前科者「就職困難、どう生きればいいのか」(1941年9月25日)
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私は10年前懲役6ケ月の刑を受けたものである。従来の職業が許可制度となったため、許可を申請したところ不許可となった。資産業態、その後の素行等を許可された者と比較するまでもなく、前科という経歴が不許可の原因であったことは余りにも明瞭である。官公庁、会社、銀行、有力商店等より締出されて僅かに選んだ個人営業という、ささやかな生きる途さえも国家は拒もうというのである。
免囚保護施設等もより緊要であろう。然し再犯累犯の淵に追い落とす鞭こそむしろ率先究明さるべきではないか。皇国に銃剣を差し向けて多くの同胞を殺傷した敵国人でさえ、悔い改める事に依って、温い宣撫の光被に生きるという。また逃亡中の犯罪者でさえも一定期間の経過をまって、時効という恩恵に更生するではないか。
償罪と修養のため、量定期間を服従したわれわれが、子孫の代に至るまで永劫その桎梏を解かれないのはどうした事であろう。前科者は如何に生くべきか、公式に口も耳も持ち得ざる不肖の民等の指標として切に大方の御高見を拝聴致したいものである(静岡)(1941年9月25日)
※東京本社版の投書の字体を改め、
表現などは当時のまま掲載しています。