鉄道に対する悪評……関係者として黙っていられない(1941年12月5日)
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最近一般公衆の鉄道に対する悪評が甚だしい。我々はもう黙っていられない。一体公衆は事故の責任は何でも鉄道側に転嫁するが、旅客にも悪いところが沢山ある。試みに次の悲しむべき1年の記録を見給え。不正乗車1500余件、泥酔漢900余件、忘れ物実に1万余件、乗車券を改札に投げつける悪漢はザラ、吸殻は殆ど皆がホームに捨てる。
以上何れも鉄道係員に世話をやかせるのである。それなのに鉄道は不親切だ不都合だの声をきく。旅客運送規則が近頃やたらに変わったり改正になったり、また複雑になって時には失敗して旅客を怒らせることもないではなかった。一方また戦争が始まって以来、輸送が繁忙になってきた。職員は応召または工場方面へ転向した。この手不足で大浪のような何万という旅客を捌いて行く出札の忙しさ、改札の忙しさ、押し出されそうなホームの客扱等々実に容易ではない。
こうした混雑の中にその何万分の一であるかわからぬ一旅客が、自分の思うようにいかないからと怒るのは仕方がないではないか。怒られても我々は黙々として働かねばならない。我々の仕事は性質上徹夜が主である。そして1日の休憩は僅か2、3時間である。食事をしながら切符を売る場合も相当ある。それでも日給1円15銭か20銭で我慢する職員はみじめだと思わないか。 無料パスが出る。これは給料の代償として与えられる。我々はこの肩身の狭いパスをもらっても、少しも嬉しくない。第一、月1回の公休で何処へ行けるか。しかもこの春から半年の間、使用停止の命令が出ているのである。(1941年12月5日)
※東京本社版の投書の字体を改め、
表現などは当時のまま掲載しています。