(OR-bay)

Oribe Canales

Oribe Hair Care社 共同創業者

世界中のセレブリティに最も人気のあるヘアスタイリストの 1 人であるオリベ・ カナレスは、90 年代のスーパーモデルの代名詞となった、セクシーでグラマラスなスタイルを作り出すことで有名でした。オリベの作品は、ほぼすべての有名デザイナーによるランウェイや、世界中のファッション雑誌の表紙を飾り、また数え切れないほどのCMや映像作品にも登場しました。

1956 年にキューバで生まれたオリベ・カナレスは、幼少期に米国に移住し、 18 歳のときニューヨーク州バッファローの美容学校に通います。そこで間もなくレジェンドと呼ばれるヘアスタイリストのギャレンに出会い、ヘアスタイリングへの情熱を追求するようアドバイスされました。 80 年代後半から 90 年代前半にかけて、オリベは写真家のスティーブン・マイゼルとメイクアップ アーティストのフランソワ・ナーズとの共同作業を始め、時代の美を定義づけることになります。90 年代初頭にはジャンニ・ヴェルサーチと、自身のキャリアを決定づける関係を築き、雑誌のグラフィックや広告、画期的なランウェイ ショーなど、数え切れないほどのクリエイティブな作品が生まれました。また、その間、彼はニューヨーク五番街のエリザベス・アーデンにある、宮殿のように豪華なヘアサロンでもワークを行っていました。
オリベが一般にも知られるほど有名になったのは、90 年代後半になってからでした。それは、ジェニファー・ロペスとの出会いによってもたらされます。ジェニファーは、10 代の頃から『ヴォーグ』誌でそのスタイルに憧れていたオリベに連絡を取りました。デビューアルバム『On the 6』のジャケットから始まり、彼らは20年近くにわたってコラボレーションを続けてきたのです。

2008 年オリベ・カナレスは、彼のヘアスタイリングと美への愛情を、常に思い描いていた理想の製品に変換するために、オリベ ヘアケアの共同創設者であり、CEOであるダニエル・ケイナーとのワークをスタートしました。その製品群は、伝統的なスタイリング機能が最先端のテクノロジー・最高級の素材とブレンドされています。その結果、髪にこだわる人のニーズに焦点を当てた特別なヘアケアラインが誕生しました。

オリベは自分の仕事を心から愛しており、2018年に亡くなるまで、情熱と信念を持って取り組み続けました。
「私は人生のほとんどをヘアスタイリストとして過ごしてきました。それが私の仕事であり、心から好きと言えることなのです。」
(Oribe Canales)

The Oribe Canales Timeline

真の創造性、信頼性、練達への旅。

1956 9月13日、キューバ ハルコの街に生まれる
1977 ニューヨーク州バッファローで美容学校に通い始める
1978 伝説のスタイリスト ギャレンが、プラザホテルにあるセレブ御用達サロンに雇う
1980-88 主要なファッション誌の表紙のヘアスタイリングを始める
「オリベ・カナレスは、雑誌の表紙でもレッドカーペットでも、『あぁ、これはオリベヘアだ!』と言われるようなスタイルを生み出した最初のスタイリストの一人でした。」
(Scotty Cunha, Celebrity Hairstylist)
1981-83 ギャレンのサロンに戻る
1985-86 イタリアの主要なファッション誌の仕事を始める
1985 オリベ・エージェンシーを設立。フランソワ・ナーズ、ローラ・メルシエ、ダニーロ、セルジュ・ノルマン、ボビイ・ブラウン、ジミー・ポールなどのヘアスタイリストやメイクアップアーティストを擁する。
1987 マンハッタンのコロンバス アベニューにあるパラシュート ストア (当時ニューヨークで最も人気のあるセレクトショップの 1 つ) に最初のサロンをオープンし、続いてソーホー店に 2店目のサロンをオープン。顧客にはクリスティ・ターリントンからスティーブン・マイゼルに至るまで、数多くのセレブリティがおり、彼はすぐにターリントンをフィーチャーしたコム デ ギャルソンのキャンペーンなどの撮影で、マイゼルとのコラボレーションをスタート。

後にランウェイやビューティブランドのキャンペーン、ファッション誌を独占することになる、90年代スーパーモデル”ビッグ6”の誕生につながるチームとして、マイゼルとナーズとのコラボレーションを開始。
1992 メトロポリタン美術館のコスチューム・インスティテュートのオープンに合わせてヘアルックを制作。胸像はターリントンがモデルになっており、ラフィア(ヤシの葉を加工して取られる天然繊維)と張り子で作られたスタイルが特徴的。
1990s オリベはジャンニ・ヴェルサーチと仕事を始め、ヴェルサーチのキャリアが爆発的に成長するにつれ、二人は切っても切れない関係となる。撮影、広告キャンペーン、ランウェイ ショーなどで密接にコラボレーションするようになり、ヴェルサーチどこにでもオリベを招いた。結果、ヨーロッパで数多くの作品を発表した最初のアメリカ人スタイリストの一人となる。
1992 マーク ジェイコブスのグランジ コレクションをスタイルし、ファッションの概念を変える。
1993 ジュディ・エリクソンがアシスタントとして働き始め、2018年までオリベと共にワークする。
「オリベは自分の直感に従い大胆なアプローチで、ファッションの世界で当時確立されたルートがほとんどなかった『フリーランス』というルートを確立するのに貢献しました。オリベとオマール・イスマイルは、ヘアメイク アーティストがビジネスへの貢献と芸術性を高めるために適切に評価される必要があるというビジョンを持っていました 。彼らは、当時最も人気のあったヘアメイクアップ アーティストの多くのキャリアを立ち上げるエージェンシーを設立しました。」
(Judy Erickson, Oribe Canales’ Longtime Assistant)
1995 50 年代テイストのマッスルマンとして、彼のイメージを表現したレトロシックなパッケージのポマード缶を含む、彼の最初の製品ラインを発売。友人のカール・ラガーフェルドは、ボトルを食器用洗剤のようにデザインすることを提案した。マイアミビーチのユークリッドロードにマイアミサロンをオープン。
1996-2003 ジェニファー・ロペスとのワークを開始。デビューアルバム『On the 6』のジャケットからスタート。
1997-2000 写真家ジル・ベンシモンとともに雑誌『Elle』米国版で36回連続表紙を飾る。
「オリベはクライアントのためにファンタジーの世界を創造し、ファッション史上最も有名でドラマチックなヘアスタイルを発表しました。彼は信じられないほどハンサムで、多くの人に愛されていました。」
(Iggy Rosales, Celebrity Hairstylist)
2008 Oribe は、ヘアケアのブランドプロデューサーであるダニエル・ケイナー協力して、彼の高い基準を満たす製品ラインを創造しました。彼らは、製品の配合から香り、デザインに至るまで、あらゆるディテールをゼロから作り上げました。
「オリベは、従来からの象徴的なグラマラススタイルと新しいテクノロジーを組み合わせる能力で、ビューティとファッションに計り知れないインパクトを与えました。」
(Sonia Lee, Celebrity Hair Groomer)
2011 サラ・ジェシカ・パーカーから、インターコワフュールでヴィジョネア賞を受賞。
2018 ジェレミー・スコットによるモスキーノのサーカスをテーマにしたリゾートコレクションで最後のファッションショーをスタイリングし、 10 周年を迎えたドライ テクスチャライジング スプレーを最大限に活用した逆毛を立てたスタイルを作成した。
「00年代、美容学校に通っていた10代の頃、初めてオリベという名前を聞いたことが忘れられません。彼は美容業界の先駆者であり、彼のライフスタイル、ブランド、特徴的でセクシーなヘアスタイルは、決して模倣したりコピーしたりすることのできないものです。彼は、私を含め、彼の後に続く意欲的なヘアスタイリスト全員に道を切り開きました。 オリベ は、ヘアスタイリストが体現すべき像の模範なのです。」
(Judy Erickson, Oribe Canales’ Longtime Assistant)
2018 マイアミにて死去
「10年後も髪の仕事をしているとしても、私はまだまだ学びたいと思っています。すべてを知っているという地点には決して到達したくない。そうなると退屈になってしまうから。」
(Oribe Canales)