, but they did reach the northeast coast.}}
* {{cite book|和書|last=Jones|first=F. C.|title=The Far East: A Concise History|url=https://books.google.com/books?id=ExWoBQAAQBAJ&pg=PA34&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=1966|publisher=Pergamon Press|isbn=978-0080116419|page=34|quote=He then divided the country into military districts, of which the most important was that of Lolang, or Laklang, with headquarters near the modern Pyongyang. Tomb excavations in this area have produced much evidence of the influence of Han civilization in northern Korea.}}
* {{cite book|和書|last=Stark|first=Miriam T.|title=Archaeology of Asia|url=https://books.google.com/books?id=z4_bT2SJ-HUC&pg=PA45&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2008|publisher=Wiley-Blackwell|isbn=978-1405102131|page=45|quote=The best known of these commanderies is Lelang, centered on the present city of Pyongyang, now the capital of North Korea.}}
* {{cite book|和書|last=Swanström|first=Niklas|title=Sino-Japanese Relations: The Need for Conflict Prevention and Management|url=https://books.google.com/books?id=dfUYBwAAQBAJ&pg=PA13&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2009|publisher=Cambridge Scholars Publishing|isbn=978-1847186201|page=13|quote=Under Emperor Wu-ti, Han China extended her influence into Korea, and in 108 B.C., the peninsula became a part of the Chinese Empire, with four dependent provinces under the Chinese charge.}}
* {{cite book|和書|last=Meyer|first=Milton W.|title=Asia: A Concise History|year=1997|publisher=Rowman & Littlefield Publishers |url=https://books.google.co.jp/books?id=DbQcAAAAQBAJ&pg=PA118&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|isbn=978-0847680634|page=118|quote=In southern Manchuria, and northern and central Korea, the Chinese established four commanderies, which were subdivided into prefectures.}}
* {{cite book|和書|last=Olsen|first=Edward|title=Korea, the Divided Nation|url=https://books.google.com/books?id=CoITbXnIRrcC&pg=PA13&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2005|publisher=Praeger|isbn=978-0275983079|page=13|quote=The Han dynasty created four outposts in Korea to control that portion of its border.}}
* {{cite book|和書|last=Clemens Jr|first=Walter C.|title=Getting to Yes in Korea|url=https://books.google.com/books?id=MifvCgAAQBAJ&pg=PA27&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2009|publisher=Routledge|isbn=978-1594514067|page=27|quote=Chinese forces subsequently conquered the eastern half of the peninsula and made Lolang, near modern Pyongyang, the chief center of Chinese rule.}}
* {{cite book|和書|last=Hwang|first=Kyung Moon|title=A History of Korea: An Episodic Narrativea|url=https://books.google.com/books?id=cbRhAQAAQBAJ&pg=PA4&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=2010|publisher=Palgrave MacMillan|isbn=978-0230205451|page=4|quote=In the corridor between the peninsula and northeast China, the Chinese Han dynasty established four “commanderies” that ruled over parts of the peninsula and Manchuria, much as modern imperial powers governed their colonies.}}
* {{cite book|和書|last=Tennant|first=Charles Roger|title=A history of Korea|url=https://books.google.com/books?id=SlGnq9flYdMC&pg=PA22&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false|year=1996|publisher=Kegan Paul International|isbn=0-7103-0532-X|page=22|quote=Soon after, the Wei fell to the Jin and Koguryŏ grew stronger, until in 313 they finally succeeded in occupying Lelang and bringing to an end the 400 years of China's presence in the peninsula, a period sufficient to ensure that for the next 1,500 it would remain firmly within the sphere of its culture.}}
* {{cite book|和書|last=Eckert|first=Carter J.|title=Korea Old and New: A History|url=|year=1991|publisher=Ilchokak Publishers|isbn=978-0962771309|page=13|quote=The territorial extent of the Four Chinese Commanderies seems to have been limited to the area north of the Han River.}}
* {{cite book|和書|last=Eckert|first=Carter J.|title=Korea Old and New: A History|url=|year=1991|publisher=Ilchokak Publishers|isbn=978-0962771309|page=14|quote=As its administrative center, the Chinese built what was inessence a Chinese city where the governor, officials, merchants, and Chinese colonists lived. Their way of life in general can be surmised from the investigation of remains unearthed at T'osong-ni, the site of the Lelang administrative center near modern P'yongyang. The variety of burial objects found in their wooden and brickwork tombs attests to the lavish life syle of these Chinese officials, merchants, and colonial overloads in Lelang's capital. ... The Chinese administration had considerable impact on the life of the native population and ultimatedly the very fabric of Gojoseon society became eroded.}}--[[特別:投稿記録/2001:268:C0D0:875C:71A6:A4A8:3C45:A1AE|2001:268:C0D0:875C:71A6:A4A8:3C45:A1AE]] 2022年1月24日 (月) 09:00 (UTC)

2022年1月24日 (月) 09:01時点における版

紀年法プロジェクトとの関連

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 紀年法/ガイドライン草案での朝鮮の区分が、当テンプレートの記載に従うことになりました。記載王朝の増減がある場合は、こちらまでご連絡お願いします。また軽率な変更は各年の項目を修正する膨大な作業につながりますので、変更の際には提案を行い、慎重に合意をとられるようお願い申し上げます。--Yonoemon 2007年5月21日 (月) 08:04 (UTC)[返信]

上記の点については、その後さらに検討を続けた結果、本テンプレートとの関係について、連携は考慮するものの、基準とはしないという結論が出ましたので、お知らせいたします。--Novo 2007年6月2日 (土) 12:01 (UTC)[返信]

南北国時代

南北国時代論を肯定する立場で渤海史を朝鮮史に含ませるテンプレになっていますが、南北国時代論は定説とは言えない現状では違和感を覚えます。少なくとも括弧書きにしておくべきだとも思いますがいかがでしょう?Yonoemon 2008年4月22日 (火) 08:09 (UTC)[返信]

辰国

“辰国”is real and coexisted with "卫满朝鲜","檀君朝鲜"。It is not legendary. Please read English or Chinese version for more detail. 24.98.46.128 2008年9月30日 (火) 01:30 (UTC)[返信]

中国語版は保護されています。--hyolee2/H.L.LEE 2008年9月30日 (火) 02:08 (UTC)[返信]

先史時代

This template should have 先史時代. User:Hyolee2, please stop deleting. 24.98.46.128 2008年9月30日 (火) 01:37 (UTC)[返信]

朝鮮半島の歴史

The name of this template should be changed to "朝鮮半島の歴史", which indicates that both North and South Korea are included. "朝鮮の歴史" may refer to North Korea only. Elknz 2008年12月18日 (木) 04:33 (UTC)[返信]

You must study Japanese.朝鮮 means 朝鮮半島 in Japanese、not only define Nort Korea. And your view has a big problem. The area of 渤海 isn't in 朝鮮半島...
You re-named this page without any discussion, Japanese Wikipedia can not accept your action.in this time.It is prohibited in Japanese Wikipedia. If you have any opinion, would you ask to joint our discuss? However this is Japanese Wikipedia, you have to write in Japanese dou to everyone understand your opinion.--Yonoemon 2008年12月18日 (木) 07:46 (UTC)[返信]

辰国と衛氏朝鮮等を入れ替えました

このテンプレは韓国の史観そのままなので、漢の四郡がないことを始め違和感を覚える点は多々ありますけれど、辰国と衛氏朝鮮等とが明らかに地理的な南北が逆ですので入れ替えました。 Jinzuu 2009年8月1日 (土) 08:11 (UTC)[返信]

任那や倭の取り扱い等について

任那や倭が載っていません。これは定説ですが、もし(日本での定説であっても)韓国側が反対しているため記せないと考えられているのなら次の質問に答えてください。

加羅はなぜ記載しないのでしょうか。この国の存在は疑いようがありません。

2また韓国では親日弾圧法があるぐらいで、日本の学界とはかなり研究方法が違います。日本語版では日本での情報を主に記すべきではないでしょうか

3異論の多い渤海も記されており、それよりも明らかに朝鮮の国家で金石文にも記されている任那を記載するのは百科事典として当然ではないでしょうか--自主憲法論者 2010年7月14日 (水) 04:32 (UTC)[返信]

ここを作成した者ではありませんが分かる範囲でお答えしますと
  1. 加羅は現地表記で伽耶として載っています。
  2. それぞれの記事のノートでよく議論になっていますのでご覧いただきたいのですが、記載の出典としては日本における日本人朝鮮史学者の説が主流となっています。日本史学者の語る朝鮮史部分についても必要に応じて併記されていますが分量としては少量です。これは専門が違うためやむを得ないでしょう。
  3. 渤海については、確かに中立とは言えないという意見も多いと思います。私も上でYonoemonさんが言っているように、せめて括弧書きにすべきかなとも思います。なお渤海の扱いについては、ノート:渤海 (国)での議論で、渤海 (国)にここのテンプレートは貼らない合意が出来ています。テンプレートでの表記方法については、別途議論の余地はあると思います。しかしながら任那については、説が分かれているものの、多数説は一義的には伽耶諸国の一国である金官伽耶の別名としています。
という訳で、別に韓国側が反対しているから載せていないのではありません。なお、「日本語版では日本での情報を主に記すべき」というのは誤解です。ここは「日本語版」であって「日本版」ではないので、「日本語」での情報を元に記述される傾向にはありますがWikipedia:日本中心にならないようにというガイドライン草案もありますので、日本での情報を主に記すべきではないのです。ご了解ください。--ろう(Law soma) D C 2010年7月14日 (水) 06:27 (UTC)[返信]
とりあえず返答ありがとうございます。伽耶の場所等に問題はあるとおもいますが、大体の考えはわかりました。
「多数説は一義的には伽耶諸国の一国である金官伽耶の別名」これについては多数説とはいえないのではないのでしょうか。岩波書店の『日本書紀』に解説では任那の一部として伽耶が位置付けられています。また広開土王碑宋書では任那加羅阿羅などと記されています。--自主憲法論者 2010年7月15日 (木) 04:15 (UTC)[返信]

日本の政府が主権を認めていない朝鮮民主主義人民共和国はなぜ記載されているのでしょうか。

多数説は言いすぎたかもしれません。全ての研究書に目を通したわけではありませんので。ただ、世界的な傾向として朝鮮史に関しては当然ながら地元韓国の方が研究者が多く、日本の朝鮮史学界の多数も韓国の研究者と密接な交流をしないと研究が進みませんので、概ね任那の指す領域にある田中説が多数派となっているようです。私は日本史学者の説として吉田説を追加しましたが、そちらでも任那については任那の別名を持つ金官伽耶の勢力範囲(あたかもヤマトの勢力範囲が大和と呼ばれたように)との説であり「一義的には」一国の名称との見解です。要は任那にも伽耶にも広義と狭義があり、現在の朝鮮史学では一般的に任那を使うときは狭義(金官伽耶の別名)として扱い伽耶を使うときは広義(伽耶諸国)狭義(大伽耶)両方が使われている現状です。また、岩波書店の『日本書紀』の解説を私は見ておりませんので解説できませんが、想像では恐らく国文学者による解説ではないでしょうか?学際研究が進まない日本では往々にして専門外に関しては古い学説を引用する研究者が多いので。
なお、繰り返しますが「日本版」でなく「日本語版」ですので、日本政府が承認しているしていないに関わらず、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の項目は作成できますし、項目名は自称正式名称とせざるを得ません(参考ノート:朝鮮民主主義人民共和国/呼称問題についての暫定合意)。北朝鮮というリダイレクトページもあるので実用上も問題ありません。これもご了承いただきたいと思います。--ろう(Law soma) D C 2010年7月15日 (木) 05:30 (UTC)[返信]

古い説と言っていますが、日本書紀を解釈する限り岩波のようにならざるを得ない。

「なお、繰り返しますが「日本版」でなく「日本語版」ですので、日本政府が承認しているしていないに関わらず、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の項目は作成できますし、項目名は自称正式名称とせざるを得ません」wikipedia日本語版を管理しているのは在日朝鮮人なのですか?--自主憲法論者 2010年7月18日 (日) 01:46 (UTC)[返信]

あの暫定合意も明らかに納得できるものではありません。--自主憲法論者 2010年7月18日 (日) 02:04 (UTC)[返信]

ご当地の韓国語版(使用者のほとんどが韓国人)ですら、項目名は正式名称です。北韓と言う呼称はメディアの題名や引用文を除いて中立性を欠くとして使用禁止になっています。--hyolee2/H.L.LEE 2010年7月18日 (日) 02:12 (UTC)[返信]
ノート:朝鮮民主主義人民共和国で改名がありました。--自主憲法論者 2010年7月18日 (日) 02:27 (UTC)[返信]

(インデント戻します)えー、北朝鮮の名称に関してはステージがノート:朝鮮民主主義人民共和国に移っておりますので、あちらで対応します。ついでに自主憲法論者さんによる最近のここでの編集について、ちょっと助言を。自主憲法論者さんは繰り返し「大日本帝国朝鮮総督府統治時代」にする編集を行っています。私はリンク先さえ日本統治時代の朝鮮であれば、特に拘りを持っていないので静観しておりましたが、いよいよ編集合戦の様相を呈してきましたので、自主憲法論者さんにちょっと編集の手を休めて頂きたいと思いました。多言語版の朝鮮の歴史テンプレートを参考にすると、英語版、中国語版では「日本統治時代」と「臨時政府」の併記、フランス語版、イタリア語版、ノルウェー書籍語では「日本統治時代」のみ、朝鮮語版では「日本統治時代」+括弧書きで「朝鮮総督府」と「臨時政府」の併記、ロシア語版では「日本統治時代」の下に「朝鮮総督府」と「臨時政府」を併記、タガログ語版では「臨時政府」のみとなっています(赤リンクは無視)。これらを参考にすると、朝鮮総督府へのリンク自体を避ける意味はないと思われます。自主憲法論者さんにおかれては、ここで議論してから編集されては如何でしょう?--ろう(Law soma) D C 2010年7月20日 (火) 02:32 (UTC)[返信]


朝鮮総督府

朝鮮総督府が統治していたのは事実。大日本帝国の県知事などの支配ではない。強力な権限を持った総督府が存在していたというのは記すほうが望ましい。--自主憲法論者 2010年7月21日 (水) 00:51 (UTC)[返信]

漢四郡などの植民地について

中国語版テンプレの朝鮮の歴史では、漢四郡をはじめ、熊津都督府や安東都督府や双城総管府や東寧府などの植民地も含まれていますが、日本語版でも含めるべきだと思います。これらの植民地を省くのは韓国の民族主義史観だと思います。日本の朝鮮通史では、例えば、武田幸男編「朝鮮史」や田中俊明編「朝鮮の歴史」ではこれらは朝鮮史に含まれていますし、年表にも記述してあります。また、ヤフー百科事典でも朝鮮史に含まれています。また、日韓歴史共同研究委員会において、井上直樹氏も、報告書で韓国の歴史教科書の問題点として漢四郡をスルーしていることを批判して、漢四郡の動向は看過できない、と指摘しています。http://www.jkcf.or.jp/history/second/4-16j.pdf--以上の署名のないコメントは、118.18.177.171会話)さんが 2010年7月22日 (木) 15:55 (UTC) に投稿したものです。--竃馬 2010年8月14日 (土) 17:26 (UTC)[返信]

賛成 白村江の戦で統一新羅の時代が来たというのは韓国人の妄想、控え目に言って幻想です。(その新羅の正当性は倭人の血が入っていることです)唐や漢による植民地、元による占領といった事柄も記すべき。--自主憲法論者 2010年7月24日 (土) 06:32 (UTC)[返信]

安東都督府ではなくて安東都護府の間違いでした。加筆したいけどやり方がわかりません。誰か加筆してください。--125.205.100.88 2010年8月1日 (日) 07:49 (UTC)[返信]

コメントコメント依頼や執筆依頼を出せばいいと思いますが。ここの観覧車のすべてがやり方がわかるわけではありません。--自主憲法論者 2010年8月2日 (月) 02:18 (UTC)[返信]

どうやって執筆依頼を出すんでしょうか?出してください。--118.17.66.125 2010年8月4日 (水) 15:11 (UTC)[返信]

一応出しましたもし不備があったら損のようなことに詳しい方にお願いします。--自主憲法論者 2010年8月12日 (木) 08:10 (UTC)[返信]

少し修正してみましたが、このテンプレに漢四郡が入ると、”原三国時代”という漢四郡の半島内存在をスルーしてる韓国の民族史観による区分が、”南北国時代”とともに果たして日本語版において適当かどうかという疑念がさらにありますね。 Jinzuu 2010年8月17日 (火) 19:53 (UTC)[返信]

Jinzuuさんの発言の趣旨は、テンプレ右端の時代区分との整合性という意味で宜しいでしょうか?であれば私もそう思います。いっそのこと時代区分は抜くとか。この手の時代区分ってのは往々にして史観が入り込みますので。(まあ私は漢四郡を絶対に入れたかった訳ではなく、IP利用者の方が漢四郡を入れた際の編集で表組がずれたのを修正したかっただけなのですが。)--ろう(Law soma) D C 2010年8月18日 (水) 00:14 (UTC)[返信]
はい、テンプレ右端の時代区分についてです。ちょっと盲点でしたが、いっそ抜いてしまうというのはいい考えですね。ヘタに弄るよりよほどすっきりするような。^^; Jinzuu 2010年8月18日 (水) 13:19 (UTC)[返信]
フランス語版以外は皆(中国語版にも南北国時代の文字が!)時代区分が入っていますので、抜くのには勇気が要るんですけどね。この辺、民族史なのか地域史なのかを曖昧にしていると悩ましくなりますね。私見ですが、韓国の学界は民族史に立ちつつ扶余系を韓民族のルーツの一つと位置付けているためか、漢四郡を除きつつ扶余・高句麗を入れるという地域史的に見れば不可解なことをしている訳です。でも民族史なら(更に箕氏衛氏朝鮮を韓民族と見るというスタンスならば)不思議はないんですよね。逆に漢四郡というのは単に漢の領域内の四郡(但し朝鮮半島の)ってだけなので他言語版の記事も少ないですし、中国や日本の研究者のように楽浪・帯方の三韓に与えた影響を重視しない限り朝鮮の歴史テンプレに入れる必要もないという考えも成り立つ訳です。その辺を整理しないと厳しいかもしれません。日本語版は日本語の文献を出典にしやすいので日本の朝鮮史学界の動向を取り入れやすい反面、中立性を考えると頭が痛いんです。--ろう(Law soma) D C 2010年8月19日 (木) 00:23 (UTC)[返信]
まぁ、時代区分は、さわらぬ神になんとやらというところもありますね。このテンプレが民族史か地域史かということなら、朝鮮人は日本人以上に系統が不明の民族ですから民族史では空想と願望の域を出ませんし、当然地域史でしかありえないかと。その意味では漢四郡とするのが最適かどうかは置くとしても、やはり半島北部を400年に渡って統治した楽浪郡は外せないと思いますね。また、個人的には上に挙がっている熊津都督府・安東都護府も、新羅が独力で半島を統一したわけではなく、百済・高句麗の滅亡は唐の主体的な関与があってこそという事実がありますから入れるべきものだろうと考えます。 Jinzuu 2010年8月20日 (金) 03:18 (UTC)[返信]
んー、要は民族史ってのは遡ればどこの民族でも空想と願望の産物になるのであって、例えばトルコの歴史は地域史だけどトルコの歴史教科書は匈奴から叙述する民族史になってます。地域史って言っても国境付近は伸縮するので、現在の国境線を基準とするべきかどうか難しいんですよね(アルザスはドイツ領だったけどテンプレフランスの歴史に「ドイツ領エルザス」なんて入っていないし)。ここのテンプレの場合、個人的には楽浪・帯方はあった方がよいとは思いますが熊津・安東は短い期間の軍政のようなものなので微妙です(連合軍軍政期に倣って入れてもいいけど)。--ろう(Law soma) D C 2010年8月20日 (金) 06:06 (UTC)[返信]

中国語版にはテンプレ中国東北史zh:模板:中国东北历史があって、例えば高句麗や漢四郡や渤海は両方入れている。日本語版も作る事を検討しては?凄い面倒そうだけど。--118.18.208.103 2010年8月19日 (木) 16:37 (UTC)[返信]

それって作る手間よりも名称を巡って議論が続きそうで二の足を踏んでしまいますね。英語版だとテンプレ満州史en:Template:History of Manchuriaなのに中国語版ではテンプレ中国東北歴史ってことは、偽満だとか旧満州だとか州にはサンズイ付くとか多くの意見が来るでしょうから。--ろう(Law soma) D C 2010年8月20日 (金) 00:19 (UTC)[返信]

提案: ①現在の国境を基にする場合――漢、燕、魏の3国による統治があったことを明記。渤海も一部朝鮮を支配していたため、このことに関しては保留。

②朝鮮民族として考える場合――大日本帝国朝鮮総督府、中華人民共和国朝鮮族自治区等を記し、高句麗、渤海、日本統治時代といった表現は削除。新羅については国王に日本人の血統が入っているため保留。

③韓国側の公式見解を採用する場合――韓国語版を翻訳したものを載せ、その他いろいろな問題については保留。--自主憲法論者 2010年9月16日 (木) 08:03 (UTC)[返信]

大韓民国臨時政府の記載について

統治実体が全くなく戦後処理においてもその地位を認められなかった大韓民国臨時政府の記載に執心して、繰り返しリバートする編集者がいますけれどどうしたものでしょうか。大韓民国臨時政府を日本統治時代に併記すると、まるで当時の半島が両者によって共同統治されていたかのような相を呈してしまいます。どうやらノートでの対話に応じる気はないようですし、また日本語話者でもないようです。 Jinzuu 2010年9月28日 (火) 11:39 (UTC)[返信]

なかなか難しい問題です。何故なら現在韓国においては、憲法前文にも唱われているように臨時政府を自国政府の濫觴としているからです。また、実際に統治実体がなくともTemplate:フランスの歴史における自由フランスにように記載される場合もあります。
とは言え、臨時政府は当時連合国・枢軸国を問わず国際的承認を得ておらず、また国内におけるレジスタンスの組織化や武装組織による参戦を行っていないことから戦勝国にもなっておらず、現在の韓国政府との間にはアメリカによる直接軍政を挟むなど、自由フランスとは異なる要素が多く見受けられます。百歩譲っても括弧付きで「([[大韓民国臨時政府|亡命政府]])」と記載する程度かと思います。--ろう(Law soma) D C 2010年9月29日 (水) 01:20 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。自由フランスの場合は各国から承認も受けてますし、実際に海外植民地のかなりの範囲を治下においてますから、それを引き合いに大韓民国臨時政府を論ずるのは、やはり無理があるのではないかと思います。個人的には、そもそも朝鮮王室からも半島地域住民からも何の授権もされていない大韓民国臨時政府が果たして亡命政府といえるのかという事自体が疑問です。また、大韓民国臨時政府の正統性を言い立てているのは韓国のみで、当然ながら北朝鮮は認めてませんしね。さて、どうしたものでしょう。 Jinzuu 2010年9月29日 (水) 12:06 (UTC)[返信]
個人的信条は兎も角、客観的に見た場合に現状存在する2国家(政府)の一方しか認めていない臨時政府を半島全域のものとして記載することは中立的観点から問題がある、という論法ではどうでしょうか? なんとなくダブスタに陥りかねない予感もしますが。--ろう(Law soma) D C 2010年9月30日 (木) 01:04 (UTC)[返信]
大韓民国の項目で記述すれば事足りるでしょう。大韓民国臨時政府は単なる革命団体です。これを認めると大韓帝国が今も続いているとする人が「大韓帝国臨時政府」を書き加えかねません。日本でも私のような自主憲法論者が勝手に「大日本帝国臨時政府」と書いてもよいことになってしまいます。--自主憲法論者 2010年10月4日 (月) 07:50 (UTC)[返信]
朝鮮によると「朝鮮(ちょうせん)は、朝鮮半島および済州島など周囲の島嶼・海域を併せた地域を表す呼称。」ということで、朝鮮半島及び付属島嶼の統治実態がない亡命政権だけの大韓帝国臨時政府は朝鮮半島の歴代政権とは言えないでしょう。自由フランスについてはフランスの内、本土は一時喪失していた時もフランス海外領土を確保していたという統治実態(領土、国民、政府)がありましたので事情が異なると思います。--Yasumi 2010年10月4日 (月) 11:51 (UTC)[返信]
大韓民国臨時政府の総統自体は、戦後も国際社会から無視されていました。
特に大韓民国臨時政府を明記する必要もないので、私はこのテンプレートに記してはならないと思います。--自主憲法論者 2010年10月7日 (木) 03:54 (UTC)[返信]

(インデント戻します)ここ1週間以上の話し合いでは、「大韓民国臨時政府」について現時点では当テンプレートに加える必要はないという合意に達したという解釈でよいでしょうか? 勿論、今後新たな視点から「臨時政府」について加えたいとの提案がなされること自体を制限するものではありませんが。--ろう(Law soma) D C 2010年10月7日 (木) 04:44 (UTC)[返信]

同意です。これまでの参加者4名がいずれも否定的ですので、「大韓民国臨時政府」の記載は必要ないという合意がとりあえずはできたと考えてよいのではないでしょうか。 Jinzuu 2010年10月7日 (木) 08:10 (UTC)[返信]
合意が形成されたと思います。今回の合意形成に反して変な編集をする人がいたら、まずは日本語で勧告し、それに応じなかったらブロックすればよいと思います。--自主憲法論者 2010年10月9日 (土) 04:58 (UTC)[返信]
Jinzuuさんの2010年9月28日 (火) 11:39 (UTC)の問題提起以降、一週間以上が経過しています。結果、削除意見が4人、存続意見はありませんので削除合意が成立しているとみなして良いと思います。--Yasumi 2010年10月10日 (日) 10:54 (UTC)[返信]

漢四郡関連記事

漢四郡および各郡の記事が、朝鮮史観で大幅に図や歴史テンプレートが付加され、変わっているようです。漢四郡の中国語記事もIP:58.224.181.105(ソウル)からの書き込みで変わっています。朝鮮記事関係者の方、フォローされたほうがよろしいかと思います。--218.221.138.148 2011年5月1日 (日) 01:14 (UTC)[返信]

編集保護

投稿者:Ldsinsが朝鮮民族史観に基づいて中国語版と日本語版のテンプレートの改変を繰り返してますが、合意は出来ており、合意を無視して削除を繰り返しているため編集保護にするのではなく投稿ブロックにすべきです。朝鮮民族史観状態で保護になってます。--通りすがりの某 2011年5月18日 (水) 06:05 (UTC)[返信]

当該アカウントは韓国語版の編集記録はありません。--hyolee2/H.L.LEE 2011年5月18日 (水) 07:37 (UTC)[返信]

南北国時代,熊津都督府、安東都護府位置遼寧省 ない朝鮮半島。双城、東寧府、耽羅になる高麗 パート。Roten 2011年6月18日 (土) 02:30 (UTC)[返信]

ロテンとか何とか、韓国人の歴史観はゆがんでいるんだが、韓国人にはそんなこともわからないのかな?安東都護府が朝鮮半島にないと言いたいの?それなら、「位置朝鮮半島ない」としてくれたら、一定の理解はしてあげられるんだが。日本人は優しいので、ある程度勉強してからなら、追放しません。--異録文書研究家 2011年10月10日 (月) 09:50 (UTC)[返信]

助詞もまともに入れていない、朝鮮半島という用語を使っていることから韓国人ではないようです。荒らしているのは中国人です。--hyolee2/H.L.LEE 2011年10月10日 (月) 09:57 (UTC)[返信]

ロテン氏あてにはこう書きましたが、通じるでしょうか?

朝鮮者、旧中国領也。南部朝鮮者、旧倭国任那也。対日本人、漢字OK。
We can read 漢字。We (all japanese) can read chanese word. 
Some Japanese can read Chanese, but I can read it.

初歩的な英語と、日本の漢字で通じるかどうか。然し、中国や韓国のパソコンには翻訳機能がないの?と、疑問に思います。--異録文書研究家 2011年10月15日 (土) 01:30 (UTC)[返信]

辰国は古朝鮮に属していません。

表を修正してください。 --18호会話2013年5月26日 (日) 16:49 (UTC)[返信]

高麗 → 王氏高麗

高麗を王氏高麗に修正すること。--18호会話2014年3月5日 (水) 07:09 (UTC)[返信]

おそらく高句麗の正式名称である高麗との曖昧さを回避する意図と思います。記事名の変更を希望するならWikipedia:改名提案をご覧ください。議論場所はノート:高麗でしょう。
しかしながら、テンプレートの名称だけを変更するのは順番が違います。先に記事名を改名する提案をすべきです。
なお、朝鮮語版Wikipediaでは「고려」となっており、「王氏」は入っておりません。--ろう(Law soma) 2014年3月6日 (木) 00:42 (UTC)[返信]
あ!そうですか? 複雑ですね。--18호会話2014年3月6日 (木) 01:30 (UTC)[返信]

渤海が消されておりますが?

渤海国を朝鮮の歴史の一部と認めない立場に立つのでしたら、南北国時代東丹国という記述があるのは矛盾になりますね。それ以前に、WP:NPOVに則った場合、渤海をこのテンプレートから外すことは適切なのでしょうか?反対がなければ差し戻したいと思うのですが。--荒巻モロゾフ会話2014年6月7日 (土) 12:39 (UTC)[返信]

テンプレートの全面改訂の提案

表題の通り、当該テンプレートの全面改訂の提案です。現状のテンプレートは地理的配置を盛り込んでいるため、見づらいことが主な理由です。具体的には、まず「原三国」「三国」「南北国」「後三国」というカテゴリ名と「新羅」「百済」「高句麗」などが見分けづらいことがあります。また色が多用され見づらいこと、色の選択に恣意性が多分に盛り込まれてしまうこと、地理を盛り込んだために深く関係しない民族・国も記載せざるを得なくなっていること、などを個人的に不便に感じております。これに対して、英語版当該テンプレート韓国語版当該テンプレートでは単色で見やすくまとめており、期間を記載している点でもより良い体裁ではないでしょうか。

以上の理由から、英語版・韓国語版に倣う形にテンプレートを改訂したいと思います。私案は右に提示いたしました(色調は韓国語版を踏襲)。何が何でも現在のテンプレートを変えたいというわけではありませんので、上に挙げた問題点を解消する提案がなされるのであれば、現状のテンプレートの改訂でも構いません。とりあえず現状には何らかの抜本的改善を加えたいと思います。以上に関して、ご意見ございましたらお願いいたします。--Saigen Jiro会話2015年2月25日 (水) 16:32 (UTC)[返信]

(追記)右テンプレートの色と細部に修正を加えました。--Saigen Jiro会話) 2015年2月25日 (水) 17:54 (UTC) 再度、細部修正。--Saigen Jiro会話2015年2月26日 (木) 02:39 (UTC)[返信]

어째서? 한국어판을 따라해야 하죠?--18호会話2015年2月26日 (木) 02:58 (UTC)[返信]
返信 理由は上記の通りです。--Saigen Jiro会話2015年2月26日 (木) 12:16 (UTC)[返信]

反対 むしろ英語版・韓国語版の方を現行日本語版や中国語版の形式に改訂した方が良い。現行のような形のチャートは、多くの歴史関連書籍でよく見られるものであり、何らおかしな物ではない。現行は2007年から使われているが、今まで形式自体を問題にしたユーザーはいないようだし、私自身も「見づらい」とか「不便」だとか感じた事は一度もない。「地理的配置を盛り込んでいる」事はむしろ利点である。例えば「辰韓」と「新羅」、「弁韓」と「伽耶」、「馬韓」と「百済」が縦に並んでいる事で、関係が分かる。また、改定案では、「漢四郡」がなく「大韓民国臨時政府」があるなど、このノートページでの今までの議論(Template‐ノート:朝鮮の歴史#漢四郡などの植民地についてTemplate‐ノート:朝鮮の歴史#大韓民国臨時政府の記載について)を無視している。「新羅」も現行では縦に連続しているが改定案では3つに分断されてしまっていて、かえって見づらく不便である。--211.14.206.84 2015年2月27日 (金) 00:03 (UTC)[返信]

返信 承知しました。--Saigen Jiro会話2015年2月27日 (金) 01:13 (UTC)[返信]
(追記) ノートを大して読まずに提示したのは確かに私の落ち度でしたが、提示したのはあくまで「試案」すなわち「こんな体裁どうでしょう」程度ですから、いきなり完璧を求めるのはさすがに勘弁して下さい。その他の点は理解しました。朝鮮の歴史で重要な百済・伽耶とかの存在感が小さくなるのが微妙に感じますが、民族の継承という意味では良いのでしょうね。--Saigen Jiro会話2015年2月27日 (金) 11:31 (UTC)[返信]

反対 既存の方式が理解度が高いと思われます。--18호会話2015年2月27日 (金) 06:49 (UTC)[返信]

返信 承知しました。思いの外、皆様利便性を感じていらっしゃるようで驚きました。せっかく提案したので、撤回するにしても1週間ほど意見を待ってからとします。--Saigen Jiro会話2015年2月27日 (金) 11:31 (UTC)[返信]

反対 現行のテンプレートを改めて見てみましたが、全面的に変えなければならないほど問題があるとは思いません。--Bletilla会話2015年2月27日 (金) 14:52 (UTC)[返信]

反対 現行のテンプレートの方が他国の影響下にあった時期がわかりやすいです。提案のプレートでは他国の影響下にあった時期が一切分かりません。ちなみに元との関係においてはほぼ完全に属国と化していましたが、現行のテンプレートは表現できていると思います。--歴史研究人会話2015年2月28日 (土) 09:29 (UTC)[返信]

取り下げ 一週間経過しましたが、反対を多数頂きましたので、提案は撤回いたします。皆様ご意見ありがとうございました。--Saigen Jiro会話2015年3月4日 (水) 13:31 (UTC)[返信]

ご苦労さまでした。--18호会話2015年3月5日 (木) 06:50 (UTC)[返信]

平成27年2月25日の差し戻しの理由

平成27年2月25日の差し戻しの件について、差し戻しを踏み切った理由をいくつか記しておきます。

  • 先史時代の欄にを記載した点。伝承なので真偽は明らかでないですが、少なくとも「朝鮮の前史」には該当しないのでここに記すべきではありません。
  • 檀君朝鮮の削除。出所がないとのことですが、古朝鮮を勉強すれば出てくる名称であり、史実か否かに限らず括弧づけでも記載すべきと考えます。
  • 衛氏朝鮮の括弧付けと文字サイズ縮小。理由不明。
  • 任那日本の同色化。「任那」という語は主に日本で使用されたもので使用は適当でない。現在の歴史学においては、少なくとも日本の教科書では「伽耶」が使用される。また、他が淡色なのに比べて強い赤色で、恣意性が感じられる。また、昔の日本史では任那は日本が統治したという図式だったが、近年ではこの見解には見直しが図られている。
  • 「統一新羅」を「統一統一」とした点。
  • 高麗・李氏朝鮮・日本統治時代の色の誇張。色が強く、文字が見えません。淡色とすべきと考えます。
  • 東丹国を渤海と変えたことにより(これ自体の可否は判断できません)、渤海が重複状態となった点。

以上、ちょっと問題がありすぎると感じたので差し戻した次第です。原三国・三国・南北国・後三国を同一色をまとめた点は良いかもしれませんが、枠線が無いので逆に見づらくなっているかと感じます。--Saigen Jiro会話2015年2月27日 (金) 14:18 (UTC)[返信]

Acaunto氏の編集について

多分Acaunto氏は韓国人なのでしょうが、Acaunto氏の編集の問題点を指摘します。

  1. 「英語版と朝鮮語版とは非常に異なっています。英語版を参考にして作成。」としていますが、英語版と朝鮮語版とが非常に異なっていることが日本語版と何か関係があるのでしょうか? また、日本語版は英語版を参考にしなければならないというウィキのガイドラインがあるのでしょうか?
  2. あなたは、テンプレートにフィクションである檀君朝鮮を含める一方、半歴史的な箕子朝鮮をテンプレートから削除して、完全に歴史的事実である漢四郡をテンプレートから削除したのは何故でしょうか? あなたが参考にしたという英語版には箕子朝鮮も漢四郡もテンプレートに含まれています。英語版を参考に日本語版のテンプレートを作成しておきながら、英語版に含まれている箕子朝鮮と漢四郡を削除した理由を教えてください。箕子朝鮮の建国者の箕子は中国人だから韓国人のナショナリズムからすると都合が悪いからでしょう。漢四郡は中国に植民地支配されていたから都合が悪いからでしょう。日本における代表的な朝鮮通史である、武田幸男 編『朝鮮史』山川出版社世界各国史〉、2000年8月1日。ISBN 978-4634413207 田中俊明 編『朝鮮の歴史―先史から現代』昭和堂、2008年5月。ISBN 978-4812208144 は、箕子朝鮮も漢四郡も朝鮮の歴史に含まれています。
  3. あなたは「朝鮮の歴史に中華王朝も含まれていて、まるで中華王朝や金国も朝鮮の歴史のように書かれている」と主張していますが、そうであるならば、当然テンプレートから高句麗と渤海を削除すべきでしょう。というのも高句麗、とくに渤海は中国の国家なのか朝鮮の国家なのかという帰属をめぐって争っており、決着していない。「朝鮮の歴史に中華王朝も含まれていて、まるで中華王朝や金国も朝鮮の歴史のように書かれている」として高句麗と渤海を含めており、あたかも高句麗と渤海が朝鮮の国家であることを勝手に自明視している。とくにあなたの書いた「南北国時代」なるものは日本の学界ではまず認められていない。
  4. あなたは「英語版と朝鮮語版とは非常に異なっています。英語版を参考にして作成。」と主張して、日本語版テンプレートの朝鮮の歴史を作成しました。ところで、あなたは「利用者個人の感想が入ったページ名であるため」として、ページ名「漢の衛氏朝鮮遠征」を「漢国と衛氏朝鮮の戦争」に移動しましたが[1]、英語版のページ名は「en:Han conquest of Gojoseon」です。当然ページ名を「漢による古朝鮮征伐」にすべきでしょう。英語版の都合がいい部分だけを利用するダブルスタンダードは止めてください。しかも、英語版には箕子朝鮮と漢四郡も書かれているのに、さらに英語版の都合が悪い部分だけは無視している。--2001:268:C0D0:875C:71A6:A4A8:3C45:A1AE 2022年1月24日 (月) 07:14 (UTC)[返信]
あなたは韓国人ナショナリストとか言っているですが、これは英語版を参考にしたものです。あなたの論理だとあなたが主張していることは中国人ナショナリストの主張です。--Acaunto会話2022年1月24日 (月) 08:19 (UTC)[返信]
韓国人ではありませんし、あなたは動的ipを使っていますが、朝鮮人や韓国人に対する差別行為でブロックされたipと同じ時期で似た編集をしていますね。「このIPアドレスは現在部分ブロックされています。 参考のために最近のブロック記録項目を以下に表示します:2021年11月11日 (木) 17:09 えのきだたもつ 会話 投稿記録 が 2001:268:c0cc::/46 会話 に対して ページ フンボルトフォーラム、ライダイハン、徴用工訴訟問題 および 反日種族主義 を 3か月 ブロックしました (対象は匿名利用者のみ) (編集合戦: 記事ノートにて議論を行って下さい)」Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックにブロックを要請しました。動的ipでブロック回避はしないでください。--Acaunto会話2022年1月24日 (月) 08:28 (UTC)[返信]
  1. 韓国人ナショナリストさん、私の質問に回答していません。今、あなたは「これは英語版を参考にしたものです。」と仰いました。英語版を参考にしたのであれば、日本語版を作成するにあたり、英語版に含まれている箕子朝鮮(箕子朝鮮の建国者の箕子は中国人)と漢四郡(中国王朝による朝鮮植民地支配)を省いた理由を教えてください。箕子朝鮮の建国者の箕子は中国人だから韓国人のナショナリズムからすると都合が悪いからでしょう。漢四郡は中国に植民地支配されていたから都合が悪いからでしょう。
  2. あなたは「あなたの論理だとあなたが主張していることは中国人ナショナリストの主張です。」と仰いました。中国人ナショナリストとは何の関係もない、日本における権威ある代表的な朝鮮通史である、武田幸男 編『朝鮮史』山川出版社世界各国史〉、2000年8月1日。ISBN 978-4634413207 田中俊明 編『朝鮮の歴史―先史から現代』昭和堂、2008年5月。ISBN 978-4812208144 では、箕子朝鮮も漢四郡も朝鮮の歴史に含まれていることは指摘済みです。
  3. あなたは「あなたの論理だとあなたが主張していることは中国人ナショナリストの主張です。」と仰いました。箕子朝鮮や漢四郡が朝鮮の歴史であることは「中国人ナショナリストの主張」ではありません。そうではなく、韓国人ナショナリスト以外の世界の学界はそのように考えているのです。出典を提示しておきます。