アカデミー賞常連のVFXスタジオ・DNEGが考える、イマーシブ体験の本質

アカデミー賞視覚効果部門の常連、DNEGが新たにイマーシブ体験専門の部門を立ち上げた。描写のリアルさが強みのVFXスタジオだが、イマーシブの本質を考えるならば、その強みすらも再考する必要があるのだと、同部門を率いるジョシュ・マンデルは語る。
アカデミー賞常連のVFXスタジオ・DNEGが考える、イマーシブ体験の本質
Photograph: Harry Mitchell

雑誌『WIRED』日本版 VOL.53のテーマは「空間コンピューティング」。「Spatial × Computing」と題し、3Dの世界で物理とデジタルを融合するこの新しい技術分野の可能性を探る。

さて、3Dのストーリーテリングといえば劇場。劇場といえば英国。そんな思い付きで調べ始めたら、この国では演劇から建築やファッションの教育、VFXまで、その道の名門と名高いプレイヤーが物理とデジタルの融合に乗り出していた。ともすると伝統が足かせになるこの技術分野に彼/彼女らはどう飛び込み、可能性を探究しているのか? その挑戦をロンドンで取材した。

名門劇団ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)に続いて訪ねたのはロンドンのVFXスタジオ、DNEG。『インセプション』『インターステラー』『エクス・マキナ』『ブレードランナー2049』『ファースト・マン』『TENET テネット』『DUNE/デューン 砂の惑星』でアカデミー賞視覚効果賞を受賞してきた同社は、2024年2月にイマーシブ体験専門の部門「DNEG IXP」を新設した。

「昨日はスタジオで、あるアーティストのバーチャルコンサートを制作していました」と話すのは、同部門を率いるジョシュ・マンデル。『ジェームズ・ボンド』シリーズで有名な英パインウッドスタジオから帰ってきたばかりの彼に話を訊いた。

求められる発想の転換

技術開発に裏付けされたリアルな描写で高い評価を受けるDNEG。そんな同社にとっても、3Dをベースとする没入型コンテンツはくせものだ。「脳は常にリアリティチェックを行なっています。映画館ではスクリーンが平面であるが故にそのスイッチがオフになるのですが、おもしろいことに3Dではそうなりません。本物に近づくほど、脳は疑ってかかるのです。そこが難しい違いです」。マンデルらが開発を進めるバーチャルコンサートは、80年代に亡くなったアーティストのもの。アーカイブ映像しかないなか、アーティストと空間を共有する感覚をどうバーチャルで表現するか日々模索中だ。

一方で、没入型コンテンツにおいて重要なのはリアルさではないとマンデルは語る。「技術者がついリアルさを重視してしまうのもわかります。しかし、究極的に言えばコンテンツにリアルさは不要。大事なのは、それによって人が心を動かされるかどうかです」。だからこそ、DNEGは発想と制作方法の転換を求められている。

「新しい技術が出てきたとき、人はなぜか古い体験をそのまま新しい空間に移植しようとする傾向があります」。それは例えば、映像を360度で見わたせるようにするといったことだ。「それだけでは、2Dの映像をそのまま移植したに過ぎません。『くるっと回っても映像が続く、すごい!』という技術に対する短期的な感動に終始してしまうのです」

Apple Vision Proのようなパーソナルな体験にしろ、テーマパークのような大きな施設での体験にしろ、そうした技術に対する感動を超える何かを生み出せるかが問われている。「移植ではない、新しい空間のためのデザインが必要です」

では、なぜDNEGがそこに賭けるのか。昨今の不況を受けてVFX市場が厳しい状況に陥るなか、技術の新しい転用先を開拓しなければならないというプレッシャーもあるのかもしれない。ただ、DNEGも勝機なしに賭けているわけではない。

「DNEGの目標は感情を動かすこと。2Dの映像でリアリズムを追求するのも、それによって人の心が動くからであって、リアルさ自体が目的ではありません。2Dで感情を動かすコンテンツをつくるために培ってきた技術を3D空間にどう生かすかを、クリエイティブで先見性のあるアーティストたちが考えています」

ファンの情熱が試金石

これまでVR用コンテンツや米ユニバーサル・オーランド・リゾートにある「ハリー・ポッター」のライドなど、没入型のエンターテインメントをいくつか制作してきたDNEG。IXP部門の設立にあたり、最初に力を入れる領域はゲーム、ロケーション・ベース・エンターテインメント(LBE)、バーチャルコンサートの3つだと語った。そのどれもが、IPビジネスと相性がいい。

「出発点として大切なのは技術でもアート性でもなく、まずファンベースがあるかどうかです」と、マンデルは語る。「『ハリー・ポッター』を好きになってくれと説得する必要はありません。すでに愛されているものに対して、ファンの情熱に応えるために何ができるか、何をつくれるかが問われます」。その意味で、DNEGは映像化において何度となくファンの期待に応えてきた。それは間違いなく同社の強みだ。

一方で、IXP部門設立のもうひとつの理由は次世代にある。「若いアーティストやエンジニアは、ツールやプラットフォームをさまざまな方法で活用したいと考えています。そうした人たちが取り組めるプロジェクトをつくるという意味もあるんです」と、マンデルは言う。「いつの時代だって、技術を前に進めるのはクリエイティブへの欲求なのですから」


ジョシュ・マンデル|JOSH MANDEL
DNEG IXP部門のマネージング・ディレクター。The Mill、R/GA、Wieden+Kennedyなどの大手クリエイティブエージェンシーで最高経営責任者(CEO)や最高戦略責任者(CSO)などを歴任したのち、現職。


Harry Mitchell

※雑誌『WIRED』日本版 VOL.53 特集「空間コンピューティングの“可能性”」より転載。


雑誌『WIRED』日本版 VOL.53
「Spatial × Computing」

実空間とデジタル情報をシームレスに統合することで、情報をインタラクティブに制御できる「体験空間」を生み出す技術。または、あらゆるクリエイティビティに2次元(2D)から3次元(3D)へのパラダイムシフトを要請するトリガー。あるいは、ヒトと空間の間に“コンピューター”が介在することによって拡がる、すべての可能性──。それが『WIRED』日本版が考える「空間コンピューティング」の“フレーム”。情報や体験が「スクリーン(2D)」から「空間(3D)」へと拡がることで(つまり「新しいメディアの発生」によって)、個人や社会は、今後、いかなる変容と向き合うことになるのか。その可能性を、総力を挙げて探る!詳細はこちら


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