LRヴィチェンツァ
LRヴィチェンツァ(L.R. Vicenza)は、イタリア・ヴィチェンツァを本拠地とするサッカークラブ。2022-23シーズンはセリエCに参加している。
LRヴィチェンツァ | ||||
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原語表記 | L.R. Vicenza S.p.A. | |||
愛称 |
I Biancorossi (白と赤) I Berici Lanerossi | |||
クラブカラー | 白と赤 | |||
創設年 | 1902年 | |||
所属リーグ | セリエC | |||
所属ディビジョン | 3部 | |||
ホームタウン | ヴィチェンツァ | |||
ホームスタジアム | スタディオ・ロメオ・メンティ | |||
収容人数 | 12,000[1] | |||
代表者 | レンツォ・ロッソ[2] | |||
監督 | アイモ・ディアーナ | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
歴史
編集1902年創設。1910-11シーズンにイタリア選手権に初めて参加し、決勝に進んだが、当時のイタリアで最高のチームのひとつであったプロ・ヴェルチェッリに敗れた[3]。1920年代から1930年代は下位ディビジョンに所属し、1942-43シーズンに初めてセリエAに昇格した。同シーズンは最終節にトリノでユヴェントスを6-2で破り、それによって降格を免れた[4]。
1946-47シーズンにはセリエAで5位となったが[5]、その翌シーズンは21チーム中20位に沈み、セリエBに降格した[6]。1950年代前半には財政難に直面したが、1953年にスキーオの羊毛会社ラネロッシにクラブが買収され、ラネロッシ・ヴィチェンツァ (Lanerossi Vicenza) に改名された。
1955年から1975年にかけてヴィチェンツァは一度もセリエAから落ちることなく、より名高いクラブを相手に悪戦苦闘を続けた。この時代のヴィチェンツァには、“気高きプロヴィンチャーレ” (Nobile Provinciale) というニックネームが付けられた。1963-64シーズンと1965-66シーズンに6位となり、1965-66シーズンはブラジル人FWのルイス・ヴィニシオが25ゴールで得点王に輝いた[7][8]。
1975年にセリエBに降格したが、1976-77シーズンに優勝すると[9]、翌1977-78シーズンのセリエAでは24ゴールを挙げて得点王となった若きパオロ・ロッシを擁して2位となった[10]。このシーズンのチームにはレアル・ヴィチェンツァ (Real Vicenza) というニックネームが付けられた[11]。ユヴェントスからロッシを完全移籍させるために、クラブの会長ジュゼッペ・ファリーナは、当時の最高移籍金額となる2600万リラを支払ったが、1979年にセリエB降格[12]、さらに1981年にはセリエC1に降格した[13]。
1980年代中盤、ロベルト・バッジョはこのクラブで自身のキャリアをスタートさせた。1985-86シーズン、セリエBで3位となってセリエA昇格を決めたが、第2次トトネロ(闇サッカー賭博)スキャンダルに関与したことへの処分として昇格が取り消された[14]1986-87シーズンには、セリエC1降格が決まった。[15]。
1990年にヴィチェンツァ・カルチョ (Vicenza Calcio) に改名された。1993年にセリエBに昇格[16]、1995年にセリエAに昇格した[17]。1995-96シーズンのリーグで9位[18]、1997年のコッパ・イタリアではSSCナポリを合計スコア3-1で降して優勝した。コッパ・イタリア優勝により出場権を獲得した1997-98シーズンのカップウィナーズカップでは、準決勝でイングランドのチェルシーに敗れた。
1999年にセリエBに降格、2001年にセリエAに復帰した。2004-05シーズン、負ければセリエC1への降格が決まるセリエBの降格プレーオフにおいてトリエスティーナに敗れたが、[19]イタリアサッカー連盟 (FIGC) がジェノアとペルージャを降格させたためセリエBに再登録された。
2018年1月18日、裁判により破産が決定した[20]。前年の9月から給与の支払いが滞り1月に入ってからは選手からストライキを起こされていた。一時は4部降格の危機もあったが、プレーアウトの機会が認められ勝利し残留。クラブは新たなオーナーに移譲され、バッサーノ・ヴィルトゥス55STと合併しLRヴィチェンツァ・ヴィルトゥスという名称になった。
2021年、クラブからヴィルトゥスという名前が消えLRヴィチェンツァというクラブ名になった [21]。
タイトル
編集国内タイトル
編集- コッパ・イタリア : 1回
- 1996-97
- セリエB:3回
- 1954-55, 1976-77, 1999-2000
- セリエC:1回
- 1939-40
- コッパ・イタリア・セリエC:1回
- 1981-82
国際タイトル
編集- なし
過去の成績
編集シーズン | ディビジョン | コッパ・イタリア | ||||||||
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リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | ||
1993-94 | セリエB | 38 | 9 | 19 | 10 | 30 | 33 | 37 | 10位 | 2回戦敗退 |
1994-95 | セリエB | 38 | 17 | 17 | 4 | 54 | 26 | 68 | 3位 | 2回戦敗退 |
1995-96 | セリエA | 34 | 13 | 10 | 11 | 36 | 37 | 49 | 9位 | ベスト16 |
1996-97 | セリエA | 34 | 12 | 11 | 11 | 43 | 38 | 47 | 8位 | 優勝 |
1997-98 | セリエA | 34 | 9 | 9 | 16 | 36 | 61 | 36 | 14位 | ベスト32 |
1998-99 | セリエA | 34 | 8 | 9 | 17 | 55 | 27 | 47 | 17位 | ベスト16 |
1999-00 | セリエB | 38 | 20 | 7 | 11 | 69 | 45 | 67 | 1位 | 1回戦敗退 |
2000-01 | セリエA | 34 | 9 | 9 | 16 | 37 | 51 | 36 | 16位 | 2回戦敗退 |
2001-02 | セリエB | 38 | 12 | 13 | 13 | 50 | 52 | 49 | 9位 | 1回戦敗退 |
2002-03 | セリエB | 38 | 13 | 15 | 10 | 55 | 50 | 54 | 8位 | ベスト8 |
2003-04 | セリエB | 46 | 12 | 20 | 14 | 48 | 51 | 56 | 13位 | 1回戦敗退 |
2004-05 | セリエB | 42 | 12 | 14 | 17 | 59 | 67 | 49 | 17位[22] | 1回戦敗退 |
2005-06 | セリエB | 42 | 13 | 10 | 19 | 38 | 49 | 49 | 16位 | 1回戦敗退 |
2006-07 | セリエB | 42 | 12 | 14 | 16 | 42 | 43 | 50 | 11位 | 1回戦敗退 |
2007-08 | セリエB | 42 | 10 | 15 | 17 | 43 | 60 | 45 | 17位 | 2回戦敗退 |
2008-09 | セリエB | 42 | 13 | 13 | 16 | 44 | 41 | 52 | 12位 | 3回戦敗退 |
2009-10 | セリエB | 42 | 12 | 17 | 13 | 40 | 41 | 53 | 14位 | 2回戦敗退 |
2010-11 | セリエB | 42 | 15 | 9 | 18 | 44 | 54 | 54 | 12位 | 4回戦敗退 |
2011-12 | セリエB | 42 | 10 | 14 | 18 | 43 | 61 | 44 | 19位[23] | 2回戦敗退 |
2012-13 | セリエB | 42 | 10 | 12 | 20 | 41 | 58 | 42 | 19位 | 3回戦敗退 |
2013-14 | レガプロ・プリマ・ジローネA | 30 | 14 | 9 | 7 | 44 | 29 | 5位[24] | 2回戦敗退 | |
2014-15 | セリエB | 42 | 18 | 14 | 10 | 44 | 37 | 68 | 3位 | 1回戦敗退 |
2015-16 | セリエB | 42 | 11 | 16 | 15 | 41 | 53 | 49 | 13位 | 4回戦敗退 |
2016-17 | セリエB | 42 | 9 | 14 | 19 | 33 | 52 | 41 | 20位 | 3回戦敗退 |
2017-18 | セリエC・ジローネB | 34 | 8 | 11 | 15 | 29 | 39 | 31 | 18位 | 2回戦敗退 |
2018-19 | セリエC・ジローネB | 38 | 12 | 17 | 9 | 44 | 37 | 53 | 8位 | 2回戦敗退 |
2019-20 | セリエC・ジローネB | 27 | 18 | 7 | 2 | 41 | 12 | 61 | 1位 | 1回戦敗退 |
2020-21 | セリエB | 38 | 11 | 15 | 12 | 48 | 53 | 48 | 12位 | 3回戦敗退 |
2021-22 | セリエB | 38 | 9 | 7 | 22 | 38 | 59 | 34 | 17位 | 2回戦敗退 |
2022-23 | セリエC・ジローネA | 38 | 位 |
欧州の成績
編集シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
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1978-79 | UEFAカップ | 1回戦 | デュクラ・プラハ | 1-1 | 0-1 | 1-2 | |
1997-98 | UEFAカップウィナーズカップ | 1回戦 | レギア・ワルシャワ | 2-0 | 1-1 | 3-1 | |
2回戦 | シャフタール・ドネツク | 2-1 | 3-1 | 5-2 | |||
準々決勝 | ローダ | 5-0 | 4-1 | 9-1 | |||
準決勝 | チェルシー | 1-0 | 1-3 | 2-3 |
現所属メンバー
編集- 2021年9月11日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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ローン移籍
編集- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
編集- フランチェスコ・グイドリン 1994-1998
- エドアルド・レヤ 1998-2001
- ジャンカルロ・カモレーゼ 2005-2006
- アンジェロ・グレグッチ 2006-2009
- ロランド・マラン 2009-2011
- シルヴィオ・バルディーニ 2011-2011
- ルイジ・カーニ 2011-2012
- パスクアーレ・マリーノ (2014-2016)
- フランコ・レルダ (2016)
- ピエルパオロ・ビゾーリ (2016-2017)
- ヴィンチェンツォ・トレンテ (2017)
- アルベルト・コロンボ (2017)
- ニコラ・ザニーニ (2017-2018)
- フランコ・レルダ (2018)
- ニコラ・ザニーニ (2018)
- ドメニコ・ディ・カルロ (2019-2021)
- クリスティアン・ブロッキ (2021-)
歴代所属選手
編集- ヨアキム・ビョルクルンド 1995-1996
- グスタボ・メンデス 1995-1999
- フランチェスコ・ココ 1997-1998
- ジャンルカ・コモット 1999-2001
- クリスティアン・マッジョ 2000-2003
- トニー・マルキ 1957-1958
- アルベルト・ビゴン 1982-1984
- ドメニコ・ディ・カルロ 1990-1999
- マッシモ・アンブロジーニ 1997-1998
- ウスマーヌ・ダボ 1999, 2001
脚注
編集- ^ “Archived copy”. 29 June 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。3 August 2015閲覧。
- ^ “Vicenza, critiche alle raccattapalle minorenni: Renzo Rosso denuncia i centri anti-violenza” (イタリア語). corriere del Veneto. (27 November 2018) 28 December 2018閲覧。
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/italhist98-25.html#11
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital43.html
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital47.html
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital48.html
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital64.html
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital66.html
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital77.html
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital78.html
- ^ “Rossi e il bel gioco Ecco il Real Vicenza” (イタリア語). Gazzetta dello Sport. 2010年6月22日閲覧。
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital79.html
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital81.html
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital86.html
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital87.html
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital93.html
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital95.html
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital96.html
- ^ http://www.rsssf.com/tablesi/ital2-05.html
- ^ “バッジョを生んだ名門が…ヴィチェンツァ、破産が決定”. Qoly (2018年1月19日). 2021年9月11日閲覧。
- ^ “Ottenuta l’autorizzazione della FIGC al cambio di denominazione sociale in L.R. Vicenza S.p.A.”. lrvicenza.net (2021年6月28日). 2021年9月11日閲覧。
- ^ プレーアウトに敗れ降格となったが、ジェノアが不正で最下位に格下げされたため再昇格された
- ^ レッチェの八百長行為・降格により特別残留
- ^ プレーオフ敗退もシエーナのセリエD降格により特別昇格