上田修一郎
日本の戦史研究家
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上田 修一郎(うえだ しゅういちろう、1916年〈大正5年〉4月15日[1] - 1973年〈昭和48年〉5月11日[2])は、日本の戦史研究家、軍人。防衛大学校教授を歴任。戦中に軍事史と出会って以来研究し、近世を中心とした体系的な軍事思想書を執筆した。
生涯
編集若年期
編集高知県吾川郡春野村(現・高知市)出身[2]。1936年(昭和11年)、高知高等学校文科乙類卒業後、東京大学文学部西洋史科に入学し、林健太郎が研究室の副手をしていたため、上田と親交をそれ以来持つ[3]。1939年(昭和14年)、東京大学大学院に進学し、参謀本部の委嘱により大場弥平少将(但し当時は予備役になっていた)の指導を受ける[3]。この頃から軍事史を研究し始め、軍務に服して陸軍少尉になる。戦後に文部省(現在の文部科学省)に勤務した。
防衛大学教授時代
編集1952年(昭和27年)、文部省より防衛庁に出向し[2]、防衛大学校に勤務し人文教室で教え、防衛学教室で軍事史を教えていた佐藤徳田郎を親交を持った(上田が年上で軍事史の経歴も長く、佐藤に教えを与えていた側面もある)[3]。
1960年(昭和35年)、大場弥平との共著『ナポレオン戦略』や1967年(昭和42年)には大場弥平共著『殲滅戦』及びスタンリー・ウォッシュバーンの『乃木大将』を翻訳した。1973年(昭和48年)、佐藤徳田郎『大陸国家と海洋国家の戦略』などの著作の出版に尽力するが[3]、同年5月11日、十二指腸潰瘍と腎不全のため死去した[2]。
没後の翌1974年(昭和49年)、『西欧近世軍事思想史』や『防大紀要』に投稿されていた原稿を集め、生前に上田自身が用意していたタイトルを用いて出版した[3]。