小田郡
岡山県(備中国)の郡
人口12,532人、面積90.62km²、人口密度138人/km²。(2024年12月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 矢掛町(やかげちょう)
郡域
編集歴史
編集当初の郡域には、現在の笠岡市全域と井原市の一部が含まれていた。郡制廃止後の地方事務所設置の際は、後月郡と合同の小田後月地方事務所が笠岡町(現・笠岡市)に置かれた。
近世以降の沿革
編集知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 倉敷代官所 | 21村 | ●笠岡村、西浜村、木之目村、吉浜村、生江浜村、大冝村、茂平村、用之江村、押撫村、園井村、馬飼村、広浜村、絵師村、富岡村、横島村、入江新田、神島内浦、神島外浦、北木島、真鍋島、白石島 |
旗本領 | 3村 | 宇戸谷村、烏頭村、高末村 | |
一橋徳川家領 | 29村 | 有田村、篠坂村、大江村、上稲木村、下稲木村、岩倉村、入田村、西大戸村、東大戸村、大河村、小平井村、新賀村、吉田村、今立村、走出村、三谷村、大倉村、麦草村、羽無村、三ヶ原村、高階村、平宇角村、宇角村、内田村、浅海村、●川面村、奥山田村、沖組[1]、山方組[2] | |
藩領 | 備中庭瀬藩 | 16村 | 山口村、小田村、宇内村、東水砂村、西水砂村、黒木村、三山村、宇戸村、土井村、上高末村、下高末村、矢掛村、●東三成村、●横谷村、中村、江良村 |
備中新見藩 | 2村 | 上組[3]、下組[4] | |
摂津麻田藩 | 2村 | 関戸村、川面村 | |
備中岡山新田藩 | 1村 | 尾坂村 | |
幕府領・藩領 | 旗本領・庭瀬藩 | 2村 | 小林村、里山田村 |
一橋徳川家領・庭瀬藩 | 2村 | 星田村、本堀村 |
- 慶応4年5月16日(1868年7月5日) - 幕府領が倉敷県の管轄となる。
- 明治2年6月25日(1869年8月2日) - 岡山新田藩が改称して鴨方藩となる。
- 明治3年(1870年) - この年までに旗本領・一橋徳川家領が倉敷県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治5年6月5日(1872年7月10日) - 小田県の管轄となる。
- 明治7年(1874年)(74村)
- 沖組・山方組が合併して甲弩村となる。
- 羽無村・土井村・上高末村・下高末村が高末村に合併。
- 明治8年(1875年)12月20日 - 第2次府県統合により岡山県の管轄となる。
- 明治9年(1876年) - 三谷村・麦草村・三ヶ原村・高階村・平宇角村が高末村に合併。(69村)
- 明治11年(1878年)9月29日 - 郡区町村編制法の岡山県での施行により、行政区画としての小田郡が発足。郡役所が笠岡村に設置。
- 明治12年(1881年)
- 川面村(旧・一橋徳川家領)・川面村上組・川面村下組が合併して西川面村となる。(67村)
- 川面村(旧・麻田藩領)が改称して東川面村となる。
- 明治14年(1881年) - 高末村が分割し、一部(旧・三谷村)が内田村に合併、残部が上高末村・下高末村となる。(68村)
町村制以降の沿革
編集- 明治22年(1889年)6月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(25村)
- 笠岡村 ← 笠岡村、富岡村(現・笠岡市)
- 金浦村 ← 西浜村、吉浜村、木之目村、大河村、生江浜村(現・笠岡市)
- 城見村 ← 用之江村、茂平村、大冝村(現・笠岡市)
- 陶山村 ← 押撫村、有田村、篠坂村、入田村(現・笠岡市)
- 大江村(単独村制。現・井原市)
- 稲倉村 ← 上稲木村、下稲木村、岩倉村(現・井原市)
- 大井村 ← 東大戸村、西大戸村、小平井村(現・笠岡市)
- 吉田村 ← 吉田村、関戸村、尾坂村(現・笠岡市)
- 新山村 ← 新賀村、山口村(現・笠岡市)
- 北川村 ← 甲弩村、走出村(現・笠岡市)
- 小田村(単独村制。現・矢掛町)
- 富成村 ← 黒木村、星田村、西水砂村(現・井原市)
- 美山村 ← 三山村、大倉村、東水砂村(現・井原市)
- 宇戸村 ← 宇戸谷村、烏頭村、宇戸村、上高末村[麦草](現・井原市)
- 美川村 ← 上高末村[麦草を除く]、下高末村、宇角村、内田村(現・矢掛町)
- 矢掛村 ← 矢掛村、小林村(現・矢掛町)
- 三谷村 ← 東三成村、横谷村(現・矢掛町)
- 山田村 ← 里山田村、奥山田村、中村(現・矢掛町)
- 川面村 ← 東川面村、西川面村、宇内村(現・矢掛町)
- 中川村 ← 本堀村、浅海村、江良村(現・矢掛町)
- 今井村 ← 園井村、今立村、広浜村、馬飼村、絵師村(現・笠岡市)
- 神島内村 ← 横島村、入江新田、神島内浦(現・笠岡市)
- 神島外村 ← 神島外浦、白石島(現・笠岡市)
- 北木島村(北木島が単独村制。現・笠岡市)
- 真鍋島村(真鍋島が単独村制。現・笠岡市)
- 明治23年(1890年)6月5日 - 富成村が改称して堺村となる。
- 明治24年(1891年)10月23日 - 笠岡村が町制施行して笠岡町となる。(1町24村)
- 明治29年(1896年)2月26日 - 矢掛村が町制施行して矢掛町となる。(2町23村)
- 明治33年(1900年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治34年(1901年)2月6日 - 金浦村が町制施行して金浦町となる。(3町22村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正14年(1925年)6月1日 - 小田村が町制施行して小田町となる。(4町21村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和24年(1949年)4月1日 - 神島外村の一部(白石島)が分立して白石島村が発足。(4町22村)
- 昭和26年(1951年)4月1日 - 今井村が笠岡町に編入。(4町21村)
- 昭和27年(1952年)
- 昭和28年(1953年)
- 昭和29年(1954年)
- 昭和30年(1955年)4月1日 - 神島外町・北木島町・真鍋島村・白石島村が笠岡市に編入された。(3町1村)
- 昭和35年(1960年)4月1日 - 北川村が笠岡市に編入。(3町)
- 昭和36年(1961年)1月15日 - 小田町が矢掛町に編入。(2町)
- 平成17年(2005年)3月1日 - 美星町が井原市に編入。(1町)
変遷表
編集自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年6月1日 | 明治22年 - 昭和26年 | 昭和27年- 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和63年 | 平成1年 - 現在 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|---|
笠岡村 | 明治24年10月23日 笠岡町 |
昭和27年4月1日 笠岡市 |
笠岡市 | 笠岡市 | 笠岡市 | |
今井村 | 昭和26年4月1日 笠岡町へ編入 | |||||
金浦村 | 明治34年2月6日 金浦町 | |||||
城見村 | 城見村 | 昭和28年10月1日 笠岡市へ編入 | ||||
陶山村 | 陶山村 | |||||
大井村 | 大井村 | |||||
吉田村 | 吉田村 | |||||
新山村 | 新山村 | |||||
神島内村 | 神島内村 | |||||
神島外村 | 神島外村 | 昭和27年7月1日 神島外町 |
昭和30年4月1日 笠岡市へ編入 | |||
昭和24年4月1日 白石島村 |
白石島村 | |||||
北木島村 | 北木島村 | 昭和27年4月1日 北木島町 | ||||
真鍋島村 | 真鍋島村 | 真鍋島村 | ||||
浅口郡 大島村の一部 | ||||||
北川村 | 北川村 | 北川村 | 昭和35年4月1日 笠岡市へ編入 | |||
矢掛村 | 明治29年2月26日 矢掛町 |
昭和29年5月1日 矢掛町 |
矢掛町 | 矢掛町 | 矢掛町 | |
美川村 | 美川村 | |||||
三谷村 | 三谷村 | |||||
山田村 | 山田村 | |||||
中川村 | 中川村 | |||||
川面村 | 川面村 | |||||
小田村 | 大正14年6月1日 小田町 |
小田町 | 昭和36年1月15日 矢掛町へ編入 | |||
富成村 | 明治23年6月5日 改称 堺村 |
昭和29年6月1日 美星町 |
美星町 | 平成17年3月1日 井原市へ編入 |
井原市 | |
美山村 | 美山村 | |||||
宇戸村 | 宇戸村 | |||||
川上郡 日里村 | ||||||
大江村 | 大江村 | 昭和28年4月1日 井原市 |
井原市 | 井原市 | ||
稲倉村 | 稲倉村 |
行政
編集- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1878年)9月29日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 33 岡山県、角川書店、1989年6月1日。ISBN 4040013301。
- 旧高旧領取調帳データベース