「ゲームの芸術性」について、いま改めて考える

ビデオゲームとインタラクティブデザインの展覧会「Never Alone」が、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催されている。その展示から浮き彫りになってくるのは、ゲームを「アート」という観点から考えることの重要性だ。
Screenshot of 'Never Alone' video game featuring two characters standing on top of snowy hill
Courtesy of E-Line Media

対戦型格闘ゲーム「モータルコンバット」が22年10月に発売30周年を迎えた。いまにして思えば、アーケードゲームとして登場した1992年当時、このゲームには古風とも言えそうな趣があった。格闘シーンは2Dのマンガ風だし、画素が粗いせいで血しぶきはぼやけて見えたものである。

それでも多くのゲーマーは忘れているか、生まれる前のことで知らないだけかもしれない。「モータルコンバット」は、あのころ吹き荒れた“暴力系ビデオゲームの嵐”の中心的な存在だったのだ。

相手の首を脊髄ごと引き抜く「スパイン・リップ」なる残酷な殺し方は米議会公聴会で取り上げられ、エンターテインメントソフトウェア評価委員会(ESRB)設立のきっかけにもなった。ESRBは現在もゲームの内容と対象年齢に対する評価を下している。30年の時を経て「モータルコンバット」は古典的名作となり、ビデオゲームの暴力表現を巡る論議はしばしば過剰反応と見なされるようになったのである。

ニューヨーク近代美術館(MoMA)学芸員のパオラ・アントネッリは、この問題について繰り返し考えている。「モータルコンバット」に限らず、芸術のなかの暴力において暴力がどんな役割を果たしているのか、考えているというのだ。

ビデオゲームとインタラクティブデザインの展覧会「Never Alone」のキュレーション作業に取り組んでいたアントネッリは、MoMAで働き始めた28年前、ベレッタ銃をデザインコレクションに加えるべきだと主張したことがある。ところが、ほかの職員は残らずこの案に反対したという。

そこでアントネッリは、あらゆるアート作品のなかに銃が描かれているにもかかわらず、なぜコレクションに加えられないのかと抗議した。MoMAが示した論拠は、絵画や彫刻ではしばしば芸術表現として銃が描かれるが、銃そのものを美術館に置くことはその用途を是認することにつながるというものだった。

「ビデオゲームにも同じ原則が適用されています」と、アントネッリは言う。「漠然とした暴力と標的のある暴力との違いについて何度も話し合いました」

こうした事情から、「Never Alone」の展示に「アサシン クリード」「グランド・セフト・オート」といった殺人ゲームは含まれていない。一方で、戦禍を生き延びようとする市民の視点でプレイする「This War of Mine」は含まれている。

MoMAの収蔵品スペシャリストのポール・ギャロウェイは、「This War of Mine」を「ひどく暴力的なゲーム」と評するが、問題の論点はそこではない。「よくできたゲームのなかには、暴力を人々に前向きな行動を促すものとして扱っている作品もあるのです」と、彼は指摘する。

議論に値する“文化財”としてのゲーム

アントネッリもギャロウェイも、ビデオゲームは議論に値する“文化財”であると考えている。これまでもビデオゲームは長らくさまざまな議論の対象とされてきたが、23年春まで続く「Never Alone」展は、ゲームにさらに明確な芸術品としての舞台を与えることを意図している。ゲームのグラフィックやストーリーの創作が価値ある仕事であることに加え、人とゲームの関係が人と芸術の関係とさほど違わないことを示そうとしているのだ。

この考えは「Never Alone」という展示会のタイトルにはっきりと表れている。このタイトルは、展示されている全作品と同様に、MoMAの常設コレクションに含まれている同名のゲームに由来する。ゲーマーのことを「地下室にこもってシューティングに興じる孤独な人間」と決めつけたがる人々に対し、ビデオゲームがコミュニティ形成の手段となりうることを証明しようとしているのだ。

ライブ配信プラットフォームのTwitchが全盛のいま、このことはさらに真実味を増している。

「Never Alone」展の会場を9月上旬に見せてもらったとき、それを証明するものがすぐに見つかった。会場には「パックマン」や「スペースインベーダー」といった往年のゲームが展示されている。一方で、初代「iPod」やアップル「マッキントッシュ」初号機用のアイコンをデザインする際にグラフィックデザイナーのスーザン・ケアが使ったスケッチブックのように、インタラクティブデザイン関連のツールも多く展示されているのだ。

その狙いは、ゲームの世界でアートが生まれるのはプレイヤーがデザイナーの作品に触れた瞬間なのだと示すことにあると、アントネッリは言う。まさに一期一会である。

「@」記号の意味すること

シミュレーションゲーム「ザ・シムズ」について考えてみよう。これはひとりでプレイするゲームだが、ギャロウェイに言わせれば「それでもプレイヤーはデザイナーのウィル・ライトと対話している」のだという。

「たとえ孤独な作業であっても、ゲームがプレイヤーと世界をつなぐ役割を果たしていることは確かです。ゲームが示す道をたどれば、その先にはつながりが重要な意味をもつ世界が広がっているのです」

MoMAの会場を歩き回っていると、どうしても作家ガブリエル・ゼヴィンの最新作「Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow」が頭に浮かんでくる。ビデオゲーム制作の様子や、仲間とゲームづくりに取り組み一緒にプレイする人々を描いた小説である。

また、ゼヴィンがインタビューで語った「現代人はほぼ全員がゲーマーだ」という言葉も忘れられない。「FacebookにしろInstagramにしろ、遊びでソーシャルメディアをひとつでも使っているなら、それはゲームをプレイしているのと同じことです。それらはみな、終わりのない退屈なゲームのようなものなのですから」と彼女は語っている。

おそらく、かなり前からそうだったのだろう。開催前に入場させてもらった「Never Alone」展の見学が終わりに近づいたとき、一緒に歩いていたアントネッリが壁にかかったイメージ作品を見て顔をほころばせた。見るからにうれしそうだ。

そこに描かれていたのは、2010年にMoMAのコレクションに加わったアットマーク(@)記号だった。アットマークの由来は中世の修道士たちによる聖書の写本作業にさかのぼり、その存在はプログラマーのレイ・トムリンソンが電子メール用の記号として採用するまでほとんど忘れられていた。ところが、いまやアットマークはネット上で多くの人々の身元を示す記号となっている。

厳密に言えば、この記号は誰もが使える「パブリック・ドメイン(公共財産)」である。MoMAがこの作品を買い取って所有していることに実質的な意味はない。しかしアントネッリにとって、この記号は人間と機械の出合いを完璧に総括するものなのだ。

「誇りをもって所蔵すべき作品のひとつです」と、アントネッリは言う。「アットマークがデジタル世界に存在する多様な双方向性と固有性の基本であることは、誰が考えてもわかるはずです」

ゲームのプレイヤーなら、さらによくわかるに違いない。

WIRED US/Translation by Mitsuko Saeki/Edit by Daisuke Takimoto)

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