かつてわたしたちは、現実の生活で“ハドル”と呼ばれる短時間の打ち合わせをすることが多かった。会議のような堅苦しさも、ブレインストーミングのような知的な厳しさもないハドルは、自然発生的で生産的、かつ(たいていは)いい気晴らしになる仕事空間だったのである。
言ってみれば、バスケットボールチームが戦略を練るためにタイムアウトをとるようなものだ。デスクのそばを通りかかった同僚が「ちょっとだけいい?」と話しかけてきて始まり、5分くらいで終わる。わたしたちは、ウォータークーラーのそばやキッチンなどで気軽に話した。そして2020年になり、次に何が起きたかはご存知の通りである。
こうして人気の業務用チャットアプリ「Slack」に21年6月に導入されたのが、現実世界でのハドルを再現すべく設計された音声のみの機能「ハドルミーティング」だった。Slackのチャンネルやダイレクトメッセージ内から簡単に始めることが可能な、すぐに使える“たまり場”のような空間である。
運営元のスラック・テクノロジーズによると、この機能は人気を博している。また、Slackの9年の歴史において、最も速く導入された機能でもある。Slackの有料企業顧客の44%近くが週に1度のペースでハドルミーティングを利用しており、その利用時間は合計で週あたり2億4,300万分にも相当するという。
ほとんどのハドルミーティングは10分程度しか続かないので、エンゲージメントの神様はうれしくないかもしれないが、そのこと自体がある種の効率性を物語っている。それは現実世界のハドルともよく似ていると言っていい。
そしてスラックは、今度はハドルミーティングにさらなる付加機能を追加しようとしている。このほどハドルミーティングの改良版を発表した同社は、簡素な機能のハドルミーティングを「コワーキングスペース」に変身させると主張している。そんな働き方の未来に向けたビジョンにおいて最も重要な新機能が、ビデオチャットだ。
ハドルミーティングの“Zoom化”
秋に提供が開始される新しいハドルミーティングは、「Zoom」や「Microsoft Teams」とよく似たビデオチャット機能を備えるようになる。Slackでは1対1やグループでのビデオ通話が16年から提供されてきたが、この機能を見つけるのは簡単ではない。
このためハドルミーティングへと移行することで、Slackはこれらの音声チャットが集めてきた勢いの一部に乗れることを期待している。ハドルミーティングのビデオ機能には、ビデオ会議アプリで標準となっている背景をぼかすオプションが含まれる予定だ。
画面共有機能も、もうすぐハドルミーティングのオプションに加わる。これにより、複数の人が同時に画面を共有できるようになる(正直なところ混沌としているように聞こえる)。
ユーザーはビデオチャット中に「リアク字」と呼ばれる専用の絵文字リアクション(絵文字やエフェクト、ステッカー)を発射し、フレームを横切らせることもできる。また、ハドルミーティング中にのライブチャットのログのほか、共有されたリンクやドキュメントは、ハドルミーティングが開始されたチャンネルやメッセージスレッドに自動的に保存されるようになる。
競合とは異なる領域を狙う
まさにSlackのZoom化であるが、スラックはZoomと比較されることにアレルギーがあるようだ。スラックの製品担当シニアバイスプレジデントのノア・デサイ・ワイスは、ビデオミーティングは「多くの重要な利用事例」において役立っているが、新しいハドルミーティングは何かが違っているのだと言う。
「わたしたちは、まだサービスが行き届いていないと思われる分野に焦点を合わせています。つまり、少人数のチームが共有のデジタル空間で実際に共同作業できるようにするには、どうしたらいいかということなのです」
もっともである。「Slack ハドルミーティング」はSlack 内の機能として存在するので、ハドルミーティングを利用してZoomなどのリンクを送信したり、予定されているビデオ会議に参加者を招待したりすることはできない。またハドルミーティングに参加できる人数には、Slackのビジネス版では50人、無料ユーザーの場合は2人までという上限もある。
セールスフォースに280億ドル(約3兆円)で買収されたスラックは、ビデオ会議市場に参入するか、それとも一線を画すように努めるか、その間で揺れ動いている。
「その市場にはシスコやズーム、マイクロソフトといった大手ブランドがひしめいています。また、隣接市場への参入は厄介でしょうね」と、ガートナーでワークプレイスコラボレーションと従業員コミュニケーションソフトを分析しているリサーチバイスプレジデントのマイク・ゴッタは言う。「それらの機能の一部を提供し始めると、あれもこれもやらなければならなくなりますから」
ハドルミーティングを肥大化させるリスク
新しいハドルミーティングのより不可解な点のひとつは、すでにこれほど成功しているのにスラックがこの分野に手を出したいと考えた理由だろう。
明快な答えがひとつある。ZoomとTeamsは実際にSlackの競合関係にあり、スラックはできるだけ多くのユーザーをSlackに引き戻したいと考えているのだ。
また、Slackがハドルミーティングの特定の機能について、大企業に新たに課金する可能性もある。しかし、デサイ・ワイスによると、Slackの3つの有料プランすべてでこの機能の全面的な体験が可能であり、それを変更する予定はないという。スラックが新しいハドルミーティングをつくったのは、ユーザーがオリジナル版に新機能を追加して拡張するよう「熱心に要求した」からだと、デサイ・ワイスは主張する。
それでもやはり、ハドルミーティングを肥大化させることには現実的なリスクがあるように思える。例えて言うならば、レーシングカーにコネストーガ幌馬車(西部開拓時代の大型の幌馬車)を取り付けるようなものなのかもしれない。
ハドルミーティングが現時点で職場のデスクの近くで自然発生的に起きるコミュニケーションに最も近いもののひとつであるなら、なぜ動画やチャットボックスやリアクション絵文字で身動きをとれなくする必要があるのだろうか?
Zoomのようなビデオアプリは、現実世界での交流が仮想空間に追いやられてしまった時期、実際に救いの手になった。しかし、それはまたわたしたちの機動性を低下させ、認知機能を疲れ果てさせてしまったのである。
スラックが考える「未来のオフィス」の姿
Slackによると、ハドルミーティングはこれまでと変わらず即興的な会話に対応し、まず音声のみで始まるすべてのチャンネルやDMからワンクリックで起動するようになるという。そして少なくともSlackは、ハドルミーティングでユーザーの表情や声のトーンから疲労度を検出しようとはしない。
Zoomは最近、通話中の相手の集中力や忍耐力を推察しようとする営業チーム向けの機能のせいで非難を浴びた。この件についてスラックのデサイ・ワイスに聞いたところ、「正直に言ってその質問をされるまで、そんなことは考えたこともなかったし、そのようなことをする予定も意思もないと断言できます」との答えが返ってきた。
人々が新しいバージョンのハドルミーティングを使い始めるまでは、よりよいものになるのか、それとも肥大化してしまうかという議論には決着がつかないだろう。そして、たとえハドルミーティングが業務用チャットの未来であるとしても、実際の物理的な職場の未来は、まだどうなるかわからない。
スラックは未来のオフィスとはハイブリッド型であり、実際に顔を合わせる日もあれば在宅勤務の日もあり、さらに多くのチームが時間帯や空間を越えて分散することに賭けている。
「パンデミックから27カ月が経過したいま、わたしたちはこの新たな日常が週5日労働への逆戻りではないことを目の当たりにしています」と、デサイ・ワイスは言う。「新たな日常とは、柔軟性を受け入れることです。人々はこれまで常にそれを望んでいたのですが、決して手に入れることができませんでした」
それは確かに、別の位置づけのビデオチャットアプリを売り出すひとつの方法であり、最もオフィス嫌いな労働者にさえ現実世界でのハドルの日々を恋しく思わせることになるかもしれない。
(WIRED US/Edit by Daisuke Takimoto)
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