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池田純一『ザ・大統領戦2024』:「バイデン降ろし」につまずき進路を見失った民主党

「バイデン降ろし」の合唱が鳴り止まない──。11月の選挙に向け、一致団結してトランプを迎え撃たなければならないはずの民主党だが、依然混迷の様相を呈している。しかしよくよく見ると、混乱を招いているのは「ビッグ・メディア」と「エリート・デモクラット」だ。アンダードッグストラテジー(負け犬戦略)を得意とするバイデンは、果たして活路を見いだせるだろうか。デザインシンカー・池田純一の見立てはいかに?
池田純一『ザ・大統領戦2024』:「バイデン降ろし」につまずき進路を見失った民主党
PHOTO-ILLUSTRATION: Anadolu,Spencer Platt/Getty Images, WIRED JAPAN

ディベートの代償

2024年6月27日のディベートは、大統領選を一変させた。その日を境に、メディアの主役がトランプからバイデンに変わったからだ。もっともそれは、「ドナルド、ディベートやろうぜ!」とわざわざ声をかけてまで実現させたバイデン陣営が期待したものとは真逆のものだった。

Photograph: Justin Sullivan/Getty Images

「バイデン降ろし」の大合唱が始まったのだ。

ディベートにおけるバイデンの前後不覚な受け応えにうろたえた人たちが、バイデンの高齢問題を再燃させた。ディベート直後から、ニューヨーク・タイムズを筆頭に多くの報道メディアが、大統領選からの辞退をバイデンに求める記事を書き続けた。NBCやABCなどのテレビジャーナリズムも、連日、ディベート中に言い淀み、自分が何を話そうとしているか見失ったかのようなバイデンの姿を何度も放送した。それらの記事やビデオの傍らには、報道各社お抱えのコラムニストや評論家、元政治家やキャンペーンストラテジストなどの、いわゆる「パンディット」と呼ばれる人たちによる、バイデンではトランプには勝てないという趣旨の発言や論説が添えられていた。

Photograph: Justin Sullivan/Getty Images

最初の曲がり角となったのは、早くもディベート翌日の6月28日、ニューヨーク・タイムズのエディトリアル・ボード(編集委員会)が、バイデンに大統領選からの撤退を勧め、代わりの候補者を立てるよう民主党に促す論説を掲載したことだ。アメリカだけでなく世界のリベラル紙の雄であるニューヨーク・タイムズが「バイデン降ろし」を提唱したことに背中を押されて、週が明けた7月1日からは、民主党の現職の政治家からもバイデンに辞退を求める発言が公になされ始めた。

同時に、ニューヨーク・タイムズだけでなく、ワシントンポストやポリティコなどワシントンDCの政局報道を得意とする報道機関からも、プライベートの会話で語られた、バイデンの当選可能性に対して疑念を抱く議員や行政官、選挙スタッフなどの声が続々と報じられるようになった。

Photograph: Allison Joyce/Anadolu via Getty Images

バイデン降ろしが実現したあと、誰を後釜に据えるか、その候補者リストが挙げられたり、では、新たな人物を立候補者にするためにはどうすればよいのか、可能な方法がいくつか紹介されたりと、「バイデン降ろし」の報道はどんどんエスカレートしていった。ついには、バイデンが辞退を渋った場合でも強制的に退任させる手段として、憲法修正第25条を使った大統領職の剥奪、といったものまで紹介された。この強制解任の方法は、大統領時代のトランプに対して、弾劾裁判が成立しなかったときはどうするかなど、大統領職の継続に疑問を持たれていた際に検討されていたものと同じものだ。つまり、いつの間にかバイデンのディベートにおける惨状は、「選挙が盗まれた」という理由で大統領職の移譲を拒もうとしていたときのトランプの言動と同類のものとみなされていたわけだ。こうした「バイデン降ろし」を先導したのがニューヨーク・タイムズだった。ついには、現職の上院議員や下院議員の中からも、バイデンに辞退を求める者も出てきた。

Photograph: Mario Tama/Getty Images

もちろん、バイデン陣営は黙ってこれを見過ごしていたわけではないが、いかんせん、やることが全て後手に回り、適切な火消しとは言いがたかった。

ひとつには、ディベート翌日のノースカロライナ州で行われたラリーで、気勢を上げる力強いバイデンの姿が伝えられたからで、少なくともその映像を見た人たちは、なんだバイデン、元気じゃないか!と安堵していた。バイデン陣営も、そんな「怒れるジョー(Angry Joe)」の姿が、前日のディベートの「眠たいジョー(Sleepy Joe)」のイメージをかき消してくれると楽観視した。本来なら、ディベートで生じたバイデンの年齢問題や認知問題への疑念を払拭すべく、ニュース番組などの取材に応じるべきだったのが、そのようなメディア対応は一切せずに、バイデンは、ディベートの失態にどう対処するか、家族会議をする、と言ってその週末は、バイデン家の人びととキャンプディヴィッドに籠もってしまった。

だが、先述のようにその週末が最初の分かれ目で、ニューヨーク・タイムズをはじめとしたビッグ・メディアの「バイデン降ろし」の動きが加速し、週明けからの「バイデン辞めろ」報道の大合唱を用意した。同じタイミングで、6月の会期末にあわせて連邦最高裁がいくつもの重要な審決を公表し、「保守化した最高裁」の現実を突きつけたのだが、それらよりも「バイデン降ろし」の報道のほうがメディアを占拠した。また、6月27日のディベートで事実無根の嘘を並び立てたトランプに対する報道も大して見られなかった。7月第1週の報道はバイデン一色だった。

もうひとつ、バイデン陣営の対応が遅れたのは、7月4日の独立記念日が近かったこともあった。議会も散会し、議員の多くは地元選挙区に戻る時だった。それを見越してか、バイデンはようやく7月5日に、ABCの報道番組“This Week”の著名なアンカーであるジョージ・ステファノポロスからライブのインタビューを受けた。

ウィスコンシン州での選挙活動中にジョージ・ステファノプロス(左)によるインタビューに臨んだバイデン。

Photograph: ABC via Getty Images

もっとも、バイデン自身は、大統領選から辞退はしない、大統領の辞任もしない、予備選で自分に投票してくれた1,400万人の支持に応えることが最も民主的なことだ、と応じた。同様の趣旨のレターを下院民主党に送り、造反組を抑えることに努めている。上院議員や州知事からも公式に支持を表明する人も増えてきた。

いまのところ、民主党の重鎮である、バラク・オバマ元大統領、チャック・シューマー上院議員(上院民主党リーダー)、ナンシー・ペローシ元下院議長、ハキーム・ジェフリーズ下院議員(下院民主党リーダー)、それに2020年大統領選以来、バイデンの選挙参謀を務めているジム・クライバーン下院議員といった面々は、時間の経過とともに柔軟な姿勢に転じつつあるものの、基本的にはバイデン支持の側に立っている。

面白いのは、バーニー・サンダースやAOC(アレクサンドリア・オカシオ=コルテス)がバイデン支持に回ったことだ。

ブロンクスのセント・メリーズ・パークで演説を行なうAOCことアレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員。

Photograph: Lev Radin/Pacific Press/LightRocket via Getty Images

3年半のバイデン政権の実績の多くは、FDR(フランクリン・D・ルーズベルト)以来といわれる、進歩的な数々の政策の実現にあったからで、それはバーニーたち「プログレッシブ」からすれば盟友たりえる成果だったのだろう。また民主党の新顔では、ペンシルヴァニア州選出の一年生上院議員のジョン・フェターマンもバイデン支持を打ち出し、激戦州である地元ペンシルヴァニア州でのバイデンの遊説について回っている。

7月9日、毎週開催される民主党の昼食会に出席するために議会を訪れたジョン・フェターマン。

Photograph: Anna Rose Layden/Getty Images

AOCもフェターマンもともに、ソーシャルメディアを通じて自分自身をさらけ出すことで人びとの支持を得て当選に至った。マスメディアとは異なるメディア論理で選挙戦に勝利した。彼らの自信の出どころがソーシャルメディアであることは注目しておいてよいだろう。

もちろん、「バイデン降ろし」の一連の動きに対して不満を感じる者もいる。それは次のようなものだ。なぜ、今さらバイデンの高齢問題を蒸し返すのか? その一方で、なぜ、嘘つきトランプを放置するのか? 一体全体、メディアやパンディット、民主党関係者は、「バイデン降ろし」を通じて本当のところ、何がしたいのか? どうしてそこまで執着するのか? なぜ、バイデンの火消しをせずに、むしろ炎上を促すのか?

こうした問いかけが一年前の2023年7月になされたのなら理解できる。あるいは、2022年の中間選挙の前なら問題提起として正しい。だが、すでに予備選も済んだところで、どうしてこんなちゃぶ台返しができるのか。リベラルメディアは、自分たちがキングメーカーだと自負したいだけなのか?

だが、そんなバイデンに対するリベラルメディアのこの異常なまでの高揚ぶりには既視感を覚えるのも確かだ。911後の「愛国者法(The Patriot Act)」の成立のときに近い感じがするのだ。

2001年に勃発した911同時多発テロ直後のアメリカは、報復を優先した体制を生み出して、後の湾岸戦争につながるのだが、そのときは、保守だけでなくリベラルも賛同し、ほぼ満場一致で愛国者法を成立させた。だが、2年後、その愛国者法成立のための世論作りを後押しした報道機関のひとつであったニューヨーク・タイムズでは、記者や編集部が事件直後の沸騰状態に呑まれてまともな批判精神を失っていたと、反省の弁を述べた。要するに新聞社がまるごと集団パニックに陥っていた。今の「バイデン降ろし」の沸騰ぶりは、その時を思い出させる。裏返すと、ニューヨーク・タイムズは、911のときに匹敵するものとして、バイデンの高齢問題を捉えているようなのだ。「国難」とみなしているため、どうしても譲れない。

ソーシャルメディアの温度感

ところで、こうした「バイデン降ろし」の大合唱は、テレビの報道番組や、(保守ではないという意味で)リベラルな新聞などマスメディアで繰り広げられているものだが、ソーシャルメディアに目を向けるとだいぶ様子が異なる。

ディベート直後の反応では、マスメディアとソーシャルメディアの様子は大きく違った。お通夜のようになったマスメディアに対して、今日の出来はあまり良くなかったけれど、でも、明日からまた頑張ろう、と気合を入れ直すソーシャルメディア、といった対比だ。

当初から11月の選挙で何が何でもトランプが大統領になることを阻止したいと考えていた活動家の多くは、6月27日のディベート終了後、即座に、バイデンの出来が良くなかったことは認めた上で、それでもバイデンが大統領になるために頑張ろう、連帯しよう、というメッセージを、ソーシャルメディアで発信していた。彼らからすれば、バイデンの受け答えのもたつきくらいなら、選挙戦の過程でリカバリー可能な失敗でしかなく、むしろ糾弾すべきは、ディベート中、ずっと「嘘八百」を並び立てていたトランプの方だと強調した。ところが、ディベート以来、リベラルメディアの攻撃の矛先が向かったのは、トランプではなくバイデンだった。

ソーシャルメディアのアクティビストたちがディベート直後に主張しながら、マスメディアが取り上げるのをなぜか避けていることは、トランプの嘘以外にもいくつかあるのだが、その中でも最も重要なのは、民主党がすでに予備選を終えて、その結果、バイデンが1400万票、総投票数の87%を得ているという事実だ。つまり、予備選で投票した人びとの多くは、バイデンが高齢であることなど百も承知の上で彼を支持するという選択を示している。このことへの言及が、バイデン降ろしを主張する報道ではごっそり抜けている。先述のようにバイデンはこの1400万票の論理を採用して大統領候補者として残ろうと考えている。

ソーシャルメディアではそのため、「バイデン降ろし」で繰り返される「バイデンの高齢問題」の指摘にうんざりして、そんなことにかまっている暇や金があったらとっとと11月の選挙でどうやったらトランプを倒せるか、そのことに集中しようと主張する人たちが多い。彼らは皆、「バイデン降ろし」の発端が、ニューヨーク・タイムズのようなリベラルメディアや大口献金者が示した不満であることに辟易としている。

物言う大口献金者のひとりジョージ・クルーニーも、バイデンの撤退を要求したようだ。

Photograph: James Devaney/GC Images/Getty IMAGES

1,400万人が投票によって支持を示した事実よりも、せいぜい数千人の金持ちの献金者の意向のほうが優先されるのか?という非難である。正式な投票で決めた候補者を、金持ちの意向だけで覆すのは、全く「民主的」ではない。こうした「正論」に応える議論を、バイデン降ろしに集中しているメディアから見たことはほとんどない。

バイデンが依拠すべきはこの事実であり、実際、彼の反撃はそこから始まった。

バイデンの「負け犬戦略」!?

バイデンは、ヒステリックなエリートとは一線を引いた政治家であると自己規定してきた。11月の選挙に向けて、民主党を混乱させているのは、ニューヨーク・タイムズに代表されるビッグ・メディアとエリート・デモクラットだというフレームだ。いわゆるアンダードッグストラテジー(負け犬戦略)である。

バイデンの場合、白人といっても、アイリッシュカトリックだから、出自的には庶民側の白人だ。それは、白人が社会的地位で劣勢に立たされている、労働者が経済的に困窮の危機にある、といったトランプ後のポピュリズムに訴える要素である。もちろん、白人の「男性」であることも。そのあたりのバイデンの属性が、対トランプの選挙では有効だと証明されたのが2020年大統領選だった。リターンマッチとなった2024年でも、バイデンに勝算ありと、少なくとも今回のディベート騒動の前までは信じられていたことだ。

バイデン降ろしを主張する人たちは、中でも選挙を控える下院議員の政治家たちは、手続き的な簡素化のために、それがあたかも自然な選択であるかのごとく、副大統領のカマラ・ハリスを繰り上げて大統領候補にすればそれでよいと語っている。

Photograph: Sean Rayford/Getty Images

だが、今述べたバイデンの属性と比べた時、バイデンに準じた強みを発揮できるかどうかは疑問だ。ハリスは、見た目は「黒人」の「女性」であり、血筋的にはインド系の血を持つ「エイジアン(アジア系)」でもある。政治家になる前は検事を務めていた。要は司法の人だ。これらの要素は、バイデンが再選のために死守しようとしているラストベルトのペンシルヴァニア、ミシガン、ウィスコンシンでアピールするのかどうか疑問である。ハリスは、白人ではなく、男性でもなく、労働者を想像させることもない。では、7つの激戦州の残りのサンベルト4州、すなわち、ジョージア、ノースカロライナ、アリゾナ、ネヴァダではどうかというと、これも今ひとつはっきりしない。黒人であることや女性であることは有効なのかもしれない。特に中絶問題をアピールするうえでは。

だが、トランプ以後の政治の鍵はポピュリズムであり、アイデンティティポリティクスは誘因にもなるが同時に忌避の理由にもなる。民主党支持の白人たちの本音は、黒人たちも含めて平等なアメリカであることを基本的には望むが、だがそれも自分たち白人が大過なく生活できていることが前提である。民主党の勝利には今や黒人票の確保は必要条件であるが、バイデンはその要件を、黒人初の大統領であるオバマの背中を守った男としてアピールすることで確保し、自らの出自から、白人労働者──それも学位を持たない労働者──の票を獲得した。

いずれにせよ、バイデンとハリスとでは、勝利の方程式は変わってくる。そのことまで考えた上で、バイデン降ろしとハリス推しをしているのか、よくわからない。そのあたりが、「ガチ」で11月に勝とうと気勢を上げてきた活動家たちからすると、どうにも容認しがたいものになっている。

「攻め」の共和党、「守り」の民主党

実のところ、バイデンの「カウンタートランプ」な反撃方法は民主党の十八番でもある。共和党と民主党との政争は、基本的に、まず共和党が新たな政治景観を切り開き、次いで民主党がそれを人びとのものとすべく民主化する、その繰り返しだった。共和党が「攻め」、民主党が「守る」。共和党が「(荒唐無稽という意味も含めて)新機軸」を提案し、民主党がそれを社会に受容可能なものに整える。共和党が「発明」し、民主党が「民生品」にする。共和党がときに“Party of Ideas”と自称するのも事実無根というわけではないのだ。

80年代以降は、共和党が新しい攻略点を見つけて、それを民主党が横から奪い取る、という動きの繰り返しだった。

レーガンとパパ・ブッシュが、今でいうネオリベラリズム的な市場経済を重視した政策に舵を切れば、ビル・クリントンがその政策を奪って90年代を作り、Wブッシュが、宗教主体の「コンパッション」な白人政治を押し出せば、オバマが黒人教会ベースの「アイデンティティポリティクス」でその流れを奪い取った。

Photograph: Bettmann/Getty Images

そのオバマ時代に対して、リーマン・ショック後に起こったティーパーティムーブメントの本質が白人主体の「出生主義(ネイティビズム)」であると看破したトランプが、ポピュリズムを巻き起こして勝利した。すると今度は、バイデンが、アイリッシュカトリックという「エリートではない白人」層の出自を武器にして取り返した。

こうした振り子の動きがアメリカの政治のダイナミズムの源泉だ。

その意味では今回の「バイデン降ろし」の一件で、バイデンを阻むのは、エリート・デモクラットと彼らと同窓のエリートからなるニューヨーク・タイムズのようなビッグ・メディアである、というフレーミングを曲がりなりにも設えることができたのは、もしかしたら、今後のバイデンの選挙戦略にとってひとつの重要な武器になるのかもしれない。ポピュリズムの敵は第一に支配層たるエリートだからだ。

とはいえ、バイデンにとって厄介なのは、ウクライナやイスラエルで戦争が起こり、イランや台湾の周辺がきな臭くなることによって、国外のジオポリティクスと国内のアイデンティティポリティクスが連動するようになったことだ。その結果、予備選における“Uncommitted”の票で代表される不満層を生み出してしまっている。だが国外の情勢が絡む案件であるがために、容易に解決の方向性を示せず、また進捗も制御できないところが悩ましい。この件については、トランプの共和党は「アメリカ・ファースト」の掛け声から、国外の地政学的不安をシャットダウンできてしまうのだから狡猾だ。

海外情勢の扱いにおいて、このようにバイデンとトランプでは、対処における難易度が非対称なほどに落差がある。

ただし、それとは別に、ステフォノポロスのインタビューで見られたように、バイデンは、外交政策をとても重視しているため、真摯な態度で臨めば臨むほど、ドツボにハマるところもある。戦争が続けば続くほど、アイデンティティポリティクスに触れないわけにはいかなくなる。ジオポリティクスと深く連携しているからだ。ソーシャルメディアの普及以後、アメリカでは、世界の平和は国内の平穏と短絡されている。

政治をドラマに見立てている世代

トランプの共和党が、大統領選をリアリティショーの『The Apprentice』のように、自ら参加して楽しんでいるとすれば、今回の「バイデン降ろし」の一件で明らかになったのは、民主党はドラマ『The West Wing』に毒されていることだ。

『The West Wing(邦題『ホワイトハウス』)』は1999年から2006年まで7シーズンに亘りNBCで放送されたドラマシリーズで、タイトルにある通り、大統領スタッフが働くホワイトハウスの「西棟(=The West Wing)」を舞台にした政争劇。何度もエミー賞を受賞した人気作で、当時の若者に政治の道を歩ませるなど多大な影響をアメリカ社会に与えた。実際、2009年に誕生したオバマ大統領のスタッフには『The West Wing』を見て育ったものが多く、彼らは“The West Wing Children”と呼ばれていた。その一人が、オバマのスピーチライターを務めたジョン・ファブローだが、彼もまた、ディベート直後、バイデン降ろしを語った一人だった。

バラク・オバマ元大統領のチーフ・スピーチライターを務めていたジョン・ファブロー(『アイアンマン』や『マンダロリアン』で知られる映画監督のジョン・ファブローとはもちろん別人)。

Photograph: Patrick T. Fallon/Bloomberg via Getty Images

『The West Wing』に感化された世代は、良くも悪くも政治をドラマのように見ており、政治とは、闘争ではなく愛であると考えがちである。今回の「バイデン降ろし」も彼らからすれば、困難を乗り越えてこそ勝利が得られるし、苦難を共にするからこそ、強固な連帯が得られると信じている。彼らが思い描く「バイデン降ろし」の脚本は次のようなものだ。

大統領選を4ヶ月後に控えて、予備選を通過した老齢の現職大統領を、DNCの現場の政争劇を通じて、降任させ、代わりに、新たにもっと若い候補者をその場で誕生させる。予備選の結果を覆すという前代未聞の難行を、コンベンションに集まった人びとが連帯して成し遂げることで、この苦難は11月の本選を突破するための活力を民主党全体に与える。一時はもうダメだと思っていたものの民主党は不死鳥のように蘇り、見事、11月の選挙で勝利を収める。新たな大統領は、2025年1月、万雷の拍手を受けながら大統領の宣誓に臨む……。

そんなドラマチックでロマンチックな、劇的な結末を夢見ている。

実際、このようなツイストからなるドラマが『The West Wing』だった。だが、現実はドラマではない。そんなに上手くは進まない。「バイデン降ろし」が民主党にもたらしたのは混沌であり分裂である。バイデン派と反バイデン派の色分けである。誰が「裏切り者(traitor)」か探るものだ。

その結果生まれたのが、もはやバイデンが何を言っても納得しない、メディアのパンディット、評論家、エッセイストたち。バイデンが「辞退する」と言わない限り、バイデンに対する糾弾をやめない。端から見ていると、なにをそこまで意固地になっているのか? バイデンが辞めない限り、もう一歩も進めないとはどういうこと? と自然に思えるくらい「こじらせた」状態だ。夫婦喧嘩は犬も食わない、と高みの見物を決められるのなら楽なのだが、もはや離婚届にサインしないのなら裁判も辞さない、という空気を、連日、ニューヨーク・タイムズをはじめとした「ビッグ・メディア」が漂わせている。

こうして民主党がフラフラするのとは対照的なのが、「Never Trumper」の拠点であるLincoln Projectだ。

変わらず「反トランプ」に照準し、その結果、ディベート後も全くブレずにバイデン支持を表明し、嘘八百を並び立てたトランプを糾弾し続けている。

共和党は「教会」、民主党は「商会」

そんな対比から、だからリベラルはダメなんだ、信頼されないんだ、という呆れた声も浮上する。危機に臨めばきちんとチームプレイができる共和党と違って、民主党、あるいはリベラルは、とにかく個人主義のスタンドプレイしかできない。危険と見たら、スクラムを組んで立ち向かうのが共和党、我先に逃げ出すのが民主党。これは根拠のない話ではなく、アメリカの政治学の世界では、共和党が信念=イデオロギーでまとまった政党であるのに対して、民主党は、利害をともにする者たちの集団、ウィンウィンの関係が築ける限り連携する野合、と評されてきた。要するに、共和党が「教会」だとすれば、民主党は「商会」なのだ。

アメリカの政党は、選挙対策の互助組織がその本質なので、政党といっても、その中に縦の序列や派閥の力関係などが明確にされているわけではない。常に流動的だ。大統領が選出されれば、その人が暫定的に党の顔となるが、それはあくまでも対外的な顔でしかなくて、政党内部においては、絶対の権威というわけではない。一人ひとりの議員(というか選挙の洗礼を受けた公職者)が、政治的支持母体と経済的支援者を勝手に見つけてきてのし上がるのがデフォルトで、選挙事務所自体が、選挙のたびごとに創立されるスタートアップのようなものだ。

そうしたアメリカの政党の脆さが、今回、民主党で露呈してしまった。党を取りまとめる党首がおらず、党員の方向性を定める政治綱領も曖昧なため、この政党に任せておけば安心だとはならない。党のバックアップがあるからこの人物が大統領で大丈夫という気が一切しない。多くの民主党議員がバラバラに自分の不満や疑念を述べるだけだ。

実際、民主党がどうやら気づいていないのは、トランプによって、共和党が、欧州の政党のような、わかりやすいイデオロギー政党に転じたという事実だ。わかりやすい、というのは、トランプが残した保守派が「スーパーマジョリティ」を占める最高裁によって、これまでアメリカ社会で常識とされていた権利や権限、権力の所在が次々と書き換えられていったことによる。それらの「司法的な変革」は、70年代から80年代にかけて、反リベラル、反民主党の下で結成された、ヘリテージ財団や宗教右派に代表される保守派が抱いてきた理想の実現なのだが、2020年に完全保守化した最高裁が誕生するまで、民主党やリベラルにとっては抽象的なものに過ぎず、単なる「イフ」の世界でしかなかった。だが、ドブス判決によって「中絶の権利」が、連邦政府がアメリカ全土で一律に保証する権利から外されたことで、リベラルにとって具体的な痛みを伴う社会の保守化が敢行されることになった。

そのため、今の民主党も、実は、見た目は「反トランプ/反共和党」という強固な志向性をもつ擬似的なイデオロギー政党になりつつあった。つまり、トランプの登場によって、アメリカの政党は、単なる選挙の互助組織にとどまらない、イデオロギー政党へと変わりつつあった。その場合、政党の支持者は、とにかく、自分の支持政党の立候補者が当選すればよいと考える。リベラルにとっての大統領選は、極論すれば、トランプが勝ちさえしなければそれでよいのだ。さらにいえば、とにかく今年の11月5日の投票でトランプを負かしさえすればよい。その意味では、民主党なら大統領候補は誰でも構わないし、その人物が任期の4年間を全うしなくてもよい。そのために副大統領というバックアップがあるのだから。リベラルな活動家が求めるのは、11月5日にトランプが負けることだけで、それ以外の成果はオプションでしかない。

そのようなアクティブな民主党支持者たちからすれば、予備選前のバイデンの対抗馬たり得る政治家が立候補していなかった時点で、民主党の意向はバイデンで戦うということであり、それならば腹をくくってバイデン支持の票を投じよう、というものであったはずだ。

Photograph: Mustafa Hussain/Bloomberg via Getty Images

そして、すでに予備選の日程は終了し、先述のように、バイデンが十分多数の支持を得て、つまり民主的なプロセスを経て候補者として選出されているのだから、いまさら高齢問題などで混ぜっ返すようなことはせずに速やかに11月の勝利に向けて、人や金を配備すべき、と考える。

そもそも、バイデンが再選を目指そうと決めたのは、2022年の中間選挙の結果が、事前に言われたような、バイデンの属する民主党にとって酷いものとならなかったからだ。もちろん、2022年中間選挙での民主党の善戦も、「反トランプ/反共和党」のイデオロギーが民主党への支持を募ることができたからだった。それをバイデン陣営は、大統領の実績が承認されたと都合よく解釈し、再選に臨むことを決めた。だから、その「都合の良い」野合を堅持したまま、今年の大統領選に臨めばよかったのだ。

それを6月27日の結果だけで、これまでの戦略をすべてひっくり返そうと、リベラルメディアが先導して「バイデン降ろし」を喧伝するのだから始末が悪い。もともと「トランプが勝たないために民主党の候補を応援する」という考えを持つ人たちを中心に予備選が実施されてきたのだから、民主党支持者が日頃接するリベラルメディアが「バイデンの高齢問題」を蒸し返せば、相応の不満が有権者から生じるのも当然のことだ。それで有権者も不満に思っていると報道するのはただのマッチポンプでしかない。

だから、そのあたりのメディアの影響力を知る(ソーシャルメディアを利用する)民主党支持者たちからすれば、なぜ大統領選を4ヶ月後に控える今、わざわざ「挙党一致で団結して」選挙戦に臨もう、という空気を自ら破壊するのか、理解に戸惑うところだろう。アメリカの有権者が、特に若い有権者が、ヨーロッパのように政党に政治的なイデオロギーの下での結束を求めている時に、当の政党が、当の民主党が、そのような役割が求められていることに気づいていない。

その有権者と民主党関係者との意識のズレが、本来なら必要なかった軋轢をこれからも生み出していくようにしか見えない。

保守がひっくり返そうとしていること

ともあれ、第1回ディベートが、停滞していた選挙戦をリセットしたことだけは間違いない。選挙を数ヶ月後に控えて、バイデンの「選出可能性」が改めて問われ、ではバイデンでなければ誰か?という問答を繰り返すことで、消化試合的に行われてきた予備選の結果も含めて、民主党の政治家や支持者の頭をリフレッシュさせた。一部の人たちはリフレッシュよりも「憤慨」して疲弊したかもしれないが。

だがそうしてバイデンに対する不満や不安が一通り吐き出された後で、叩くべきは、アメリカを権威主義国家に変えようとするトランプと共和党であることが確認されるならそれでよしとすべき、で落ち着くのかどうかが鍵となるのだろう。

ビッグ・メディアが「バイデン降ろし」に注目し続けている間に、最高裁は大統領の免責特権の存在を認める審決を公開し、それもあって、保守系シンクタンクの老舗であるヘリテージ財団が公開した「プロジェクト2025」への不安も増大した。その中核にあるのは、アダム・マッケイ監督の映画『バイス』でも扱われていた、80年代から保守派が求めてきた“Unitary Executive Theory”、すなわち、大統領権限の拡大による実質的な「皇帝」の誕生である。

大統領の免責特権を認めた審決を出した最高裁のジョン・ロバーツ首席判事は、レーガン政権下の司法省の行政官からキャリアを始めた、新たな保守派に希望をいだいていた人物だ。保守はそうして、FDR以来20世紀後半のアメリカを支えてきた制度体系を根こそぎひっくり返すつもりである。その後にあるのは、これまでとは全く異なるアメリカだ。心ある民主党支持者あるいは活動家は、そのプレッシャーにすでに気づいている。だからこそ、バイデン降ろしのゲームなどにかまけているときではないと苛立っている。

願わくば、今回の一件が、雨降って地固まる、とならんことを。

Photograph: Cornell Watson/Bloomberg via Getty Images

※連載「ザ・大統領戦2024」のバックナンバーはこちら。(2024年3月以前の連載「ポスト・レーガンのアメリカを探して」のバックナンバーはこちら)。『WIRED』による米大統領選挙の関連記事はこちら

池田純一 | JUNICHI IKEDA
コンサルタント、Design Thinker。コロンビア大学大学院公共政策・経営学修了(MPA)、早稲田大学大学院理工学研究科修了(情報数理工学)。電通総研、電通を経て、メディアコミュニケーション分野を専門とする FERMAT Inc.を設立。2016年アメリカ大統領選を分析した『〈ポスト・トゥルース〉アメリカの誕生』のほか、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』『デザインするテクノロジー』『ウェブ文明論』 『〈未来〉のつくり方』など著作多数。


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