ラ・マルサ
ラ・マルサ (アラビア語: المرسى Al Marsa) は、チュニジア北東部の、首都チュニスに近い海岸都市である。人口は2006年時点で推計65,742人。植民地時代のチュニジアの夏の首都でもあり、今日では裕福なチュニジア人に人気の保養地となっている。チュニスとはTGMで結ばれている。ガマルタは、ラ・マルサと隣接する海岸沿いの北側の町である。
ラ・マルサ المرسى アル・マルサ | |
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ラ・マルサ・ビーチ | |
北緯36度52分35秒 東経10度19分31秒 / 北緯36.87639度 東経10.32528度座標: 北緯36度52分35秒 東経10度19分31秒 / 北緯36.87639度 東経10.32528度 | |
国 | チュニジア |
県 | チュニス県 |
人口 (2004) | |
• 合計 | 77,890人 |
等時帯 | UTC+1 (CET) |
• 夏時間 | UTC+2 (CEST) |
歴史
編集- 古代カルタゴは、現在のチュニジア、チュニス郊外のチュニス湾に面した北アフリカに位置しており、カルタゴのフェルキア人都市国家を中心とするセム族の文明だった。この国は、紀元前814年につくられた。もともとはティロのフェニキア人国家の属国だったカルタゴは、紀元前650年頃に独立を果たし、支配権は、地中海、北アフリカ、現在のスペインまで及んで、紀元前3世紀に終わるまで続いた。都市の重要性としては、西地中海に政治的影響を与え、主要な貿易中継地の1つであった。
- 史上のほとんどでカルタゴは、ギリシャ=ポエニ戦争、ポエニ戦争という、シチリア島のギリシャやローマ帝国との一連の争いで一定の地位であった。さらに、カルタゴを建設した地域の原住民である気まぐれなベルベル人と取引する必要もあった。第三次ポエニ戦争と最後のポエニ戦争後の紀元前146年には、カルタゴは破壊され、ローマ軍によって占領された。他のフェルキア人都市国家やカルタゴの属国のほぼ全ては、そのとき以来ローマの手に移っている。
交通
編集- TGMは、チュニジアで最初の鉄道であり、1872年に完成した。1905年以来TGMとして知られている。これは、チュニス地域の交通システムの一部で、Société des transports de Tunis (Transtu) が経営するチュニスのライトレールである。Transtuは、Société du métro léger de Tunis (SMLT、1981年設立) とSociété nationale de transports (SNT、1963年設立) が合併し、2003年に設立された。
スポーツ
編集- アヴェニール・スポルティフ・デ・ラ・マルサ (アラビア語: المستقبل الرياضي بالمرسى, ASM) は、チュニジア、ラ・マルサ出身のサッカークラブである。1924年に設立され、緑と黄色のカラーでプレイしている。ホームグラウンドは定員6,000人のスタッド・アブデラジズ・シュティウィである。クラブ設立時の名称はクラブ・ムスリマン(ムスリム・クラブ)だった。2008年-2009年シーズンに2部リーグへ降格した。