FASHION / TREND & STORY

ボッテガ・ヴェネタのマチュー・ブレイジーが語る、未来への処方箋

昨年、ボッテガ・ヴェネタの新しいクリエイティブ・ディレクターに就任したマチュー・ブレイジー。彼にとって、歴史とヘリテージを巧みに操ることは、未来を見据えるための唯一の手段だ。ライターのネイサン・ヘラーがその極意を探る。

〈右〉トップ ¥57,200 パンツ ¥178,200 ピアス ¥145,200 ネックレス ¥363,000 ブレスレット ¥217,800 〈左〉トップ ¥57,200 パンツ ¥178,200 ブレスレット ¥217,800/すべてBOTTEGA VENETA(ボッテガ・ヴェネタ ジャパン)

ある春の木曜日の夜、ヴェネツィアのサンマルコ広場近くのホテル・ダニエリのロビーは、ざわめきの中で目覚めると、窓から差し込む薄暮れの明かりを受け、目がくらむようなイブニングドレスを身に纏って活気を取り戻す。女性たちはイエローのスーツや美しいドレープを描くドレスを纏い、調度品の間を縫うように行き交っている。男たちは石造りのフロアとオールドワールドのラグの上をしゃれた靴で歩き回っている。旅行者たちは、グラマラスないでたちだが落ち着かず、運河の端にまであふれ出すという好ましくない行為におよんでいる。変わることのない街、ヴェネツィアは、真新しいエネルギーに支配されているように見える。

Photo: David Sims

ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA )を引き継いだマチュー・ブレイジーは、どこからともなく現れ、人ごみに向かってゆっくりとホテルのメイン階段を下りていく。背が高く、ライトブラウンの髪を短くカットしている彼は、ゆったりとした黄褐色のサマースーツを身に纏っている。ブラックのTシャツの上に重ねたダブルブレストのジャケットの前は開けたままで、袖はまくり上げている。靴は編み上げた柔らかなレザーで作られており、その振る舞いは曇りのない自信に満ちている。昨年の終わり、37歳だったブレイジーはボッテガ・ヴェネタのクリエイティブ・ディレクターに任命された。それまでの彼は、多くの人にとって、誰もが知る場所で注目を浴びることのない地道なキャリアを積んできたように見える。(ブレイジーと仕事で親交のあったアーティストのスターリング・ルビーは語る。「私はこう思った──やっとその時が来たのだと」。)

ブレイジーは美術学校を卒業後、ラフ・シモンズ(RAF SIMONS)の下でキャリアをスタートし、その後はメゾン マルタン マルジェラやセリーヌ(CELINE)で働いた。そこでマーケットを実地で学び、実験的なアートへの関心を培ったと言われている。ボッテガ・ヴェネタの舵取りをすることになるまで、彼は昨年、突如としてブランドを去ったダニエル・リーの下で、ナンバー2のポストであるデザイン・ディレクターを務めていた。しかし、この昇進によって彼の仕事の習慣はほとんど変わっていないと語る。(「私はチームで働くことが好きなんです」と彼は言う。「商品を見てあれこれ意見を言うというのは私らしくありません」。)「彼の仕事の進め方には、平等主義のようなところがあります」とアーティストのアン・コーリアーは語る。彼女はマチュー・ブレイジーと共にフレグランスをデザインした経験がある。「彼は極端に自己中心的でもないし、異常なナルシシストでもなく、また、傲慢なセレブ気取りのようなところもありません」。シモンズも言う。「マチューは私の人生で出会った中で、もっとも感じのいい人の一人だと思います」

とはいえ、彼は付き合うのが難しい男であることもわかった。ホテル・ダニエリの人だかりが大きくなってきたとき、彼は突然姿を消した。ホテルの小さな通用口から出ると、そこではウォータータクシーがエンジンを鳴らして待っていた。その夜はひんやりとしていて、港に低く立ち込める雲から雨が降り始めた。彼は一風変わった三角形に張り出した『プンタ・デラ・ドガーナ』という建物に船を付け、岸に上がった。そこはかつてヴェネツィアの税関として使われていたが、現在はフランソワ・ピノーのアートコレクションを所蔵している美術館になっている。

ピノー氏が創業したケリング社は、2000年代のはじめにボッテガ・ヴェネタを傘下に収めた。その日はヴェネツィア・ビエンナーレの前夜であり、ボッテガ・ヴェネタは大切な招待客のために晩餐会を主催していた。アーティストのブルース・ナウマンによる映像作品が、ギャラリーの白い2つの壁にわたって映し出されている。その夜、そこにはラグジュアリーブランドのコングロマリットが、長い間姿を隠していた最も新しいプリンスをお披露目する就任式にふさわしいすがすがしい雰囲気が漂っていた。

匂い立つストイックな黒。

深く切り込んだセンシュアルな胸もとが印象的な艶やかなブラックレザーのドレス。優雅な膨らみを持つスカートから覗くフリンジが、重厚感のあるストイックな黒に軽やかな表情を生み出す。ドレス ピアス ともに参考商品

着任以来、ブレイジーのアプローチは、特殊性とアート性へと舵を切り、ネット上でにぎわうソーシャルメディアから距離を置いてきた。彼が言うように、「果たしてどれだけ多くのインフルエンサーが、すでに5000回も人々に向けて発信されてきたものに対して、本当の意味で影響を与えることができるだろうか?」。つまるところ、ラグジュアリーとは不朽のクオリティを意味している。「彼が下す決断には、何世代も続くような深みがある──時間や空間を超えたところにある何かが」と、早くからブレイジーの仕事を称賛していたYe(カニエ・ウェストの改名後の名前)は私に語ってくれた。「熱狂的なインスタグラムの時代が終焉を迎えた後の世界では、深くつながった一人ひとりが彼ら自身のプラットフォームに輝く光を持つということが極めて重要になると思う……。今や、リセットするときが来たんだ」

ディナーの席で、ブレイジーは立ち上がり控えめな歓迎のあいさつを行った。その後、デザートが出されるまでに、彼は再び姿を消した。「新しい都市を訪れたとき、ホテルを出て周辺を歩き回り始める時間が最高に好きなんです」と彼は翌朝、18世紀の雰囲気を今も残す美しい老舗のコーヒーハウス「カフェ・フローリアン」で、コーヒーを目の前に私に語った。晩餐会の後、夜中の3時まで友人たちと外にいたと告白した。私たちが2杯目のコーヒーを飲み終えたとき、彼は私を急き立てて広場を横切り、タイプライターのオリヴェッティ社のショールームに連れていった。建築家カルロ・スカルパがガラスとコンクリート、木、ブラスを使って設計した20世紀半ばの美しい建築物だ。ここは、「そのモダンさ、今日的な意義、そしてタイムレスさ」があるとして、彼のお気に入りの空間になっている。「ボッテガ・ヴェネタは、バッグが重要な地位を占めているブランドです」と彼はサンマルコ広場の人込みの中に消える前に、まるでそれがすべてを説明するかのように、友好的な微笑みをたたえながら私に語った。「それは、次々と仕事が舞い込むということ──その一言に尽きます」

ブレイジー自身は、変化と、人生に起こる思いもかけないような経験の連続によって成長を遂げてきた。パリで生まれ、アート専門家の父と歴史家の母の下で育った彼は、子ども時代にオークションハウスの中をあてもなく歩き回りながら、多種多様なアートに浸っていた。彼は自分のことを想像力豊かで落ち着きがなく、自制心に欠けていると表現する。「学校に興味はありませんでした。何人か素晴らしい教師がいましたが、反復練習みたいなことが大嫌いでした」と彼は言う。「私はとても自由奔放な子どもでした。なので、フランスの人里離れた場所にある聖職者育成施設のようなところ(アルデーシュ県にあるマリスト会の寄宿学校)に送られました」。15歳までに、イギリスの軍事学校に移ったが、それはまんざら不愉快な体験ではなかったという。「限界があればあるほど、ちょっとしたことに、より自由を見出せるものです」とブレイジーは語る。

息づくクラフツマンシップ。

ユニークなボリュームを描くシルエットは、イタリアの未来派のアーティスト、ウンベルト・ボッチョーニの彫刻がインスピレーションに。レザーで綴るダイナミックなフォルムに、メゾンのクラフツマンシップが息づく。コート ¥935,000 パンツ ¥660,000 グローブ ¥81,400 ピアス ¥242,000/すべてBOTTEGA VENETA(ボッテガ・ヴェネタ ジャパン)

16歳になると、彼はパリに戻ることを許され、さまざまなバックグラウンドを持つ生徒たちが通うインターナショナルスクールに入学した。彼はそこを気に入り、ファッションに興味のあるグループと仲良くなった。そのうちの数人は今でも友人だという。「私自身はファッションには関心がなかったんですけどね」と彼は当時を振り返る。隣人がモデルエージェンシーを経営していたこともあり、彼は80年代に最初のブームを担ったスーパーモデルたちが共用の庭を通り過ぎるのを見ていたという。やがて、彼は雑誌のリサイクルボックスをあさって、残っていた『i-D』『THE FACE』『VOGUE』といった雑誌を熱心に読むようになった。

その後、ブレイジーはブリュッセルのデザインアカデミー、ラ・カンブルに入学した。「そこのシステムはほとんどバウハウスに近いものでした。ファッションコースはありましたが、音楽、アート、記号学、意味論なども学びます。たくさんのことを吸収する場所です」と彼は言う。彼は学生としてニコラ・ジェスキエール率いるバレンシアガ(BALENCIAGA)のウィメンズウェア部門でインターンとして働き、その後、トリエステで開催される世界的なファッションコンテスト「ITS( INTERNATIONAL TALENTSUPPORT)」に応募した。審査員には、ラフ・シモンズやファッション評論家のキャシー・ホリンが名を連ねていた。「私たちは『ああ、これは火を見るより明らかだ。彼こそが勝者だ!』と思いました」とシモンズは言う。「でも、彼は受賞しませんでした。私は彼に言ったんです。『君はこれからどうするのか知りたい。というのも、私の下で働いてほしいからだ』と」

「マチューはとても自由な精神の持ち主で、ほとんどヒッピーのようなマインドを持っています」と現在のシモンズは言う。「時には、アトリエにたくさんのデザイナーがいても、自分が指示した通りにしかデザインしてくれない場合がありますが、彼はとても大胆で、決して恐れることなく、かなり実験的なものを提示してくれました」。シモンズにとって、それは迅速で生産的な仕事を意味する。「マチューには言いたいことを言えるし、彼はそれでイライラしたりしません。例えば、『いやいや、それは馬鹿げたアイデアだ。お願いだから、絶対にやめてくれ!』と言ったりしても、彼は気にしないんです。それは、彼の精神がとても自由だからです。そうして、彼は驚くような素晴らしいものを持ち込んでくれます」

共有し合う独創性。

ゆったりとしたシルエットを丸みのある大胆なカーブで彫像的に描いたコート。独創的なパターンカットが作り上げる量感は、一枚羽織るだけで力強さを主張する。〈右〉コート ¥564,300 パンツ ¥178,200 〈左〉コート ¥515,900 パンツ ¥129,800 ピアス ¥137,500/すべてBOTTEGA VENETA(ボッテガ・ヴェネタ ジャパン)

ブレイジーのチームに新しく加わったのは、今や彼の長年のパートナーであり、アライア(ALAIA)のクリエイティブ・ディレクターでもあるピーター・ミュリエだ。ミュリエはブレイジーの採用面接をした一人だったが(「かわいそうなことに、彼はとても緊張していました」)、彼が自分のポートフォリオをプレゼンした方法に驚き、心を動かされたという。デザイナーたちは大抵、自分の作品のイメージを持ってくるが、ブレイジーはコレクション全体を従えて現れた。彼は他の人たちにも、それらの服を扱えるようになってほしかったのだ。ブレイジーはすべてを自分で作ってきていて、ミュリエは彼の技術と幾何学模様に関するスキルに感銘を受けたという。

「彼が参加するようになった後のシモンズのコレクションを見ると、より一層複雑で緻密なパターンが多く取り入れられていますが、それは彼のおかげなんです」とミュリエは語る。二人がともに暮らすようになると、一緒にアートやヴィンテージの服を収集し始めた。あらゆる時期のあらゆる種類の作品を集めたが、彼らはそれらの多くをインスピレーション源として活用した。16年にわたる関係の中で、当初はいつも議論を重ねていた。しかし、最近はそうすることもなくなったという。「コレクションの間、私は彼に何も見せないし、彼も私には何も見せません」とミュリエは言う。「そうじゃなければ、お互い気が変になってしまいます」

弾ける色のリズム。

たっぷりとしたレザーのフレアスカートから覗くのは、躍動感をもたらすフリンジ。グレイのニット、イエローのスカート、パープルのシューズと、コントラストのあるカラーブロックでスタイルを遊ぶ。トップ ¥129,800 スカート ¥3,520,000 ピアス ¥137,500 シューズ ¥132,000/すべてBOTTEGA VENETA(ボッテガ・ヴェネタ ジャパン)

2010年代の間、ミュリエはずっとシモンズの片腕を務めていたが、ブレイジーの方はいくつかのブランドを渡り歩いた。一時期メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)の匿名チームに加わっていたが、彼は2013年のカニエ・ウェストの『Yeezus』ツアーで注目を集めたクリスタルのスタッズを施したマスクの生みの親であることがわかった。「このマスクには感情的に惹きつけられた」とYeは言う。「興味深いことに、それまでは人前でそういうマスクを被るのは恥ずかしかったし、着用するのはステージの上だけにしたいと思っていた。世界がステージだということを受け入れるまではね」

一方フィービー・ファイロが率いていたセリーヌでは、主要なラインには関わっていなかったが、商業的なプレッシャーをより体験できるプレコレクションに携わっていた。その間も、彼とミュリエはシモンズとの親密な関係を絶やすことはなかった。何週間か休みが取れると、彼らは今でもシモンズの南フランスにある邸宅を訪れる。二人がジョンジョンという名前の黒い犬を飼うようになってからは、ペットとの付き合い方を相談しているという。「私の犬は彼らの犬ととても仲がいいんです!」とシモンズは声を上げて言う。「彼女は──私の犬のことですが──ジョンジョンに泳ぎを教えたんですよ」

ブレイジーとミュリエは2021年にそれぞれボッテガ・ヴェネタとアライアの舵を取ることになってから、その新しい役割は二人の共同生活に新たなプレッシャーをもたらした。「たやすいことだとは言えませんね。時には彼に3週間、さらには1カ月も顔を合わせないこともあります」とミュリエは言う。「これまでずっとお互いのゴールに向かって一緒に働いてきたので、同時期に自分たちの夢を実現したというのは本当に不思議な感覚です」

彼らはいつも長時間働いていたが、今や公的な──そしてブランドの──成功や失敗の認識は彼らの名前にかかっている。彼らはそれが賭けであることもわかっている。2016年、ブレイジーとミュリエはニューヨークに移り、シモンズ率いるカルバン クライン(CALVIN KLEIN)に参加した。ブレイジーはチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任した。そのレーベルは巨大なもので、めまぐるしくコレクションが発表された。ブレイジーとミュリエは次から次へとアイテムをデザインし、改装されたマディソン・アベニュー654番地の旗艦店の立ち上げも手伝った。

シャイニーなセクシーさ。

透明のシークインに浮かび上がる繊細なレースが美しいボディコンシャスなドレス。シャイニーなグリーンのサイハイブーツが、よりセクシーにフェミニニティを際立たす。ドレス ¥789,800 ショーツ ¥72,600 ピアス ¥258,500 ネックレス ¥564,300 グローブ ¥145,200 ブーツ ¥429,000/すべてBOTTEGA VENETA(ボッテガ・ヴェネタ ジャパン)

2018年になると、シモンズとブランドのトップたちとの緊張が突然のコレクションラインの休止をもたらした。ブレイジーとミュリエは取り残され、落胆しただけでなく、クリエイティビティの面でもやる気を失った。ブレイジーはこの業界で続けていくのか自信が持てず、休暇を取った。「その時は、自分に問いかけていました。この仕事をしたい理由は何なのか? どうしてこの仕事を始めたのか? と」。彼はロサンジェルスに飛んで、スタジオで服を作っていたスターリング・ルビーと彼の妻メラニー・シフのもとに転がり込んだ。

「商業的なことを考えずに、ものを作り、服やシルエットを手掛ける喜びは」とマチュー・ブレイジーは当時を思い返す。「再び私を正しい方向へ戻してくれました」。ボッテガ・ヴェネタのクリエイティブ・ディレクターに就任するまでに、彼は自分の使命を理解していた。「この仕事を引き受けたとき、チームと──デザイナーたちだけでなく20年もの間このブランドで働いてきた人たちと──一緒に座って、自分たちにシンプルな疑問を問いかけました。ボッテガ・ヴェネタとは何か?」と彼は言う。「職人の技とはどういうものか、そしてそれは伝統の中でどういう位置づけがなされているのか? どうすればモダンさをもたらせるのか? 私たちは形については議論しませんでした。イメージも問題にしませんでした。このブランドに対する感覚が重要だったのです」。スタートした場所を知ることで、どこにでも行けると彼は考えたのだ。

ミラノで、ブレイジーは朝早く起きて、途中でジョンジョンとドッグパークに立ち寄りながら、オフィスまで歩いていく。8時になったらすぐにデスクにつくようにしているが──午前中はベストな仕事ができる──通常夜8時前にオフィスを出ることはない。「その頃までに、私の脳は燃え尽きています」と彼は言う。ある日、彼は仕事を中断して、レオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館のすぐ近くにあるボッテガ・ヴェネタのショールームで私と会う時間を取ってくれた。そこには、彼の最新コレクションが丁寧に整理されたラックに掛けられていた。

「服が建築のように見えるのが好きなんです。ハンガーに掛けていてもセクシーに見えなければなりません」とブレイジーは言う。ラ・カンブルで、彼は多角的にデザインをすることを学び、今でもそうしている。積み重なった興味深いファブリックを手始めに、アイテムの動きや手触りを研究し、それぞれの服が生き生きとしてくるまでデザインを練り上げていく。この直感的なアプローチのおかげで、余計なものをそぎ落とした思いもかけないものが生まれる。ブレイジーは、珍しいアングルでパターンをあしらい、月並みではないファブリックを用い、人間の体に合わせて、慣例にとらわれないフォルムにカッティングを施し、美しく自然なドレープを作り出すことで知られている。「服は必ずしも、魅力的に見えるかもしれないと思った最初のアイデアから生まれるとは限りません」とアン・コーリアーは言う。「信じられないことに、結局はそうなるんですけどね」

フレッシュに光り輝く。

フルーツを連想させるフレッシュなグリーンのグラデーションが光り輝くグラマラスなドレス。動きをもたらすタイトスカートのスリットから白のブーツを覗かせ、エネルギッシュに自由にファッションを楽しむ。ドレス ¥1,001,000 ブーツ ¥253,000/ともにBOTTEGA VENETA(ボッテガ・ヴェネタ ジャパン)

ショールームを歩き回っていると、ブレイジーは棚からバッグを取り出した。「ここには、職人の技が表れています」と彼は言う。「縫い目がないんです」。あるバッグのバスケットのような編み目は、1つのブラス製のリングを通して次第に細くなり、太いロープのようなハンドルになって、肩に掛けて持てるようになっている。このバッグは一つ一つ手作業で編む必要があるため、どれも違う仕上がりになる。「これこそがラグジュアリーです」とブレイジーは言う。

彼はバッグを裏返しながら、これは荷物を布でくるんで棒に結び付けて持ち歩いていたイタリアの漫画のキャラクター「カリメロ」からヒントを得てデザインしたと教えてくれた。「これはショーの始まりを飾ったバッグです」と彼は言う。

2月に発表された最初のショーは、伝統主義と革新性の勝利を告げるものだった。オープニングルックでは、若いモデルが白いタンクトップとゆったりとしたブルージーンズに機能的なブラックヒールを合わせ、肩にカリメロ・バッグを掛けてランウェイを歩いた。実はそれは正確な描写ではない。絶妙なテーパードを描くパンツは、実際には柔らかなレザーで作られており、ブルージーンズに見えるようにインクを重ねてプリントしたものだ。これはわかりやすいアイロニーなのだろうか? または単にそのように見えるだけなのか。タイムレスで控えめなストリートルックで、セクシーさと機能性に満ちあふれ、身につけた人にしかわからないラグジュアリーを備えたルックなのだろうか?

コレクション全体は、同じような二重性できらめきを放っていた。一方には、シルクのように揺れるしなやかなレザーで作られたこの上なく美しいパンツ、シャツのようにカットされたジャケット、ミラノ・マルペンサ空港の人工大理石のフロアを模して作られたまだらなウール製のコート、クジラのひげのようなエクステンションが付いたクラシックなスカートなど、驚くほど大胆なデザインにあふれていた。もう一方では、文句なしにウェアラブルなコレクションで構成されている。

あるコートは、ダイナミックな三日月型の袖が付いており、他のジャケットはプレーンでシンプルに表現されている。(「まったくデザインされていないように見えるものに惹かれます」とブレイジーは言う。「それは……非常にウェルメイドなジャケットです。それで十分なんです」。)服は横から見ても、生き生きとした魅力を放っている。準備を進めている間、ブレイジーはイタリアの未来派、中でもウンベルト・ボッチョーニの作品について研究し、アルベルト・ジャコメッティの『歩く男』について思いを巡らせた。「前から見るとブルジョワ風で、デザインしすぎないようにしました。でも横から見ると、新鮮な驚きがあります」と彼は言う。「これこそが私たち独自の領域であり、シルエットです」

自由に駆け抜けて。

彫刻のような立体的なフォルムとぬくもりのある素材のテクスチャーが美しいアルパカドレス。ひとつのピースとして編み上げられたイントレチャートの白のサイハイブーツが、圧倒的な存在感を放つ。ドレス ¥452,100 ピアス リング ともに参考商品 ブーツ ¥1,094,500

最新の革新的なアイテム──毒キノコからインスパイアされた靴や、彼なりの解釈を加えたイエローやディープグリーンのカラーなど──をディスプレイしたショールームを案内してもらっている間にも、彼は何度もバッグのところに戻ってくる。そのうちの1つは『JJ』と名付けられている。フロアに置いてストラップを持つと、ジョンジョンとの散歩を思い出させるからだ。もう1つはヘルメットから着想を得たものだ。頭に被るのではなく、手にぶら下げて持つバッグで、スポーティな印象が際立っている。「洗練性とプレイフルさをミックスしたものです」とブレイジーは言う。

ミラノにある彼のアパートメントは、より個人的な美的感覚を表現している顕著な例だ。「面白い話なんですが」と彼は言う。「この仕事を受けたとき、ネットで物件をチェックして、このアパートメントが貸し出されているのを見つけました。私は『ここに行ったことがある』と感じました」。電話してみると、すぐに物件を見に来てもいいと言われた。「足を踏み入れると、『たぶん15年前に来たことがある。ラフがジル サンダー(JIL SANDER)を手掛けていた頃だ』と思い出しました。そこはラフが住んでいたところだったのです!」。彼はすぐにその物件を手に入れた。

そのフラットは明らかにリノベーションされていなかった。フロアはダークグリーンの大理石で、壁には木製パネルが張られていた。ブラス製のフードとフェンダーが付いた小さな石造りの暖炉は、暖かみのあるチャコール色のレンガで縁取られている。エンターテイニングルームの間はアコーディング仕上げのブラックレザーのスライドドアで仕切られ、天井の一部は長方形のラティスで仕上げてある。ここも、イントレチャートを彷彿とさせる。「家具はほとんど持たずに入居しました」とブレイジーは語る。「たぶん、時間をかけて住まいを築き上げようと思っていたんです。でも、考えれば考えるほど、物を少なくしたままにしようと考えるようになりました」

〈右〉シャツ ¥355,300 パンツ ¥266,200 ピアス ¥145,200 〈左〉シャツ ¥355,300 パンツ ¥266,200/すべてBOTTEGA VENETA(ボッテガ・ヴェネタ ジャパン)

ブレイジーにとっての幸せとは、彼によると、仕事帰りにバールに立ち寄り、ビールを1杯か2杯飲んで、周りの人たちがにぎわっているイメージを思い浮かべることだという。彼は私をお気に入りの「バー・クアドローノ」に連れていってくれた。仕事が忙しくないときは、ギャラリーやオークションに通って、アート界で何が起きているかを把握しようとしているという。

「私はずっと、ボッテガ・ヴェネタを社会の文化的な側面をより多く感じられる場所に導いていきたいと思っていました」と彼は語る。ファッション業界を離れることを考えていた頃、彼はアートのキュレーターになる勉強を楽しんでいた。彼の愛する人たちが説得して思いとどまらせてくれたが(「家族の誰かは『自分の仕事にしがみつけ──お前の得意分野じゃないか』と言っていました」)、アートへの愛は消えなかった。彼は自分のことをこの上なく平凡な日曜画家だと表現する。(あなたの絵のスタイルは? と私は尋ねた。「そのスタイルが日曜画家なんです」と彼は言い返した。)

ブレイジーはもう一杯スプリッツを注文し、また一本煙草に火をつけた。彼のやっていることはアートではない、と彼は言う──それはクラフト(工芸)だ、と。しかしそれでも、習熟度はますます向上している。「出会いが多いほど、嫌いなものや魅力を感じるものが、よりわかるようになります」と彼は言う。「数年前であれば、この仕事を引き受ける準備はできていなかったでしょう」。今はもうそのようには感じていない。

彼にクリエイティブ・ディレクターの就任をオファーしてきたのはボッテガ・ヴェネタが最初ではなかったと彼は言うが、それは彼が初めて喜んで飛びつき、ためらいを感じなかった最初のブランドだった。この仕事にたどり着いたとき初めて、彼はやっと、長く素晴らしい見習い期間の終わりを迎えたと感じたという。「私は今までよりも自信を持っています」と彼は言う。彼の周りで変わりゆく都市生活の喧騒に視線を漂わせながら。「仕事をする準備はできていたのです」

Styling: Kate Phelan Hair: Eugene Souleiman Makeup: Chiao Li Hsu Manicure: Lauren Michelle Pires Set design: Ibby Njoya Production: Holmes Production Digital artwork: Dtouch London Models: Mamuor Awak, Mao Xiaoxing, Nyaueth Riam, Mona Tougaard and Wang Chen Ming Text: Akane Maekawa