パンデミックの時代を経て、都市の価値は再現性の低い「神秘性」に宿る

いま都市を語るうえで、パンデミックに関する議論は避けて通れない。Placy鈴木綜真による連載の第3章では、世界37カ国43都市に住む都市研究者から寄稿文を集めた「Post-Quarantine Urbanism」を主宰した鈴木が、再現性の低い空間における「神秘性」の観点から2021年以降の都市像を考える。
パンデミックの時代を経て、都市の価値は再現性の低い「神秘性」に宿る
ロンドンのハックニー地区にあるヴィクトリアパーク。「Home」が安心できる場所ではない人の存在が十分に考慮されず、「逃げ場所」である公園が閉鎖されたことは、行政側が描く「#StayHome」と住民のそれに乖離があったことを象徴している。

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同じ場所で起きて、食べて眠るようになった。外に出られない毎日が続き、気分がしおれてきたかと思うと、近所のテイクアウトの定食を食べて案外元気を取り戻したりする。こんな感じの日々を繰り返している。

冒頭は、2020年4月に自分が「Post-Quarantine Urbanism」に寄稿した文章の一節を邦訳したもの。半年以上が経ち、歳末を迎える日に読み返してみると、メランコリックかつアンニュイな書き出しがどこか時流錯誤で気恥ずかしくも感じる。それだけ、この半年で世の中のムードが上向きになったということだろうか。もしくは、この内面的スタグネーションに慣れて(もしくは半ば無抵抗になって)しまっただけかもしれない。

Post-Quarantine Urbanism(以下、PQU)は、自分が経営するPlacyで始めたリサーチプロジェクト。各国同世代の都市研究家の寄稿文をもとに、Quarantine(隔離)後の都市のあり方を考察することを目的として2020年4月9日に発足した。

PHOTOGRAPH BY SOMA SUZUKI

隔離下で世界の都市はどのように変化したのか?

2020年4月の緊急事態宣言下で、日本国内のソーシャルメディアのタイムラインやニュースソースは、(少なくともわたしが知る範囲では)「アベノマスク」や小池都知事の「密です」EDMビート、そして大喜利のような瑣末なプロジェクトで溢れていた。生きる・考える土台となる最低限必要な量の情報に接続できなくなったと感じ、現況の相対化のために、国外で生活する大学院時代の友人たちに覚えたてのZoomリンクを送りつけたのがプロジェクトを始めるきっかけだった。

モニター越しに各国の友人と会話を重ねるなかで、現地での状況、対応策には差異がかなりあることが見えてきた。日本国内でも「Save Our Space」など意義のある取り組みが生まれるなかで、各国の行政・ローカルイニシアチヴの取り組み、そしてQuarantine(隔離)下で生まれつつあるカルチャーを共有することに重要性を感じ、PQUを始めた。

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第一稿は、大学院時代の友人で武漢出身のシュー・ウェイさんに寄稿してもらうことにした。彼女は、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの「Center of Advanced Spatial Analysis(CASA)」で都市解析学の修士課程を修了したのち、現在はオックスフォード大学の博士課程で空間解析を認知科学に応用した研究をしている。

PQUへの寄稿を即断してくれた彼女は、武漢に住む親族や友人へのヒアリングをしながら、中国内で生まれつつあった地域間差別や、アリババ(阿里巴巴)の提供するヘルスコードアプリ(いまとなっては知らない者はいないが、その当時はかなり驚いたものだ)についてまとめ、依頼から1週間で原稿を送ってきてくれた

シュー・ウェイに加えて、ほかにも5名ほど大学院時代の友人に声をかけ寄稿してもらった。驚いたのは、5名の友人の文章をソーシャルメディア等で見かけた世界中の若手都市研究者がPQUへ寄稿をしたいとPlacyに連絡をくれたことだ。結構な数の連絡がくるのでウェブサイトにリサーチライターへの応募フォームを設置したところ、最終的には、200人以上から連絡をもらい、60名が寄稿してくれることになった。ロンドンやベルリンなど一部の都市に重複があるものの、南極を除く5大陸の各地から寄稿をいただき、かなり驚いた。

10月3日には、PQUの寄稿者を集めて、オンラインカンファレンスを開催した。寄稿してもらってからの半年間での状況の変遷や、副次的に生まれた問題など、それぞれにプレゼンテーションをする形式で共有してもらった。

PQUの寄稿者によるオンラインカンファレンスの様子。真鍋康正の協賛によって開催された。

各国で「既に存在した」問題が炙り出された

新型コロナウイルスは、真新しい問題を引き起こしたというよりも、既に社会に存在していたが後回しにされていた(もしくは見て見ぬふりをれていた)問題を顕在化させた側面が強いということは、この半年間で繰り返し議論されてきた。では、実際に各国でどのような問題が浮かび上がってきたのか。炙り出された社会の脆弱性や不平等が「なかったこと」にならないためにも、60の寄稿文とオンラインカンファレンスでの議論を基に、ここに記録しておきたい。

日本国内でも大学が閉鎖されてから久しいが、教育機関のオンライン授業への移行は、思わぬかたちで社会の不平等を可視化した。チリ・サンティアゴで建築家として勤務するカロライナ・コルネリオ・ギレルモさん(チリ・カトリック大学都市開発修士課程卒業)は、彼女の寄稿文で、貧困地域に暮らす子どもたちは、家にネットワーク回線が届いていないため、宿題をするためにインターネットカフェに通っていることを教えてくれた。

2020年4月、新型コロナウイルスに対して非常に緊張感が高まっているなかで、インターネットカフェに出向いて授業を受けなければならないことを想像してみてほしい。その後、インターネットアクセスのない家庭には、小型トラックで教師が巡回し、授業をし始めたようだが、さまざまな観点(教師数の不足、各教師の負担、感染予防徹底の難しさなど)から見てサステイナブルではないことは自明だろう。

社会的不平等が明るみに出たのは、途上国に限ったことではない。新型コロナウイルス対策「優等生」のシンガポールでさえ、貧困地域での生活環境の整備が不十分であったことが露見した。ブライアン・タンさん(シンガポール出身、慶應義塾大学の総合政策修士課程)は自身の寄稿文で、ウイルス対策に関してシンガポールが「唯一」見落としていた地域について語ってくれた。

2002年のSARS、そして2009年のH1N1を経験し、パンデミック対策に万全を期していたシンガポールは、早い段階から新型コロナウイルスの封じ込めに成功し、WHOからも「gold standard of near-perfect detection」と、最高の評価を得ていた。4月の上旬にはすでに1日あたりの平均感染者数を11人まで押さえ込み、安寧を取り戻す日も近いと思われたシンガポールだが、突如急激な感染者数の増大に襲われた。

感染は、外国人出稼ぎ労働者が住む寮から広がっていた。ウイルス封じ込めの勝因となっていた全土に渡る徹底的なPCR検査が、出稼ぎ労働者の寮では満足に実施されていなかったからだ。その後、外国人寮に住む移民の約30万人に検査をおこない、感染者数を再び抑えることに成功したシンガポールだが、「貧困は過去のものだ(撲滅された)」と2001年に宣言したことは見直さなければならないかもしれない。

貧困地域における生活環境を整備する必要性に加えて、職種によって「#StayHome」が適用されないことが議論になったが、リモートワーク推奨下で「外出」しなければならなかったのは、エッセンシャルワーカーだけではない。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの「Center of Advanced Spatial Analysis(CASA)」で地理学の博士課程に在籍するアルフィー・ロングは自身のエッセイ「London Parks, Space, and Pandemic」において、コロナ禍でドメスティックヴァイオレンスの相談が急増していることを指摘した。「Home」が必ずしも安心できる場所でない人にとっては、街の中に逃げ場所が必要になってくる。

多くの映画館や喫茶店が営業を自粛するなか、彼女/彼らが休息地として選んだのは公園だった。実際、ロンドンではこれまでも住民のメンタルヘルスケアの観点から公園の整備にかなり力が入れられてきた(The London Planでは、すべての世帯から400m以内に緑地・スモールスペースを用意することを明記している)。「外出自粛下で日向ぼっこをしている」として、ハックニーのヴィクトリアパークが一定期間閉鎖されたことは、行政側が描く「#StayHome」と住民のそれに乖離があったことを示唆している。

寄稿者が住む街の様子をスケッチで送ってくれた(インド・ハイデラバード)。ILLUSTRATION BY MANISHA RAYAPROLU

政治化するウイルス

今回のパンデミックが、ポスト・トゥルース政治の限界を露呈したという見方にわたしは賛同している。トランプ政権の支持者が、ウイルス感染予防策としてマスクの着用が有効であることを信じず、インタヴューに対して 「I don’t believe in numbers.」と回答したことが、パンデミックに対するポスト・トゥルース的態度として象徴的であるが、これは長くは続かないだろう。何しろ周りにも続々とウイルス感染者・死者が出てくるのである。

アメリカ以外に、パンデミック下でサイエンスと向き合わない態度を示した政権に、ブラジルが挙げられる。ルイス・クラウディオ・アルコス(ボストンの「Open Music Initiative」での同僚、現在はブラジル・リオデジャネイロでサステイナブルシティ・プロジェクトに携わる)は自身の寄稿文で、新型コロナウイルスは「ただの風邪」にすぎないとするジャイール・ボルソナーロ政権が見切りをつけられ、大学や非政府組織の連携が進んでいることについて書いてくれた。行政に代わって、これらのイニシアチヴが舵をとり、災害弱者への食料・マスクの供給を進めているわけだ。

ポスト・トゥルース的態度が多くの支持者を集めたことには、多様な情報が溢れ、善と悪の判断が追いつかないなかで、咀嚼しやすい“物語ポルノ”が求められた時代背景がある。世界がパンデミックに侵されるなかで、ウイルスを克服し「人類の生存」に寄与するという明確な「善」が立ち現れるなかでは、まやかしは通用しない (と願いたい)。

国内での旗下集結もみられない一方で、米国では国外とのイデオロギー対立も深まりを見せている。米国のドナルド・トランプ前大統領が新型コロナウイルスを「中国ウイルス」と呼び、中国に汚名を着せる(スティグマタイゼーション)一方で、中国はウイルスの封じ込めには専制的な政治モデルが有効であることをアピールし、暗に米国・欧州の個人主義を否定している。

ウイルス感染対策において中国のスピード感・ラディカルさには目を見張るところがあった。冒頭で紹介したシュー・ウェイは自身の寄稿文で、中国政府とアリババ・グループが連携し、2020年2月には登録された体温と位置情報に基づきリアルタイムで更新されるQR通行証を提供したことを伝えてくれた。

自身が訪れた場所で感染者が出た場合は、QRコードが危険信号(黄・赤)へと変わり、1週間から2週間の自己隔離を促される。交通機関や一部施設の入場には、緑色のQRコードが必要という、いわばパスポート的な役割を果たすのである。対照的に、欧州では「社会の階層化」や「プライヴァシーによる個人の権利の侵害」など倫理的な観点への懸念から、免疫パスポート(抗体検査で陽性となった人々への証明書)の導入に関しては未だ議論が続いている状態だ。

感染症対策において「個人の自由」を部分的に制限してでも「公益性」を優先するアプローチをとったのは、中国だけではない。ロシア連邦のモスクワ市ではウイルス陽性者及びその他の呼吸器疾患と診断された市民に「Social Monitoring」アプリが配布され、2週間の自主隔離を履行しているか監視するため、位置情報、通話内容、カメラ撮影情報、検索情報等のモニタリングがおこなわれた。市民は「quarantine notification(プッシュ通知)」を受けるとすぐに、部屋でセルフィーを撮影して送信しなければならなかったようだ(現在も使用されているかはわからない)。セルフィーを送るのが遅れた者には罰金が課せられる。

モスクワでWi-Fi基盤に関するプロジェクトに携わるエヴゲーニャ・ユソバ(彼女もわたしの大学院時代の同級生である)は寄稿文のなかで、パンデミック下での行政と通信事業者の密な連携は、ヤロヴァヤ法等の法整備によって可能になっていることを伝えてくれた。ロシア国内で運営する通信事業者は、自社ユーザーが送受信した音声情報や文字情報を一定期間保存し、行政からの依頼があれば開示しなければならないのだ。

とはいえ、「Social Monitoring」アプリは、正直お粗末なものであった。アリババ・グループの提供するヘルスコードアプリと並べて「共産主義国による感染者対策方法」の例として参照されることがあるが、「手動で写真を送って在宅していることを示すアプリ」と「自動で(位置情報を基に)感染確率を推定し施設・交通手段への利用証として使用できるアプリ」では、技術の段階がまったく異なることは言うまでもない。そもそも「Social Monitoring」アプリでは、市民が寝ている深夜帯に通知が送られてきて、起きると既に罰金が課せられていたり、写真を送信しようと思ってもフリーズしてしまったりと、基礎的なバグが多く見られたようだ。

ロシア連邦で感染者数が未だ増加していることからも明らかなように、政治的イデオロギー(一方が専制、他方がデジタル専制と見ることもできるかもしれないが)だけでは感染対策の成功・不成功は決まらない。中国本土とは対照的な政治的イデオロギーをもつ台湾での感染症対策は「マスクマップアプリ」など、「国民の自由」に干渉しない方法で成功を収めている。マスクすら満足に配ることができなかった日本国内で感染者数が増え続けていることから見ると、イデオロギーの差よりもテクノロジーの差が成否を分けたと考えるのが賢明であろう。

空間からの解放と、場所性のシミュレーション

とりわけ、他者との接触により感染するというウイルスの特性上、「空間」にかかるテクノロジーが帰趨を握る。国民の行動情報を空間にひも付けて把握するヘルスコードアプリは極端な例かもしれないが、わたしたちが毎日にらめっこしている「Zoom」などのテレビ電話ツールも空間からの開放を促すテクノロジーであると見ることができる。

これまでも疫病だけでなく危機的状況一般に際して、空間にかかるテクノロジーはアップデートされてきた。例えば、ヘルスコードアプリを可能にしているGPS(全地球測位システム)、Zoomの先祖となる初期のテレビ電話システムは、湾岸戦争を機に急成長した技術である(GPSは兵士の位置を知るため、テレビ電話はビジネス目的での渡航が制限されたため)。

そして、「GreeceFromHome」(ギリシャ政府観光局とグーグルによる取り組み)や「バーチャル渋谷」など、空間のもつ「祝祭性」さえもシミュレートし、再現するような試みが生まれるなかで、わたしたちの生活に対する各空間パラメーターの「重みづけ」は変容していくだろう。

「勤務地への近接性」や「商業施設の充実度」といった「利便性」に基づく変数はもとより、「祝祭性」や「場所性」といった物質空間の特権である(ように思える)「神秘性」に関しても、シミュレート(再現)が可能になったものから順に、そのパラメーターの重みは下がり、オンライン空間で代替されていく(物質空間の神秘性に関しては、1997年のジャロン・ラニアーのインタヴューを参照)。

このように見ると、シミュレータビリティー(再現性)の低い「特質」をもつ空間の価値が相対的に向上していくことになる。シミュレート可能なことはオンラインで済ましてしまえばいいのだから。では、シミュレータビリティーの低い空間とは何か、厳密に定義するまで理解が及んでいないのだが(それゆえシミュレートできず魅惑的なのである)、細野晴臣の『アンビエント・ドライヴァー』の「気持ち良い場所とはどんな場所だろう」の一節の表現が、この「特質」を見事に言い表していると思う。

宮古島なら四月頃だろうか。一斉に虫が鳴き始める季節は海岸に出ると、背後が全面虫の声になる。その途端に瞑想状態に入ってしまう。a波が出て体の温まる感覚があり、飽きることがない。夕方、ジャングルのなかにばっかりとできた空き地に行き、あたりが薄暗くなる頃までじっと待つ。と、ある一点で卿がシャーッと鳴き始める。その一点がだんだんと広がっていき、自分を取り囲んで三六〇度全部が鳴り出す。これがいい。病みつきになってしまって、それを聴くためにまた行こうと思うのだった。(細野晴臣『アンビエント・ドライヴァー』p.58)

ガブリエル・マルセルが「人間を場所から切り離して理解することはできない。人間は場所なのである」と言ったように、空間を理解することは人間を理解することに近い意味をもち、だからこそ意義深いことだとわたしは考えている。上記の仮説のように、シミュレート(再現)が困難な特質をもつ空間に人が価値を見出し、生活圏を移していくのだとすると、その場所に人間(=場所)の「神秘性」とやらを見出すことができるかもしれない。

PQUの日本・東京セクションのわたしの寄稿文では、この場所の「特質」と東京の一極集中の関連性を、都市のもつ「密度」という神秘性の観点から記述している。邦訳し下記に転載したので、目を通してもらえれば幸いである。当記事では、すべての寄稿文については触れることができなかったが、ほかにも興味深い文章が多くあるので、時間のある方はこちらのページから目を通してほしい。緊急事態宣言下、先がまったく見えないなかで書かれた文章に、各国のその期間の空気がアーカイヴされている。

Where Matters – Post Quarantine Urbanism (2020.05.02)

同じ場所で起きて、食べて眠るようになった。外に出られない毎日が続き、気分がしおれてきたかと思うと、近所のテイクアウトの定食を食べて案外元気を取り戻したりする。こんな感じの日々を繰り返している。フリーランスの友人は、状況が落ち着いたら地方へ移ることも考えているらしい。いまの生活を続けるのであれば、もしかしたら自分も東京に住み続ける必要はないのかもしれない。毎日ソーシャルメディアで滝のように流れてくるニュースがリマインドしてくれるように、きっとリモートワーク化の流れは加速されるだろう。

PHOTOGRAPH BY SOMA SUZUKI

先が見えない毎日のなかで、とっつきやすい「未来予測」が求められるが、代表的な研究者の間でさえ、議論はまとまっていない。そのなかでも、特に対照的な物語を提示しているのは、『都市から見る世界史』著者のジョエル・コトキンと、「クリエイティヴクラス」を提唱するリチャード・フロリダだろう(もっとも彼らの論戦はいまに始まったものではないが……)。

「Pro-Density Urbanist(密度賛同者)」代表格のリチャード・フロリダは、「密度」の重要性を提唱し、クリエイティヴ人材の「混合」こそが産業を推し進めてきたと考える。そして、テロ事件や前世紀の疫病の際も、短期的には人は郊外に移り住んだが事態が収束すると都心に回帰したことを指摘し、都市が空洞化していく可能性は極めて低いと主張する。

それに対して、「Density Skeptics(密度懐疑論者)」とも呼ばれるジョエル・コトキンは、テレビ電話など通信技術が十分に発達した現代において、一度離れた人口は都心に戻ってこない可能性も十分に考えられると指摘し、ロサンジェルスのような低密度の都市モデルが主流になると説明している。わかりやすい対比例を参照しているが、問題は「都市か郊外か」といった単純なものではない。たとえば、どちらか一方を切り捨てることなく、日本国内でも普及し始めたマルチハビテーションのようなライフスタイルを選択することもできるだろう。

各所で「都市は分散と集中を繰り返してきた」という議題が取り上げられるのをよく見かける。先に紹介した「Pro-Density Urbanist」の主張のように、事態が落ち着けば人は再び都心回帰するという文脈においてである。

個人的にはこの考え方におぼろげながら賛同しているのだが、いままで何が引き金となって、都市・郊外間の人口遷移は起こってきたのだろうか。それは国内外で異なる要因があるのだろうか。ここでは、ロンドンと比較しながら、東京の変遷を追ってみる。

まず、どのように各々の都市に人が集まり始めたのかを確認したい。産業革命を通じて、多くの農業従事者が移り住んだロンドンであるが、鉄道技術の発展は遠く離れた日本の人口分布にも影響を与えた。東京とは山脈に隔てられ関西との交流のほうが盛んであった日本海側の人口が、鉄道網の整備によって一気に東京に流れ込んだ。その後、急激に進む産業化により環境悪化が進んだロンドンでは、コレラが蔓延し、ハワードの提唱する田園都市、すなわち郊外が急速に注目される。それに加えて第二次世界大戦、またスラム街の撤去が進んだこともあり、ロンドン都心部の人口は1980年まで急激に減少する。

一方、東京では異なる理由で都心から郊外への移り住みが進んだ。戦後に高度経済成長を経験し、さらなる人口集中と経済機能の集積が進んでいた東京では、住宅数の不足によって郊外の開発が必要不可欠となったのである。山地に囲まれた関西エリアに対して、関東平野の開発余地が大きかったことも、東京の郊外開発を進める動きを加速することになる。そして、急速に都心部から人口を失ったロンドンであったが、90年代初頭の文化再生が功を奏し、世界中からクリエイティヴ人材(いわゆるYuppieである)を惹きつけ、都心部への人口集積が再び始まる。

一方、日本ではバブルが崩壊し、地価が暴落。都心に安価な分譲マンションが大量供給され、多くの人が都心に回帰することになった。これだけみても、非常に多様な要因に基づき都市部の人口が移り変わっていくことがわかる。仮に新型コロナウイルスの影響で郊外化が進むのだとしたら、それはどの都市を中心に起こるのだろうか。そして、時間が経って都心回帰が起こるのだとしたら、そのときに人を惹きつけるものは、「密度」だけで十分なのだろうか。

どこにでも住むことが「可能」になることと、どこに住むことを人が「選択」するのかは、まったく異なるフェーズの話であり混同してはいけない。「どこでも」住み・働けるような環境が整ったからといって、ぼくたちはオートマチックに各地に散らばっていかない。いまわかっているのは、生活する場所の「選択肢」が増える可能性は高いというところまで。特筆すべきは、選択肢が増えると場所がもつ「特質」の重要性があがること。その場所固有の価値に焦点が当たり、アクセスのよさだけに甘んじていた場所は選ばれなくなり、しぼんでいく。ウイルスによって「空間からの解放」が注目を集める一方で、大事なことは、そのときにどこが「なぜ」選ばれるかという議論である。


都市音楽家によるプレイリスト、テーマは「StayHome」
連載各回のテーマに合わせ、都市音楽家の田中堅大がプレイリストを制作。第3回のテーマは「StayHome」。「今回はQuarantine/StayHome中に録音・リリースされた音源だけで構成しました。その人の部屋の雰囲気が伝わってくるような音楽を意識的に選んでいます。ローファイな宅録だからこそ、その部屋にしかない残響や質感がよく聴こえてきて、その人の暮らしが滲み出ているような音楽だと思います。世界中のさまざまな都市での隔離期間を想像して聴いてもらえれば」と、田中はその意図を語る。


TEXT BY SOMA SUZUKI

ILLUSTRATION BY NAO TATSUMI