奇しくも(雑誌『WIRED』日本版VOL.53の)巻頭で稲見昌彦が同じ言葉を使っていた。露骨にうれしいタイプの共時性、わたしはわたしの必要性に駆られて定義しておいたのである。アカデミアと拡張現実の現場では、時空間の及ぼす範囲も異なるであろう。
例えば先史時代に描かれた洞窟画、20,000年前の最新テクノロジーといえば炎であったはずで、それを駆使した絵の鑑賞には揺らぎがあったはずだ。
空間コンピューティングがやがて提供する新しい商取引は、大航海時代のようなダイナミズムをもって新しい地平線を見せてくれるのかもしれない。
産業革命によって印刷や流通が爆発的に進化して現代におけるグラフィックデザインにつながる基礎ができ上がったわけだが、新しい空間利器を使い続けることで識字率が上がるように空間把握能力が格段に上がってゆくのは自明である。
現代に於いては、読解力の意味さえ変質してゆくだろう。
4人の識者とともにこの真新しい分野を開拓、論理化、文章化、可視化してゆく。
CASE_01 日比野克彦〈アーティスト〉
先史時代の洞窟壁画とルドンの気配
川田十夢(以下:K) もともと日比野さんってあらゆる領域ですでに空間ごと作品にされているところがありまして、あと時間ですよね。本来的には芸術作品である以上、ひとつの平面作品として時間を決めなきゃいけないというか、締め切りに沿って完成したものを提出しなくてはいけない。日比野さんは時間によって変わっていく作品、空間ごと作品っていうことを昔からされている。アーティストとしての日比野さんの視点と、あと日比野さんは学長でもいらっしゃるので、学長としても空間コンピューティングについてどんなふうに感じているのか、まずは教えてください。
日比野克彦(以下:H) 大学も空間コンピューティング的な作品とか、もっとやると思います。
K 今後はそういう学科もできるのではないか。長い目で見ると空間コンピューティングの範疇に収まる作品も、ひとつの絵画と同じように平面作品と同じように入ってくるのではないか。例えばVision Proを芸術の現場に取り入れようとしたとき、特筆すべきは空間に対するビターン具合というか、一回固定したらびくともしない安定感のようなものがあります。
H すごいね。Vision Pro、欲しくなりました。
K ふふふ、ありがとうございます。ぼくはべつにアップルの営業マンではないのですが。まあご紹介はできます、代理店。で、本題ですが、時は先史時代に遡ります。例えばラスコーの洞窟画、あのときの人類が体感したものについて。ボコボコした壁面に描いてあったわけで、ちょっと日差しが入るときに、なんかゆらゆらと動いて見えていたのではないか。例えば鹿とか牛とかの一部が完全に描かれていない。足の動き、輪郭だけが描かれている。あれって静止画としてはちょっと不自然で、炎の揺らぎなのか太陽の揺らぎなのかで何か動いて見えていたのではないか。先史時代には先史時代の空間表現があって、そのいにしえの体験は空間コンピューティングにも翻訳できるのではないかと。
H ラスコーの洞窟画、言ってしまえば壁画だよね。今年の2月にフランスへ行ってきて、VRゴーグル付けてペインティングをルドンの部屋でやりました。そこに照明があるわけじゃなくって、窓を開ければ外光が入ってくる。自然光のもとでルドンもかつて描いたであろう。で、その場に訪れた現代の鑑賞者も当時とほぼ同じ明かりでルドンの画を見る、ルドンの気配を感じる。美術館のホワイトキューブの中で見る画とはまったく違う。ルドンさんと会ったっていうそんな感覚にもなるのね。
K とてもスペイシャルなお話ですね。実在と痕跡の話でもあります。
H なんかこう大好きなサッカー選手が走ったピッチがあったら、自分もここでボール蹴りたいみたいな。そんな単純なことだけれども、いまでもアーティストたちを招き入れてアーティスト・イン・レジデンスっていうこともやっていると聞いて申し込んだのね。それで2月の末に行ってきて、もう一個ちょっとわがままっていうのかな。そのルドンの図書室の画の前で、その空間で画を描きたいと思ったの。
K おー、すごい。さすが日比野克彦。
H さすがに絵の具とか持って行けないので、やったのがMeta Questを付けてそこでパススルーでルドンの画を見ながら画を描くっていうこと。5日間ぐらいやってみると、VR空間の中では本当にキャンバスの中に入って画が描けるとか、物理的な制限がなくなって、ストレスがなくなって、本当にプールで泳ぐように画が描ける。絵の具が垂れるとか手が届かないとか、筆から絵の具がなくなったからまたパレットに絵の具を取りに行かなくちゃいけないとかってそういう物理的なものがまったくなくなって、なんか永遠に描ける。永遠に筆から絵の具が出てきて、自分の身体がほんと透明になったように、キャンバスの中に入って動けるみたいな。丸1日やるわけですよ。まあバッテリー持たないからバッテリーを替えながらやる。そして当たり前のことだけど、外すと何にもないわけ。あれ何もないみたいな、けど身体は覚えている。いわゆる永遠に筆から絵の具が出てくるとか、自分が体験したことがないことを身体が覚えている。そうすると、その覚えた身体が普段描けないような線を現実でも描くようになる。そうすると、VRゴーグルを外しても、また画を描いてるの。
K なるほど。道具に刺激されることで身体のほうが透明化、光と闇の境界線が消えて実感覚がアップデートされたわけですね。
H バーチャルに画を描くのではなくて、VRゴーグルかけながら紙に本当に画を描いている。でもここにはルドンの画が見えているしフォンフロワードの壁を感じながら描けている。行ったり来たり。洞窟壁画のほうに話を何となくつなげると、この境がない、どっちみたいなことがきっと洞窟壁画が生まれるときには起こっていたのではないか。昔、それこそ洞窟壁画を見に行ったのね。ペッシュ・メルルっていうスペイン寄りのフランスのところ、ラスコーとかある一帯の地域。そのときも一般のお客さんが終わったあとに洞窟壁画の管理人にお願いして、誘導灯みたいなの全部消してもらったのね。
K うわー、冒頭の仮説。すでに検証されているじゃないですか。
H で、消してもらって、洞窟壁画のあるところに結構長い時間居させてもらったのね。真っ暗ってだんだん目が慣れてくると思うじゃん。でもそこの洞窟は全然見えてこない。長い洞窟の一番奥なので外光も届かない。自分が目を開いているのか目を閉じているのかさえもわからなくなるぐらい真っ暗。で、そこで明かりを灯してっていうさっきの川田さんの話で、考古学者も明かりを灯して、その陰影で、という。仮説でしかないけれども。
K 先史時代の最新技術は火だったでしょうから、まさに原始の空間コンピューティングであったのではないかと思います。
H ぼくら夢って言うじゃない。夢っていうのはいわゆる頭の中でのいろんなものが視覚となって見えてくるっていうことを現代人は理解しているけども。その概念がなかったときに初めて画を描いたとされる人は、暗闇だからこそ画を描くことができた。さっきのバーチャルとリアルのお互いに引き合っているっていうような関係と同じように、暗闇の中のイメージっていうものを獲得して、実際に見えるものを引っ張り、描く理由を引っ張り出してきたみたいなことなんじゃないかなって、自分は思っています。
日比野克彦|KATSUHIKO HIBINO
1958年岐阜県生まれ。東京藝術大学に在学していた80年代前半より作家活動を開始し、社会メディアとアート活動を融合する表現領域の拡大に大きな注目が集まる。現在、岐阜県美術館、熊本市現代美術館にて館長、母校である東京藝術大学にて95年から教育研究活動、2022年から学長を務め、芸術未来研究場を立ち上げ、現代におけるアートのさらなる可能性を追求し、企業、自治体との連携なども積極的に行ない、「アートは生きる力」を研究、実践し続けている。
CASE_02 本明秀文〈「atmos」創設者〉
大航海時代と虹とスニーカーの頃
本明秀文(以下:H) ぼくがスニーカーを始めたときっていうのは上野がすげースニーカーで盛り上がってたんです。それがだんだん原宿に来て、世界へ伝播していった。
川田十夢(以下:K) メッカというかね、中心地って移動しますよね。時代ごとに起点となる場所がある。お客さんとのコミュニケーションで重要なことって何かありましたか?
H コミュニケーションというか、お客さんの種類が変わってくる。例えば、お店を始めたころはマニアの人間が相手。男の人が多かったのですが、店が汚いとか綺麗とかあんまり気にしない。それが一転、トレンドが拡がってくると一緒に彼女が来るとか、そういうふうになってくる。人間の本質っていうのは、結局セックスだと思っています。
K ああー。盲点というか、どストレートというか。
H だから逆に、川田さんが開発されているデジタルの世界にもそういう話があるのかっていうのを知りたいです。
K 最新テクノロジーを介したコミュニケーションがちゃんと流行するか。空間コンピューティングについてはいまちょうど瀬戸際なのですが、Vision Proは超えそうな機運があります。円安もあってしっかりと高価なものだし、それがブランドとして機能するかもしれない。ファッション性を突破できないものって、所詮マニア向けですよね。
H いまは新宿とか銀座に外国人がすごく来る。なぜ来るかっていうと、ほかの都市部と夜の生態系が違うから。日本人の場合は昼間買い物して夜ご飯食べて、家に帰る。アジアの人たちはまずご飯を食べる。例えば6時半とか7時ぐらいから飯食って9時ぐらいに飯が終わって、それから買い物へ行く。夜遅くまで開いているところじゃないとわざわざ来ないです。
K そう考えると、いまの東京のあちこちで見られる都市開発って完全に逆行していますね。本明さんが靴屋さんやっていたときって実店舗とネット店舗での売上の比率ってどうだったのですか
H 半々ぐらいかな。
K 現代人の感覚って店舗で実物確かめたらもう購入はネットでいいやみたいなのが大半ですよね。実店舗で売ることの意義って意識されてましたか?
H 実店舗で売るっていうより、マニアとか本当に好きな人っていうのは店員としゃべりに来る。友達になりに来る。情報というか、目利きの感覚を交換している。
K ひいては空間コンピューティングに入ってくる感覚なのですが、本明さんって森羅万象をスニーカーで翻訳してくれますよね。円安、中東問題。もやしの安さとかいまルイ・ヴィトンがどこでどれだけ売れているかとか、バーッと計算してスニーカー業界の現況へ翻訳してくれます。
H そうそう。スニーカー屋はもう売っちゃったのでやってないんですけど、スニーカーのことがわかれば世界がわかると思ってるので。
K 専門的なものさしが一瞬にして交換できたら楽しくなりますよね。
H ほんとそう。感情の交換がどういうふうにできるのかっていうのは勝負だと思います。
本明秀文|HIDEFUMI HOMMYO
1968年生まれ。「atmos」創設者。90年代初頭より、米国フィラデルフィアの大学に通いながらスニーカー収集に情熱を注ぐ。商社勤務を経て、96年に原宿で「CHAPTER」、2000年に「atmos」をオープン。独自のディレクションが国内外で名を轟かせ、ニューヨーク店をはじめ海外13店舗を含む45店舗に拡大。21年、米国「Foot Locker」が約400億円で買収を発表。スニーカービジネスの表と裏を知り尽くす業界のキーパーソン。
CASE_03 大原大次郎〈グラフィックデザイナー〉
産業革命とグラフィックデザイン
川田十夢(以下:K) 例えばiPhoneのボタン、最初期の2007年ごろはまだマテリアルマテリアルしていましたよね。鏡面がかった質感というか、変な光沢があった。専門用語でいうとスキューモーフィズム。それが13年のiOS7のアップデートのタイミングで完全にフラットになった。人ってやっぱりいちばん触っているものに影響されますから。スタバもペプシも日産もワーゲンも、あらゆる企業ロゴがいっせいにフラットデザインへ移行した。かつての産業革命みたいに、空間コンピューティングによって生活のデザイン全般のアップデートが始まるのではないかと。
大原大次郎(以下:O) いやー、すごくおもしろい指摘です。発表していただきたい。空間コンピューティングの世界ってまだぼくは日々触れてないというか、Vision Proですらかけたことがない人間なので。でもモビール制作とかを通して、実空間に漂う文字みたいなものには、手の感触があったり文字にも横顔や背中があるように感じてきたので、なんとなく身に覚えはあります。
WIRED 体験者の立場から、Vision Proについて少し補足しますね。最初にキャリブレーションするときに手と目の情報をすごく取ります。稲見昌彦先生曰く、瞳孔がどう開いているのか取得していて、例えば驚かせたときにどうするのか? みたいなことも、おそらく今後アプリケーションとかサービスで展開されてゆく。2次元の情報だったものが空間に開いてゆく。そのときの視線誘導みたいなものが大事になってくるのではないかと。
O 視線誘導って聞いて、まず思い出したのが漫画のコマ割りです。「グッとくるコマ割り」を持ち合ってディスカッションするというワークショップをしていまして、例えば『サザエさん』とか海外の『PEANUTS』みたいなシンプルな矩形で構成されていた時代からすると、現在は人物の動き自体がコマ割りになってたり、擬音とコマ割りが一体化したものがあったりと結構トリッキーで多様です。あとは『ハイキュー!!』のようなスポーツ漫画だと本当にトス、レシーブを追うような感じで視点が上下に動くようにうまく設計されている。
K へー、『ハイキュー!!』読んでいるのですね。ジャンプのなかでも、ぼくら世代からすると抜け落ちている作品ですよね。
O スポーツ漫画ならではの空間設計や誌面設計がすごいです。漫画のコマ割りは2次元的な時間や空間設計の最高峰ではないかと思います。一方で、3次元の視線誘導の勉強みたいなことは足りてない。それをなんとか身体に入れるために、基本的なDIYで屋台をつくってみたりだとか。あとはキヨスクですかね。行動心理的な意味で、新聞はここでガムはここにあって飲み物は冷蔵庫からみたいな、視線の動きから手に取りやすさや収納の効率までいろいろな知恵が詰まっている。
K あー、確かに。狭い空間でやり繰りするための工夫が随所にちりばめられていますね、キヨスクには。
O 空間コンピューティングでやがて使うようになるデスクトップの範囲って、割とそういうキヨスクのような手が届く範囲で考えるとイメージしやすい。漫画のコマ割りやキヨスクは結構ヒントなのかなと思います。
大原大次郎|DAIJIRO HARA
グラフィックデザイナー。タイポグラフィを基軸としたグラフィックデザイン、イラストレーション、映像制作などに従事するほか、展覧会やワークショップを通して言葉や文字の新たな知覚を探るプロジェクトを多数展開する。
CASE_04 中野信子〈脳科学者・医学博士・認知科学者〉
現代の高低差とエルツ山脈、そして崇高へ
川田十夢(以下:K) 企画としては、中野さんとの対談がいちばん最後。まさにすべて出尽くした後の現代から未来に向かってどうなるかって話をね、最後にしたいです。
中野信子(以下:N) したいですね。前提もいろいろ聞きたいのでお願いします。
K Vision Proについては手で何かを触っている感覚がないまま、デジタル情報を目や指で操作できるっていうのが新しいと思っています。
N eyesight(視野)っていうのは大きいでしょうね。いままでやっぱり遮断されて、自分の中だけのAR・VR体験っていうのが前提だったですけど、そこが外とつながるっていうことは、実はこれまでeyesightってかなりネックになっていたと思うので。
K そうですよね。リモートってまだ2Dだから。例えばライブ。アーティストを見に行ったときに目が合ったってはしゃいで帰ってくる人いるじゃないですか? あれって映像で見てもそう思わないですよね。
N 思わない。確かに。
K リアルとアーカイブの限界ってeyesightとか空間コンピューティングでちょっと変わると思っています。ドキッとする瞬間みたいなの、開発者としてはアーカイブでも体感できるようにしたい。
N X JAPANのhideのライブ。DMMがやっていたシアターに2回行ったんです。結構リアルでよかったのですが、目の合う感覚っていうのは確かになくて、そこは考えちゃいけないんだみたいな感じでちょっと自分の心に蓋をしちゃったところがありました。
K コロナ禍で仕事が一時的にリモートに切り替わったときに人間が退化したのか進化したのかみたいな話ありましたよね。リモート会議でうっかりミュートしちゃったまま喋ってしまう人とか。
N あははは。
K イメージ的にすごい減点じゃないですか?
N ちょっとかわいいですけどね。
K リモート上での振る舞いというのが人間にとって進化なのか退化なのかみたいな議論が定期的にあるけど、ぼくは適応だと捉えています。
N 退化とするのはちょっと拙速かな。変化だとは思うけど。言語認知って、特に文字はアタマの後ろのほうで処理するのですけど、音に直してはじめて意味として理解する。そのときに空間認知を使う。木彫とか陶芸の作家さんとかで3D表現する人いますよね。サインアートでも工芸でも。材料が豊富だったってこともあるでしょうけど、やっぱ山間部出身の方が多くて。ドイツでもエルツゲビルゲ(エルツ山脈)、ご存知ですかね。東ドイツのチェコ国境のあたりで木彫がものすごく得意な人たちがいる。
K まさに立体的なところに住んでいるから3D感覚にも長けていると。
N そう。この話はわたしのいまのただの感想というか作業仮説にもならない仮説ですけども、崇高という考え方が美学では重要視されておりまして。いわゆるサブライムですね。サブライムっていう考え方が古代ギリシャ、ローマにありますが、18世紀ぐらいまで西洋哲学には出てこない。いわゆるグランドツアー、要するに貴族の人たちが修学旅行みたいなかたちで地中海沿岸を旅するっていう慣習があった。それにアダム・スミスとかあのへんが付いていってアルプスを越えるわけです。イングランドはものすごく平面の平地だからそんな大きい山なんかない。アルプスを初めて見て山が巨大だっていうことから受ける崇高の感覚、そこで生まれて初めてそんな感覚をもったっていうので記述する。何かに打たれて、自分がもう為す術もない巨大なものがあって、その感覚は恐怖でもあるんだけど心地よいものだということを語る。
その崇高さについては時代が下るとさらに研究も進み、脳科学でも研究されまして、崇高な感覚を人がもつと、返ってくる返答が変わるって言えばいいかな。自分は何々であるっていう。その自分は何々であるっていうところを括弧にしておく。その括弧に何を入れますか?っていうのを自由に記述させるっていう心理試験があるんです。自分は何々であるっていうところを普通の人は「自分は女である」とか「自分は食べることが好きだ」とか「自分は何々をしたい」とか、自分が何々であるっていう自分の属性について語る傾向がある。ところが、崇高を感じさせた後だと「自分は日本人だ」とか、「自分は何々家の一員だ」とか、どこかに属しているという属性を語るようになる。こういうサブライムのような感覚を空間コンピューティングで与えることができるのであれば、かなりおもしろいことが起きそう。
K なるほど崇高ですか。いままで考えたこともない拡張材料でした。ぜんぜん違う話をするようでやがて本題につながる話なのですが、最近Audibleとかで本を耳で聞く人いるじゃないですか。中野さんどうですか?
N わたしね、ダメなんです。
K ぼくもあんまりできなくて。ビジュアルから物語が入ってくるっていうのは感覚的にわかるけど、小説って普通に言葉で読むために書かれたものじゃないですか。それをただ音読したものを聞いてもそれはなんか省略にも拡張にもなってない気がして。
N わたし、スクリプトを読むのが苦手なんです。小説を読めても、脚本が読めない。
K 言われてみれば、シナリオのト書きって唐突な立体情報ですよね。
N そうそうそう、説明的に書いてあるんだけど構築していくときにちょっと止まってしまう。小説だとカメラワークがちゃんとあって、あるひとりの視点からこうである、その違う第三者はこうであるみたいな。ちゃんとフレームを描いてるじゃないですか。そのフレームで提示してもらえれば見えるんだけど、ト書きって演出する側の都合で書いてあるから、なんかちょっと視点をうーんってずらさないといけない感じがあって、その移動がやや苦手な感じです。
K しばらく小説から遠ざかっていても、かつての読書体験さえあれば言語のレンダリング感覚がだんだん蘇ってきて、やがて本の中に入ってる感覚になるじゃないですか。熟読者の感覚をね、呼び覚ますような読書体験みたいなことがもし空間コンピューティングで実装できたらいいなと思います。
N すばらしい。わたし『デューン 砂の惑星 PART2』をもう2回も見てしまって。わたしはドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の表現がいいなと思っているのでおもしろく見ましたけど、小説をゼロから読んであの迫力を感じられる人ってやっぱりひと握りかな。そもそも鍛えても一定レべルにしか行かない人もいます。わたしたちの脳はどちらかというと動画処理のほうが文字処理よりは得意なはずなので、物語の処理として動画の処理には慣れることができても、言語の処理にみんなが慣れるかどうかも疑問。となるとテクノロジーとともに文字は使われなくなっていって、動画ないし、空間コンピューティング的に何か表現してあるものっていうのに、相当寄っていくだろうなっていうのはもう間違いなくそうだと思います。
中野信子|NOBUKO N NAKANO
脳科学者・医学博士・認知科学者。現在、脳や心理学をテーマに研究や執筆の活動を精力的に行なっている。科学の視点から人間社会で起こりうる現象および人物を読み解く語り口に定評がある。
川田十夢|TOM KAWADA
企画・論理化・文章化・可視化
10年間のメーカー勤務で特許開発に従事したあと、2009年から開発ユニットAR三兄弟の長男として活動。J-WAVE『INNOVATION WORLD』が毎週金曜放送中、開発密着ドキュメンタリー『AR三兄弟の素晴らしきこの世界』がBSフジでたまに放送。書籍に『拡張現実的』『AR三兄弟の企画書』がある。直近ではひみつ道具『コエカタマリン』の実装や『学研の科学の拡張』を手がけた。WOWOW番組審議員。テクノコント主催。本誌の巻末連載もよろしくメカドック。
(Artwork by Tom Kawada using Midjourney, edited by Tomonari Cotani)
※雑誌『WIRED』日本版 VOL.53 特集「空間コンピューティングの“可能性”」より転載。
雑誌『WIRED』日本版 VOL.53
「Spatial × Computing」
実空間とデジタル情報をシームレスに統合することで、情報をインタラクティブに制御できる「体験空間」を生み出す技術。または、あらゆるクリエイティビティに2次元(2D)から3次元(3D)へのパラダイムシフトを要請するトリガー。あるいは、ヒトと空間の間に“コンピューター”が介在することによって拡がる、すべての可能性──。それが『WIRED』日本版が考える「空間コンピューティング」の“フレーム”。情報や体験が「スクリーン(2D)」から「空間(3D)」へと拡がることで(つまり「新しいメディアの発生」によって)、個人や社会は、今後、いかなる変容と向き合うことになるのか。その可能性を、総力を挙げて探る!詳細はこちら。