ホセ・マーサ・フェルナンデス
ホセ・マーサ・フェルナンデス(José Maza Fernández, 1889年10月13日 - 1964年5月6日)は、チリの弁護士、政治家。自由党の党員で、内務大臣や法務大臣を歴任したほか、1925年憲法起草委員会の議長を務めた。また、1955年の第10回国際連合総会では総会議長を務めた。
1899年、ロス・アンヘレスにて父アルマンド・デ・ラ・マーサ・ラモス(Armando de la Maza Ramos)と母ソイラ・ロサ・フェルナンデス・アンギータ(Zoila Rosa Fernández Anguita)の息子として生を受ける。リセオ・デ・アプリカシオンで中等教育を終え、バルディビア師範学校(Escuela Normal de Valdivia)に進学する。その後、チリ大学で法学を学び、1913年には弁護士となった。
1920年代、ラハ(1921年 - 1924年)およびムルチェン(1924年)から下院議員(diputado)に選出される。その後、第9連合区(バルディビア、ジャンキーウエ、チロエー群島、マガジャーネス)から上院議員(Senador)に選出され、1926年から1932年、1933年から1937年、1937年から1945年、1945年から1953年までの4期務めた。また、1936年から1937年までは上院議長(Presidente del Senado)を務めている。
1924年2月、アルトゥーロ・アレッサンドリ大統領によって内務大臣に任命され、1925年1月から9月まで法務・教育大臣を務めた。この期間には1925年憲法起草委員会の長も務めている。
脚注
編集外部リンク
編集公職 | ||
---|---|---|
先代 ペドロ・アギーレ・セルダ |
チリ共和国内務大臣 1924年2月1日 - 1924年2月20日 |
次代 コルネリオ・サーベドラ・モント |
先代 ホセ・ベルナレス・ナバーロ |
チリ共和国法務大臣 1925年1月29日 - 1925年9月1日 |
次代 オスカル・フェンネル・マリン |
外交職 | ||
先代 エールコ・ヴァン・クレフェンス |
国際連合総会議長 1955年 - 1956年 |
次代 ルデシンド・オルテガ |