イーロン・マスクは「8兆円規模の報酬」に値するのか? テスラの株主投票を前に賛否両論

テスラの株主総会を前に、CEOであるイーロン・マスクの巨額報酬をめぐる議案が賛否両論を引き起こしている。テスラの業績が不調であるなか、500億ドル(約7兆8,000億円)近くまで膨れ上がった報酬の価値がマスクにあるのだろうか?
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Photo-illustration: WIRED Staff; Getty Images

イーロン・マスクは、リスクを恐れず“賭け”に乗り出せる人物だ。これまでに火星に100万人を送り込むと宣言し(スペースX)、工場での作業をヒト型ロボットに任せると言い(ヒト型ロボット「Optimus」)、地下深くに高速道路網をつくると意気込む(ボーリング・カンパニー)など、さまざまな約束をしている。だが、こうした賭けは、どれもまだ実を結んでいない。

そしてマスクは6年前、彼自身にも影響することになる大胆な決断を下したテスラでの自身の報酬を、そこから10年間の一連の財務目標と結び付けたのである。この目標には、テスラの時価総額を590億ドルから6,500億ドルへと引き上げることも含まれていた。

こうした目標を当時の評論家は「驚異的」「これまでのなかで最も実現不可能な目標」と酷評していた。目標を達成できなかった場合、マスクがテスラから得られる報酬はゼロとなる。

この計画にテスラの取締役会は2018年に同意した。ところが、ヘヴィメタルバンドのドラマーで、テスラ株を9株だけ保有していたリチャード・トルネッタは同意しなかった。トルネッタは18年6月、この報酬パッケージが彼のような投資家にとって不当なものであるとして訴訟を起こすことにしたのである。

この訴訟が2022年にデラウェア州の裁判所で提起されたとき、マスクがこの巨額報酬を手にするまでに達成すべき目標は残りひとつだけになっていた。ところが、今年1月になってデラウェア州の判事はトルネッタの主張を認め、判事が「計り知れないほど巨額」と形容した報酬パッケージを無効とし、その交渉に関わった取締役らはマスクの言いなりだったと評したのである。

マスクはテスラが一時的に1兆ドル企業となった後、2023年末までにその驚異的な12の目標を達成することに成功した。そして現在、デラウェア州の裁判所による判決にもかかわらず、マスクはその報酬を要求している。

こうしたなか6月13日(米国時間)に開催されるテスラの株主総会において、株主が再び投票を求められている。いまでは500億ドル(約7兆8,000億円)近くにまで膨れ上がった米国企業で史上最大となる報酬パッケージについて、マスクが受け取るべきかどうかについてだ。

この“500億ドル問題”について、株主が考えなければならないことがある。マスクにその価値はあるのだろうか?

報酬パッケージをめぐり賛否両論

その報酬をマスクが受け取るに値するかどうか、という問題の提起は、マスクと彼が2008年から率いてきた電気自動車(EV)メーカーであるテスラとの関係にも大きな変化をもたらす。

「今回の抵抗は、ひとりの人物が会社に及ぼす影響力には限界があることを示しています」と、ガートナーの自動車担当アナリストのマイク・ラムジーは指摘する。「今回は『(マスクが)無制限の権力をもつことはできない』と、テスラの株主が初めて声を上げるかもしれません」

この投票はテスラにとって厳しい時期に実施される。テスラは創業以来、初めてEV市場で厳しい競争に直面している。なかでも中国の競合メーカーが投入してきた低価格なEVとの競争は熾烈だ。そして一部の観測筋は、マスクの対応と、自動運転タクシー人工知能(AI)への“転換”に困惑している

「いま問題とされていることは、過去ではなく未来​​に関するものです」と、英国のウォーリック・ビジネス・スクール教授で戦略とリーダーシップの実践についてジョン・コリーは言う。「テスラは成熟した企業となり、成熟した自動車メーカーがいま抱えている問題をすべて抱えています」

さらに、マスクのように将来を見通せる“ビジョナリー”が成熟した企業を率いるには最適な人物なのか、コリーは「はっきりしない」とも指摘している。

今回の報酬パッケージ案は、株主総会に先立って株主が議決権の代理行使で投票を求められている議案のひとつにすぎない。ほかにも、テスラの法人登記をデラウェア州からテキサス州に移転すべきかどうか、労使交渉における強硬姿勢を軟化させるべきかどうか、海底から採掘された鉱物の使用を先手を打って一時停止すべきかどうか──などを判断する投票も求められている。

しかし、マスクの報酬ほど意見が分かれているものはない。実際に投票を前に、投資家の間で亀裂が深まっていることが露呈した。

テスラの取締役会議長であるロビン・デンホルムは、億万長者の投資家であるロン・バロンと同様に今回の報酬パッケージを支持している。バロンは「テスラはイーロンと共にあるほうがいい」と6月4日付の公開書簡に記していた。「テスラとはイーロンである」というわけだ。

一方で報酬パッケージの反対派には、機関投資家に投票を指導する影響力が大きい2つの議決権行使助言機関や、テスラが労働者の権利をめぐって労働者と衝突している北欧諸国の株主も含まれている。

ノルウェーの1兆ドル規模の政府系ファンドは、ノルウェー最大の年金基金であるKLPと同様に、この巨額報酬案に反対票を投じることを表明している。「履行期間中にテスラが著しく成長して成功を収めたことは認めますが、その点を踏まえても報酬額は過剰だと指摘します」と、取材に応じたKLPの責任投資責任者であるキラン・アジズは言う。

そしてKLPは、テスラに労使交渉に積極的にかかわるよう求める動議に賛成票を投じるとも付け加えた。「スウェーデンにおけるテスラとテスラの労働者との最近の紛争、そしてテスラが長年にわたって労働者の権利を侵害したと非難されてきたことは大きな懸念事項であり、テスラはこの分野における取り組みを改善する必要があることを示しています」

繰り広げられる情報戦

今回の株主投票の舞台裏では、活発なロビー活動も展開されている。米証券取引委員会(SEC)に提出された書類によると、テスラは広告費をグーグルとマスクがオーナーであるXに投入し、投資家たちに対して「この提案を支持して『あなたの投資を守りましょう』」と呼びかけている。

さらにテスラは今年4月、デラウェア州裁判所の判決に反対し、報酬パッケージを支持するよう株主に促すウェブサイトも立ち上げた。「裁判所の判決が実行されれば、イーロンは6年足らずの間に株主に多大な利益をもたらしたすばらしい業績に対する報酬を一切受け取れないことになる」と、このウェブサイトには書かれている。

「これは記憶にある限り、議決権の代理行使の勧誘のなかで最も大きな宣伝が繰り広げられているものです」と、アーカンソー大学法学部教授のロバート・アンダーソンは言う。アンダーソンは今回の事態において、最高経営責任者(CEO)であるイーロン・マスクがもつ際限なく世間の関心を引き寄せられる能力による「マスク効果」が一因になっていると考えている。

一方で、このような報酬パッケージとテキサス州への移転案は、どちらもビジネス界では前例のないことだともアンダーソンは指摘する。「たとえマスクが著名人でなかったとしても、この提案のどちらか一方だけでもかなり重大なことです」

今回の投票には機関投資家だけでなく、テスラ株の約44%を保有する異例の規模を誇る個人投資家も参加することになる。株主の間では、マスクが報酬を得られなかった場合に「マスクの関心がほかの事業に少しばかり移ってしまうかもしれない」との懸念があると、アンダーソンは言う。

これまでのマスクは“曲芸”でもこなすように複数の事業に関与してきたが、ソーシャルメディアのツイッターを買収して社名を「X」に変更して以降は、誰が見ても散漫になっている様子だ。Xにおけるマスクは明らかな右派政治への転向によって新たなファンを獲得し、一部の古いファンを置き去りにしている。

今週の株主総会で何が起きるにせよ、テスラとマスクの超人的な姿は少し弱まるかもしれない。

これまでテスラとマスクは、テスラがシリコンバレー風のスタートアップのような気骨のあるテック企業であると主張してきた。「わたしたちはAIまたはロボットの企業として考えられるべきです」と、マスクは今年4月に投資家、すなわち今回の投票の有権者に対して語っている。「テスラを単なる自動車メーカーとして評価するなら……その枠組みは根本的に間違っています」

(Originally published on wired.com, edited by Daisuke Takimoto)

※『WIRED』によるイーロン・マスクの関連記事はこちら


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