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「圓蔵寺 (さいたま市)」の版間の差分

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'''圓蔵寺'''(えんぞうじ)は、[[埼玉県]][[さいたま市]][[浦和区]]東岸町にある[[日蓮宗]]の寺院。山号は'''長久山'''。旧本山は大本山池上本門寺、池上・芳師法縁。'''日蓮上人断簡第三紙'''はさいたま市指定文化財([[鎌倉時代]]、[[昭和]]46年([[1971年]])[[2月12日]]指定)
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区内には、[[蓮昌寺 (さいたま市)|蓮昌寺]]、[[顕昌寺]]などがある。


== 歴史 ==
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== 境内 ==
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== 文化財 ==
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* 日蓮上人断簡第三紙 縦およそ32センチメートル、横47.5およそセンチメートルの[[日蓮]]真筆の書簡の断簡(第三紙に相当するとみられる)で、『昭和定本日蓮聖人遺文』(立正大学宗学研究所)によれば、[[建治]]年間([[1275年]] 0 [[1278年]])に[[身延山]][[久遠寺]]において著されたものという。法華経二十品のうちの宝塔品を解説した一部とみられ、本紙裏に貼付の紙には[[加藤祐清]](中級武士とされる)の供養のために寄進したことと、日蓮の真筆であることを僧侶達が鑑定したことが記される。
* 日蓮上人断簡第三紙 縦およそ32センチメートル、横47.5およそセンチメートルの[[日蓮]]真筆の書簡の断簡(第三紙に相当するとみられる)で、『昭和定本日蓮聖人遺文』(立正大学宗学研究所)によれば、[[建治]]年間([[1275年]] 0 [[1278年]])に[[身延山]][[久遠寺]]において著されたものという<ref name="文化財" />。法華経二十品のうちの宝塔品を解説した一部とみられ、本紙裏に貼付の紙には[[加藤祐清]](中級武士とされる)の供養のために寄進したことと、日蓮の真筆であることを僧侶達が鑑定したことが記される<ref name="文化財" />


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== 関連資料 ==
== 関連資料 ==
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* 『浦和市文化財調査報告書 第16集』浦和市教育委員会(1971年)
* 『浦和市文化財調査報告書 第16集』浦和市教育委員会(1971年)
* 『浦和の文化財』浦和市教育委員会(1986年)
* 『浦和の文化財』浦和市教育委員会(1986年)

2017年12月21日 (木) 01:33時点における版

圓蔵寺
所在地 埼玉県さいたま市浦和区東岸町
位置 北緯35度51分20秒 東経139度39分38.5秒 / 北緯35.85556度 東経139.660694度 / 35.85556; 139.660694座標: 北緯35度51分20秒 東経139度39分38.5秒 / 北緯35.85556度 東経139.660694度 / 35.85556; 139.660694
山号 長久山
宗旨 日蓮宗
創建年 1462年
開山 唯教院日圓
文化財 日蓮上人断簡
法人番号 3030005000023 ウィキデータを編集
圓蔵寺 (さいたま市)の位置(埼玉県内)
圓蔵寺 (さいたま市)
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圓蔵寺(えんぞうじ)は、埼玉県さいたま市浦和区東岸町にある日蓮宗の寺院。山号は長久山[1]。旧本山は大本山池上本門寺、池上・芳師法縁。

日蓮上人断簡第三紙はさいたま市指定文化財(鎌倉時代昭和46年(1971年2月12日指定)[2]

歴史

寛正3年(1462年)、唯教院日圓(勝浦長福寺7世[要出典])の開山によって千葉県夷隅郡総野村(現在の勝浦市)に創建された[1]明治19年(1886年)、正法院日寛の代に現在地へ移転したという[1]。昭和46年(1971年)に所蔵の日蓮上人断簡が浦和市(当時)指定文化財となった[2]

境内

  • 本堂

文化財

  • 日蓮上人断簡第三紙 縦およそ32センチメートル、横47.5およそセンチメートルの日蓮真筆の書簡の断簡(第三紙に相当するとみられる)で、『昭和定本日蓮聖人遺文』(立正大学宗学研究所)によれば、建治年間(1275年 0 1278年)に身延山久遠寺において著されたものという[2]。法華経二十九品のうちの宝塔品を解説した一部とみられ、本紙裏に貼付の紙には加藤祐清(中級武士とされる)の供養のために寄進したことと、日蓮の真筆であることを僧侶達が鑑定したことが記される[2]

歴代

  • 唯教院日圓
  • 正法院日寛

脚注

  1. ^ a b c 縁起”. 圓蔵寺. 2017年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月21日閲覧。
  2. ^ a b c d 文化財紹介 日蓮上人断簡第三紙”. さいたま市 (2013年12月26日). 2017年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月21日閲覧。

関連資料

  • 『浦和市文化財調査報告書 第16集』浦和市教育委員会(1971年)
  • 『浦和の文化財』浦和市教育委員会(1986年)
  • 『さいたま市史料叢書』

外部リンク

さいたま市公式サイト

公式サイト