「圓蔵寺 (さいたま市)」の版間の差分
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'''圓蔵寺'''(えんぞうじ)は、[[埼玉県]][[さいたま市]][[浦和区]]東岸町にある[[日蓮宗]]の寺院。山号は'''長久山'''。旧本山は大本山池上本門寺、池上・芳師法縁 |
'''圓蔵寺'''(えんぞうじ)は、[[埼玉県]][[さいたま市]][[浦和区]]東岸町にある[[日蓮宗]]の寺院。山号は'''長久山'''<ref name="縁起" />。旧本山は大本山池上本門寺、池上・芳師法縁。 |
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'''日蓮上人断簡第三紙'''はさいたま市指定文化財([[鎌倉時代]]、[[昭和]]46年([[1971年]])[[2月12日]]指定)<ref name="文化財" />。 |
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[[寛正]]3年([[1462年]])、唯教院日圓(勝浦[[長福寺 (勝浦市)|長福寺]]7世)の開山によって千葉県夷隅郡総野村(現在の[[勝浦市]])に創建された。[[明治]]19年([[1886年]])、正法院日寛の代に現在地へ移転したという。昭和46年(1971年)に所蔵の日蓮上人断簡が[[浦和市]](当時)指定文化財となった。 |
[[寛正]]3年([[1462年]])、唯教院日圓({{要出典範囲|勝浦[[長福寺 (勝浦市)|長福寺]]7世|date=2017年12月21日 (木) 01:33 (UTC)}})の開山によって千葉県夷隅郡総野村(現在の[[勝浦市]])に創建された<ref name="縁起" />。[[明治]]19年([[1886年]])、正法院日寛の代に現在地へ移転したという<ref name="縁起" />。昭和46年(1971年)に所蔵の日蓮上人断簡が[[浦和市]](当時)指定文化財となった<ref name="文化財" />。 |
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== 境内 == |
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== 文化財 == |
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* 日蓮上人断簡第三紙 縦およそ32センチメートル、横47.5およそセンチメートルの[[日蓮]]真筆の書簡の断簡(第三紙に相当するとみられる)で、『昭和定本日蓮聖人遺文』(立正大学宗学研究所)によれば、[[建治]]年間([[1275年]] 0 [[1278年]])に[[身延山]][[久遠寺]]において著されたものという。法華経二十 |
* 日蓮上人断簡第三紙 縦およそ32センチメートル、横47.5およそセンチメートルの[[日蓮]]真筆の書簡の断簡(第三紙に相当するとみられる)で、『昭和定本日蓮聖人遺文』(立正大学宗学研究所)によれば、[[建治]]年間([[1275年]] 0 [[1278年]])に[[身延山]][[久遠寺]]において著されたものという<ref name="文化財" />。法華経二十九品のうちの宝塔品を解説した一部とみられ、本紙裏に貼付の紙には[[加藤祐清]](中級武士とされる)の供養のために寄進したことと、日蓮の真筆であることを僧侶達が鑑定したことが記される<ref name="文化財" />。 |
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== 関連資料 == |
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* 『浦和市文化財調査報告書 第16集』浦和市教育委員会(1971年) |
* 『浦和市文化財調査報告書 第16集』浦和市教育委員会(1971年) |
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* 『浦和の文化財』浦和市教育委員会(1986年) |
* 『浦和の文化財』浦和市教育委員会(1986年) |
2017年12月21日 (木) 01:33時点における版
圓蔵寺 | |
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所在地 | 埼玉県さいたま市浦和区東岸町 |
位置 | 北緯35度51分20秒 東経139度39分38.5秒 / 北緯35.85556度 東経139.660694度座標: 北緯35度51分20秒 東経139度39分38.5秒 / 北緯35.85556度 東経139.660694度 |
山号 | 長久山 |
宗旨 | 日蓮宗 |
創建年 | 1462年 |
開山 | 唯教院日圓 |
文化財 | 日蓮上人断簡 |
法人番号 | 3030005000023 |
圓蔵寺(えんぞうじ)は、埼玉県さいたま市浦和区東岸町にある日蓮宗の寺院。山号は長久山[1]。旧本山は大本山池上本門寺、池上・芳師法縁。
日蓮上人断簡第三紙はさいたま市指定文化財(鎌倉時代、昭和46年(1971年)2月12日指定)[2]。
歴史
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寛正3年(1462年)、唯教院日圓(勝浦長福寺7世[要出典])の開山によって千葉県夷隅郡総野村(現在の勝浦市)に創建された[1]。明治19年(1886年)、正法院日寛の代に現在地へ移転したという[1]。昭和46年(1971年)に所蔵の日蓮上人断簡が浦和市(当時)指定文化財となった[2]。
境内
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- 本堂
文化財
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- 日蓮上人断簡第三紙 縦およそ32センチメートル、横47.5およそセンチメートルの日蓮真筆の書簡の断簡(第三紙に相当するとみられる)で、『昭和定本日蓮聖人遺文』(立正大学宗学研究所)によれば、建治年間(1275年 0 1278年)に身延山久遠寺において著されたものという[2]。法華経二十九品のうちの宝塔品を解説した一部とみられ、本紙裏に貼付の紙には加藤祐清(中級武士とされる)の供養のために寄進したことと、日蓮の真筆であることを僧侶達が鑑定したことが記される[2]。
歴代
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- 唯教院日圓
- 正法院日寛
脚注
関連資料
- 『浦和市文化財調査報告書 第16集』浦和市教育委員会(1971年)
- 『浦和の文化財』浦和市教育委員会(1986年)
- 『さいたま市史料叢書』