英ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが見つめる演劇の未来

英国のロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)にデジタル開発部門ができたのは8年前。長いように思えて、2025年に設立150周年を迎える劇団からすれば短いとも言える。そんな名門劇団は、デジタルの表現にどう取り組んでいるのだろうか?
ロイヤル・シェクスピア・カンパニーの拠点は、 シェイクスピアの生まれ故郷、ストラトフォー ド = アポン = エイヴォン。歴史を感じるリハー サル室で部署の同僚と話しているのが、デジタ ル開発ディレクターのサラ・エリス(中央)だ。
ロイヤル・シェクスピア・カンパニーの拠点は、 シェイクスピアの生まれ故郷、ストラトフォー ド = アポン = エイヴォン。歴史を感じるリハー サル室で部署の同僚と話しているのが、デジタ ル開発ディレクターのサラ・エリス(中央)だ。Photographs: Ellie Smith

雑誌『WIRED』日本版 VOL.53のテーマは「空間コンピューティング」。「Spatial × Computing」と題し、3Dの世界で物理とデジタルを融合するこの新しい技術分野の可能性を探る。

さて、3Dのストーリーテリングといえば劇場。劇場といえば英国。そんな思い付きで調べ始めたら、この国では演劇から建築やファッションの教育、VFXまで、その道の名門と名高いプレイヤーが物理とデジタルの融合に乗り出していた。ともすると伝統が足かせになるこの技術分野に彼/彼女らはどう飛び込み、可能性を探究しているのか? その挑戦をロンドンで取材した。

最初に訪ねたのは、最近「となりのトトロ」の上演でも話題の名門劇団ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)。約150年の歴史をもつ同劇団は、8年前にデジタル開発部門を発足した。その部門を率いるサラ・エリスに話を聞いた。

──ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)にデジタル開発部門ができたきっかけは?

シェイクスピア没後400周年に際し、2016年にデジタルと物理を融合した特別版『テンペスト』を上演したことです。RSCとIBM、『ロード・オブ・ザ・リング』のモーションキャプチャーも手がけたイマジナリウムが共同制作した舞台で、劇中に登場する妖精エアリエルをリアルタイム・モーションキャプチャーによるアバターとして舞台上に登場させました。このプロジェクトに取り組むなかで、イノべーションやテクノロジーに継続的に取り組む部署をもつ必要性を感じたのです。

──舞台演出にどうテクノロジーを組み込むかを考える部署、ということでしょうか?

そうとも限りません。日々の業務のデジタル化と、劇団としての次のミッドセンチュリーに向けた準備の両方を担うチームとして動いています。新しい技術だけでなく、文化の在り方や身体性、ライブ性、バーチャルなプレゼンスなど追求するテーマは多岐にわたっていますが、通底しているのは2030年をターゲットに演劇の未来を探究するというテーマです。文化の消費の仕方が変わるなか、演劇というストーリーテリングをどう拡げていけるかを日々考えています。

──16年の『テンペスト』以降、テクノロジーを全面に出したRSCの演目は少ない気がします。

『クリスマス・キャロル』ではプロジェクションマッピングにゲームエンジンやモーションキャプチャーを使っています。また、『Dream』という演目はシェイクスピアの『真夏の夜の夢』にインタラクティブな要素を加えたパフォーマンスでした。普段の制作のなかでデジタル技術を使うことも多々あります。ただ、テクノロジーの要素を大々的には宣伝していないんです。あくまで演劇やその制作過程の一部として、自然にテクノロジーがあるという考え方なんですよ。

──では逆に、あえて新しい取り組みをする理由は?

テクノロジーに引っ張られ過ぎると物語を失います。けれども、テクノロジーを無視すれば観客を失います。重要なのはバランスです。そもそも、テクノロジーは常に変化するものです。やがて人はスクリーンを使わなくなるかもしれませんが、それすらも一時的な変化かもしれません。となると結局のところ大切なのはその技術で何を表現したいかです。一方で、演劇は新技術のインキュベーターにもなりえます。芸術的表現を追求した結果、新しい技術が生まれることだってありえますよね。

──なぜ自然に組み込まれていることが大切なのでしょう?

演劇は何世紀にもわたって物語を伝えてきました。CGIのようなディテールがなくとも、観客が想像力で物語を補完しながら鑑賞します。そうした観客と演じ手との協働が、演劇の素晴らしい点でもありますね。その意味で、演劇は必ずしもテクノロジーを必要としていないのです。だからこそ、芸術や物語にリードされるかたちでテクノロジーが入ることが大切になります。演劇の感覚、つまり観客の想像力の余地を残しながら、アーティストの手で想像を絶するような芸術を生めるようにするのです。

──時代とともに変わる観客たちに適応していく、ということですか?

15年もすれば、ほぼすべての観客がインターネット世代になるでしょう。その世代とどうつながるか考えなくてはなりません。また、アクセシビリティも重要です。特別版『テンペスト』のチ ケット価格が通常版と同じだったのは、なるべく多くの人に技術を享受してほしかったからです。イノべーションにおける最大のリスクは、自分が何者であるかを見失うこと。世界における自分たちの存在意義を見失うということでもあります。常に立ち位置を確認しながら、どう変化に適応していくかを見定めていく必要があります。

──ちなみに、ストーリーテリングにおける2Dと3Dの最大の違いは?

「一緒にいる」という感覚です。2Dでは物理的なつながりを見失うことがあります。概念的なものと物理的なものとの違いとも言えるでしょう。2Dでもつながりは感じられますが、空間コンピューティングのような3D技術は「自分の足で立つ」感覚を再現するのかもしれません。それが身体性にどんな影響を与えるのか、そして接触や身体の動き、ニュアンス、エイブルイズム(非障害者優先主義)といった面でどんな変化を起こし、そのためにどんなデザインをするのか考えなければなりません。

──根本的な質問になりますが、なぜ演劇において「一緒にいる」という感覚が大切なのでしょう?

演劇における最高のストーリーテリングは俳優たちです。その演技から生まれる熱気があり、観客 たちの集団的なエネルギーがある。そこにその日の天気や気分といった一回限りの条件が合わさっ て、ひとつの公演をつくり上げます。ライブだからこそ、公演の体験は毎回異なるのです。バーチャルで何かを制作する際には、常にその点を念頭に置いていなくてはなりません。演劇の未来は 演劇であり続けます。テクノロジーはさらにその芸術形式を拡げるためのものなのです。

──150年もの歴史がある劇団となると、伝統を求める観客も多いのでは?

特別版の『テンペスト』では、従来の観客はシェイクスピアを通じて入り、テクノロジーへの驚嘆とともに帰っていきました。一方で、テクノロジーを目当てに来て、シェイクスピアとともに帰った人も多くいます。『Dream』は観客の76%が新規予約者です。それは、チームを変え、方法を変えたからです。新しい観客にリーチするには、異なる背景をもつ人と時間をかけて協働しなければなりません。同じ業界の同じ思考の人と新しいことをしようとしても、さして変化は起きません。

──劇団内ではどうでしょうか? 必ずしも全員が同じ方向を向いているとは限らないのでは?

わたしたちは常に異なる視点を求めています。舞台の幕が下りたとき、観客の全員が必ずしもそこ で起きたことに同意するとは限りません。テクノロジーも同じです。AIの使用やバーチャルでつな がることに誰もが同意するわけではありませんよね。でも技術を受け入れ、実験していくためには、そうしたあいまいさや想像の余白、不確実性と向き合い、わからないという居心地の悪さに心地よさを感じることが大切なのです。ちょうど演劇がそうであるように。


サラ・エリス|SARAH ELLIS
ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)デジタル開発ディレクターとして、異産業間のコラボレーションやデジタルを活用した舞台表現、制作の推進に従事。2017年よりウースター大学フェロー。


Photographs: Ellie Smith

※雑誌『WIRED』日本版 VOL.53 特集「空間コンピューティングの“可能性”」より転載。


雑誌『WIRED』日本版 VOL.53
「Spatial × Computing」

実空間とデジタル情報をシームレスに統合することで、情報をインタラクティブに制御できる「体験空間」を生み出す技術。または、あらゆるクリエイティビティに2次元(2D)から3次元(3D)へのパラダイムシフトを要請するトリガー。あるいは、ヒトと空間の間に“コンピューター”が介在することによって拡がる、すべての可能性──。それが『WIRED』日本版が考える「空間コンピューティング」の“フレーム”。情報や体験が「スクリーン(2D)」から「空間(3D)」へと拡がることで(つまり「新しいメディアの発生」によって)、個人や社会は、今後、いかなる変容と向き合うことになるのか。その可能性を、総力を挙げて探る!詳細はこちら


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