ジョージ・フロイド事件がもたらしたアメリカ史の大きな曲がり角

アメリカはいま、内戦一歩手前の状況に陥っている。10万人を超える死者を出した新型コロナ禍がいまだ収まらぬなか、民族差別というこの国の深刻な病巣への不信感が、瞬く間に感染爆発したからだ。混沌の社会に求められるリーダー像が、改めて問われている。
ジョージ・フロイド事件がもたらしたアメリカ史の大きな曲がり角
5月26日、ミネアポリスにておこなわれたジョージ・フロイド事件に対する抗議デモ。STEPHEN MATUREN/GETTY IMAGES

チキンぶりが露呈したトランプ

まさか、本当に『ハンガーゲーム』の世界が繰り広げられてしまうとは……。

2020年6月1日、“Law & Order(法と秩序)”を訴えるスピーチを行った後、全身をプロテクトギアで包んだ黒尽くめの機動隊の隊列に守られながら、トランプ大統領が向かったのは、ホワイトハウスにほど近いセントジョーンズ教会だった。

だが、その直前には、彼が徒歩で訪れるようにするために人払いがなされていた。ジョージ・フロイド事件の抗議のためにホワイトハウス周辺に集まった人びとに対して、特に暴力的な行為を行っていないにもかかわらず、わざわざ催涙弾を投じてまでして、彼らを追い払っていた。

この事実を知ってから、先ほどのトランプのスピーチの映像を見直すと、背後で催涙弾などの発射音とその後に続く悲鳴らしき音も聞こえてくる。どれだけトランプは臆病者なのか、はたまた、そう命じられてすかさず行動に起こした司法長官のビル・バーが、アイヒマンなみに従順なイエスマンなのか。その日の報道はそうしたコメントで溢れていた。

実は5月29日、ホワイトハウス周辺に抗議ラリーの人びとが集まってきた時点で即座にトランプはホワイトハウスの地下壕に隠れたのだという。それまで再三再四、自宅地下からのキャンペーン活動に徹していたバイデンをチキン(=臆病者)呼ばわりしていたのが台無しになるくらい、自らチキンであることを示してしまった。わざわざ、後日、あれは地下壕の点検のために行っていたのだ、一瞬のことだ、などと釈明しているほどだから、本人にもそのような意識があったのだろう。

となると、セントジョーンズ教会まで歩いていく、というのも、トランプなりの「俺は強い/勇ましい」ことを示威するための行動だったと思ってよさそうだ。だが、そのための人払いのためとはいえ、非武装の抗議者たちに、完全武装した警察官たちが催涙弾や発煙弾、あるいは閃光弾を放ったのだから、むしろ、これは恥の上塗りというべきだろう。自らチキンであることを再度証明しただけのことだ。

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しかもそうまでしたたどり着いたセントジョーンズ教会では、特に祈りを捧げるわけでもなく、教会の前で聖書を片手に写真を撮ったのにとどまり、それが、ただ単にアメリカ各地でジョージ・フロイド事件への抗議運動が高まる中、自分も「教会に行っていた」という事実を写真に撮るためだけの外出だった。単なるパフォーマンスに過ぎなかった。

“Law & Order(法と秩序)”の大統領と自称しながら、過剰防衛を平然と司法組織に命じてしまう。それでいて、FBIをはじめとした警察機構が、弾劾裁判のときのようにトランプ自身の身辺調査に乗り出そうものなら、全力で無能呼ばわりして批判を繰り返す。しかも、それがつい数ヶ月前のことであったことも忘れて、今度は、自分は「法と秩序」の人だというのだから。アメリカ人でなくとも、さすがに呆れるしかないのではないか。

ワシントンDCでG7サミットを開催するから各国首脳はDCに来てくれ、という呼びかけに対して、ドイツのメルケル首相がにべもなく断ったのもわかろうというもの。メルケルの理由は、いまだアメリカはコロナウイルスの災禍と取り組んでいる真っ最中だから、物理的な近接による会合ではなくテレビ会議で済まそうということだった。

だが、ジョージ・フロイド事件以後の現状を見れば、物理的な近接は物理的な実力行使につながりかねないと危惧したのかもしれない。それほどまで、今のアメリカ社会は、上から下まで騒然としすぎている。真面目な話、11月に本当に大統領選ならびに連邦議会議員をはじめとした公職選挙が行われるのかどうか、疑わずにはいられない状態が続いている。不安だらけの世界だ。

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いうまでもなく、その不安のはじまりは、3月に本格化したコロナウイルス災禍であり、それに続く景気後退の話だった。だが、アメリカの場合、それを期に、政治的対立の代理戦争たる「文化戦争」が再燃し、たとえば、マスクの着用ひとつとっても、民主党の支持者は着用を肯定、共和党の支持者は頑として拒む、というような──他の国の人が聞いたら馬鹿げた争いにしか見えないような──事態まで生じている。

トランプは、ジョージ・フロイド事件をきっかけに5月29日から全米各地で起こった抗議活動と、その混乱に乗じて起こった破壊行為や店舗の略奪行為──「ルーティング(Looting)と言われる──とを一緒くたにして、自分の裁量で軍隊を派遣して鎮圧/制圧すると宣言したが、もちろん、その発言に対して州知事たちから、それには及ばないとたしなめられている。

だが、そもそもコロナウイルス災禍の中、感染拡大の防止のために自宅待機令を各州知事の判断で実施していたところで、“LIBERATE!”とツイートして、彼の支持者たる白人優位主義者たちを筆頭に、自宅待機を撤廃させ経済活動のリオープン(再開)を求める抗議行動を起こさせたのは、当のトランプ自身だった。本来、自分の支持者たちであるならなおのこと、感染拡大の抑制を優先させるために、彼らをたしなめるべき立場にあったにもかかわらず、マスクも着けず、中には銃を携帯したものも見られた抗議行動を煽っていた。

それなのにホワイトハウスに押しかけてきた抗議活動に対しては、非武装の集まりであるにもかかわらず催涙弾で蹴散らしたのだ。一貫性の欠如は甚だしいが、しかし、仮に一貫性ある行動だとすれば、それは、自分の支持者のみが自分が守護すべきアメリカ人であり、それ以外はアメリカ人ではない、という発想にある。これは、政治哲学者ヤン=ヴェルナー・ミュラーが『ポピュリズムとは何か』の中で語っていたポピュリズムの定義そのものだ。つまり、トランプの目には、今のアメリカは、本物のアメリカと偽物のアメリカの2つがあり、自分を大統領に選び自分を変わらず支持するものだけが大統領の自分が庇護すべき真のアメリカ人であって、それ意外はすべて排除の対象であるということだ。

トランプは、コロナウイルスの感染がアメリカで本格化した3月に、自分は「戦時大統領(Wartime President)」だと称していたが、まさかその戦争がアメリカそのものに向けられたものになるとは、アメリカ人の誰一人として思ってはいなかったことだろう。だがコロナウイルス後の一連の事件で──この「一連」が冗談ではなくほぼ毎日新たな事件が生じるために、本当に「ひと連なり」のものだから困るのだが──彼のとった言動から、彼の敵が(偽の)アメリカであることもはっきりしてきた。今回の人払いの一件は、最後のひと押しとなったようで、どうやらその事実を、当の排除対象とされたアメリカ人たちが、公に顕にすることをためらわなくなってきた。

州知事たちに続き、実際に市民に対峙させられた警察や軍の幹部や重鎮からも戸惑いと批判の声が上がっている。極めつけは、前国防総省長官であったジェームズ・マティスが、正面切ってトランプ批判を行ったことだ。今まで何人もの大統領に接してきたが、トランプのようにアメリカを統一しようとする素振りすら見せることのない大統領は初めてだったと述べ、端的にトランプはアメリカの分断しかしていないと指摘した。

先述したトランプのセントジョーンズ教会への訪問についても、DC地区を監督するエピスコパリアンの司教から、信仰や聖書を冒涜するものとして非難の声が上げられた。エピスコパリアンは、イングランド教会に連なり、「メインライン」と呼ばれる歴史あるプロテスタントの一教派だが、カトリック教会からも同様の批判が上がっている。宗教を政治の手駒の一つにするなということだ。もちろん、連邦議会議員からは、ファシストや独裁者という言葉まで発せられている。

だがこのような中で、意外なことに、現在、最も辛辣なトランプ批判を展開しているのは、共和党の中で#NeverTrumpを訴えている人たちであり、その急先鋒がリンカーン・プロジェクト。ジョージ・W・ブッシュ元大統領や、2018年に亡くなったジョン・マッケイン元上院議員(2008年大統領選の共和党候補)らのスタッフであった共和党員のつくった組織であり、彼らはすでにバイデンの支持も表明している。共和党の内戦はすでに始まっている。むしろ、次の焦点はブッシュ元大統領が、バイデンをエンドースするかどうか、エンドースするならいつか、に移っている。ブッシュも、ジョージ・フロイド事件に対して遺憾の意を示し、今回の抗議活動への理解と、それを無理やり鎮圧しようとする動きに不満を表している。それが誰に対する抗議であるかは明白だろう。

それにしても、アメリカをそれほどまでに騒然とさせたジョージ・フロイド事件とは何だったのか?

「経済面での対立」が「政治面での対立」を引き起こす

混沌の始まりは、メモリアルデイだった。アメリカの戦没将兵追悼記念日であるメモリアルデイは、毎年5月最後の月曜日に当てられるが、今年のメモリアルデイ(2020年5月25日)は、後日、歴史の分かれ道だったと記憶されるのかもしれない。

だが、その歴史を分かつ事件は、戦没将兵追悼式典が行われるアーリントン国立墓地のあるヴァージニアではなく、そこから遠く離れた中西部はミネソタ州ミネアポリスで生じた。その日その地で、白人男性の警官デレック・チョーヴィンによって黒人男性ジョージ・フロイドが殺されたのだ。

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その殺害状況は陰惨かつ悪辣だ。“I can’t breeze!(息ができない)”と懇願しているにもかかわらず、チョーヴィンは9分間近くもかけて、地面にふせさせたフロイドの首を膝で押さえつけ続け窒息死に至らせた。この悲報を受けて、29日から全米で抗議運動が起こり、合わせて各地で暴動が発生した。

フロイドが窒息死させられる一部始終は、路上に居合わせた人たちによってスマフォで録画されており、その映像がアップされている。問題は、チョーヴィンに同行した同僚の警官3人のうちの誰ひとりとして、チョーヴィンの行き過ぎた圧迫を制止しようとはしなかったことだ。この点が、フロイドの殺害が、単に一人のイカれた警官によるものではなく、警察機構そのものの組織的問題として抗議の対象にならざるを得なくなった最大の理由だ。

3人の警官のうち2人はフロイドを地面に抑え込むのに加わり、1人は周辺の見張りに立っていた。窒息死させたチョーヴィンを含むフロイドを抑え込んでいた3人が白人で、周りの監視をしていた1人がアジア系。しかも、事件そのものは、当のビデオを見ればわかるが、日中、まだ明るい時間に起こっていた。そのため、たまたまそばにいた人たちによるビデオ撮影だけでなく、周辺店舗に設置された監視カメラ映像にもその一部始終がはっきりと録画されていた。

この事件の痛ましさは、暗かったため誤って銃を発砲して殺害したなどという言い逃れが一切できないことだ。何しろ9分もの間、自分の力で、すなわち明確な意志をもって、相手の身体を拘束していたのだから。その生々しい事実が、長らく続いている黒人コミュニティによる白人警官ならびにその元締たる警察機構に対する不満に火を着けた。2014年のファーガソン事件以来続く、Black Lives Matterに賛同する人びとが即座に抗議行動に移った。

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抗議のためにラリーを行う者たちはマスクをつけ、迎え撃つ警官隊は、SWATのようないでたちに加えてフェイスシールドを着用している姿は、どこのディストピア映画か、というもので、ここでもまた『ハンガーゲーム』の世界が現実化している。

もちろん、そこまでは正当な抗議活動となるわけだが、問題は、この手の抗議活動の常として、暴徒化する者や、便乗して公共の器物破損を起こしたり、店舗を襲撃して略奪を図ったりする不届き者たちも現れることだ。今回のフロイド事件についても、1992年のロドニー・キング事件の後に勃発したロサンゼルス暴動を思い出させるような事態に発展した。しかも今回は、それが全米各地で生じている。

特にマンハッタンはひどい。すでによく知られているように、ニューヨーク州は、世界一のコロナウイルス・ホットスポットとなってしまい、すでに90日間にわたって、州をあげてその対応に尽力してきた。5月末になってようやく自宅待機やマスク着用の効果が現れはじめ、新規の感染者や死者の数が減少する方向に転じてきていたところで、この騒動である。まさに泣きっ面に蜂、の状態だ。

もちろん、この状況にあっても、ニューヨーク州のクオモ知事はトランプ大統領のいう武力による都市部の制圧に手を出そうとはしない。少なくともフロイド事件に対して、市民の権利の講師として平和的に抗議するものと、単なる略奪者たちを区別することがまずは必要だと冷静に訴え、そのために外出時間に制限をつけて対応しようとしている。ここでも、トランプと州知事たちとの対立が深まりつつある。

もともとフロイド事件が生じる前の時点でも、コロナウイルスの感染拡大に一定の歯止めがかかってきた今、マスクをする/しないといった文化戦争だけでなく、州政府と連邦政府との間では、今後の復興予算をめぐる争いも発生していた。当然、そこにも政治の二極化が影を落としている。

コロナウイルスの感染被害が甚大な州のほとんどが、ニューヨークを筆頭に大都市圏を含む「ブルーステイト(民主党優位州)」であり、そうした「ブルーステイト・ベイルアウト(ブルーステイトの救済策)」を、トランプと、共和党上院のドンであるミッチ・マコネルが拒んでいる。端的にいって、トランプの頭の中にあるであろう「偽のアメリカ」とは、民主党支持者が多数派を占めるリベラルな「ブルーステイト」のことである。特にニューヨーク州は、トランプの地元でもあるにもかかわらず(いや、だからこそ?)、当初からトランプは目の敵にしており、3月にニューヨークがホットスポット化した折にも、クオモ知事の協力要請に対してなかなか腰を上げずにいたため、対立が激化していた。

コロナウイルス対策の進捗状況を毎日報告するクオモのブリーフィングでは、しばしば、トランプの言動に対する反論がなされている。セントジョーンズ教会の前でトランプが聖書を持ってただ写真を撮っていたことに対しても、クオモは実際に聖書の中の教えをいくつか引用して紹介し、市民の正当な抵抗に対して武力でもって制圧しようとするのは聖書の教えにも反することを伝え、暗にトランプが聖書を読んではいないことを揶揄していた。トランプのみならずマコネルまで含めて「選挙で奴らを追い出せ(VOTE THEM OUT!)」と思わずいってしまうほどだ。それほどまでに、すでに根深い政治対立が生じている。

こうした対立が看過できないのは、「文化戦争」という文化=生活習慣におけるいざこざを越えて、具体的な復興予算をめぐるものに発展していることだ。経済面での対立は、アメリカ史において、常に苛烈な政治対立を引き起こしてきた。独立の時のボストン茶会事件からしてそうであったし、それにならった現代のティーパーティ運動もそうだ。さらにいえば、19世紀半ばの南北戦争にしても、南部州からすれば、黒人奴隷という私有資産の取り上げを意味していた。

クオモとマコネルの対立とは、経済的に豊かなブルーステイトと貧しいレッドステイトとの間での連邦予算の配分をめぐるものだ。日頃は、連邦政府の財政経由で、ニューヨークが収めた連邦税でマコネルの出身のケンタッキーの財政を支えているのだから、ニューヨークが財政難に直面する今は、その分の予算を回してくれ、その方が長い目で見たときにケンタッキーにとっても有意味だろう、とクオモが訴えても、マコネルはだんまりを決めこむのみ。政治的対立は深まるばかりだ。

誰がバイデンの「ランニングメイト」になるのか

このように、今のアメリカは、何が何だか訳が分からないほど混沌としている。ただでさえ、コロナウイルスの災禍で10万人を超える死者が出ており、公衆衛生の点でも、経済活動の停滞の点でも、問題が山積みなところに、民族差別問題まで上乗せされた。大統領選どころではない混乱が次々と起こり、事態は混迷を極めている。しかもこれらがすべて、事実上、アメリカの中だけに閉じた騒動なのだ。まさに内戦一歩手前の状況である。

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その社会秩序が崩壊しつつある混沌ぶりに、これはどこかで見たことがあるな、と感じて思い出したのが、1990年前後の共産圏諸国の崩壊、とりわけソ連の崩壊のことだった。あのときも、市中のデモが激しくなる中、いつの間にかソ連という、当時アメリカとともに2大大国と呼ばれていた一角があっさり潰えていた。それくらい3月以降、日々伝えられるアメリカの混沌ぶりには、もしかしてアメリカって本気でヤバいのでは?と思わずにはいられない。

トランプがMAGAのキャッチフレーズの下、強制的にアメリカ社会を1950年代の世界に戻そうと思ったら、それへの反動として、今度は60年代を彷彿とさせる騒乱が繰り広げられている。バイデンの姿もいつのまにか、リンドン・B・ジョンソン(LBJ)に見えてきた。暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の意志を継ぎ、公民権法を成立させたLBJ。オバマ路線への復帰を訴えるバイデンにはアメリカに広がった怒りを鎮める役割も期待されている。

そのバイデンだが、6月2日に延期されていた予備選では、実施されたインディアナ、メリーランド、モンタナ、ニューメキシコ、ペンシルヴァニア、ロードアイランド、サウスダコタで、予想通り十分な支持を集めた。6月4日の時点で、獲得代議員数は1972人であり、これで公式に必要な過半数の代議員数である1991人まであと19人となった。今回の予備選では、まだ29人の代議員の割当が残っているので、その結果いかんではバイデンが正式に民主党の大統領候補者に決まることになる。

となると、次の焦点は、いよいよバイデンが副大統領(VP)として誰を指名するのか、であるが、ジョージ・フロイド事件の結果、VPを黒人女性に!という圧力はより高まっている。果たして誰が彼のランニングメイトに指名されるのか。混沌の中、着々と11月に向けた動きが本格化してきている。

TEXT BY JUNICHI IKEDA