コンテンツにスキップ

「復活 (キリスト教)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Kinno Angel (会話 | 投稿記録)
正教会: 重複に気付きませんでした…
Kinno Angel (会話 | 投稿記録)
ノートに説明します
90行目: 90行目:
[[正教会]]の[[十字架挙栄祭]]の伝承にみられるように、死からの復活の奇蹟が起きたとする伝承は、聖書時代以降にも教会に遺されている。
[[正教会]]の[[十字架挙栄祭]]の伝承にみられるように、死からの復活の奇蹟が起きたとする伝承は、聖書時代以降にも教会に遺されている。


== 第二の創造・身体の復活 ==
== 身体の復活 ==
{{Notice|当記事の[[ノート:復活|ノート]]に、本節の扱いについての議論があります。|section=1}}
{{Notice|当記事の[[ノート:復活|ノート]]に、本節の扱いについての議論があります。|section=1}}
キリスト教神学においては、復活は「第二の創造」のはじまりである。キリストの復活はアダムの罪によって頽落した被造世界の更新の始まりであり、人間性の本来的回復である。ここで重要なのは「身体」をもったキリストが甦ったという考え方である。なるほどこの身体は、われわれがもっている可変的な「朽ちる身体」ではないのだが、身体をまったく失った霊的存在として復活のキリストが考えられているわけではない。キリスト教正統教義における復活のキリストは、それ以前とはまったく異質ながら、しかしなお「朽ちない身体」をもった存在である。このような考え方は、ユダヤ教徒の一部からもギリシア人からも異様なものと考えられた。[[サドカイ派]]は復活を否定していたし、また「身体は魂の牢獄である」というギリシア的観点からは、死は身体という劣った存在様態からの開放であり、「身体の復活」という思想自体が受け入れがたいものであった。キリスト教が発展していくなかで、内部からもキリストの復活についての異説が生じた。[[グノーシス派]]はその最大のものである。これは身体を忌避することから、復活をも否定するものであった。またキリストはそもそも身体をもった存在ではなく、身体の幻をまとっていたにすぎなかった(したがって十字架上で苦しんだわけではなかった)とする[[化幻説]]も生じた。こうした考え方は[[異端]]とされ、教会の主流からは排斥されたが、しかしその後何百年にもわたり、たびたび現れた。
キリストの復活はアダムの罪によって頽落した被造世界の更新の始まりであり、人間性の本来的回復である。ここで重要なのは「身体」をもったキリストが甦ったという考え方である。なるほどこの身体は、われわれがもっている可変的な「朽ちる身体」ではないのだが、身体をまったく失った霊的存在として復活のキリストが考えられているわけではない。キリスト教正統教義における復活のキリストは、それ以前とはまったく異質ながら、しかしなお「朽ちない身体」をもった存在である。このような考え方は、ユダヤ教徒の一部からもギリシア人からも異様なものと考えられた。[[サドカイ派]]は復活を否定していたし、また「身体は魂の牢獄である」というギリシア的観点からは、死は身体という劣った存在様態からの開放であり、「身体の復活」という思想自体が受け入れがたいものであった。キリスト教が発展していくなかで、内部からもキリストの復活についての異説が生じた。[[グノーシス派]]はその最大のものである。これは身体を忌避することから、復活をも否定するものであった。またキリストはそもそも身体をもった存在ではなく、身体の幻をまとっていたにすぎなかった(したがって十字架上で苦しんだわけではなかった)とする[[化幻説]]も生じた。こうした考え方は[[異端]]とされ、教会の主流からは排斥されたが、しかしその後何百年にもわたり、たびたび現れた。


なお伝統的教義においては、死んだのは人としてのキリストのみであり、従って復活するのも人としてのキリストである。神としてのキリストが死んだわけではないと考えている。
なお伝統的教義においては、死んだのは人としてのキリストのみであり、従って復活するのも人としてのキリストである。神としてのキリストが死んだわけではないと考えている。
110行目: 110行目:


ハリストスの復活のイコンは、黄泉降りと呼ばれるものが多く用いられる。これは正教会において、復活したハリストスが黄泉に降り、[[アダム]]と[[イヴ]]をはじめとした旧約時代の人々を黄泉から引き上げ復活させたとされる伝承に由来する。
ハリストスの復活のイコンは、黄泉降りと呼ばれるものが多く用いられる。これは正教会において、復活したハリストスが黄泉に降り、[[アダム]]と[[イヴ]]をはじめとした旧約時代の人々を黄泉から引き上げ復活させたとされる伝承に由来する。

正教会においては、[[キリスト|キリスト(ハリストス)]]の復活は「新たな創造」とも表現される<ref>[[府主教]][[カリストス・ウェア]]、名古屋ハリストス正教会司祭 ゲオルギイ 松島雄一 翻訳『[http://www.orthodox-jp.com/nagoya/htrb.htm 正教徒は聖書をどう読むべきか]』</ref>。


== 西方教会 ==
== 西方教会 ==
=== カトリック教会 ===
=== カトリック教会 ===
[[カトリック教会]]の[[典礼暦]]の中でも(他の多くの教派と同様)[[主日]](日曜日)はキリストが復活した日として重要視される。その主日の中で、一年で最も盛大に祝われるのが[[復活祭]]であり、復活徹夜祭は典礼暦年の頂点と位置づけられる。復活祭から[[聖霊降臨祭]]までの50日間は[[復活節]]と呼ばれる期間である<ref>新要理書編纂特別委員会/編、日本カトリック司教協議会/監修(2003年)『カトリック教会の教え』206頁 - 207頁、[[カトリック中央協議会]]、ISBN 9784877501068</ref>。
[[カトリック教会]]の[[典礼暦]]の中でも(他の多くの教派と同様)[[主日]](日曜日)はキリストが復活した日として重要視される。その主日の中で、一年で最も盛大に祝われるのが[[復活祭]]であり、復活徹夜祭は典礼暦年の頂点と位置づけられる。復活祭から[[聖霊降臨祭]]までの50日間は[[復活節]]と呼ばれる期間である<ref>新要理書編纂特別委員会/編、日本カトリック司教協議会/監修(2003年)『カトリック教会の教え』206頁 - 207頁、[[カトリック中央協議会]]、ISBN 9784877501068</ref>。

[[カトリック教会]]ではキリストの復活につき「第二の創造」とも表現される<ref>[http://mr826.net/psi/blog/categories/kimamanizuihitu/cbcategory_view?b_start:int=8 気ままに随筆 糸永真一司教のカトリック時評]</ref>。
{{節stub}}
{{節stub}}



2010年11月22日 (月) 01:50時点における版

フレスコ画イコン『主の復活』(黄泉降り)。現在はカーリエ博物館となっている、ホーラ(コーラ)修道院の聖堂内、湾曲した天井に描かれている。主ハリストスキリスト)がアダムエヴァの手を取り、地獄から引き上げる情景を描いたもの。主・神であるキリストにより、旧約の時代の人々にまで遡って復活の生命が人類全てに与えられたという正教会の伝承に基づいている。

この項目では、キリスト教における復活ギリシア語: Ἀνάστασις, ラテン語: Resurrectio, 英語: Resurrection, ドイツ語: Auferstehung, ロシア語: Воскресение)を扱う。

概要

キリスト教においては、十字架につけられた救世主イエス・キリストが、眠っている者の初穂として死人の中から復活したことが信仰されている(コリントの信徒への手紙一、15: 20)。キリストが復活し、キリストの復活によって全ての人が生きるとされ(コリントの信徒への手紙一、15: 21 - 22)、死者は復活するとされる(テサロニケの信徒への手紙一、4: 13 - 18)[1][2][3][4][5]

このように、キリスト教における復活は、イエス・キリストのみにとどまるものではなく、全ての人に及ぶものである。善行をした者も悪行をした者も、最後の審判の日には全ての人が復活するとされ、善行を行った者は生命の復活に出て、悪行を行った者は裁きを受けるために復活するとされる(ヨハネによる福音書5: 29[6][7]、ただし教派・思潮によって、この「善行」「悪行」をどのように解釈するかには、小さくない差がある)。

キリスト教における4つの福音書には、イエスの誕生について語らないものはあるが、復活について記していないものはない。キリスト教において復活は、最初の最も基本的な宣教の内容を形成しており、キリスト教神学の中心的位置を占めている。キリスト教の復活の信仰は、キリストの復活の事実に基いているとされる[1]

コリントの信徒への手紙一の15: 14における、使徒パウロによる「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。」(口語訳聖書)との文言が、キリスト教において復活信仰が欠かせないことを示すものとして挙げられる[1][2][8][9]

キリストの復活が、全人類的な意味における死者の復活へ結び付くとされる信仰内容は、聖書の多くの箇所に示されているのみならず、多くの教派が用いるニカイア・コンスタンティノポリス信条といった祈祷文・信仰告白、および各種イコンや芸術作品(絵画・音楽作品等)にも表れている。

他方、自由主義神学の影響下にある派・信徒の中には、キリストの復活を事実として信じない者が少なからず存在する[10][11]。一方で、自由主義神学と正統主義双方の行き過ぎを是正しようとしたブルトマン の立場からの、「『歴史的事実』『客観的事実』ではなく神話であるが、たしかに(ケリュグマにおいて)復活した」とする非神話化の説明も存在する[12][13]

旧約

『大魚に吐き出されたヨナ』(ギュスターヴ・ドレ

旧約聖書ユダヤ教においても正典であるが、本項ではキリスト教における理解について述べる。

旧約聖書にも復活についての記述が存在する。

預言者エリヤエリシャが復活の奇蹟を行ったことが記されている(列王記上17: 17 - 23、列王記下4: 33 - 35)[5]

詩篇聖詠)においては、「爾の生命を墓より救い」(詩篇103: 4、聖詠102: 4)、「主は彼を護りてその生命を保たん」(詩篇41: 2、聖詠40: 3)、「我らを生かし給え」(詩篇80: 18、聖詠79: 19)、「…爾我が霊を地獄に遺さず、爾の聖者に朽つるを見ざらしめん。爾我に生命の道を示さん、爾が顔の前に喜びの充満あり、爾が右の手に世々の福楽あり。」(詩篇16: 10 - 11、聖詠15: 10 - 11)といった箇所において、唯一の神が命と死の主であり、神が死んだ人間を陰府から呼び戻して復活させ得ること、神は人の霊を陰府に捨て置いたり、腐敗するのを許されたりはしないことが示されているとされる[14][5]

預言者達によっても、エゼキエル書(37: 1 - 14)における枯れた骨の復活や、イザヤ書(26: 19、51: 17、53: 8 - 12、60: 1)、ホセア書(6: 1 - 2、13: 14)といった箇所で復活が預言されているとされる[5]

ヨナ書において、預言者ヨナが神によって大魚の腹の中に飲み込まれたのち、三日後に陸に吐き出されたことは(ヨナ書1: 17 - 2: 10)、救世主イエス・キリストの三日目の復活を預象するものであるとされる。このことはイエス自身の言葉としてマタイによる福音書(12: 40、16: 4)に記されており、イエスが語る『ヨナのしるし』とは、イエス・キリストの死と復活を指すものと理解される[15][16][17]

新約

キリストの復活

『キリストの復活』(18世紀ポーランド

正教会カトリック教会プロテスタントなど多くの教派で、キリストの死者の中からの復活は、初期キリスト教時代からの教えの中心的内容とされてきた[4][5][9][18]パウロ書簡で最も初期のものと考えられているテサロニケ人への第一の手紙において、パウロは「死者のうちから甦った神の子」(1: 10)に言及している。

会堂司の娘の復活(マタイによる福音書9: 18 - 26)、ラザロの復活(ヨハネによる福音書11章)といった奇蹟や、イエス自身による度重なる言葉により、死と復活はイエスによって事前に繰り返し予告された旨が福音書の各所に記述されている。

イエス・キリストの降誕について記していない福音書はあるが(マルコによる福音書ヨハネによる福音書には具体的記述がない)、イエス・キリストの復活について記していない福音書はない。

『キリストの墓での3人のマリア』(1835, Ludwig Ferdinand Schnorr von Carolsfeld

これら4つの福音書の記述をみても、イエス・キリストの復活した場面を目撃した者は誰も記されていない。遺体がなく空になった墓の記述と、イエス・キリストが復活した後、多くの弟子に現れたことが記されているのみである[1]。キリストが復活した場面を描くイコン・図像は、時代が下ってから復活の深い意味を表現する手段[19]として描かれるようになった[1]

4つの福音書は共通して、キリストの処刑後第三日、すなわち日曜日の早朝、女たちが墓をたずねていくと、墓が空になっており、青年(天使)が女達にキリストの復活を告げたことを述べているが、その後の記述はかならずしも相互に一致してはいない[1]

キリストの復活の諸々の出来事につき、マタイ、マルコは1日の間のことであるとし、ヨハネは数日に及ぶこととしている。ルカは福音書(ルカによる福音書)においては1日の出来事として書いているが、聖書とパンさきによって復活が知られる事を記す一方で、使徒言行録では復活のキリストの地上での生活を40日間と記述している[1]

さらに、マタイとマルコでは、復活のキリストがガリラヤで弟子達に会うとされているが、ルカは全てエルサレムでの出来事として書いている[1]

使徒パウロコリントの信徒への手紙一(15: 5 - 8)において、復活後のキリストに会った人々の名を挙げている。ペトロ十二使徒、500人以上の信者達、主の兄弟ヤコブ、全ての使徒達、最後にパウロである。しかしこの次第も、福音書の内容とは完全には一致していない[5]

伝統的解釈を重んじる人々からは、こうした矛盾につき、復活のキリストが時間と空間を越えた存在(光栄の主)になっていたためであり、諸々の出来事は超自然的な領域に属する現象であったためであるとする解釈が示される[5]。また、こうした不一致につき、ガリラヤでの出来事の記述とエルサレムの出来事の記述は相互補完的なものであるとする説明もなされる[10]

一方、近代以降の啓蒙主義の合理主義の影響を受けた自由主義神学に立つ解釈では、この矛盾を、復活は歴史的事実ではなく信者の心のなかにキリストがとどまりその印象が強化されたことを意味しており、したがって復活の記述はこの信仰の表現として創造せられたためと考える。

高等批評を行う立場からは、写本と用語の問題から、最古の福音書と考えられるマルコ福音書には当初、復活のキリストの描写部分はなかったと考えられている[20](これを是としない教派・思潮も多い)。

ハルナックなど自由主義神学からは、弟子達はキリストの死を悲しむあまり、キリストを求め、精神状態を乱し、キリストを見たと信じるようになった(つまり復活は錯乱した弟子達による錯覚)とされることがある[10]

こうした自由主義神学の説に対しては、疑い深かった弟子(トマス)がいたことが記されていること、イエスの死体に香料塗ろうとして墓を訪れた女達もまるで復活を期待してはいなかったことなどを示して、弟子達は錯乱や狂信から程遠い状態にあったとして、復活が事実であったとの信仰を強調しようとされることがある[10]

キリスト以外の復活

ラザリ(ラザロ)の復活のイコン15世紀ノヴゴロド

新約聖書には、キリストの復活のほかにもいくつかの復活の記事がある。

福音書はイエスが行った復活の奇跡として、会堂司の娘の復活(マタイによる福音書9: 18 - 26)、ラザロの復活(ヨハネによる福音書11章)の復活に言及している。

伝統的なキリスト教では、これらの復活とキリストの復活とを分けて考える。これらの復活した人々は、その後また自然の死を迎えたのであり、罪と死に対する勝利をもたらす唯一の復活である、十字架につけられたキリストの復活とは次元が異なると捉えられる[1][5]

正教会におけるラザロの復活のイコンでは、墓から出てきたラザロの前にいる人々のうちに鼻を手で覆っている者が描かれるが、これは死臭を避けているのであるといわれる。ラザロは、自分の身体、それも死後4日間経って腐りかけている肉体のうちに意識を取り戻したのであり、この肉体自体は、またいつか朽ちて眠りにつくのである[1][21]

しかしながらこれらの復活は、確かに次元は全く異なるものではあるものの、イエス自身の復活を明白な形ではないにせよ予告するものであったともされる。墓から出たラザロは、イエスの呼びかけによって死から救われる者の姿を具体的に象徴しているとされる[5]。さらにラザロの復活は、エゼキエル書(37: 1 - 14)における枯れた骨の復活にみられるように、万人の復活を証明する奇蹟であるとも説明される[22]

使徒言行録では、使徒たちが復活の奇跡を起こしている。ペトロタビタを甦らせた記事(使徒言行録9: 40)、パウロが転落した若者を甦らせた記事(20: 9 - 12)がある。

最後の審判の前には、全ての人の復活が起きるとされている(ヨハネによる福音書5: 28 - 29、ただし天国に入るか地獄に行くかは審判の結果による)[1][5][7][23]

教会史上の伝承

正教会十字架挙栄祭の伝承にみられるように、死からの復活の奇蹟が起きたとする伝承は、聖書時代以降にも教会に遺されている。

身体の復活

キリストの復活はアダムの罪によって頽落した被造世界の更新の始まりであり、人間性の本来的回復である。ここで重要なのは「身体」をもったキリストが甦ったという考え方である。なるほどこの身体は、われわれがもっている可変的な「朽ちる身体」ではないのだが、身体をまったく失った霊的存在として復活のキリストが考えられているわけではない。キリスト教正統教義における復活のキリストは、それ以前とはまったく異質ながら、しかしなお「朽ちない身体」をもった存在である。このような考え方は、ユダヤ教徒の一部からもギリシア人からも異様なものと考えられた。サドカイ派は復活を否定していたし、また「身体は魂の牢獄である」というギリシア的観点からは、死は身体という劣った存在様態からの開放であり、「身体の復活」という思想自体が受け入れがたいものであった。キリスト教が発展していくなかで、内部からもキリストの復活についての異説が生じた。グノーシス派はその最大のものである。これは身体を忌避することから、復活をも否定するものであった。またキリストはそもそも身体をもった存在ではなく、身体の幻をまとっていたにすぎなかった(したがって十字架上で苦しんだわけではなかった)とする化幻説も生じた。こうした考え方は異端とされ、教会の主流からは排斥されたが、しかしその後何百年にもわたり、たびたび現れた。

なお伝統的教義においては、死んだのは人としてのキリストのみであり、従って復活するのも人としてのキリストである。神としてのキリストが死んだわけではないと考えている。

教会暦

キリスト教において、日曜日、すなわち主日の礼拝は、第一に復活を記念するためのものである。年一度の復活祭も復活を記念する祭である[24]。多くの教派にとって、復活祭はもっとも重要な祭である。

東方教会

正教会

『黄泉降り』のイコン。上方にキリストが復活した情景、下方にキリストがアダムエヴァの手を取り人々を地獄から引き上げる情景が描かれている。17世紀ヤロスラヴリのもの。

正教会では、主日(日曜日)の早課スラヴ系の正教会では徹夜祷の一部として土曜日の晩に行われる事が多い)において、特別な祭日による指定の無い限り、必ず福音書のうちハリストスキリスト)の復活について記述された箇所が奉読される。11種類の指定があるので、これを「十一福音」と言う。土曜日の夜から日曜日の夕方にかけて[25]奉神礼はハリストスの復活に関連付けられ、この時の聖歌の多くがハリストスの復活を記憶するものとなっている。

また、正教会で行われる祭のうち、復活大祭はハリストスの復活を記憶する祭であり、正教会における最大の祭典である。

復活大祭は、多くの場合深夜からその奉神礼(礼拝)が始められ、早朝にかけて聖体礼儀が行われる。普段の奉神礼では頻繁に誦経される部分であっても誦経されることは殆どなく、ほぼ全て詠隊聖歌を歌うことで実施される。また、イコノスタスの全ての門は開放され、蝋燭等の照明は全てが灯される。視覚面にも聴覚面でも壮麗な式典となる。

ハリストスの復活のイコンは、黄泉降りと呼ばれるものが多く用いられる。これは正教会において、復活したハリストスが黄泉に降り、アダムイヴをはじめとした旧約時代の人々を黄泉から引き上げ復活させたとされる伝承に由来する。

正教会においては、キリスト(ハリストス)の復活は「新たな創造」とも表現される[26]

西方教会

カトリック教会

カトリック教会典礼暦の中でも(他の多くの教派と同様)主日(日曜日)はキリストが復活した日として重要視される。その主日の中で、一年で最も盛大に祝われるのが復活祭であり、復活徹夜祭は典礼暦年の頂点と位置づけられる。復活祭から聖霊降臨祭までの50日間は復活節と呼ばれる期間である[27]

カトリック教会ではキリストの復活につき「第二の創造」とも表現される[28]

聖公会

聖公会教会暦の中でも(他の多くの教派と同様)主日(日曜日)はキリストが復活した日として位置づけられ、「根源の祝日」ともされる。一年に一度の復活祭は、聖公会祈祷書では復活日とも記載される。復活節と呼ばれる期間は、復活日から始まり聖霊降臨日で終わる50日間である[29]。復活日とその後の7日間には、朝の礼拝における最初の詩篇部分が『復活の歌』に代えられるほか[30]、聖餐式の奉献唱・特別叙唱もこの期間用のものが用意されている(復活節も同様にする事が可能)。[31]

プロテスタント

自由主義神学

福音派

復活をテーマとした作品

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『キリスト教大事典 改訂新版』908頁 - 910頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版
  2. ^ a b "Orthodox Study Bible" (正教聖書註解) P. 1569 - P. 1570 (2008年)
  3. ^ 日本ハリストス正教会教団(昭和55年)『正教要理』106頁
  4. ^ a b カトリック中央協議会(2002年)『カトリック教会のカテキズム』298頁 - 299頁、ISBN 4877501010
  5. ^ a b c d e f g h i j J. Radermakeres, P. Grelot(1987年10月20日)『聖書思想事典』730頁 - 735頁 三省堂
  6. ^ 修道院長ミハイル著、ペトル小野訳(明治17年5月)『イオアン福音注解 上』正教会、281頁、282頁
  7. ^ a b 村瀬俊夫新聖書注解 新約第一巻』470頁
  8. ^ 宮村武夫新聖書注解 新約第二巻』355頁、356頁
  9. ^ a b 日本ハリストス正教会教団(昭和55年)『正教要理』52頁 - 55頁
  10. ^ a b c d 『カトリック大辞典 IV』474頁 - 476頁、上智大学編纂、冨山房、昭和42年第七刷
  11. ^ 世界キリスト教情報 2002年12月30日(月)第628信(週刊総合版)
  12. ^ R.メール 1979, p166、およびR.メール 1979, p173)
  13. ^ C.F.ヴィスロフ『現代神学小史』いのちのことば社p.116
  14. ^ 引用箇所:日本正教会訳聖詠経』より
  15. ^ "Orthodox Study Bible" (正教聖書註解) P. 1021(2008年)
  16. ^ 村瀬俊夫新聖書注解 新約第一巻』129頁
  17. ^ 川島貞雄著 (1991/07)『新約聖書注解―新共同訳 (1)』91頁、日本基督教団出版局 ISBN 9784818400818
  18. ^ イエスが父と呼んだ神 第三回 ナザレのイエスへのアプローチ岩島忠彦上智大学神学部教授)
  19. ^ 主の復活のイコン - 大阪ハリストス正教会
  20. ^ 川島貞雄著 (1991/07)『新約聖書注解―新共同訳 (1)』259頁、日本基督教団出版局 ISBN 9784818400818
  21. ^ ラザリの復活 - 大阪ハリストス正教会
  22. ^ "Orthodox Study Bible" (正教聖書註解) P. 1448 (2008年)
  23. ^ 著:モスクワ府主教マカリイ1世、訳:上田将『正教定理神学』542頁 - 550頁。近代デジタルライブラリー
  24. ^ J. Radermakeres, P. Grelot(1987年10月20日)『聖書思想事典』485頁 三省堂
  25. ^ 教会暦は日没を以て一日の始まりとするので、教会暦においてはこれは全て主日:日曜日と位置付けられる
  26. ^ 府主教カリストス・ウェア、名古屋ハリストス正教会司祭 ゲオルギイ 松島雄一 翻訳『正教徒は聖書をどう読むべきか
  27. ^ 新要理書編纂特別委員会/編、日本カトリック司教協議会/監修(2003年)『カトリック教会の教え』206頁 - 207頁、カトリック中央協議会ISBN 9784877501068
  28. ^ 気ままに随筆 糸永真一司教のカトリック時評
  29. ^ 『日本聖公会 祈祷書』4頁、9頁、日本聖公会、1991年6月20日 第一版
  30. ^ 『日本聖公会 祈祷書』20頁、日本聖公会、1991年6月20日 第一版
  31. ^ 『日本聖公会 祈祷書』193頁、日本聖公会、1991年6月20日 第一版

参考文献

  • 『キリスト教大事典 改訂新版』教文館、昭和52年 改訂新版第四版
  • X. レオン・デュフール(編集委員長)Z. イェール(翻訳監修者)、(1987年10月20日)『聖書思想事典』三省堂 ISBN 4385153507
  • (2008年)"Orthodox Study Bible" (正教聖書註解)
  • R.メール (著), 小林 恵一 (翻訳), 中谷 拓士 (翻訳)、(1979年5月)『プロテスタント―過去と未来 (1979年)』ヨルダン社、ASIN B000J8H6UA

関連項目

外部リンク