XPRIZEの生物多様性コンテスト、決勝進出の“生物模倣ドローン”とは?

熱帯生物多様性のモニタリングを迅速化する新しいテクノロジーの開発に挑むコンペティション「XPRIZE Rainforest」。7月にブラジルで開催される決勝への進出が決まったスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH)のチームにインタビューした。
XPRIZEの生物多様性コンテスト、決勝進出の“生物模倣ドローン”とは?
Photograph: Gottardo Pestalozzi (WSL)

目的は生物多様性を調べ尽くすこと

世界資源研究所(WRI)とメリーランド大学がまとめたデータによれば、2023年にこの地球から失われた熱帯雨林の総面積は37,000平方kmにおよぶ。この面積を国に例えれば、スイスとほぼ同等である。熱帯雨林の保全は、気候変動においては喫緊の課題だ。地球の気温を産業革命以前の水準から1.5℃の上昇に抑えるには、熱帯雨林の維持が不可欠とされる。

米非営利団体のXPRIZE財団は、人類が直面する最大の課題を解決するための大規模なコンペティションを企画・実施している。現在、1,000万ドル(約15.6億円)の賞金をかけて、熱帯生物多様性のモニタリングを迅速化するための新しいテクノロジーの開発を競う国際コンペティション「XPRIZE Rainforest」が開催中だ。

スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH)のチーム「ETH BiodivX」は、XPRIZE Rainforestに、ドローンを用いた「eDNA(環境DNA)」の採取・解析で挑む。「近年、eDNAによる生物多様性モニタリングが盛んに研究されています。eDNAとは、生物が環境に残したDNAのことです。eDNAを環境中から採取することで、そこに存在する生物種を特定できるのです」。ETHの博士研究員であるマルティナ・ルティはそう話す。彼女は環境システム科に所属し、eDNAを用いた生物多様性モニタリングと生物種検出について研究している。

XPRIZE Rainforestの決勝進出が決まったETH BiodivXチーム。BGMは、シンガポール熱帯雨林に生息する発光カタツムリ(Quantula striata)、アジアミツバチ(Apis cerana)、Timonius wallichianus(シンガポールの固有種であるアカネ科の植物)から採取したDNAを元に翻訳されたもの。音楽的な翻訳・編曲を担当したのはCulture Labs & Blue collar。

eDNAとは、水、土壌、空気などの環境中に存在する生物の細胞内および細胞外DNAのことである。自然界に存在する生物は、皮膚、ふん便、尿などを介して、環境中に自らの“痕跡”となるDNAを放出する。それらを採取・解析することで、どのような生物が環境中にいるかを決定できるという。つまりこれは、自然界における生物のスクリーニングを可能とするテクノロジーだ。eDNAは生物を直接観察することなく、非侵襲的(動物を傷つけたりしない)かつ迅速に検出する方法であり、最小限の機材でサンプルを採取できる簡便性から注目されている。

「生物種をモニタリングする従来の方法(目視など)だと、特定の種や少数の種にのみ対応していることが多いのですが、eDNAは特定の種の検出だけでなく、環境中のすべての種の検出にも対応しています。つまり、自然界にいるあらゆる生命を対象としたモニタリングが可能なのです」と話すルティは、eDNAによるモニタリング手法はここ数年で成熟し、データの解像度も上がっており、費用対効果の高い方法として導入が進んでいると補足する。

スイス国内での水中eDNA採集の現場。

Photograph: Flurin Leugger

ルティらの研究チームはこれまでに、スイスのアールガウ地方で絶滅危惧種の両生類を、スイス国立公園では哺乳類を、そしてチューリッヒの都市部では小型哺乳類や外来哺乳類を調査してきた。さらにプロジェクトの範囲を世界中に拡大し、コンゴでマナティーを探すプロジェクトに取り組むほか、コロンビアの森林再生地域が生物多様性にどのような影響を与えるかを調査し、ブータンでは人間と野生動物の対立をめぐる問題に取り組んでいる。

ルティは、「eDNAにおけるボトルネックは、やはりサンプリングです。とくに熱帯雨林のような環境では採取が難しくなります。クレーンの利用が有望ですが、非常に高価です。熟練の登山家に依頼することもできますが、これにも危険が伴います。こうした場合、例えばドローンに大きな可能性を見出すことができるのです」と付け加えた。

生物を模倣した採集ドローン

「自然のなかで、膨大な年月をかけて進化してきた生物の生体メカニズムを、完全に真似ることはできません。しかし自然界をよく観察することで、自然環境でも安全な、特定の知能を搭載したロボットを開発することができました」

そう話すエマヌエーレ・アウコーネは、ETHの博士課程で学び、WSLでリサーチに従事している。彼が開発したドローンは、森林を飛行して枝に着陸し、粘着質のデバイスを使ってeDNAを採取できる。機密保持の観点から、この動画に映っているドローンはXPRIZE Rainforestで使われる実機ではない。しかし、実機の開発に重要な知見を提供したものであることは確かだった。

枝に着陸し、粘着性のデバイス(動画内のドローンの下部)によって、まるで指紋を採取するかのように木々からeDNAを採取する。

一般的なドローン、例えばDJIなどが販売しているようなものを想像していただきたい。それらは、基本的には障害物のない開けた場所で操縦され、飛行し、写真を撮影するなどのタスクを達成する。しかし、eDNAを採取するためのドローンは、森林という障害物だらけの環境内を飛行し、自律的にeDNAを採取するというタスクの達成を求められる。そこで、これを日常的にやってのける自然界の生物に目をつけた。

「例えば、鳥類は枝にとまりますよね。森林内のさまざまなeDNAを採取するには、このように、ドローンもあらゆる種類の植物の枝葉と触れあう必要があるのです」と、アウコーネは語る。

ロボット開発にかかわった人であれば、このタスクが悲鳴を上げたくなるほどにハードだとわかるだろう。こうした空中での物理的な相互作用としてすぐに思いつくのは、ドローンにロボットアームなどを取り付けることだ。しかしロボットアームは、正確でこそあれ、局所的な相互作用しかできない。アウコーネは、「自然環境、特に森林のような構造化されていない環境を相手にする場合、ドローンは未知の障害物に四方を囲まれるので、こうした特徴を生かすことは不可能と考えるべきです」と続けた。

こうした環境で操作されるドローンには、まったく新しい設計アプローチが必要だった。アウコーネの設計は、ドローンに動物のような、タスクに応じた形態を与えること。そして、ドローン全体を“触覚で覆う”ことだった。

野生動物が森を駆け抜けていく様子を想像してほしい。動物は枝のように柔軟な障害物を押しのけたり、傾斜のある硬い地面でも体勢を変えて横断したりしている。言い換えれば、身体全体をうまく使って、直接的かつ物理的に環境と相互作用することで森林を横断しているのだ。

アウコーネは、「研究からわかったことは、こうしたことを成し遂げるために、動物は高度な神経制御をしているわけではないということです。最小限の神経制御が、身体と相乗的に絡み合うことで、環境と相互作用している。そして、その身体には、その動物が特定のタスクを遂行することを可能にする形態的な特徴があります」と話す。

例えば、森林を移動する動物は、そのタスクの遂行に適した流線型の体型をしている。また、多くの場合、皮膚にも特定の性質があるという。「例えば、皮膚の表面摩擦が非常に低ければ、植生のなかをすばやく滑走できます。また、この“タスク”は全身に分散配置されたセンサーによって実現されていて、それは人間も同様です。わたしたちが非常に複雑な自然と相互作用できるのは、触覚センサーで覆われているからなのです」と、彼は続けた。

アウコーネは、触覚センサーの感知によって生まれるフィードバック制御によって、ドローンを制御しようと考えた。そして、自然環境下で複雑な作業をこなすために、タスクに応じてボディの形態を適応させる必要がある、と。そうして生まれたのが、半球状のケージをもち、あらゆる方向を知覚できる触覚センサーを搭載したドローンだ。アウコーネによると、触覚センサーはドローンとケージの間に配置されており、これによってドローンは、どの方向から発生しているかに関係なく、(木の枝などの障害物による)力を測定できるという。

かくしてこのeDNA採集ドローンは、森林の中を自律的に飛び、木の枝に着陸し、eDNAを採集し、生物多様性に関する重要なデータを生み出すのだ。

エマヌエーレ・アウコーネ(写真左)とマルティナ・ルティ(写真右)。

Photograph: Akihico Mori

生物多様性のGoogle マップを目指して

少し先の未来、ドローンが世界中の森林のなかを、まるで鳥や獣のように行き交い、eDNAを採集するときが来るのかもしれない。そして、生物多様性におけるGoogle マップのようなものが生み出され、自然が膨大なデータとしてわたしたちの社会とつながるときが来るのかもしれない。そして、インターネットの登場がわたしたちのライフスタイルを大きく変えたように、わたしたちの自然へのかかわり方を大きく変えるのだろう。少なくとも、アウコーネとルティはその可能性に肯定的だ。

「エンジニアリングの観点から言えば、必要なのはロボット同士のネットワークです。それによって、世界中のさまざまな地域でサンプルを収集できます。そのためには、ロボットの『群制御』技術(機体を群として制御することで、個の制御では達成できないことを実現する制御技術)のさらなる進歩が必要でしょう。また、eDNAの採集、分析、ネットワークへの送信までをドローン単体でこなせる未来も実現できるかもしれません」と話すアウコーネは、いずれにしても将来的には世界中のあらゆる場所を調べ、生物多様性の全体像を把握する必要性が生じ、それに対応した技術開発が進められていくと予想している。

この意見に対し、ルティは世界規模のモニタリングを実現するためには、eDNAによる手法がより簡便になって普及していく必要があるとして、次のように添えた。

「生物多様性の世界的な定量化を実現し、地球の持続可能性に貢献するには、eDNAの手法を世界規模でより利用しやすくする必要があると思います。現在、eDNAを通じて入手できる生物多様性に関する情報は、先進国の特定の地域に偏っていることが多いのです。世界規模で達成するためには、このようなサンプリングの偏りを克服し、誰でも利用できるような簡便性を実現する必要があると思います」

XPRIZE Rainforestの決勝は、7月中旬から下旬にかけてブラジルで開催される。その勝敗も気になるところだが、ここに集うテクノロジーの多くが、自然界のインターネット化を実現する、地球の未来を担うツールとしての可能性を有しているに違いない。

森 旭彦|AKIHICO MORI
京都を拠点に活動。主な関心は、新興技術と人間性の間に起こる相互作用や衝突についての社会評論。企画編集やブランディングに携わる傍ら、インディペンデント出版のためのフィクション執筆やジャーナリスティックなプロジェクトを行なう。ロンドン芸術大学大学院メディア・コミュニケーション修士課程修了。

(Edited by Erina Anscomb)

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